はてなキーワード: 老衰とは
先日、母が亡くなった。
70代だったので少々早かったとは思うが、老衰とのことだった。
母が死んで悲しいかというとそういうことは無く、思い出すのは母から被った嫌な記憶ばかりだ。
母は「子供の心に恐怖を刻み込んで支配すれば、子供に反抗期は起こらない」という教育方針を広言しており、事実そのような人だった。
そんな母が普通とは違うということは子供ながら朧気と認識していたが、明確におかしいと感じたのは20代後半という遅さだった。
言い訳させて貰うと国民的なアニメである「ドラえもん」でものび太のママやジャイアンのかあちゃんのような母親が出てくるので、
二人を悪魔合体進化させたような私の母も普通だと思ってしまっていたのだ。
のび太のような0点ではなく、100点を取っても優しくしてくれないことに理不尽さを感じてはいたが、
まさかしずかちゃんママのような優しい母親の方が普通だったとは思いもよらなかったのである。
母なりに子供のことを愛してくれていたとは思うのだが、恐怖と支配という手段で愛してくれていたので幸せな記憶というのが脳に残っていない。
女友達と電話で話していたら盗み聞きして、後から小一時間その会話の中身を説教されたことや、
大学受験は父の後押しもあって許してくれたが国立のみ滑り止め受験禁止浪人NGだったためチャレンジが許されず一つグレードを落とさざるを得なかったことや、
数年に一度連れて行ってくれた行楽先が雨だった時に、傘も合羽も買う金が勿体無いからとゴミ袋を私に着させて(母本人は傘)衆人環視の中を行脚させたことや、
腸炎でゲロを吐きまくってた子供を放っといて母はデパートで美味しいご飯を食べてたことばかりを思い出してしまう。
ちなみにジャイアンのかあちゃんのように直接暴力を振るってこそこなかったが、父の暴力(パチスロに負けた腹いせ)は効果的に使っていたように思う。
そのため、暴力がコミュニケーションの手段として当たり前のようにインストールされてしまっていたため、
近所の友達にイタズラされたらすぐ殴ったし、友達の弟が勉強の邪魔をしたらすぐ殴ってしまった。
今考えるととても申し訳なかったが、DV家庭で育った友人も似たようなものだったので、DV家庭あるあるなのかもしれない。
そんな母でも亡くなったということもありコロナ禍とはいえ葬儀もしたのだが、母の悪行三昧のツケというのはあるもので、
葬儀では母が過去に親戚相手にしでかした嫌がらせという名の犯罪の数々の愚痴を何時間も聞かされるハメになり、ほとほと困り果てている。
タイトルの通り、20年近く一緒に過ごしてきた愛犬を安楽死させました。2ヶ月と少し経ちますが彼のことを考えて毎日涙が止まりません。少しでも自分の気持ちに整理をつけられればと思い、はてなに新規登録し筆をとってみました。彼との出会いからまとめていこうと思います。
物心つく頃から過ごしてきたオンボロ社宅が取り壊されることになったのでペット可の新築のマンションに引っ越してから数ヶ月が経った頃。
せっかくペット可なのだから落ち着いたら犬を飼いたいね、とワクワクしながら家族で話していました。その当時は"どうする、アイフル〜"のCMが大流行しており母と私は、飼うならチワワでしょ!とチワワ推しだったはずなのだが夜遅くに母のコートで包むように抱かれながら我が家にやってきた仔犬はミニチュアダックスフントでした。生後2ヶ月のブラックタン。
生まれて初めて仔犬を見た小学校低学年の私は、そりゃーもう可愛がりたくて仕方がなかった。
