はてなキーワード: 修造とは
なんかラグビーのワールドカップがいきなりテレビでやっててびびった。
ルールすら日本人は全く知らないのに、なぜかゴールデンタイムでやってる。
ということで僕の考える日本と世界のスポーツ感を主観でまとめてみた。
ツッコミ歓迎。
・サッカー
日本でもJリーグのおかげでそこそこ人気あるけど、強い選手は海外行っちゃう。
・野球
アメリカが強豪。メジャーには中南米選手がそこそこいるイメージ。
日本では、なぜか強い人気。日本で成績出した奴はアメリカ行っちゃう。
・テニス
欧州が強豪。
日本人が活躍してれば注目されるけど、いなければ全く報道されない。
欧州では大人気。
強豪は知らない。
何故か日本で大人気。
・卓球
中国が強い。
日本はその次ぐらいに強い。
・ラグビー
全く分からない。
・ゴルフ
欧州が安定して強い。
日本では割と人気。
・水泳
日本も割と強い。
人気はほどほど。
後はよく分からない。
追記2:ゴルフ以降追加。
普段は肩が凝る体質ではないのだが、今日は肩が凝って寝られない。寝られないので書く。
連休が始まった土日、誰もいないオフィスで深夜まで仕事してた。
連休の予定はまったくなく、今年も何もイベントもなく過ぎてしまうのかと諦めていた。
あとは帰って寝るだけだ。3日間ずっとだらだらとすごすのか。
一人で映画に行き、一人でレストランに行って、ツイッターに画像あげて、誰からも反応もなく、家に帰って寝る。いつもの休日か。
諦めんなよ。
頭の中の修造が言った。
でも誰もいないし。いまから誘ってもみんな予定あるにきまってるし。
諦めんなよ! 声かけてみろよ!!
いやでも・・・
そうだ! 声かけてみろ!!
「5/5に映画見に行きませんか」
以前告白して振られた同僚の女の子にメッセしてみた。これが深夜テンションのちからか。
そうだ!!できるじゃないか!!!
帰ってその日は泥のように寝た。
昼過ぎに目が覚めた。返信はなかった。
まあ、そんなもんだよな。世の中そううまくいくわけがない。
コンビニ行って飯でも買ってくるか。
メッセの着信音がなった。
都合がいいときだけ反応するんだな。
5月5日。気合いれすぎて30分も早く待ち合わせ場所についてしまった。適当にぶらぶらするかと思ったとたんメッセがなる。
「早くつきすぎちゃいました」
時間に余裕があったのでウィンドウショッピングして時間をつぶしたのち、レストランに行ってランチを食べた。
2人で食べるランチはうまかった。
「なんでいきなり誘ってきたんですか」
「2日も休日出勤してやっと仕事が片付いたけど、連休に何も予定ないし、がんばった自分にご褒美がほしいじゃん?」
彼女は笑っていた。
思い切って聞いてみた。
「じゃあ、手、つなごっか」
「いいですよ」
彼女は戸惑いながらも手を出してくれた。女の子の手は小さく柔らかかった。
身長差があるので中途半端な位置をキープしないといけないので、自然に手がつなげない。
ソシアルダンスで相手をリードしているみたいな体制になってしまう。
映画館について座席に座る。映画が始まる前、彼女の目の前で手をひらひらさせてみた。
手をつかむと、ああそういうこと、と苦笑。
映画の展開もあり、緊張していて手がこわばり、痛くなってきた。でも離したくなかった。
映画を見た後に感想を言い合うことができる相手がいることが新鮮だった。
その後、いろいろ買いたいものがあるというので彼女の買い物につきあう。
最近一人暮らしを始めたという彼女は、お皿やキッチン用品などを探しているようだった。
そのあいだずっと手をつないでいた。
夕方、名残惜しみつつも別れて、一人で家に帰った。
お礼のメッセを送る。「今日はありがとう。楽しかった。またデートしてほしい」
相手からもすぐ、今日は楽しかったと返信があった。社交辞令だとしてもうれしい。
次があるかはわからない。
でも、恋人同士にはなれなくても、休日に手をつないでデートできる相手がいるのは素敵なことじゃないか。
手をずっと繋いでいたら、肩が凝るんだな。寝られないくらい。
普段使わない筋肉を使うと、そういうことが起きると、身を持って理解した。
時々は使っていけるようになりたい。
http://anond.hatelabo.jp/20150308205916
やあ!この記事を見る君たち!
