はてなキーワード: 学童保育とは
まさかと思われるかもしれませんが親の中には「家に居て欲しくないから」という理由で塾に行かせている親がいるという事。
共働き親が学童保育代わりに塾を使うのはごく当たり前の話。嫌なら学童保育を完備しろと政府にでも訴えとけ。
それでも「学童保育でただ遊ばせてるよりは塾の方が勉強教えてくれるから一石二鳥」親の方が多そうだけど。
最後に、いわゆる知恵の遅れた子供の話です。知能障害と言っても色々あるようにどう考えても今の制度では普通の学校ではなく養護学校などに行くことになってしまう場合もあれば「際どい」という場合もあります。比較する事がそのまま良いとは思いませんが、同年齢の児童と比べても明らかな差があってもある程度は親の裁量で普通の学校に行く、もしくわ養護学校側から断られる場合もあるでしょう。
養護学校(今では特別支援学校と言う)は入学希望者が多すぎてボーダーラインの子はなかなか入れないのが現状。
これも政府が何とかするべき話だわな。
NHKの生活保護の特集を冒頭だけみて風呂にはいったんで詳細はみてないけど、風呂に入ってるとき思いついたので一言。
シェルターを公立で運営するのはどうか。
民間ではいくつかシェルターっぽいものを運営しているところもあるようだが、不正受給の温床になっている側面もあるらしいので、その筋の福祉関係者ならご存知の「富山型デイサービス」をベースに運営すると面白いのではないかと考えた。若いのにおひとりで生活していくの大変だろうし、三食出る施設に数年かけて移住してもらい、そこで生活する。
もちろんNPOなどに委託してもいいだろうが、事業性が不透明なので、あえて公立でやってみたらいいと思う。
http://toyamagata.com/what/index.html
あたりに詳しくのっているだろう。
そして、なにより現金一括給付をやめる。
つまり、行政が困っている”仕事”をお願いするのもありだと思う。
15万人もの受給者がいてそのうち、ある程度体の自由がきく人がゼロとは思えない。
そこである程度身体の自由がきく人には、行政の手伝いをしてもらう。
簡単な子供の登下校時の見張りでもいいわけですし、小学生などを下校後に一時的に預かる学童保育なども実施したりとか、ほかにもさまざまな可能性があると思います。
それらの働き内容・時間は問わず、それらに対して”賃金”を出す。ただし、稼働年齢である場合また、めぼしい障害がなければハロワに定期的にいく。そして、そういったことが難しい人は、医療費・衣食住費以外に現金が必要性があるとは思えないが申請をすれば認める制度もつくるべきだろう。
また、昔のように集団就職じゃないけど集団面接をうけたりさまざまな形で社会進出をサポートする。
他にもいろいろできそうなことはある気がする。ただ現金給付するだけでは、確実に行き詰るし、パチンコや飲み屋など以外での公共の場と何も社会との接点がないまま税金もらって生活させてるだけでは、もったいない。
この人たちにも、最低限の”市民”としての義務を果たしてもらうのもありではないだろうか。
福島の話。あちこちで逃げろ逃げろの大合唱で、デモなんかも散発している訳ですが。
正直その前にやる事があるだろうと思ってならない。
子供を持ったお母さんは親族なんかほっぽらかして、福島県外に逃げろということが
「勇気を持って」って事なんだろうけど、足を停めているのは親族とは限らない。
いや、親族はこれから話す事に関しての大きなファクターでもありますが。
まず、逃げるにしても引っ越し代なんかの諸費用は嫌が応無しにかかる。
正直デモやってる暇があったら、それ用の基金でもおっ立てて募金を募った方が
自分で逃げていたら、自主避難という事で費用は原発から遠隔地になるとよっぽどでないと
出てこない訳で。
すると親族の金を使わずに避難する事ってのは非常に厳しいのだが。
で、逃げた先で何をするのかというと、引きこもって、子供の面倒だけ見て食って寝てればいいとは自分は思わない。
だけど保育園とか預けて今までかかった諸費用とか旦那が働けない分稼ぐとかは大変。
