はてなキーワード: クラスタとは
「無断転載批判クラスタ」は見たところ「ふたば☆ちゃんねるの虹裏may」の人が多いと思う。
虹裏mayはアニメキャプや漫画画像をコラージュする文化があり、無断転載上等な掲示板ですし
そこの出身をアイコンでアピールしながら無断転載を批判しているから
無断転載批判クラスタの正義の志士の皆様を応援して居る身としては、最近の状況には憤りすら感じる。
下劣な無断転載を撲滅すべく、誰に頼まれるでもなく、金銭的な利益があるわけでもなく、毎日twitterに張り付いてエゴサーチをしては
togetterにまとめて攻撃するだけでも大変だったのに……増田や2chの監視までしなければならないなんて!
サブアカを作ってまで、無断転載という畜生にもおとる犯罪者と愚かにも無断転載批判クラスタを批判する者達と戦っている彼らを労うのが筋という物だろう!
カーテンコール氏が「無断転載してる側や批判批判の方が侮辱的な言葉かますことについては」と仰っている件について。
http://anond.hatelabo.jp/20130128213337
初っ端から初対面の人間に(ツイッター上ではあるが)「悪人」と決めつけられ、突然高圧的な態度で迫られ、相手の汚点をできるだけ収集して晒し、より醜く見えるように誇大に宣伝し挑発行為を行われる。そう言った行為で冷静でいられる人間って、殆どいないと思う。(自分が突然そういう風にされる事を、軽く想像してみればわかるはず。)
http://resistance333.web.fc2.com/newpage8.htmこちらのサイトに詳しいが(2ちゃんねるを閲覧する人間として、このサイトを参照するのは、自分でもどうかしてるとは思うが)少なくとも、「クラスタ側」の人間の中には、明らかに「相手を挑発し、怒らせて醜態をさらけ出させる」目的としか思えない言動を繰り返す人間がいるように思える。どこ誰かさんとは言わないけどね。
http://anond.hatelabo.jp/20130129135239の要約版
どうも彼らの中には、長い文章を読むのが苦手な人が居るようなので、なるべく短く要約しようと思う。
・彼らの敵は「遵法主義の敵」であり、表現の自由を脅かす、全ての表現者の敵である(という前提でなければ、彼らの活動理由そのものが存在しなくなる)
・「遵法主義」を掲げる人間に対して、懐疑的な感覚を持ってる相手は、全員が「遵法主義の敵である」という考え方を持っている。
・不特定多数の人間に閲覧されることが前提の活動なのに、自分たちに肯定的な意見以外受け入れたくないという感覚を持っている。
・そして、批判的な意見を表明した者は、全員が「遵法主義の敵」であるという考え方を持っている。(その為、攻撃対象が無差別になる)
・現実問題として「違法行為を行った人間」ばかりではなく、「自分たちに批判的な意見を表明した人間」までを、攻撃対象にしているのも事実である。
以上が、彼ら「無断転載批判クラスタ」の最大の問題点であるという事です。
異論反論があれば、増田でもツイッターでもいいので、個別の問題について、きちんと具体的に、「侮辱」以外の言葉を使って意見を表明しましょう。
氏は何か重大なルール違反や、他人への誹謗中傷を飯のタネにしてる訳でもない。
詐欺やネズミ講で儲けてる人が野放しにされてることの方が、よほど社会への悪影響は大きい。
こいつ叩いとけば人気者になれるだろう、か。
ゲスい。
無断転載批判クラスタってのは反原発クラスタとかぶるところがあるんだよな。同じタイプの人格障害なんじゃねえのか。ところで
そもそもこの部分が馬鹿じゃねえのとしか言いようがないが、http://anond.hatelabo.jp/20130129135239もここには異存がないようだし、誰も指摘しないのか。
ここ10年間の著作権法改正の歴史において、著作者の権利強化方向に動いたのってみんな条約がらみじゃん。ていうか日本の特殊な事情で著作者の権利を強くする決定なんてしたら、国際的にものすごくめんどくさくなるだろ。そんな調整ができる立法者はいないよ。
http://anond.hatelabo.jp/20130128213337
http://anond.hatelabo.jp/20130129092048
http://anond.hatelabo.jp/20130129110701
以上の3つとは別個の話として。
昨夜書いた「「無断転載批判クラスタ」から身を守る方法を考えてみたい(http://anond.hatelabo.jp/20130128213337)」から一夜明け、所謂「クラスタ側」からの反応が、ボツボツと出てくるようになった。(カーテンコール氏いわく、「リツイートされた件数も、ツイート数に加算される」らしい)
・無断転載行為が野放しになると、著作権法の強化によって、これまでの表現の自由が制限されてしまう事になる
↓
・だから我々は、断固として「無断転載行為」に対して、毅然とした態度を取る!
