はてなキーワード: 水彩画とは
中学のとき、毎年一回校外(と言っても徒歩圏内だけど)に出かけて水彩画を描くスケッチ大会っていうのがあった
一年二年のときは素直にいいと思った風景を描こうとした結果どこにも焦点が絞られない散漫な印象のショボい絵になってしまい、悔しかったからしばらく構図を考えた
それで他の人が時々描いていた神社の赤い鳥居に焦点を当ててみようと思い立ち、鳥居の真下から思い切り見上げたアングルで鳥居の上部分と空しかうつらない、あんまり風景画らしくない絵を描いた
そういうひとつのものに注目する構図をとってる人は他にいなくて、実際俺が描いてるのをみて「それパクろ!」つって横で描き始めた人もいた
描くものが少ないから下書きにかかる時間が短くて色塗りに集中できるし、俺はけっこう水彩絵の具の色を作るのが得意だったんで、我ながらなかなかいい絵ができた
大会が終わったあとの美術の時間に美術の先生にひとりずつ絵を持っていって講評をもらう時間があったんだけど、いい絵をみたら「いいね!」と言う癖があったその先生に一際デカい声でいいねと言われて誇らしかった記憶がある
その年から美術教師が特にいいと思った絵を選んでコンテストをやるっていう企画が始まって、俺の鳥居の絵もノミネートされた
問題はここで、コンテストだっつって接収されたまま絵が返ってきてない しかもコンテストの結果がどうだったのかも結局わからん
せめて一位をとってたりしたら(贔屓目は入ってるが充分一位をとりうるポテンシャルがあったと思う)まだ心も晴れたんだけど、よくわからないままに生涯一うまくできた絵を取られたというのは悲しい 写真も撮ってないし…
普段全然絵なんて描かないし、絵心も我ながら全然ない そんな俺が半年以上暖めたアイデアによって描いた渾身の絵が奪われたままになった
ご助言ありがとうございます。
この場で私が中学生であることを証明する手立てはありませんが、しかし、そうした指摘をいただけるくらいに私が中学生離れした思考力を有していることを間接的に言っていただけているようで、嬉しいです。
僭越ながら私は中学生活を通して3年連続県の主催する児童絵画部門に水彩画で特選を果たしており、また趣味でも日常的に絵を描いているため、「1秒たりとも絵の練習をしていない」という指摘には残念ながら当たりませんね。
最後のご指摘については仰る通りですね。
やはりここにまだ所詮は中学生を脱しきれない思考の甘さがあるのだと思います。
参考にさせていただきます。
ありがとうございました!
【はじめに】
兵庫県神戸市の「しあわせの村」で有馬 真美子さんの絵本原画展がとても良かったので、私の感想をお書きします。
【なぜ私が伺ったのか】
偶然です。しあわせの村に行った時に2階で原画展をなさっているのを拝見し、「お気軽にどうぞ」と作者の方がおっしゃってくださったので伺いました。
実はその時、私は作者ご本人がいらっしゃるとは存じ上げませんでした。ですので目の前の方が作者の有馬 真美子さんとは露ほども思っていませんでした。
もちろん、お名前も初めて知りました。そもそも作品も初めて知りました。私に丁寧な対応をしてくださった皆様。本当にありがとうございます。
【絵を拝見する】
原画展は気軽に見ようと思えば10分ほどで見ることができる規模でした。絵は水彩画で、猫の絵が大半の、温かみのある絵でした。親しみやすさがあり、おそらく大勢の方々がすぐに馴染むができるタッチだと思います。絵本の原画が多かったですが、それ以外の水彩画も展示されていました。他には猿の絵や沖縄のある場所の風景(場所は失念してしまいました)、犬の絵などがありました。私は趣味で絵を描いていましたので、技法が気になり隅々まで一人で拝見していました。猫の絵の毛の表現は絵本の原画ではデフォルメしつつも頭や首周りを細かく描く事によって、質感を出している表現。また沖縄の絵(祠と石垣で背景に緑が広がる)の石垣の石を一つ一つ描いている繊細さを拝見していました。その時に作者の有馬 真美子さんがお声をかけてくださりました。
