はてなキーワード: いびきとは
初めてのはてなブログだから、変な書き方とかになってたらごめん。
題材も、世間一般が苦笑いしながら付き合わされてるおっさんの話だから、加勢するようで申し訳ないんだけどさ。
もうその人とは別れて3年以上経つから自分の中では終わったことだし、なんなら仲良い友達との間ではネタとして話せるからいいんだけど。
付き合ったのは私は当時20歳、専門学生。彼はふた周り年上、バツイチ、会社員。そこから約2年半付き合って、別れました。
あえて言うけどパパ活じゃないよ。
彼女もきっとそうなんだと思うんだけど、同世代ともそれなりに付き合ってきて、やることもやってたんだけど、こんなに人を好きになったことは初めて!っていう気持ちなんだと思う今。
向こうがこっちのペースに合わせようとして若いデートに付き合ってくれるのも可愛く見える。逆に彼氏のペースに合わせようとすると大人になった気分になるんだよな。
おじさんだけど何しても可愛い。私のことを大好きでいてくれる。私も大好き。体の相性もいい。もういろんな壁を超えて結婚するしかないっしょ!だってこんなの運命だもん!!
〜〜〜これが2年は続きました〜〜〜
でも私と彼女が違うとこは、周りに堂々と宣言して、テレビ使ってイチャイチャも披露してること。
恋は盲目とはいえ、本当に仲の良い友達にしか真実は伝えてなかった。広まっちゃいけないことだとは思ってたんだよね。
私は親との関係も良かったから、年上の彼氏がいることは言ってたけど、詳しくは言わなかったし言えなかった。
紹介する気は毛頭なかったけど、結婚できると信じてるからいつかって思ってた。
その点あの子はすごいよ。将来も隣におじさんがいると信じてるから。おじさんが老けてく未来を考えてないから。
あ、この人ほんとに「おじさん」なんだ、って。
肌の油。首元のたるみ。着痩せするけど出ているお腹。だらしないいびき。持ち堪えてるけど密度の薄い生え際。
あのときの、あぁ、この人とはやっぱり一緒にいられない、いるべきじゃないって感覚は忘れられない。
隣にいる人が「おじさん」て気づいたとき、千年の恋も冷めたんだよね。
可愛いと思えなくなったら、もうほんとにただのおじさんがそこにいるだけだからね。
あと悲しいけど、勃たなくなるよ。
彼女に別れろとは言わない。
私も無駄だったとは言わないけど、
周りから祝福される恋愛をしたほうがいいって気付くときがきっと来る。
「おじさん」と付き合ってる自分が気持ち悪くなるときがきっと来る。
別れた後、テレビでその話ばかりする銭ゲバタレントにはならないでね。事務所とよく相談して、幸せになってね。
タイトルに思い出されて辛いとか書いたけど、辛いというより恥ずかしいって感じ。
変なコメント来ないといいな。
1日散歩する時当たり前みたいに手を繋いで、帰りの電車で寄りかかって寝てたら頭撫でてくるって好意あるんじゃないの?
[追記1]
冷たいっていうか、それまですごいLINEのラリーとかあったのにそれが全然減ったっていうか。レスが遅くなったっていうか。あ、これやっぱ冷たいでいいのか。。。
[追記2]
相手が軽いタイプの人だったら全然なんとも思わないんだけど、遊びとは無縁の真面目なタイプの人だから戸惑った。
わたしのようなものが汚したらいけない…!って思ってしまうような大切な人なのでした。
細々とやり取りはしてるし、これ以上踏み込まないように気持ちを抑えたほうがいいのかな。
女性ならわかると思うんだけど、女の人って好きじゃない人には本当に触られたくないんだ。頭ポンポンとか男友達でも嫌な時ある。
だから好きじゃないならむやみに触らないでおくれ…いやまた触って欲しいけど…
[追記3]
確かに寄っかかって寝た時口あけて寝てたみたい!でも相手もいびきかいてたよ…?そこはお互い様…ってならないか。口あいてたって言われてすごい恥ずかしかった。涎は垂らしてない!セーフ!
近いうちにご飯に行くので、そこで彼の様子をうかがってくる。
お散歩して以来素っ気なく感じてちょっと寂しかったんだって正直に打ち明けない方がいいよね?