しかし両親が彼を連れて来たのはブリーダーさんとのやり取りに時間がかかったこともあり22時を過ぎており、私はもちろん小さな彼もお布団に入る時間だったため寝るよう促す母に「連れてくるまで抱っこしててずるい!」「わたしもその分抱いて寝る!」などと悪態をつくも、一緒に寝たらケージで寝なくなるからダメだと言われ興奮する気持ちを抱えながら一人で寝ることになりました。
(翌朝、鳴いてて可哀想だったからという理由で彼と一緒に寝ている兄が発見された)
初対面したその日はスキンシップを取ることがほぼ出来ませんでしたがその後は勿論一緒に寝たり、名前決めで一悶着あったり、チワワに喧嘩を売って敗走したり、食欲旺盛で人間のご飯すら虎視眈々と狙ったり、参観日で留守番させたらケージ内に大を撒き散らしていたり、ここには書き尽くせないほど様々なことがあり、退屈しない日々が続きます。
共働きの両親や、部活や塾バイトで帰るのが遅い兄達。いつでもすぐそばにいてくれる彼の存在はとても大きなもので愛する弟でした。
2017年の2月。兄達はとっくのとうに家を出て、両親と私、彼の4人暮らし。私の出勤時に、眠っている彼を置いて買い物ついでに両親に職場まで送ってもらい、お昼休憩の時にiPhoneをチェックすると母から連絡が。
電話して話を聞くと、買い物が終わり家に帰るといつも走ってお迎えに来るはずの彼が居ない。珍しいと思い探すと私の部屋の隅でか細い声で彼が鳴いており、そのまま動かず様子がおかしかったのでかかりつけの動物病院にいったところヘルニアと診断されたとのこと。症状は重く、紹介していただいた隣県の専門医での手術を決めました。
当時14歳だった彼が全身麻酔に耐えられるか不安でしたが手術は成功し、リハビリをして多少フラつくものの介助もなしに歩けるようになりました。(後ろ足の筋肉が弱り前足の筋肉が強くなり逆三角形のムキムキ体型になって先生も笑ってた)
そして、家族の不在時にヘルニアになったため、今後は家には常に誰かが居るようにしました。
ヘルニア以外には手術することもなく、車に轢かれてもほぼ無傷だったという過去もあり我が家では無敵の犬と呼ばれていた彼ですが、2020年の冬頃歯が痛むのか食事しながら鳴くことが増えました。かかりつけで歯周病との診断を受けましたが高齢なので抜歯も難しく投薬のみとなりました。
父が亡くなり、かかりつけではなく、家の近所の動物病院に通うことも増えました。そのまま年が明け、20歳の誕生日には何をしようかと考えていた2021年の6月。歯を痛がる頻度が高くなり近所の動物病院にも不信感が募ってゆき、かかりつけの病院へ行くと歯石が口の中に当たっていることがわかりました。
麻酔なしでチョチョイと歯石を取ってもらいこのまま薬を飲ませて様子を見れば良くなるかと思いきや、次の受診時には歯石が当たっていた箇所が小さな小さな黒い腫瘍になっていました。
その腫瘍は癌の一種、メラノーマでした。大学病院に紹介してもらったり、顎の骨が溶けていたので胃瘻の手術をしたり、藁にもすがる思いで治験を受けたりしましたがみるみる彼の病状は悪化していきます。トイレに行くことも寝返りも打つこともできない彼のすぐとなりに母と並んで眠り、1時間半おきに彼の悲しい声で目が覚める。
その度に寝返りを打たせたり、撫でてみたりしながらまたうつらうつらとする日が続きます。
大きくなった腫瘍のせいで目も閉じられなくなり、てんかんの発作も起きはじめ、ついには腫瘍が喉に転移し呼吸も荒くなり落ち着いて眠ることもできなくなったため酸素室をレンタルすることにしましたが、2、3日もすると酸素室に入りたがらなくなりました。
酸素室に入れるとロクに動けない体を無理矢理動かして鳴くのです。
酸素の量は減りますが背に腹は変えられないので酸素マスクを口元に持っていきますが、顔の向きを変えて嫌がります。ご飯を吐くようになりました。
1日中目も虚ろで、苦しそうに鳴く彼。
