はてなキーワード: 手作りとは
増田は医療費10割負担だよね?てか医者にかかってないよね?水も食料も完全自給自足だよね?この増田書き込んでるスマホだかパソコンはイチから手作りしたの?電気はどうやって発電してんの?
仙狐さん達妖狐が狐側の理屈で、中野や高円寺がちょっと納得しかねるような理屈で(狐的にはもう十分助けたのでとかなんかそういうやつ)、
狐界に帰ってもう二度と会うことはありません(なぜなら狐的にはその必要がないからですみたいなやつ)てなったあと、
仙狐さんやシロちゃん様の愛に触れてしまった中野や高円寺は突然もとの孤独に取り残されるわけじゃないですか。
仙狐さんがいた時の満たされていた時間を、シロちゃん様がいた時の満たされていた時間を代替しようとして、
自分たちだけが知っている妖狐の記憶を共有する者同士で寄り添ったりするのかな?
それとも愛を渇望しながらも以前のように顔は知ってるが決して会話することはない隣人に戻ってしまうのかな。
共有する幸せだった時の記憶を持つ者同士、お互いの孤独を埋めようとして付き合ったり、結婚して家庭を持ったりするのかな?しないだろうな。
仙狐さん達がいなくなってしばらくは仙狐さんの代わりに一緒に飯食ったり(当然手作りの料理じゃなくて宅配ピザとかがいい)、
一緒にゲームしたりするんだけど、結局そうじゃないこれじゃないみたいな気持ちばかりで人間関係にギクシャクしててほしい。
中野と高円寺には仙狐さん達にもう二度と会えないんだということに為す術なく打ちひしがれてほしい。
そうなっても決して二人で人間として人間並みに幸せになったりしないでほしい。
そういう人間の孤独、痛みをこれでもかというほど味わわされている姿を私は見たい。
(と、いうようなことを高円寺登場回の3話見たあとからずっと考えていたのだけれど、アニメ本編に先を越されてしまったのじゃ)
https://anond.hatelabo.jp/20190612125338
フェイクあり
おっきな組織の話をすればバズ流れが来てるみたいなので。
フェイクあり
俺の中の俺~♫
お給料については国家公務員俸給表 https://www.jinji.go.jp/kankoku/h17/pdf/h18.4houkyuhyou.pdf を見ていただくのがいいと思います。
読み方ですが、高卒はおおむね1級5~15程度からスタートし、大卒(一般職)は1級の25~40程度からスタートし、おおむね4ずつ毎年級が上がっていきます。スタートが違うのは前職での経験を加味することがあるからです。総合職の場合は大卒で2級5号俸~、院卒だと2級15号俸~それぞれの経験を加味した号俸から始まります。
2級というのはいわゆる主任クラスです。1級が平、3級が主任/係長、4級が係長といった具合ですね。
昇給した場合は、その級において前の給料と同程度の号俸+4ぐらいになります。
級が上がるほど責任が増える代わりに毎年の昇給量が増えやすくなるということですね。
たとえばですね、1級25号俸170,200円からスタートして4年目で1級41号俸194,900、次の年に2級に上がったとして1級41号俸は2級7号俸と同じ値なのでそれに4号俸増やして5年目で2級11号俸201,600円となり、その7年後に昇給したら前年が2級35号俸245,300円なので3級13号俸を基準として4号俸増やしての12年目3級17号俸252,600 円、年収にするとボーナスが4.5ヶ月分でるとして416万円ですね。ここから10年3級のままだと3級57号俸324,100円なのでおよそ22年目で年535万円、これを多いと取るか少ないと取るかどうかは個人の感想に任せます。まあ、有能な人ならもっとトントン拍子で上がるでしょうけど。
地方公務員の場合もおおむね同じぐらいなので、基本的に公務員の給料はこれで計算できると思ってください(都市部の場合は国家公務員もそれ相応に補正がつきますし、潤っている自治体はそこを基準に考えるべきですががここでは割愛します。まあとりあえず東京都職員やっぱ羨ましいよねって)
なんだかんだ公務員宿舎は安いですが、値段的にも大手民間の社宅に比べると見劣りはする程度にはなってきてます。設備も古いですし。
むしろ、宿舎に住まなかった場合でも家賃の半額程度は手当してもらえることが大きいですね。
出張の旅費はほぼほぼ全額出ますし、転勤時の引っ越し代も持ってく荷物を服ぐらいにして家具は全部端金で売っぱらってから家電量販店の激安セットで我慢すればトントンになる程度は貰えます(こちらに関しては実質ほぼ赤字ですね)
