はてなキーワード: エマとは
ちょーっと前まで「倭フェミはクソ!エマワトソンを見習え!」とか言われてたくせに
エマワトソンってイギリス国内でも「男に媚びすぎだ!」と叩かれるほどの超・穏健フェミニストだぞ
そんなエマワトソンですら叩かれまくるなんて、もうフェミニズムは本質的に弱者男性とは相容れないんだよ。本場のイギリスの弱者男性はどうだか知らないが少なくとも日本の弱者男性は。
俺はまっぴらごめんだけどな
この糞くだらねえ「男らしさ」とか「男性」にかせられる枷に俺は何の魅力も感じない
その一点はおそらく重なりっていると信じたい
どうでもいいが「信じたい」と「新時代」って響きが似てるね
あれを見たけど、賛同する人はそういう風に生きていけばいいね!、と思っただけで何をそんな怒ることがあるのか不思議。
何が気にくわないんだ?怒っている奴はあの発言のせいで残高が10000円減ったの?
ふーんで流せないのは何故。
エマワトソンの言うところのジェンダーロール認識の責任や解放を男性だけに押し付けるような標語ってのどうなのって単純に感じたけど、なにゆえ非モテやらキモ金おっさんのちんぽしゃぶれみたいな話になってんだ? そもそもそんな話してねえだろ?
青識を百倍醜くしたようなキモ金おっさんの藁人形を殴って気持ちよくなっても意味無いって。
白饅頭が的外れに無理矢理切り取ったドラえもんのたとえ話のせいで話が横滑りしてるどころじゃねえ。こんな詭弁はてサにしか響かないぞ。うんざりしすぎてあのモーメントにブクマする気に到底なれねえ。
ロリコンは自分より弱者しか愛せんし、やたらにフェミを敵視してるし、裏切られた感があるんやろな。
世界的に有名な大学を出て世界的女優として大成してフェミニストとして国連で活動してみたいな日本男で釣り合う若者はまずおらん階層の女、しかもロリコンが大嫌いなフェミニストになられて、上から説教されたと思い込んで発狂しとるんやろなぁ。
あれを自称フェミまでもが擁護に回ったことの意味をもう一度よく考えてみよう
つまり我々は「私的領域だからあれもこれもセーフな!」と言い張れる根拠を得たわけだ
でも無理なんだよな、実際問題それをフェミが認めるわけがないんだから
なのでエマまでついでに責任を迫られずにはいられない地獄感がある
特に和製フェミ(これ使っちゃうよ)の節操のなさときたら異常で、
今日エマの擁護に回ったと思ったら、明日にはもう忘れて勝部元気とかのリツイートしてる
なぜこうなるかというと、あいつらは別にエマや勝部元気の何を理解しているわけでもなく、
始めに言っておくと、私はエマ・ワトソンは男性側にかなり融和的な方向性取ってるな、と思ってて別にエマワトソンになんら含むところはありません。
ただ、それでもエマ・ワトソンが述べている理屈にも論理的に穴はあると思ってるし全てに賛同できるわけでもありません。
それはフェミニズムでもメンズリブでもなんでもそうだと思いますけど。
「個人的なことは政治的なこと」っていうフェミニズムで重要な役割を果たしてきた言葉があります。
従来、個人的(プライベートパーソナル※指摘あったので修正)なことってのは公的(パブリック)な部分とは完全に分けられていて基本的に関係のないことです。
という前提で議論がされていました(1920年代以降の第一波フェミニズムのあたり)
例えば選挙権に関して言うと公的なことなのできちんと女性の権利を向上させよう。
といった具合に。
ところが第二波の辺りからこの点に関して疑義が呈されるようになってきました。
「実は個人的なことって政治的な事にものすごい影響与えてない?」
とか
「政治的にはこうだから、個人的なこともこうなっちゃうんじゃないの?」
っていうロジックが出てくるようになったんですね。
これは具体例で言うと
「女性ばかりが家事の分担をするのは、女性は家事をするべきという公的な目線が原因じゃないの?」
とか
「仕事を任されないので時間がある女性ばかりが家事をしてしまっている。公平であるなら男女の仕事の時間も同じになってその結果家事労働も平等化されるはずだ。」
