はてなキーワード: 芸術作品とは
動画を見てないのかわからんけど、「地元の子のその場の発言を芸術作品として取り上げた」って言い方はすごい違和感あるな。
地元の子は芸術作品として使われることを了承した上で、アドリブであの発言をし、
一見ヘイトスピーチですが、これこれこういう背景があって成立してる芸術作品なんです って説明はよく見かける。
しかし、そういうのは物理的な暴力で殴り掛かるモーションを見せて寸止めをされてるような気分になる。
うむ。ということは、津田大介が開催した「表現の不自由展」はつまり「表現の不自由というテーマに関した作品を並べて沢山の人に見てもらい、それで補助金をせしめるためのイベントだった」ってことで、ここで言う所の「表現者」もしくは「表現」を行ってる人間とは関係ないじゃん。
結果的にというかそもそもが「表現の不自由」ってタイトル背負った芸術作品があればよかっただけの話で、本質的に表現的に不自由な作品かどうかよりも「津田大介が不自由だと思った」作品が並んでるにしか過ぎないじゃん。
「表現の不自由」を展覧することはできても「不自由な表現から表現者を解放する」なんてそもそも目的とされてないよな?
ツイッターには才能溢れるオタクが溢れているなぁと思う、才能といっても私が言いたいのは、クオリティの高い絵や音楽などの創作物を作り上げる才能のことではなく、“オタクとしての人生を歩む”才能のことだ。
今から5年前、バイト禁止で、宿題がたくさん出る私立高校に通っていた私。当然、勉強は忙しいし、バイトもできないからお金もない、そんな私の日々の唯一の楽しみは、本屋さんで売ってる商業BL本をお小遣いで買って家でこっそり読んだり、録画してる深夜アニメを観ることやニコニコ動画でボーカロイドの楽曲を聴くことだった。
ちょうどその頃に、ツイッターとpixivを始めた私、これらのコンテンツで興味本位で同じ趣味を持つ人を探すと、そこには、同じキャラのグッズをめちゃくちゃたくさん集めて痛バッグを作ってたり、円盤を全巻3枚ずつ買って周りのオタクに布教してたり、自身で2次創作の同人誌を作って友達の輪を広げたり、推しの妄想や推しへの想いを毎日大量に呟いてたり、そんなオタクのお姉さんたちが大量にいて、「大人のオタクってすごいな」「私も大人になったら、こんな風に全財産つぎ込むくらい本気でオタクをするんだ…!」と思ったものである。
そんなこんなでオタクデビューした私は、高校1〜2年生の間は、勉強の合間に、アニメやpixivを見て、ボカロ曲を聴いて、クラスのオタク友達とそれについて語り合って、親に内緒でこっそり刀○乱舞に課金して、デッサン人形を買って夜中に一人でイラストの練習をしたりしていた。
たまに親から交遊費をもらって池袋に友達と同人誌を買いにいったり、早朝のりんかい線に乗ってはじめて即売会に行ったりとそれなりに楽しくオタクライフを過ごしていたと思う。
しかし同時に、「オタク活動にたくさんのお金や時間などのリソースを払える人=作品への愛や想いが深い人」という考えをしていた当時の私は、自分のオタク活動に物足りなさも感じており、「お金かけられないから、私は真のオタクにはまだまだ遠いな、そんなにこの作品のこと好きじゃないな」と変なことを考えてしまってもいた。よくよく考えれば、本当に好きなら、グッズや円盤が買えないくらいで作品への愛が変わる時点でおかしいのだが。
このときには、深夜アニメにもBLにもボカロにも飽きかけていた私、オタクであることをアイデンティティだと感じていた私は、次にハマれるものを必死に探していた。
そんな時、私はとある2.5次元ものの作品を見つける、作品名はぼかすため詳細は省くが、ソシャゲや3次元のキャストの公演、アニメなど多くのコンテンツを展開していたプロジェクトで、これから2.5次元系が流行ると言われている時期に合わせてデビューしたジャンルだった。私はこの作品に目をつけ、「よし、私は大学生になったらこの作品のオタクになってバイト代で円盤を買ったり、イベントに行ったりするんだ!」と意気込んだ。
大学生になり、月に5万ほどバイト代を稼げるようになった私は、サークルの友人との付き合い以外のお金はほとんど“オタク活動代”に回した。
円盤を買い、ソシャゲに課金をし、イベントに参加し、グッズを買った。
これで、私も真のオタクになれたと思った、でも、結局私は作品を愛しきれなかった。
買った円盤は一回観てそのあとはずっと引き出しにしまいっぱなしで特に見返したいとかは思わなかった。
