はてなキーワード: 音MADとは
星野源の「うちで踊ろう」をはじめとして、バトンやコラボの輪が広がっていろんなものが見れてさ。
芸能人じゃないけど、趣味のローカルなやつは自分にも回ってきたよ。楽しかった。
そうじゃなくて皆各々、こんな時だからなんか楽しい事をしようっていろんなもの作ってくれたよね。
でも皆もうそんな体力ないでしょ。ネタも使い果たしちゃったでしょ。思ったより長くてダレちゃったでしょ。
すぐ横文字やスローガンが掲げられて、それが流行って密ですゲームとか音MADが作られたり、
「都知事の新曲?」なんてネットでネタにされてたりしてさ。ヒカキンとのコラボもあったよね。
与党の政策は世辞にもいいものではなかったけど、だからこそ面白かったところもある。
マスクもお肉券も「バカでしょ」と言いつつちょっと面白がっていたし、10万円とマスクは実際に貰えたよね。
とにかく、今弱っている人を助けようっていう動きも強くてさ。
飲食店がこぞってテイクアウトに走るのを支援したり、クラウドファンディングに投資したり、医療従事者にはブルーインパルスが飛んだりしてさ。
でも弱ってる人間の数が多くなりすぎて、もうちゃっちい正義感だけでは人を救えなくなっちゃったね。
大変なことは沢山あるけど、内心ではみんな、ちょっと緊急時ならではの楽しさみたいなところを見出してたんじゃないのかな。
少なくとも自分はそうだったな。
でもこの「緊急」に慣れすぎてしまって、もう第二波が来ても面白いことは起こらなさそうだ。
約10年前に結膜炎になるほどニコ動を見まくっていたおじさんなので、MAD動画の衰亡を憂う気持ちわかる。
そして、最近の音MADをフォローできる情報に触れられてすごくうれしい。ありがとう!
個人的にはMAD文化が衰退したように見えるのは法的にグレーな存在で、twitterとかの非匿名ツールと相性が悪いからじゃないかと思ってる。
どうでしょ?
どうやら最近MAD文化というものがなくなったのだと考えている人が多い。
MAD文化がなくなったということは、もうMADの作り手がほとんどいなくなってしまったということが考えられるがそれは大きな誤解である。
ニコニコで「音MAD」をタグ検索すると、5年前の2015年から2019年まで投稿件数は減っていないどころか大幅な増加をしているのだ。
2020年はすでに9545件もの音MADが投稿されており、すでに2019年の投稿件数を超えそうなペースで増加している。
少なくとも作り手がほとんどいなくなってしまったということはない。しかしMADがたまに伸びたり、Twitterでバズると「こういう動画減ったな〜」というコメントが必ずつく。これは一般視聴者がMADを見なくなってしまったということである。
私はMADを見なくなってしまったという人が多いのは皆が知ってる共通認識のネタが減ったのが原因であると考えている。
一昔前はオタクならほぼ全員が知っているコンテンツが見られていた(咲、禁書、らき☆すたのようなアニメやゲームなら艦これ等)
しかし昨今はオタクの趣味がソシャゲ、Vtuber等に細分化され、かつては多くのMADが作られていたアニメ自体視聴者は日常系、なろう等の多ジャンルに分散化された。
Vtuberも四天王が出てきた2018年頃にはネット全体がVtuberというジャンルに注目しており、そのころは多くのダンスロボットダンス等のMADが作られていたが、その後にVtuberの主流が配信者となり、VtuberのMADの視聴者層がほぼそのVtuberのファンのみとなったため再生数自体は減った。
しかし今でもMAD、特に音MADは良作が作られ続けているのは事実である。昨年11月に平成に投稿された全音MADから各人10個選び順位づけ、それらを集計したうえでランキングにしたイベントが行われた。このランキングには大体の人がMAD全盛期をイメージしている2009,2010年頃だけではなく、最近の動画特に2018年の動画が多くランキング入りしている。
https://www.youtube.com/watch?v=0fbikIWDKIU
長いと感じる人は10位からの動画(59:48~)がフルで見れるのでそこから見てほしい。
https://www.nicovideo.jp/mylist/67036747
https://docs.google.com/spreadsheets/d/1q0oKdIh5AV8-2biDY8KYd_5uEB0-Im8EXShlf-z0I0Q/
話は変わり、ニコニコにおいては動画を発掘する手段としてタグ検索とランキングに上がっている動画を見るというのが主流であるが、タグ検索はその素材がよっぽど好きな人しかやらず、ニコニコのランキングページはそもそも見る人が減りつつある。
今でも良いMADが作られていると言われても、これでは探しようがないと言う人におすすめするものがある。それは、毎年行われている「音MAD10選」である。
こちらのホームページで毎年投票式によりその年ごとの良かった音MADを選び集計結果が発表されている。
http://oto10.s602.xrea.com/10sen/
1年おきではなく最新の動画群の中から良作を見つけ出したいという方は音MADの作り手の中に最新の動画をマイリストに入れてニコレポに放流している人もいるのでそれをチェックしてみるのもよいだろう。
