はてなキーワード: はてなユーザーとは
アルバイトが数打ってなんぼでろくに構成もせずやってるテレビネットコタツ記事をたっくさんの人がブックマークしてるのも面白いけど
記事タイトルで柴田亜美のことを「パプアくん作者」と書いていたことにプンスコしてるのはもっと面白い
単純に名前を知らない人は興味を持って記事をクリックするし、名前を知ってる人も自信がなければ「○○だよね?」と確認のためうっかりクリックしちゃう
「名前出さないなんて失礼な!」みたいにプンスコする人も格好のエサ
「どんだけ失礼な記事を書いてるんだ!確認してやる!」そんな無駄な正義感が炎上記事を儲けさせていることも知らないで…
デイリースポーツのコタツ記事なんて、関口宏の一挙手一投足を毎週毎週悪し様に書いてヤフーコメンテーターに誹謗中傷を書かせるよう仕向けてる炎上記事界の王者じゃないですか
醜悪まとめブログと同レベルなんだから今後は内容に限らずアクセスもブクマもしちゃダメだぞ☆
という話とは別に、タイトルで釣るやり方、炎上系メディア以外でも常套手段になってるのマジで頭痛い
某有名競馬サイトなんてヤフーに配信する記事だけタイトル変えたりしてんのよ
本サイトでは普通に馬の名前が書いてあるのにヤフー配信記事では「3連勝中のキタサンブラック産駒」みたいな
マジでしゃらくせえし利用する気なくすのでさっさとやめて欲しいのだけどやめないんだよなあ
本当に嫌で仕方ない
(追記)
「パプワ」だったすまん
闇サイト殺人事件の方は、匿名ゆえに証明不能なことを活かして自分を膨らましたクズのイキり合い煽り合いの果ての犯行なんでね
まさしく今のはてなたち
ホッテントリで互いに憎しみ合い罵り合ってるクズども、自分の優位をなんとかして確保しようと狂奔してるクズどもと例示した犯罪との距離は近いよ
セクシー田中さん事件でもまずやってるのは犯人探しにかこつけた対抗勢力’(ウヨクサヨク・男女ネタ)への攻撃なあたり
はてなユーザーの犯罪性向はかなり高いと見ていい。まともな感性じゃないよ
ポエムだーーーーー!w
何言ってんのこいつ
雑にもほどがあるだろ
自分に酔ってる?
とまあ、こんな感じで混ぜっ返すことしか出来ないわけ。表記揺れはごめんね
で?
あのさ
セクシー田中さん事件で騒いでるはてなユーザーども、セクシー田中さん見てた層だと思う?
アイツラは見てないのに騒いでるのよ
そういう連中の群れる本丸、はてな匿名ダイアリーにほんの些細でも個人情報書き込んじゃえば脇の甘さ突かれるじゃない
はてブのカテゴリーにはスポーツが無い。出来事・ニュースをあつめたものでこれは、かなり珍しい。
他に目をやると、Yahoo Japanニュースのカテゴリーには当然スポーツがあるし、スマートニュースのチャンネルにもスポーツメディア・チーム・リーグがある。Googleニュースにもエンタメとは別にスポーツカテゴリーがある。
スポーツカテゴリーがないのははてなユーザーの分布の偏りを反映していて、そのせいではてな世論は世間と乖離しているが、逆にそのおかげで体育会系だのウェイ系だの田舎のヤンキーだの関わりあいになりたくない連中がよってこないのだとすると、それはありがたい。
今回の原作者自殺の件で、めちゃくちゃもやもやするのは、勝手に自殺した原作者の言葉を代弁する奴らな。
自殺する前からそうだけど、原作者がかわいそうだとか言いながら、原作者が求めてもいない他人への攻撃を始める。
原作者を死に追いやったのは、正直こいつらが原因だと思うよ。
自分の発言が原因で誰かが追い込まれたら、そりゃあ正直で真面目な人間は自分を責めるに決まってる。
自分の発言が他人の暴力の肯定に使われてるのを見て、責任を感じない人間なんていないだろ。
「原作者が可哀想」「原作者に謝ってください」「Adoに釣り合ってない」
はぁ?!
