はてなキーワード: サンドバッグとは
酔っ払って逆に眠れないから今思っていることを書く。
クローゼット(ゲイを隠してる人)に限るけど当たり前だ。嘘なんてつきたくないけどつかざるを得ない。
小学生の頃から始まる好きなアイドルや好きな女性のタイプ、好きなAV女優なんて毎回嘘だ。
望んでもいないのに毎回嘘をつかないといけない人生を送っているやつがいるって知ってほしい。
頼むからいい年こいて独身のやつにわざわざ詮索するような質問を面白がってするのはやめろ。
こっちは子供の頃から何度もそれに対応してきてるんだ。何度聞かれたって結局嘘をつくしかないんだ。
誰も望んでゲイになった訳じゃない。治療できるかもとかいってるやついるけど本当にできるなら治療してくれ頼むから。(数百万かかるとかなら金ないから無理だけど)
ところでまわりの人がみんな結婚していく中、いつまでも指輪もなく子供も連れずに結婚式に参加してる奴の気持ち考えたことある?
結婚式に参加するのは取り残されて辛い部分もあるけどそれでも嬉しいことなんだよ。自分ができないことをまわりの奴がやってくれてることが。
日本の未来を支える子供を作れることの素晴しさはさ、作れないからこそこっちは痛いほど感じてるんだよ。例の人が生産性がどうのとか言わなくたって。
休みの日に暑い中、何人もの子供をプールに連れていってるお父さん、電車で子供抱えたまま立ってるお母さんとかみんな尊敬してる。(席譲れとかいうアホなツッコミはやめてくれ)
そんな訳で自転車乗ってる時とか子供やベビーカーは大回りで避けてる。自分が危害を加えることがあったら嫌だし。
電車で大泣きしてる子供はみんなかわいいし元気でいいと思う。まあ自分の家で毎晩やられたら多分そうは思えないんだろうな。
生産性やらの話で自分の意見がはっきりいえるのはオープンにしてるゲイだけで、本当は色々言いたいことはあるけど言えない人間は俺以外にもいるはず。
だって言ったらゲイだってばれるから。「バレたっていいじゃん、まわりはあたたかく受けいれてくれるはず」っていう人もいるけど、違うんだよ。
受けていれてくれる人にはむしろ言いたいけど、言うのはエゴだって思う人もいる。
そして何より理解のあるあなたにはバレてもいいけど親には知られたくないんだよ。親もうすうす感づいているだろうけど、面と向かってバラしたら最後だ。
孫ができるかもしれないっていう期待を完全に裏切ることになる。親にとっても、自分を育てた甲斐がなかったってことになるかもしれない。いわゆる「生産性」から見れば。
まあごちゃごちゃ書いたけど、要は隠れゲイはみんなサンドバッグだよ。何を言われてもこういう場所でしか言い返せない。デモにも参加できない。
まわりにもゲイがいるってもっと知ってもらった方がいいのは分かってるんだけど。まわりにゲイがいないと信じ込んでる人は平気で差別的なことを言うから。
あなたのよく知ってる人が実はゲイだと知ったらちょっとはものの見方が変わるんだろうけど。
※ そういや日本はゲイにとって住みやすいみたいなことを言ってる人がいたな。それはあなたがまわりの人に恵まれてるんだよ。心底うらやましいよ。
パワハラを受けたら加害者の子供をなぶり殺すのが合理的だと思う。
全く本気で……。
パワハラ野郎どもが社会的制裁を受けずに我が世の春を謳歌している、そんな事例はこの世の中にウンザリするほどありふれてる。
つまり、日本という国が、日本という社会が、パワハラ等の悪行を社会的制裁を受けて然るべき事柄としては現状扱っていないことがよくわかる。
あくまで建前的に許されていないということになっているだけで、実際のところ、この社会はパワハラ等の悪行を、誰が被害者か?どういう状況か?によって、条件付きで不問に付しているということ。