かつては創作の場において2ch(現5ch)が主流で多数の面白い人が集まりコピペ、FLASH、AA等多くのネット発文化が生まれた。その後に人の集まる場所はTwitterに移ったが、最近異なる思想の人が一つに集まりすぎることの弊害からか、強い口調で煽り合ったり他人の意見を否定することが増えつつある。動画投稿で生計を立てるという新しい職業を生み出したYoutubeも、最近の急上昇は芸能人が席巻し、新規に素人が出る幕がなくなってきた。しかし、ニコニコにおけるMADの作り手は当然のことではあるが一切の見返りにもならずとも動画を作り続け、技術の向上を目的にしたり、純粋に面白い動画を投稿したりし続けている。その姿はニコニコ、いや大きな資本が投入され続ける前の楽しかったころのインターネット文化を継承している最後の砦といえるのかもしれない。
絵。絵というやつは0.1秒もあれば「上手い・下手という技量」「かわいい・かっこいいなどの快楽情報」がスッと入ってくる。
勿論頭を使って絵を見ようとすれば「光の表現に白じゃなくて水色を使うのかセンスあるな」「三角構図を上手く活用している」「パースが正確だ」などと見ることが出来ると思うが、
漫画。漫画というやつは絵の要素にプラスして、「面白いなどの快楽情報」がスッと入ってくる。
勿論頭を使って漫画を読もうとすれば、「コマ割りの構成が単調じゃなくて読みやすい」「このセリフと構図がマッチしている」「タチキリの使い方が上手い」などと見ることが出来ると思うが、
ほかに、同人の世界では最近よく音楽や動画という技法も用いられるようになった。
音楽。ボカロをはじめとした自作楽曲、BGMなど関連曲のアレンジ、最近はよく「人力」と呼ばれる技術が同人表現として用いられるようになった。
動画。これは音MADや手書き動画という古典から、MMDなど綺麗な3Dモデルが踊るようなものまでいろいろとある。
著作権的なことはここでは触れないが、このようなオーディオビジュアルな同人表現も昨今珍しくはない。
でも、ここでもやはり大抵の情報の受け手は難しい事を考えていない。
「変わったコード進行を活用できてるな」とか「このモデリングのポリゴン数凄い!」とかじゃなくて、大抵は「エモい」とか「うまい」とか「ここすき」ぐらいしか言えない。
このように数ある同人表現の中でも、最高峰に知能を活用した表現。それが小説である。
まず書き手受け手の両方にある程度の語彙力・読解力・想像力が最低限必要とされる時点で、小説は難しい。
静止画やオーディオビジュアルな表現の場合は、ただ出てきたものを食べれば良いだけなので、それほど咀嚼する必要はない。
知識はあったらあっただけ深く理解できるようになるが、ないからと言って拒絶されるようなことはない。
漫画こそ多少文法は理解できるべきだが、「読解したものを頭で想像する」というスキルは要求されない。
にも拘わらず、同人文字書きの大半は下記のような要求を読者に対して行いがちだ。
・気軽に読んでもらうこと
・早く読んでもらうこと
・大勢に読んでもらうこと
・誤読せずに読んでもらうこと
・読んでもらったうえで、正当に評価してもらうこと
こんなんムリに決まっとるやろ。小説ってそういうものじゃない。実は高い教養と知能のある人間の、高い教養と知能のある人間による、高貴な遊びなのだ。
それを理解せず、小説の特性にそぐわないものを要求するのはちゃんちゃらおかしいのだ。
絵師に対するコンプレックスを抱える者も多いが、絵と同じ性質の評価が得られるわけがない。ほしいのなら、絵を描くべきだ。
というと大体口を揃えてこう言うのだ。
「絵の才能がない」
アホか。絵の練習してないだろ。神絵師と言われている人だって幼稚園の頃はオレンジのクレヨンで描いたグチャグチャをママだって言い張ってたんだぞ。
そもそも経験上、”絵の才能がないから字を書いてる人”の小説が上手かった試しなどない。
「この人すっげえ同人小説書くな……感動した……」という人はみな相応に、”小説を書くのが上手い人”とか”小説が好きな人”なのだ。日々表現を磨き、文学に精通している。
日本語で文章を書くだけなら、識字率ほぼ100%のこの国では容易である。
だから「絵やオーディオビジュアルの才能がなかった人間」が「文字書き」という肩書きでそこに所属しようとしている。そんな奴が多すぎる。
だが、そういう人間は文字書きの冷遇を嘆く前に絵の練習をするべきではないだろうか。
anond:20200503011104 で「少しは安倍ちゃんの事も応援してやれよ!」と言われて思い出したのだが、
安倍ちゃんについては一人の人間が抱える重圧の量としては大変だと思うし頑張って欲しいが、迷走しているのもかなり事実だ。
なにより凄く説明不足だった。
国民の大半はバカなのでねらいをきちんと言わないと理解出来ないのだ。具体的にこうしたいのでこうしますとちゃんと言わない。
だから分からないし、例えそうじゃなくても行き当たりばったりに見える。本当に行き当たりばったりなのかもしれない。
マスク二枚届けるよ~だけではどうしても真っ先に「足りない」「性能は」「税金が」という話になるのは目に見えている。
税金使っても良いけど、使うなら効果的に使うべきだった。税金でマスクを配布しても良かった。でもこの始末だ。
アベノマスクは大失敗と言えるだろう。
一方、都知事はここまでポカというポカを全然やらかしていないのだ。
まず知事ベースで見ても、東京という日本最大の感染規模を持つ首都をここまで的確に操れる事は評価に値すると思う。
他県の知事はどうだろうか?