お前誰様だよ。
そういう言葉を使う人間に限って、自分は悪くない、相手のためにやったんだとか言い始める。
他人を攻撃する自分を正当化したいから、他人を勝手に利用したんですよね?
それで原作者が自殺したら、今度はその自殺まで利用して他人を攻撃し始める。
「ショックです」「傷つきました」「謝罪してほしい」
下むいて歩いてて電信柱にぶつかって、「傷ついたので謝罪してください」って電信柱作った人に文句言ってるようなもんだから。
それが言えちゃうSNSが良くないってことは百も承知だけどさ、お気持ちヤクザが多すぎるよ。
自分は増田でも何回も炎上してるので、はてなにもそういう卑怯な奴らが沢山いることは知ってる。
そういう奴らは決まって、「自分はいいけど社会が許さない」とか言ってくるんだよ。
ちがうだろ。お前がどう思うかをかけよ。何ちゃっかりちょっとだけ逃げ道作ってるんだよ。
いじめっ子よりも、いじめっこに正義を与えてけしかける周囲の方が卑怯で醜悪なことを。
事があった途端に他人事のように目をそらすんじゃなくて、自分の批判がこの人の命を奪ったかもしれないって少しくらい責任を感じてくれ。
原作者の死は原作者のものであって、勝手にお前らの暴力の肯定に使うな。
まずはそっと寄り添うことがなんで出来ないかな。
それで二度と同じ過ちを繰り返さないために、これ以上誰も傷つかないためにどうして冷静な話し合いができないかな。
なんで人が死んだ瞬間に吹き上がって、あっちこっちに喚き散らしてんの?
自分の間違いを認めたくないから、他人に間違いを押し付けてるだけなんだろ?
バレてんだよ。
それも出来ないで評論家を気取るな。無自覚な暴力を垂れ流すな。
過去の経験からお前らには理屈が通らないことを理解しているから、自らの身を守るためにこうするしかないだけのことだ。
当然発言した責任はあるから、これが誰かを傷つけて訴訟になるっていうなら表には出るよ。
もちろんそうならないようにバカなことは書かないように注意してるけどな。
他人の言葉を勝手に代弁しないで、自分の言葉で文句を言ってくれ。
法律として正しいとされているものを、自分のお気持ちで勝手に違法にしないでくれ。
怒りで拳を振り上げる前に、悲しみを誰かのせいに押し付ける前に、まずは自分の行動を振り返ろう。
自殺を止めるために何が出来たのか、何が出来なかったのかを考えようよ。
はてなユーザーのできるところ見せていこうぜ。
約三ヶ月前、社会人生活に区切りをつけた。当方は、はてなユーザーの中でも高齢である。一般的な定年はとうに過ぎている。社会人として40年以上生きてきて、得られた知見といえば……大したものはない。
ただ、今回どうしても書き綴ってみたいことがあり、筆をしたためることにした。書式については、ほかの増田の方に合わせるものとする。難しい漢字も、できる限り平仮名とする。
書き上げたのは本日12/12だが、推敲の関係で五回に分けて投稿する。土曜日には終わるだろう。
私の教員としてのキャリアは、都内にある中学校から始まった。大学を出てすぐだった。今思えば懐かしいが、あの時代に戻れたとしても今の方がいい。時代は進んでいる。
あの当時はアナログだった。電話はあるが、パーク保留(1機で複数保留ができる)といった機能はないし、パソコンは事務所に1台あるかないかだった。各学校にコピー機はあったが、今と違ってコピーされた物のコピーは悪手だった。印刷すればするほど色が薄くなる。濃淡調整機能などあるはずもなく。
学童についても、今に比べれば悪ガキがたくさんいた。今の子どもに比べると、暴言や暴力が明らかに多い。「人は教育を受けることで初めて人間になる」というのは、初等教育学のテキストにある基本的な考え方である。
さて、昔ではなく今の時代を観ていたいのだが、心がどうしても時代を遡ろうとする。この日記で表現したいことは、今から約十年前の出来事である。この度日記にまとめたのは、教委事務局に勤めていた時に最後に取り組んだ仕事のひとつである。残念ながら、教育そのものに関することではない。※当時の関係者は全員退職している。