母が、これ以上呼吸も出来ずに苦しむのならば、と。かかりつけに電話をして、安楽死をお願いしました。
いつも行っていた公園をカートでお散歩して、タクシーに乗り病院に。
最初の鎮静剤を打たれる時、少し身を捩って嫌がる彼を見て、病院では泣かないようにしようとしていたのに涙が溢れ出てきました。
目が見えてるかもわかりませんが最後まで視界に入りたかったので診察台の上に横たわっている彼とずっと目が合うようにしていました。
そして処置が終わり、彼は見ている限りではとても穏やかに息を引き取りました。
帰りは30分以上かかる道を彼と母と私の3人で帰りました。相変わらず9月の半ばだというのに暑くて暑くて汗と涙と鼻水でグシャグシャです。こんなに暑くなければもっともっとお散歩行けたのにね。
家に着き、母は何度も彼を抱きしめていました。私は力の抜けた彼の体を抱きしめることが怖くて、横たわっている時に撫でることしかしませんでした。そのうちに死後硬直が始まり、抱きしめておけば良かったと後悔するのですが。
2日後、兄にも見守られながら彼は骨になりました。
寝ている父の頭に粗相したり、兄の局部に噛み付いてぶら下がったり私達の躾が行き届いていないトンデモ馬鹿犬の部類に入る彼ですが本当に可愛い子でした。大切な家族でした。
会いたい、寂しいと思う度に殺した癖に、とも思ってしまいます。
でもやっぱり会いたいです。あのキラキラな瞳で見つめられたい。美味しそうにご飯を食べるところが好き。お散歩してる時の後ろ姿が可愛い。クリクリの耳毛を触りたい。お尻をもみもみしたい。肉球の香ばしい匂いを嗅ぎたい。また海にも川にも山にも行きたい。そんな思いでいっぱいです。
まさかこんなことになるとは思っていませんでした。天寿を全うして老衰で亡くなると思っていました。今年の誕生日も一緒にお祝いできると思っていました。
大切にしてきたつもりでも全然足りていませんでした。彼から、一言恨み言でも聞けたら楽になるのにな、なんてズルいことを思ってみたりも。
私はこれからも彼の命を奪ったことに責任を持ちながら、その重さを負いながら生きていくしかないと思っています。
何にもまとまっていませんがそろそろ終わろうと思います。
ここまで読んでくれる方がいるかわかりませんが、もし読んで下さったならありがとうございます。
たくさんの反応いただいていたみたいで驚きました。
一番初めについたコメントを見て、まあそりゃそうだよな、と思いそれから確認せずにいたら思っていた以上に暖かいお言葉をくださる方が大勢いらっしゃって……。今更にはなりますが全て読ませていただきました。涙がドバドバと溢れ出て大変汚い顔面になりましたが、本当にありがとうございます。
一部父について触れている意見がありましたが、意図的に省きました。予期せぬ父の死だったので母も私も心が砕けそうになり、更に翌年には祖父が亡くなるも葬儀に出ることも叶わずまた心がバッキバキ!…なんて事もありましたがその時の悲しみや苦しみを書くことは本筋ではないし、長くなりすぎると思ったので。でも、その辛い時に彼にたくさんたくさん助けてもらったので書いても良かったかもしれないですね。
で、なんでここを覗いたかというと先日とある出来事がありまして。
彼を失った時に苦しかったので新たにペットを迎える気は更々無かったのですが、たまたま寄ったペットショップで彼に瓜二つな子と出会って目を奪われてしまいました。いやいやそんなまさかと思いながら誕生日を確認すると彼の命日の次の日で。母と二人でショーケースの前で号泣。彼の生まれ変わりなんだとしたらまた辛くてもいいから一緒に生きていきたい、と思ってしまいました。生まれ変わりなんてあるか知らないですけど!!!!!!!!