法治国家でありながらも法にもとる行いが許されちゃっている←こういう不完全・不徹底があって、その穴をつく限りにおいては悪行もまあOK♪という歪んだ状態。
そんななかで、被害者だけがお行儀の良さを求められるのはおかしい。
キチガイになるか死ぬかの瀬戸際に追い込まれるような、理不尽極まる悪辣なパワハラ事例においては、
被害者が法律など度外視でめちゃくちゃにやらないのは非合理的としか思えない。
例えば、
パワハラ加害者の最愛の子供が入園式を迎える日まで待って、満を持してなぶり殺しにする、
なんて凶行であろうとも合理性は失われないのではないかと思う。
当人を殺すとしたら大して苦しまないで因果応報が終わりになっちゃうじゃん。加害者本人の人生が終わるってだけで。
子供は親の因果を背負ってるし、そんな最低の親の遺伝子を受け継いでるし、少なくとも幼い頃はそんな最低の親のことを無条件で慕ってるだろうし。
親の悪行を考えたら、このくらいの悲劇や凶行でも釣り合いは取れる。
自業自得で最愛の子供に復讐の矛先が向けられたとなると、さすがに自分の行いに思いを馳せて気が狂うほど悩み、苦しみ続けるでしょ。
釣り合いは取れてる)。
お天道さまは、そうした凶行に及んだ被害者を許すか、あるいは、被害者も加害者もどちらも裁くかだよ。
被害者だけが一方的に傷を負って、加害者は人生を楽しんでいる、というアンバランスな酷い状況を考えてみてほしい。
お天道さまの裁定がどっちのパターンになろうとも今よりもマシだろう。
ここまでの立場になって理不尽を強いられてる、社会公認サンドバッグのパワハラ被害者の発達障害者が
社会常識やルールと照らし合わせてこれまで強いられた損害をチャラにできずにいるのはアホくさい。
レイプ被害を黙って一生涯自分の責任として反省し続けるくらい馬鹿げてる。
『同調圧力(どうちょうあつりょく 英: Peer pressure)とは、地域共同体や職場などある特定のピアグループ(英: Peer group )において意思決定を行う際に、少数意見を有する者に対して暗黙のうちに多数意見に合わせることを強制することを指す。
少数意見を有する者に対して態度変容を迫る手段にはさまざまな方法がある。少数意見を有する者に対して物理的に危害を加える旨を通告するような明確な脅迫から、多数意見に逆らうことに恥の意識を持たせる、ネガティブ・キャンペーンを行って少数意見者が一部の変わり者であるとの印象操作をする、「一部の足並みの乱れが全体に迷惑をかける」と主張する、少数意見のデメリットを必要以上に誇張する、同調圧力をかけた集団から社会的排除を行うなどである。』
身に覚えないだろうか?
とくに『多数意見に逆らうことに恥の意識を持たせる、ネガティブ・キャンペーンを行って少数意見者が一部の変わり者であるとの印象操作をする、「一部の足並みの乱れが全体に迷惑をかける」と主張する、少数意見のデメリットを必要以上に誇張する』の部分である
2018年8月1日、SSA3のシークレットゲストが発表され賛否両論議論を巻き起こしているが、
常にシークレットゲストに備えて全通しない奴が悪いという自己責任論や
「SSA3のシークレットゲストに文句を言ってるのはライブに興味がない奴」などのレッテル張りは勿論のこと
元声なしアイドルがゲストなのに「ゲストを気にするのは声優にしか興味がない声豚」などという支離滅裂な叩き方をしてるPもいる。
杏botの件ではちょっとでも疑問に持った人が陰キャと罵られていたのも記憶に新しい
また、明らかに同調圧力かける場合だけでなく、茶化しておもちゃにすることによって本来の問題をうやむやにし、その話題をまともに話してる奴は馬鹿だ、変わり者だという風潮が出来上がってしまう場合もある。