東京程あらゆる事のスケールが大事でないにも関わらず(いやだからこそか)、ポカをやらかしまくっている。
強い物言いで批判を浴びた岡山県。大阪府の対応は革新的すぎてしばしば賛否両論となる。神奈川はエリアメールを出して怒られた。
プチ炎上も計上すれば、様々な都道府県が今回一度は炎上してしまった。
これだけ大都市かつ感染の中心地であるにも関わらず、今の所派手な燃え方をしていないのだ。
「三密」だの「ソーシャル・ディスタンス」だのいらん横文字や造語を多用する点は最初批判されたが、そのうちTVでは当たり前に聞く単語になり、インターネットでは音MADや自作ゲームが多数登場し面白がられた。今年の流行語大賞としてほぼ間違いないだろう。愛されキャラになりつつある。
そもそも小池都知事は、記者会見とかを見ていても「いらんこと」を言わない。
首相と比較しても、動きの迅速さや庶民感覚の強さは都知事の方が上だ。
だいたい緊急事態宣言もその延長も「都からの要請」の方が先に報じられた。
芸能人とのコラボレーションも双方行ったが、都知事のHIKAKINコラボは(批判が全くなかったわけではないが)成功に終わったと言って良かっただろう。
元々自分は小池百合子と言う人間がなんとなくうさん臭くて嫌いだったし、都知事になった時はちょっとうげぇって思ったものだが、この度の対応は評価を改めるに値した。前知事が現役だったら確実にポカをやらかしまくっていただろう。
どちらかというとアンチ寄りだった人間が、小池都知事を応援したいと、おのずから思ったのだ。
増田は思う。この緊急事態、頑張っていればちゃんと評価されるし、どこかに論理のズレやゲスな心を抱えた人間はそれがうっかり露呈する機会なのだ。
台本が無い事柄はお前の心そのものだとかって、今ちょうど話題だろ?
東日本大震災の時にネットに居た人間は覚えているだろうか。あの時も首相(当時)はぼろくそに叩かれていたが、枝野官房長官(当時)はインターネット中から応援されていたのだ。
党派や主義主張の違いではない(なぜならこの二人は同じ内閣の人間である)。頑張ってるか頑張ってないか、国民はちゃんと見ていたのだ。
第8回アイドルマスターシンデレラガールズ総選挙が終わった。
今回の総選挙は、それまで傍から見ているだけだった私にこのお祭りに参加したいと思わせるような波乱と魅力に溢れたものだった。
その中心に居た夢見りあむというキャラクターを取り巻く環境の一部になるために、この先も続いていくだろう彼女の波乱に加担するために、ここに文章を投稿する。
まず初めに、私はこれまでアイドルマスターというIPをさほど熱心に楽しんできたわけではないということを断っておく。
多分一番始めにこのIPへ触れたのは、動画投稿サイトかなにかで音MADとして出てきたキャラクターか、あるいは架空戦記シリーズのキャラクターとしてだったかもしれない。
多くのPが言う、彼女たちの物語に最初に触れたのはシンデレラガールズのTVアニメ版だったと思う。
当時私は学生で、学校の友人に熱心なPが居た。彼の勧めで視聴を始めて、特に切りたくなる程つまらないわけではなかったので漫然と視聴をした。放送の翌日にその友人と学校で話をするのが楽しかったのも視聴を続ける動機だっただろう。
そして私は、それをきっかけにこのコンテンツが好きになったりもしなかった。それは、ゲームとして提供されているコンテンツのどれもが私には少し縁遠いものだったからだ(どう遠かったここではあえて記入しない)
結局私にとってアイドルマスターシリーズというのは「熱狂的なファンがいるおばけIP」粋を出ることはなかった。
故に、総選挙というシステムについても簡単にしか知らなかった。私がこのイベントについて理解していたことは「アイドルの人気投票をし、その結果に応じてキャラクターに何らかのリワードを与える」という程度のものだ。歴代のシンデレラガールズについても殆ど知らなかった。
唯一記憶に残っているシンデレラガールズは、安部菜々だ。アニメでも彼女を中心としたエピソードが有ったので記憶に有ったし、Twitterでも大いに盛り上がっていた。選挙終わり、シンデレラガールズとなった彼女を祝うP達のツイートを見て他人事ながらも祝福した。
あのときも十分大きなお祭りだった。7回目という開催数と彼女の名前をかけてキャンペーンを張っていたことを覚えている。
しかし、あのお祭りに私は参加しようという気にはならなかった。結局は他人事だったのだ。
第8回総選挙もまた、そういう他人事のお祭りであったし、そのまま通り過ぎていくはずだった。あの中間発表を見るまで、私は今年ナターリアが1位になるのだろうとすら思っていた。
あの日、そういった総選挙を楽しんでいるP達のアカウントから流れてきたTweetを見て、私は本当に驚いた。
今年のはじめ頃、シンデレラガールズに新しいアイドルが実装されていたことは知っていたし、砂塚あきらという名前のキャラクターが特徴的な見た目とキャッチーなキャラクター性から話題になった事は知っていたが、その時まで夢見りあむというキャラクターについては殆ど知らなかった。見たことぐらいはあったかもしれない。