恋愛術とかゴミだ!テクニックじゃない!心と心でぶつかっていくんだ!
ネットは性交、じゃなくて成功体験ばっかりだ!じゃあ失敗体験はどうだ?全然ない!
隠ぺいじゃないよ!隠ぺいじゃない!全然ライン際を攻めてない!
おまんこの奥に恋愛スイッチがあるんだ!ハメハメできればそれでいいでしょ?パンがなければクッキー理論!!
だから、オチンポに答えを聞け!やりたい!誰でもいい!デブス、メンヘラ、シンママ!
アプローチ!アプローチ!アプローチ!アプローチ!アプローチ!アプローチンチンビロビロバー!
以上だお
もう日本の錦織じゃなくて世界のニシコーリなんだろうなという話|りんがる|note
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.mu/lingualina/n/n1eaa4f73ebc4
この人はてなによくいそうな「高校野球に親を殺された系」の人で、もちろん
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.mu/lingualina/n/n42ec2cba77d2
という日本の「やきう」叩きの記事も書いているわけですけど、まあちょっと調べればわかるように
この記事の
は大嘘なんですよね。
参考:http://www.sportsfromusa.com/entry/2014/08/14/083243
で、今回の錦織選手についての記事も、この人に都合のいい錦織像を勝手に生み出して自分が気持ちよくなるために書いちゃってる。
錦織選手がこれまでメディアとどのように付き合ってきたかも、修造チャレンジも知らないで書いてるんじゃないかな?
ぶっちゃけ錦織選手本人がこの記事読んだとしたら「自分は自分を応援してくれる人を差別する気はない」と反発するんじゃないかな。
ま、こんな人の記事読むくらいなら笑えるだけめいろま氏のほうがマシってことで。
野々村議員のMADを見ていると「朝鮮飲みwwww」とか「在日確定」というようなコメントがついていて、それを見るたびにゲンナリしてしまう。
なんだよ、朝鮮飲みって。手で口元を隠しただけで在日認定かよ。日本人だって食事の時に口元を隠したりするじゃんか。くだらない。
こっちは新手のバカを見て楽しむために動画を見てんだよ。ツマラン政治ネタはよそでやってくれ。ニコ厨が全員右翼ってわけじゃないんだよ。
もちろん自分のやっているのが趣味の悪いことだってくらいわかっている。もし自分が野々村議員だったとして、日本中の縁もゆかりもない人々からよってたかっておもちゃにされたら傷つくに決まっている。
でも別に誰かを差別したり政治的主張のネタにしたいわけではない。少なくとも俺は。でもそんなふうに扱いたがるヤツラが結構いるらしい。
俺はそういうヤツラよりマシだ、と言いたいわけじゃない。ただそういうヤツラを見ても面白くない。全然面白くない。ユーモアのかけらも感じられない。
そもそもMADというのは「著作権なんかクソ喰らえ」っていう、よく言えばアナーキーな、悪く言えば単なるバカな文化だったと思っていたのだが、MADを見てるやつが「朝鮮人は国に帰れ」みたいなことを言うのってなんかおかしくないか。いや、そもそもMADを作るヤツも見てるヤツもおかしいやつだってことは前提として。
ロイヤル肉(以下略)さんではなくて次女となのか。さらに年は離れるが、まあ無難な選択だろう。
ロイヤル肉さんは以前、問題になったエディンバラ大学留学時のmixiで、「女王としての身分がある限りお金が支給されるけど、結婚したらゼロになる」みたいな事を書いてたんだけど。
出雲国造の千家家(出雲大社世襲)だったら、女王として支給される額なんて鼻で笑えるくらいの世帯収入があるからなー。財産も凄いし家柄も古い。華族にも名を連ねてて、元男爵。
