はてなキーワード: 水彩画とは
雨で急流にもまれて流されていく側溝のカエルを助ける方法について、同じこと小学生の頃に考えて同じように夏休みの自由研究にした。
試した材料は、シュロ、藁の束、細く裂いたスポンジなどを使って実験した。
ショボかったけど機械工作で定期的にゆっくり陸地に上がるようなものも作った。
カエルの自発的な運動に頼るべきで、その際にはどのようにするのがいいのか仮説も立てて今後の研究の余地を示した。
正確な生存率は導きだせなかったけど、カエルがいることで田畑の生態環境にどのような変化があるのかを調べた。
その時の教師に言われたことを今でも覚えてる。
「こんなの研究でもなんでもない。遊んでただけじゃない。夏休み何してたの?」ってね。
その年の自由研究の優秀作品は、女の子が描いた水彩画の「絵日記」だった。
親だって周りの親族だって「あいつはカエルが好きなんだな」程度の認識しかなかった。
カエルが流されるのを可哀そうだといっても、感受性が豊なのね程度だった。
大学生の頃に生態学の研究で同じようなことをやったら田んぼのおっさんに叱られた。
不審者なんだとさ。
世の中そんなもんですわ。
追記
みなさんが生きていく上できっと袖振り合わすこともないであろう「側溝の中の人」について紹介しておくよ!
例えば「全国小動物保護側溝研究会」とか知ってもらえればうれしく思います。
こういう側溝に落ちる動物なんかを研究しているところは結構あるので、ぜひ覗いてください。
ちなみに僕は「全国小動物保護側溝研究会」の中の人ではないので悪しからず。
さて、特定される可能性もあるからかなり端を折ったけど、小学校の研究について少し補足しておくよ。
身バレするかもだけど、そうなったら余生をひっそりと側溝で暮らします。
カエルに注目していたけれど、側溝で流されるのはカエルだけではないことが分かった。
流されてきたものを挙げれば、昆虫などが一番多く、次いでモグラなどの小動物が多かった。
側溝の15cmの水深で溺死する人もいるくらいなわけで、雨水を流す側溝はなめたらダメだ。
そして意外にカエルは途中でどうにかしてた。
落ちた動物での死亡率で言えば、モグラなどの小型哺乳類はほぼ100%に近い値で死に至っている。
カエルやヘビの類は結構自力で何とかするから案外側溝に落ちた場合の死亡率は低いというのはわかった。
(あの時、実験のために側溝に落としたヘビさん、ごめんなさい)
したがって、カエルだけを救済するような道具では生態系のレベルでみたら「ほぼ役に立たない」というのが結論だった。
小学生の頃に示した研究の余地は「モグラなどの小動物はカエルだけに着目した道具では助からない。
生態系という広い目で見た場合には側溝の構造そのものを変える必要がある(くぼみを作って水が滞留する場所を作るなど)」といった感じ。
先生は、この「ほぼ役に立たない」という結果と「側溝の構造そのものを変える必要」という提示に対して「こんなの研究じゃない」と判断したんだと思う。
思うに、結果は必ず成功したものに限った話じゃなくて失敗だって研究結果なんじゃないのかと。
こういう失敗があるからこそ、同じようにカエルを救ってやろうとした人間が、僕のような失敗例から学んで側溝がブラッシュアップされていくんじゃないのかと。
たとえば北斎も肉筆だと
http://fast-uploader.com/file/6995210605446/
こういう写真かよ!っていう絵を描いているんだ。
なんで生首?
うーん、ほら、生首の絵の扇子で扇いだら涼しくなりそうじゃん(笑
単体ならっていうのは、透視遠近法みたいな絵がないっていうことかな?
有名な冨嶽三十六景は70代の作品だが、30代で既にたとえばこんなやつがある。
http://fast-uploader.com/file/6995210740539/
カンペキだね。
これと似たような構図を年代順にならべてやる。
http://fast-uploader.com/file/6995211010479/
70代
http://fast-uploader.com/file/6995211188891/
これ、よくみると、消失点が1点にならない。
左右の橋の梁の平行線を伸ばしてぶつかる消失点は水平線の彼方、両脇の屋敷の屋根の平行線を伸ばしてぶつかる水平線は橋の下かその少し奥。
これが、忠実な一点透視だったらつまらない作品だったとおもわん?
