はてなキーワード: 乳がんとは
朝はあまり気にならないが、夕方から夜にかけて匂いがきつくなる。
原因は何だろうか?
何かの病気だろうか?
自由におならができる環境じゃないので(夫は育休中でずっと在宅)、本気で改善したい。
ググっても「発酵食品を積極的に摂取しましょう」「ストレスを溜めないようにしましょう」等、既に実践している当たり障りのない解決策ばかりだ。。。
・お通じ
1日〜2日に一度ほど、コロコロだったりバナナだったり。便秘体質ではあるが今現在便秘ではない
・食生活
・肌
ヨーグルト→乳製品の過剰摂取は乳がん罹患のリスクとなるため避けたい
一度病院にかかってみたいけど、こんなことでかかっていいのだろうか?
俺は医局内でうだつの上がらない眼科医の父親と、同じくうだつの上がらない乳腺外科医の母親の一人息子として生まれた。
うだつの上がらない両親は医局内で粗雑に扱われており、かと言って開業する気概も資金もなく地方や郊外の関連病院を行ったり来たりしていた。
スポーツも不出来で両親と同じく気弱な俺が平穏な学生生活を送ることができたのは、幼稚園から高校までエスカレーターの私立男子校に進学したからだろう。
母校は俺が入学した時には既に開成や筑駒などに大きな差をつけられていたが、同級生には芸能人や経営者の子息がたくさんおり、彼らとの格差を感じずにはいられなかった。
高校を卒業した俺は1年間の浪人を経て都内の私立大学医学部に進学した。
部屋の先輩はスポーツ推薦で入学した他学部の学生であり、俺とは全てが真逆だった。
合コンに明け暮れ、大量の酒を飲み、それにも関わらず部活で結果を示していた。
先輩は善意から俺を合コンや遊びに連れて行ったが、お互いに気が合わないとわかってからはコミュニケーションも殆どなくなり、寮から出られる二年目以降は祖母の家に帰った。
大学を卒業した俺は東京を離れ地方の総合病院にて初期研修に入り、そのまま内科の道に進んだ。
当初は呼吸器の道に進もうと考えていたが、実習中に見た気管支内視鏡のおぞましさと患者の辛そうな様子を見てやめた。ちなみに内科のローテート中でもこの気管支内視鏡を目にするのが一番嫌だった。
妻は俺が女性経験がないことを知ると「その歳で…?信じられない…」とドン引きしていた。
結婚式の際、地方で代々事業を営み財力もあり顔の広い義父の招待客でホテルが埋め尽くされる中、隅っこで父と母が小さく座っていた。
結婚後、妻との営みは片手でちょうど数えられる回数しかなく、妻は俺の性的能力の低さを侮辱し俺は男性機能を喪失した。
そのため俺と妻の間には子供がいない。
完全な家庭内別居が始まり、消化器内科医として一人前になった頃にちょうど病床の母が亡くなった。
見舞いも拒む妻は当然葬儀の日にも予定を入れており、俺は一人で東京に向かった。
続く
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初めて検査受けてきたんだけど、ジェル塗られて端から端までゆっくり撫でられるのがマジでエロくて、技士さん(女性)に申し訳ないながら興奮してしまった
記念に(?)手順の記録を残しておく
着替え終わったら部屋にある診察台に横になって検査開始 部屋の照明は少しだけ暗くされる(薄暗いと言うほどではない)
ケープをはだけて、まずは右胸の検査。診察台と背中(右側)との間にクッションを入れて斜めの体制になる。検査しやすくするためかな。
ジェルを胸に垂らされる。エコーの機械で暖められるようになっているのか、ジェルはめっちゃあったかい。
「まずは乳首からいきますね〜」と言われて乳首の上をエコーの機械が通る。ジェルがあるし、強いタッチではないから全く痛くない。良い。
