はてなキーワード: 最上とは
マンション鉄筋だからと最上階じゃなくても上の階は聞こえませんよと大嘘を不動産にこかれ現在に至る
引っ越す貯金はあるにはある…が同じ失敗を繰り返しそうで踏み切れない 次も騒音がないとは言い切れないしそもそも家賃をグレードアップさせるだけの経済力もない
夜もうるさい ずっとうるさければ警察に聞いてもらってと分かりやすいのだが 大きい音を定期的に出すのだ 1時間だったり2時間おきに単発で出す
目が覚めてしまい寝れなくなる
こいつはどういう生活サイクルなんだ
全く理解できない ここ数ヶ月感まともに寝れてない くまも初めてできた
そんなある日多分怒りのピークに達したのだろう
なんの考えもなしに包○を手に取り部屋を出た 殺そうと思った そこに躊躇はなかった
ただ階段で躓き転んだ そこで一度冷静になってしまいそのまま部屋に戻ってしまった
今も問題は解消してない
騒音で人を殺した そんなニュースが流れたら俺の話かもしれない
これから新生活が始まる 部屋探しをすでに始めてる人もいるだろう
まあ色々考えることはあると思うがまず防音、これを最優先にしてほしい
ご近所でそれなりの資産があると思われる婆さんが自己所有のビルの最上階に一人で住んでた。
話はじめたきっかけなんて忘却の彼方だけど、口癖は「娘と一緒に住みたい」だった。
俳句が好きで、自作の俳句とか読ませてもらったり、何か分からんけど仲は良かった。
娘は婆さん(実母)と一緒に住みたくないってことで東京に出て大陸系の男性と結婚した。
1年に1回くらい婆さんが電話して元気かどうのか聞くくらいの関係とのこと。
ある日のこと、婆さんが「お母さんの手料理が食べたいから一緒に住みたいって娘が言うから東京に引っ越すことになったの」って満面の笑みで伝えてきた。
そこで今住んでいるビルと駅前の借地している土地を売って、そのお金で東京に一軒家を買って一緒に住むことになったらしい。
いやー、臭い、臭すぎるでしょ!!って思ったけど、婆さんの満面の笑みと仲はいいけど血縁ではない他人だから応援した。
それから2年くらいたって、突然に音信不通の婆さんから手紙がきた。
涙で滲んだと思われるボールペンの震えた字でこんなことが書いてあった。
娘に財産を全て没収され、老人ホームに年金で賄う永年契約で入れられ、携帯も全て取り上げられた。
そんな老人ホームがあるんか知らんけど、死ぬまで出られん、出られても棺桶でとのこと。
東京の家に着いたら娘はすぐに私を老人ホームに入れ、それから一度も面会にも来ない。
老人ホームの私宛の手紙は全て娘が一端預かるようになってて、一度も渡されたことがない。
私から手紙を出すのも職員さんから娘に依頼しないといけないのですが、返信は一通も返ってきていないので娘が捨ててしまっているのでしょう。
娘の旦那が娘に黙って月に一回くらい会いに来てくれて、そのことを話しました。
それから旦那と娘は離婚したらしく、娘は一度も顔を見せないどころか連絡もありません。
私の財産は全て娘が持っていってしまったので、あなたに何も上げるものがないと言ったら、お母さんを大切にするのは人の務めでしょう!と言われました。
血の通っていない、それも元娘の旦那なのに、どうしてどうしてと涙が止まりません。
年金は全てホームの費用になるので、個人で使えるお金がありません。
どうしてこんなことになったのでしょう。
とまあ、そのまま引用したところもあるけど、こんなことが書いてあった。
老人ホームの住所とか書いてあったけど、血縁者じゃないから何かしたくても何とも出来ん。
婆さんに対して何も出来ないもどかしさよ。
公園に散歩に行たり毎日ほのぼのと暮らしてた婆さんが何の因果があってこんなことになるんだろうか。
何ともできないもどかしさがとにかくヤキモキする。
特にバスケやサッカーなどをさせる。陸上や水泳など一匹狼系の種目と違って、バスケやサッカーなどができるほかの子と友情を育み、逆にできない子に対して優位なマウントをとることができる。
