はてなキーワード: 自主退職とは
導入後
導入後、民主党は2009年のマニフェストで「教員の資質向上のため、教員免許制度を抜本的に見直す。」と謳い鳩山由紀夫内閣へと政権交代を果たしたものの[6]、その後も政策として進展せず、現場では混乱や困惑が起きている。
2010年11月、文部科学省は20府県の教育委員会から受講状況の抽出的な情報収集を行い、2010年8月末から9月の時点で対象教員の6%が講習を終了していない、または受講しておらず、日本全国に換算すると5100人を超える教員の免許更新が行われないとの見積を発表した[7]。
2013年8月8日に施行された免許状更新講習規則の一部を改正する省令により、幼稚園教諭免許状を保有している認可保育所の保育士が、免許状更新講習を受講できるよう、受講資格が拡大された[8]。
2014年、文部科学省の調査によると、2014年3月末に更新ができずに教員免許が失効したのは、全国で58人であった[9]。2014年3月末に免許更新期限を迎えた教員は9万4,118人で、新講習を修了できなかった者は332人(0.4%)で、更新講習を修了できなかった332人のうち、教員免許が失効したのは58人(0.1%)で、残りの274人(0.3%)は失効する前に自主退職をした[9]。免許失効した58人については、更新申請期日を間違えた「うっかり失効」などにより4月1日付で新たな教員免許をもらい直して勤務を続けているのが23人、校長など管理職や学校事務職員など教員免許を必要としない職で勤務しているのが21人、退職が14人となった[9]。自主退職を除くと退職者は全体の0.014%となっている[9]。
グダグダで草
10年ほどIT系中小企業で働いていたが、途中で就任した2代目の新社長にクビにされ、それから5年経った今も、鬱々としている。一部フェイク含むが、もやもやとした気持ちを吐き出すために記載したい。
新卒で中小IT企業に入社し、人事や財務などの間接部門で働いていた。入社5年目ごろに、社長の息子が2代目として就任した。
新社長は「親父は社員に甘い。この会社は無駄がたくさんある」と全社員の前で宣言し、数々の改革を行った。特に「賃金規定の改定」はその効果が大きく、社員の平均年収を30%ほど下げることに成功した。
その結果、社員数は2年間で350名から200名まで減少した。特に稼ぎ頭(優秀で給与が高い分、派遣単価が高く、利益率はバツグン)の社員の退職が多かった。当然、売上も30億円ほどから20億円ほどにまで落ち込んだ。
新社長は「社員1人あたりの売上は上がった」と豪語していたが、実態は他社から人を回してもらって仕事をこなしていたため、利益率は激減していた。創業以来の大赤字を前にしても「膿を出すには必要なこと」「節税につながった」と自画自賛していた。
2年間の赤字垂れ流しの結果、現預金が尽き、新社長就任3年目には、たびたび社員の給与遅配も起こすようになった。資金繰りに困った新社長は、銀行から追加融資を受けようとした。当時、既に10億円近い融資を受けていた上、3期連続赤字という条件ではまず融資は厳しいと思われた。だが新社長は、実態と異なる決算書を作成することでV字回復を達成したことにして、1億円ほどの融資を勝ち取った。余談だが、この融資で添付した資料において、実際は4000万円近い社長の報酬は、1000万円と記載されていた。
就任3年目になると、新社長は、新卒採用に力を入れると発表した。プロパー社員が減ると利益が減ることをようやく理解したんだろう。従来は毎年10名程度の採用目標であったが、新社長は保守的だと一掃し、30名の目標を掲げた。
まずは従来付き合いのあった学校に営業したが、給与を一方的に大幅カットしたことが卒業生から伝わっており、遠まわしに出入り禁止を通達された。採用予算もカットされたので、そうすると時間対効果の悪い手法も取らざるを得なくなり、自分の残業も慢性的に60時間を超過するような有様が続いた。当然サービス残業である。
なんとか最終面接まで学生を送り込んでも、新社長がガンガン不採用を下したり、圧迫面接を行ったりしたことで、採用率は減り、辞退率も増え、最終的に採用できたのは数名だった。