妹の方が遥かにうまくやったな。もちろん両家の意向もあるんだろうけど。
そもそも、皇族なのだから貧乏な家にはそもそも嫁ぎようがないんだし、ロイヤルさんは心配する必要のない事を書いてたんだよな。今考えると。
mixiなんてやらなければ、今頃国造家に嫁に行くのはロイヤさんだったかも知れない。
まあロイさんも十分にほとぼり冷めたらいずれは家柄のいいお金持ちのところへ嫁ぐんだろうと思うけど。
それに国造家って大社の隣に建ってる古い古い大邸宅で、当主が出勤する時はかばん持ちがついたりして、まあなんというか全然時代が違うからなああそこらへんだけ・・・。皇族から頂くお嫁様だとしても、大変は大変かも知れない。
やっぱり皇族のお嬢さんがお嫁に行くなら、成金(戦後勃興クラス)の資産家あたりにしておいた方が、一番気楽なのかも知れないな。
家や宮内庁に許されるかは別として。
うーん、確かに余裕はない。物心ついてから今まで、人生に余裕があったことって無い気がする。
(とか言うとまた「増田に書き込む余裕はあるんだなw」みたいな奴が湧きそうだが、それでも実際余裕ない。今は〆切が迫ってるが苦手でやる気が起きない仕事を抱えて悶々としている)
言われて今思い出したけど、中高生の頃に「いつも何かに追われてる」とか言われてた気がする。
これは思い出したな。ということは確かに余裕を持って頑張って思い出せば覚えてるのかもしれない。
かといって全力出してるかというと全然そうは思えない。常に「もっと出せるでしょ!なんで出さないの!!」とか叫ぶ修造みたいな奴が心の中にいる。実際その通りだと思う。だから余裕が無い。
推薦をもらって受けた企業の最終選考でわざと落ちた。本当は素の自分を出して受けても落ちたかもしれないけど、
それで受かってしまったら大変なことになってしまうので、落ちるなら徹底的にやろうと頑張ることにした。
まずは小論文。全部白紙だと採用担当者から教授に話がいきそうなので、一文、二文書いて終わりにした。
「社会人に必要な資質」という題では、B5用紙一枚に「やる気が必要だと思います。」とだけ記入した。時間がとても余ったので次の面接のシミュレーションをしながらうつむいて寝た。
そして面接。ノックを二回してドアを開けたらすぐに「失礼しまーす」とひと言。大学名と名前をいったらすぐに座る。履歴書に書いてある通りの志望動機をどもりながら話した。「その理由なら○○社でもいいのでは」という質問には「あ、えっと、そうですねすいません。勉強不足でした」と返した。面接官の僕に対する印象ががくっと下がったのが目に見えて分かった。心の中でガッツポーズした。
「海外勤務への抵抗は」
「はい、えーっと、ないといったら嘘になりますね。本当はあまり海外へ出たくないです」
「学生時代に頑張ったことは」
「はい、僕はえっと、何事にも一生懸命取り組むことが出来ます。あと我慢強いです。はい、あ、以上です」
「いや、特にないです」
終わった。そして落ちた。ホッとした。
実は選考を受ける直前まで、わざと落ちようか真剣に受けようか迷っていた。
「何事にも一所懸命!本気で生きろ!」と心の中で修造が叫んでいた。いやちがう。
それはちがうだろ。周りに流されてなんとなくいい企業を受けて、近くに居る人を悲しませるなら、
この選考を一所懸命受ける必要はない。大切なことはなんだ。よく考えろ。大事なのは初任給ややりがいやプライドじゃない。
物事を細分化して、それぞれを深く考察して現象に解釈を与えるのが学問だとするならば、社会問題って学問じゃ解決できないような気がする。
なんて言うか、たくさん言葉を使って、切り分けて輪郭をはっきり捉えていくに連れて、どんどん元々の有り様から変質してしまっていると思えて仕方がない。
放射能云々でカンニング竹山に放火した人たちやら瓦礫受け入れに反発する人たちってのは、もっと単純な理由から反応しているんであって、難しく考えても意味はないんじゃないかな。
