はてなキーワード: 人口爆発とは
この事件をきっかけに、学校(小学校など)、幼稚園、保育所などの児童・生徒・幼児が頻繁に利用される教育関連施設にも「警察官立寄所」の看板(プレート)またはシールが貼り付けられたり、学校にも部外者の学校施設内への立ち入りを厳しく規制したり、
警備体制を強化するなどの方策を主張する声も増えた。また、防犯ブザーを携帯する児童も増加したほか、保育士や学校の教職員が防犯や心肺蘇生を学ぶ機会となった[24]。
この事件は、日本の学校がそれまでの「地域に開かれた学校」から安全対策重視の「閉ざされた学校」に方針転換するきっかけとなった。
それまで小学校は、地域のコミュニティに重要な役割を果たし、校庭は子供たちの遊び場にもなっていた。
この事件後、学校に監視カメラを設置したり、部外者の立ち入りを原則禁止したりする傾向が強まった。
小学校などの学校への警備員配置、集団登校時に保護者や地域のボランティアによる見守りも行われるようになった[25]。
また、この事件を境に、小学校においては児童の名札を廃止したり、あるいは校内のみの着用に限定したりする学校が増えるようになった。
↑選挙活動でここまでの結果残せるか?
怒首領蜂のラスボスが人口爆発や環境問題さらに軍備拡張などの問題を解決させるために戦争を起こしたように
宅間守も、社会のセキュリティ意識を高め、未来の子供たちの安全を守るためにあの事件を起こしたと考えればものすごく社会的見地に立った偉人だったと認めざるを得ないんだよね
何の欠点もない完璧すぎる作品!今までのディズニーとは全く違う!って持ち上げられると
そんな事ないよって反論したくなる
これを持ち上げる人達ってダンボとか知らない訳?動物の姿を借りて差別問題を描くのは昔からやってるよ
ジュディに関してはとにかく設定と実際の中身のちぐはぐさが気になる
兄弟が276人もいて人口爆発している村なのにジュディの上京に反対する父親が謎
この設定なら口減らしのために若者の上京を推奨する方が自然じゃね?
バニーバロウがうさぎの楽園で肉食動物が一切いない設定なら分かるけど
あんなに人口が多いのにジュディ以外にズートピアに来ているうさぎが全然いないのは変だよ
単にうさぎ=多産ってネタを使いたかっただけで後先考えてないんじゃないか
ジュディの描写はどう見ても「ひとりっこで」「過疎の田舎で大事にされて育った」女の子のもの
最初にドラマのストーリーがあってそこにキャラを当て嵌めた感じが否めない
子供向けなんだから細かい事はいいんだよ!って言われれば確かにそうなんだけど
そうするとやっぱり大人の鑑賞に堪えうる作品じゃないよねってなる
持ち上げられ過ぎだと思うんだよなあ…
なぜ独身が辛いのかと言えば、家庭持ちがマジョリティだからではない。
家庭持ちが善とされているからだ。
そりゃ、わかる。
1970年代なんか、世界的な人口爆発の潮流の中、先進国内ですら少子化はむしろ善に近いという雰囲気すらあった。
なぜ少子化が悪になったのかと言えば、労働生産性が上昇しなくなったからだよね。
それはグローバリゼーションで労働安価な国に資本が移転したからだよね、
その流れって昔の時点では、大多数の予測ではなかったわけ。
で、今、この状況になって場当たり的に少子化はダメとなってる。
少子化を悪としなかった昔と同じだよ。
なんなの、AIとか言ってるのに信じてないの?