願わくばこれからも手を繋いでお散歩したり遠出(相手が引いたように感じる前は色んなところに行こうねって話してた)したりしたいけど、どうかなぁ。
元増田です。
二週間前は、夜中頻繁に起きて授乳し泣く子を寝かしつけて自分も少し寝ようとすると夫のいびきがうるさくて眠れず睡眠不足で、
そんな夫からのストレスが溜まっているときに元記事に書いた夫の投稿を見てしまい、やりきれない気持ちになって増田に吐き出しました。
(子の成長は本当に早くて、ここ数日は夜もまとまって寝られるようになり、体力的にも少し余裕が出てきました。)
夫が育児をつらいと感じることやSNSで愚痴るのが嫌というわけではなく、上手く言えないけれど、
「私は育児を楽しいと思ってやっているのに、私のストレス源であるあなたがなんでそんな言い方をするの?育児をボトルネックって、それを読んで私がどういう気持ちになるか、考えてくれないの?」という気持ちでした。
夫は育児に協力的なほうで、休日にはおむつ替えもしてくれるし、余裕があれば寝かしつけも代わってくれています。先日は私が職場の忘年会に参加するため、6時間くらいひとりで息子をみていてくれました。
仕事も頑張ってくれているし、私は育休中なので、育児へのコミットの割合についてはあまり不満はないし、感謝しています。
ただ、私から話さなければ夫は平日の息子のようすを聞いてくることはないし、いつも私ばかり夫にありがとうと言っていて私が夫から労いの言葉をかけてもらえることはほとんどありません。
たぶん、夫がふだん、息子がかわいいという内容を投稿していたり、私の気持ちにもう少し寄り添ってくれていたら、こんなに嫌な気持ちにはならなかったかもしれない。
ここまで書いて、ただ私も褒めて欲しいのに認めてもらえないから駄々をこねているだけなのかもしれないと思いました。
親になったのに未熟で幼稚で、息子に申し訳ないな。
ぐだぐだ言うのはここまでにします。
共感して同情してくれたかた、ありがとうございます。救われる気持ちです。
ほどなくしてトイレに駆け込んだと思うと、ゲーゲーと…。
水飲んで早く寝なさいと言っても、なぜか全裸になってベッドに飛び込む。
流石に腹が立って、もうしらんぞ!といっても、迷惑掛けてごめんよぉ〜と叫びながら足をバタバタさせる。
吐き気がすごいらしく、それをやり過ごすためなのか、ゴロンゴロンとベッドを転がったり。
もしかしてこれ急性アルコール中毒とかいうやつちゃうか…。と一瞬不安になったので、とりあえずググる。
しかしインターネットでいろいろ調べても書いてることがバラバラ。
吐いてるときは水分はとらせるなとか水分とれ、とか。
と、いっそ救急外来につれていくかと悶々としていたら、隣からいびきが。
そのあと、私もすぐ寝た。
ちゃんとに匿名になってるのかな?
投稿の仕方あってるのかな。
眠れない人が集まる談話室で打ってるよ。
同じ病室にはおばあちゃんたちしかいないから、20時半には大体いびきかいて寝ている。
私はいつもハズレというか、入院すると静かに寝ている人の集まった大部屋になることはまずない。
今回の大部屋メンバーも、夜中に起きるくらいいびきがすごい。本当にすごい。
ちなみに同室のおばあちゃん2人は耳が遠いから、大声で話さなくちゃいけない。
どっちのご家族がお見舞いに来ていると、賑やかでなかなか楽しい。
前の入院は手術入院だったから、何日退院かってはっきりわかっていたけど
というかいつ仕事に復帰しなければならないのか、どんな状態から再開するのか
考えるだけでも恐ろしい。
まあそんなこと考えてもどうにもならないので、
うちの犬の様子がおかしくなったのは、3年前の秋、私が高校1年生のときだった。
後ろ脚だけがもつれる。ふらつく。地面に脚を擦って歩く。何か、様子がおかしい。その時点でそれなりに年を取っていたこと(当時12歳)、以前子宮系の病気になって九死に一生を得たこともあって病院の先生にもよくその存在を知られていたこともあり、すぐに動物病院へ連れて行った。
というのも我が家には昔、その子と一緒に飼っていて、小学生の頃に白血病で死んでしまったもう一匹のコーギーがいたのだが、異変に気付いていたのに大丈夫だと高をくくってしまったが為に病院へ行くのが遅れてしまったという過去があったからだった。