お話を伺うと実際の猫を細かく観察していらっしゃることが伺えました。例えば猫の耳の前面の根本に少しかかっている毛は黒猫以外では白のガッシュ(ガッシュということはお話から伺いました)、黒猫では黒で表現なさっているのですが、実際の猫もその毛は色が薄いので、白で表現なさったそうです。また私は気づかなかったのですが、虹彩(瞳)の膨らみも意識して描かれていらっしゃるそうです。また沖縄の絵はモデルを元に描かれていらっしゃるそうなのですが、石垣部分の石はオリジナルで一つ一つの石を丁寧に描いていったそうです。私に様々な制作エピソードをおっしゃってくださった有馬 真美子さんにこの場をお借りして感謝の意を表し、感想をお書きいたしました。
【振り返って】
その後、私は原画展を後にしましたが、濃密な時間を過ごすことができました。これも作者の方が私にお声をかけて丁寧にご説明くださったおかげです。本当にありがとうございました。
また、ここまでお読みになってくださった方々も本当にありがとうございます。
先週会社を辞めた。
理由は色々あるけど、辞めたまでの経緯とか辞める過程とかは、正直普通すぎてそんなに面白くないので割愛。
とりあえず仕事辞めた後の変化、学んだことについてちょっと書いてみる。
もちろん貧乏は不幸だけど、金持ちは幸せかと言ったら全くもってそうではない。
前職は比較的高給だったので、金持ちに囲まれていたが、みんな目が死んだ魚のような顔をしていたし人生辛そうだった。
激務とパワハラで疲れ過ぎて、旅行行く気力もない。週末はとにかく寝る。
高級店で美味しいもの食べても、味覚が狂っているため、味がしない。
綺麗な景色や、お金出して舞台を見ても、疲れで全く感動しない、それよりも寝たい。
大事な友達に手紙を書く時間もないので、友達は減る一方。読みたい本を読む時間もない。
おかずは基本的に納豆だけど、味覚が戻ってるから、普通にめっちゃ美味しい。
特に、梅干しオリーブオイル海苔納豆めっちゃ美味しいから皆やった方がいい。
綺麗な景色見に行かなくても、部屋から見える空とか、花屋さんのお花とかで十分綺麗。
趣味は、友達に手紙書いて送ったり、積ん読の本読んだり、ブックオフの100円コーナー漁ったり、DVD借りて映画見たり、自転車乗り回して遠出したり、古い絵の具を引っ張り出して水彩画描いたり。
人に優しくできる。せかせかしない。嫉妬とかの感情が全て消える。愚痴が減る。
自分の不幸自慢も妬みも嫉妬も何もかもなくなる。電車の中で老人に席譲る余裕も出てくる。友達が待ち合わせに遅れても全然イライラしない。
「あれ、自分ってこんな適当な人間だったんだ」とか「あれ自分意外と優しいな」とか発見をしたりと、とても面白い。
そんでもって「人に優しくすると、こんなに人生楽なんだ」ということに気づく。周りの人って実はめっちゃ優しい。
逃げたことを伝えた際に、一番多かったコメントは「すごい」。
「うわ残念だなこいつ」という反応よりも、武勇伝のように扱われることの方が多い。
自分の周りだけかもしれないけど、逃げたいのに逃げられない人が多いのだと思う。
逃げる前には、周り(特にご年配の方)は、逃げるな!諦めるな!みたいなコメントも多かったけど、
逃げた後にわかったのが、「やっちゃいけない逃げ」と、「やった方がいい逃げ」があるってこと。
やっちゃいけない逃げは、「やってみたいけど怖いな〜」ってやつとか、「もう少しで達成出来るけどしんどいな〜」ってやつ。これはやれ。逃げるな。
やった方がいい逃げは、「ん、これ続けても意味なくない?」ってやつとか、「これやり続けたら死ぬ・・・」ってやつ。
時間の無駄だし、そのうち精神死ぬから、気にすることなく逃げた方がいいし、逃げた後に満面の笑みで「逃げた!!!!」と報告すれば、意外と周りの人間は喜んでくれる。
辞める前は、「今いなくなったら迷惑だよな・・・」「辞めたら悪口とか言われるんだろうな・・・」と思って心配していたけれど、辞めてしまえば、どうされようが全く気にならない。
聞く話によると、職場はかなり迷惑を被ってるらしく、仕事は回らないし職場はお通夜状態らしい。でもそれは辞めさせた職場が悪い。
辞めて欲しくないなら、仕事減らしてパワハラとか辞めてくれればいい話。