あっという間に乳首の検査が終わって、右胸全体(?)の検査になる。
まずは、外側から乳首に向かって撫でる方法。胸を富士山と見て、麓から山頂へ……を一周される。せりあがって少しだけ乳首に触れたり触れなかったり。ここが一番興奮する。
次は横方向。さっきまでは胸の範囲を○と捉えていた感じだったが、ここからはより広く、□って感じ。谷間から外側へ、機械が横切っていく。これを下まで繰り返す。
次は縦方向。横方向にやったときと同じく、範囲を□と捉えて、今度は縦に機械をすべらせる。
これで右胸は終わり。ジェルを拭いてもらう。いやいやそんなん自分で拭きますわ申し訳ないっすわ……と思いながら、されるがままに拭かれていた。ここもまた、エロい。
次は左胸。流れは右胸と同じ。違ったのは、途中で技士さんが念入りに見ているところがあったり、画像を撮っているらしいところがあったりしたところ。と思っていたら右胸に戻り、また画像を撮っていた。
これでエコー検査は終わり。ノーブラにケープのまま受付で触診を待つ(もちろん女性専用フロアだが、だいぶ恥ずかしい)。
エコー検査と違い、触診は全くエロさがなかった。男性医師だったし、セクハラと言われないようになるべくエロくない触り方をするようにしているんだろうな。おつかれさまです。
検査後めちゃくちゃ丁寧に手を洗っていて、いや当たり前なんだけどちょっと「すみません……」という気持ちになった。
右胸に7mmのしこりがあるらしい。
健康診断の結果が1ヶ月くらい後に届くから、それが来たらまたここで精密検査してね、と言われた。
期間空けていいってことはどう考えてもめちゃくちゃヤバいわけではないと思って良いのだろうか。
https://note.com/temari_holly223/n/n8608b5296bc6
保険証は男で変なので、とりあえず窓口では出さず。初診なので、「質問表を書いてください」ということで渡されました。勿論、ピンクの紙で...しっかりと「初潮の時期」とか「生理の間隔」とかの質問がある奴。大嘘書いちゃったわ。でも、うれしい...ホント待合室は女性ばっかり
同年配の女性なら、私同様に下っ腹が出だしていますし、がりっと痩せたスタイルのいい女性もいれば、ふくよかなお母さんもいます。中にはタットゥーの入った女性もいますし、乳がんの手術をされたのか、片方のお乳がない方もいます。
私みたいなのも、そうしてみれば「女のカラダのいろいろ」の範囲内にうまく収まってくれているようです。
ちなみに相方には小学生の女の子がいます。その子も一緒です。富山、温泉がやたらと多い! 結局3回も一緒に温泉に入りました。
彼女がガチで騙し抜かれていたのか、わかっていて不倫したかは定かではない
ただ結婚するつもりはあったようで、報道がなければハネムーン旅行に行く予定だった
禍福は糾える縄の如しとはよくいったもので、自殺未遂が結果的にAさんの命を救う
櫻井がAさんに対して送ったLINE「お胸もくれるんか?」が歪んだ形で再現されたようで恐ろしい
別れと共に櫻井が奪い取ったみたいだ
櫻井はもう禊が終わったムードだが、一方でAさんは激動の中にいる
子宮の病気などは性交由来もあるが乳がんは別に櫻井のせいではなく責任もないが、失ったものがAさんの方だけ多すぎる
「生理的機能を大幅に損なう治療はしない」と決めているので、外科的処置でどうにもならない病気は治療しないと決めている
医師から「もう完全に取ったから仮に陽性でも大丈夫」と言われたがそれでも心配だった
結果は陰性
母は抗がん剤で乳がんを克服し元気になったが、今でも冷たい水でヒェッとなったり、食べ物の好みが化学療法中に変わったきり昔好きだった食べ物は食べられていない
会社の上司とその奥さんは人工肛門になった父の介護に相当苦しんでいた