その愛犬がずーっとお世話になってた動物病院があったんだよね。
まぁ動物を飼うにあたって、動物病院は絶対に関わる施設だとは思うんだけど。
うちは県内をちょこちょこ引越ししてて、お世話になった動物病院っていうのは、犬にとって3件目?とか4件目にあたる病院だった。
引っ越した先で適当に入った動物病院だったんだけど、先生がすごく丁寧で、治療費が安かったんだよね。
その土地から引っ越して、別の動物病院も行ってみたけど、結局お世話になった動物病院に戻った。
下道走って1時間半。高速乗ったら30分とか40分ぐらいだったかなぁ。遠方に住んでる時は2時間半ぐらいかかったこともあったけど。
高速に乗って動物病院に行くとき、いっつも家族と「高速代金払っても、近所の動物病院行くより安いわww」って笑いながら行ってたのをよく覚えてる。
最初は安いから、という理由だったかもしれないけど、私はそこでドクターに対する信頼を教えてもらったんだよね。
自由診療でいくらでもお金儲けができる仕事のなかで、本当に丁寧でさぁ。
動物にも飼い主にも寄り添ってくれる病院って、たくさんあるようでそう多くはないんじゃないかなと思う。
言葉の通じない生き物と生活するうえで、信頼できる動物病院がどれだけ重要なのか、それがどれぐらい安心感を与えてくれるのか。
尿管結石の手術、歯茎が膿んだ時、夏バテによる食欲不振、足ひきずって痛いふりしてる時も先生に診てもらった。
肉球の間までしっかり見て、さわって、診察台からうちの犬下ろしてさ。院内の奥に歩いて消えて、戻ってきて「折れてないですね」って。
「もしかしたら家に帰ったら「あっおれ足痛かったんや!」って思い出して足ひきずるかもしれないですけど、折れてないです。大丈夫です」って。
めんどくさくても、レントゲン取ったら金額上乗せできただろうに。
確かその日の会計680円。高速代金の方が高くて母親と一緒に大笑い。
老衰による腎不全で、最後のほうに元気がないからって連れて行ったときも、うちの犬の顔見てすぐ体調悪いの察してくれた。
先生たちが「もって一週間です」って行ったら本当にぴったり一週間で死んじゃった。老衰だからね。仕方ないんだけどね。
本格的な介護はその一週間だけ。痙攣一回、あっさりぽっくり一瞬で。苦しみ少なく、わが愛犬ながらよい最後でした。
愛犬が死んだのは数年前で、私は今は動物と生活をしていないので、ついさっきたまたまホームページを見て知ったんだけど。
先生の挨拶の最後には、救えなかった動物達、ごめんなさい。って書いててさ。
いやいやいや、救った命の方が多いでしょ。どう考えても多いでしょ。どんなに低く見積もっても救った命の方が多いでしょ!
おれはすごい医者だぞ!!いっぱい命を救ったぞ!!ってえばっていいでしょって思った。
犬を飼う上で、「先生のところに行ったら大丈夫」と思えるドクターに出会えたこと、本当に幸運だったと思っています。
愛犬を最後まで先生に診てもらえたことはもちろんですが、先生の作った病院は、飼い主にとってもよりどころで、安心できる場所で、信頼できる場所で、動物に対する不安を取り除いてくれる場所でした。
こんなところで言っても届かないだろうけれど、先生の丁寧な説明はいつも不安を軽くしてくれました。
胸張ってください。動物の命だけじゃなくて、ユーザーの心まで救ってくれる、本当に素敵な先生でした。
私またいつか犬を飼ったら、先生に診てもらうつもりだったのになぁ!笑
長い間お疲れ様でした。
救ってくれてありがとね。
アルバムなんか眺めていて、小学生だった時とかそれよりももっと幼かった時なんかの写真を見てしまうと
当時の自分を思い出して、あの時自分はこういう事をしていたんだとその頃自分が目に浮かんできて泣いてしまう。
今もたまに思い出してしまうのは、当時貧乏だった俺が住んでいたアパートの二階におばあちゃんが住んでいたんだが
うちの親が共働きで居ないという事を知ってから、おばあちゃんが俺と遊んでくれたり話をしてくれたりした。
かなりの高齢だったこともあって、老衰で亡くなってしまったんだが俺は当時小さすぎて亡くなったこともわからなくて
なんで二階におばあちゃん居ないのかな?旅行行っているのかな?とずっと待っていた事があった。
いつまで経っても戻ってこなかったので、結局最後は諦めていつもの留守番に戻ったのだが、
実質老衰みたいなもんや。
https://anond.hatelabo.jp/20200804010656 から1年後のお話。
