はてなキーワード: キャリーとは
http://s.news.mynavi.jp/news/2014/06/16/013/
この記事の漫画を読んだら涙が出た。
2年前の夏、ああもう2年も前なのか、友人から
とメールが来た。
わたしは当時猫カフェにはまっていて、週2ぐらいの頻度でFacebookに猫カフェの写真をアップしていた。
それで連絡をくれたらしい。
それまで実家で犬を飼った経験しかなく、一人暮らしのアパートで猫を飼うことができるのか一晩考えて、引き取ることに決めた。
嘘みたいに小さな、サバ柄の三毛の子猫が、ぴーぴーぴーぴーと鳴いていた。
なんでも、幹線道路沿いの交通量の非常に多い道端で、きょうだいらしき別の子猫の死骸のそばを離れずに鳴き続けていたらしい。
母猫とおぼしき猫は近くには見当たらなかったという。
帰りの車中でも、ずっとぴーぴー鳴いていた。
家に着き、準備していたケージの中に入れた。
エサと水、子猫用のミルク、猫砂を入れたトレイ、すっぽり身を隠せる小さな段ボール箱、鈴のついたおもちゃ。
彼女は少しだけミルクをなめると、段ボールに身を埋めてこんこんと眠り始めた。
夏の西日の差す部屋だったから、日中の室内を適温に保つため、省エネタイプのエアコンを買った。
まるで、それまでの苦難や悲しみをリセットしようとでもしているかのようだ、とわたしは勝手にセンチメンタルな想像をした。
やがて日が落ち、夜になり、うとうとしてはっと目が覚めると、猫砂にびしゃびしゃのうんちがかかっていた。
エサと水とミルクを新しいものに交換して、うんちを片づけ、わたしは床に就いた。
翌日も変わらず。
嫌がるのをつかまえて無理矢理シャンプーをした。
拾い主が動物病院に連れて行って一通り検査をしてくれたそうだが、わたしも一応近くの病院に連れて行った。
ケージの側面に足をかけ、ぐいぐいとよじ登る。
ケージの扉を開けてみると、彼女は実に頓着なくケージの外に出た。
ようこそ、我が家へ。
帰宅したとき、彼女はベッドのシーツに潜り込んでいるか、クローゼットに置いている旅行かばんの中にいるか、どちらかだった。
わたしがリビングでうたた寝していたら近くに寄ってきて、身を寄せ、当たり前のようにそこに寝転がった。
偶然かもしれないけれど、名前を呼ぶと同じイントネーションで「にゃにゃにゃ」と返事をしてくれた。ような気がした。
次の日からは名前にはっきりと反応を示すようになったから、やっぱり返事をしてくれたのかもしれない、と感じた。
わたしがトイレに入ると、扉と床の隙間から、真っ白な前肢を差し入れてシャカシャカと動かすのが、愛おしくて仕方なかった。
風呂に入るとガラス戸の前でぴーぴー鳴くので少し扉を開けてやると、するりと浴室に入ってくる。
浴槽のふちに座り、わたしをじっと見つめていた。
しっぽはいつも濡れていたけれど、それは特に気にしないみたいだった。
また涙が出てきた。
続きは明日書く。
障害者を論ずることへの根強いタブー感を身を挺して払拭してくれた彼の業績はたいしたもので、それは本当に讃えられるべき。彼の家族をはじめとする周囲のアシストごとまるまる褒め称えるべきですよね。
うーん、そんな業績は一切ないと思うけど。
車いすを実体験するのはさすがに手間ですから、キャリーカートに20kgくらい積載して持ち歩いてみると良い。だいたい車いすと同じ動線で移動することになるので、町中のどの部分で負担が生じるのか身を持って体験できます。体力もおそらく同程度消耗するはずですし。車いすと人間ってクソ重たいんですよね……車いすユーザーはだいたい肩ムッキムキになりますもん。
階段等は、「みんな、おらに力をわけてくれー」と叫ぶことで周りの皆が担いで運んでくれるわけですから、
ムッキムキにはなりません。むしろヒョッロヒョロになりまっせ?
