はてなキーワード: 70年代とは
その辺の話は、ツイフェミとフェミニスト/フェミニズムを明確に区別しないと混乱するで。
概念が妥当かどうかは置いといて(俺は間違いだと思う)、70年代からこっち、そういう概念がフェミニズムに存在し無かった時代などない。
性的コンテンツやTV番組の犯罪助長、みたいな話はフェミニズムはしていなかった。
これはメディア論によって、90年代までにだいたい論破された。
上司「増田君、来年4月の第1週の金曜日、夜は空いてますか?」
上司「よかったです。この日にちょっとした会があるので空けておいてください」
という会話から半年弱。4/8の午後に、新幹線に乗って静岡県の某駅に向かった。
素直さだけをウリにしていて気働きが鈍い自分も、上司がああいう言い方をした時点で、それが「ちょっとした会」などではないことはわかった。
車中で交わした会話からすると、ごく内々の慰労で、お客さんは関係ないと。
ただ、「ちょっといい店」なんだよ、と。
店に行く自体が目的だということ、自分には特にお役目がないんだということがわかった。
夕方5時過ぎに駅に着き、そこからタクシーに乗って20分ほど。
街中から離れ、周囲を夕日に縁取られれた稜線が取り囲むような里山の前で下ろされた。
看板が出ていない、綺麗に舗装されたゆるやかな歩道を上がっていくと、
簡素な門の向こうに、小さな庭園と池、RC造で軒のない平屋の建物が見えた。
玄関ドアに着いた呼び鈴を鳴らすと、和服の仲居さんが出てきて中に通された。
割烹みたいな対面カウンターに先客がいて、それがウチの専務だった。
普段なら声もかけられないような関係の人が、「おお、上司君、増田君、お疲れさま」。
自分は小心者だから、さすがにちょっと、いや相当、テンションが上がった。
専務によると、ここは以前、地元企業の経営者が所有していた別荘を店主が買い取って料理店に改装したのだという。
以前は都内で知る人ぞ知る店を構えていた店主が、一念発起して静岡に拠点を移したんだと。
肝心の料理は、突き出しの後は、天ぷら屋みたいに色々な唐揚げを少しずつサーブするスタイルだった。
揚げ油も白絞油とごま油を使い分けていた。
大半は衣の時点で調味されてるので、天ぷらみたいに、塩をするとか天つゆを使って最後に味を付ける過程がない。
硬めの衣で包まれ、噛み締めた途端に口の中で爆発するプチトマトの唐揚げ。
ほんのり香るクミンが腸の苦味と絶妙に合う、ホタルイカの唐揚げ。
芯から丁寧に外した1粒1粒の食感が楽しい、トウモロコシの唐揚げ。
神妙に味わってから、その料理の味についての話はせずに、また雑談に戻る。
これが彼らの、もしかしたらこのお店の、作法なんだなと思った。
(帰りの新幹線では3人一緒で、2人はしみじみと一品一品の論評をした。
○○鶏は、70年代に大型化して復活した肉用名古屋コーチンの原種に近い、どこにも品種登録されていない鶏だという。
唐揚げという言葉から想像するくどさとかジャンク感とは対極の、どこまでも澄んだ、静謐さすら感じる体験。
地鶏らしい弾力と旨味が、薄く纏った米粉の衣の香りとともに鼻腔と味蕾を満たす。
これもまた途轍もない、自分の親子丼に対するイメージを塗り替える代物だったけど、最後の唐揚げの後ではどう評しても蛇足になってしまう。
客は我々を入れて4組。それでゆったりしたレイアウトの客席が満席。
こんなご時世なのに、客の半分は外国人だった。
隣席の会話を聞くに、もう引退した有名政治家が、仲間を連れてお忍びで通ってきたりもするらしい。
自分は(接待では)超高級といわれる炉端焼屋も蕎麦屋も寿司屋もうなぎ屋も串焼き屋も行ったけど、
唐揚げというジャンルにも、そんな知られざる至高の高級店があるということを、初めて知った。
この手の店ではよくあることだけど、予約は(普通のやり方では)取れない。
専務も他の客も、実際に店に行った時に、店主と話して次に「空いています」と伝えられた日程を
半年後でも1年後でもとりあえず押さえて、その日には仕事を入れない。
それを繰り返す。結果的に、客は常連さんか、常連が連れてきた一見客だけになる。
一度常連になった客達は、みんなこの予約のサイクルを切らしたくないから、
人数合わせで知人や部下を誘うことがあって、自分は今回たまたまそのお相伴に与れたのだ。
おそらく、自分がこの先の人生で、この店の会計を自腹で払えるようになることはないだろう。
でもめいっぱい出世すれば、専務が持っている予約枠を埋めるレギュラーになって、
年に1度ぐらいは通えるようになるかもしれない。
それか、あと5年ぐらいしたら、あの目眩のするような体験を思いっきり通俗化・大衆化したような
「高級唐揚げ屋」が町場にたくさんできるのかもしれない。それはそれで楽しみだ。
両者は2本別々の作品だが、文庫化された当時、一冊にまとめられたもの。
