はてなキーワード: チンコとは
まず前提として入管職員の行為は許されないし、礼儀正しくモラルがある外国人がいることも認める。しかし入居者の半分以上が外国人の団地があるような自治体に住んでる俺は入管職員があのような対応をしてしまう気持ちがわかる。
歩道を自転車で爆走しながら「ユ-ファックイェァ!!ユ-ファックイェァ!」と日本人を指さして罵倒する外人。
某ケーキ工場のトイレは石鹸で手を洗わないと出れない仕組みを作る為に出入口が自動ドアになっていて、手洗い場で水と石鹸を出さないと扉が開かない仕組みになっているが、扉を開けるためだけにチンコ触った手と反対側で水と石鹸をチョロチョロッと出して移民仲間と母国語で談笑しながら出ていく外人。
イオンのエントランスのソファでコロナ禍関係なしにマスク無しで大騒ぎする外人。
ATMが空いたので付近の壁によりかかっている外人を横目にATMを使おうとしたらその外人に「ジュンバン!!」と怒鳴られて、その後母国語で唾を飛ばしながら怒鳴り散らしてくる外人。(壁によりかかっていたけど並んでたらしい)
日本のマナーやルールが理解出来ないのは大目に見て仕方ないとしても、モラルが狂ってる奴の割合がマジで高い。地元住民の外人に対しての警戒心っていうのは差別ではなく実体験に基づいている。
入管職員達が外人相手にどういう目にあってきたのかが、直近で公開された動画を見て容易に察せた。
きっと某ケーキ屋の外人チンポケーキを食いながら入管職員の対応を非難してるブクマカがごまんといるのだろう。入管職員が行ったことを切り取ると非道だと思う。しかし俺にはどうしても入管職員たちを非難できなかった。
赤松とか山田が好きなオタクってことあるごとに「表現規制は悪!」って怒ってるけど、表現規制が何なのか分かって言ってるの?
オタクがよく槍玉に挙げるのが、「民間からの抗議を受けて、公共機関のPRの内容が変更される」ってパターン。この場合抗議を発信した側が「規制側」としてオタクにキレられてる
だが、抗議する側の殆どは法的強制力など持ってはいない。そんな規制者あるか?
百歩譲ってこれが抗議側からの規制だとして、その抗議に対する抗議が発生して、元の抗議側が発言を撤回した場合は、「抗議に対する抗議」を行なった側が「表現規制をした」ことになるんだが。そんなバカなことある?ないよな
だから実際は「民間からの抗議を受けて、公共機関のPRの内容が変更される」のパターンは、当該公共機関による「自主規制」となる
つまり一部オタクは「自主規制」を、「民間の抗議者からの強制的な表現規制」という状況に誤認し、抗議に対する抗議という自己矛盾した行動を取っていることになる
さらに「表現に対する苦言を呈する」、これだけで「表現規制」だと暴れるオタクもいる
普段オタクがアニメの実写化や気に入らない作品やキャラ、フェミに対して行なっていることへの完全なるブーメランだ
言うまでも無いが、「表現に対する苦言」も立派な「表現」であるので、表現規制でも何でも無い
しかし「自主規制」や「市民による表現への苦言」に対して憤るオタクも、行政(警察)や司法による「法的な強制力をもった規制」には極めて従順だ
何の疑問もなくチンコに黒線の入ったエロ同人を読み、モザイクの入ったAVを見、ディケイド修正不可のニュースを読み流す
「わいせつぶつ頒布罪」の検挙、処分という「法的強制力を持って」表現を規制する行政や司法に対しては吠えず、「自主規制」に対してだけ「表現規制!」と憤怒するオタクは、「表現規制」の意味を理解していないのだろう
フェミニストが批判・抗議する表現(例えば赤十字ポスターでの頰染めと胸の誇張、交通安全動画でのCGキャラの胸揺れ・ヘソ出し)は、公共機関以外の場所では全く問題なく行われている。宇崎ちゃんの出版は続いているし、VtuberもYoutubeに動画を投稿し続けている。たとえ全年齢ではダメだとしても18禁に場所を変えればいくらでも表現可能だ
しかし、警察や裁判所が違法認定した表現は、できない。18禁でもモザイクはとれない。黒線修正はとれない。できたとしても、それは常に逮捕の危険と裏合わせだ
貧しいものはそのハンデを覆すことが出来ない。
固定階級となり流動性がなくなる社会へと変化しつつあるのではないかという観測だ。