そんなキャラクターがいきなり中間発表で総合3位の座についている。ありえないことだという感覚があった。あの総選挙で結果を残すというのはあのIPのキャラクターにとって大きなことであり、大きな人気、或いはブームのようなものの後押しを受けているキャラクターが立つ場所だという知識はあったのだ。
物珍しさに負けて、夢見りあむについて調べた。実装されてまだ数ヶ月のキャラクターであること、声どころかまともなエピソードも持っていないことがわかった。
それと同時期に、彼女について様々な事を思うP達がここや或いは別の場所にこの様なエントリを投稿していることを知った。
正直に言おう。羨ましかった。1つのコンテンツが持つお祭りにあれだけ熱を上げられるP達が羨ましかった。
そして、彼女が総選挙に対して成したことに色々な意味が着けられていくのを見た。私はそれをただ傍観するよりも、その火中に立ちどちらかに加担したいという気持ちを抑えられなくなった。いまこうして文章を書いている動機も、同じところから来ている。
シンデレラガールの座を全うに取ろうとしている陣営、声をつけるために努力をしている陣営、そして総選挙に新しい意味をもたらしてしまう陣営、大きく分けて3つの陣営があった。
私は、一番最後の陣営に加担することにした。つまり、夢見りあむに票を入れることにした。
このコンテンツは当然ながらフィクションだ。アイドルたちは実在しない。765も、346も、存在しない。
だがあのキャラクターはどうだろう。本来全くバックボーンを持たないはずのキャラクターだが、しかしここまでの動きはまるで彼女のために作られたコミュの様ではないか。
Pにスカウトされてアイドルの世界に飛び込んだ少女が、その男好きのする外見と奇抜なキャラクター性だけを手軽に解釈されて、総選挙という晴れの舞台で諸先輩方を抑えて3位のポジションに着けてしまう。
夢見りあむというキャラクターの周りだけが、メタフィクションの様相を呈しているように見えた。そして、実装から日が浅い彼女の物語は追いかけ、理解するのが簡単だった。
この選挙を争うキャラクターは、それぞれ年単位の歴史を持っている。彼女たちを担当してきたPと同じだけの感慨や感情を持つには、それなりの時間がかかってしまうだろう。しかし、夢見りあむというキャラクターと、彼女を取り巻く状況を理解するだけなら。それは容易く、そして十分な感慨を持ってこの選挙に、お祭りに参加することが出来た。
中間発表後からの参加だ。投票期間は2週間程度、彼女に票を入れるために作ったアカウントは資源もなく、投じることが出来た票は僅か100票ちょっとだった。それで良いのだ。そのたった100票は、私が自分の時間を投じて集めた100票だ。それを彼女に投票する。そうして私は、このお祭りに参加し、当事者ヅラで何か喋る権利を手に入れた、そんな感覚があった。
このコンテンツそのものに害意があるわけではない。総選挙を壊してやろうとか、優遇されているアイドルのP達に一矢報いてやろうとか、そういう気持ちもさらさら無い。完全な愉快犯だ。面白そうな状況に、過不足無く当事者として加担する土壌が有ったから加担した、昔からこのコンテンツを愛していた人々にとっては邪魔なプレイヤーだ。だが楽しかった。
ついさっき、総選挙の結果が発表された。夢見りあむは総合3位だった。中間発表の後という事を鑑みれば一番順等な結果だろう。ここからさらにもう1波乱起こすには、古参のP達は強かったということだろうか。
しかしそれでも、実装から僅か3ヶ月でボイスを勝ち取りCDデビューを果たしたのだ。前代未聞らしい。
彼女はまだしばらく皆の話題になるだろう。運営の対応によってはまだまだ嵐の中心に居る筈だ。
私は今後も彼女に加担する。他のP達が、運営が、彼女にどういう反応をするのか、そして彼女がどうなっていくのか、本当に楽しみだ。
LGBTへの理解が求められる時代に、同性愛者をバカにし日本のインターネット最大の恥部ともいえる真夏の夜の淫夢。
匿名で淫夢ネタを使うだけでも眉をしかめるのに、実名や顔出しで使うバカの多いこと。その一部を挙げる。
オタク知識の一部としてネットのホモネタを使っているんだろうが、はっきり言って不快でしか無い。
原作は読んでいないが、アニメで淫夢ネタが使われているシーンがあった。
ネットスラングの一つ程度の認識なんだろうが、集団制作のアニメにおいて使って良いネタ悪いネタの区別も付けられなかったのだろうか?
手塚治虫の時代から進歩していないどころか退化する姿には呆れて物が言えない。
しかし、漫画を描くうえで、これだけは絶対に守らねばならぬことがある。
それは、基本的人権だ。
どんなに痛烈な、どぎつい問題を漫画で訴えてもいいのだが、基本的人権だけは、断じて茶化してはならない。
それは、
この三つだけは、どんな場合にどんな漫画を描こうと、かならず守ってもらいたい。
https://kanimaster.hatenadiary.org/entry/20100429/1272470913
淫夢語録やネタを使い登録者数を稼いでいるVtuber(漫画家)。
淫夢にはまったきっかけをこの動画で語っているが、いやいやおかしいだろ。
風評被害にあったのに嫌悪するどころか逆にはまるって。ホモ好き腐女子らしいが本当にホモが好きな腐女子なら怒れよ。まさか淫夢が同性愛者への理解を深めると本気で思っているタイプ?
そんな人の代表作が男の娘の漫画って。性同一障害者をバカにして楽しい?