そういうことしないから辞めたんだから、責任転嫁していいと思う。
悪口も言われてるらしいけど、ぶっちゃけ関係ないし、害もないから、何言われようがどうでもいい。
むしろ、「そんな環境にもっと長くいたら自分も同じような悪口言う人間になってたんだな」とか、「妬み乙」とか、「狭い世界に住んでるな・・・」ぐらいにしか思ってない。
前職では定年になったらクビになる匂いしかしなかったし、週2日楽しいどころか、週7日地獄だった。
だから辞めようとは思ってたんだけど、踏ん切りが全然つかなかった。
だから、仮病使って仕事休んで、周りにいる生涯現役勢(自営業の人、定年後執筆活動中の人、等々)に話しを聞きに行った。
ヒットする作品のテーマって基本的に「天職とかあるから、やりたいことを死ぬ気で頑張ろう」とか、「人生短いから自由になろう!」とか、「忙しい毎日から脱出して、生きたいように生きよう」っていうのがすごく多い。
多分みんなそれをやりたいけど出来ないからヒットするんだと思う。
色々見て聞いた結論、とにかくやりたいことやってると成功するかもしれないし、成功しなくても多分後悔なく死ねそうだなと。てかやらなきゃ後悔するなと。
てなわけで辞めて、とりあえず溜まりに溜まったやりたいことをこなし中。
とにかく、やりたいことやっていいと思う。人生一度きりだしね。
俺は、アスペで。
他人の気持ちが分からず、空気が読めず、いつも虐められてきた。
いつも思うのだが。
なぜみんなは俺がおかしいと思うのだろうか。
例えば、中世キリスト教の国に行ったら皆はキリスト教を信じるんだろうか?キリスト教でよくないとされないことを「良くないと感じる」んだろうか?
そうじゃないはずだ。今の常識からすれば、かつての常識は異常なはずだし、キリスト教を信じる気にもなれないだろう。
それなのに、「キリスト教を信じられないのは悪だ」と言われたら、どうする?
俺の感じる違和感ってのはこういうところだったりする。
今の常識とか、考え方というのに縛られて考えるということができない。
多分そういう常識とかを教育されるためには、『資質』が俺には無かったらしい。
イキルのが、本当に辛い。
10月ももう10日となって、秋始まりの新作アニメの第1話があらかた放送されましたね。
今期は例年と比べても各制作会社入魂のバラエティ豊かな作品が揃っていると思います。
シャフトが制作と発表されたときにはいくらか悲嘆の声も聞こえましたが、蓋を開けるとなかなか評判が良いようです。
特に絵本や水彩画の様な淡い背景が羽海野チカさんによる原作の空気感を再現しており魅力的ですね。
この作品の美術設計を担当したのは、「とんがり帽子のメモル」や「楽しいムーミン一家」のキャラクターデザイナーである名倉靖博さん
ん?名倉靖博?
そんな名倉靖博さんが演出、絵コンテを手掛けたのがスペース☆ダンディ第21話「悲しみのない世界じゃんよ」。
ある時ふと気づくと辺境の惑星リンボにいたダンディが、不思議な住人に案内されその星の真実に近づくというお話です。
バイクの様な宇宙人、哲学する大きな巻き貝、喋りだす飴、モーニング・ベールを被りリュートをかき鳴らす鳥人。
幻想的な夢の中のような世界観が独特の美術と共に描かれた、スペダンの中でも指折りに個性的な一本です!
今期は特に変身美少女ものが多いですが、その中でも最も個性的なのが新進気鋭の制作会社3Hzが送るこの作品。
1話では若手からベテランまで実力派のアニメーターが集まり、今期随一のアニメーションを見せてくれました。
監督は今回が初監督の押山清高さん。元は若手ながらヱヴァやジブリに参加するアニメーターでした。
ん?押山清高?
そんな押山清高さんがなんと一人で脚本・美術設定・作画監督まで手掛けたのがスペース☆ダンディ第18話「ビッグフィッシュはでっかいじゃんよ」。
賞金5000万ウーロンの幻の魚ムーナギを捕まえるため、訪れた星で出会った小さな女の子と共に奮闘する話です。
おとぎ話のような物語とビジュアルで、フリップフラッパーズに通じる押山さんの世界観が前面に出ています。
東映大長編から続く日本アニメーションの魅力を再確認できる一本です!