確かにそのような傾向はあるのだと思う。
とくに大きな戦争であるとか極端に社会が不安定になって革命的な出来事が起こらない
しかし、かつての階級社会のような完全な固定化には進むことはないと考えられる。
これは歴史的事象として古代ローマ帝国の継承者となったフランク王国が比較的に短期のうちに
その巨大な権力は分割されて強権を維持することが出来ずに
現在の欧州の国家の原型へと解体されたいったことでも理解できる。
が維持されている場合には階級社会への移行は難しいのではないかと思う。
と、いってそのような社会が絶対的に続くのかと問われればその保証はない。
そのことに気づいた国家が制度を大きく変えて長子相続制などを取れば
その国家の経済は非常に強力となりそのことでその国家が強力になり
じゃあ、かつて「チンポをしゃぶったことのある」男はどうなったかということを、これから書いていこうと思う。
女性やゲイといった、具体例がわかない人には【大島薫】という人の人生を読んてほしい。俺は彼ではないけど、男なのにチンポをしゃぶって、しゃぶられて、彼女だけをつくって、ちんぽでアクメして、されて、女とだけと結婚して、自分の子供が欲しいし、射精と前立腺の快楽を享受したかった、ということを書く。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B3%B6%E8%96%AB
いきなりカミング・アウトすると、俺は「中年童貞で、益田界隈では(KKO)で結婚してはいけない、社会最下層のヘテロセクシャルなオッサン」である。それでも、かつてはバイ・セクシャルだったし、性の究極点を求めていたのだ。それが、なぜにヘテロ・セクシャルに落ち着いたのかを、つらつら書いていくことにする。今となっては、増田の「毛の生えたちんぽを舐めたい」なんて反吐が出るし、つまりはゲイ野郎も大嫌いだし、エロは「女に当然に中出し、漫画に至っては受精シーン」を要求する。それでも「中1までに男と女にセックスをして、ついでに男に掘られて前立腺刺激からの射精で気持ちよくなる」ということができなかった人生は後悔しているのだ。だから、元バイ・セクシャルの懺悔を書いていこうと思う。
ところで、俺もちんぽをしゃぶったことある。12歳ぐらいのときに、日能研に通っていた同期の男の子のペニスをしゃぶってみたんだよ。理由は思い出せないけど、受験で疲れていたからだと思う。彼はまだ毛が生えてなかった。その時は、包茎ちんぽを剥いて勃起させてハードにジュポジュポしてみて、途中で「ヤバいのがくる」からやめろって言われて、ストップさせられたから彼を精通させられなかったけどね。今となっては、もったいないことをしたと思う。当時はちょっと塩っぽい、カウパー腺の分泌液をもってして、他人のチンポってこんな感じか、と思ったものよ。いまとなっては、そこを超えれば精通させてあげれたし、他人の精液ってこんな味かと知る機会を失った。そして、増田の言うとおりチンポの感触は忘れられないのも、事実だ。
ただ、自分は当時、プラトニックな関係の彼女がいたのだ。それで、チンポをしゃぶったあとで後ろめたさはあった。ただ、匿名でこんなことを言うのはあれだけど、神に誓っても良い。チンポをしゃぶったことがあるのは、本当にこのときの1回限りだ。
そんで、中学受験の果に、中学に入って、当時はオナニーを知らなかったから、同期(♂)にオナニーの方法を「手コキされて」教えてもらって、あまつさえ別の同期(♂)に「フェラされて」抜いてもらったことある。いま思い出すと、キツネ目で女顔の中1男子に「いま、イッタでしょ?」ってニヤニヤしながら「手からドロっと滴るマイ精子をみせつけられたシーン」とか懐かしいし、そいつの無理やりシコシコする手コキは痛かったし、さらに別のヤツに「いきそう!」といった瞬間に激しくなったフェラは下手くそだったけど、おっさんとなったいま思うと、青春だったと思う。当時の「オイラのペニスはでかい」っていう噂を聞きつけて、何人かの男子にマイ・チンポを手コキかフェラで「抜いて」もらうイベントが発生した。概ね、施設か公園の多目的トイレに入って、まずはチンポをフルボッキさせるのね、お互いに。