ついでに言えばコメント欄もすっっっごく気持ち悪い。こういう人たちが集まる気持ち悪いコンテンツなんだなと確認できる。そもそも日本のVtuberブームの発端が「ホモと見る○○」というニコニコの淫夢界隈からだったという事実を考えれば親和性は高いんだろうが、ホモガキ相手に媚びて恥ずかしくないのか?
漫画も打ち切られる程度の売上らしいし必死になるのも分かるけど、いずれ淫夢営業をしていたという過去が足を引っ張ると思う。こんな人が超会議やテレビに出ているというのが信じられない
淫夢のみならずsyamu、唐澤貴洋、長谷川亮太らをネタにしガキの人気を集めてお山の大将を気取っているホモガキ。
名前も住所も割れてるのに続けている以上スタンスを変えるつもりは無いんだろうが、ガキに媚びを売って投げ銭を稼ぐのは楽しいか?
こいつをすごいと褒め称える信者共も同罪。
ホモガキの巣窟。淫夢関連の動画は本当にまずい物は削除するが、基本的に放置。結果本編丸上げや音MAD等でホモを笑い者にする文化が形成される。
AV企業のACCEEDははっきりと「作品の無断転載と使用をやめろ」と警告を出しているのになぜ放置し続けるのか?
オワコン扱いされたくなったらまずランキングから政治と淫夢動画を消せ。淫夢動画は削除しろ。淫夢語録をNGワードにしろ。
保毛尾田保毛男や「LGBTは生産性がない」と言うだけで炎上する時代に、こいつらはよく淫夢ネタを使えるものだね。
人権感覚が欠如してんじゃないの?実在する(した)人物がいる以上、傷つく人もいるどころか明確に個人を指してバカにしているって認識が無い?
百歩譲って子供がネットスラングの一部として使うのは理解しよう。うんこちんこレベルの下ネタで笑っているのと同レベルだから
でも上に挙げた奴らって大人じゃん?恥ずかしくならないの?面白い面白くない以前に人としてやっちゃいけない事だって理解してない?
セクシュアルマイノリティを揶揄し笑い者にする淫夢厨とそれを利用して人気を稼ごうとする淫夢営業をする人間たち。
はっきり言って異常だ。
先に結論を言っておく。女尊男卑という設定と、女性から男性に対する態度と、男性の女性に対する態度のバランスが悪いせいで、ミソジニーじみて見えるというのが私の見解だ。設定と描写のバランスが悪い。それに尽きる。それが悪いとか良いとかそういうことを言う気は全くない。
この見解にいたるまでの経緯は下に書いた。気になる人が以下の長く枝葉の伸びた文章を読んでくれ。いや、クソ読みづらい文章だから読む必要がない。自分が納得するためだけに書いた。言いたいことは上に述べた通りだ。
ヒプノシスマイクを知ったのは春。独歩という語をタイムラインで見かけ、「国木田独歩のことか。文ストか、文アルか。いや、一二三って誰だ。寂雷って誰だ。ヒプマイってなんだ。雰囲気的にソシャゲか。まあソシャゲはいいや」と調べることなく初夏を迎え、「ジャニオタがヒプマイにハマる」というような名前の記事を見かけて「ソシャゲじゃないのか。ラップか。面白そうだな」と調べた結果、見事にハマった。
ヒプノシスマイクにハマった要因は、シンプルに「人間の声ってすげぇな」という感動と、「さらっと面白いことを言っていて面白いな」という感動である。二重の感動。感動に感動が私の首に輪をかけて括ってきた。(輪をかけてを使いたいがために発生したクソみたいな誤用)
これは単なる私の好みでしかなく羅列すればキリがないが、突っ込みどころのある言葉や音がよい。いわゆる音MADで遊ばれていそうなコンテンツ(概念)が好きなので、ラップで人が死ぬ世界観やさらっと繰り出される面白リリックとかがたまらない。
あらゆる人が言及している通り、「俺のベロ見ろ俺はミケランジェロ」に「お前は次郎だ」と突っ込んだし、「君がくれた愛の形」が月収の「12345600円」という生々しさにも笑った。「ガチャーンドゥルルルチリンチリンチリン」で笑ったし、「泣けど泣けどnekkidフルモンティ」の完成度に感動したし、「ハマのしきたり」や「男ならラップができる」などの主語のデカさにも突っ込んだし、どことなく山寺宏一に似た入間銃兎のテンションの高さも気に入っている。ついでに言えば、観音坂独歩がキレると笑ってしまうし、一二三が麻天狼のローテンション曲の中で一人高テンションなのも面白い。何でお前だけ動画で輝いてんだよ。
決してバカにしているわけではない。むしろ、この突き抜けた感じを清々しく思う。かっこよいだけではない絶妙に耳に残る言葉に引っかかってハマった人は多いのではないだろうか。人間の声のすごさも相まってこの言葉たちはハマった人間の頭蓋骨の中で反響していることと思う。中毒性がすごいよね。
また、池袋→横浜→渋谷→新宿にいたるまでにキャラクターが奇抜になっていくのも面白い。アンセムやバトルでは歌う順番を考慮しているんだろうなと思う。人の目を引く(耳を引くか?)方法を熟知しているんだなと思いながら楽しんでいる。だって寂雷先生のときだけ曲調が変わるの面白すぎません? 一二三の合いの手も相まってじわじわきますよね。
さて、ここまで長々と書いたのは、私がどのような観点でヒプノシスマイクを楽しんでいるのかを表明し、立ち位置を設定した方がよいと思ったからだ。これを踏まえて、最近話題になっている「ヒプマイってミソジニー要素があるのでは問題」に入る。