余談だが、新社長は「君が稼げるか分からないから、契約社員としてだったら採用してあげる」と学生に放言し、大学就職課から文書でクレームを貰い、自分が頭を下げに行ったこともある。クソが。
当然、30名の目標に対して採用人数が数名だったことで、自分の査定も大幅に下がった。
こんな状況でもなんとか働いていたが、新社長就任4年目の中ほどで、さすがに体調を崩した。はてなーなら共感してくれると思うが、通勤途中にトイレに駆け込むことが増え、3日に1回ほど遅刻をするようになった。当然、遅刻は午前半休で処理した。さすがに辛くなり上司に休職を申し出たが承認できない、と回答された。
その翌日、出勤したら、入退室カードが無効化されていた。外線から上司を呼び出すと、「昨今勤怠が悪いので懲戒解雇にする。今ここで退職届にサインすれば温情により自主退職にする」と告げられた。
さすがに絶句するも、上司から「社長が納得するように退職届が必要。あとで撤回してやるからサインだけしろ。今週は有休にしてやるからそのまま休め」と口頭で促され、うかつにもサインして帰宅してしまった。録音をしていなかったことが悔やまれる。
翌日、退職届を受理した通知が内容証明郵便で届き、私物一式も宅配便で送り届けられた。当たり前だが、それから鬱になった。1年ほど寝たきりが続き、体重も30キロ増えた。
ようやく多少は動けるようになった退職2年後に、知人から弁護士を紹介されて不当解雇で訴えるも、退職後では証拠をほとんど持ちだすことができず、むしろ申請したはずの有給が無断欠勤にされていたり、また、退職届にサインしたことが決め手になって、最終的には裁判官から促された年収半年分程度の額で和解するしかなかった。労災も申請したが、採用活動で外出が多かったためタイムカードで長時間労働を証明することができなかったりして、認定されなかった。むしろ後日、会社側への調査報告を請求したところ、上司の承認を取らず勝手に外出したり出張したことにされていた。死ねよ、クズが。
退職から5年が経ち30代後半になったが、今でも働けるのは週に2日程度なので、緩い自営業でなんとか収入を得ている。昔のツテで、財務計画や人事制度設計などを請け負い、年商で300万、費用と税・社保を除いて手取りで200万ぐらいか。当然、生活できないので、実家に寄生している「こどおじ」である。
隔週で心療内科に通ってはいるが、頭の回転は戻っていないような気がして、様々なサプリや海外薬の個人輸入などにも手を出している。それでも、やる気は出ないし、自己評価や自己肯定感は最低、性欲は消え、幸か不幸か酒は食道炎で飲めなくなった。当然、恋愛や結婚も諦めた。トラウマもひどく、前職がある駅には近寄りたくもないし、通らなければならないときは遠回りする。リストラの記事や、最近のなろう系小説で流行っている「追放」という言葉すら見たくはない。
裁判で登記簿を取ったので社長の自宅住所は知っており、今でも年に数回は用もなく行ってしまう。自制心が低ければ火をつけたりするのだろうが、それは妄想だけに留めている。過去の囚われから解放されたくて様々な本も読んだが、「憎い相手を許す」という表現には馬鹿野郎と思ってしまう。それができたら苦労するか。
かたや粉飾した金で年収4000万を得て、多くの他人の人生を破壊しつつも、会社の金で六本木で遊び歩きながらのうのうと暮らしている。こなたいきなりクビになって年収200万で、まともな人生も送れない。
死ね、と思う。
せめて会社が倒産し、本人が破産してくれれば多少なりともこの呪縛からも解放されると思うが、転職口コミサイトを見ると、社員の待遇悪化を続けながらも、まだ生存しているらしい。一方、帝国データバンクで業績を見ると、あり得ない業績が記録されているので、引き続き粉飾は行っているようである。
昨夜眠れなくなって泣きながらこの文章のハイライトを作成し、今日の昼過ぎから書き始めたが、諸々思い出して、途中で3回ほど机を殴ってしまった。人の人生狂わせたヤツは、同じように狂い死んでほしい。
優しいね、とよく言われる。