オイラのちんぽは中1で 14cm あって、しかも太くて、長さと太さで負けたことはなかった。なんだったかな、チンポはオナニーすると腹側が伸びるから、努力しろってアドバイスもらったけ?そんなこんなで、かぶと合わせしたり、触らせてー、舐めてみても良い?、となって手コキかフェラでシコシコしてもらって、オイラが射精したら、お開きというのがルーティンだったかな。そんなときに限って「あっ///」みたいな、こもった声が出ちゃうのだ。自分でシコるときには声が出ないのにね。そんなこんなで、男に手コキとフェラで抜いてもらう経験を、1年間で 6人に 10回ぐらいやってもらったのだった。
もちろん、抜いてもらった瞬間はすごく気持ちが良かったが、当然にイジメの対象になった。たしか、ちんぽデカ夫、とか言われたっけ? それで辛くて、『性』が嫌いになったよね。チンコがでかくて、ホモが近づいてくる、そんなヤバイやつというのが当時の俺の評判だった。女にも「ちんこでかいの?」「誰に抜いてもらったの?」と聞かれたっけ。どいつもこいつも「私(女)とセックスしよう」というやつはいなかったが。そんでもって、未だに童貞であるし、そのことに不満はないが、それでも後悔しているのが、男の同期にちんぽを尻穴に突っ込むか、突っ込んでもらって男色の世界を知ろうとするチャンスをロストしたことだと思う。当時は、絶頂の果てに罪悪感がマックスになっていただろうが、性欲マックスのあの頃にしかできないであろう、男のケツで射精するのはこんな感じであるとか、他人のチンポを穴に入れられると気持ちいいとか、あのときに知っておきたかった。当時は性欲でホモになるのが怖かったし、自分の子供ができるのも怖かった。エレクチオン・バトルしたあとに、自分の射精を終えたあとで「お礼に」ケツ穴を差し出せば良かったのだろうか。中高を通してヤリ目的の彼女はできそうだったが、ヤった後で振る方法がわかんなくて、デートが続かなかった。ヘテロなセックスは子供ができるのが、どうしても怖かったのだ。それに、小6のときの本当に好きだったあの娘と橋の下でキスしたあとに、無理やり押し倒してセックスをやれば脱童貞の果に、子供ができたとしても良かったのだろうか、という気持ちが「女に対する性欲」を打ち消してくれたのは、自覚的だった。俺は、今もあの娘のことが好きだ。消息は知らないし、今の俺に彼女を幸せにできる余裕はないが、彼女の笑窪はどうしても忘れられない。
中1までに性欲の向けた先の限界を知れば、のこりの中高5年間を勉強に突っ走り、その後の人生は安泰だったのかもしれなかったが、もはや KKO になってしまったので過去はどうでも良い。童貞ではあるけど、風俗店なんかに絶対に行かないのは、小6・中1のときの自分に戻って「タダで男と女にセックスできる」可能性が「自分にはあった」ので満足しているし、オッサンとなった今では「子供がほしいから女とセックスしたい」という気持ちだけが残ってしまったので、おそらく『今は』ヘテロ・セクシャルだろう。だから、増田のように「成人男子のチンポをしゃぶりたい」というのはわかんないけど、俺のような「若い頃はちんぽをシャブリ、シャブられた果に、ヘテロセクシャルなオッサンができあがるよ」というのは教えてあげたいと思ったのだ。だから、この駄文を書いている。
これからは、ヘテロ・セクシャルなおっさんが、男色に無関心となっていく理由を書いていこうと思う。今は、男性器が嫌いというか、少なくとも舐めたいとすら思わない。要は、他人のちんぽにそそられる理由が、年齢と比例して低下する根拠を書く。それなのに、相変わらずマンコは舐めたいし、ペニスでワギナに射精はしたいのだ。これはどういうことなのか?はやい話が、オッサンになったのだ、この俺が。
確かに、俺は小6のときに「毛の生えていない包茎ちんぽを無理やり剥いてフェラして、あと少しで射精できただろうという経験」は忘れられないが、今は全然に興味が無い。少なくとも、無料で、無罪で、日本がアフガンみたいな世界になっても「絶対にしない」と思う。なんというか、「あのときに」新品のチンポを舐めたという記憶が、性体験として自分の中では至高であっても、「ガキのチンポ?、全く興味ないよ」って言える。何故か?