最初に獣医さんが言ったのは、ヘルニアかもしれない、とのこと。コーギーのような胴長短足犬がヘルニアになりやすいのはよく知られた事実である。実際に、昔読んだ様々なコーギーの飼育本のどれもが、ヘルニアという病気について取り上げていた。発症を防ぐために階段の上り下りはさせない、だとか、そんなようなことが書かれていたことを覚えている。実際に、レントゲン写真を見せつつ説明もしてくれた。
ただ、それと同時にちらっと言われた、別の病気の可能性。現段階では確定できないけれども、もうひとつ「これかもしれない」という病気がある、と、何気なく言われた。後ろ足からどんどん動かなくなっていく病気。ヘルニアと違って痛みはないけれども、だからこそ犬自身は気づかず普段通り歩こうとする。今考えると、あれは変性性脊髄症(DM)のことを言っていたのだろう。
とりあえず当面はヘルニアの疑いとして治療を行っていきましょう、という方針になったが、その後の病気の進行は今考えるとまさしくDMそのものであった。
まず、自力での散歩ができなくなった。後ろ脚が本格的に動かなくなってきても、犬はそれに気づいていない。だから、後ろ脚を引きずって前脚だけで歩こうとする。ちょうど、お座りの姿勢で移動しているような格好になる。そうなると、お腹のあたりが傷ついてしまうため、介助ベルトを使って後ろ脚を持ち上げて歩かせる必要がある。だけどそれはかなり負担で、かつうちの犬はあまりそのベルトで釣り上げられつつ散歩するのを好んでいなかった。もともと散歩が大好きで走り回るのも大好きな子だったから、なおさらだと思う。
またこのころ、排便がうまくできなくなってきた。後ろ脚でふんばることができないからとのことだった。獣医さん曰く、自力で出せないが為に腸の中に便がたまっており、新しい便に押されるようにして出てくるしかないため、コントロールができなくなっていたらしい。
もともと排泄はすべて散歩のときに済ませトイレシートなどは使わないのが常だったので、仕方がなくおむつを履かせることになった。ここでうっかりしていたのが、犬用おむつ。コーギーは例外的だが、ほとんどの犬にはしっぽがついている。そのためおむつにもしっぽを出す穴が付いているのだが、コーギーの場合はそれが仇となった。しっぽがないために、排泄物がその穴から出てきてしまうのだ。結局、赤ちゃん用のおむつの中でもとりわけ大きいサイズのものを着用させる方向に落ち着いた。
また、病気になる前からも誰かが家にいるときは基本的にケージから出してリビングの中を自由に動き回らせていたのだが、病気になり外へ散歩に行けなくなってからはほとんどケージを使わなくなっていった。以前のように階段を昇って行ってしまう心配もなかったし、そこまで部屋の中を動き回らないだろうと思ってのことだった。だが、そのすぐ後に問題に直面することとなった。
脚を擦って歩くと、おむつが脱げてしまう。これではどんなに今のおむつに優秀なポリマーが入っていても意味がない。そう考えた私たちは、仕方なく犬に服を着せてその服とおむつとをガムテープで結ぶことにした。見栄えも何もないが、仕方がない。
本当はうちの犬は服を着るのが嫌いで、幼いころに着せた時には気づいたら自力で脱いでしまっていたのだが、この時ばかりは何の不満げな様子も見せずにいてくれた。その後タンクトップスタイルの服から介護用の多機能ベストのような服を着せるようになっていったのだが、その時も何もなく受け入れてくれた。人間と同じで、犬も年を取ると丸くなるのかな、なんて考えたりもした。
ともあれ、私たち家族も犬自身も、病気とうまいこと付き合いながら、いつも通りの生活を続けていっていた。
そして2年前の初夏、ちょうど私が定期考査を終える頃に、犬が体調を崩して入院した。それと同時に、獣医さんからDMのことを聞かされた。そして、DMにかかっている犬の献体を受け付けている大学がある、ということも聞かされた。現段階ではヘルニアではなくDMの可能性が非常に互いが、この病気は脊髄の病気だから生きている間にその検査を行うことはできないため、除外診断的にしか分からないこと、また今はまだ治療法どころか詳しいメカニズムさえも明らかにされておらず、病気の進行を見守るしかないということ。だからこそ、もしも亡くなったときには献体に協力してあげてほしい。そう、言われた。