みんな個別の人間だから、相手の価値観は無闇矢鱈に否定しないよう心がけている。
が、多分皆の言う「優しい」は「怒らない」「許してくれる」の方だろう。
ちなみに八つ当たりされても、うんうん大変だったねと飲み込んでしまうことの方が多い。
本当に許しているわけはなく、心の中では「死ねゴミカス」ぐらいは思っている。
なので、正しくは「怒らない」ではなく「怒りをあらわにしない」なのだけれども。
相手に対して言い返さないのは、怒るのはとても体力や気力がいると知っているからだ。
まず頭を使う。相手の傷つく言葉を選ぶために脳みそも使うし、大声も出さなきゃいけない。相手から反論されるのも気分悪いし、そもそも怒ったところで絶対に改善するわけでもない。
先日も友人と夜遅い時間に向こうのお願いで会う約束をしたが、待ち合わせ10分前にドタキャンされた。しかも「まだ用事終わらないけどどうしよう」みたいにこっちに判断を委ねる小狡い言い方で。
かちんときたが、言い返すのは面倒だし怒っても相手が来るわけではないので、優しい言葉で許して、翌日全ての連絡手段を絶った。同じようなこと過去1回してたので。(ちなみに前回は優しく許して何事もないように接してた。)
連絡が取れないと嘆いてたらしいが知らん。許してるわけじゃなくて、怒りをあらわさずに片っ端から切り捨てているだけだ。
年間30人ぐらいは連絡手段絶っていると思う。怒らないけど、ボーダーライン超えた奴は全員切っている。
幸い人当たりがいいので絶え間なく寄ってくるが、コンスタントに要らん奴は無視してる。職場では全部本人の望み通りにして他部署移動させたり、自主退職するよう口添えしてる。
だから、周りがいうように自分は優しいわけじゃない。人間関係気づくのがクソ下手だから「嫌なら切る」をずっとやってきただけだ。
周囲に言えないような事ばかりをして28歳になってしまったわたし。
幼い頃から必要も意図もない嘘をつく、手癖が悪く友達や兄弟のオモチャを奪ったり大人の財布からお金を盗んだり万引きを繰り返す子供だった。
狡賢いのか取り繕うことが得意だったのか大事には至らないまま中学生になると陰で喫煙や飲酒、深夜に家を抜け出して徘徊する。一度受験を失敗するも希望の高校に入れたのにも関わらず遊んでばかりで2年留年して自主退学。この頃リストカットを覚えてしまった。
退学して働き始めた職場の既婚上司と不倫関係を5年続けて駆け落ち妊娠。検診にも通わず飛び込み出産で未婚の母になる。
そこから派遣やパートで働くも最長2年で自主退職。ギャンブル依存を経て無職になって1年。
今に至る。
これだけ掻い摘んで書いても誰でもわたしの腐った人間性が伝わる筈です。
胸を張れることなどひとつもない生き方を今に至るまで続けているのだから。
兄弟が多かった事や両親の稼ぎが悪かった事も大きな理由だろうが、兄弟の中で何故わたしが選ばれたのかいつからなのかは当時も今も解らない。
当時は差して気にしていなかったし、数年前に母に訊ねても曖昧な答えが返ってきただけだったから今更追求する気はないけれど。
ともかく祖父母宅で生活に困った事はないしわたしはおばあちゃん子で今でも幸せな記憶の方が多いのだけれど、いつも過ぎるのは祖父母がそばにいるわたしではなく兄を1番に考えていたこと。
どんなにおやつやオモチャを与えてくれても、必ず兄の希望や気持ちが優先された。本当に幼い頃は「お兄ちゃんの方が年上だからな〜」と疑問にも思わなかったけれど、成長するにつれて祖父母を愛する気持ちの裏側には「でもどうせお兄ちゃんが1番なんでしょ?」という思いが貼り付いた。
完全におばあちゃん子だったわたしは「おばあちゃんと離れて眠れるかな」「でも兄弟と遊べるし良いか〜」なんて考えながら実家に戻ると、割とすぐに祖父母宅に戻りたい思いを募らせる事に。
両親や兄弟に冷たく当たられるということはなくとも、その家庭毎にある独自のルールみたいなものに、祖父母宅とはかけ離れた経済状況に、なかなか馴染む事が出来なかった。
母にはよく「ここはばあちゃん家じゃないからね」というようなことを言われた。
思えばこの辺りから上手く人生を回して行けなくなったような気がする。