まず保育園自体が待機児童てんこもり状態で、そこにねじ入れたとしても親族無しの
熱出したら誰が迎えに行くのか。世間の働く父母の一番のボトルネックはここら辺だと
思っているのだけども、同じ事は被災者だろうとなんだろうと降り掛かると思っているのですが。
そうすると親族こみで逃げてこられるような、働けるような体制を作らない限りは
彼らの役目を誰かがしないとならんのですが。
勇気を持ってなんちゃらかんちゃらと言っている人が正直そんな体制を作っているようには
見えない所が、責任を取らなさそうな所が、この勇気を持ってなんちゃらかんちゃらに
やってるよ、って人もいるんだろうけど、君らのやってる事は正直押し流されていて
まったく福島に今居る人に届いてないのな。
それをデモとかで訴えても、東京とか京都とかでデモやってれば伝わるわけないじゃんよと。
安心して一緒に暮らせるように地場を整えるのがずっと先じゃねえかと
それ、
公設の場合、多くは学校施設の一部を利用でき、利用料は月額4000円だそうです。民設では民家を借りなくてはならず、学校からかなり離れてしまうこともあり、利用料も月額1万円以上になってしまいます。
「月額1万円以上」の学童保育を「高いもの」扱いしているのに違和感を感じた。
そりゃ4000円と比べたら高いけど、それは4000円が「有り得ない超激安価格」なだけで、1万円だって「激安価格」だろ。
そりゃそんな「激安価格」なら利用希望者大勢居て当たり前だろうね。
他人に子供預ける値段月1万が高すぎると考える事自体、この人にとっては育児も「遊び」でしかないんだろうね。
そりゃ他人に育児と言う「遊び」を依頼する為に1万使うのは高いと思うだろうさ。
育児が重要な「仕事」だと思っているのなら、1万などという安すぎる金額で他人に頼める事は有り難い事だ、と言う発想になるだろうに。
この手の人って保育園に関しても同じ事言うよね。「高すぎる」って。
育児なんてどーでもいい遊びだと思っているから、自分が「育児なんかより遥かに重要な」仕事を辞めてまでするのも馬鹿馬鹿しいし、
他人に頼むのに高い金を出す価値も感じない、んだろうな。
http://anond.hatelabo.jp/20100817230944
これから就職ということだが、私も高校生ぐらいの時からどうやって結婚して子供を産んで、キャリアと両立させて、ということを真剣に考えてきた。なぜかそういうフェミニズムっぽい論文を読んでいた記憶がある。フェミニストにはならなかったけどね。幸いにも、周囲にもそういうことを実践的に教えてくれる先輩が何人もいた。そして、妻も同じくいろいろとキャリアデザインを考えていた。結婚と出産、キャリアについて真剣に考えていたのが彼女に惹かれた理由の一つ。東京で出会ったのだが同郷だったというのも惹かれた理由の一つ。もちろん、その他いろいろあるけれど。とにかく早くからそういうことを真剣に考えていろんな人のやりかたを真似したり学ぶのは大切なことだったと思う。逆にそこまでしなければ、若くして子育てなんか出来なかったかも、と思う。
今の世の中はある程度キャリアを築いてから高齢出産で子供を作る、という考え方の人が多いようだが、私たちは若くして子供を産んでかつキャリアも作るということにチャレンジした。まあまだまだヒヨッコだし、同期に比べればいろいろハンディがあって出世が遅れているのは確かだから、他の人にも勧められるかどうかはまだ答えは出せない。でもヒトという生き物としては若いうちに子供を産む方がいいんじゃないか、そのために仕事を犠牲にしても仕方がない、という信念は変わっていない。
子育ては一人目地方都市、二人目は東京だった。サービスが中途半端な地方都市よりは、東京の方が乳児保育や二重保育なども当然のように使えるので、楽なことは確か。地方都市では認可園に乳児を入れるために、最初にお世話になった無認可園の保育士さんに入れ知恵ももらい、「田舎の公立園始まって以来、初の乳児受け入れ」という騒ぎを引き起こすことにもなったし。
