はてなキーワード: フェミナチとは
フェミとポリコレに疲れてツイッターを辞めたら、より有害な増田の方にシフトしてしまった。
オナ禁もしているからか、承認欲と性欲が化学反応を起こして境界性人格障害になりそう。ブサメンだからなれないけど。
美しくなりたい。他人を思いっきり振り回したい。この世に爪痕を残したい。
女子高生になって陰キャにちょっと優しくした後、告白に誘導してこっぴどく振ってやりたい。オタサーの姫にもなりたい。パパ活もしたい。その後ちょこっとプログラミングをかじっておじさんをちょろまかしてマイクロソフトに入社したい。
雨宮処凛みたいに性だけを武器にセンセーショナルな分野に特攻する日和見知識人を目指すのもいいな。
現代社会で主人公になれるのは女だけ。ただし顔面偏差値が大東亜帝国以上に限る。
個人的には「会いに行けるアイドル」ブームとキャッキャウフフの日常系アニメの台頭が男にトドメを刺したと思っている。フェミナチもキモオタもどっちもどっちだわ。
20☓☓年の日本ではクリエイターの権利は神聖不可侵のものとされていた。日本のコンテンツを海外に売り込もうという政府の意向と、表現の自由を最大限にしたいというクリエイターおよびそのファンの願望が合致したのである。保守派の議員が表現規制を推進しようとした時代はとうの昔に終わり、いまや与党の中枢は表現の自由戦士で占められていた。
刑法が改正されて「クリエイター侮辱罪」が制定され、表現の自由を侵害するフェミニストの一斉弾圧が行われた。それは表現の自由の侵害であると主張した憲法学者や弁護士たちも逮捕された。
現在、逮捕された彼/彼女たちは思想改造のため、強制収容所に収監され、萌え絵やエロ絵に囲まれて生活している。しかし、その一部は弾圧を逃れ、「隠れフェミ」として地下活動に励んでいるとされていた。警察はいまもその行方を追っている。
街角でも、萌え絵やエロ絵に対する批判はいっさい禁止され、公共の場に氾濫するエロ絵に「違和感」でも表明しようものなら、即座に密告され、逮捕・収監される状況になっていた。コミケでは、エロ絵のバッグが大々的に復活し、終了後のりんかい線やゆりかもめには幼女の裸のイラストが溢れる事態となった。
渋谷の大通りに幼女の裸体イラストの広告が大々的に掲示されたときには、CNNやBBCは「二次元ポルノ大国日本」として報じたが、そうした記事をSNSで紹介するだけでも「出羽守」「売国奴」とみなされ、たちまち糾弾の対象となった。
街角の書店はほぼ全滅し、大規模書店が大都市の中心地にみられるだけになっていたが、そのなかで大部分の書籍の表紙は萌え絵になっていた。夏目漱石や森鴎外などの小説の表紙は言うでもなく、ハンナ・アレント『人間の条件』の表紙は当然のごとくデフォルメされた美少女アレントであり、アリストテレス『ニコマス倫理学』の表紙にはニコニコしながらマスをかいている美少女のイラストが描かれていた。フェミニストの書籍は言うまでもなく大部分が発行禁止になっていたが、ストロッセンや初期の牟田和恵などの著作は大々的に宣伝されていた。
この頃になると、全国民のあいだで「二分間憎悪」が行われるようになっていた。ある時刻になると、街角のスクリーンや各々のスマホの画面に「パブリック・エネミー」が現れる。それを国民全員で罵倒するという儀式である。
そのパブリック・エネミーには、かつて名を馳せ、いまは地下で活動しているとされるフェミニストが選ばれていた。そのフェミニストたちがスクリーンに登場するや否や、国民は男女を問わず「フェミナチ!」「全体主義者!」「表現の自由の敵!」といった罵詈雑言をぶつけるのである。二分間憎悪の最後には、そうしたフェミニストたちが性的に陵辱されるアニメが映し出された。これも「表現の自由」により擁護される表現なのであった。
そうした体制に違和感をもち、密かに「隠れフェミ」に関心をもった女性がいた。やがて彼女は『フェミニズムと表現の自由』なる著作を手に入れ、その内容に惹かれていく。だが、実は「隠れフェミ」は彼女のような異端者を駆り出すための仕掛けにすぎず、『フェミニズムと表現の自由』もその餌にすぎなかった。
熾烈な拷問の結果、彼女はクリエイターへの忠誠を誓って解放される。彼女はただ処刑されるのを待つだけの身である。彼女が見上げると、そこには巨大な幼女の裸体のイラストが掲げてあった。そうして彼女は泣きながら、自分がそれを愛していることに気づくのであった。
有岡メアリ @gen_ROWDY
千葉市の中高生の性犯罪増えるぞ。はけ口ぐらいあったっていいだろ。これだからフェミナチは・・・。