要約すると、某地方自治体にある教育委員会の中に社会教育課というのがあった。その部署というのが、区役所の中のいわゆる問題のある職員が集まるところだった。区内の教員を指導する部門の長をしていた頃の私は、すぐ近くで醜い言い争いや、低次元な行為がなされているのを幾度となく目の当たりにした。
彼ら彼女らの言動には、ほかの教委職員も腹に据えかねていた。そして、ある年を境として、何度も本庁と協議・交渉を重ねた結果、教育委員会という組織から社会教育課を放逐することができた。
本当に苛々とした日々だった。その分、悲願が叶ったと知った時の喜びは至高だった。今でも解放感が脳裏に蘇ってくる。
これから私が話すことは、人によっては相当厳しい。負の次元に堕ちた地方公務員の姿を垣間見ることになる。それでもよければ、読み進めていただきたい。
私はもう経済社会を完全に引退している。書き綴る出来事もだいぶ前のことだから、元いた組織の迷惑にはならないだろう。何かあった場合は、私が責任を取る所存だ。
トピックについては、1.から6.まで用意している。具体的な職員のエピソードは2.~5.である。6.において、社会教育課との決着について書かせてもらう。
教育委員会(≒教委事務局。教委。以後は同じ意味として扱う)とはどんな組織か? というと、早い話が地方自治体の学校教育に関する意思決定と事務(企画・調整・一般的な管理行為)を行う組織である。
第180条の8 教育委員会は、別に法律の定めるところにより、学校その他の教育機関を管理し、学校の組織編制、教育課程、教科書その他の教材の取扱及び教育職員の身分取扱に関する事務を行い、並びに社会教育その他教育、学術及び文化に関する事務を管理し及びこれを執行する。
教育長が責任者となって所掌事務や教育改革・首長への提言その他を総理し、教育委員が集まる会議(議会のようなもの)で可決された教育内容が自治体内の学校において実施される。
かつての戦争の折、行政の暴走行為によって学校教育が歪められてしまった経緯がある。地方行政の主体から教育の機能を切り離して、教育活動全般に関する権限を有する行政委員会としての役割を与えた。
実際のところは、市区町村の本庁舎の一部を間借りしている教委が大半である。役所の中に多くある部署のひとつとして位置付いている。
(指導課)…都道府県教委が教員の中から高査定者を人事異動させる
(学事課)…指導課のような教職員出身者と市区町村職員による合同チーム
(学童クラブや児サポ)…教委が有望者の中から採用・選定をして運営
そういうわけで、私の場合は上記でいうところの指導課(各学校の指導方針を所管)や学事課(学校事務を所管)に籍を置いていた。あれは、新卒で教育現場に配属になって十年少々だったか。ある年の人事異動で、そろそろ別の学校に異動になるかと考えていたところ、教委事務局への配属を告げられた。
それから数十年、学校現場に戻ったのは二度だけだ。一度目は中学校の教頭として、二度目は校長として。その前後にも、私はやはり教委に籍を置いていて、より高い視座から教育活動のあり方を見直すことや、新しい学校を作る、あるいは廃止するといった仕事に取り組んだ。
最後は課長級職員としてキャリアを終えた。その後は、いわゆる名誉職といった扱いの教育の仕事に数年だけ取り組んで、先日正式にこの仕事から引退した。
タイトルにある出来事は、社会人生活の中でも相当後半にあたる。都内にある中学校で教頭としての務めを果たした後、ある年の人事異動で教委事務局に課長職として配置された頃の話である。期間としては三年間だ。
教委事務局の中でも、ほぼ真ん中あたりの奥側に指導課長である私の席があった。「ようやくここまで来たか」と思いつつ、課員全員が見渡せるデスクに腰掛けようとした時だった。言い争う声が聞こえるではないか。何時かは忘れたが、おそらく正午前だった。