私はドラマCDを聞かない人生を送ってきたので、ヒプノシスマイクで初めてのドラマCD体験をした。曲をから感じられるキャラクターの印象とは違った面が見られて面白く感じた。特に、観音坂独歩に関しては話し方が穏やかだったので意外だった。正直、もっとクソ早口でボソボソしている印象があった。話し方が早くてもキモがられるけど、ゆっくりはゆっくりでイラつかれる現象に見舞われてんのか? 観音坂独歩は。一二三のテンションというか話し方のギャップもよかったし、池袋の兄弟が仕事できていてすごいなあと思ったし、食事のアレで横浜は関係性のできた人間に対しては気遣いを持てるいい人たちだったというのも確認できた。渋谷に関しては夢野幻太郎の剽軽さや有栖川帝統のコミカルなキャラクターに親しみを抱いたし、飴村乱数が人の臓器を売ることに躊躇しない鮮烈さを持っていることに妙な興奮を覚えた。キャラクターに厚みができていく感覚が面白い。渋谷VS新宿のドラマトラックも面白かったですね。ヨコハマの血の気がある人たち「クソボケ」ってワード大好きですね。左馬刻様はチャラチャラしてたり口で自己紹介できない奴嫌いなんだなってのが分かって面白い。多分左馬刻様はメールしたら電話しろってキレるだろうし、電話したら直接会いに来いとか言いそう。あと、一二三はツイッターとかで定期的に礼節欠いて炎上しそう。あと飴村乱数の先生への話し方から「私あなたのこと嫌いだけど気遣って話しかけてあげてますよ」感が滲み出ていて好きです。
では、本題に入る。私はこのドラマトラックにミソジニーを感じてしまった。正直、女尊男卑という設定は読んでいなかった。言葉で戦うという設定に目がいっていた。気付いたのは池袋VS横浜のドラマトラックで山田兄弟が壁に対して税金の話をした辺りだ。その後登場する左馬刻様の件の発言は「そんなキャラなのかな」程度に流していた(乱暴なキャラクターは女をゴミかゴミ箱のように扱うという偏見がある。雑な一般化をしてすまない乱暴なキャラクターたち。)ため、件のはてなブログで確かにと思った。
で、税金の話。男が女の十倍の税金を払っている。その金でこの壁が作られた。この内容に引っかかった。リアルに考えれば、男の方が高い所得であるためにバランスを取っているんだろうなあ(さすがに十倍は現実味がない気もするが)という見解が妥当に思う。それゆえに、ここで税金に言及している山田三郎と観音坂独歩については、彼らは他の男性よりも所得が低いのかもしれない(三郎はまだ中学生なので、一郎の苦労を見てきたのか、大人の話を聞いて知識を得ていたのか、その辺だと思うので、除外してよい気がする。社畜は休む暇がないから金が貯まるというが、このパターンだとより地獄じみてきて観音坂独歩がより幸の薄い(といっても、幼馴染の手厚い保護があるので悲壮感は薄れるもののそういう感じの)人間になりますね。ストロングゼロ飲んでそう)。(ついでに、山田一郎と左馬刻様と寂雷先生も壁について言及しているが、金というよりも権力への言及に感じるので、彼らに関しては所得的に不満があるわけではないような印象を覚えます。)
なぜ、男の方が納税額が多いのかがよく分からないが、男にとっては不条理な税負担なのかもしれない。しかし、その割には観音坂が愚痴る人物はハゲ課長のみであり、女性から不当な扱いを受けているような表現は見当たらない。一二三に関しては特殊なケースのように扱われているため、女性が日常的に男性を虐げることはないように思える。何より、左馬刻様が女に対して直接普通に「クソ女」って言えているというのは、安定して女を罵倒してよい環境にいるってことだもんな。ここぞというときの「クソ女」ではなく日常的な「クソ女」でしょアレは。山田一郎も無花果に対して好戦的に話しているし、(野蛮とか低能みたいな侮蔑は受けているものの、)言葉遣いであれこれ言われて抑圧される描写ではない。言われても反骨するヤンキー的な描写なんだろうか。そういう理由からキャラクター的には不自然ではない感じがして受け入れてしまうよね。
頭に残る女の話は税金の話とヒステリーなストーカーと高圧的な無花果さんくらいである。後は普通の印象があって女尊男卑感はあまりない(私は鈍い人間なんでその辺りは鋭い人が指摘してくれ)。だから、「女という強者によって不当な扱いを受けていることへの反発」というより「女によって搾取されている」というより「女を大事にしなくてはならないせいで要らない負担を強いられている」という感じがある。もっと適切な表現があるかもしれない。なんだろう語彙力がないから分からない。あと、三郎の「ホスト風情」という表現から女性に奉仕する職業は馬鹿にされるものなのかもしれない感じもある。男を支配する女に媚売る裏切者って感じなんだろうか。
何というか、女尊男卑の世界なのに優位な側(女)からの一方的な蹂躙がないのが不思議なんだよ。それが見たいというわけではなく、わざわざ設定を付ける必要があったのかという疑問。だって、税金と壁と可視化されているのって中王区(政治)からの疎外くらいじゃないか。いや、政治から疎外されるって結構な痛手だよね。しかし、入間が結構な権力を持っているのを見ると、そこまで疎外されてなくないかと思ってしまう。いや、あれも男だけの世界だから自由が利くだけだろうか。女子高や女子大にいる女はのびのびと生きているみたいなものと解釈すべきか。しかし、横領したあの人が女である可能性も否定できない。語られていないことは推測しかできず、語りえない。
