はてなキーワード: エマとは
まず最初、なんとなくシャドバを初めてみたんだ。そんで、微課金してちゃんと組んでみたら面白いこと。それから毎日夜遅くまでシャドバをやった。
そのうちに実際のTCGもやってみたくなった。友人のTCG勢にアドバイスを受けて、シャドバからならMTGがいいんじゃないか、と言われ、取り敢えずお試しで店に行ってみた。そこからあれよあれよと言う間に万単位で金が飛んだ。
カードゲームを知っていくうち、俺はここでやっと遊戯王とデュエマの区別が付くようになった。恥ずかしながら、今まで全く同じものだと思っていた。
デュエマはMTGと同じ会社のものだと知って、こちらも少し調べてみた。ちょっとアニメも見てみた。見事に主人公が可愛かった。
そして今日、生まれて初めてコロコロを買ってみた。MTG初めた時より遥かに恥ずかしかった。が、これが中々面白いではないか。
花の女子大生(笑)から大きなお友だちにクラスチェンジしてしまったようだ。
つまり何が言いたいかというと、全ての始まりであるシャドバすげえ。ゲートウェイドラッグやんけ。
もっとゆっくり遊びたかったけど、ネタバレが怖くておちおち増田も読めなかったからね。
全体的には大満足。
途中までは完全一本道シナリオや、一部オーブの雑な入手、船で上陸できる場所が限られてる等で「やっぱDQ3は越えられないか」という感じだったが、ベロニカがああなって全て吹っ飛んだ。
ドラクエでここまでショックを受けたのは初めてだよ…。
でも話としては筋が通ってるし、エアリスみたいに何のために死んだのかよく分からないのよりはずっと良い。
そしてエンディング後のおまけでベロニカ復活かと思いきや、おまけってレベルじゃないボリュームの冒険が待っていた。
遡行後は各町のイベントが攻略順自由で、一本道感がなくなったのも高評価。
パラレルワールドとしたら残された人たちが可哀想、パラレルじゃないなら崩壊後の感動展開が全部なかったことになる、と。
プレイ中は「うるせーそんな事よりベロニカだ!」という感じだったけど、改めて考えてもやっぱりベロニカ優先だな!
マルティナは「残されるイシの村は私たちに任せて」とか言うしね。あっちの世界はパラレルとして続く前提でしょ。
そして上のセリフ通り、仲間たちは主人公の選択を受け入れてる。
セーニャは姉も主人公も失ったって言われてるけど、あの世界ではどうあってもベロニカは生き返らないんだし、たとえ別世界でも姉(と別世界の自分)が主人公と元気に暮らしてるならセーニャ的には救いじゃねーの?
エマと母ちゃんは…描写はないけどたぶん挨拶くらいしたよ! 別に急いで過去に行かなきゃいけない状況でもないし。
世界を見捨てた? 一応魔王は倒したんだから、いつまでも勇者に頼るなよ。
てかダイの大冒険じゃないけど、平和になった世界に勇者は不要なんじゃないかとも思う。
お前を倒してこの時間軸を去る…!
ダイと違って王族だから迫害こそされないだろうが、あの強大な力は良かれ悪しかれ注目を集めるじゃん。
結果的に世界崩壊のきっかけを作ったのも事実なので、遺族の中には恨んでる人もいるかもしれない。
その点、遡行世界の住民は魔王も邪神も知らず、最近魔物が強くなったな程度の認識で終わったから、主人公も村で平和に暮らせるんじゃなかろうか。
聖竜からまた戦えって言われた?
あれはメタ的にDL版DQ1とか次回作とかをやってねって意味だよ!