配置によって残業時間はほぼ0~月200hまで選り取り見取り。残業が多い部署なのに残業代がロクにつかない所もあれば、各省庁の中央に近いところだと謎の権力が働いてアホほど多い残業がしっかり給与明細に反映されてたりと多種多様。
基本的には頭は死ぬほど固くて、リースのクソスペックPCを使って頑なにエクセル方眼紙を手作りマクロで頑張って出力してますし、電子決済なんて意地でも導入しないことに誇りを感じる人種だらけです。
非正規の職員さんがあちこちにいますが、数年おきにコロコロ部署を変えている連中と違って10年20年非正規として働き続けている方ばかりですので非常に高い専門性を持っていて完璧に仕事をこなしていただけるので助かっております。
担当者をコロコロ変えてまで防ぎたかった不正行為ですが……防げているとは言い切れない。というよりもガチガチに固まっていながらも相互にデッドロックをかけあってまともに組織が機能しなくなっている部分が多々ありますので、ある程度は現場の責任によって鉛筆を舌が濡羽色に染まるまで舐め続けなければ何も始まらないという状況が多いです。管理部門、経理部門、実務部門、窓口部門、それぞれが互いに嘘を付き合いながらそれをスルーしあいつつ、そもそもこうなるのはお前らが無駄に細かいせいじゃんと責任転嫁しあってなんとか回っています。時折我に返ると、規則を守るために働いていると言いながら規則を積極的に破り、それを報告するために存在すると言い張りながらそれを自分たちで隠蔽し続け、その対価として自分すらも含めて巻き上げてきた血税を頂いているという姿の情けなさに、本気で俺たちはみんな一度ちゃんと首を吊って詫びるべきなのではと感じますし、時折と言いましたがそう感じざるを得ない瞬間はほぼ毎日襲ってきますので、基本的には己の中にある希死念慮や切腹精神を厚顔無恥によって埋めていくことがワークライフの主成分となります。
上記で述べたようにどこか頭がおかしくならないと自分で自分を殺すか辞めるかの二択しかなくなってしまいますので、大体の人は若干どこか壊れています。多いのは、極端に腰が低いタイプの人(組織の良心です)、世間擦れをカッコイイと思い込んだ勘違い社畜(空気の破壊者です)、特権意識に凝り固まった小役人(実在しますご安心を)辺りでしょうか。多種多様な人間の壊れ方が見れますが、見ていて楽しい壊れ方をしている人は少ないので、それを楽しむ目的での入社はオススメしません。
こんな職場ですが、専門性が身につかないため転職する人は少ないです。これが非常に大事なのですが、転職しない理由は待遇というよりも、専門性が全く身につかないことによる部分が大きいです。ほぼほぼ全てです。専門性どころか、一般的な感覚すら養えないです。強いて言うならば官公庁系との付き合い方を内側から知ることが出来ますが、辞める人の多くはそれが嫌になってやめているのでそれが活きる道は選ばないでしょう。よっぽど若いうちでないなら腰掛けで入るのはオススメしません。
フェイクあり
屠殺はかわいそうだと思うし、畜産はコスパ悪いし環境破壊されるし。あとホリエモンみたいな頭の悪い肉食主義者を見てると、ヴィーガンのほうが理性的に思える。
正直言ってヴィーガンになりたいと思っている。
だけどヴィーガンを始めるにあたってモヤモヤする点があるのでなかなか始められない。
わたしが気になる点は以下。
・自分がヴィーガンになってもペットフードのために家畜が殺されると意味がないのではないか。
・人間がペットにヴィーガンフードを強制することはペットの権利を無視した虐待行為になりうるのではないか。
ヴィーガンの人たちは動物好きが多いのでペットを飼っている人がたくさんいると思うけど、ペットの餌についてはどう考えているのだろうか。いまいち議論されてないようだし分からない。
海外ではヴィーガンペットフードがあり、栄養面は問題ないらしい。けどそれってペットの権利はどうなるんだろう。
たとえば子供の頃。
「ソフト麺」というのも多くの人の郷愁をそそるものらしい(私の地元にはなかったが)。
あるいは弁当に入っている小分けのスパゲッティに喜んだこともあったはずだ。
主役としても脇役としても存在感を発揮するニクい存在、それがスパゲッティなのだ。
イチから作ってもお手軽だ。
弁当や丼よりも、融通の利くスパゲッティをこそ愛する者は多いのではないか。
ジョリーパスタ、洋麺屋五右衛門、鎌倉パスタ、壁の穴、ポポラマーマ、ピエトロ、マンマパスタ…
サイゼリヤやカプリチョーザのようなイタリアン・ファミレスも忘れちゃいけない。