人間が死を恐れる理由と似てると思う。なぜか、よりも先に、怖い、がある。だから通じないし、解決できないし、面倒くさいんだ。
そもそも解釈を与えるのが学問だと仮定したんだから、解決なんてできないって端から結論は出ているわけで。
だからといって考えることをやめてしまったらうんぬんかんぬんではあり、困難な物事にぶつかったときに考えることと知識としての学問は必要なんだろうけれどもさ。
どこが分水嶺なのかは人によってまちまちなんだろうけど、争っている人、火病ってる人がいるのを見ると、傍観者としてしか関われないなあって思う。
いつ当事者になるともわからないからこそ、安全な場所にいるうちに対策を考え、できるのならば矯正したり排除すべきなんだろうけれども、それもまたどうなのかなって思うしなあ。
私の安全を確保するために、あなたを排除します、なんて論法は通じないだろうし、ともなれば共生するか、住み分けするかしかないんだけれども、そんなに簡単なことでもないし。
概念としての住み分けや共生は可能だろうけれど、実生活でとなると問題は立ちはだかるわけで、そういうことするのは途方もないからなんか面倒で、好きにやってなよって思ってしまう。
楽だし、ある意味では賢い処世術なのかも知れないけれど、常にいつくるともわからない危険に晒されているわけでもあって、だとすればその危険を回避するためにいよいよコミュニケーションを閉ざす必要も考えなければならなくなって、なるほど傷つかないための非コミュなる分類もあり得るのだろうななどと思い至るわけだけれど、そう言った非コミュにはそもそも発言権なんてないだろうし、ますます悶々と思い悩むしか方法はなくなって、相談しようにもその窓口へ行くまでに精神的な敷居ができてしまっていて、そう言った状況下において増田や2ちゃんは甚だ住みよい住環境を提供してくれているのだなあと気が付かされるわけなのであります。
ものすごい自己愛と表裏一体の自己嫌悪が渦巻いているような感じなんだなあって思って、それはつまり厨二病にも通じるのかも知れないし、高2病にも通じるのかも知れないし、大二病にも通じるのかも知れないし、要は内向的なナルシストでしかないのだろうなと、やっぱり前にも達した結論に帰結するわけで、ほらみろ考えるだけ無駄だったじゃないかと思う一方、なんで厨二病に然り高二病に然り、二年次に掛かる概念なんだろうと思って、いやいや違うぞ、そもそもの起源が中『二』であっただけでそこには何も意味なんてないんだよって考えつつも、三年制の学校における二年生の自由さ、気楽さ、目的も意義もない自己反芻の多様さを想定すると、あながち関係がないとも言えないんじゃないかとなどとも妄想が膨らみ、なんて言うか、二っていう数字はとてもいいなと、零と合わせて素敵な数字だなと感じていることに気がついた折に、数字に意味を見出す働きってどこからくるのだろう、社会性からか人間性からかとか無謀な問題を提起してみたりして、そんなことどうでもいいやないのと思い、でもきっとどこかしらにはそういったものを研究した文章が残っているんだろうなあ、すげえなあと感心する次第なのであります。
頭の中で文章をうんたら考えるより、浮かんだ文章をそのまま書き出している方が楽しいなって思うのです。もちろん、ひどい文章、無残な表現、ぐだぐだとして読みにくい構造になることが多いでしょう。反対に、短すぎたり、突飛すぎたりしてついていけない文脈になっていることだって多いことでしょう。直前の文章における、逆説の使い方が適切なのか、もっといい言い回しはないのだろうかととか考え始めると、わたしの場合は根を詰めすぎてしまって訳がわからなくなるのです。だから、あんまり気負い過ぎないほうがいいのだと思う。こうやって、意味もなく、意味のない長文を書きたれているこの時間こそが至福であり、なんていうか久々に楽しくて止まらなくなっているのです。