基本的にドラクエの主人公は目的を達成すれば、その後戦いに駆り出されることはないよね。
オンゲとしてサービス続ける上で仕方ないけど、次から次へと世界の危機が襲ってくるもんな。
話を戻して、ベロニカの死による感動と、ベロニカと一緒に旅ができる喜び、両方のいいとこ取りができたので俺は全く不満はない。
「で?フェミは俺達を救ってくれないの?うわー、差別だぁ。ダブスタだぁ。一貫しろよー」といいながらニヤニヤしてる余裕が透けて見えるから
大体何を望んでるのかわからない。
「女をあてがえなんて言ってない!!」っていうけど「弱者男性がパートナーに選ばれない不幸」を嘆いてるし
モテないことでプレッシャーがかかるのが問題なのかと思ったらエマワトソンの「モテなくてもプレッシャーのかからない社会にしましょう」には噛み付くし
結局女がほしいのかと
童貞云々はおいといて、これだよな。
強者→弱者に対する「気にすんな」って言葉はおもっきしマウント行為なのに、
強者の輪の中では「アンタはえらい」「思いやりがある」「やさしい」という評価になる。
馬鹿か。
自分らが葡萄を取り上げられたら途端にうろたえる癖に満たされてる状態で言ってくる。
みたいな態度を取れるのがまさに強者の態度だよ。
そんなもん弱者男性は求めてないのに聖人ぶりたくて自己顕示欲に利用しようとする。
偽善どころか真っ黒な悪だよ。
変な気遣いをせずに空気のようにいないものとして扱うのが最善だから。
それ以外は何の解決にもなっておらず弱者男性に剣山ぶつけるだけってことが強者は理解できない。
フェミニストは女性差別を是正する為の運動でホームレスなどの弱者救済は別の思想だろと、しかもフェミニストが弱者男性に言及したらエマの時みたいにヒステリックに叩き出すくせに何がしたいのか
しかもそういう本人は自分より弱い弱者男性を救おうと全くしてない、フェミに救えと騒ぐ前に自分がホームレスとか救ってやれや
要するに金持ちの王子様女がキモくて金のないおっさんとセックスして結婚しないから俺は不幸なんだー俺を救えーって恥ずかしげもなく騒いでる訳やんアホかと
男性専用車両の署名を集めてる人も、全然集まらないフェミが協力しないからだと騒いでいたけど、女性専用車両を叩いてる人が何で男性専用車両でそこまでフェミに一方的に救ってもらおうと思うのだろう
何か幼児みたいだ
なぜエマワトソンがその素晴らしい表明をしたのか、今まで誰もしなかったのかというと
既に指摘されてるとおり、それが実現性ゼロで誰も救われないからだよ
そういうできもしないことを言って感動させるってのは既にジョンレノンで通り過ぎた道でしょ
今2017年現代でそんなこというやつは馬鹿か承認欲求・自己顕示欲満たしたがってると思われるから誰も言わないわけ
言うとしたら自信を持った実効策とセットで表明される
実行抜きならまだしも自分が強い男と楽しんでるエマワトソンが言ってもまるで説得力がない
これがエマワトソンじゃないどっかのおばさんなら乞食が政治語ってるのと一緒でスルー余裕でした
いったいどこの世界の「リベラル」が、君個人の「性的嗜好」に対して「それは差別だ」と名指しで批判したのか。
君が個人的に楽しんでいる「公に表現されたコンテンツ」への批判を、君が勝手に個人攻撃と受け取って騒いでいるだけではないのか?
「人がリアルでやっている恋愛・セックスとは違って、表現物が批判の対象になるのは分かる」と君は言ってはいるが、その実
「人(エマ)が公にしているわけでもないプライベートを暴き立ててお前の思想がどうだと槍玉に挙げ」、そして
「公に表現されたコンテンツへの批判を『俺個人への差別』と憤る」ような君の行いを見れば、
「俺の個人的なことは個人的なこと。お前の個人的なことは政治的なこと」をやっているのはまさしく君の方だ。
「世間様から迫害される弱者としてのオタク像」に閉じこもって、「差別だ!」というポリコレ棒を振り回し、
気に入らない他者(別の弱者)を不当に殴りつけながら自分は安全圏にいる、そういう醜い行いをしているのはまさしく君自身だ。
はっきり言うが、誰よりも君を差別しているのは君自身だ。誰も君という個人のことを差別などしていない。それは君が勝手にそう思い込んでいるだけだ。
たとえ誰から個人的な侮辱や軽蔑を受けたとしても、君自身が自分を信じているならば、堂々とそれを受け止めればよい。卑屈にならず主張すればよい。
「オタク」などという大きすぎる一人称で語らず、「俺は」と語ればよい。君が世間から身を守るために被るその「殻」は、君を閉じ込めている檻である。
これまで(旧来の)フェミニストは男の個人的に見える行動も糾弾の対象にしてきたわけで
それならその過去と今回の発言と自分の振る舞いについてどう整合性つけんだコノヤロってこと
そして非難してる男の方にはエマよりもむしろこれまでのフェミの姿が見えているし、
実際あいつらはエマが何と言おうと、これからもそういうのをやめやしないだろう
エマを肯定して「個人は個人」で全て通るのであれば、男についても同じことが言える
(フェミに賛成しつつ家では家父長的に振る舞ってもよそから文句言われる筋合いはない)し
これからも干渉を続けたいなら、むしろフェミの方こそエマをぶん殴らないといけないわけ
(というか実際に批判もされている)
いや、Twitterをエマワトソンで検索したら呆然とするレベルの馬鹿男がズラズラでてきてアンチフェミって本当に脳みそないなと驚いたけど
何と戦うかって、そりゃ今でも個人の自由に干渉する気満々の旧来のフェミニスト共じゃないの?