障害者を論ずることへの根強いタブー感を身を挺して払拭してくれた彼の業績はたいしたもので、それは本当に讃えられるべき。彼の家族をはじめとする周囲のアシストごとまるまる褒め称えるべきですよね。
しかしながら『障害者の地位向上』とは、健常者比0.5とか0.6くらいだった障害者の扱いを健常者のそれとおなじ1.0にする運動です。けして、健常者比1.5とか2.0まで過剰に持ち上げるものではない。それはもう逆差別ですやんね。
で、いまさら言うのもなんだが先日の乙武炎上で真に問われるべきは、『障害者』の御紋をかかげてクソ狭い店内に強引に押し入ろうとした乙武サイドが健常者以上の待遇を店に求めた傲慢さだろう。彼らの言い分は「健常者とおなじようにお店で飲み食いする権利がある」といったところだろうが、その権利を成就するために他の健常者もおなじく持っている権利が犠牲になりますよね。営業する権利がある。落ち着いて飯を食う権利がある。そういうの。それらを一部奪わないと乙武くんはあの店で飲み食いできんわけですが、この状況でまずするべきは打ち合わせ、というか摺り合わせですよね。できれば事前に。――ちょっとカサ張るのがお邪魔するんですけど大丈夫ですか? という具合に、乙武サイドが電話一本投げときゃ済んだ話だ。そりゃいきなり凸って対応を迫ったり門前でピーピー泣きわめいたら障害者によるパワハラだと見做されても文句いえねえよ。他でもない乙武君自身の功績によって障害者にやさしくせよという世相です。それを強引に求めるのはハラスメントですやんね。
べつに障害者だから世間様にゴメンナサイして生きろ、というのではない。誰もが大なり小なり周囲に面倒をかけて生きている、そのことにもっと気を使いなさいという話です。障害者ヅラして必要以上のよぶんな便宜を図ろうとするなってことです。健常者は道をゆずって当たり前、自分らのために席は確保されていて当たり前、とでもいいたげな車いすユーザーは車いすごと蹴飛ばしたくなるわ。勘違いすんなボケー! お前らの車いすは健常者とおなじ生活をするためのただの道具であって、健常者を跪かせる王座じゃねえんだよ。調子のんな。
俺はおおむね健常者だが、障害者だろうがなんだろうが移動の自由は保障されるべきだと考える。エレベータもエスカレータも補助金出してガンガン設置していけばいい。それを皆ガンガン利用してけばいい。でもその他大勢の移動を阻害しても移動の自由が保障されるべきとは思わない。たとえば電車の乗り降りに駅員アシストがつくのは超OKだが、朝ラッシュ時はその限りではない。という具合。すべては折り合いです。みんな憲法で保障された権利を持ってるけれど、明らかな無茶を要求するなと。最大公約数を見つける作業ですね。交渉事ですね、日本人があまり上手ではない。
やっぱり結論は「お互いのことをよく知ろう」という当たり障りのないものになってしまうのですが。
車いすを実体験するのはさすがに手間ですから、キャリーカートに20kgくらい積載して持ち歩いてみると良い。だいたい車いすと同じ動線で移動することになるので、町中のどの部分で負担が生じるのか身を持って体験できます。体力もおそらく同程度消耗するはずですし。車いすと人間ってクソ重たいんですよね……車いすユーザーはだいたい肩ムッキムキになりますもん。
『超権威主義的世界文学百選』http://togetter.com/li/138734というランキングを見て、面白いと思いながらも疑問に思ったことがあって、「20世紀の小説ばっかりじゃん!!」ということで19世紀の小説を重視したランキングを作成してみました。具体的には近代文学の始まり「ドン・キホーテ」(1605,1615)からモダニズムの始まりである「ユリシーズ」(1922)までです。つまり近代文学のモダニズム以前、ということになります。小説を選ぶうえで参考になればと。あと、あくまで個人的な基準に過ぎないことを留意してもらえればと。
1.「ドン・キホーテ」(1605,1615) ミゲル・デ・セルバンテス
2.「ガリヴァー旅行記」(1726) ジョナサン・スウィフト
3.「トム・ジョーンズ」(1749) ヘンリー・フィールディング
4.「紅楼夢」(18世紀中頃) 曹雪芹
5.「トリストラム・シャンディ」(1759~1767) ローレンス・スターン