読む人のことを考える文章は、書くのがとても難しい。それこそ、文章と向かっているだけのはずなのに、コミュニケーション能力を測られているような気がします。それが一体誰なのか。わたしが想定した架空の誰かなのか、どこからともなくやってきていつの間にか培われてしまった常識というものなのかは知りませんが、とにかくまあ面倒で、厄介で、鬱陶しいわけなのです。無論、悩んでいる最中にそんなことに気づいているわけがありません。気づいていないのですが、とにかく苦しいわけです。産みの苦しみってやつとは違います。もっと煩雑な、ごちゃごちゃとした混沌が頭を塗りつぶしてしまうのです。
だから何なのだろう。分析したつもりになって悦に入って何がしたいのだろう。修造さんに叱られるかも知れないけれど、やっぱり色々思ってしまうなあ。全てにおいて理由があるなんて限らないのかも知れないけれど、大抵の物事については確かに理由や動悸があるはずだもの。例えば衝動的にこの文章を書いているのだとしても、その衝動はどこから来たのか、なぜ生まれたのか、どうして依然としてとどまるところを見いだせないのか、考えることはできるし、一応の答えを当てはめることは可能だと思う。
問題は、その答えに納得できるかどうか、その答えが適切であると認められるかどうかなんだよなあ。認められないんですねえ、わたしは。優柔不断だから。そうなのかな。もっと正しいものがあるように感じることが多い気がする。自分で出した答えに正しさが見いだせず、そもそもに於いて自分の中に確固とした正しさを確立できていない人間が、正しさについて悩むなんて馬鹿げてる。でも、正しさについて確固とした答えを持っている人って脆いと思うなあ。固いだろうけれども、ダイヤモンドみたいなものだと思う。無論、それだけの輝きと価値を合わせもってはいるのだけれど。
ダイヤモンドにもなることができないクズ石が何を語るのかという自虐が出てしまう。いやいや、クズ石ですらないかも知れない。では一体何なのか。わからないなあ。卑下する必要はないのかも知れないけれど、自分が何なのかなんて誰にもわからないんじゃないかなあって思う。例えば学生とか、どこどこの社員だとか、夫だとか、身分を示す言葉はたくさん纏っているだろうけれど、その言葉を纏っている本体は一体何なのかと問われたたらみんな答えに窮すると思う。デカルトかって感じ。デカルト知らないけど。
知らないことがたくさんあって参ってしまうわ。こんなくっそくだらないチラ裏書き散らして恥ずかしく無いのって、それ一番言われているから。
http://anond.hatelabo.jp/20090614035457
2年前に書いた日記を、見つけた。 そして、そうしてはいけないって、わかっていながら、でも読み返してしまった。
あの夜、二十代後半だと言った俺は、当然ながらあれから二年分だけ歳をとっており、それはつまり三十路を超えたとか超えないとか、まあそんなところなわけだが、結果、そうして歳を重ねた分だけ、あの時誓った「夢」に近づいているのかと言えば、そんなことはまったく無くて、今では、「やっぱり俺の人生はそんな風にできていないんだなあ」、とか、「人生は平和が一番ダヨねえ」、とか、そんな言い訳をするのが精一杯の良い歳こいたおっさんになっている。
へへへ。期待させてごめんね。あのとき熱くなっちゃってごめんね。とか思う。
いや別に誰もあんなの憶えちゃいないんだからいいんだけど。でも、俺が思い出しちゃったから、とりあえず俺はあんときの俺にはちゃんとあやまんないとな、と思って。
ははは、うわあ、カスだなあ俺。すんごい気い使いのカス。謝るって、それはただ「許し」が欲しいだけの今の俺のエゴだろが。ははは、まあ、まあいいや。加害者は俺で、被害者も俺だ。
んで、あれから二年の間だよ、そこで俺が何をしたか。について。だ。