共通するテーマは旅。いずれも見開き2ページで一話完結。さまざまなエピソードを収録している。
高度経済成長を経て経済大国となった70年代半ば、ブームになったのはハワイや香港などの海外旅行。
おりしもジャンボジェット機が就航し、高価だった海外旅行が庶民の手に届くようになった時代。
それまでの日本人の旅行といえば、熱海など温泉旅行。そして企業など慰安旅行が当たり前で、宴会どんちゃん騒ぎに温泉コンパニオン。
そんな温泉社員旅行のノリで、庶民たちが海外ツアーに出かけると、一体何が起こるのか。。。
バスタブを初めて使い、トラブルになる場面、当時のお土産の定番だったジョニ黒をネタにした作品、常磐ハワイアンセンターにダンサーを引き抜かれて本場のハワイではすっからかん、お土産にアロハシャツを棚ごと買い占める成金、といった当時の世相をユーモラスに描いている。
こんな客もいた。
英語をしゃべってみたくて、外人のスチュワーデスをコールするが、全く通じない。ワンスカッッチャンドワーラープリーズ!などと必死に連呼するも歯が立たず、添乗員を呼びつける。
スコッチの水割りを頼んでるのに英語が通じないんだと添乗さんに話すと、そばでその日本語を聞いていたスチュワーデスがオー!スコッチ・エンド・ウォーターのことね、とはじめて理解した、という。
全く英語のわからない外人スチュワーデスも困ったもんだねえ!と添乗さんに文句をいうオチ。
こういう人、いるよねぇ。。
安孫子先生の人間観察とそのユーモアあふれる描写の仕方は本当に好きでした。
海外旅行ツアーが大ブームになった70年代、一方、国内では、一人旅がブームとなっていた。
当時の日本の歌謡曲も、心の旅(1973)、岬めぐり(1974)、いい日旅立ち(1978)など一人旅をテーマにした曲が流行していた。
こちらの作品ではサラリーマン生活に疲れ、癒しを求めて一人旅にでた孤独な青年の旅先での小話が描かれている。
添乗さんが日本人の集団心理を切り取ったものだとすれば、こちらは日本のそうした組織風土に疲れて旅に出た青年を描いている。
モーレツ、と言われた時代が去り、しらけ世代という言葉が登場した70年代半ばというのは、どこかに誰も知らないところへ出かけたい、そういう時代だったのだろう。
なかでも印象深いのは、寝台列車に乗って、普段通勤していた駅に到着した朝、カーテンを開け、ホームで通勤列車を待つサラリーマンにわざと、お酒を飲んでくつろぐ姿を見せつけるエピソード。
線路わきでのんびり昼寝をしていたら、蒸気機関車の音にむっくり目が覚まし、
いまどきSLなんてめずらしいねーなどと、近くでのんきにSLを眺め、見送るエピソード。
驚愕したのは、朝からポジションを決めて待っていた撮り鉄たち。
線路わきから突如、人がにょきっと立ち上がって姿を現したため、予想外の出来事に動揺。邪魔だ、どけー!と叫んでも機関車の音で聞こえない。
「添乗さん」では、ホンモノをゲットすること、象徴的な意味での旅の証明としての戦利品を収集したり体験することが旅の重要なアジェンダとなっている。
例えば、マカオでニセモノに騙される日本人や、ビーチでナンパを試みたツアー客が間違えて日本人女性に声をかけながらも外人女性だけを探し求める姿などを風刺している。
一方、「さすらいくん」のほうでは、旅の目的は疲れ切った日常から逃避する場所を求めた癒しであり、ぬくもりだ。旅先の情報など何一つ収集しないし、旅の思い出を語る誰かもいない。
どちらも哲学的な意味での旅の本質をさらっと描いているのが秀逸だ。
この2作品は、旅というテーマを通じて、当時の日本人が何を思い、旅先にどんな夢を描いていたかを、
藤子不二雄Ⓐ先生にしかなしえないユーモアでもって簡潔に描写している、という点で同氏の傑作のひとつ。
どうもありがとうございました。
'80年代半ばまでは、あなたの言うことは間違ってないけど、風営法の改定を受けて'80年代終わり頃からの直営店の広がりによっていわゆるゲームセンターの「健全化」が急速に進んだんだよ。照明は明るく、クレーン機等が多数投入されて、ファミリー層も足を踏み入れられる雰囲気になった。ゲームセンターはその頃に大きく変わったんだ。
そして、その「健全化」したゲームセンターの一角で「ゲームオタク」達が群がったのが格ゲーの世界であり、彼らは'70年代にゲーセンにたむろしたヤンキー達とはまた異なる種族だったんだよ。ゲームの腕前があって、それなりにイキリ散らかす奴もいたけど、基本的には研究し修練し競い合わなければいけない実力主義の世界であり、リアルの生活とは別の価値観が支配していた。ゲームさえ上手ければヒョロだろうがブサだろうが立派に一目置かれる世界だったんだよ。そんな彼らが今のe-sportsへと続く現在の「ゲーム文化」の基礎を築いたのは間違い無い。