絵の中に動きがあるのは、ちょっと崩れてきてるおかげ。
80代
http://fast-uploader.com/file/6995211441686/
ぱっとみ同じ構図の一点透視のようで、二点透視にも見え始め、仰ぎ見てるようにも見えたり見下ろしてるようにも見え、ってことは三点透視かとおもいきや、そもそも透視図法(平行線がいつか交わる)じゃなくて投影図法(平行線はどこまでも平行)なんじゃないかと見える。
一番手前の人物にフォーカスを合わせるとそういう絵になり、その奥の人物にフォーカスを合わせても絵としてなりたち、人物を辿ってるうちに奥に奥にと視線が誘導され、そのたどる先には富士山。
多重視点というのは、「ピカソの絵は右から見た絵と正面から見た絵が合成されていて」みたいな説明をされるあれ。
ピカソの作品はそれだけじゃなくて、いろんな意味で工夫させすぎてて、話が脱線してしまうので、わかりやすくキリコ
http://www.geocities.jp/syu_58jp/we2/1.JPG
この絵のようなやつ。
http://www.geocities.jp/sakushiart/bizu/251.JPG
線遠近法的に忠実に描くと、
http://www.geocities.jp/sakushiart/bizu/252_4.JPG
こうなる。
人物やモノ画中にたくさん配置して、奥のモノ、人物は小さく、手前の物を大きく描くことで絵の中の遠近を表現するっていうのは、基本ではあるが、
それをやめて、横一列に均等に配置することで、絵にリズムが生まれる
これについても、似たようなことを既にやってる北斎
http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-94-64/otyaken_suki69/folder/1050996/44/47018044/img_8?1382279701
なんというリズム感。
これ、どこがおかしいかわかる?
シャチホコってさ、近くで見ると当然巨大じゃん。そうしたら、本当は
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0a/The_Great_Wave_off_Kanagawa.jpg
波をシャチホコに置き換えたら富士山はこのくらい小さくないと絵としておかしい。
この構図になるのは、望遠レンズでズームで覗いてるという設定の絵だっていうこと。
http://pds.exblog.jp/pds/1/201011/22/10/b0111910_1061561.jpg
http://tenkijuku.com/qa/kisyoudai/hugoku.jpg
当然もう残っていないけど、百二十畳の巨大な紙に、高いところからみないとなんだかさっぱりわからん巨大な絵とか描いたっていうんだ。
そういう高いところからみないとなにを描いているんだか本人もわからない絵というものは、「この座標でこの角度で線を曲げて」っていう座標の概念がないとどうやっても描けないわけで。
北斎というと、80過ぎてるのに110歳くらいまでの人生設計(当然自分の画力について)を立てる貪欲さで、当時の平均寿命の倍くらい生きてるのに死ぬ間際に「まだまだ描きたりねぇ(意訳)」といって死んだというエピソードが有名なので、描いて描いて描きまくったというイメージが強い。
しかし、その実際は、それプラス、数学も物理も幾何学も絵に応用して、古今東西、みたこともないものだろうと文献調査だけで描き(中国くらいならまあ、古代インドとかどうやって描くんだよ!!見たことないはずの象を右からも左からも正面からも後ろからもかけるとか、どうかしてる。)、漫画の効果線やトーンのかなりを発明し、その後の絵画の歴史で発明された技法をその100年前に実験しつくし、鎖国の時代なのに西洋の銅版画や油絵の解説書をつくり、中国画の技法も日本画の技法も操り、いうなれば、異星人。
まあつまり、線遠近法は北斎より少し前の時代に入ってきたんだが、カンペキに理解をしたのが北斎。
自在に使いこなし、それを捨て去り、違う境地、もう前衛芸術の実験のようなレベルに高めたのが北斎。
その後は幕末、文明開化で西洋画が入ってきて、もう一回遠近法ブームが起きて、
みたいなムーブメント。
油絵が始まり、浮世絵(版画)の絵師たちもそれに近い木版画を作った。
初めてやったのは小林清親って人で、水彩画風の版画、ついには油絵風の版画まで辿り着くが、結局彼の画風はいわゆる浮世絵的な絵に戻る。
写実的(性格な遠近法、陰影表現)ってのは、いちどはそれに熱中する麻疹みたいなもの。
その後の時代だと、吉田博、川瀬巴水とかが水彩画のような木版画で有名だが、小林清親は浮世絵の構図、モチーフを水彩画の手法、油絵の手法で再構築した感じなのに対して、吉田博、川瀬巴水は洋画を木版画にしましたって感じだから、浮世絵や日本画の子孫じゃあないと思う。