オリジナルアニメの多い今期でも一番のダークホースだったのがこの作品。
男子フィギュアスケートを題材とし、漫画家久保ミツロウと、峰不二子という女などの監督を務めた山本沙代がタッグを組み、
実写を参考にした滑らかなアニメーションでフィギュアスケートの演技を見事アニメーションに落とし込み、性別に関係なく楽しめる良作です。
ん?山本沙代?
そんな山本沙代さんが絵コンテ演出を手掛けたのがスペース☆ダンディ第20話「ロックンロール★ダンディじゃんよ」。
ふとした事で宇宙の覇権を争うジャイクロ帝国の総統、ジョニーと、その正体を知らずロックバンドを組むことになったダンディの熱いバンドムービーです。
この回ではゲストキャラクターデザイン原案に上條淳士を迎え、全体の作画や演出でも彼の作品を意識。
劇中歌の作詞作曲には向井秀徳を起用。分かる人には分かる音楽ネタを交えつつバカと真面目をどちらも全力でやり切ったパワフルな一本。
雨で急流にもまれて流されていく側溝のカエルを助ける方法について、同じこと小学生の頃に考えて同じように夏休みの自由研究にした。
試した材料は、シュロ、藁の束、細く裂いたスポンジなどを使って実験した。
ショボかったけど機械工作で定期的にゆっくり陸地に上がるようなものも作った。
カエルの自発的な運動に頼るべきで、その際にはどのようにするのがいいのか仮説も立てて今後の研究の余地を示した。
正確な生存率は導きだせなかったけど、カエルがいることで田畑の生態環境にどのような変化があるのかを調べた。
その時の教師に言われたことを今でも覚えてる。
「こんなの研究でもなんでもない。遊んでただけじゃない。夏休み何してたの?」ってね。
その年の自由研究の優秀作品は、女の子が描いた水彩画の「絵日記」だった。
親だって周りの親族だって「あいつはカエルが好きなんだな」程度の認識しかなかった。
カエルが流されるのを可哀そうだといっても、感受性が豊なのね程度だった。
大学生の頃に生態学の研究で同じようなことをやったら田んぼのおっさんに叱られた。
不審者なんだとさ。
世の中そんなもんですわ。
追記
みなさんが生きていく上できっと袖振り合わすこともないであろう「側溝の中の人」について紹介しておくよ!
例えば「全国小動物保護側溝研究会」とか知ってもらえればうれしく思います。
こういう側溝に落ちる動物なんかを研究しているところは結構あるので、ぜひ覗いてください。
ちなみに僕は「全国小動物保護側溝研究会」の中の人ではないので悪しからず。
さて、特定される可能性もあるからかなり端を折ったけど、小学校の研究について少し補足しておくよ。
身バレするかもだけど、そうなったら余生をひっそりと側溝で暮らします。
カエルに注目していたけれど、側溝で流されるのはカエルだけではないことが分かった。
流されてきたものを挙げれば、昆虫などが一番多く、次いでモグラなどの小動物が多かった。
側溝の15cmの水深で溺死する人もいるくらいなわけで、雨水を流す側溝はなめたらダメだ。
そして意外にカエルは途中でどうにかしてた。
落ちた動物での死亡率で言えば、モグラなどの小型哺乳類はほぼ100%に近い値で死に至っている。
カエルやヘビの類は結構自力で何とかするから案外側溝に落ちた場合の死亡率は低いというのはわかった。
(あの時、実験のために側溝に落としたヘビさん、ごめんなさい)
したがって、カエルだけを救済するような道具では生態系のレベルでみたら「ほぼ役に立たない」というのが結論だった。
小学生の頃に示した研究の余地は「モグラなどの小動物はカエルだけに着目した道具では助からない。
生態系という広い目で見た場合には側溝の構造そのものを変える必要がある(くぼみを作って水が滞留する場所を作るなど)」といった感じ。
先生は、この「ほぼ役に立たない」という結果と「側溝の構造そのものを変える必要」という提示に対して「こんなの研究じゃない」と判断したんだと思う。
思うに、結果は必ず成功したものに限った話じゃなくて失敗だって研究結果なんじゃないのかと。
こういう失敗があるからこそ、同じようにカエルを救ってやろうとした人間が、僕のような失敗例から学んで側溝がブラッシュアップされていくんじゃないのかと。