はてなキーワード: 抗うとは
要は春になると眠りが心地よくて、
なかなか起きれなくなってしまう。
くらいの感じで捉えている。
確かに春になると冬と比べて、
眠気がなかなかとれない感覚がある。
ただそれは春の眠りが深いという意味ではない。
むしろ眠りの質で言えば冬のほうがより濃密だ。
これは環境にも左右されると思う。
外の身体が冷え切る寒さと、
ガスファンヒーターから吹き出る風により温められた部屋の暖かさ。
そこから始まる、冬特有の深奥な睡眠からもたらされる摩訶不思議な夢たち。
意識の底に溜まった無意識の深層に潜り込むことでしか見ることが出来ない夢がある。
そこに到達できるには条件がある。
その寒気に抗うべく強い熱風が勢いよく吹き出て部屋を温めてくれていること。
そのときに私は深く深く奥へ奥へと沈降しそのときに見るべき夢を見るのだ。
そんな眠りを終えた日の朝。
もちろん起きるのは難しい。
でも一度、起きてしまえば、
頭はひどくスッキリとしている。
春にはそういう風にはならない。
多分、眠りが冬に比べて浅いのが原因だと思っている。
「私は努力してるんで」「お前は努力もせずに」「ちゃんと努力したのか?足りてないんじゃないのか?」
別に今も昔も変わらず言われきた事だろうけど、ネットに蔓延る謎の自己責任論を眺めてると強くそう感じる。
努力は尊いみたいな多少の価値の付与はあっても、基本的には目標に向けて何かしらのアクションを取るという割と価値中立的な言葉だと思うんだけど。然るべき、やって当たり前の、やらない奴はクズな、という透明な前置きが付け足されてるような気がする。わざわざ注力とかに置き換えたくなる。
流行りの歌にも「努力」についての文言が出てきた。総じて逸脱への自己弁護の歌だったが、「努力しちゃっててごめん」というワンフレーズ。
「批判(単なる非難と同義に使われる言葉としての)は不毛、口だけの奴らと違って自分は努力してる、正しい存在だ」みたいな事なんだろうか。
生きるのメンドクセ〜ダリ〜と言ったらそれはお前の努力不足だと怒られる。いや知らんがなって話なんですよ。ストイックなのは結構ですけど、それを他人にも要求するのは非常にウザい。別にアタシ自身は努力しないけどお前らはアタシを助けろよ、なんて事は言ってねーんだからよ。
怠惰は聖書で嗜められるくらいに人の根源的な性の一つだ。その本能に抗うのが人生というもの、そんな事は分かっているが、ダルいものはダルい。
怖いのが嫌だからホラーは避けてきたけど、前にミーハー心で話題になっていたヘレディタリー/継承を観た。超怖かった。
ただ、これを耐えたなら他のも行けようと思って、往年の名作を開拓してみた。
『エルム街の悪夢』『13日の金曜日』『トワイライトゾーン』『チャイルド・プレイ』『スクリーム』『エクソシスト』等々
全然怖くなかった。
シチュエーションや怪異への恐怖が、有名すぎてミーム化してしまったというのもあるんだろうけど。
ゴアやスプラッター描写は、怖いというか単に気持ち悪くなるから見たくないって感じ。
宗教観がどうのみたいな雑語りは、エクソシストではそうかもしれなかったけど他は言うほどか?って感じだった。エルム街〜でも十字架握ってたけど、さほどキーになる部分ではないし。
あと怖さより苛立ちを覚える方が多かった。かまいたちの漫才でもそんなネタあったな。
自ら袋小路に逃げ込むな
無闇に怪異を刺激するな
いつまでも驚いてないでさっさと逃げろ
動かなくなったくらいで油断するな
神の目線から観てて真実が明かされてる分イライラする所もあるのかもしれない。
キャラクターと同じ心境で疑心暗鬼になれる方が好きなんだと思う。だから『遊星からの物体X』は凄く面白かった。いやコイツ明らかに怪しいやんって所はあったけど、ご愛嬌。
『スクリーム』はホラーを成立させているお約束をネタにしたメタホラーと名高いけど、それでも普通にイライラした。メタネタも擦られまくった今や特に面白くはなかったし。