ひなた @sunny_days365
親に隠れて買うならネットで簡単に買えるし 裏サイトなど余計な監視対象が増える
有害図書を排除した大人世代の子供が 嫌悪物排除主義になり 人として共存工夫が出来なくなる
憂フ夏 @udx
性犯罪の抑止力がなくなって被害者増えたりって議論はなかったのかな
ミニストップが成人向け雑誌販売停止とかこれは少子化が進みますね
邪帝 @VMAX07
ミニストップが成人雑誌販売無くす つまりミニストップは利益と風紀をとりに行くと
奈々エクスプレス@ナナクラ @rGe30J37ERSi1zW
女性客や子連れの客にはいいかもしれないけど、規制ばかりの風潮は逆に、性犯罪が増えるリスクにも繋がるんじゃないの?性に対する場面で実際に対処の仕方がない分からない人も増えてるのは事実だし。
©鍵山/Clave@愛宕愛してる @kagiyama1468013
こうやって日本から徐々に性教育が無くなって行く( ˘ω˘ )
オリンピックを見据えてクリーンな店をみたいなそれらしい事言ってるけど、ミニストップしか近隣に無い地域で、代替するツールが無くなった返りとして性犯罪が増えたらウケる。
もふりしゃす@なめおリゾート @keeponsleepingS
201✕年のある日、東京の多くの駅に巨大な萌え絵ポスターが登場した。欲情的な表情を浮かべた巨乳の少女が半裸の姿で通勤客を眺めている。萌え絵が好きな層には大ウケであり、ポスターの盗難が相次いだ。
「でも、あれはちょっと欲情的すぎるんじゃない?ちょっとやだな」
フォロワーからいくつかの「いいね!」がついた。そのうちの一人がリツイートした。
地獄の蓋が開いた。
無数のリプライも押し寄せてきた。
「あれが欲情的だなんて誰が決める?」「お前の主観を押し付けるな!」「ポリコレ棒で俺らを殴るな!」「フェミナチ発見!」「糞ビッチの全体主義者が!」「表現の自由が分からないのか!」
女性は慌ててアカウントに鍵をかけたがもう遅かった。特定班が動いた。
「コイツの本名、自宅、住所も特定した」「スネークいきます!」
結局、女性はツイッターのアカウントを削除し、引っ越しをした。
「表現の自由は守れられた!」
喪男を迫害したいフェミナチがこれ幸いと弱者男性がモラハラやってることにして叩いて回った
これと同じことがミニマリズムでも起こった
お手軽に個性を得たい、周りを見下したい、ブログで注目されたい
そんな私欲にまみれた連中がミニマリストを名乗り始めた
そこにミニマリストってちょっと鼻につく、でも批判は無理筋だという自覚はある
そんなことを考えてた人たちが「こいつらなら叩ける」と立ち上がった
「ミニマリスト的な考えは嫌いじゃないよ」みたいな予防線も忘れない
「この人はミニマリストだけど考え方は賛同できる」という冷静な姿勢が、批判のときはできなくなる
「この人の考えに賛同できないから、この人が名乗るミニマリストってやつ全体を否定する」となってしまう
賛同できるミニマリストは名前も挙げないわりに、賛同できないミニマリストは該当記事をリンクして名指しで批判する
だから批判をほとんど見かけないミニマリスト界隈が気持ち悪くてしかたないだけだったんだ
彼らはミニマリストなんてどうでもよかった
フェミニズムを拗らせた結果、レイプものや売春もの等しか受け付けなくなった人達(と、百合しか受け付けなくなった人達) - Togetterまとめ
これにまとめられてるまくるめさんのツイートを最初に見た時私は凄く共感したんだけど、
RTされたり、更にこうやってトゥギャられたりするにつれて、
最初のまくるめさんとその周囲1クリックが持ってる感覚から外れた方向にも話が行ってる気がしたので、あれこれ書いてみた。
が、よくよく考えてみると、これはまくるめさんについて分析したのではなく、
まくるめさんのツイートに勝手に共感した私自身についての自己分析になってたので、
インターネットをしたり幾つかの本を読んでいると、
「男性が女性と性的関係を持つ際は、男性から女性に対する暴力や消費やサディズムが発生することを避けられない」と暗に明に主張するフェミニストを目にする。
この場合のフェミニストというのは、もしかしたら他に厳密な言い方があるのかもしれない。
たとえばラディカルフェミニスト、フェミナチ、ミサンドリストとかの、フェミニストの中でも偏った層かもしれない。
だが少なくとも私には、あの人たちの、男性の暴力性を訴える主張がインパクト強く受け止められた。
男女は不公平なものであり、そして性的関係においてその不公平さは特に発揮され、許されざる……なるほど!!