あるいは、あの熱狂タイピングの夜が開けてその朝、俺がまず何をしたか、なんだけど。今さら言い訳しても仕方ないんだけど、もういいや。言うと、こうだ。俺は寝てた。はいはい最悪だなと。
でも、まあ、とにかく、現実は残酷だ。夢は夢だ。期待は裏切られる。想いは通じない。そんな風に考えるんだよ。これが世界のユージュアリー・ストーリーだって。そういうことだよ。みんな。まあ、みんなのことは知らないけどね。
とにかく、人間はそんな簡単には変わらない。ってのが俺の言い訳。それが泥酔した次の日ならなおさらだ。泥酔だったもん、あんとき。いやまじで。
俺は、その朝、一旦は朝の太陽の眩しさに目を覚ましたんだけど、でも駄目だったんです。つまりあまりにも泥酔していた前夜の熱狂のせいで、何もかもが億劫だったんです。夢は?って聞こえてきました。心の奥から、でも、俺は眠いから、仕方なかったんです、「夢は睡眠の中にこそあるもんだ。ファックオフ。寝ろ。どうせみんな死ぬんだ」って、自分と自分の中の修造に言い聞かせて、だから、それでもう一回寝たんです。「無理スンナよ俺。辛いときは休もうぜ。」って。そう俺の中の、修造じゃなくて、なんか気のいい奴っぽい奴、ユースケ・サンタマリアみたいな奴が言ったんです。そういう奴いるよね。なんか優しいのか見下してるのか、人の失態見てほくそ笑んでるのかわかんない奴。まあそれが俺の本質なんだけど。
とにかく、んでもってそんな俺の偽りだかなんだかの優しさみたいなもんに甘えた俺は、会社なんかも華麗に体調不良の有給消化ですわい。ってんで、電話一発休みます、すんませんってことにして、それはまあ別に罪悪感なんかないから、その後普通に昼まで寝て、起きて、うーん。とか思ってたなあ。いや、何か違うだろとか思って。
いや、会社を休んだことなんかは、どうってことないんです、マジで。年に一回、風邪引いたって言って休んで、それで誰かに迷惑かけたり、恨み買ったりするような、そんな半端な仕事も付き合いもしてないし、えっと、ラブ、アンド、ピース?だっけ?当時の俺ww それって要するに真面目にフランクに。なんだけど、まあ、それなりにちゃんと仕事やってたってことなんだけど。まあそんなことで仕事なんてどうでもよくって。
だからその日、俺が感じた違和感は、それじゃなくて、つまりは昨日のアレのことなんです。「夢」です。。俺の夢。きゃー、ああ、俺、言いたいこと言っちゃったなあ、ついに。言葉にしちゃったって思いました。まじで。どうなのよ俺。とか。
昼に近くの定食屋でミンチカツ定食(チョーうまい定食屋なんだなこれが)大盛り食べながら、真面目にそのことについて思いました。
でも、なんか駄目でした。もうこの先の思考書くのめんどくさくなっちゃったから結果だけ言うけど。
駄目でした。俺、駄目みたいです。なんかいろいろあって、あるいは何にも出来なくて、駄目でした。俺は俺を世界に認めさせることは出来ないんだって、思い知りました。はあ。だけど、でもちょっとは頑張ったんですけどね。でも結局、どっかで諦めちゃったんです。今思えばたった二年間だったのに、それなのに諦めちゃったんだなあって思います。でもそれが俺だったんです。ああ、なんか泣けるな。って、しっかり泣いたけどね。ちゃんと、かっこ悪く。ダサい感じに。
夢って、やりたいことやってくのって、それってまあぶっちゃけ才能だけど、
それにプラスして、本当に諦めないことだな、って。どこまでも意志だな、って。夢って結果だなって、行動だなって。はい。まあ当たり前なんだけどね。
でもまあ、なんか切ないです。だってあの日の夢を忘れたあと、あのエントリを読み返してしまうまでの、昨日までの俺の夢は、「明日の宝塚記念の三連複とること。」
ですから。なんすかそれ。平和にも程がありますよ俺。どうなんですか、ブエナですかルーラーですか。どっちなんですか。なんだかんだでドリーム→ハートビートとかなんじゃないですかって。そんなこと思ってましたよ。ああ、すげえ楽しいです。