吉田博
小学1年生の夏休みから、めちゃくちゃうまい風景画を書いてくるやつがいた。
クラスメイトもそれを楽しみにしてて、今年はどんなのかと毎年寄ってたかって見に行ってた。
でも今考えるとあれ自分で書いたんじゃねーんだよな。
明らかに親かだれかが書いたのを持ってきてただけだった。
そいつがあからさまに絵のことで威張ったりとか見せたがったりとかをしなかったのはそういうことなんだろう。
実際あんだけうまければ普段の図工の授業でももっとその才能が見れたはずだけど全然見れなかったし、あんだけうまい絵だったけど特に何も賞とかもらってるとこも見たことないし、先生も表立って褒めたりせずにむしろちょっと苦い顔してたような気もするし。
よく考えたらおかしいもんな。
http://park2.wakwak.com/~willway-legal/kls-c.case.384.html
>本件水彩画に接する者は,その創作的表現から本件写真の表現上の本質的な特徴を直接感得することができると認められるから,本件水彩画は,本件写真を翻案したものというべきである。
某所における炎上に当てはめると,
本質的な特徴 → 昆虫の交尾に注目し,焦点をあてて撮影したこと
昆虫の交尾自体に創作性が認められないとしても,それを撮影するときに伴う工夫に対しては著作権法により保護される。
ただ単に昆虫の写真を集めただけではなく,その交尾の最中に注目し,構図をとって撮影しているところは創作性があり,翻案したイラストはそれを子細に再現しているので写真を翻案したものである。
同人音楽やってると同人ゲーム作ってるサークルさんからの依頼が結構くるんですよね。
参考になればと。間違ってる記述あったらごめんね。
以下、依頼時の注意。
ビットレートについての指示も細かく書きましょう。
従って、最低限の知識として音声圧縮のフォーマットについて頭に入れる必要があります。
また、後述するマスタリングを行うならばWAVE以外のファイルを要求されても疑問に思ってしまいます。気をつけましょう。
また、真っ先にこの作業について伝えなくてはならないものです。
ここでは同人ゲームを作る上でのマスタリングについてかみ砕いて説明します。
CDを聞いていて「1曲目が小さくて聞こえない。でも2曲目は爆音」なんて経験はほとんどないと思います。
これはマスタリング作業が行われているからであって、この作業が無いと全てバラバラで聞きづらいCDになってしまいます。
通常は0db(音の大きさ)を超えないレベル、かつ均一の音量になるように調整します。
深い話をすればrms値が云々という話になるので、分からない場合はこの作業も外注で行った方が良いかと思います。
マスタリングについて軽く説明をしましたが、さらに詳しい話をします。
マスタリングとは簡単に言うと音量を揃えるものという話を長々としました。
ではどのように音量を揃えるのか。これについてサラっとだけ知りましょう。
まず音を揃えたいファイルにコンプレッサーというエフェクトをかけます。
これは非常に表現しづらい作業なんですが、「音圧」というものをここで出します。
ここで音量を0dbに揃える訳ですが・・・ 問題が起きる場合があります。
既にこのファイルにコンプレッサーがかかっていて、音量も0dbだったら。
必ずしもそうなるとは限りませんが、そのままマスタリングを続行すると、音が割れる・聞き心地が悪くなるなどといった作用が出てきてしまいます。
ではどうしたらいいのか。
ここでやっと結論です。
もらうファイルは、コンプレッサーをかけず、音量を0db以下にしたファイルをもらう。
音量は-3db以下だとマスタリングする人もやりやすいと思います。
ちょっと音楽的にいえば「マスターコンプをかけずに、ピークを-3db程度にして提出してください」といったとこでしょうか。かっこいいですね。
そう思われるのは勝手です。予算や人材的に厳しいものもあるかもしれません。
しかし、この作業を行えば聞き心地のよいものが完成する事は確かです。
マスタリングを行うならば、「マスターコンプかけないでね!」「ピークは低めで!」と伝える。
マスタリングを行わないのであれば、「個々でやってね!」くらい言っておくと優しいお兄さんになれる。
恐らくマスタリングしないよ!と言えば個々にマスタリングしてくれる方は多いと思います。
しかし、作成者によって音量がバラバラになると思われるので注意しましょう。
※ここで言う音量とは単純にスピーカーの音を下げた時の効果とは違うものです。
一番重要かもしれません。
音楽を作るという作業においては、その人の経験や技術が反映されます。
よって、注文する人がどのような曲を作っているのか細かく観察する必要があります。
つまりどういう事か。
普段は水彩画で風景を描いているイラストレーターに萌え絵の女の子を描いてくれと注文して上手く描いてくれるでしょうか。