お約束に頼らず、必然的な状況で全身全霊を尽くすのが好き。それで勝つと怪異バトルものになっちゃうけど、負ければ多少後味は悪くともホラーにはなるんじゃないかと思う。
個人的には、未知の存在に不条理にも蹂躙されるけど抗う所にホラーの魅力を感じます。『エイリアン』は大好き。ヤバそうな巣に入って余計な事してパンドラの匣を開けてはしまうけど、それくらいのチョンボなら良いかなって。
ホラーとは少し離れて、進撃の巨人やエヴァも人間を蹂躙する未知の存在が結局種明かしされちゃって(後者は匙を投げたとも言う気がするが……)人間同士の内ゲバになっちゃったのが残念だった。面白かったけど。
最近よく見ている映画レビューサイト『シネマンドレイク』がフィーチャーされているので、あらためてまとめてみようと思う。
※人物像
・小さい頃から“ゲームっ子”だったゆえにアニメや漫画はそこまで深く立ち入る機会も好奇心もなかったのです。
・子どもの頃から「男っぽい」もの、「女っぽい」ものという、露骨に固定的なジェンダーのイメージが強いものに対して内心では避けたい気持ちがありました。今では私はノンバイナリーを自認
・私は北海道出身で、北海道のいくつかの地方と縁があるので実情を多少は知っているのですが、知らない人が思っているよりもはるかに絶望的です。
・個人的な話になってしまいますが、私は「兄弟」よりも「姉妹」の方が身近な存在で、家族・親戚周辺もなぜか3姉妹が多いです。逆に3兄弟は3姉妹よりは少ないですけど一応はいるので、3姉妹と3兄弟の比較…みたいなことが自然とできてしまったり
・私も科学に関わって政府の人ともやりとりしたことがあるのですが、あんな“暖簾に腕押し”みたいな反応の役所なんて日常茶飯事
・地球環境問題というのは嘲笑われやすいトピックです。私もこの分野をかじっていた人間なので経験としてわかります。どうも世間は地球環境問題に取り組むことや取り組む人のことを「オシャレ」だとか「意識高い系」みたいな見下しで扱ってくるんですよね。もしくは「慈愛」「慈善」みたいな感情的な活動だとみなしてくる。全然その問題の本質を理解してくれないわけです。ときには「地球環境問題もいいけど貧困に取り組むべきだよ」とか言ってくる人もいるし、ジェンダーやLGBTQには関心があるわりには地球環境問題にはまるで当事者意識のない人もいます。
・なお、Twitterを見る限りでは町山氏には批判的なようである。
※自己紹介
…映画を愛する映画ライター(雑草)。洋画、邦画、アニメ、ドキュメンタリー、ドラマシリーズ、なんでも観ます。年間で鑑賞する新作映画の数は約300程度(劇場未公開作品も含む)。アセクシュアル・アロマンティック・ノンバイナリーのLGBTQ当事者(they/them)なので、その視点で映画を語ることも。得意なテーマは、映画全般、ジェンダー、セクシュアリティ、自然環境、野生動物など。ライター:取材&仕事等の依頼は「お問い合わせ」まで。
※環境問題について
・今の環境問題を振り返っても『ドント・ルック・アップ』みたいにフィクションの中でくらいは何回か人類を絶滅させてやらないと…それくらいしないと加害者責任を自覚できない
・少しでも多くの人がこの問題に当事者意識を持つということ。私もあなたも中立ではありません。人間である以上、もう問題の加害者です
※Z世代について
・Z世代の子どもの方が真面目にネット規制を支持していると思う
・SNS社会の中、どうしても「いいね」欲しさに自分をより良く見せようと日々奮闘する、そんな強迫観念に駆られる10代
・フェミニズム的な“正しさ”がブレることなく存在し昨今の定番であるZ世代に通用するキャラクター性に更新されている
・これがアメリカの血気盛んなZ世代の10代だったら全然違いましたよ。きっと「そんな酷い目に遭っているの?! よし、なら抗議してやろう!」とハッシュタグ・アクティビズム全開で連帯を開始して入国管理局前でデモを始めた