なんて俺、だけど、だからって、あれから毎日、あきらめて、とか、いいかげんにとか、そういう風にしてたわけじゃないなって、思うんです。ちゃんとやってね、んで諦めたんです。
だからまあ、いいんじゃないかなって。これでやっと、諦められたんだ、ってね、逆に。
そのことを、ちゃんと諦められる程度には、お前頑張ったねって、言えるくらいはやったね。って思うから。
だから俺、あんときの俺、許してね、お前、才能はちょっとだけあったよ。だけど、やっぱりちょっとだけだったから。ちょっとだけの才能は、異常な努力を必要とするから。だから無理だわ。うん、まあ、だから、ごめん怒らないで。俺もできるだけやったんだから。まあ、風邪引いたら寝てたし、睡眠時間は最低6時間はとか、その程度の我侭言って、それを超える努力はしなかったけど、でも、それってお前もそうだよ。おまえは俺だし、まあいいじゃん。でもちゃんと今も生きてるよ。サラリーマンとしての俺は、お前は、来る日も来る日も万事好調だよ。だから、大丈夫だよ。でも、ごめんね。本当にごめん。
ごめん。ごめん。ごめん。ごめん。ごめん。
追記。2011.6.26 18:32
阪神競馬場、第52回宝塚記念、芝2200m。午後3時40分、俺は阪神競馬場メインステージ中央にいて、気だるい雨上がりの湿気と、会場の熱気の中で汗だらだら流しながらファンファーレを聞いていた。
3-7-8。俺の夢。ブエナが絡んでくることはわかっていたんだ。それからパドックですんげえいい感じだったハートビート。直前に雨が降って、うーん、こりゃどうなんだろ。ってなってから、まあいいや、わかんないからルーラーシップ。これだなと。
ものすごいハイペースでレースが立ち上がって、1,2がさらに3コーナーまでビュンビュン行ってた。会場が沸いた。中間タイムが表示されて、会場がさらに沸いた。早すぎる、なんだよこれ。こんなペースで持つわけないぜって、先頭集団は死んだなと思って、うへへ、俺はほくそえんだ。
どこにいるのかよくわかんないハートビート。だからこそいい。うしろでためとけ。まちがいない。とか思ってたんです。
直線に入って1番が終わった。会場から唸り声が聞こえた。だけど、アーネストリーがぜんぜん落ちない。すんげえの、ぜんぜん走るの。圧倒的だった、こんなの勝てない。6番人気ぐらいだったくせに。終わってみたらレコード叩き出しやがってんの。なんだよ、そんでブエナ。ちゃっかり2位だし。どうでもいいわい。
まったく駄目だな。
そのあとパドックで眞鍋かをりの全力疾走を見て、おいおい、がんばってんな同世代よ。とか思って、そんで悲しくなって帰った。
追記2。2011.6.27 18:46
くどいようだが、最期に一つだけ言わせてくれ。いや教えてくれ。誰でもいいから、正直に真実を教えて欲しい。
それは、「あの時、俺達の前を、谷間をぶるぶる揺らせながら駆け抜けた眞鍋かをりは、本当にノーブラだったのか?」
ということについてだ。
非常に重要な問題だ。俺は三階フロアから眺めていたからよく解らなかったんだ。たしかに谷間ははっきり見えた、
そして、それはまるでワガママに揺れていた。
だけど、それがノーブラなのか否か、それを見抜く術は俺には無かった。
ブログでは、たしかにローズキングダムが来たらその時はノーブラになる、という風にも読めるし、
あるいは、それとは別に、私今日のレース回顧はノーブラで出るわ!というワンダフルな告知ともとれる。
なあ、どっちなんだ。
気になって自分の夢に集中できない。
ナヨナヨしてる自信のなさからも感じ取れるんだけど、「構ってくん」だとか「構ってちゃん」だとかって要するに依存症タイプの人間なんだろ。
対象を彼女にしているから諦められないし、離れたくない。
それって恋愛を履き違えていないか?