ソシャゲの課金はなんだか、悪いことをしてるみたいな気持ちになって、1回1万円課金したら、もうするのはやめた。
イベントは楽しかったが、感極まって大泣きしてる友人ほど感動はしなかった。
グッズは買って後日、家で開けながら、「なんでわざわざたんなるキーホルダーを1000円で買ったんだろう」と冷静になった。
それと同時に、私は別のものに興味の対象が写っていることを感じた、服やコスメ、海外ドラマ、洋楽だ。これらのものは自分がたとえ実物を買えずに店頭で見てるだけだったり、円盤をTSUTAYAで借りてきて観たり聴いてるだけだったりとそんなにお金をかけてはいなかったが、そんなことは関係なく心の底から好きだと感じられた。
そうこうしているうちに、私がオタクをしていた作品のプロジェクト終了が発表された。飽和化した2.5次元ジャンルの中で、パッとしない存在だったその作品は多様な展開をしていたにも関わらず、いともあっさり全てのコンテンツが終了した。
そして今、コンテンツ終了に伴いオタクをやめた私は、少し高めの美容院で髪を切ってもらったり、ファッションビルに入ってるセレクトショップで奮発してちょっといい服を買ったり、友達とランチに2000円使って美味しい小籠包をたべたり、Spotifyで流行りの洋楽を聞いたり、Huluで海外ドラマを見たりしながら毎日を過ごしている。
大学では知り合いから「垢抜けたよね」と言われることが多くなり、SpotifyやHuluに登録したことで国を超えて多くの良質な芸術作品を楽しむことができるようにもなった。アニメ以外にもこんなに面白い映像作品がたくさんあるんだと感動した。好きなものに必要以上のお金をかけなくても、何も気にせずに、好きなものを楽しめるようになり、心は満ち満ちている。
今、改めて自分の志向について考えてみると、私は単純にシナリオが面白いものが好きだし、あんまりキャラクターに思い入れを持たないタイプで、そもそもオタク向きの性格ではなかったのかもしれない。
しかし、一つのジャンルを全身全霊で好きになってる“才能のあるオタク”をみると、話題作のドラマや流行りの服をなんとなく見たり買ったりとあっさりとした消費を続けている私は、時々彼らが羨ましくもなるのだ。
あるまとめ
https://togetter.com/li/1389648
その反応
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1389648
削除された言及
あいトリの問題については、本当に難しい。そもそももはや、こんな民度が低すぎる日本国内(あえて言っています)で「国際芸術祭」なんて開催できないということを証明してしまったようにも思う。
一言で言えば、格好悪い
政治的主張を込めた作品やイベント作っておいて、それへの世間の反応について、「芸術」という殻に逃げ込むなら、創作なんぞ辞めちまえ
向いてないよ
もちろん、今回展示された作品を「作った人」は逃げてない
でも展示したアホが逃げてる
表現の不自由が焦点で、それが含む主張の是非は問題にしていない、と
お前らが一番創作者に失礼だよ
な・ん・で・だ
芸術行為を行うこと自体に対して、あるいは芸術作品を鑑賞することにおいて、自信を無くしたり、シニカルになったりしないでほしい
じゃねぇよ
ズルは承知で先回りしていっておくと、この件については、私は正直ぜんぜん一貫していない(展覧会観てないせいもあるかもだけど、私自身、直接の関係者ではないけれども、やっぱり心理的に不安定なのだ)ので、一貫性は求めないでね。発言したことに責任は取らないということでは勿論ないけど。
コロコロ漫画にモンゴル大使館が抗議して作者が謝罪した件や自衛隊ポスターにパンチラのような絵を掲載して撤去された件が表現の自由の侵害ではないのと同じで、流石にそれはまずいというものはある。
例えば個人サイトで天皇を燃やす作品を作って公開するのならいいが、県や市から金をもらっている公の場でを展示すれば抗議されて当然なのでは。
チンギスハンに落書きするのも自衛隊ポスターでパンチラするのも天皇を燃やすのもOKという人はあまりいないのでは
■追記
非実在と非存命は違う。非存命でかつ実在の青少年をモデルにしたキャラクターをレイプする作品があって、それに対して抗議があったらその作品は非公開にするべきだと思う。
こういうやつって他の例えば後醍醐天皇の絵を燃やしてたとしてもなんとも思わないんだろうな。
明治天皇だったら怒りそうだけど、それ以前の天皇の肖像画を燃やすのは平気だったりするのかな?
大正天皇はセーフなのかな?