話の枝葉が分かれすぎてしまってアレだが、要するに、女尊男卑という設定と、女性から男性に対する態度と、男性の女性に対する態度のバランスが悪くって、ミソジニーじみて見える。これは最初に言った。ここに来るまでアホみたいに長い文章を書いてしまった。以上。
早く、内容の全容が知りたい。全て知ってからまた判断したい。飴村乱数さんが何かしてくれそうな感じあるので、どうなっていくか気になるところだ。
ごちゃついたことを考えるのも、何も考えずに享受するのも楽しめるので、特にヒプマイというコンテンツを批判する意図はない。書いてすっきりした。よかった。
なぜあれをネタにできるんだ。
と心底思う。
かくいう俺はホモである。政治的に正しく表現するとゲイである。LGBTである。
だから面白さが分からないんだろ、と言われればそうなのかもしれないけど、
淫夢が流行り出した前後の音MAD界隈のことはまだ記憶に残っている。
某海外ゲイAV、某草加、某フェチ系ビデオ、某熱血テニスプレイヤー。
どれもまあわかる。
筋肉ムキムキの外人がパンツの奪い合いしてるなんてシュールで面白いし、さらに空耳のオプション付き。
草加に関しては宗教勧誘ビデオのワンシーンをリズムに乗せるという面白さに加えて素材がベテランお笑い芸人である。
容赦のない放屁音を連打するフェチ系ビデオは小学生的な感性を思い出させてくれたし、
脈絡もなく熱弁を振るうテニスプレイヤーも勢いで笑わせてくる。
ニッチな界隈のさらにAVという役者が限られた状況で、何とかエロの前後に前戯的な小芝居を挿入しようとした結果、
壮絶な棒読み学芸会が爆誕してしまい、冷静な目線で見ると滑稽で仕方ないというのは確かにある。
男がちんこ勃起させてアヘアヘ言ってる光景なんてノンケから見たらグロ中のグロ中じゃないの?
プロ野球選手が男相手にンギモヂイイ!!とか言ってる猿芝居の面白さがそのグロさに勝ててるとは到底思えない。
何故日本人が演じてるホモAVなんて鳥肌の立つような(とあえて表現する)映像をチョイスしてるのか。
「やらないか」→「パンツレスリング」の系譜は理解できても淫夢に関しては理解が追い付かない。
そういうのが平気な人もいるんでしょ、で済ませるには淫夢のミームはあらゆる場所でみかけるし、
ミームだけ独り歩きしてるのかと思いきやAV本編のフル動画は検索上位にヒットする。
一部だけで受けている、とするには無理のある存在感だ。
淫夢のミームが浸透する流れをホモフォビアの視点で語る人もいる。
いわゆるヘイトなのだと。ゲイが嫌いだからネタとして、オモチャとして消費しているのだと。
…しっくりこない。ヘイトとってないのに消費されてる人たちはなんなんだ。
修造は嫌われてたのか。OMMC姉貴の愛称で昨年親しまれた彼女は世間から嫌われているのか。
そんな馬鹿な。
というわけで、現状どの視点から切り取っても淫夢の愛され(と言っていいだろう、もはや)ぶりは
これ、淫夢コンテンツを観測してたのって具体的にどのへんでなんだろう。Twitterなのかニコニコなのか
ニコニコ動画の淫夢系の新しい投稿動画とか見てると分かるけど、最近のニコニコでのあれの扱いって割とチャー研、Z会、松岡修造みたいなネットミームやアニメなんかの商業作品と同様、本編改変、仮想実況、音MADとか下ネタが多いのを除けばかなり平凡な部類で、付くコメントの内容も男優への中傷というよりは単に動画の出来に対するものであるとか、男優を一種の創作キャラのように扱う流れがほとんどだったりする。まあ種々の権利の侵害があるのは間違いないんだけど
実のところtwitterで見る淫夢コンテンツを多用するイタいユーザとニコニコで淫夢動画を消費する層って同じなようで同じじゃなかったりするんだよね
実際“ホモガキ”なんて語があるようにTwitterにいるその手の人間はしばしばニコニコ動画の方面からは蔑視の対象と看做されるくらいTwitterやその他SNSとニコニコとで淫夢ネタの扱われ方が違うし
これは、反撃できない対象にむかってする一方的なイジメなのだということにやっと気づいた。
自分の愚かさを恥じる。とても自己嫌悪。気づくのが遅すぎる。子どもか俺は。
みんな、悪気があってやっていないだけ、本当にタチが悪い。
少し検索したら、「淫夢ネタは同性愛者への親近感が生まれて良い」と言う人までいるらしい。
みんなが早く、俺みたいに自分がやっていることの異常性に気づきますようにと願う。
※追記
沢山のトラバ、ブクマ、ブコメ、ありがとうございます。
どなたかが仰ってくれたように、このエントリが少しでも拡散されて話題になり、淫夢ネタ含む、個人を一方的にネタにして面白がる風潮が少しでも減ってゆけばと思います。
はてなではもとより否定派の方が多いようですが、インターネット上にはそうではない方が多数いるはずです。
『笑えなくなったきっかけは?』