たとえば、覚醒剤中毒者が「至高のエクスタシー」を知っているかもしれない。俺も、若いときには「それを知ってみたかった」のだ。だって、これだけ批判されるのに、彼らは消えないからね。ただし、逮捕は嫌だったから絶対に手を出さなかったが。でも、アナルなら逮捕されないらしいので、試してみることにした。芸能人にホモだから追放された人は、少ないからね。
それで、結果として、ゲイの連中も覚醒剤中毒者が主張するような、前立腺という「肛門性交は中毒性があって、ノンケであってもハマるし、知ってしまえばマンコはアナルに劣る」という主張が、無理だったことに気がついちゃったのよ。主に2つの理由で。
ひとつめの理由は、ホモになる努力、たとえば前立腺で絶頂することに投資してみたけど、巷で言われるほど気持ち良い体験が得られなかったのだ。デイルドーで突いてみたけど、ウンコと血が混じったものが出てきて、そりゃゲイは HIV にかかるわー、とすら思った。そして、受け側のゲイでも全員が肛門性交で絶頂できていないことが 5-MeO-DIPT という「ホモ御用達」の薬物が違法化された事件で明らかになった。つまり、被挿入されるゲイの連中は、実は全員が絶頂できていないことに、俺は衝撃を受けたのだ。ホモは嘘つき、ってね。
ふたつめの根拠は、俺はどう頑張ってもマンコが大好き人間で、マンコが気持ちいいだけでなく、次世代を生み出す「ゲイには絶対に提供できない」偉大さに気がついてしまったのだ。マンコは偉大。なんと言っても、男の俺が持ち得ない子どもを提供してくれるからだ。どうしても、ホモは妊娠できないからね。
まぁ、なんだ、自分が「ホモでは無い」ことは死ぬまでわからんと思うよ。俺もわかないし。俺も「ちんぽを舐めたい」と思ったのは、小6から中1までだもん。個人的には、冒頭のように「誰かを射精させて、精子を飲んでみたかった」時期がありました、ってことは事実だし、実際にやった過去はありました。今はヘテロ・セクシャルを自覚してるし、当時はチンポを舐めると「歓んでくれる」人が周りにいただけで、本当は「チンポが好きじゃなかった」ということに今はしている。それに、俺には、もう「チンポを舐めると歓ぶ」人がいないだよ。なぜかというと、俺はオッサンになって、もうチンポを舐める価値があると思える人は、誰かのものになってしまって、奪うと確実に「恨まれちゃう」年齢になってしまったのだ。それで、おっさんになった俺が「こいつのチンポをしゃぶりたい!」ってヤツと、俺に「こいつならチンポをしゃぶらせよう!」ってやつもいなくなったのよ。つまり、バイ・セクシャルの「男☓男」「女☓男」は、前者の方が早期にマッチしなくなるのだと気がついたのは、おっさんになってからでした。あ~あ。
というわけで、おっさんからみたら、「マンコ」が好きな男は、若いうちは「チンポ」が好きでも問題ない。そんでもって、おっさんになっても超越した性的経験で「オーバーライドされて、ホモセクシャル化」されることは、すくなくとも俺はなかったし、ネットではみかけないし、大丈夫なんじゃないかと思う。仮にホモになっても、子供がほしけりゃ、精巣に注射して、静止を取りだして顕微鏡で受精卵を作って、子宮に戻せば良いだけだ。ただし、産んでくれる相手がいたらな。
... 以上、つらつらとオッサンの後悔を書いてきたわけだが、結語として「もし俺が小6に戻れたとしたら、どう生きるか?」ということを書く。まぁ、そりゃ、小6のときにコンドームを薬局の自販機で手に入れて、あの日に橋の下でキスした後に好きだったあの娘を押し倒してセックス漬けの日々を過ごし、それと同時に塾では「浮気して」チンポを貪り食い、中学に入ったら小学校の関係を捨て、更にはアナルでイクことを教えてもらって、中高大はマンコするだけの彼女をつくってヤりたい時にマンコしつつ、その一方で発展場でアナルの皆楽を貪り、資格をとって社会的に安定を獲得し、ちょうど『バイ』な性欲が両立できなくなった頃に「子供がほしいから」という理由で『ヘテロ』セクシャルに転換し、若くて美人で貞淑な女性を娶る、って人生になったわけだ。それは、それで地獄だな、って書いていて思う。そして、そんなことしてたら愛の無い子供をつくるか、H*V 拡散者になってただろうから、しなくて KKO と言われても全く恥ずかしくない。でも、いま小6に戻れたら「男に与えられた、前立腺の歓び」と「男に与えられた、射精の悦び」と「男に与えられた、孕ませる喜び」の3つを全力で獲得しにいく。絶対にだ。