とかね。
当然その観点で見た性愛や家族に関する議論もおこなわれました。
その中に
「男性が若い女性ばかりを性的な目線で見るから、女性がそういう行動をとるようになる」
今でもそういった議論の影響は強くて男性はそうした観点から有形無形の批判をあびてます。
例えば、不景気なので個人個人が銀行にお金を預けないでタンス預金していたら
市場にお金が回らなくなって結果的に全体で不利益を被る人が増えた。
つまり
「個々人で見ると小さなことなんだけど、それをマクロな視点で見ると社会に非常に大きな影響を与えてしまっている」
って言う話に繋がるわけです。
この理屈で行くと
という一見して社会的な構造とはあまり関連性のないように見えることが議論の上で非常に大きな論点になってくるわけです。
「女性が意識的・無意識的に強い男性を好むほど、男性も女性からの承認を得ようと強くなろうとする。その結果普遍的な女性一人一人の選択が家父長主義的な社会構造を維持することに大きな影響を与えてしまう」
という話に当然なってしまうんですね。
もちろん男性側の選択もそういった家父長主義を助長してしまう側面は大いにあって
若い女性を好むと、相対的に知恵も経験も薄い女性が選ばれがちになってしまって無意識的に家父長主義になってしまう、という側面があります(というか、フェミニズムなんだから当然こっちが主題だけど)
こういった人達が集合すればするほど社会に家父長主義的な風潮が増加しちゃいますよってことなんですね。
強い女性に指摘される「弱い男性を無意識的に排除してしまうと結果的に家父長主義が蔓延しちゃうだろうが!」
ってのが
「フェミニストは個人的なことは政治的なことを無視している」→「フェミニストは弱者男性を無視している」
というお話に繋がるわけです。
で、それを踏まえた上で「エマ・ワトソン演説」を見ると実は従来のフェミニズムに比べて大きく弱者男性に歩み寄った姿勢だと言えます。
つまりようやくフェミニズムが弱者の男性に目を向け始めた第一歩であると捉えられるわけです。
※もちろん以前からこういったことを言っている人は山ほどいるし、少し大げさな言い方ですけどね。でも影響力の強い人がこういったというのは本当に重要なことですよ。
なぜエマ・ワトソンが一部の女性から強烈に叩かれるのか、というのもこれで構図がわかると思います。
なので、その歩み寄ったエマに対していきなり「弱い男性と付き合えよ」ってのは話を進めすぎだし性急に過ぎると思いますね。
議論もまとまりきってないし、女性から男性への個人的・政治的な介入をどうすべきなのかについてはもっと違う方法があるかもしれません(強者女性がそのまま弱者男性を養うのが政治的にただしいこととするにはまだ理屈が弱すぎます)
ただし、エマ本人ではなく「女性一人ひとりの選択が社会に大きな影響を与える」っていうのに無自覚だった女性はこの点について大きな矛盾を指摘されているのも事実です。
もしあなたが「家事労働は男女平等に大きな影響を与えるので男性も考えるべき」と思っているのであれば
「女性が強い男性を好む事に無自覚である」という部分にも大きな注意を払わねばなりません。
エマ・ワトソン演説というのはフェミニズムにおいて、そういう意味で非常に重大な、一つのポイント・オブ・ノーリターンであったわけです。
男女が平等になるには男性に全てを任せるだけでは駄目で、女性自身もそういった社会に対するコミットメントが求められます。
「女性が無自覚に、強い男性ばかりを好きになり結婚してしまう」
というのは
の対比であり、厳しいことを言うなら
「強者男性に媚を売る女性は動物の本能のままに生きている獣のような女性」
と言うことに過ぎないわけです。
もちろん実際には全ての女性がそういった振る舞いをしているわけではありません。
というか一般的には色んな立場の男性に対して優しく接している人も多いですし、好みの男性じゃないからといって職場でゴミのようにあしらうなんてことしてる女性はまずいません。
若い女性が部下にいるからといってすべての男性がその女性を明らかにえこひいきしているわけではないようにです。