7.「高慢と偏見」(1813) ジェーン・オースティン
8.「黄金の壺」(1814) E.T.A.ホフマン
10.「いいなづけ」(1825) アレッサンドロ・マンゾーニ
11.「赤と黒」(1830) スタンダール
13.「アッシャー家の崩壊」(1839) エドガー・アラン・ポー
15.「虚栄の市」(1848) ウィリアム・メイクピース・サッカレー
16.「緋文字」(1850) ナサニエル・ホーソーン
17.「デイビッド・コパフィールド」(1850) チャールズ・ディケンズ
18.「白鯨」(1851) ハーマン・メルヴィル
19.「死せる魂」(1855) ニコライ・ゴーゴリ
20.「オーレリア」(1855) ジェラール・ド・ネルヴァル
21.「ボヴァリー夫人」(1857) ギュスターブ・フロベール
22.「晩夏」(1857) アーダルベルト・シュティフター
25.「ミドルマーチ」(1872) ジョージ・エリオット
29.「ブラス・クーバスの死後の回想」(1881) マシャード・デ・アシス
30.「さかしま」(1884) ジョリス=カルル・ユイスマンス
31.「ハックルベリー・フィンの冒険」(1885) マーク・トウェイン
32.「飢え」(1890) クヌート・ハムスン
33.「クォ・ヴァディス」(1895) ヘンリク・シェンキェヴィッチ
36.「シスター・キャリー」(1900) セオドラ・ドライサー
37.「ロード・ジム」(1900) ジョゼフ・コンラッド
38.「ブッデンブロークス家の人々」(1901) トーマス・マン
39.「超男性」(1901) アルフレッド・ジャリ
40.「チャンドス卿の手紙」(1902) フーゴ・フォン・ホーフマンスタール
41.「鳩の翼」(1903) ヘンリー・ジェイムズ
42.「一万一千本の鞭」(1907) ギヨーム・アポリネーム
44.「ハワーズ・エンド」(1910) E.M.フォースター
45.「ペテルブルク」(1913) アンドレイ・ベールイ
46.「変身」(1915) フランツ・カフカ
47.「明暗」(1916) 夏目漱石
48.「ワインズバーグ・オハイオ」(1919) シャーウッド・アンダーソン
49.「われら」(1921) エヴゲーニイ・ザミャーチン
面白いアニメやマンガ、小説、映画等の創作物というのは、大きなひとつの「異変」が物語を広げている。
まどかマギカにすれば、ごくごく普通の女子中学生が「魔法少女になったら」というひとつの異変。
そのひとつの異変が数々の変化を生み出し「普通」の世界をみるみるうちに変えていく。
どうして魔法少女は生まれ、何のために生み出されたのか、魔法少女になったらどう生きていくのか、周りにはどんな人がいて、どんな性格をしていて、その人たちも魔法少女になったらどうなってしまうのか…
ごく普通の日常にうまれるひとつの異変から生み出される数々のストーリー。
映画でも、ごく普通の世界に突然「怪獣」が現れたら人類はどんなストーリーを辿るのか…というのがパシフィックリム。
パシフィックリムの中ではイェーガーが各国で作られた。
ちょっと裕福なおうちにスラム街に住む頭は良いが性格のねじまがった子が養子に来たら…というのがジョジョ。
大阪のミナミに金には汚いが人情に厚い闇金がいたら…というのがミナミの帝王。
殺人鬼同士か夫婦になったら…というのがナチュラルボーンキラーズ。
実際に反抗する部下がいたら…というのが半沢直樹(見てないけど)
田舎で将来海女になるのが当たり前にそだられた女の子がアイドルを目指したら…というのがあまちゃん
ヤクザが次元を超えた戦いをしたら…というのがデッドオアアライブ
なんて書いたらキリがないけれど、何かのひとつの非現実的な異変によって変わっていく世界を作り出すような人間になりたいなあ…
もう眠りの森の姫みたいな考えは改めよう。何もしてもらえないから今の自分があるのだ。自分でなんとかしよう。30女はもう開き直ろう。自分の足で歩こう。
ファミレスにいるギャルじゃないんだから、そんなファミレスのドリンクバーでギャルが言ってそうなセリフは禁止。
30女にもなると、自分ルールが色々できてくる。そして知らず知らず他者に厳しくなる。友達、上司、同僚、後輩などにケチをつけだす。他人にやたら厳しい30女なんて、自分が20歳だっら近寄りたくないよね?