だから抗がん剤や人工肛門や透析なんかを使わないと生きていけなかったり、胃を全て取らなければ生きていけないならそもそももう生きないと決めているのだ
俺はまだなんとか生きられる
飲ませてやってくれ
手遅れかもしれんがな
おれ、ねこ。名は「ろまーにゃ」保護ねこだったらしい、今は快適にゃ。
#よろりん党員
日本に生まれた日本人として日本を誇りに思い、日本を応援する。皇統維持。スパイ防止法(反日工作員を無期限拘束)。
移民受け入れ反対。改憲。核保有。核シェルター。消費税減税(食料品はゼロ)。天下り禁止。LGBT法廃止。無党派。是々非々。
安倍晋三総理大臣、長きにわたりお疲れ様でした🌸🇯🇵安倍総理亡き後も日本を皆さまと護っていきたい🗾🎌宜しくお願い致しますます🌸 猫が好き🐱❤️仕事が好き❤️#長尾たかしさん応援#高市早苗さんを総理大臣に#選挙権は日本人のもの
#日本保守党 愛国者です🇯🇵日本保守党党員。利権政治・既存メディアが作ってきた空気感が日本を壊そうとしています。このままでいけない❗️
右も左も広く俯瞰して見ていきたい勢 バイアスかかるとおかしなこともおかしなことと認識できなくなるからそうはならないようにしたいです
🇯🇵自衛官家族,平和主義,改憲派,自衛隊/海保応援/予算増熱望🗾みたに英弘支持,political compass:中道左派🏥乳がん闘病♿️重度心身障がい者介護🌏不戦勝体制/原潜+SLBM保有推進🎬AIcosplayer🤱1児の母,熊襲系道産子,横浜市在住,趣味:お能。Maja(読み)まーや🌸
日本保守党支持者。「百田グループ」ですが、なにか(笑)?? 昔はゴリゴリの左派だったと自認。大人になってからは明らかに保守系かなと。母は男女機会均等法世代。私は脱ゆとり世代と認識ww。高市早苗さんを親子二代で支持する現実派。娘出産後大学入学。5年かけて2023年卒業。ほんとうに嬉しい^_^もちろんDMは絶対お断り。
アメリカではよく言われている食事等に関する健康ガセがあるらしい。
そのなかでも栄養学の専門家が選んだトップ10の栄養神話ガセというものを見た。
まあ大体そりゃそうだろ、と思うものでアメリカと日本の食文化の差としても少し興味深く「なんだそれ?」ってのもあったのだが、一つ日本でも多くの人が言っている、サイトやYouTubeにも蔓延しているものがあった。
この豆乳に関して改めて調べるとまあ…
飲んだら即乳がん!
フジッコのサイトがこの噂に関して冷静に詳しく説明している…がこれもおそらく豆乳悪魔説の皆様は冷静に読めないだろうし、読解力が無いので都合よく曲解してしまうのだろう。
まあなんでも程々がいいのではないか(アホみたいに飲むな。しかし1日だけ大量に飲んでもなにも起きん)
という結論にしかならず、健康にいい研究も多くされているので何故証明されきっていない豆乳悪魔説を信じてしまうのかという話になるのだが、
否定すれば神に背いたのと同じ。
敬虔な栄養神宗教にとっては豆乳を許すことなどできないのだ…。
(豆乳飲みながら書きました)
こわくてこわくてたまらない。
そう分かってるのに、Twitterで流れてきた出産のルポルタージュ漫画を読んで泣いてしまう。
少子化が社会問題になって子育てが大変とか、女性の働き方とか、学費が高いとか、「子どもを作れ(ら)ない」理由をよく聞くようになった。
いやいや、育児っていうかその前に、出産がこわすぎる。わたしはどう頑張ってもこのハードルを乗り越えられる気がしない。
10ヶ月も内蔵圧迫されるだけでもこわいのに、陣痛から何時間も(10時間とか!)激痛で叫び声をあげながら、うんこを垂らし、股を切られ、胎のなかのものを自力で出す。