※環境で行動は左右されがちですし、男女どちらにも例外はいるものですが。
ここでは女性をメインにした話をしましたが、男性も改めて「個人的なことは政治的なこと」とはなんなのか考えてみるといいですね。
エマはフェミの中では穏健派ということになってるから一応筋は通ってるんだよ
ただそいつらが過去にラディフェミの尻馬に乗って散々他人を叩いてきたであろうことは
どうやらニワトリみたいに忘れちゃってるようだけど
↓
好きなように生きたらいい。
本来、恋愛主義を否定しているのであれば、エマワトソンが誰とつきあおうがどうでもいいはずである。
だからそこに拘泥する時点でそのオッサン自身が恋愛主義に侵されていることになる。
その上、なぜか日本のオッサンは「生物は子孫を残さなくてはならない」という自然主義的誤謬にも侵されているため、仮に恋愛を解脱してもこちらに苛まれる。
人によってはさらに、「男は家族を養ってなんぼ」とかいう男根封建主義にも侵されていて、どうにも重症である。
エマワトソンはそれらに縛られるな、人間として生きているだけで尊重されるべきだといっているわけだ。
ガチガチに縛られているとそういう言葉も届かないというのは悲しいことだが、それ自体、エマワトソンの主張の正しさを証明しているようなものだ。
いやいや、猿の世界でも隙を伺い隠れてセックスして種残そうとする弱い猿いますけど?
弱くても十分戦う方法あるんですよ。
繰り返すけど戦うこと自体を否定してくるってことは生存戦略的な行為を一切合切するなってことだから。
弱い男がそのまま子孫残せないのもワンチャン残せるのも本人たちに選ぶ権利があるのであって
外野で強い男と生存競争楽しんでるエマが言ってもマウンティングにしかなってないって。
自分だけ城の上から下々が醜い生存競争を繰り広げてるのを見てるから
「戦わなくていい、見苦しいので虚勢せよ」なんて感想が出てくるんだよ。
当事者の気持ちを一片も理解できてないのに、こうせよ、ああせよ、とか空論もいいところ。
そりゃこどもの喧嘩はしょうもないかもしれないけど、当のこどもらにとっては天下分け目の大いくさだから。
余計なチャチャいれるんじゃねえと。
てめーらフェミは現実に存在するわけでもない二次元キャラクターの好みについてあれこれ言うだけで
つまり誰かの個人的な好みは、別の誰かに対するあるべき姿の押し付けであると取られるわけだ
ここまで言えばもうわかるよな
彼女の彼氏がオックスフォード大学の男だと批判されたが、彼女もオックスフォード大学なんだから同級生と付き合ってるのは普通。
俳優と付き合ってると批判されたが、彼女は女優なんだから仕事で出会った彼と付き合う事も普通だろう。
彼女は男性性女性性に捕われず自由になれと言ってるだけだし、彼氏達が男性的かどうかなんて解らないのに男性的だと騒ぎ立ててたのも謎だ、彼らにとって高学歴や成功者=男性的なのだろうか。
この騒ぎを見ていて男性性にコンプレックスがある成功できなかった底辺非モテ程、男女差別が必要なんだろうなと感じた。
彼らは男として底辺だから、理由はないけど自分は男だから女より優れていると強く思いたいんだろう、だから成功できず男性性の底辺で苦しみながらその価値観だけは手放せないし、エマワトソンの言葉に何が何でも噛み付きたいんだろう。
ジェンダーロールから解放されましょう言ってる奴が男性社会の上澄みすすってたら、
そりゃいかがわしいに決まってるだろう
うなぎ保護とか言ってるくせにお前こっそり蒲焼き食ってるじゃねえか的な
そして個人的にはこれを「それとこれとは別問題」で片付けられないと考える
どうもエマ擁護派は単純に個人の好みの問題だけに矮小化するきらいがあるが、それだけじゃない
こいつだって今のシステムに取り入っていい思いしてるのであって、立派な当事者のひとりなんだよ
おまけにその変革を訴えてるくせに、自分はそのために一歩も動かずビタ一文出さねえということだ
だったらいったいどこの誰が、こいつの言うこと聞いて動かなきゃいけないんだ?
アホらしいにもほどがある