ここまでは、一般論として依存はない。どれだけひねくれている人間であろうと、この理屈に対して反論するつもりはないだろう。私もそう思う。
ただし、問題はこの先である。
・「無断転載批判クラスタに対して」、「無理してでも」懐疑的・批判的な意見を表明する必要性はあるのか?
↓
・我々に対して懐疑的・批判的なツイートをするのは、奴ら自身に後ろめたい部分があるからだ!
↓
どうも、彼らの行動原理そのものは、ここにあるようなのである。(彼らの中には、後半二つの項目を否定する向きもあるようだが、だとすれば、「違法行為を行っていない単なる批判者」に対して執拗な攻撃を続ける根拠について、是非お答え頂きたいところである。)
彼ら「無断転載批判クラスタ」に対して集まってる批判的な意見は、「断固とした遵法啓蒙活動」そのものではなく、「攻撃対象の無差別化と、その攻撃手段」(エゴサーチ→リツイート→ストーカー行為→炎上ないし追跡)に対してである。
※参考
http://anond.hatelabo.jp/20121030074057
http://anond.hatelabo.jp/20130127175005
度々(主にカーテンコール氏から)「我々の行動に対して、懐疑的・批判的な意見を表明する必要性があるのか?」という意見が出る。
だが考えて欲しい。彼らの(建前上の)本質が「無断転載撲滅の啓蒙活動」である以上、彼らの活動実績を(少なくともツイッター上では)拡散させる必要がある。その為にも「悪人」(無断転載行為を行った人間)を絶対悪として晒し上げ、二度と同じ行動を起こす人間が現れないように、徹底して「叩き潰す」(←先日、松下響氏が使用した言葉でもある)必要が生じる。もしそうでなければ、「あんたら何のために活動してんの?」って言われても仕方がないであろう。
「拡散」させる以上、「彼らの活動実績」そのものが、詳細に「数多くの不特定多数」の人間に晒される事になる。(彼ら自身がそれを望まないのであれば、それこそ「あんたら何のために」って話になる)
「我々の行動に対して、懐疑的・批判的な意見を表明する必要性があるのか?」と、彼らは考えているようだ。
その一部始終を目にした人間の、全員が全員、我々に肯定的な感情を抱く筈だし、抱くべきだ!
彼らはそう思っているのだろうか?