生まれてくることはその本人にとって、常に災難であり、それゆえに子供を生むことは反道徳的な行為であり、子供は生むべきではない、と主張する。子供を生むことは、多くの動物がそうしているように単に何も考えずに性的欲求を満たすための行動である性行為の結果として引き起こされている現象であるか、または生む側の欲求を満たすために引き起こされている現象であるか(例えば子育てしてみたいといった欲求を満たすため、自分の老後の世話をしてもらおうという計算の為)、または判断するさいに生の質(QOL)を不当に高く誤評価していること(ポリアンナ効果)から起きている現象である、とする。
ベネターはチャイルド・フリーのような立場と自身の立場をはっきりと区別する。チャイルド・フリーのような考え方は、自分のライフスタイルを維持することを考えて子供を持たないという立場を取るが、ベネターは親の都合ではなく、生まれてくる人間の観点に立って、その上で生むべきではない、と主張する。つまり生まないことは、多くの人に取ってはある種の我慢が必要な事ではあるが、生まれてくる人間のことを少しでも真剣に考えるのならば、子供は生まずに我慢すべきだ、とする。
ベネターは人口爆発の問題について言及している。ベネターは地球上の理想の人口はゼロであるとしている。つまり人間は絶滅した方がよい、と主張している。とはいえ即座に人類絶滅を目指すのは生まれてきてしまった人たちにとって大きい苦痛を伴うものとなるであろうから、少しずつ段階的に人口を減らしていき、最終的に絶滅する、つまりゆるやかに絶滅していくのが良いだろう、としている。ちなみにヒトに限らず、他の感覚を持った生物も、まったく生まれてこない方が良かった、つまり絶滅してしまった方が良い、としている。
ちなみにこの生の苦の問題に関し、こうした文章を読んでいる人間は「すでに手遅れである」とベネターは言う。それはすでに生まれてきてしまっているからである。
彼の著書『Better Never to Have Been』は両親と兄弟に捧げられている。両親に(私を生んでしまったけれども)、兄弟に(生まれてきてしまったけれども)、という形で献辞されている。
本人たちにはそのように問題が立ち現われているので仕方ないが、こういうことを言うのは中産階級の子弟であって、もともと家が貧乏だったヤンキーたちはカネがなくてもバンバン結婚・出産するのでこの指摘は誤り。
実際に起こっているのは「父親より没落したので同じ階層の女に相手にされなくなった」(男)「(同階層の)男たちが没落したので父親並みに稼ぐ男を見つけられなくなった」(女)。カネ(職)の絶対水準の問題ではない。
現代日本の少子化の唯一最大の問題は「減るスピードが速すぎる」こと。出生率1.4では子世代が7割、孫世代が半分しかいない。こんなに急激に減らしたら老人を養えない。
適正な人口水準とかを論じるのは「パラシュート付けずに自由落下したら地面に叩きつけられて死んでしまうよね」という話をしてるときに「快適に過ごせる標高は何mか」を考えるようなものなので、今すぐパラシュート付けずに快適な標高の地表に向かってダイビングしてほしい。
★この前読んだ日経によれば、2100年の世界各国人口、ナイジェリアが9億人に達する予想らしい。
そのほか、西アフリカのサウスサハラ、ブラックアフリカな国々が、軒並み人口数億人になってる。
一方のアジア諸国は、中国が人口をどんどん減らし、東南アジアは「タイの出生率1.4、ベトナム1.8」なので、これまた減少する。
インドがどうなるかはわからないが、2100年には、世界人口の重心はアジアからアフリカにシフトすることが確実。
★これが1900年頃の世界人口分布マップだと、いわゆる「帝国主義の列強」の母国の人口シェアが、相当高いんだよね。
この100年で、列強側の人口はほとんど増えなかったが、アフリカ側は数倍になった。
あと100年で、さらに加速する。
★だから、1800~1900年代に、列強が軒並みアフリカとかを「植民地」に出来てしまったのは、勿論軍事力の差が一番の理由ですが、
「列強側が、人口が多かった」の要因もあったと思う。今だと信じられませんが
★ちなみに、「満州は日本の事実上の植民地になった時点で、人口はわずか数百万しかなかった」と聞いてビックリした記憶がある。
だから戦前の人は「満蒙開拓団」で満州で農業開拓に行ってたんだな。
単に出生率が高いだけじゃない。
日本人が30歳でようやっと次世代を出産するのに対し、ナイジェリアは20歳で次世代を出産。増殖スピードが1.5倍
日本だと、60歳で「おばあちゃん」になり、子供2人孫4人なのに対し、
ナイジェリアだと、60歳で「ひいおばあちゃん」になり、子供5人孫25人ひ孫125人
ひ孫125人だと、いちいちひ孫の誕生祝いなんかしている余裕はないし、そもそも「ひ孫の顔や名前を、覚えきれてるか、疑問」
「人口の過半数が子供」という社会は、こういう社会なんだろうなあ
日本から見たら、「なぜナイジェリアは、ひ孫が125人もいるの?」だし、
ナイジェリアから見たら、「なぜ日本は、孫が4人しかいなくて、60歳なのにひ孫もいないの?」だろうな
明治維新の3000万人が、100年で12000万人になったというのは、そういうこと。
逆に言えば、2100年、ナイジェリアのラゴスが世界最大都市になってるだろうな。人口1億人都市とか。
★明治維新時の全人口が、今の日本では1都3県に集約されてるのか。
よく考えてたらすごいな。
因みに縄文時代の日本の全人口は、横浜日産スタジアム収容人員程度しかなかった(8万人)
★未來の人口大国ナイジェリアに、日本はほとんど関心示さないが、ちゃんと中国は接近している。
http://anond.hatelabo.jp/20140609200812
※5月29~31日ツイート再掲
★NHKが1985に放送した「The Day その日」という近未来予測番組では、
「日本もアメリカのハイスクールみたいに、高校生が妊娠出産しまくる社会になる」と大胆予測してた。
そんな番組を当時は作っていたのだから、1985時点では誰も少子化社会を読めなかった
★日本社会が少子化を意識したのは、1990年の「1.53ショック」が最初だからな。
私見だが、1.53ショックで「今後の日本は縮小する」と直感したことが、バブル崩壊に繋がった
★70年代、フジ三太郎にシルバーシート導入を揶揄したマンガがあった。
「近未来、シルバーシートに多くの年寄りがたむろし(座り切れない)、普通の座席に少数の若者がゆったり座ってる」
★こう言ったら失礼ですが、サトウサンペイや藤子先生「ですら」
少子高齢化を予想できたのだから、当時のプロの人口学者が予想出来なかった筈がない。
あくまで仮説だが、当時も若手の人口学者は少子高齢化を正しく予想してたのでは?