(もちろん、持久力も重要で、体力テストなどでマウントは取れるが、バスケやサッカーをしていれば自然とつくのでコスパが良い)
小さいころから子どもと遊ぼう。ただし、親のどちらかができなければ、大した効果は得られないので、きちんと結婚相手を考えるべきだった。
最低限の喧嘩に対して防御の意味でつける。殴られても落ちなければ、いじめられてもそのうちいじめられなくなるだろう。
喧嘩になった場合に備えて、喧嘩のしかたを学ばせる。相手に重篤なけがをさせない範囲で、歯向かう気をなくす程度の強さを習得させる。空手、柔道、ボクシング、合気道は有効。
これは生まれてからはどうにもできないが、高いほうがよく、まずは結婚する人から考えるべきだった。
勉強でマウントをとることもできるが、まずはスポーツを優先すべきだ。スポーツでマウントがとれており、勉強が極度にできないのでなければやる必要はない。
逆に、上位5%程度をキープできれば、いじめなどに合う確率は低くなるが、「がり勉」とされて体育系でマウントをとっている人たちの輪に入るのは難しい。
幼少期からきちんと自分で考えさせる教育をすべきだろう。また、結婚相手を考えるべきだった。
子どもが給食のデザートを入手したりするのに有用。逆に、防御にもなる。
バカにされても逆に笑いをとったりすることができる。逆にダメージを返すこともできる。
発表などの際、内容が伴っていなくてもごまかすことができる。
声の小ささはいじめに直結するので、声は太く大きく発声できるようにボイストレーニングする。
マナーはスクールカーストには全く無関係で、むしろ逆の相関すらあるので、教えなくてよい。
とくに口のきき方は悪いほうが良い。
ゴシップなどは話のタネになるので、積極的に週刊誌などを読ませる。
子ども自身ではないが、ほかの子や親に対してマウントを取る意味では高級なほど良い。
家は広さと庭が重要。ほかの子を呼んだときに、噂を通じてマウントをとることが可能。
団地は論外。アパートよりはマンション、マンションよりは一軒家が良い。
外車とまではいかなくてよいが、最低でも3000ccクラスの高級ラインから選ぶこと。
毎週洗車すること。
ヒビが入ったらすぐに修理すること。
最低限妊娠する・されると困るので、その程度の知識はつけておく。
経験は早いほうが良いことを教えておく。後々中学・高校でのマウントがとりやすくなる。
子どもは取り入れた知識をひけらかすので、できるだけ子どもたちにとってインパクトのある表現や、事例を取り入れて話の輪の中央に位置できるようにネタを提供する。
国公立美大のランクといえば、やはり東京藝大、京都市立芸術大学、金沢美術工芸大学、愛知県立芸術大学の、名門「四芸大」が最上位として君臨することは広く知られています。
では、それ「以外」の国公立美大では、その実力評価は如何なるものか。
近年、日本各地に少しずつではありますが四芸大以外にも国公立美大が増え、かつてはそもそも国公立は四芸大しか無かった厳しい時代と比べると、受験生の選択肢が増えているのは喜ばしいことです。
四芸大と比較すると格が落ちるとはいえ、やはり国公立大学として一定の質が保証されており、どの大学も一定程度以上の入試倍率を誇ります。無名であっても、その難度・経済性・安定性は有象無象のFラン私立美大とは比較になりません。
私立美大はいつの時代も学費が高額ゆえに、家庭の経済状況が厳しいが美大へ行きたい学生にとってこういった国公立美大群が存在するということは大変な助けとなっております。
また、地方の新規才能発掘の受け皿という意味でも意義あるものです。
そんな国公立美大群をランキングにするならどういう形になるか、どの大学が四芸大を除いた時にトップとして相応しいか、皆様のご意見を拝聴したいと思います。