城ヶ崎美嘉のロリコン騒動や佐久間まゆの百合の件はこのタイプの同調圧力だと私は思う。
今からでも調べられるので是非、自分の目でその異様な光景を見て欲しい。
ありとあらゆる不満や意見、批判に対して同調圧力及び人格攻撃が行われている。
ASであれば1/13、ミリオンなら1/39、デレマスだと1/188がそのアイドルの担当Pで12/13、38/39、187/188のそのアイドルの担当ではないPだ。
凄く当たり前の事を言ってるようだがそうではなく
というかデレマスの話題にも関わらず、みんマス厨がよく事情も知らないくせに首突っ込んでくるのがザラにあるので実際はもっと悲惨だ。
アイマスはギャルゲーでありキャラ萌え系の作品である。アイマスというコミュニティはみんマス厨が支えてる訳ではない、無数の担当Pという個人の集合体だ
「少数派だから」という暴論でそのキャラの担当Pの意見を蔑ろにしていい訳がない。
ではなぜ多数派が少数派を叩くのかというと
苦しんでいる担当Pがそこに至るまでの背景や環境を想像する能力がないから、安易に少数派、一部のP、マイノリティという言葉を振りかざし叩いてるのではないかと私は考える。(叩いても許されるサンドバッグが欲しいだけだろと思わなくもないが)
何も担当Pの気持ちになるですよ担当Pを思いやれとかとか高度な事を言ってる訳ではない、自分の担当アイドルがそういう扱いを受けた場合の想像くらいは余程の馬鹿でもない限りできるはずだ。
まあ、初期の方から声ありだったアイドルの担当Pには声なしの気持ちが理解できるとは思えないし
ありとあらゆるコラボに引っ張りだこな圧倒的人気アイドルのPが不遇アイドルの担当Pを察するのは不可能に近いが
少なくとも
「お前が不快な思いしてようが、アイマスに文句つけんな。俺は嫌な思いしてないから」
この投稿の為に増田に登録し過去記事を参考にしたが、はてなにネガティブな話題が多いのは、Twitterでネガティブな事言うとスクショで晒された挙げ句、村八分にされるからだと思う。
Hagexさんの件で、「殺人は許せないのは前提においた上で、彼やその取り巻きが日頃やっていた行為は『いじめ』であり、正当化されない」という意見と、『いや、叩くべき相手を叩いていたのであって、正当な批判だ。」という意見で割れています。
実際どうだったのでしょうか?
ほとんどのHagexさんのエントリは、うかつな差別意識をのぞかせた企業を叩いたりと、「正当な批判」と言えるものである一方で、よくよくエントリを見ると、その中には「イジメ」と言われても仕方のない面がありました。
印象論であると割れるので、Hagexさんがやっていたように引用ベースで『ウォッチ』していきます。
魔太郎界のサンドバッグ王子ことイケダハヤトさんがとりあげて、局地的に盛り上がっております。(出展)
魔太郎のような外観ですが、凄腕AV監督(はめ撮り系)のような声をしていました。(出展)
ちなみにネット界の風雲児!カリス魔太郎系プロフェッショナルブロガーで有名なイケダハヤトさんがよく「The Startup」の中の人について褒めているので、その点からも大変興味深い。(出展)
Hagexさんの過去のエントリを見ると、イケダハヤトさんを何度も「魔太郎」と呼んでいました。これは彼の容姿をさした「あだ名」です。
『魔太郎』にたとえて、人の容姿を公衆の前であざけるのは、控えめにいっても、ルッキズムであり「いじめ」としか形容できない侮辱行為です。加えていうなら、彼の言動を批判する際に「魔太郎界のサンドバッグ王子」のように過度に侮蔑的な表現を使う必要ってあるんでしょうか?