直接のきっかけは、
何気なくみたYoutubeの動画のコメント欄に、淫夢ネタの画像をアイコンにして、淫夢ネタのハンドルネームを冠し、淫夢ネタの言葉遣いでコメントをするアカウントが、何十と並んでいるのをみて、とても異様に感じたことです。
おそらくこの感覚は、淫夢ネタをもとから面白がれない人にとっては当たり前のものなのだろうと思うのですが、突然、感じてしまったのです。
飽きたというより、「今まで俺はなにをやっていたんだ…」と自己嫌悪に陥る感覚です。
このような疑問を示すコメントをいくつか見かけ、冷静に少し考えてみたのですが、うまく言語化できません。
ただ、
「方言がキツい地方出身の方の喋り方を面白がっていじる」とか、
「太っている方の体型を面白がっていじる」とか、
その人が持つ、他とは少し変わった格好悪いパーソナリティにフォーカスする系の、いわゆるイジメと変わりません。
そもそもそれを面白がる神経を疑う、と言われても弁明できません。
ひいきの動画投稿者がいるというよりは、ランキングでトレンドになっているものをなんとなくみるタイプの視聴者です。
現在、カテゴリ合算24時間総合ランキングをみると、トップ10のうち、4つの動画が淫夢に関連のあるネタ動画になっています。
ブコメでも言及されている方がいらっしゃいますが、ゲームのRTA(リアルタイムアタック)動画は、淫夢ネタを全面的に使ったものが数多くあるなど、ゲーム実況、音MAD等、ランキングにあがるような人気動画にこのネタが盛り込まれることは非常に多いです。
音MADっていうアニメとかゲームとか、その他いろんなやつの声とか音とかを既存の曲にならべるだけの文化があるんだけど、曲のリミックスだとかの文化に凄く似ている。
既存の曲を刻んだり並べ替えたりとか、よく聞く手法をそのまま取り入れてるのが興味深くて、クラブミュージックみたいな文化とちょって似てるんじゃないかなって感じがする。
音MADスレなるものを見ていると、「編曲、remixと変わらない」って意見がごく少数だけど確認できた。
それらの意見は「意識高いね」とか「早口」とかで打ち消されるのがお決まりのようで、少し残念に思える。
音に関してはさっき言ったとおりそれなりの文化があるわけだし、動画もMVって呼んでもいいくらいのすげー綺麗なものが多いし、なんていうか、音MADの枠組みで終わってるのがもったいない。
自分は器用貧乏であるという自覚がここ数年なんとなくある。自分で器用とか言うのか、というのはあるが、しかしそうなんとなくそう思ってしまう。逆に、どうせ何者にもなれないのであれば器用貧乏であるということをせめてもの誇れるアイデンティティにしようと思って過ごしているのかもしれない。
自分は今大学3年で、いわゆる情報系の学部に所属している。機械みたいなのは小さい頃から好きだったし、中学や高校のころからなんとなくプログラミングの真似事のようなこともしていたので、まあ自然な流れだと思う。といっても、高校の最後のほうでも、2chのパソコンの大先生コピペ(Windows Serverのポート番号がどうたらみたいなアレ)の意味を正しく理解できてない程度だったけど。
それでもって、大学に入ってからは以前よりもプログラムを書いたりすることも増え、先輩から紹介してもらったアルバイトとかもやりつつ、一応なんとかそういう職種に就けそうというところまでにはなったと自負はしている。
ところで、昔からずっと自分は熱しやすく冷めやすいタイプ、もしくは飽きっぽい性格だと思っていて、そんな感じなので中途半端にいろいろな趣味に手を出しては有耶無耶にしてきた。当時はニコニコ動画の音MADが自分の周りでそこそこ流行っていたりしたこともあったり、パソコンはまあまあ得意なほうだったので、それを使って何かを作ってみたい、みたいなことを思い、動画とか音楽とかに中途半端に手を出しては挫折していた。
今でもその時の経験が微妙に役に立つこともあるけど、そのころから何かをがっつりやってる人間にはそれらで敵うことはまずないだろうし、万事がそんな感じなので、漠然と自分の将来が不安になることがたびたびある。今自分が就活するとして、スキルに支払ってくれる対価や、楽しんでやれる仕事かどうかという観点で職種を選ぶならプログラムを書く仕事になるのだろうと思っている。それでも、超複雑なアルゴリズムを駆使したプログラムを書けるとか、そういうことはないなあ、という感じもしている。もちろん、今から勉強してやっていけばいい、というのはあるだろうが、いやしかしその間に奴らはもっと先に行っているに違いない、みたいな気持ちになってしまう。最近流行りのディープラーニングや量子コンピュータとか、もっとよくわからない何かが滅茶苦茶発展した先には自分の居場所はあるのか、みたいなことを想像して、意味もなく辛くなったりしてしまう。
この話に特にオチはなくて、最近は開き直って本当に居場所がなくなったら死ねばいいかという風に思っている。とはいえ、そういうメンタリティで過ごしていると実際にそうなったときに困ってしまう、というのは大学生活(留年した)の間で学んだことの一つでもあるので、どうしたものかということを考えている。どうしたものでしょうか。