違いはよくわからないけど、
カジュアルにもフォーマルにも愛されているのがスパゲッティだ。
スパゲッティはそのすべてのシーンに寄り添っている。
牛丼は確かに身近な存在だが、「牛丼を食べた」というとそれは「吉野家か松屋かすき家に行った」とほぼ同義だ。
おにぎりを食べる機会は多いかも知れないが、それもコンビニおにぎりか、昼の手作り弁当が大半ではないか。
寿司は、外食と中食で強みを見せるが、「家庭の味」にはなかなかならない。
ご家庭で食べられる袋麺、
おなじみのカップ麺まで。
それでも単なる「庶民の味」を超えて、日本に広がりを見せていると言える。
インネパ店の本格カレー、
http://b.hatena.ne.jp/entry/4668800443334601858/comment/toksato
私は一時期、小さなギャラリー兼レンタルボックスによく行っていたのだが、そこでボックスを借りて作品を売ったり、作品展をやったりしている人たちが不思議で仕方なかった。その作品は、手作りアクセサリーだったり、写真だったり、手芸作品だったり、アートなのか何なのかよく分からない物体だったりした。ちょっと不便で入りにくいところにある小さなギャラリーで、その代わりギャラリー代がかなり安くて無審査だった。自分もお付き合いでギャラリーのグループ展に参加したことはあるけれど、あくまでもワン・オブ・ゼムに過ぎず、自己満足でやっているという感じしかしなかった。
これはご本人達に聞くよりオーナーに聞いた方が早いのかも知れないけど、「お金のためにやってる」と言い切れるほど儲かる場所には見えなかった。一部の人の作品のクオリティはかなり高かったけれど、それならばもっと立地のいいところで、宣伝になるようにやらないと意味がない。あくまでも作るのが楽しいからやっているというなら止めないけど、これだけで生きていこうとするとかなり厳しいとお見受けした。それでも手作りアクセサリーなどで人気のある人は、他のレンタルボックスにも作品を出したり、デザインフェスタみたいな大規模イベントで作品を売ったりしていた。ちょっとしたお小遣い程度にはなるのだろうか?
そして質問その2「作品を作り続けるモチベーションはどうやって維持してますか?」
これ。本当に不思議でしょうがないのだ。私が行っていたところ以外でも、結構あちこちのギャラリーで分かる人にしか分からない作品をせっせと展示している人たちがいて、それなりに格の高いギャラリーではギャラリー代も相当かかるし、沢山の作品を事前に提出してギャラリーの審査に通らないとそもそも展示できない。だいたいどの作品にも値段がついていて、買いたい人は買えるようになっているのだが、わざわざ買って帰って家に飾りたいと思えるものはそうそうない。もっとも私は著名な画家や写真家の作品(複製を含む)であっても、同じものをずっと飾り続ける趣味がないのであまり参考にならないかも知れないけど。どっちかといえばカレンダーみたいに一ヶ月ごとに違う絵が見られるものの方が好きなのだ。
それにしても、私は子ども時代、手作りが大好きだった。折り紙とビーズ細工にはかなり熱中した。子ども時代…といっても高校生になっても続けていたし、当時はわりと高度(?)な作品も作っていた。折り紙だと連鶴(一枚の紙に切り目を入れて、何羽もつながった鶴を折る)やユニット折り紙(沢山のパーツを折って組み立て、さまざまな立体を作る)をやっていたし、ビーズではビーズフラワーなるものを作っていて、ビーズで花びらなどを作って花の形に整え、茎に刺繍糸を巻き付けてまとめて仕上げたものをコサージュにしたり、小さな花束にして人さまにプレゼントしたりしていた。
が、正直作る作業が楽しくてやっていただけで、作り終わった作品はどうでも良かった。人さまにあげたり売ったりするほどの出来でないものも多かったし、折り紙はかさばるわりにつぶれやすいので、運搬や保管が難しかった。でも今ならば、手作り作品をブログで発表したり、ハンドメイド作品販売サイトで売りに出したりすることができる。そんなにお金に執着しなければ値段を安く設定すれば良い。だが、自分のモチベーションがすっかり下がってしまい、地道に作品作りに励むことができなくなってしまった。老眼になって細かい手元の作業が苦痛になったとはいえ、だいたい定時に帰れる職場にいて、時間の余裕はあるはずなのに、何も作れない自分が情けない。ちなみにいまだに折り紙やキレイな柄の包装紙などには目がなくてついつい購入してしまい、材料だけが増えていく状況である。誰か私のやる気スイッチのありかを見つけてくれないだろうか。