私はその時点から亡骸を献体として提供することをある程度は覚悟していたが、家族の思いはもっと複雑だったらしい。今年の春先にようやく意見が固まったぐらいだったのだ。かくいう私も、それが本当に犬にとっても良いことなのか、最初は迷った。もちろん遠い目で見れば、病気が解明されて多くのDM犬が助けられるようになったほうがいいだろう。
だけど、そんなそろばん勘定ではものごとは片付かない。臓器移植云々で色々な意見が出ているのと同じだ。当人の意思を省いた周りの勝手なエゴで、犬に嫌な思いをさせてしまわないか? 何度そう考えたか、分からない。
それと同時に、家の中では車いすの話が持ち上がった。自宅から少し離れたところに、犬用の車いすを取り扱っているところがあるらしい。それを聞きつけてほんの少し後の2年前の7月初旬、本当に車いすを作ってもらうことになった。まだ前脚がまったく動かなくなったわけでもないし、車いすを使えば昔のように走り回ることができて犬も喜ぶだろう、という考えだったそうだ。
車いすを使い始めてすぐは慣れておらずたびたび角にぶつけたり私や家族の足を車輪で轢いて行ったりしたこともあったが(笑)、犬は車いすを気に入ってくれたようだった。昔のように散歩ができることを、何よりもうれしそうにしていた。体力が落ち、徐々に前脚にも力が入らなくなってくるまでずっと、その車いすと共に外を歩き回ったことをよく覚えている。
車いすに乗らなくなって少ししてから、悪い癖がついた。目に留まったものを噛んでボロボロにしてしまう癖だった。それまではほとんどそんなことをする子ではなかったが、動けないことへのストレスがたまっていたのだと思う。新聞に始まり、プラスチック製のかご、障子、畳まで噛むようになった。少し目を離したすきにやられてしまうのでどうしようもなかった。帰ってきたら新聞がバラバラになって床に散乱している、なんてのはしょっちゅうだった。
同じころに、褥瘡が見られるようになった。いわゆる床ずれだ。お腹のあたりを中心に、毛がなくなり、代わりにかさぶたのようなものができていった。とても痛々しく、見ていてもかわいそうだった。せめて早く治るようにと、患部を清潔に保つことを心掛けるしかなかった。
受験勉強で私しか家にいないときは同じ部屋に犬を連れてきて、冷房の効いた部屋にいさせて熱中症を防ぐと共に様子を気にかけつつ勉強する、なんてこともあった。基本的に昼間はずっと寝ているので、そのいびきに少し腹が立ったこともあったが、それもいい思い出だ。
私が高校を卒業し実家を出たころから、呼吸がおかしくなっていった。この頃には胸ではなくお腹で呼吸をするようになっていて、呼吸自体も荒くなったりすることもよくあった。また、それより前ではあるものの、鳴き声も以前のように太いものではなくて、かすれたような声で鳴くようになっていた。
息を引き取る二日前、お水もご飯も摂らなくなった。大好きなおやつやミルクにも興味を示さなくなり、いよいよか、と覚悟した。DMは基本的には食欲の低下は見られない。ただし、終末期を除いて。病院で点滴を打ってもらってから少し食べ物を食べたりもしたそうだが、嫌な予感は当たっていた。次の日の昼、呼吸がおかしくなり、そのまま息を引き取った。
学校からそのまま急いで実家へ帰り、亡骸とようやく対面した。寝ているときの様子とまったく変わらない、いつも通りの表情をしていた。そのとき、以前獣医さんが言っていたことを思い出した。DMは、たとえ進行していても犬自身は痛みを感じない。白血病で亡くなってしまったもう一匹のコーギーは最期のその瞬間以外はずっと苦しそうだったけれど、この子は苦しまずに逝けた。それだけでもずっと幸せだったのかもしれない、と思った。
翌日の朝にDMのコーギーの献体を受け入れている大学へと訪れ、病気の経過を伝えるとともに献体として提供した。褥瘡の少ないからだを見た大学の動物病院の獣医さんに、よく介護されていたんですね、と言われ、自分たちのやってきたことは間違っていなかったんだとようやく一安心した。