けれども私は異性愛者で、しかも割と性欲の強い方で、女性に性欲を向けずにはいられない。
つまり、女性に暴力性を向けずにはいられない悪辣な存在だ――少なくとも、私が意識したフェミニストの主張に沿えばそういうことになる。
だが、私は善人たりたい、いいカッコしたい、優等生でなければならないという意識も強く、自分のその悪辣さを仕方がないものとスルーすることはできなかった。
たとえ架空の女性キャラクターに対しても、素直な性欲を向けるのは自分が差別主義者である後ろめたさがつきまとったし、
私ではない主人公の○○君がヒロインと純愛を繰り広げる話であっても、暴力を美しい欺瞞でデコレートしてあるようで不道徳に見え、
異性愛には暴力性が伴う、だが性欲は消せない、つまり私はサディズムや暴力性を捨てられない、それとどのように向き合えばいいか……。
葛藤の結果、とりあえずの落とし所として私が縋ったのが、
「加害意識のない加害者よりは、加害意識を持ってする加害者の方が少しは誠実で公正だ」という倫理観だ。
この倫理が正しいかどうかは大変議論の余地があるだろうが、私自身を納得させるには足りた。
だから、男性の暴力性や加害性を極端に強調したハードレイプものや調教物、
女性が男性とセックスする理屈が明確な損得として可視化された売春物などを好むようになった。
女性に対する暴力を発揮する作品であることも、それを私が好んでいることも変わらない。
だが、その悪辣さを、美しい愛などという欺瞞で隠していない分だけ、僅かに免罪してもらえるような気がして、少しだけ安心できた。
桜の枝を折らずにはいられないけれど、それならせめて分かりやすく折っている方が許してもらいやすくなるはずだ、と(ワシントンと桜の逸話は創作らしいが)。
また、私は男性が登場しない百合作品も好む。そこには男性から女性への一方的暴力は存在しないから。
もちろん作品内にも現実にも同性間の暴力は存在するのだろうが、
私に強く影響を与えたタイプのフェミニスト達は、同性間においても恋愛は間違いなく暴力構造になっている、
ということをあまり言わないので楽しんでも罪深さを感じずにすんだ。
ところで、上記のまとめで家族について話が及んでいたが、私も家族関係にはわだかまりがある。
私の場合、家族環境がこの話の中でどういう影響を与えたかというと、
「男性が女性と性的関係になるとき必ず暴力性を発揮する」なるフェミニストの主張をすっかり受け入れてしまいやすくなった、
ということをもたらしたと思っている。
もしも健全な家庭環境で、男女間相互の愛の素晴らしさとか、性別に関わらず無償の愛を与えることが互いを幸せにするとか、
そういう愛や性愛の美しさや正義や有益さを信じられるように育っていたら、
フェミニストの主張を、ここまで深く飲み込み染まらずにいられただろう。
「暴力性が存在するなんて一面的でしょう、私の両親同士や、親と私という、愛しあい幸福である実例があるんだから」と、
心の中で反論できたのだと思う。
でも私はそうじゃなかったので。むしろ愛に対して不信感を抱いて育ってしまったので、
「なるほど、やっぱり男女関係はおぞましいものだよな!」と納得してしまったのだ。
もともと私が目にしたフェミニストたちは
「男女関係においては男性の暴力性が発露しやすいから気をつけましょう」程度にしか言ってなかったのに、
あの人たちの意見を幾つも集積した上で私は家庭環境によるフィルターをかけて、
「男性が女性と性的関係を持つ際は、男性から女性に対する暴力やサディズムが発生することを避けられない」とまで意味を強めたのかもしれない。
愛の素晴らしさを実感するとか、私の暴力性を許されるとかしたら少しは拗れが治るかもしれない。
暴力性について極論を言えば人間関係は全て暴力のやりとりなのだから、異性の恋愛関係についてのみどうこう言うのもおかしな話だ。
しかしそうは言っても私は、特に自分の性欲が女性から許されない感覚が拭えない……許してほしい……
許すそぶりを見せてくれたら治るんじゃないかな……甘えさせてほしいな……
でもどうせそこまで受け入れてくれたり面倒見てくれる女なんて現れねえんだし、フェミニストどもも家族も俺をここまで拗らせた責任は取ってくれねえんだ!
クソ! クソども! 女はみんなクソだ! 俺をここまで苦しませやがって! 俺はミソジニーに走るぞ!!
……という方向にはいかないようにしたい。三十路童貞なので三十路ニーくらいにしておきたい。