元記事は、エマワトソンの演説の社会的な意味合いを説明するのに、
ドラえもんのとあるエピソードを引用してわかりやすく説明しているわけで、
ついでに、「ドラえもんのこの話にはこういう含意もあるわけで、それは
社会的弱者を描く藤子不二雄の作家としての能力の深さだね」と結論付けているわけだけれども、
一体そのどこに不満があるのかが、君の書き込みを読んでもよく分からない。
というより、エマワトソンの話自体がよく分かってないんだろうなと思う。残念なことに。
そもそもこの話が「ダメな自分と結婚する未来が訪れないようにしずかちゃんを遠ざけようとした」って話だってことは一ミリも否定されてない。
ドラえもんの話に含まれるそういう深い含意に気がつかなくても、もちろんドラえもんを楽しむことはできるし問題はないんだが、
「幸福を与えられること」を幸福と考えるか、「幸福を得るための活動ができること」を幸福と考えるか
前者が保守、後者がリベラルという風に思った。幸福に関する前提が違うんじゃないかね。
前者が、自分以外には与えられているはずの幸福を自分には与えられていない、と感じた時に、「反・幸福主義」に落っこちるんじゃないか。
「バッドフェミニスト」や「一人一派」なる裏技を使ってしまった時点で、もはやフェミニズムは社会正義ではない。
「男女の交換可能性」や「個人的なことは政治的なこと」という正しい理論で当初はフェミニズムを進めてたのに、自分たちにデメリットがあると判明するやすぐそれらの理論を取り下げてしまうフェミニズムは学問ですらない。
社会正義でもない、学問でもないヘンテコな思想になぜ男性が協力しなければならない?
フェミニズムに協力している男性のQOLが上がっているかというとそういうことでもない。
フェミニズムに親和的な男性を女性が好むかというと、そういうことでもない(むしろ反フェミニズム的な男性の方が子孫を残せている)。
フェミニスト女性は妻帯者(家父長)やモテ男の意見を重視し、しっかり耳を傾けている。つまりフェミは家父長制やロマンティックラブイデオロギーに対して何の抵抗もできていない。
フェミニズムを遵守するメリットが男性には無い。「フェミニズムに男性は協力するべきなんです!なぜならそう決まっているから!」としかフェミは言えてない。
フェミニズムに従っていても、凡庸な男性の人生はジリ貧になるだけです。ならば、凡庸な男性はフェミニズムを蹴っ飛ばして、いろいろなものを手に入れていかなきゃならない。
フェミニズムが凡庸な男性に何か与えてくれるのなら、凡庸な男性はアクティブに動き回らなくても良いし、フェミニズムを蹴っ飛ばす必要もありません。
しかし、フェミニズムは凡庸な男性に何も与えてくれないのだから、我々としてもフェミニズムを蹴っ飛ばして、いろいろなものを手に入れる冒険に出ていかなきゃなりません。
なので、私はこれからフェミニズムを蹴っ飛ばして、愛する人と結婚して、フェミに文句を言われない家父長の立場を得ようと思います。
そして、オタクを擁護していきたいとも思います。オタクは性の改革者です。オタクには、フェミの保守的な性観念をぶっ壊していってほしいです。
参考URL:
http://b.hatena.ne.jp/entry/332400892/comment/masudamaster
『「男らしさを捨てて女性と円満な関係を築くこと」それ自体が男らしさを必要とするのである。』
http://b.hatena.ne.jp/entry/342597199/comment/masudamaster
「男らしさを捨てた俺と恋愛してくれる女を屏風から出してくれよ、エマ。出せないのなら、俺は男らしさを捨てられない。」 例えばはてなメスがメロメロになってるオリラジのあっちゃんは男らしさを捨ててないからな
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/342597199/comment/masudamaster
V6のいのっちも同じく、全然男らしさ捨ててません。女性が想定する「男らしさを捨てたイケメン」というのは実際は男らしさを全く捨てていません。この事実について、女性からは何か意見がありますか?
https://anond.hatelabo.jp/20170801224924
https://anond.hatelabo.jp/20170803150448
https://anond.hatelabo.jp/20170803150448
(文:masudamaster)
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エマは一流大学の学生や(同じ大学の同級生)俳優やミュージシャン(仕事で知り合った同僚)などハイスペックな男性性の強い男と付き合ってるじゃないか!!