ここには、総合大学の芸術学部も含まれます。(勿論、教育美術系を除く)
また、「デザイン科しかない」大学は、ファイン系が存在しないことで美大の定義からは外れると考え除外しています。(デザイン学部のみで大学が成立している長岡造形大学を除く)
あるいは、「トップ5」とか「トップ3」を選び出すというのでも結構です。
しかし、一覧してみるとやはりまだその数の少なさに驚かされますね。
私立を含めると美大というのは結構な数が存在しますが、学費負担の軽減に大きく貢献する国公立となると急にその数を減らし、たったこれだけの数の大学の椅子を、経済的にそれほど富裕でない全国の国公立美大志望生達が一斉に争うのだからそりゃどの大学も倍率が上がるというものです。
日東駒専レベルの大学に通っていて、情報処理を学んでいる4年です。プログラムが書けないし、今俺は何をしたら良いのかが分からないし、誰も助けてくれなくてつらいしたまに泣いている。
ゼミに入っていて、ゼミのメンバーはそれぞれ卒業するために卒業研究なり卒業制作をしているのだけど、僕はプログラムが書けなくて何もできない。
最初、僕は卒業研究でSSL通信についてやろうと思ったけど、そもそも自分でhttpsのサイトを構築するレベルすらできなくて(ググってLets encryptを導入するのはできた)、先生が「こいつはダメなやつだ」と察してくれて卒業研究ではなく卒業制作をすることになった。
今は画像を分割させるプログラムを作って、完成したら卒論書いて卒業できるのだろうけど、そのレベルのプログラムさえ書けない。
ゼミに行くと他のメンバーは黒い画面に文字がいっぱい出てくるかっこいいやつをやっているし、また他の人もRubyが何だとかReactが何だとか訳のわからないことを言っている。
教授は僕に「画像の一部分を拡大して全画面で表示するプログラムを作って!」というのだけど、2日頑張ったけどつくれなかった。(インラインフレームとCSSで作ろうとした)
プログラムってどうすればかけるようになるんだよ。いろんな人に助けを乞うて教えてもらおうと試みたけど、僕のレベルが低すぎて理解できない。
学校の授業でプログラミングも習ったけど、forとかifとかのレベルだし、実際に自分で作りたいものがあってもどうしたら良いのか分からない。
プログラミングの勉強しようと思ってpaizaラーニングのjavaとjavaScriptとphp一通りやったけど分かんない。
日東駒専レベルの大学に通っていて、情報処理を学んでいる4年です。プログラムが書けないし、今俺は何をしたら良いのかが分からないし、誰も助けてくれなくてつらいしたまに泣いている。
ゼミに入っていて、ゼミのメンバーはそれぞれ卒業するために卒業研究なり卒業制作をしているのだけど、僕はプログラムが書けなくて何もできない。
最初、僕は卒業研究でSSL通信についてやろうと思ったけど、そもそも自分でhttpsのサイトを構築するレベルすらできなくて(ググってLets encryptを導入するのはできた)、先生が「こいつはダメなやつだ」と察してくれて卒業研究ではなく卒業制作をすることになった。
今は画像を分割させるプログラムを作って、完成したら卒論書いて卒業できるのだろうけど、そのレベルのプログラムさえ書けない。
ゼミに行くと他のメンバーは黒い画面に文字がいっぱい出てくるかっこいいやつをやっているし、また他の人もRubyが何だとかReactが何だとか訳のわからないことを言っている。
教授は僕に「画像の一部分を拡大して全画面で表示するプログラムを作って!」というのだけど、2日頑張ったけどつくれなかった。(インラインフレームとCSSで作ろうとした)
プログラムってどうすればかけるようになるんだよ。いろんな人に助けを乞うて教えてもらおうと試みたけど、僕のレベルが低すぎて理解できない。
学校の授業でプログラミングも習ったけど、forとかifとかのレベルだし、実際に自分で作りたいものがあってもどうしたら良いのか分からない。