結論。男においては「男好き」と「女好き」は両立する。それに、「男好き」の対義語は「女好き」ではない。それだけは、理解してほしい。あとは、自分で考えろ。そして、後悔しない行動をとれ。なんと言っても、時間は巻き戻せない。
そりゃ敵が発する言葉を素直に聞くのは辛いよ
チンコ!って軽口言われても腹立ってそいつのチンコ引きちぎりたくなるよ
でもさ、自分が幸せになれたかもしれないことに固執するより今の自分が幸せになることをやって欲しいと思うわけですよおじさんは
ワクワクチンチンやねえ、と言いながらオバハンはチンコ咥えこんできた。
見た目と喋る内容はどこに出しても恥ずかしくないオバハンやけど
フェラがすごい。
今は汚えオバハンやけど多分これは相当ソープでやってた口だろ。
あっという間に果てたけどオバハンやからそれで終わりにはしない。
そんなタンパクのやったら客がつかんのやろうね。
オバハンがどうやってるんかしらんけどチロチロ舌動かしてくるんがたまらんくらいくすぐった気持ち。
固くなったところでオバハンがまたがってきたんやけど
そこからはあんまり楽しくない。まあオバハンとやったところでなあとか醒めてたら
空気を察する力がオバハンやのにすごくてすぐに抜いてこっちを四つん這いにして穴舐めてきた。
流石やねえ。
『プロミシング・ヤング・ウーマン』観て、めっちゃもやもやする女性
似たような経験はあるし(回されたわけではないが)、
フェミ嫌いな私が歩み寄れるきっかけになるかもしらん……と思って観てきたが、
そもそもこの作品を、女性vs.男性の映画として語ること自体がよくわからん。
「女が男にひどいことをされる話」じゃなくて、「非対称な力関係によって起こされる加害と被害の話」じゃないの?
主人公が当事者ではなく「被害者の友人」であり、彼女を崇拝し、同一化しているというところに対する言及が少ないところも気にかかる。
シスターフッドなんじゃない。共倒れからの加害を連鎖て、絶対回避したいやつじゃんか。
脚本すばらしくて会話はサイコーだし、美術やファッションも女心がびんびんになってしまう可愛さだし、音楽もめっちゃクール。
しかし、この映画を取り巻く言論空間が、どうしても気持ち悪くてしょうがない。
残念ながらチンコおじさんが絶えることはない。
チンコおじさんだけではない。
加害は絶えることはない。
そして当人にその罪業を心から理解させ償わせることは、だいたいできない。
私はできなかった。父親に暴力を認めさせることも、むりやりホテルに連れ込んだ男を社会的に殺すこともできなかった。今もできる気がしない。
「男性はすべからく―傍観者含め―女性を害なす可能性があるチンコだ」
ではなく
「チンコおじさんと飲酒の場を共にしようという成人女性は、自衛手段を持って臨むべきである」
「傷を受けた者の役割は、傷の再生産を防ぐよう尽力すること、そして被害者を抱きしめることだ」
だと思う。
ヤリたくなけりゃチンコとは飲むな。
飲むなら「ホテルいこっか」のサインは3回くらいあるから見逃すな。
飲み代は男に払わせるな。
多分増田はまだマシな方。男はちんちんwちんちんちゃんと洗えよwとチンコの存在についてオープンに語る機会があるがマンコの存在はひた隠しにされタブーとして扱われてるから興味ない女は正しい洗い方とか調べなくて当然
チンコの大きさ以外の全部