社会教育課の事務スペースで、複数の職員が言い争いをしていた。若い子と、中年ほどの男性・女性の職員だった。どういう構図かは全く覚えていないが、低い次元の話をしているのはすぐにわかった。公務員以前に、社会人として使うべきではない語彙や、極めて高圧的な物言いが見て取れた。
話し合い(口論)を少しばかり眺めていたが、最後は男性職員が女性職員から詰問を受け、ちょうどかかってきた電話を取る形で逃げて終わった。若い職員は、舌打ちをしてその場を後にしつつ、コピー機が設置してある台を蹴っ飛ばして事務室を出て行った。
『なんだ、こいつらは?』
心の中でそう思った。これまで配属された教委事務局の中に、こんな連中はいなかった。この市区町村の教委事務局で働いていた時もあったが、社会教育課は別のオフィスにあった。
社会教育課、という部署名は伝統的である。霞が関にも同名の部署があるほどだ。本来であれば、歴史と実績のある部署のはず。では、なぜこんな連中が……? と思って気になったが、その時は時間の無駄であると考えた。
だが、そういうことにならなかった。社会教育課は、私のいる課長机から10mも離れていない。しかし、毎週のように何度も何度も、大きい声で怒鳴るわ、悪態をつくわ、イベント行事で問題を起こすわ、用事で来られた区民を怒らせるわで、こちらとしても仕事がやり辛かった。
私と同じ教職員サイドの職員に詳しい者がいた。この教育委員会(T区とする。豊島区は関係ない)の社会教育課について聞いたところ、なんとなく経過がわかった。
・その場所ではひとつの課として独立していたが、不祥事が多かった
・監視の意味も兼ねて、本庁総務部の人事課が教委事務局の中に移した
といったところだった。この時は、まさかこの連中のためにあれほど頭を悩ませることになるとは思わなかった。
ここから先は、個別職員の話になる。2.以降に譲りたい。長く詳細に書いても読者が不愉快になるだけだ。できれば各三千字以内でトピックを終わらせたい。
話があちこちに逸れることも多々あろうが、何卒お許しを願いたい。
(次part)
世界がもし100人の村だったら、はてなユーザーは0.15人。(2023年登録ユーザー数1214万人)
いわゆる「良い意見」を書けば、書いた人が有名だろうと無名だろうとスターがいっぱいもらえるところ。
Twitterだとこうはいかない。無名の人間は、声を大にして世間に言いたいことがあっても何を書いたところで何万フォローもあるような有名人には絶対に勝てない。
「いいね」が全くもらえないどころかそもそも誰も読んでくれないのだ
…が、はてブは違う。はてブでもらえるスターは、有名ブクマカと泡沫ブクマカとでそういった差は一切ないと感じる。
はてなユーザーに刺さるようなクリティカルなコメントを書けば、無名デフォルトアイコンでも確実に有名ブクマカにスター数で勝てる。そして《注目のコメント》としてたくさんの人に自分の意見を見てもらえるのだ。
のが本当に多すぎる(タイトル入らなかった)
https://saize-lw.hatenablog.com/entry/2023/10/21/185938
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/saize-lw.hatenablog.com/entry/2023/10/21/185938
こんなの15年前のはてブだったらフルボッコだったろうに。最近のはてなユーザーはえらい優しなったのどすなぁ(京都弁)
↓
さすがにこれはひどすぎないか?
元ツイートの答えになっていないどころか、まず言論として後退しているだろう。
この記事の問題点は、徹頭徹尾「効率」の次元でしか物を見ていないところだ。
個人の志向としてはそれもありだろうが(昔もライフハックと称してこういう記事は沢山あった)、それがアホみたいに支持されるのは、社会が困窮して自分以外に目を向ける余裕が無くなったということか。
あと最後に、就活周りの言説ってネットだと社会不適合者の声がデカくて「うんうん、就活ってクソだよね」みたいな反応しか得られないがちなので、身の周りにいる社会人の友達を呼び出して聞くのが一番いいです。