そして、ご協力ありがとうございます、と何度も感謝された。大学のほうにはかかりつけの獣医さんに連絡してもらっていたそうなのだが、そのどちらからもすごく感謝されたことをよく覚えている。DMのコーギーは大学付属の動物病院でも何匹か診ているそうなのだが、あまり献体を提供することに協力的な飼い主さんはいないらしい。最後の最後に、苦しい思いをさせるかもしれない。そんな気持ちは、誰だってあるだろう。
献体提供後、検査をした後にはペットの葬儀社で個別に火葬してもらい、お骨はこちらに戻ってくるとのことだった。私が実家を出る日の朝、ちょうどお骨が家に届いた。大学を訪れて3日後だったと記憶している。人間の葬儀の時のようにしっかりとした骨壺と骨袋に入れられて帰ってきたそれは、他のペットたちの写真と一緒に今も実家に大切に保管されている。
常用してるアラームアプリが最近バージョンアップして、標準でいびきを録音するようになった。
どれどれと見てみると、これがもうガッツリかいてる。10分おきくらいでサンプル録音するようになってるんだけど、もう全部。最初から最後まで。おやすみからおはようまで。
以前、興味本位でいびき録音アプリを試してみたことはある。その時も録音はされてたんだが、相性等の関係で常用しなかったこともあり、俺もいびきかくんだハハッワロス、そういやたまに口乾いてることあったしな、みたいな認識だったのに。
改善を図ってるんだが、一向に止まる気配がない。鼻炎薬(アレルギー性鼻炎持ち)、鼻腔拡張テープ、口閉じテープ。口閉じててもいびきかくのはどういう仕組みなのかわからんが、実際かいてるんだからしょうがない。
月末社員旅行なのに。大部屋なのに。このままだとノイジーマイノリティーになってしまう。そうでなくても仕事できないのに。
つか社員旅行ってもう10年くらい毎年行ってるんだけど。毎年大部屋なんだけど。誰か教えてくれよ。仕事できなくて友達もいないとか。
旅行も心配だが、日常生活でもわりと頻繁に寝てるその時に、実はいびきをかいてたんじゃないかと急に心配になってきた。バス電車では絶対寝るし、会議でも寝てる。今までは気付かれないようにうまく寝てると思ってんだが。あ、なんか評価が上がらない理由わかってきた。
もう人前で寝れない。
仕事に対する情熱は無いけど、趣味に対する情熱は寝る時間を割いてでもある。
事あるごとに自分へのご褒美をする。
嫌いなところはたくさん浮かぶのに、好きなところが出てこない。
いつから嫌いになったのか考えた。
なぜ離婚しないのかも考えた。
でもその勇気があるなら別れた方がいいのかもしれない。
でも死ぬのは怖い。
あらゆる恐怖は死にたくないということだというから仕方ない。
ジェットコースターのような人生の方が楽しいってのも楽しければ楽しいと思う。
今乗っている得体の知れないものはちっとも楽しくない。ただ怖いだけ。
死ねばいいのにって本当に酷いなって思うくらい思っている。
出かけて帰って来た時に、『なんだまだ生きてんのか』と平気で思うし、向こうが出かけて帰って来た時に『ちぇっ死なずに帰って来やがった』と思ってしまう。
深夜になっても帰ってこなかったことがあって、もしかして本当に死んじゃったのではと思った。
そう思ったら焦ったし、震えた。どうしようって。
生きててほしいのか死んでほしいのかわからなくなった。
でも死んでどうしようはこれからどうやって生活していくのかってことだから、自分のことしか考えていなかったかもしれない。
その時『やった』と喜んでしまった。
なのに自分は涙が出た。
よくわからないだろ。
自分もよくわかっていない。
http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20170202/1486027602
↑ここに書いてあるけど自分も愛ってそういうことなのかなと思う。
旦那のいびきと歯ぎしりがうるさくて眠れないので早朝4時のリビングでこれ書いてるんだけど、これまでの半生で「ああ、これが愛ってやつだな」と理解できたことが一度だけあって、まだ独身だったころにうちの店にバイトに来ていた大学生のことを思い出した。