Twitterにいくつもルポルタージュがあがってる。壮絶。同じ出産はなく、どれも戦場のように迫力がある。
人間の出産はとりわけ身体への負担が大きいらしい。二足歩行とか、脳の巨大化とか、人間らしさをつくった進化の歪みが「出産」にのしかかる。
人間はデカくなった脳みそで早いところ出産の負担をテクノロジーでどうにかすべきだった。いまは全然間に合ってない。人工子宮もないしお産の大変さはほぼ変わってない。
妊娠・出産に耐えきれず死ぬイメージがかなり明確にある。確定している痛みがこわすぎて自ら命を断つんじゃないかと思う。
そう話すと「そんなの一時的なものだよ」「こわがりすぎだよ」とさとされる。古くから案ずるより産むが易しと言われてきた。
でも、ちょっと考えてほしい。高所恐怖症でバンジージャンプをこわがるひとや、閉所恐怖症でエレベーターに乗れないひとに無理矢理すすめたりしないだろう。
こわいことや痛いことを避けるのは当たり前じゃないか。
無痛分娩もあるにはあるが、日本の普及率は2割に留まる。そもそも麻酔科の医師が足りていない。無痛分娩する予定だった友達は、破水がはじまった曜日に先生がいなかったので麻酔を受けられなかった。そんなのギャンブルじゃん。
はやく妊娠できない年齢になりたい。出産の可能性ゼロになりたい。子宮の摘出とかは痛いから嫌だ。子宮に避妊用の器具を入れるのも痛いから嫌だ。なんなら乳がん検診のマンモグラフィーも痛いから嫌だし、子宮頸がんのワクチンも痛いから嫌だ。
それを「甘え」だとか「痛いのは当たり前」と思うひともいる。子どもをもったり健診を受けたりするために、痛い思いをする男性がいるか。どうして女性だけこんなに痛い思いをしなければいけないのか。
出産した女性を心の底から尊敬している。男性は命をかけなくても子どもが持ててよいですね。
育児休暇とかそれ以前に、女性だけが妊娠も出産も授乳も生理も避妊もなにもかも辛すぎるのをやめてくれ。
進化したくなかった、卵生に戻りたい。
いや金玉はあっても困らないけど子宮取れば生理なくなるし子宮頸がんとか病気もなくなるしいいことだらけじゃんw
あとどうせ授乳しねえんだから乳房も取っちまえば?乳がんリスク減るぞ
なんの役にも立たないし使う予定もないもんなw
携帯の画面に、親からの着信が二つ。いつもなら留守番電話にメッセージが残っているはずだけど、今日は違う。何かあったのかなと思いながら、折り返す。
「スマホが壊れちゃって。いつ戻れる?」母の声。ちょっとしたことで電話するなんて、普段じゃない。夜勤明けでぐったりしてるのに。
「いつかね」そう言おうとした時、「お姉ちゃんが、癌なの」と母。突然のことに、驚きよりも冷静さが先に来た。看護師としての経験のせいかな。
「乳がん?手術は?ステージは?」私が聞くと、母は「詳しくは…」と話す。なんであの時、「お姉ちゃん、大丈夫?」と聞かなかったんだろう。
「わかった、今から行くね」すぐに実家に向かうことに。30分もあれば着く。疲れを感じながらも車を走らせる。
実家に着くと、姉の車はない。「姉ちゃんは?」と聞くと、「仕事よ」と母。ステージについても、「はっきりしないの」という答え。
本当ならお留守番サービスにつながって伝言が残されているはずだった。けれど今日に限っては留守番になると切って連続してかけてきていた。
「スマホがこわれちゃって。いつこっち帰ってこれる?」
なんだよ。そんなことなら留守電に残してくれればいいのに。こっちは夜勤明けで疲れてたのに。と内心苛立った。
「いつか帰れる日に帰るよ。」
と強引に切ろうとすると
「お姉ちゃんがね。」
切ろうとしたその瞬間滑り込んでくるような早口で母が言った
「癌って。乳がんって」