あいつありえねえ!と思ったら、私は寛容な大人の女…と自己暗示をかけるべし。人を糾弾して自分に得なことなんて何もない。
私は性格が男っぽいと思っている30女は一度、たくさんいる男友達に「私は男っぽい性格か」と聞いてみたほうがいい。
男っぽいといわれた?いや違う。男っぽいのではなく、所作ががさつでモテないタイプなだけなの。
女っぽいから細かいことを言わない男とつるむの。男っぽいという自称は改めて、自分の女っぽさを受け入れたほうがいいよ。だって30女も女だからね。
ちょっと金持ってるオッサン…五反田の笑笑でなく、ホテルのバーで30女をいい気分にさせてくれるよね。おごってくれるし。でも、ほどほどにしないと、同世代の男は引くよ、そういうの。せめてまわりには隠しておくように。
股がゆるい30女。そんなのが許されるのはドラマだけだ。私達はキャリーじゃない。遊んでるだけ?違う遊ばれてるんだよ。急に呼び出されても行ってはいけない。安売りしてもいいことないって、仕事してる女なら知っているはずだ。
もし気に入らない人間がまわりにたくさんいるんだとしたら…それは周りが最悪なのではなく、自分自身に不満があるってこと。満たされている人はまわりへの不満も少ないよ。不満が多いなら、答えは自分の中にある。周りを変えようとしないこと。
グルメ旅番組の北海道特集を見ていて、「北海道行きたいなー」と言ったら、
オットから「お前は行こうと思えばLCCでも使っていつでも日帰りできるじゃん」と言われ。
ああこの人全然わかってないんだと思った。
私。
けど。
乳児を連れての移動がどれだけ大変か。
それを考えたらとても実行する気になれない。
まず荷物。
着替え。普段は1セットだけど、遠出となれば不測の事態を考慮して2セット。
タオル類。大小合わせて4、5枚。
当然、食事も全部取り分けってわけにいかないのでベビーフードを2、3個。
これだけでもう、大人の1泊旅行ぐらいの荷物になる。
これにベビーカーがつく。ベビーカーが使えない場合に備えて抱っこ紐も。
抱っこ紐は身体に装着しておく。
さて、これだけの荷物を持って、いざ北海道へ出発。
うちから羽田まで、乗り換え2回、所要時間1時間半ぐらいかな。普通の移動を想定すれば。
けど、乳児を連れてとなると、荷物は重いし、エレベーター探して迂回したり、
うちから羽田までの移動を考えただけで「日帰り」の選択肢はなくなるレベル。
オットが1泊を許してくれたとして、そうなったら荷物倍増。
もちろんベビーカー押しつつキャリーバッグ転がしつつ、なんて無理なので、
頑張って肩掛けバッグに詰めますよ。
私の着替えはあきらめるかなー…。
さあ、どうにかこうにか飛行機に搭乗、離陸。
ここにあのレディコミ漫画家でも乗り合わせてたらもう、いたたまれません。
私には無理。
けれど、グルメ旅番組でよく見る店はお子様向けにはできてない。
しかも子供はまだ一人で食べられないので、食べさせつつ自分も食べつつ。
夜も、子供を連れまわすわけにいかないので、子供に合わせて20時には就寝。
飲みに行くなんてありえない。まあ、読書ぐらいはできるかもね。
次の日の朝、またどこに入ったか分からない食事をして、観光…できるかなあ。
まあ、授乳スペースの確認が必須だったころに比べたら、楽になったよね。
さあ、子供の夜の予定を考えたら、昼過ぎには北海道を出る方が無難です。
また道中のギャン泣きに怯えつつ移動。総移動時間、片道6時間ぐらい?
…想像するだけで疲れた。
とまあ、これだけのことを
「お前は行こうと思えばLCCでも使っていつでも日帰りできるじゃん」
と言われた瞬間に考えるんですよ、子持ち主婦は。
それに対して、オットはきっと、身一つで移動する程度の気軽さで考えてる。
私だって、子供がいないなら北海道日帰り弾丸ツアーやるぐらいの行動力はある。
でも、子供がいたら、その身軽さはないんだよ。
オットよ、早く気づいてくれ。
はてな民はたぶんみんな料理の腕が上がったんだと思う2012年。
たまに、信号待ちで後部座席の犬と目があったりする。
事故ったらどうするつもりなんだろう。
車で一緒にドライブするくらい大事な存在なのに、守ってあげないんだ。
犬は大切じゃないのかもしれないけど、運転者とか助手席に乗っている人に当たったらどうするんだろう。
大型犬だったら怪我じゃすまないだろうに。
小型犬でも自分に当たって犬が骨折とか想像しただけでも気持ち悪いし
ケージ? キャリー? に入れてシートベルトで固定しておくのが正しいのではないのか。
子供ができたらチャイルドシートに座らせずハイハイさせておくのだろうか。
「子供はシートベルトとかチャイルドシート理解できるけど、犬は理解できないから。事故なんて起こさないし、閉じ込めておくのは可哀想」
とか考えているのだろうか。
チャイルドシートの重要性を理解できないのは、乳児もいっしょじゃないのだろうか。
個人的に、ペットはペットでしかないので、人間と同じような待遇をする必要はないと思っているけど
人にぶつかる可能性を考えれば、車内に野放しにはしてほしくない。
走行中の車の窓から頭と前足を出している犬もいるけど、あれの飼い主は両親から車の窓から顔とか手足出しちゃ駄目だって教えられたことがないんだろうか。
http://news.livedoor.com/article/detail/6664100/
地下鉄サリン事件の殺人容疑などで逮捕された元オウム真理教信者高橋克也容疑者(54)が逃走直前に購入し、コインロッカーに保管していたキャリーバッグから、教団元代表松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(57)の写真が数枚見つかっていたことが16日、捜査関係者への取材で分かった。
高橋容疑者は「(逮捕された事実について)まだ理解できません」と供述。バッグからは教団発行の本十数冊も見つかっており、警視庁は同容疑者が今も松本死刑囚を信仰している疑いがあるとみて調べる。
この言い方っていいの?