彼らの行動原理として
「無断転載行為が野放しになると、著作権法の強化によって、これまでの表現の自由が制限されてしまう事になる」
という考えを紹介させていただいた。
「無断転載批判クラスタ」に対し、懐疑的・批判的な感情を抱くこと。そしてそれを表明すること。それ自体を制限する根拠は、一体どこに存在するのだろうか?彼らが「遵法主義の啓蒙活動家」である以上、法律に基づく根拠であるのなら、日本の法律のどこの条項によって定められているのか?前回も書いたが、その正当な根拠があるのだとすれば、後々の為にも是非ご教授頂きたいものである。
余談だが、紅蓮の猫 (@lotusredcat)氏曰く「社会の規範を破っておいて、同じ(ルールは破って良いという)意見の人としか交流しないというのはただの甘え」なのだそうだ。
自らに対する懐疑的な意見の存在を受け入れず、その相手を(違法行為を行ったという明確な証拠がないまま、違法行為を行った人間と同様の罪を持つとして)執拗な攻撃を続けるという行為は、彼らにとっては「甘え」ではないという事なのだろうか?甚だ疑問に思うところである。
http://anond.hatelabo.jp/20130129092048書いてる途中に気がついたことがあるのだが、手短に。
関連キーワードで検索してみたところ、所謂「クラスタ側」の人間の中にも、こちらの意図を汲み取ってくれてる人もいるようではある。
だが(こちらは、違法行為の正当性の話なんか一言もしていないのに)、相変わらず「著作権法を守らないやつが何を言ってるんだ!」と、発言している人間も多いようである。
(むしろそちらの方が大多数のようではある)
「どうも、こちらの文章については殆ど目を通さずに、「無断転載批判クラスタ」に対する批判ってだけで、脊髄反射しているのでは?」という疑問が生じたので、敢えて「追記の追記」って事で手短に記そうと思う。(長文になると、彼らも読むのが億劫になるのかもしれないので)
何だったら、我慢して過去ログを読むことをオススメする。普通に中学卒業程度の読解力があれば理解出来るはずだ。
ところで、中には「だったら俺たちの行動について、言及すんじゃねぇよ!」と言ってる人もいるようである。
あなた方の行動に対して、(合法の範囲内で)批判的な意見を提示すること。それ自体を制限できるとする、正当な法的根拠が存在するのだろうか?
もしあるのだとすれば、後々の為にもご教授いただきたいものだ。
・追記の追記の追記
ここ数十年の自由恋愛の進行とそれに伴う少子化(まあ経済的要因もあるけど)を見ていると、人間における社会性の獲得の度合いには、想像を絶する個人差があると感じさせられる。
大きく分けると早熟型とスロースタート型だ。
ちなみに早熟の対義語である晩成という単語を用いなかったのは、現時点で後者のクラスタは「晩『成』」と言えるほどの結果が出ていないどころか、「まだ始まってすらいない」ことだらけの人達に見えるからだったり。
このうち早熟型の極端な例は、早い人だと18歳くらいで所帯持ちになってしまうDQNのお兄さんお姉さんたち。
一方でスロースタート型の極北は、少子化問題でクローズアップされている高齢童貞処女の皆さん。
両極を並べてみたとはいえ、双方の違いの大きさに驚いてしまう。
それがつい最近まで、社会における成人にとっての最優先事項が子孫の育成だったことから、ほっといたら高齢童貞処女まっしぐらだった人達も、適齢期のうちに周囲がお見合いで相手を見繕ってやってまで「一人前」にさせられたわけだ。
そりゃ出産と育児という観点からすれば、基本若いほうがいいに決まっているのでそうなる。
それくらい大人になったら「養う機械」「産む機械」に徹することを求められていたとも言える。
今は時代が変わり、結果の是非はともかく、個人の自由がだいぶ尊重される時代になったけど、それでも昔の余波は大きい。
高齢独身への「一人前になれ」プレッシャーは半端ないというか、早熟型の人達にとっての「普通」基準あるいは成熟度モデル(?)を引き合いに「○○歳までに✕✕を経験していない人は半人前、△△歳になっても経験していない人はマジヤバイ」という価値観が未だに根強い。