全体的には落ち着いている。投稿数はなかなか一昔前のようには戻らず、1日100件~200件程度にとどまっているが、少しずつ増えてきている印象だ。
2年前にアンサイクロペディアの臨終であまりの少なさが触れられていた活動中の利用者(過去30日以内に投稿があったアカウント)は約160人(ブロックされたアカウントは除く)、うち10回以上の投稿があった人は41人とだいぶ増えている。ただ、その41人のうち8人が現役管理者なので、それを除いたアクティブユーザーは30人前後といったところか。それでも新規ユーザーが増え、古参ユーザーもたまに顔を出したりしているので、2年前と比べたら雲泥の差である。
今年の初めには「バイキング」という記事がバズった。はてブ数900近くであり、これはアンサイクロペディア歴代4位の記録。執筆者は鉄槌で失脚した例の人から無期限ブロック処分をされていたというのが趣深かった。
今後の懸念材料としてはサイトオーナーの動向である。昨年「チャクウィキ」のオーナーだった谷口マサト氏が急逝してサイトが分裂したという事案が起きたが、日本語版アンサイクロペディアもチャクウィキ同様に個人オーナーとしてカナダのCarlb氏が君臨しており、時々起こる不具合は彼でしか直せないものも多いので、彼に何かあったらサイトがどうなるか分からないというリスクがある。ただ、何かある頃にはもうサイトが老衰しきっているだろうから、あまり考えなくても良いかもしれない。
みな、2009~2012年の話をするけど、もっと最近のサンプルがある。
知事選で敗北し、県議会でも多数派を取れないでいる沖縄県の話だ。
知ってのとおり、沖縄県では2014翁長雄志→2018玉城デニーと、自民党の指示を受けない知事が2期にわたって誕生している。
全国的にも最悪の感染状況で「だから非自民系を政権に付けるとダメなんだ」などという嘲笑めいたつぶやきがTwitterで散見されるが、沖縄県議会で「野党」として活動する自民党はどんなことを主張しているのか。
久米島で抗体検査を住民全部7800名、全員受けろと。本土から観光客が入ってきたら、全員抗体検査を受けさせる。やらない人は、そこでタクシーも乗れない、レンタカーも借りられない、コンビニにも入れない。飲み屋、食堂、どこにも入れない。そんなふうになったら、久米島に来た観光客は全員やりますよ抗体検査。そういう一つの夢がある島をつくっていったら経済対策になる。
ちなみにこの頃、沖縄自民党の県議は全員が「抗体検査」を受けて「陰性でした!」と言っている。
また、このあと10月に宮古島・石垣島視察時に二次会・三次会まである飲み会に行った結果、所属議員12名が新型コロナウイルス感染症に感染している。
皆さん、ホテルを借り切るのはいいんだけれども、今こういう世界的な感染拡大によってクルーズ船が空いているんだよ。クルーズ船を持ってきて、波の上で係留して、そこをホテル代わりに使うということもできないか。(中略)今、クルーズ船は泊まって係留先さえない。その船員と一緒になってそこをホテル代わりに使うということは、1000室、2000室、普通にあるんですよ。それを3分の1稼働させてもいい。少しリゾート感覚にも入れるかもしれない。だけど今、どこにも出られない。ホテルの1室から出るなと。そういう部分で果たしていいんだろうかということ。2週間、精神的にどうなんだろう。
「ホテルの1室から出るな」ということは「いいんだろうか」ということは、クルーズ船内では室外にも自由に出入りする状況を考えていると思われる。療養者は全員陽性だとしても、船のスタッフ・看護師などのことをどう考えているのか。何より、ダイヤモンド・プリンセス号が那覇に寄港してから半年の時期の発言だが、あのときのことをどう考えているのか言及がない。
又吉氏は県内ではがんで年間3千人、老衰で900人が死亡すると指摘。新型コロナによる死者は27日現在で179人などとして、「ほとんどは死亡せずに元気になれる」とした。
新聞記事は2021年6月だが、議事録を追うと、その前から類似の主張をしていることがわかる。
コロナが発生してこれまでお亡くなりになった方は、残念なことに69名いらっしゃるんですけれども、この5大死因について、悪性新生物でお亡くなりになった方が年間3095名もいるんですよ。コロナの69名どころじゃないんですよ。残りあと4大死因、老衰でお亡くなりになった方だけでも935名ですね。
また、このあと、陽性者が別の病気が原因で死亡してもコロナ死者に数えられる、とか、PCR検査のCt値が高く、不必要に陽性者を検出している、という趣旨の発言をしている。