私は驚かなかった。多分それは医療職で私がオペ室の経験もあって癌患者を受け持ってきた看護師だったからだと思う。
この時の会話はあとあととても後悔した。なぜここで「お姉ちゃんは大丈夫?」って聞かなかったのだろう。
「とにかく悪い。だから」
幸いにも実家まで30分ほどで着く距離に住んでいたため夜勤明けの体を起こしながら実家に向かった。
30分の道のはずなのに無限にも思える長い長い道のように感じた。
たくさんの手術に入ってきた。もちろん乳房全摘術だって。患者さんがオペ室に入ってきて落ち着くまで寄り添ったことだってある。泣いて泣いて涙が止まらないままの患者さんだって見てきた。それに。もう手遅れだった手術もあった。
実家につくと姉の車はなかった。
「姉ちゃんは?」
「仕事に行ってるよ」
「それで?ステージは?」
「何も何もわからない。聞いたけど意味がわからなかった。とにかく悪いってだけ覚えてる。でも早く見つかってよかったね?って話してたよ。」
「そう。」
「だからね。早く見つかって良かったってお母さんは思う。ね?そう思うよね?あんたも。」
「うん。」
「毎年検診に行ってたからね。それで見つかってね。手遅れにならなくてよかった。早く見つかってよかった。ほんとそう思う。」
「そうだね。」
「ほんと。昔から、昔から、あの子はついてないのよ。昔から。」
私は母の話を聞きながらファンクの危機モデルを必死に思い出していた。いやここではションツか?コーンかな?なぜかそんなことが頭の中をぐるぐると回ってた。
看護師になって10年はたった。手術室にいた期間はそんなにながくなかった。3年ほどだったか。
とても忙しい病院だったけれど患者さんには寄り添えていたと思っていた。
でもあの涙を流した患者さんの家族は今どおしてるだろう?手遅れといわれた家族は?教えて。こんな時どんな言葉をかければいい?こんな時私は家族としてどうしたらいい?
私はただただ涙を流しながら話す母の話を聞くしかなかった。
「体調がすぐれない」的な内容だった。
その時は46歳で、長男は高校3年、長女は高校1年、次女が中学1年生だった。
俺は大学を卒業して就職したあたりからずっと体調が悪い。常に風邪の引き始めみたいな状態で、油断すると扁桃腺が腫れて微熱が出る。アレルギー性鼻炎があり、点鼻薬の使用や通院を怠るとくしゃみと鼻水が出て微熱。お腹を壊しやすく激務や飲み会が続くと下痢になり痔も何度かやった。
しかし健康診断や血液検査、内視鏡などの人間ドックでは常に問題がなく身体は健康だそうなので不思議だ。
それでも俺は常に「そう遅くないうちに病気で死ぬ」となんとなく思い続けてきた。万年の体調不良がいつか重大な症状に変わり、病気が発覚し死ぬのだろうと。
だから家族との時間ややり取りを大切にして、後悔することのないように生きてきたつもりだ。
そして14年経過し、60歳。
2年前、新卒入行以来勤めていた地方銀行から役員として子会社に追い出され、昨年には県の偉い人と歳下の本社役員から赤字の県外郭団体か大赤字のローカル鉄道会社の代表の話を頂いたが嫌な予感しかなかったため断った。今は知り合いの小さな税理士事務所で働いている。
相変わらず体調は悪い。
今も扁桃腺が腫れて喉が痛い真っ只中。
若い時、子供が大きくなってこの歳になれば「何かをしなくちゃ」と焦らされることなんて無くなると思っていたが、そんなことはなかった。
自宅のローンは終わったが、仕事で覚えることも確認することも勉強すべきこともある。10年前に乳がんに罹患して以来通院が必要な妻の医療費を稼ぎ、生活費のことや老後のことも考えなければならない。8人の孫へのお年玉やらプレゼント代だってバカにならない。
そして体調は悪い。
俺の一生は体調が悪い中やることを抱えたまま終わりを迎えそうだ。