もちろん人によっては上手く描いてくれるかもしれません。
しかし大半の場合は専門外の知識を必要とするため、上手くいかなかったり不自然に仕上がることでしょう。
極端な例を挙げると、ピアノのインストを作ってる人にシステマチックなテクノを作ってくれといってもはっきり言って無理です。
クラブミュージックばかり作ってる人に熱いロックを作ってくれといっても無理です。
これらは極端な例ですが、少なからずこういう事が起こりえます。
音楽を作る上では、機材投資にかける物がかなり必要な場合が多いです。
上記の例で挙げたものを掘り下げてみましょう。
クラブミュージックをメインに作っている人がメロウなサウンドを出せるギターを持っているでしょうか。それを接続できる機器を持っているでしょうか。アンプをシミュレートする機材はあるでしょうか。それ以前にギターは弾けるのでしょうか。
そして、ロックを作る事が出来る知識を持っているでしょうか。
大半の人はNOです。
受けた人は「無理だよ」と言わざるを得ません。
このような摩擦が起こってしまっては、どちらも幸せでないのは明白です。
しかし、必ず弱点があることを頭に入れ、その人が作る曲をよく聴いた上で判断する事が大事です。
それを踏まえ楽曲を注文しなければなりません。
ふた昔くらい前、私も受験生でした。
かといって芸大に入れるほどの実力もなく
残り半分が実技試験の配点となっていました。
筆記試験に一日、実技に一日を費やします。
実技の場合はモチーフの周りに
前の人の絵は丸見えに近い状態になります。
実際描いている時はバランスを確認したりするために
席を離れて見ることも可能でしたので
前の席の人でも後ろの人の絵を見こともできました。
本題。
私の斜め前の方の描き方を未だに忘れられません。
あなたは人の姿を描くとき、どこから描き始めますか?
絵を習っていたことがあれば、おそらくは
全体のボリューム(頭と身体の大きさのバランス)をざっと描く方が多いでしょう。
もしそうじゃなくても、輪郭を描く方が多いのではないでしょうか?
その方はなんと、服のシワから描き始めたのです。
実技試験のある学部は、その実技を重視するために
偏差値が低くなる傾向があるのですが
センター試験の結果でその低さを狙って
にわか美術志望者が結構多くあらわれます。
おそらく、その方もそのうちの一人だったのでしょう。
私はその描き方に気が動転し、自分の絵よりも
その方の絵が気になって仕方がなかったのでした。
私の気持ちをよそに、ちゃんと紙に収まるように
結局全体を書き上げたのには、驚きました。
その方は合格することはできなかったようです。
実際合格した同級生で絵をちゃんと習っていない方は0でした。
やはりいくら勉強ができても入学はかなわないようです。
いまだに忘れられないから面白いですよね。
先生になろうとも思わなかったですし。
実技試験のある学科を安易に受けるより
ちゃんと勉強して行きたいところに行けるよう
努力した方がいいよ、という話。
米アップル製の携帯音楽プレーヤー「iPod」を使った授業を、埼玉県松伏町の町立松伏第二中学校(金沢勝幸校長、生徒数625人)が始めた。アップルジャパン(東京)から42台を無償で借り、教師が考えた教材を使って授業をする。デジタル世代の生徒には「集中できる」と評判は上々だという。
<中略>各教科の教諭が教材ソフトを作成。美術なら、水彩画の下書きから色塗りまで各パターンをナレーションで説明。数学の計算問題を解く場合は文字で解き方を解説し、英語では動画を見ながら聞き取りをする。保健体育を除く全教科のソフトを収め、全校17クラスが交代で使いながら学んでいる。
授業を見学した保護者の中には「集団で学ぶ本来の姿ではない」との声もあったが、大西教頭は「生徒に評判がいいだけでなく、どうやったら興味を持たせられるか、ソフトづくりを通して教師の意識改革にもつながる」と話す。 アップルジャパンによると、同中への無償の貸し出しは特別なケース。貸し出しは新年度の1学期までのため、同中によると、その後はPTAが約40台購入予定という。
http://www.asahi.com/national/update/0330/TKY200903300325.html?ref=rss
つっこみが興味深い.「集団で学ぶ本来の姿ではない」と.
本来の姿ではないにもかかわらず学習効率が上がっているとすると,
それはそもそも学んでいる内容が「集団で学ぶべき内容ではない」ということなんじゃなかろうか.
単に教科書の理解だけで済む内容ならば,レベルに合わせたケアがちゃんとできない教育体制で教えること自体が変な話なわけで.
(レベルの違いを利用して教え合いをする,といった感じで集団を活かした学習スタイルだってありうるとは思いますが)
ITが教育を劇的に変えてくれると個人的には期待してますます.