「あるエピソードが10代なら笑い話で済むのに、20代なら眉を顰められ、30代以降だったら『この人一体何?』と思われる」あるいは「いい歳して何やってんだよバカじゃねえのきめえな」という声が絶えない。
これはつまるところ、スロースタート型の人のロールモデルが未だに確立されていないからであって、そっちのクラスタに入った人が、自身の手でこれから黙々と築き上げていくしかないのだろうか。
築いた所で受け入れられるかどうかも怪しいけど。
それにしても人間という種に、なぜここまで社会性に個体差が生まれてしまうのか疑問に感じる。
多様性ということなんだろうけど、それで種の保存に危機が及ぶとしたら本末転倒ではないか。
お見合いに限らず、古今東西で非コミュでもなんとか子供を遺せるマッチングシステムがあったらしいけど、それはあくまで前述のおかしな多様性に人間が適応しただけだろうし。
昨日書いたhttp://anond.hatelabo.jp/20130128213337の追記。
どうも20件程度ツイートされているようだが、トラックバックされてるわけでもないので、実際どういう反応があるのかまだよく解らない。
2ちゃんねるの「無断転載批判クラスタヲチスレ」(http://uni.2ch.net/test/read.cgi/twwatch/1358512080/l50)でも話題には上がらないようで、ひょっとしたら、丸っきり相手にされていないのかな?とも思う。それならそれでも別にいいのだが・・・
色々調べてみたら、同じように「エゴサーチで見つけた相手に喧嘩を吹っかけ、延々と粘着をし続けるユーザー」は、思いのほか多いらしい。
1日中(曜日や時間帯とかで、ある程度の法則はあるようだが)ツイッターにはりついて、一体何をやってるんだか・・・とも思うのだが。
とは言っても、「エゴサーチ」という手段そのものまでは否定できない。それを、商業的な宣伝活動の一環として行ってる人も、中にはいるからだ。
以前に、とある地方の劇団について言及してみたら、その劇団関係者から「ぜひ見に来てください」という返信が来たこともあった。
「バカとハサミは使いよう」って事なのだろうか。その劇団の公演は実際に見に行ったのだが、思いのほか楽しめたのも事実である。
というわけで、ツイッターで、「「無断転載批判クラスタ」から身を守る方法を考えてみたい」というキーワードで検索してみた。
20件のツイートがあるとは言え、実際に表示されたのは5件だけだった。日記タイトルを外してツイートしている人の方が、むしろ多いのだろう。
その中に、2ちゃんねるの「無断転載批判クラスタヲチスレ」にも度々名前が登場する、チコラブ(not絵師)(@chico_love)という人物のツイートがあった。
前回の日記でも書いた通り、また以前から、増田でも度々指摘されている通り、
1.問題なのは、「直接的な著作権違反行為を行った者」ではなく、「無断転載批判クラスタの手段」そのものを批判している人までが、攻撃対象にされている事
2.「無断転載批判クラスタの攻撃手段」を批判した人間は、「著作権の違反行為」を行っていないということ。
3.その攻撃手段そのものが、ネット上における人格攻撃のテンプレートそのものであるということ。
(徹底した挑発を行い、相手の汚点をできるだけ収集して晒し、より醜く見えるように誇大に宣伝するといった行為)
4.何よりも、その議論(と彼らは言うが、一方的な攻撃行為である事は明確である)そのものが、批判者が自ら望んだモノではないという事。
http://anond.hatelabo.jp/20121030074057でも言及されていることだが、「俺を煽った親玉が許せない」と言う思いに至った経緯に関しては、私は一定の理解を示す。それが実質的な「人格攻撃を前提とした、単純な挑発行為」であれば、そういう風に思うのも当然だからだ。
彼らの中には、「自分たちを批判する人間=遵法主義に挑戦する人間」という方程式が出来上がっているのだろうか?