★ところが、若手の人口学者が「このままでは、日本は少子高齢化しますよ」と警鐘鳴らそうとしたら、
「人口学者の大御所」が、「そんな筈はない、日本の最大の問題は人口爆発だ、キミは何も分かっとらん」と若手の警鐘を潰していたのでは?
で、そういう「大御所のセンセイ」であればあるほど、政府の審議会に出入りしてる。
かくして、日本政府は1990まで、人口抑制を前提にした政策が展開された
★80年代の人口学大御所が人口抑制を唱え続けたのは、「原体験が冷静な判断の眼を狂わせた」側面も大きかったのでは?
当時の「若手学者」は戦後生まれの団塊世代だが、「大御所」は大正~昭和一桁生まれ
戦中戦後の食糧難は、「若手研究者」にとっては生まれる前の話。
しかし「大御所」にとっては、10代20代に食糧難に遭遇。かつ戦争体験が強烈。
彼らは「日本の人口爆発が戦争の一因」との強い思い(思い込み)がある。
「人口爆発のせいで、日本は戦争に追い込まれ、自分たちも戦争に駆り出された」の被害者意識を強烈に持っている。
だから人口増加を容認することは、自分の戦争体験の追認を迫られることになり、感情的に受け入れられない
★もっと言えば、80年代の権力者、厚生省の局長クラスとか、自民党の族議員とかは、
大概は「大正~昭和一桁生まれ」が80年代は主力だった訳で、彼らは「人口増加容認政策」に180度転換することは原体験的に不可能だった訳です
★逆に言えば、90年代に入って、「人口抑制なんてトンデモない、出生率向上こそ急務の課題だ」と
世論がコペルニクス的転換を果たしたのは、多分に「支配者層が、徐々に戦前派から戦後派に入れ替わり、
★もっと言えば、70~80年代は「左翼」がもっとも強かった時代だからなあ。
人口増加容認政策への転換は、「徴兵要員確保の為か、産めよ増やせよか?」と猛批判を浴びるのが必至だったから、
政治的に不可能だった
頭に浮かんでは消えていく直球の罵詈雑言をぶつけ合うネットの喧嘩スタイルを
そのノリを現実へ持ち込んでしまった結果、ネットの恥は書捨てだったのをメディアに拾われて、
ほんの一時期なにか事件があるたびにインターネットのせいにされ、
(今ならネットは皆つかっているから、〇〇サイトなりアプリのせいになる。)
ニュースやワイドショーの締めに「ディスプレイの前にいるのは同じ血の通った人間、
ということを忘れてはいけない(戒め)」みたいな糞コメントをされ、
それを真に受けてネットと現実を同じ人格として扱うのを当たり前と考える人口が増加し、
ネタにマジレスを真顔で受け止める人が増え、「ネットと現実がリンクする」なんていう
一昔前の小説や映画の出来事が、大したドラマもなく身近な現実になった結果、
決して表には出さずネットに書き捨てるだけだった偏見や差別や不謹慎ネタを現実に持ち込む人や、
いや本当にその通りなんだよね。
昭和40年代くらいまでは人口爆発で日本は困ってた。兄弟が5人6人いる家なんて当たり前だったからね。よっぽど勉強が得意でない限りは中卒高卒でほっぽり出すのも普通だったし。
子供はコントロールして作るものではなく、「できてしまうもの」だった。
で、政策としてコンドームを普及させた。「明るい家族計画」の名のもとに。ようやくコンドームが実用に耐えるものになってきたというのもある。ゴムの薄さ、穴の開く率の低さなど。
コンドームがフリーセックス化、性意識の変化に革命的な影響を与えた。そりゃコンドーム以前はそんな簡単にそこらの男にやらせませんよ。子供できちゃうんだから。そしてそういう社会の中では女の中でなかなか「恋」の意識は生まれなかった。初恋の年齢などは今よりずっと遅く、初恋という感情のないまま生きていくものも多かった。「恋」というのは社会の状況によって作り出された欲望の一種にきれいな名前をつけたもの過ぎない。
と、いうことは、これ逆もまた真なりなんだよね。コンドームなんて人口の調節弁として使えばいいんだよ。増えすぎたら解禁、減りすぎたら禁止。これこそ「政策」としての人口コントロール法となる。