しかも、上記の記事は、イケダハヤトさんについて「Adsenseでマネタイズ出来ないのはプロブロガーとはいえない!」とか、「イケダハヤトがThe Startupを擁護している!」と言及している文脈なので、「悪いことをした奴を叩く際に、ふと出てしまった暴言」ですらありません。
Hagexさんは生前ネットウォッチについて、こんなポリシーを述べていました。
さて、不肖Hagexが、ネットでの論争・喧嘩・炎上時に「一番気をつけること」をお伝えします。それは、「本人の努力ではどうにもならない部分を攻撃・揶揄・嘲笑・理由にしない」ことです。もっと簡潔に言うなら「差別要素を入れるな」なんですが、「差別」と言われても具体的ではないので、イメージしにくいですね(出展)
Hagexさんらしい素晴らしいポリシーですね。どうやら、イケダハヤトさんにはどうやら適用されなかったようですが。
容姿を揶揄するのはルッキズムであり、直球ど真ん中の「差別」だと思うのですが、Hagexさんの中での「差別」の定義は違ったのかもしれませんね。
少なくとも「魔太郎」とよぶのは「正当な批判」とは程遠い侮辱であり、生まれつきの容姿を揶揄したものであり、「イジメ」では?と考えます。
イケダハヤトさんはサラリーマンを馬鹿にしていたり褒められた人ではないかもしれませんが、だからといって「魔太郎」とあだ名をつけて「いじる」のは正当化されないと思います。
・田端信太郎さんが梅木雄平さんの出会い系プロフを晒して大げんか
梅木さんのPairsプロフィール(非公開)がZOZO田端さんに晒された件について、晒されたプロフィールと一緒に再度まとめています。梅木さんはこのプロフィールを晒された事について、強く抗議をしていました。しかし、Hagexさんの記事で更に再拡散される形になりました。
この件に関しては、梅木さんはただ真面目に婚活をしていただけです。Pairsのプロフィールは極めてプライベートな事案のはず。Hagexさんの記事を見ればわかりますが、梅木さん本人も「これはイジメだ。嫌だ。本当にやめてほしい」と嫌がり、強く抗議していました。
梅木さんが本当に嫌がっているのに、ブログで改めて晒し上げる『正当な事由』というのは、いったいどこにあったのでしょうか?そもそも、これってどんな部分が「正当な批判」なんですかね?
この記事は、本人が嫌がっているPairsのプロフィールを「こんな痛いプロフィール書いてるぜ、こいつ。しかも、いじったらマジギレしてやんのwww」と晒し上げる『イジメ』以外の何者でもないと思います。
・大晦日の梅木祭り 出会い系アプリで梅木雄平さんがパパ活を行なっていた?
この記事では、梅木さんの写真をつかったユーザーがパパ活サイトで相手を値切ろうとしていたのでは?という趣旨を述べています。
「パパ活をしていた」というのは、本人の社会的信用を著しく毀損するものであり、本人との確定がとれていない以上とりあげるべきものではないですよね。梅木さんのように毀誉褒貶のある人なら、『騙り』の可能性もありますから。
誰かの社会的評判を下げるような未確定情報を流す人を諌めるのがHagexさんだったと思いますが、梅木さんは適用除外だったのでしょう。
この記事には「こいつパパ活してるぜー」以外の何の示唆もなく、梅木さんの評価をさげる目的の記事であり、「正当な批判」とは程遠いものだと思います。
ただ、梅木さんの記事については、当時から批判的なはてなユーザーもいたので、それははてなの良いところだと思います。
つらつら書いていくと、「加害者を正当化」「殺される理由にはならない」と論点をズラす人が出そうなので、改めて「正当な批判orいじめ」問題に論点を絞りますね。
これって「正当な批判」なんでしょうかね。私には「いじめ」「ネットリンチ」としか思えないのですが。
『どんなことをしていたにせよ、殺される理由にはなりえないし、殺害は正当化されない』という前提と、「Hagexさんのネットウォッチ作法の一部に問題はあった」と議論するのは両立します。
増田で故人の粗をまとめるのは良くない行為でしょうね。だけど、悪かった部分を指摘する意見すらも、声の大きい人達によって論点をすりかえられ、「彼の批判は正当なものだった」とされるのは違和感があります。
梅木さんも、イケダハヤトさんも、サラリーマンを馬鹿にしていたり褒められた人達ではないとは思いますが、だからといってイケダハヤトさんの容姿を「魔太郎」とからかうことは「正当な批判」なのでしょうか?
真面目に婚活しているだけの梅木さんのPairsプロフィールを晒し上げることに、いったい何の社会的意義があるのでしょうか?
私も第二の低能先生かもしれない。自戒を込めて。この増田が良増田だったので私も少し吐き出そうと思う。
自分の幼さを自覚しろ、こう思える様になったら人生楽に生きられるのかな?