だから、元増田が言うように、オレも、あのプロゲーマーの言動はゲーム文化の「破壊者」ではなく「ルーツ」に近いものと感じるし、それだけに今回の結果には割り切れないものを感じるな。
CDやレコードを買って家で聞くことが好きなので、昼休みにレコード社やタクトなんかを回ったり、会社帰りに渋谷のウルトラや宮下パークにできたface records寄ったり、休日には地方のハードオフでジャンクコーナー漁ったり(自慢なんですけど佐東由梨「ロンリーガール」の7インチ、Lexiaのフリーソウルクラシック「Good Morning To You」の70年代当時にリリースされた国内盤EPを100円で抜いたことあります)。今ではすっかり少なくなっちゃったけどツタヤとかGEOのレンタル落ちコーナーにもさんざんお世話になりました。
ご自慢の中古レコードやCDコレクションを眺めながらお気に入りの曲聞いてウットリしていたけど、これって果たして音楽家のためになっているのかしら。中古レコ屋は潤うかもしれないけど、ミュージシャンに一銭も金は入らないような…。
コロナ禍になる前はちょこちょこライブ行ったりしてCDやTシャツなんかのグッズも買ったりしてミュージシャンの収入になりそうなこともしてたんですけどけど、ニューノーマルでのライブ方式(着席、発声をしないとか)にどうもなじめず、配信ライブも何回か見たら「これはNot For Meだな…」となってしまい、移動中はラジオを聞いているのでサブスクの類も一切やらないし。
https://www.youtube.com/watch?v=hDWPNgRNdHI&t=9s
インストの曲が入ってるのがすげー
大方の曲がミッドセンチュリー風味まだ強めだけど、70年代に引き継がれそうな空気感がある曲もちらちらある
やっぱりBEATLES以前以後でだいぶと違うかな?
https://www.youtube.com/watch?v=Q3d3paNB8kU
22年~12年前…やっぱり知らないのがちょいちょいある。
単に2000年当初の辺りで流行っている洋楽を聴いていなかったってのもあるかもしれない。
ひきかえ
https://www.youtube.com/watch?v=WijwbIbjgO4
この辺は殆ど分かるな。流行ってる曲を聴いてるからだ。サブスクの影響もデカい。
いずれにせよ、「勝手に耳に入ってくるから知ってる」という状態じゃないこれらの曲の多くは、半世紀後には忘れ去られてるんだろう。
70年代以前の有名曲ってずっと使い続けられてたりするから割と知られているけどね。
80年代もテレビで使われてたりすることが多いし、超有名曲は人の耳に触れる機会が結構ある。
2000年代とそれ以前の差はなんなんだろう?
それとも意外と半世紀後にエドシーとかブルノマの曲がやたらcmで使われたりカバーされたりとかして流布したりするんだろうか?
子供の頃に読んだ/聴いたコンテンツで、大人になってから気になっても、調べきれないものって、多いと思う。
・音楽
音楽は、以前NHKで、「ステージ101」という番組があって、たしか日曜の夕方くらいに放映されていたと思ったけど、その番組では、オリジナル曲も多かったけど、ヤング101というメンバーが海外の曲の、今で言うカバーをよくやっていた。ビートルズのヘイ・ジュードとか、エルトン・ジョンのクロコダイル・ロックとかね。
その中で、メロディというか雰囲気が今でも気になっている曲で、こんなのがあった。
ぼくの魂でありました」
という曲。わりと軽快な感じ?
もう一つは、ちょっと暗めの曲調で、
…空中ブランコ、やめろ!」
という曲。曲の雰囲気が子供心に不気味で、本当にこの程度しか思い出せないのだが、いまだに気になっている。
※曲は、歌詞は和訳だしメロディくらい分からないと何のことか分からんね。適当にメロディ録ってみるかな。
・漫画
当時は家の環境もあってあまり漫画を読む機会もなかったのだが、一つだけ今でも気になっている作品がある。
おそらく少年誌系のおそらく漫画雑誌に掲載されていた(と思う)作品で、おそらく宇宙空間を旅する系のストーリー。
主人公は、宇宙空間に漂う巨大な生物のようなもの(巨大な平べったいナマズのような姿)の内部を探検している。
その内部には、岩っぽいものがあったり小川や池のようなものがあるのだが、主人公が池の畔に辿り着いたときに、おそらく小川の上流の方から、人っぽい生物が何体か現れる。
彼らは、細長い容姿をしていて、頭髪はなく眼は単なる白抜きの楕円、一様に片手を上げて「やあ」と言ってくる。
年代的にはおそらく70年代初期、手塚治虫ぽい絵柄で、手塚治虫の作品から探してみたけど、自分の調べた範囲では、それらしい作品は見当たらなかった。
また、当時の漫画に詳しい知人に聞いても、よくわからない、とのこと。
それにしても、70年代ってもう50年前なんだな、おそろしい。