「俺たちこそが法律だ!」という、薄ら寒い思考そのものまでが透けて見えてくるわけだが・・・
(「著作権法違反行為を行っていない人間」が、「無断転載批判クラスタ」の「手段」や「方向性」を批判すること自体は、それが名誉毀損罪や侮辱罪に該当しない限り、違法行為ではない。)
もっとも、前回の日記でも言及したとおり、単純に「攻撃対象を求め続けたいだけ」なのだとすれば、そういった面倒くさい前提など必要ないのかもしれないが。
ってな事を、ツイッターでアカウント作ってやろうとしたけど、文字制限とかうざったいのでこちらでやってみることにした。
あらかじめ言っておくけど、ここでは「法律的な解釈」については論じない。
最近、彼らの攻撃対象の拡大っぷりが、はっきり言って度を過ぎていると思う。
無断転載を行った本人やそれを擁護した人間ばかりではなく、彼ら「無断転載批判クラスタ」に対して、批判的な考え方をつぶやいた人間ですら彼らの攻撃対象になっている。
もっともそれ自体は、彼らにとっての「おいしい標的(直接的な無断転載行為を行った人間)」が、それほど簡単に見つかるわけではない事を表しているのかも知れない。彼らが活動を活発にすればするほど、彼らの批判対象が減っていくのも当然だからだ。
駐車監視員が頑張って取り締まり件数を稼ぐほど、それに反比例して駐車違反が減る=彼らの取締件数が減っていくのと同じだ。
それ自体は、彼らにとって(本当に無断転載という行為の撲滅が目的ならば)喜ばしい現実のはずだ。
ところが、「彼ら自身の批判者」すら攻撃対象にするという事は、彼らにとっては、必ずしもそうではないという事を明確に表していると思う。
知られているとおり、彼らは、概ね一定のパターンで行動している。
1.まず、エゴサーチで「索敵」を行い、リツイートで「仲間内の回覧」を行う。
2.当然彼らは、自身らの行動に対する批判的言動に対し、脊髄反射で「敵」と認定する。
3.そしてその敵に対して、挑発行為を行うようになる。相手の汚点をできるだけ収集して晒し、より醜く見えるように誇大に宣伝する。
ここで相手が応戦してきた場合は、概ねみなさんが予想通りの「泥沼の炎上祭り」となるわけだが、中には面倒な議論を避けるために逃げ出す人間もいる。(むしろ、その判断の方が賢明であるとは思えるのだが)そんな相手を追撃するために、別のアカウントを用意している人間すらいるようである。
彼らの行動の原理は、おそらく彼ら自身が表明している以上「法律遵守の為の啓蒙活動」なのであろう。
(繰り返しになるけど、法律に対する解釈についてはここでは言及しない)
彼らの最大の問題点は、「日本の法律」と「ツイッターのルール」さえ守っていれば、「後はどんな手段を使っても構わない」という考えを抱いているという点である。
エゴサーチで「索敵」し、そして「ストーカー紛いな行為」(ご存知のとおり、日本の法律では「恋愛感情に関するもの」以外のストーカー行為は違法ではない)で「敵」を精神的に追い詰め、そして逃げ出した「敵」をもう一方のアカウントで追撃する行為、更にネット上で「私刑」するという行為は、彼らにとっては「法律を遵守するための正しい行動」なのだそうだ。
確かに、いずれの行為も、日本の法律では「違法行為」には該当しない。モラルとして、人としてどうなの?とは思うが。
(日本における、mixiのような既存のSNSに慣れてきた人間にしてみたら、複数のアカウントを所持することが、モラルに反しないかどうかについては、議論の余地があるとは思うが)
ところで本題の「無断転載批判クラスタ」から身を守る方法だが、「自らの発言が、彼らのエゴサーチに引っかからないように気をつける」以外思いつかない。
例えば文字間に空白を入れるとか、任意の文字列を入れるとか、もしくは隠語を利用するとか・・・(因みに「人が描いた絵を勝手に使った人間に対して、勝手に怒り狂ってる連中」という表現ならば、彼らのエゴサーチには引っかからないらしい。今後は解らないし、ツイッターの文字数制限上無理があるんだが。)
余談になるが、「無断転載批判クラスタ」(なんか長いから略さね?「ムテクラ」とか「ムヒクラ」とかみたいなの)と一言で言っても、決して一枚岩ではないらしい。
中には、話せばある程度話のわかる穏健派もいるし、ゴリゴリの価値観で思考停止し、やたらとヒステリー起こしまくってる鬼女もいるようだし、ただ単に騒ぎたいだけのガキも混ざっているようだ。
乱暴な話だが、「内ゲバ起こして内部分裂起こしてくれれば、それが一番だよね」とも心底思っていたりもする。
http://anond.hatelabo.jp/20130126165228
近頃、カーテンコール氏やチクワ氏を初めとする『いわゆる無断転載批判クラスタ』への懐疑的、反発的な意見がホットだ(少なくとも増田において)
彼らに対して主にその攻撃性や無批判性から懐疑的な意見はtwitterでも散見されていた。
そんな意見を言う人達は『いわゆる無断転載批判クラスタ』から『無断転載批判批判』と言われている。
この〇〇批判批判や反反〇〇というレッテル張りは意識的にせよ、無意識的にせよ『無断転載批判批判の奴等は著作権の敵だ』という論法に使われて、
まるで正義に仇成す者の様に扱われている……だが、本当にそうだろうか?