この辺りの増田とも関連してくる話。
私も上記の増田主達と近いタイプだ、世間の言い方で言えばコミュ障と言われるタイプで間違いないと思う。
他人と会話する時、相当落ち着いた状態でないと自分の思っている事を上手く伝えられないし、それが理由で
人によっては「何を考えてるのか解らなくて怖い」みたいな印象を持たれる事も少なからずある。
その上で、「あ、この人なんか付き合いづらいな」と思う相手と遭遇したら「(私が)あの人を苦手なのは何故だろう」
と自分に問いかけてみる様にしている。
そういう思考で生きているから、そういう思考が理解出来ない人や「付き合い辛い原因は相手にある」と考える人から見れば攻撃し易い
サンドバッグみたいなものに見えるのかも知れない。
それで失敗した話を一つ。
少し前に、ある人(女性)からTwitterで「苦手な人が居る」と書かれた。
名指しこそされていないもののどう読んでも私の事だ。
数年前に会って、考え方の違いから向こうのTwitterは、ここ2年程見ていなかった。
Twitter上での関係は、向こうは私をブロックしているが、私は向こうをブロックしていない。
その上で、時々顔を合わせる事が有る…ぐらいの関係。
ある出来事に関して検索していたら、その出来事に関して、その人がツイートしているのが出て来たので久しぶりにその人のツイートを見に行った。
そこでツイートを3~4日分程遡った所で「苦手な人が居る」と書かれていたのを見付けた。
何がどう苦手なのかも書かれていたんだが、それが全部「自分の思っている事を上手く伝えられていない事に起因して起きた事ばかり」だった。
その上で、「行動がストーカーじみていて怖い」と書かれていた。
そういうつもりは全くないのに…。
「最近は顔を合わせると睨んで来る」と書かれていたが…、それについては
向こうが私の事を苦手と思っているせいか、向こうからの敵意みたいな物を感じるので、反射的に睨み返してしまっていた。
私もその人の事が苦手ではある。苦手な理由は「面と向かって話そうとすると、その人が可愛くて落ち着いた状態で話せないから」なのだが。
多分、私が向こうを苦手と思ってコミュ障化してる事が、向こうが私を苦手になった根本的な原因なんだろう。
「苦手な奴」と書かれ「苦手な理由」を読んで凄く凹んだ。
その人のツイートでは、その後も時折「どうせあいつ(苦手な奴)、このツイート見てるんだろうな、そう考えると気分が沈む」みたいに書かれる事が有った。
そうやって書かれる度に私も気分が沈んだ。
多分、向こうから言わせれば、私は「この世から消えて欲しい存在」になってるんだろうと思った。
そんな時に、先日のHagexさんと低能先生の事件を見て少しネガティブな考えがちらついた。
「そうやって煽るって事は、この事件みたいな結果になる事も覚悟してるんだよね?」
そういう考えになっている自分に気付いて、「駄目だ、そうするぐらいなら自分で自分を殺した方がマシだ」と自分を抑えた。
問題はこれ、上では「失敗した話」と書いてるけど、ここまで読んだ人には解る通り、実際は現在進行形の案件なんだよなぁ。
どう転んでも良い結果になる感じのしない案件。
向こうから見た私は多分、「日本語の通じない何するか解らない怖い相手」
私から見た向こうは「そういう性格(コミュ障)な事を説明しても多分通じない…、それ以前に説明する機会すら与えてくれない…日本語の通じそうにない相手」
と…。
多分、私も向こうも、相手が「何考えてるのか解らないのが怖い」と言う認識になっていて、しかも、互いに「無視する」というのが下手。
「無視するのが下手」というのは、言い換えれば優しいという事なんだと私は思う。
違う形で会えていれば、友達にはなれていたんだろうか?…仮定の話をする事に意味はないかも知れないけど。
何も言わず敵意を受け止め続ければ良いのか、それとも、徒労に終わる可能性が高い気がするけど「話をしよう」と言ってみれば良いのか…、
向こうを信じて話をしたい気持ちと、話しても通じないんじゃないか、そもそも向こうは私に「この世から消えてくれ」と思ってるんじゃないか?
というのが、ここの所頭の中を同じ考えがぐるぐるしている。
他人との関わり方ほど、正解の無い物ってないよね。
こういう形で名無しでしか吐き出す事も出来なくて、でも本人に届いて欲しいと思っている。