と非モテがヒステリーを起こしてたけど、ハイスペックだから男性性が強いというのがそもそもスッゲー勘違いだ。
有名大学に入れる知能、美貌、仕事での世界的成功、そもそも彼女クラスのスペックが世界にあまり居ない。
2010年11月、『デイリー・テレグラフ』紙のインタビューで過去の恋愛について「男性って恋人の方がたくさん資産を持っていたりするのはあまり良い気分がしないのよね。そのことで関係が複雑にならないように願うばかりだけど、慎重にならないとね。」と語っている。
フェミニズムとかリベラリズム、もっと言うと保守でもいいんだけど、
基本的にはそこで争っている。
「女がもっといい思いできる世界、虐げられない世界」を目指すのがフェミニズムなわけじゃん。
で、それってそもそもそういう欲望とか希望に向けて駆動しているイズムなんであって、
そもそも「みんなのこと」についてのモデルではなくてもいいわけじゃん。
ただ、「女がもっといい思いできる」っていうだけだと摩擦が色々生じる。
「なんだよ、女だけかよ」みたいな。
って、わけで各種もろもろ社会との調整でやっぱみんな自由がいいよね、ってことにもしとこう。
んなわけでリベリズムに接近していく。
リベラリズムも超簡単にいうと「自由がいい」っていう話じゃん。
自由だと幸せ。でも完全に自由(リバタリアン)だと色々不都合も起きるから、
意図的に自由が最大化するような制限をして調整するよっていう。
(ここでの「意図的」がお前らの都合じゃん!みたいなツッコミとかが入れられてるわけね)
めっちゃカリスマあるやつに任せた方が色々話が早いからそうしよう、みたいな。
それはそれで「それが我々の幸せにつながるのだ」と信じて歴史的に選択されるわけじゃん。
で、それも賛同するかどうかはおいといて「分かる」よね。
で。でね、反・リベラルとか反・フェミニズムってそうじゃないじゃん。
ようは「幸福になるために邁進してるやつにケチつける」っていう。
フェミズム/リベラリズムの限界とか本性とかいって貶すのやたら好きじゃん。
そこはいいや。
別になんでもいいのよ。
「エマみたいな女は生態系のバランス取るために非モテブサイク金なしと結婚せさズム」とか、
「俺以外全員俺の性奴隷ズム」とか。
誰も賛同してくれないかもしれんけど、超わかる。意味がわかるじゃんね。
ああ、そういう世界を望むやつってわかる。
めっちゃ好きに女蹂躙して、でもそれが俺の幸せなんで、その世界目指していきます!
レッツ!ハッピー!
それに向かってフェミやリベと戦うのって「分かる」んだよ。
だけど、反フェミニズムとか反リベラリズムはそうじゃないよね。
違う。
で、要はどういうことかっていうと。
俺より幸せなやつは死ね、そして大概のやつは俺より幸せなんで大概死ね、って話じゃない。
これはいかんよね。
あとに続くところがない。
「絶対にこないだろうけど、でも頑張って成り立たせたい世界」について、
いろんな陣営が戦うことについて、私は普通のことだと思う。超あるあるじゃん。
でも、とにかく反フェミニズム反リベラリズム的なものに汲みしているやつは、やばいよ。
幸福に至るための歩みじゃないわけじゃん。
とにかくなんらかの幸福に進むためのイズム「では無い」わけじゃん。
これは圧倒的にやばい。
だって、どう考えてもその反なんたら主義者が幸せに至る方法が無いんだから。
そのうざいやつの位置に立って自分がキャッキャッうふふしない限り、
キャッキャッうふふしようとする気はないけどキャッキャッうふふしてるやつは殺したい、
これが実はフェミニズムやリベラリズムが戦わなくてはいけないものだと思うわけ。
なんでって「この自分が幸福になれるであろう世界のモデルを持てない人間」というのは、
ある意味、リベラリズムが徹底された世界においての最弱者であるから。
まあ、よく言われることかもしれないけど、そういう反幸福主義者的なものが出てくるのって、
ようはフェミニズムはリベラリズムが結構な成功を納めちゃったことに起因してる。
平等だか自由だか知らんが俺の世界でキャッキャッうふふしてんじぇねえ!っていう怒りは、
やはりかなりたくさんの人間がキャッキャッ調子に乗り始めてるところによる。
昔、赤木なんとかいう人が似た感じで「希望は戦争!エリートどつきたい!」とか言ってたんだけど、
<希望は戦争!とか文章で書いちゃう奴>は戦争ガラガラぽんなってもどうせ、どつかれる側だわって思った。
そんな感想とよく似た感じで反なんたら主義者は、なんたらが敗北してもどうせどっかで敗北してるだろうし、
masudamasterはフェミニズムが世界から消滅したらブクマする話題なくて死にそうだなって思った。
困った困った。