自分はそもそも昭和世代じゃないので昭和天皇が燃やされていてもなんとも思わないし、チンギスハンの顔に落書きされているのを見ても何も思わない。
でも、それに対して抗議の声が上がったら配慮をするべきだと思うよ。昭和世代の人にとっては天皇は特別なものなんだろうし、モンゴルの人にとってもチンギスハンは特別なんだろうから。
喜々として集まって灯油を投入しそう。
当たり前だけどそんなことはしない。
というか、逆に天皇を燃やす絵を表現の自由だと言って守ろうとしている人たちは仮に朴槿恵やムンジェインの肖像を燃やす絵を芸術作品として展示する場所があって、それに対して韓国政府が抗議しても表現の自由の侵害だ!って怒るの?モンゴル大使館がコロコロに抗議したときも表現の自由の侵害だ!って怒ったの?
iheettkun 「美術館で展示しようとしてできなかったものを展示する」というコンセプトだし、単なる政治的表現とは別物。そこを混同してネトウヨ的なものでバランスを取れと語る奴を見ると、展示の是非とは別にアホなんだなと。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4672395626145758498/comment/iheettkun
うーん、アホ
ってかんじだろ?? おまえほとんどアニメと映画しか見てないだろ??自分の知ってる範囲のことしか言ってないだろ?? それってお前が批判してる人と何にも変わらねぇじゃねぇか!
アニメは最近批評対象として主流になっているよ。お前が言ってるみたいなアニメを馬鹿にしてる批評家と、お前みたいな「てにおは」すらしっかりできてない批評家の意見なんか聞かなくていいんだよ!
確かに傑作をバンバン飛ばしているのだが、佳作も多い…というかクオリティの高さから何作っても佳作レベルにまでは持ち上げていた。
傑作の意味1:作品が非常にすぐれたできばえであること。また、その作品。
佳作の意味1:文学作品・芸術作品などで、出来栄えのいい作品。
「クオリティの高さから何作っても佳作レベルにまでは持ち上げていた。」ってなんだ??違和感を感じる。熟考で考えすぎて頭痛が痛いわぁ。評論家アコガレで難しい難解単語を使うと、後で後悔するぞ。
アニメは見ねぇんだよとか言ってる映画監督も、そんなこと言ってるから庵野の演出に超されてしまったのだと気付かないんだろうか。
「アニメは見ねぇんだよとか言ってる映画監督」って誰だよそれ??そいつの映画見たいから教えてくれよ!
サブカルがメインカルチャーになったこと。星野源が小林さんちのメイドラゴン主題歌を真っ先にかけること。
いい加減認めたほうが良い。置いて行かれているのことに気付いてほしい。
星野源や平井堅が評価しなくたってジャパリパークもおジャ魔女カーニバルも青空のラプソディも名曲だわ。 みんなが好きなものが好きでもそれでもいいのよ。
"映画"評論家の宇多丸さんも"映画評論家"評論家のお前さんも評価しなくたって、俺はおじゃる丸が大好きだわ!!
おじゃる丸見てねーだろ!アニメファンさんよ!! 見てくれよ!
傑作の意味2: 言動などが突飛でひどくこっけいなこと。また、そのさま。
あーーーーーーー!
でも気持ちはわかる!
札幌駅にある安田侃の作品と東京ミッドタウンにある安田侃の作品とは色違いで、やっぱりワープ穴を造りやすい。
この能力者の中で最も頻繁に用いられている径路だし、初めて能力が花開いた奴を教導するときもここを使うこと多い。
自分ワープと他者ワープがあるんだけど、自分ワープは自分のエネルギーを掴みやすいから先ずは自分でやるのが良い。
お腹の減りには注意だが。
他者ワープは逆に人選の方が大事で、同質量か同思念量か、その公約数接続でいけるから、コツさえつかめば結構楽。
スマホで連絡取りながらやればいい時代になった。昔は大変だったらしいぞ。
固定のクライアントを持ってるやつがいる。特定の二人と契約結んで位置を入れ替える商売している訳だ。
そのクライアントの二人ってのは厳密な契約結んでて、相手に要望があればなるべく答えなくてはならないらしい。
展示ディスプレイの業者のやつと、文具の卸のやつ。まぁ、こういう仕事だと東京~札幌とか需要があるんだろうな。
俺はそんな連中探すの面倒だからしないけど。急に連絡くるみたいだし。
俺もちょっとこの問題は気になっていて、安田侃の作品の中でも天秘だけは手を出さないでいた。
これやれば、東京~札幌駅~創成川を経由して香川とかイタリアとか新潟に行けるんだよね。だから結構事故起こる。
上級者によれば(といっても俺の知っているのはSNSで技術論語ってるいつもの3人だが)、天秘ワープに入る時に通常以上に吸い込まれる感覚がある場合即座にやめた方がいいらしい。
通常以上の吸い込み、なんてものはなってみないと解らないし、帰ってきたやつ一人もいないから、やっぱり怖い。
それくらいの警戒の情報しかなかったんだけど、能力者の中に天文学をやってる院生がいて、どうも小惑星帯に天秘そっくりの石があるみたい。
それで、その小惑星帯の石が天球にある状態でワープすると事故が起こる可能性あるから、それぞれの天秘に二次元コードつけて、スマホでアクセスして可能かどうかチェックできるアプリを開発した。
その院生はさっき言ってた商売してる能力者からしこたまバイト代をもらえたらしい。