その他子供が在園中の無認可園の存続問題やら、認可園の廃園問題やら、いろいろな問題に巻き込まれ、保育園の法律や補助金などのシステムについて、いつの間にか随分詳しくなってしまった。そういう苦労をしたおかげで、なんとか自分の子供のこともやってこられたと思う。自分の子供を預かってもらうために、社会や、行政の制度などを勉強し、勉強したがゆえに他の人のためにもそういうよりよいシステムを継続させるためにまた努力する、ということをやるはめになった。職場の制度もいろいろと変えちゃったしね。苦労は多かったが、いろいろと勉強させてもらったし、いい経験もさせてもらったと思っている。私たちが子育てを始めた頃はまだ「女は家に入って専業主婦をして子供を育てるべき」と考えている人が多かったと思う。そういう社会の雰囲気を少なくとも自分たちの周囲半径数メートルぐらいでは変えちゃったんじゃないかな、と思っている。あくまで数メートルにしか過ぎないんだけどね。
もちろん、保育園などの公的サービスだけでは子育ては無理なことも確か。出張中に子供を兄弟や親に預けることや、ベビーシッター、ファミリーサポートサービス、学童保育など、ありとあらゆるものを利用した。近所付き合いも大事で、子供が鍵をなくして家の前で泣いているところを近所の人に預かってもらったりなど、いろんなトラブルを引き起こしてくれるので、普段からいろんな人間関係を養っておくことも大切。基本的に近所付き合いとか苦手なんだけど。
とにかくお金よりキャリアが大事という思想で、なけなしの給料をはたいて、お金に糸目をつけずにやってきた。出張前にわざわざ実家に子供を預けるために新幹線で反対方向に寄り道するとか、日帰り出張にした上で、頼み込んで早朝から保育所に預かってもらうとか...今になれば、まあなんとか元はとっているんではないかと思っているが、若い頃は随分苦労した。回りにも随分苦労をかけたし、それにはどれだけ感謝しても感謝したりない。子供たちにも負担をかけた。とは言え、子供にはあまり負担をかけると、感情が不安定になったり、反抗したりいろいろやらかしてくれるので、無理はできないのだけど。とにかく、子供も親も元気でやってくれているのが本当にありがたかったところ。
だから、こんな話がそのまま真似出来るわけもないし、他の人の参考にはあまりならないかもしれない。少なくとも子供の性格や健康状態、親の健康状態、実家との距離、いろんなファクターが絡んでくる。それでもそういう個人的な状況を一生懸命切り開き、マネジメントし、またそれを元に社会にフィードバックすることで、少しでも子育てしやすい環境を作ることができるはずだし、またそれを共有できるように努力してもらえれば、と願う。
長文失礼しました。
私の娘は、既に中1、小4になっているのですが、娘たちの通っている(いた)小学校が、どうも落ち着いていない。原因を探ると、なかなか学校生活になじめない子供たちがいて、そのため学級崩壊が起こっている学年がほとんどらしいです。
民生委員さんが調査に入っていろいろ調べたら、その多くの子供たちが、小さい頃から保育園に預けられ、小学校に入っても学童保育へ預けられて、保護者は仕事に追われて、あまり子供の事に関心がなく、そのまま大きくなって、お金さえ渡しておけば自分達で何とかコンビニなどで食べ物は買って食べてくれたらいい・・・と言うような育てられ方をしていたと言う事です。
子供たちの中には、発達障害を伴うお子さんも確かにいるのですが、そうではなく、親の愛情に飢えていて、寂しくてかまって欲しいお子さんが、先生を困らす事で、大人に注目して欲しいという欲求を満たしている例も少なくなかったようです。
友人と深夜語り合いながら思い出した自分は、「思春期だったから」ということで片付けられないような怖い自分だった。
僕は中学の卒業式にもらった色紙や、後輩からの手紙が一枚も残っていない。
なぜなら、やぶいたから。
卒業式の日、沢山の後輩と話して手紙ももらった。部活の同級生とは色紙交換したり、「高校でもハンドボールやろうな」なんて熱く語り合っていた。
それから2、3日たって、僕は家で一人手紙や色紙を読み返していた。ふと思った。「これやぶいたらどんな気持ちになるのかな」
