はてなキーワード: 伝統とは
以前上の記事を書いた者だが、今期の「戦翼のシグルドリーヴァ」なかなかよい。
まだ二話までしか見ていないが、バンクをしっかり使っていて好感が持てる。
やはりTVアニメなのだからこういった伝統的な技術はしっかり使っていってほしい。
これは今後続くかどうかわからないが、ラストのシーンが1話、2話両方とも止め絵になっているのもいい。
省力というだけでなく、何となく昔のアニメたちを思い出してノスタルジックな気分に浸れる。
それでなくともこのアニメ、見ているとなんだか昔の勇者シリーズを思い出してしまう。
大張さんが参加されているから?いや、それだけではないだろう。
念のために言っておくが、私は別にこのアニメがはいふりと同じスタッフが作っているからステマしているわけではない。
地方都市のさびれたシャッター商店街に行ったら「バナナ屋」のボロイ看板を掲げた店を見つけた。中を覗いてみたら店の中央のテーブルにバナナが数房鎮座されているだけで本当にバナナしか売ってなかった。昭和中期には高級品だったバナナを販売する流行の最先端を発信する店だったのだろう。そういえば昔はバナナの叩き売りなる職業の人がいたそうだ。八百屋でも果物屋でもなく、バナナのみの販売に特化した職業の人が。
現在でいうタピオカ屋も同じようなものだろう。他のスイーツを取り扱うわけでもなく、タピオカミルクティーのみの販売に特化している。そして、タピオカミルクティーそのものとは関係ないインスタ映えを意識した装飾に力をかけている。さながら、バナナ売りが商品そのものよりも啖呵を切ったしゃべりに特化しているのと同じだ。
現在のところタピオカブームは過ぎて多くの店が閉店となっているが、閉店せずに半世紀も続けばバナナ屋のような伝統となるのだろうか。「これが、かつて平成の終わりごろから令和初期の時代に流行ったタピオカミルクティーかぁ」、「うわぁインスタグラムだってよ、懐かしいなぁ」という具合になるのかもしれない。
ブコメ見ながら思ったんだけど
こういうの、なんかずれてるよね
俺は葉鍵が覇権取ったことでエロゲが終わったといまだに思っている エロもゲーム性も市場原理でどんどん排除されていったからな そりゃアニメに取って代わられるわ
流れとしてはこんな感じなんよ
誰も彼もが泣きゲーを求めて
あっという間に消費されつくした
これで終わったのは「泣きゲー」だ
そもそもこれで「終わった」というためには、泣きゲーブームの前に、種種雑多なエロゲーが隆盛を誇らなならんが、そんなこともない
アニメでも、「オタクのせいで萌えしか作られない」みたいなこと言うやつがいるが
それが出来てないのは、自分が好きな作品を見向きもしないオタクのせいとか言ったら
バカジャネーノってなるだろ
伝統文芸みたいに「面白さは支持されないが文化を残そう」ってわけでもないのなら
面白いのを作ればいいだけ
だ
https://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2020/10/01/222627
科学的考証の正しさについては正直どうでもいいと思っているんだけれど、「のび太の新恐竜」に腹が立っているという点は自分も同じ。
下記、ネタバレを回避しようとはしていないので未鑑賞の方はご注意です。
川村元気の脚本のレベルは高い。多少趣味に合わない「感動の押し売り」成分が混じっているとしても、本作はエンタメとして、かなりの完成度だと思ってる。観客の満足度が高いのも当然だ。
だからこそ。
「新恐竜」は、「恐竜」とほぼ同じ冒頭から始まる。某所でたまたま見つけた「恐竜の卵の化石のように見える石」にタイムふろしきを被せてみたら、恐竜が生まれる、そういう序盤。
ここで、生まれるのが「ぴー助」ではなく、「キュー」と「ミュー」だった、というのが新恐竜の展開。つまりこの瞬間に、ぴー助はパラレルワールドに飛ばされ、この世から消えた。のび太の記憶からも消えたことになる。
なんでこんなことができるのか。
「恐竜」に感動した、昔の子供の思い出はどうでもいいと思っているのか。
「新恐竜」なのだから、タイトルも違うのだから、ぴー助の記憶もある世界で、全く別の発端から始まるストーリーで何がいけなかったのか。川村さん、あなたなら十分それで、面白い話が書けるはずだろう。