捜査機関が「○○の疑いがあるとみて調べている」つったら、○○には犯罪にあたるような事実とか、逃亡の事情とかが入るんじゃないのか
およそ1年前、ロト6で1等が当たった。
キャリーオーバーがあると最高4億円が当たるロト6。僕の当選金は1億数千万円だったけど、番号確認した瞬間心臓がバクバクになったのを覚えてる。
ロト6は43個の数字から自分の好きな数字を6個選ぶ。(数字の選択を機械にまかせることもできる)
僕は5年前くらいから毎週同じ数字を選び買い続けてた。誕生日など自分に関連のある数字を6つ選んで。
手取り20万台のサラリーマンにとって、突如手にした大金の扱い方なんてわからない。
結婚する予定の彼女と両親以外には当選したことを誰にも話していない。
両親には『百万円以上のたからくじが当たった』と話した。もし金銭で何かあったら言ってくれと伝えてある。
彼女にはいくら当たったかまで伝えた。『せっかくだし何か欲しいものある?』と一応聞いたが、『欲しいものはいっぱいあるけど、私が(高額なプレゼントの)お返しがしにくくなるから、そういうのはやめよう。いままで通りで。』と言われた。
3銀行に決済専用口座を用意して3000万円くらいずつわけた。
1000万円保護までのペイオフは知っていたが、決済専用口座(無利子の代わりに全額保護)の存在は知らなかった。
定期預金にしたってどうせ利子なんて微々たるもんだし。
生活は変わらない。変えてない。
いままで手をつけた当選金は100万円のみ。震災の寄付として少しだけ。
当選金は投資にも回してない。投資信託だけは何年か前から毎月積み立ててやってたけど、これも当選前と当選後では変わらない。
大金を手にしたことが無いので怖いのもあって(ネットで調べてたら、宝くじ当選から失敗した方々の体験談等を多数目にした)、当選直後に自分の中で1つだけルールを作った。
『一ヶ月間だけ当選金を1円たりとも使わない』
一ヶ月、悶々と我慢したら「とりあえず今はこのままの生活でいいや」という結論に達した。
もちろん物欲はある。
今まで『もし宝くじ当たったら何買おう』とかワクワク考えてたこともあったし、当選直後は貪欲にも『ほしい物リスト』とか作ってみたりした。
でも一ヶ月経ったら冷静になれてた。
仕事は辞めてない。サービス残業させられるし、有給も満足にとれない。
しかしながら、1億円があたってから心に余裕が生まれたらしい。
仕事辞めて社会と接点を断ったら、きっと僕はダメ人間になりそうだし。
自慢したくてこの日記を書いたわけじゃないけど、知り合いにはトラブルのもととなるお金の話はできないのでここに書いてみたわけです。
井の頭線、なんであんな混んでいるんだか。私も仕方なく毎日乗っているけど最近楽に乗る方法を見つけたので紹介したい。それは荷物をハンドキャリーにすること。あまり大きいと自分の負担になるので国内線の持込みできるサイズとかがいいと思う。これを持ると自分の体の前にどんなに混んでいても空間ができる。だから本読んだり携帯いじったりが楽にできるし、何より自分の顔の前に人がいなくていい。私は最前列でこれをやって、渋谷で降りるときはハンドキャリー部分をいっぱい伸ばしてコロコロ転がす。これも実はメリットがあって、後ろから無理に追い抜こうとする人をけん制することができる。前から来る人にぶつかりそうになったらすかさず荷物を前にもってきて歩く速度を落とすか、立ち止まると、向こうがよけていってくれる。
もちろん、これは荷物入れなわけだから、カバン持たなくていいのも楽でいい。夏だとペットボトル持ち歩いたりするからカバン重くなるしね。お試しあれ。