やぶった。全部手で何回も引き裂いて、きれいにまとめてごみ箱に捨てた。その時の感想はまだ覚えている。「ふーん。」それだけだった。
今だったら絶対できない。やぶかれたら、やぶいたやつをぶちのめす。絶対。絶対変だったんだ。
まだある。
高校の時、彼女がバレンタインに大きなチョコレートケーキを作ってくれた。頑張って作ったんだろう、ワンホールほどもあるケーキはきれいにラッピングされて、丁寧にリボンまで掛けてあった。彼女はケーキの入った紙袋を渡しながら、「まぁ家族でたべてよ」とか言って笑っていた。僕はお礼をいって彼女と別れ、家に向かう電車を待っていた。待ちながら、ケーキが重かったので駅のゴミ箱に捨てて、普通に電車にのり、家に帰った。
捨てる時の気持ちは本当に普通で、ポケットのゴミを捨てるように、本当に普通だった事を覚えている。
人間じゃないと思う。
「重いから捨てた」なんて、プログラム通り動く、ただのロボットの反応じゃないか。
まだあるけどもう言いたくない。
精神医学や心理学なんてやってるボンクラ共がよく言う「環境と親の愛情不足が原因」っていうのなら、僕は結構素質がある。両親共働きで、鍵っ子で、学童保育に土曜日も通った。軽犯罪ぐらいならしたことあるし、煙草も5年生で吸った。小学校でも中学でも学級崩壊クラスだったし、3年生の時に6年生にいじめられたこともある。お父さんは仕事とか単身赴任とかで、4年生から大学入るまで全然会えなかった。お母さんが仕事に疲れていて、晩ごはんがポテトチップスだけな事だって何度もあった。
まぁ、僕はそれをネタにして皆と笑っていたし、別に不幸だとかは本当に一度も思った事がない。学童も小学校、中学、高校、全部おもしろかった。でも、ほんとはどこか病気だったんかなあ。
いつも皆とネタにして笑ってたけど、周りに誰もいなくなった時、本当の僕、おかしかった僕が出てきていたのかも知れない。すげー怖い。表でヘラヘラ、裏で冷酷。これじゃほんとのジキルとハイドじゃねーか…なんかすごいな。
でも思う。僕は元々自分で「根本は悪の人間」って知ってたし、周りにもそう宣言してきた。だけど、とりあえずそれがあんまり表に出ていないのは、友達のおかげなんだろう。学生時代はずーっと部活やサークルをやってきて、周りの皆のそばにずっといられる環境だったから。それがでかい。一人の時はゴソゴソしちゃうのだ。やっぱり僕は。
読んだ人に知って欲しいのは、友達は大事ってことと、僕みたいな隠れビョーキ野郎みつけたら優しくしてあげてってことです。どっかにいるからね実際。
今年3月三重県伊勢市の7歳児が学童保育所で出されたこんにゃくゼリーを喉に詰まらせて死亡した事故で、村田昌也さんとその妻由佳さんが、ゼリーの製造者「エースベーカリー」と学童保育所を監督する伊勢市に7500万円の損害賠償を求めている件。
まず、この二人が訴えていることは次の二点です。
二つ目はまだわかる。おやつがこんにゃくゼリーである必然性もないし、喉に詰まる危険性の認識もあったはず。いつからか分からないけど国民生活センターは「児童や高齢者にこんにゃく入りのゼリーを与えるべきではない」と注意を促している。
問題は一つ目。この両親は「こんにゃくゼリーが10年前になくなっていれば事故はなかった。命を危険にさらす商品はなくなってほしい」と子を失って短絡思考に陥っている様子。それなら「餅が100年前になくなっていれば事故はなかった。命を危険にさらす商品はなくなってほしい」とも言っといてね。
それに7500万円の損害賠償ってそんなに金が欲しいの? 精神科ってそんなに料金高いの? 製造者と市の割合がいくらかは知らないけど、メーカーからそんなに取ったら商品を改善しにくくなるよね。自分たち以外はどうでもいいの? 「なくなってほしい」ってこんにゃくゼリー愛好家もいるんだから。こういう風に改善してほしいという案も出せないの? そうすれば喉に詰まっても気道を確保できるこんやくゼリーができて、こんにゃく詰まらせて死ぬ人いなくなって世の中がちょっぴり良くなるよ。ネガティブな思考をするのは勝手だが、他人に迷惑をかけないでほしい。