恋愛依存症者は自分に自信がなく、能力もないと感じているので、それを持っている自立した異性に魅力を感じ、交際が始まります。
しかし、恋愛依存症者は自分に自信がない(自己評価が低い)ために、すぐに相手を失う恐怖(見捨てられ不安)が湧き上がってきて、嫉妬深くなり相手を束縛しようとしたりコントロールしようとします。
男の子を守ってあげたいってタイプでもなければ、自信のない男なんて魅力的には映らないだろ。
自信がないから不安になり、自己陶酔して、依存症になる。そしてネガティブな考えに辿り着き、さらに悪循環。
現実にシンジくんやのび太くんがいたところで注目されるわけでも、ハッピーエンドに向かう主人公でもないんだ。
それを容認するということが、構ってくんなわけだし、変にプライドを持ちたがる。
すごく必要なインフラだと思う。
もし、生活保護がなかったら、街は浮浪者で溢れてしまうんだぜ!
それで全く害がないなら良いのだけど、間違いなく治安も悪化する。
引ったくりや暴行なんかの発生率も上がるだろう。
で、働いたら負けとか言ってるヤツは、どんだけこのバズワードを言い訳に使ってるんだと、小一時間ほどdisucussしたい。disじゃないよ。
この搾取の嵐の汚い経営者どものタメに働きたくない心は十分に理解できる。しかし、働けるのに働かなかったら、将来はどうなるの?
生活保護ですか?批判しといて?
働かないと、人生が楽しくないと思うのですね。個人的に、人は誰かによっって何かを認められないと生きていけない生き物なんですよ。
働かずに誰にも認められず生きるのは、無理だとマジで思う。
あと、母子家庭や子供がいる人たちの生活保護は多少手厚くても良いと思う。
子供は、国の宝ですよ!みなさん。
人は生まれた時から成人するまでは、平等であるべきなんですよ。平等に教育を受け、平等に栄養を取る必要があるんですよ。
だってそうじゃないと、それそこ金持ちの子供は金持ちじゃないですか!みなさん。
教育は最高の投資ですよ。もし貧乏人は十分な教育を受けれなくなったら。それこそ日本オワタです。
今の子供たちに十分な教育を受けさせておく事は、将来の我々のタメのセーフティーネットを準備なのです。
働けるのに働かなくて生活保護を受けてる人たちっているじゃないですか。
こう言う人を徹底的に取り締まらないといけないと思うのですよね。いや居ますよ、やっぱりチンピラとかが貧困ビジネスをしてるのは事実なんですよ。
こんな輩がいるから、生活保護に対してみなさんが懐疑的になってしまうんです。
生活保護の専門の監査機関があっても良いと思います。対費用効果はあると思います。刑事で徹底的に法の下で裁けばいいと思うのです。
憲法で犯罪は、制裁では無く更正を目的としていますが、これだけは制裁でも構わないと思ってる。
だって貧乏人を陥れてるんですよ。金持ちから詐欺をするよりも数倍被害が多い。
で、まとめに入るんですけど。
みんな貧乏人や金持ちを叩くのをやめようよ。金がない時ほどポジティブに行こうぜ!
修造みて心きりかえような。
そんなのと都合よく出会えるわけ無いじゃないか…
やる前からあきらめるなよ。やれる。できる。
さぁ、大きな声で言ってごらん。(修造風に)
彼らがキレる理由というのは「女が回ってこないから」じゃなく
負けを認めて降りた競争から「逃げるのかよ!諦めんなよ!」みたいな
修造野次(修造みたいに馬鹿げた善意の人と、負け組が去るのが生意気で気に食わないって悪意の人)が追ってくるから。
人格的に傷つけられたり必要以上に侮辱を受けたりすることに怒っている。
ネットでもこのせめぎあいがそ~と~長く続いていた。
実際今は他に娯楽もあるし一人身の男への視線も厳しくない。
モテない男にとっては女性ってのは獲得コストと得られるリターンが釣りあわない分野なんだよ。
そういう男がどんどん降り始めた。