それでいて、中盤では「ファンサービスです!」とでもいわんばかりに、ぴー助が謎のゲスト出演を果たすのだ。
ぴー助はのび太を知っている。でものび太の記憶にぴー助はない、ということが明らかな描写で。並行世界に飛ばされた者の悲哀しか、そのシーンからは感じられなかった。なんなんだこの仕打ちは。
別に川村元気に限らず、「ドラえもん」の元締めたちは伝統を大事にしていない。例えば、自分が最初に腹立たしさを感じたのは、世間では名作と名高い「ひみつ道具ミュージアム」だった。
同作では、ひみつ道具の数々が、未来の世界でも“選ばれた魔法使い”によって作られた“魔法のアイテム”であるということが明かされる。
これにより、22世紀では皆が当たり前に使っている日用品であり、未来では当たり前に量産化された技術だという、幼い頃に認識していた世界観はぼろぼろに破壊された。
今のドラえもんが、むしろ全盛期の人気を取り戻しつつあり、皆に好意的に受け取られていることは知っている。自分は二次創作に寛容な立場であり、気に入らない人は見なければいいだけだということは認識しているから、別に抗議の声を上げるつもりはない。
でも、年頃の子供がいる以上、自分にこの作品から離れて暮らすことは許されていない。その度に不快感は湧き上がるので、ちょっとだけ愚痴ってみてもいいかなと思った次第。
好きでもない人と結婚させられることも多かったでしょう、男女ともに。だから、托卵も多かっただろうと思う。千年以上の歴史を持つ見合い婚において、一定数の托卵は必要悪というか、一種の伝統と言っても過言ではないかもしれない。昔ならそれも「可哀想だから」、「事情があるから」と美談になったかもしれない。でも、今は違う。男女とも、一応好きな相手を選べることのほうが多いんだから。
だからこそ、子どものDNA鑑定が広まってほしいと思う。男性にとってもだけど、何より生まれてきた子にとっての権利だと思う、本当の親を知ることは。
他人だと思って付き合っていたら、実は父を同じくするきょうだいだったとか、おじおば、甥姪だったとか、目も当てられないよ。親として無責任すぎる。確率は低いかもしれないけど、少子化なんだし、もう令和なんだから。
「妻は奴隷じゃない!内助の功を求めるな!」伝統的なフェミの主張だが
最近のアンチフェミ界隈(表自)のトレンドは「彼くんに助けてもらうのは”女”を利用してるよね」ニチャアだが
これは言い換えるならば夫の内助の功なのではないだろうか?
以前Twitterで
「フェミとアンチフェミが叩いてる男女の特徴、結局一緒でワロタ」と呟いている人がいたがまさにそれだと思う
男でも女でも相手が善意で世話を焼くと無限に寄りかかるタイプは存在する
世間的には「夫を支え成功に導いた妻」とか「若くして辛酸を舐めてきた妻を支える夫(彼くん)」とか性別に依存したステレオタイプが共有されていて、フェミもアンチフェミもその仮想の敵を叩いているだけなんじゃないだろうか
はぁ、
男なら(女も)だまってC定食え。
へんみ
大人数で行け。以上。
俺ここ大好き
晋香苑
運城飯店
食べ放題でとりあえずいい。
渤海飯店
コメントなし。
孔子餐店
孔子の子孫は奥さんの方な。北大界隈でしっかりしてるのはここ。
辛いの頼め。親父の釣り談義に付き合え。
深いこと考えるな。なんらかのセットを頼め。
これに関してはかつてススキノで宝来の系譜にやたら詳しい謎の親父に教えてもらったんだけど泥酔して忘れてしまった。
珠華飯店
マックスバリュというスーパーに車を停めていいのか? だめだ。
そんなことばかり気になってあんかけ焼きそばの味を覚えていない。
広龍
最近こういう店が少なくなった。出前をやってる。
進龍。
閉店になった店だが許してくれ。
平成軒。
秀円 ひでまる
聚宝
南郷通の雄。
北海楼
よく知らない。よく知らない名前の麺を食え。
元増田はおそらく札幌のかなり街中に住んでいるのではないだろうか。
街中だとブコメなどで言われる名店「香州」くらいしか出てこないのだが、実は札幌には以外にそれぞれの地域の顔というか雰囲気がある。
東区はざっくり下町だし、西区はハイソ。丘側が顕著。旭ヶ丘高校近くだと若者多くて華やか。