例えば、『いわゆる無断転載批判批判』の人達の一部は著作権法を著作権者にその全権があるとし、
部外者の批判を批判しているのであって、あくまで著作権法に『穏やかに』従っているのである。
つまり、冷静になって考えれば両者は著作権を守ると言う同じ軸に居るのではないか?
その前提の上で両者を再定義すれば、『いわゆる無断転載批判クラスタ』は『無断転載批判過激派』とでも言うべきだし、
『いわゆる無断転載批判批判者』は『穏健派の著作権保護論者』とでも言うべきだと思うのだ。
左翼だろうが、ムスリムだろうが、過激派は同軸上の穏やかな論者をやっきになって批判する。
記者20代後半。
ツイッターの記者クラスタの人たちがみーんな「実名は必要」「亡くなった人の人生を伝えることに意義がある」とか言ってるのに違和感を感じて仕方ないので、備忘録的に感じたことを書く。
何の落ち度もない被害者たちの名前を公開する必要はない。報道の仕事を経験したからこそそう思う。
日揮の判断は英断だったと思う。社員をちゃんと思ってるいい会社だ。
記者が殺到して遺族の心がかき乱される可能性がある以上、教えてはいけない。
新聞は一昔前のテレビや雑誌みたいにマイクやカメラ向けて「今、どんな気持ちですか?」みたいなゲスな取材はしないけど
それでも締め切りに追われて殺気だった何人もの記者に押しかけられてピンポン連打されたり、近所の住民からも話を聞き出されたりして気持ちいい人はいないだろう。
「話を聞いてもらいたい、亡くなった人のことを世に訴えたい遺族もいる」という意見もあるけど、俺には言い訳じみて聞こえる。
「一切取材されたくない人」に合わせるべきだ。
ツイッターでは遺族取材にこだわる理由を「売りたいだけでしょ」と決めつける意見に「記者も遺族取材は辛い」「これを報じれば売れるとか数字になるという意識はない」と答える記者もいた。
確かに売れることを考えてる記者はまずいない。が、それは単にセクショナリズムのせいであって、功名心すら一切ないと言い切れる人はいないだろう。いたら信用できない。
よくデスクに「泣かせで書け」「いまいちインパクトが弱いな。もっと心ゆさぶるエピソードないの?」と言われたなー。
刷りを見たら遺族が勝手に「声を震わせた」ことになってたのもざらだった。
酒乱でどうしようもないオッサンでも、性格がゆがんでいて両親も手を焼いていたガキでも、近隣住民から死んでせいせいしたと言われる強欲ばあさんでも
「事件事故の悲惨さを世に訴えるために」(そして「泣かせる」社内でも評価の高い記事に仕立てるために)と悪いところは捨象され、紙面では悲劇の聖人になって登場する。
そんなん読ませて何になるんだ?