この子が自分にとってなぜ特別だったのかというと、それまで出会った老若男女すべての人の中でもっとも話が合う人だったからだ。
あまりにも合うので、最初は「合わせてくれているんだろう、気を遣わせて申し訳ないな」と思っていたが、よくよく話を聞くうちにその子もどうやら同世代の友人からは「ちょっと変わった人」と思われているようで、なかなか話の合う人がいないとしきりにぼやいていた。精神年齢がすごく高い子だった。
最初は弟のように大切に思っていたが、自分の中でいつのまにかそれが恋愛感情に変わってしまった。
向こうにとってわたしは話の合うバイト先の社員さん以上の存在になりえないことはよく知っていたので何も行動には移さなかったが、わたしはたぶん彼に「愛」という感情の正体を教えてもらったと思う。
自分が思うのと同じように相手が自分のことを思ってくれないのは確かにしんどいのだが、そういうことは些末な悩みなのだ。
彼がこの世に生を受け、今この瞬間にも地球上に生きていること自体に尽きることのない感謝と喜びの感情があふれてくる。
書いてて何言ってんだこいつと自分で思うけどそうとしか言いようがない。
彼の存在自体が価値であり、財産であり、わたしのすべてを投げ打ってでも守るべきものなのである。
信仰に近い気もする。
彼が誰かほかの女性と幸せな結婚をしたあかつきには、わたしは内心「ちくしょおおお」ぐらいは思うと思うけど、でもなんか「よかったー」って思う気持ちのほうが勝りそうな気がする。
これがたとえば元彼とかだと正直どうでもよい。
旦那だとどうか。わたしと離婚して別の女性と再婚したとしても「ちくしょー」ぐらいはやはり思うと思うけど「よかったー」とはたぶん思わない。増田なので言えるのだが旦那のことをわたしはもう今は愛していない。異性として好きだけど、人として愛してはいない。恋と愛とは全く別物だ。愛は上記の通り信仰に近い。男とか女とかがあんまり関係なくなってくる。わたしは件の大学生に、確かに恋もしていたのだけど、でもセックスをしたいという欲求はあまりなかった。特定の男性と親しくなるとその延長線上に性的欲求が絡んでくるのはごく自然なことだと思っていたのだけど、そういう「好き」とはなんかこう、違うのだ。いっしょにしないで!って感じになる。いや普通の男の子なんだよ。天パだし、なんかおっさんが履くみたいなスニーカーだか革靴だかよくわかんない黒い靴いつも履いてくるし、ビートたけしが元気が出るテレビで着てたみたいなへんな柄のセーターをいつも着てるし、ここまで書いたらわかると思うけど決して彼はイケメン枠の人ではない。天パだし。でも違うのだ。彼はそういう対象じゃないのだ。こういうことを考えてると「おまえじゃあ旦那は一体何なんだよ」とセルフ突っ込みが入る。ひどい女だよな、と。旦那はなんだろう。パートナーだとは思っているのだけど、でも精神的な交流が本当に今ない。家建てたばっかりで、通勤時間が長くなってすごい疲れて帰ってくるから、いろいろ話しかけても生返事だし、こないだそのことで、疲れててちゃんと話ができなくてごめんと謝られたのでそれ以来こちらもあまりあれこれ話題を振らずにテレビ見ながら一緒に笑ったり軽めの雑談をちょこっとするくらいにはしてるんだけど、んでセックスレスで、毎日一緒に寝てるのにセックスレスで、求めることも、求められることもなく。これもう駄目なんじゃね?って毎日思いながらご飯作ったり洗濯したりワイシャツにアイロンかけたりしてる。なんか、ごめんね。旦那ごめんね。愛がなくなってごめん。いやそもそも最初は愛していたのかな?わたしは旦那を愛した瞬間はあったのかな?あの大学生のときのように、いっしょにごはん食べた帰り道、別に大した話はしてないのに世界中が輝いていた(比喩ではなく、本当に物理的に輝いていた)、こんなわたしでも存在を許されていてもいいのかもしれない、と思えた、あの夜のような感激を、旦那に感じたことは?ない。うん、ないな。いやなくていいんだと思う。別にそういうのがなくても、好きなんだから大丈夫なはずなのだけど。なんでこうなっちゃったんだろうな。なんでかな。あ、旦那がトイレに起きてきた。
ありがとうございます。いびきやおならのことも含めて