南はなんというかどっしり。その途中の澄川あたりも独自の文化がある。
北は北高あたりで一つのまとまりがあり、学園都市線沿線で文化圏があり、あいの里がその文化圏の周縁になる。
東は川渡った向こうで別次元で南郷通界隈はそれぞれ文化圏が違うし新札幌は一つコアになる。その向こうは昭和の新興住宅街でそれぞれ文化がある。
街中華はそのそれぞれに、それぞれの人々をお客として成り立っている。
ここに書ききれないお店はいくらでもある。
味は保証できないが。
一ついえることは、実は札幌は今述べてきたような各地域「レペゼン」の色はあまり語られてこなかったのだ。
当然、各地域の色はある。ところが、それを論ずる人はほぼいない。
これはおそらく伝統的に札幌市が博物館構想の中で歴史系を等閑視してきたことに関係があると思う。
札幌は市内でいろいろな地域性「レペゼン」があるのだが、ついにそれを客観的に論じようとする研究者を生む余地を作ってこなかった。
果名温泉の泉質は硫黄泉で酸性度は高く石膏分を含み、典型的には乳白色の湯を湧出し、皮膚疾患や自律神経不安定症、冷え性に効くとされる。現在の果名温泉にあたる場所で湯治が行われはじめた正確な時期はわかっていないが、戦国時代には国衆の松影氏と配下の武士が戦闘時に受けた傷を癒すために東屋を建て、熱した岩に湯をかけて出た蒸気を浴びる療法を行った記録が残っている。
旅館の立ち並ぶ温泉街が発展を始めるのは果名駅が完成し鉄道が停まるようになった大正初期以降で、大正年間には山形屋、鳳萊館、飛雲閣、梅風館、寶山閣が温泉旅館として営業を開始している。昭和初期には湯治客の増加に伴い、月風荘のように高層化した木造建築の旅館が現れた。昭和10年発行の果名温泉旅館協同組合名簿には27件の加盟旅館が記載されている。
温泉街は一大経済圏を形成し、湯治客のみならず温泉での働き手を引きつけた。特に昭和の恐慌時には各地の農村から子女が年季奉公で旅館に送り込まれ、仲居あるいは酌婦として住込みで働いた他、「即席御料理」の看板を掲げた曖昧屋も複数存在していた。
温泉街でありながら閑寂な山居の趣を味わいうる果名温泉は多くの芸術家たちを魅了した。志摩名護也の「果名にて」や葛西前後の「波浪」といった小説は果名温泉の旅館で執筆されており、当時の果名温泉での生活を垣間見ることができる。作曲家和賀英良の名曲「疑問」は、鳳萊館の露天風呂で着想を得たとされる。
戦時中には物資の統制や倹約の奨励で温泉旅館の営業は一定の影響を被った他、温泉街は疎開児童の集団受け入れの場となった。終戦直後の乏しい物資供給を乗り越え温泉街の旅館は営業を続けたが、高度経済成長期には急峻な地形に鉄筋コンクリートの高層ビルを建てにくかったことから果名温泉は団体旅行の受入地とはならず、鄙びた温泉地の形態を留めた。
今世紀に入って旅行者の嗜好が変わるにつれ、果名温泉街の伝統的な景観と旅館の木造建築が再び脚光を浴びている。経営者の高齢化、湧出量の維持といった課題を抱えながらも、温泉旅館協同組合が主な担い手となり、地域の産業振興策と一体となった新たな温泉街の魅力づくりに取り組んでいる。平成10年には青年会により温泉街で第1回オメガラーメンまつりが開催され、果名村が発祥とされるオメガラーメンを温泉とともに楽しんでもらう行事が現在に至るまで毎年秋に行われている。
インドで「最下層カースト女性」への性暴力が止まない理由─目をえぐられて舌を切断、3歳少女も犠牲に
https://news.yahoo.co.jp/articles/e598ccbde4189f8a490b5d9bcb2b1729ac7ffa45
不可触民は、ヒンドゥー社会の中でも最下層階級であり、「触れると穢れる人間」として扱われてきた。不可触民は、触れてはいけないだけでなく、見ることも、近づくことも、その声を聞くことさえいけないとされた。
不可触民 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%8F%AF%E8%A7%A6%E6%B0%91
「触れてはいけない」のにレイプするって、インド古来の伝統じゃなくて、いわゆる「作られた伝統」っぽさを感じる。ここ重要じゃね?教えて増田の知識人。