いやまあ、それで悲しいとか辛いとか心動かされたとか言う人は一定数いて、それで飯を食ってはいるんだけど。
これはやっぱり、弔いとか、そういう美しいものではないよな。
「仕事は、社会は、そもそもそういうえげつないものなのだ」と言ってしまえばそれまでだが、えげつない行為を正義で塗り固めて恥じないほどは、まだ面の皮が厚くなりきってない。
こういうことを言うと「政治部脳」とか言われるけれどいわゆる「社会部脳」よりはマシだと確信している。
もし俺が遺族だったら、家族が亡くなったばかりの状態で記者に取材にしてほしくなんかない。そっとしておいてほしいと思う。
発端は
http://anond.hatelabo.jp/20130118225049
の増田。
カーテンコール、松下響、トワットという具体名(一部伏せ字もある)が
今まで増田で批判批判をしてきた奴は複数いたけど、
批判批判側で具体名が出てきたのはいぬいぬが初めてだった(気がする)ので、
興味を持って調べてみた。
ブログ名は
「幻想郷ではたらくひとたち」
でそこらへんを色々調べていたら、
http://anond.hatelabo.jp/20130119233142
が投稿された。
題名は
ここでもまた伏せ字ではあるがいぬいぬとおぼしき人物の名前が出てきている。
でだ。
いぬいぬのツィートを見ると、あるTogetterのコメントで、
タイミングよすぎねえ?
とある個人の言葉をはてな全体であるかのように見せてるのが気に入らん。
二つの増田がいぬいぬの影響力を警戒した無断転載批判側によるものなら合点がいくが、
いぬいぬは無断転載批判側には影響力ある人物として認識されていないように見える。
いぬいぬ氏達が放っておけば、無断転載批判クラスタは反原発クラスタと同じ道を辿るはずだ。
逆説的に、無断転載批判クラスタを潰したければ某東海氏的な立ち位置を装って引っ掻き回せば良いと思う。
もう潜り込んでいたりしてね。
1.専門家の不在
2.責任者の不在
4.異常なまでの排他性と攻撃性
ダサい。
ダサい。
twitterでご活躍されている無断転載批判クラスタがとてもダサい。
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/440467
それにしたってこのやり取りは胡散臭い。
https://twitter.com/aqn_/status/292240528957911040
にて言及されている通りだけど、これって結局
1.自作自演
2.吊し上げようと思ったけど相手が素直だから何も出来なかった
かのどちらかでしょ?
最近の彼らは無断転載者相手にしている時間よりもいぬいぬ氏(この人も一癖二癖有るにしろ)に対して
文句を言っている時間の方が長い。
ダサい。
彼ら無断転載批判クラスタは、敵が欲しいだけだというのが丸わかり(そうじゃなきゃ無断転載者を見つけて作者に通報している人がもっと多くていい)。
無断転載批判クラスタが鼻につく人たちは相手にしないのが一番じゃないかな?