プログラミングの勉強しようと思ってpaizaラーニングのjavaとjavaScriptとphp一通りやったけど分かんない。
怖いというか苦手というか、関わりたくない。
すぐ近くに公立小学校があるから、うちのマンションのエントランスが集団登校の集合場所になってて、朝はまぁまぁな確率ですれ違う。
会うときは基本2〜3人の男子たち(顔までは覚えてない)で、挨拶しても返してくれないから挨拶するのはやめた。
この前は私がエレベーターから降りるタイミングで出口に3人固まってて「イエーイ!最上階まで行こうぜー!!」と降りる私を待たずに乗り込んできた。
クソ邪魔。学校行けや。朝のエレベーターフル稼働時間に遊ぶのやめてほしい。
あと最近は私がオートロックの裏口を出て扉が閉まる直前に、外から男子2名が走って向かってきてオートロックを突破していく。
大人だったら完全にアウトだし、マンション出口に待ち構えてる、ましてやこちらを見た途端に全速力で走って向かってくるのはなかなかの恐怖。
今日に至っては出口のすぐ目の前に突っ立っていたので本当にびっくりした。
そういうマナーというものが確立されてない小学生男子に関わりたくないし偉そうに説教なんてしない(気が小さいのでできない)けど、オートロック突破はやめさせたい。
とはいえ他の住人と付き合いもないし、小学生だし、わざわざ管理会社に苦情言っても無駄だろうしなぁ…。
直接言う他ないんだろうか……
ちょっとカメラが好きな私。先日とあるイベントで同じカメラを持っている人を見かけたので、嬉しくなって声を掛けた。
ちなみに知らない人に声を掛けてもそんなに違和感ない場所・シチュエーションです、念のため。
「そのカメラ、●●ですよね?」というと、その人は間髪入れずにこんなことを言った。
「ああ、私お金無いんで」
最上位機種じゃないけど、それでも結構なカメラだと思うんですけど。
「あー、でも私お金無いんで」
「でもXX機能とか気に入ってて、私好きなんですよー」
「まあ、あと△△も使ってるんですけどね」
なんだよ、結局マウント取りたいだけなのかよ。
私もカメラ好きだが、こうはなりたくない。
で 二次 三次 最終選考まで狙うなら ありがちなネタは避けた方が良い
或いは衝撃的な書き出し。え!この先 主人公は一体どうなっちゃうの?ってな
例えば
エレベーターホールに人が居ないのを確認し履いていたパンプスを脱ぐや扉に二度ほど思い切りぶつけた
あのクソ野郎
精一杯の声を振り絞り わめき散らす
どーもしないんだよ バーカ
ついこの間までベッドの上で肌を重ねた
米問屋の二代目の男を思い出させた。
周辺に群がるシティホテルも、
ついこの間私と彼が過ごした場所だ。
決して心が繋がっていなかったわけではない。
むしろ、時には親子のように、
時には恋人同士のようにお互いを想い合い、
会っていない時でも心配しあう仲だったと思う。
あの頃の私は、同年代の男の子たちと意味のない遊びをすることよりも、
二回りも歳の離れた大人の男性と関係を持つことのほうに強く興味を惹かれた。
気持ち良さを見出せずにいた私だが、
自然と身をまかせることができた。
私にとっては当たり前のことのように感じられた。
秘部をねぶりながら足首を持ち上げる手、
気持ち良さに浸っていると
初めての経験が日々を塗りかえて、
わたしを変えていく。
しかし、三年が経つ頃に別れは訪れた。
本当にそれは突然だった。
いや、彼にとっては用意していた事だったのかもしれない。
暫くは食事が喉に通らなく、
手足が痺れ、放心状態だった。
頭の中では冷静に判断ができた。
そう思ってなんとか見つけた働き口は
彼と過ごした街を一望できるこの高層ビルだった。
とてもちっぽけに、そして滑稽に感じられた。
きっとあの頃のだれかは
この下でまだ元気にしているのだろう。
それは最上位というのでは?