ストレスを溜めるのと引き換えに彼らの結束を引き締めるのも時間の無駄。
無断転載批判クラスタの中には、自分らをクラウド型とか言ってる人がいる。
個人行動と組織行動の良い所取りなんて出来るはずも無くね。
唱えているお題目は立派だけど責任を取る人が居ないから、組織行動を取りたくてもとれないというのも真実だとは考えられるけど。
唱えているお題目は本当に立派。
その割にはおヤクザ様がやっている違法プライズの撲滅運動や、まとめサイトへの反対運動はしない。
その点がまたダサい。
あけおめ!今年は巳年。へび。へびと言えばPython。そう今年は全てのwebエンジニアがPythonを勉強する最高の環境が整った年なのです。
必要です!必要だと思います。もはやPythonはwebエンジニアにとって必修言語となりつつあると思います。Linuxの多くの箇所でシステム言語として用いられ、可読性の高さから多くの技術系書籍のサンプルコードとして用いられ、科学技術系分野におけるエコシステムの充実っぷりはますます磨きがかかっており、様々なライブラリがどんどん出てくる現状を「Pythonわからないから自分には関係無い」と遠巻きに眺めるのはもったいないです。
あなたが既に他の言語に慣れ親しんでいるなら、特にRubyなどに精通していれば「1週間」で基本的な読み書きは出来るようになるでしょう。そのくらいPythonは敷居の低い言語です。またweb上のチュートリアルドキュメントが大変に充実していますので(もちろん和訳済み!)費用0円で勉強開始できるお手軽言語でもあります。
これは大変に悩ましい問題で、自信を持ってお薦めできるバージョンが無いのが残念な現状です。2系と3系は特に文字コード周りを中心に言語体系にそれなりの差があり、日本語を扱うエンジニアにとっては悩ましい問題です。結論としては「どちらも読み書きできる」ようにした上で「3系で書く」ですかね。2と3の違いを理解しておかないと必ずどこかで躓きます。特にweb上の情報はまだほとんどが2系ですが、ぱっと見て2と3のどちらのバージョンで書かれた情報なのかを判断できないと多くのweb上の情報を利用できずにもったいないです。
先述しましたが和訳済みのチュートリアルが充実しているのがPythonの特徴でもありますので、まずは目を通す事をお勧めします。
ぜひ超充実したドキュメント群を覗いてみてください。「チュートリアル」を読めばだいたいの言語仕様がつかめるはずです。「ライブラリリファレンス」はあなたの最高の辞書となるでしょう。
その上で、やっぱり書籍で勉強したいということでしたら以下の本がお薦めです。
・プログラミング自体が初めての人向け
・他言語を既に知っている人向け
みんなのPython 第3版(柴田 淳) ・・・2版と3版で大きく内容が異なります 2版はPython2系、3版はPython3系を中心に解説
・進んだトピックを扱う中級者以上向け
pythonはインデントの存在があるので無機能エディタで大規模なコードを書くのは案外骨が折れます。贅沢系IDEの代表格はPyCharm(有料$99)でMac,Windows,Linuxの3プラットフォームに対応しており、一つのアカウントでいくつものマシンにインストールできます(同時に使う事はできない)。30日間の無料トライアルもありますしトライアル期間が過ぎても一回あたり(たしか)5分ぐらいなら継続して使えます。無料IDEだとEclipseプラグイン、Netbeansあたりでしょうか。Netbeansは公式開発は既に終了しておりあまり安定していません。
大規模な開発ならDjangoが第一候補。歴史が長いフルスタックなフレームワークですがまだ正式版がpython3系に対応していない。最近勢いがあるPyramidは3系に対応済み。各webフレームワークについては各開発者同士が「筋が悪い」「Pythonとしておかしい」「トレンドから3年は遅れてる」などとガチンコで思いの丈をぶつけ合っている以下の記事も参考にしてください。http://www.atmarkit.co.jp/news/201209/24/pycon.html
とりあえず最低でもDjangoとPyramidは両方使ってみてから自分にあった方を選択するといいと思います。
・Numpy/Scipy
科学技術系の人が好んでpythonを使う理由の一つがNumpy。数値行列計算を内部でCを使って計算するために非常に高速。インターフェイスは書きやすいpythonだけども実行速度はCネイティブ並みというとてもありがたいライブラリです。現在のPythonの盛り上がりに間違いなく大きく影響しているライブラリ。
・nltk
言語処理で使われるライブラリ。英語がベースとなってますが工夫すれば日本語でも全然使えます。参考文献 http://nltk.googlecode.com/svn/trunk/doc/book-jp/ch12.html
・multiprocessing
並列処理ライブラリ。CPUのマルチコアを全て使い切って無駄無く高速に処理を行いたい時に重宝します。個人的に大好きなライブラリ。頑張ればちょっとした分散並列システムも作れます。このライブラリのお陰で自宅にある10台*(擬似)8コアでお手軽python並列処理クラスタを30分ぐらいで作る事ができました。