・「SDGs」はノリノリで掲げるくせにそのSDGsの目標のひとつである「ジェンダー平等」にはたいして興味がないばかりか、そもそもジェンダーが何なのかイマイチわからないまま雰囲気だけで同調している日本社会の皆さん、ごきげんよう
・「カミングアウトを大仰にドラマチックに描くのはもうダサいだろう」というイマドキなZ世代的感覚
・残酷描写やエロ描写をもっぱら規制しようとしてきたのは「保守派」や「宗教右派」である
・世の中には“配慮”に気を使いすぎて映画としてつまらなくなっている作品も少なくない
・でも、映画は芸術だからこそ、ときに政治的な視点で批評するのも大いに結構
・
おカネが山ほどあればこんな日本を飛び出して海外で暮らしたいと正直思っている
・洋ゲーの最近の潮流なでクィアのようなカルチャーの取り入れ方が上手い
・同性婚は実現してもトランスジェンダー差別は依然として残ったまま。トイレなどの一部の空間での露骨に強調されるトランスジェンダー排除
・そもそもフェミニズムというのは実際のところ誰の心にも宿るもの
・「男オタク」は今の社会では圧倒的なマジョリティであり、特権を持った支配層であり、自己批判がや差別意識から目を背けがち・日本というろくにジェンダー教育をしていない
・いかなるジェンダーでも中立的な立場にいる人はひとりおらず、自分の中のマジョリティな加害者的側面を自覚しよう
・ホモソーシャル的な生存術であり、同時に科学に対する日本のメディアの態度でもある
・多くの女性は不本意ではあるけど男性の評価を気にしながら生きている
・「歌舞伎」とアニメ・漫画などの「オタク」という趣味はどちらも女性が排除されがちでオタクの世界も男性中心的
・と高身長な女性というのは、男社会にとってのステレオタイプな寵愛しやすい女性像ではないので男性オタクからも白眼視される---【出典】アニメ『かげきしょうじょ!!』感想(ネタバレ)…歌劇に生きる現代の少女を描く より
・女性がファンダムに身を投じることは時に男性とは異なる困難をともなう。風当たりが男性以上に冷たかったり、安全なファンダムの居場所が用意されていなかったりする。
理想的な男性の振る舞いは女性のファンダムを一切邪魔せず、変に首も突っ込まず、そっとサポートし弱音を見せたり、“男らしさ”で気取らず、しっかり自分の弱さを示すのも良い
・日本も先進国の中でははるかに女性差別の激しさで言えば酷いものだということも繰り返したいところ
・。本作でも女性キャラの扱いから脱臭できないほどに男性目線主体の匂いを感じる
・日本でもAIの無自覚なジェンダーロールによる女性差別が問題視されている
・従うしかできない、抗うことは許されない…そういう日本社会の体質
・本は実名を出さなくても政治ネタを映画で扱うとそれだけで「プロパガンダだ」と非難されてしまう
・日本は2020年代になってもなお非常に封建的社会が残存しており、家長を絶対主とする規律があり、従属と調和を優先し、主流の社会に逆らうことは許さない
・男に主導権を与えるな、男が助けてくれると思うな、男の料理は場合によってはヤバイ!
・『シュレック』というアニメ映画があり、あれも当時は斬新で「怪物でもプリンセスのようなヒロインになれる」ことを示した作品でしたが、今の価値観で見ると「女性は美人かブスかの二択」のようで違和感も感じます。
・ヒロイズムな着地になってしまいます。まあ、もちろんやっていることは立派で正しいのですが、やはり男性であるというだけで作品のトーンは偏向するもの
・シリアで拘束されて解放されたフリージャーナリストをボロクソに批判することに快感を見いだし、はたまた中東情勢が不安になるたびにガソリンや灯油価格を心配する。そんな国がこの日本
・ジェンダー構造には無関心で自身の男性特権を自己批判でせず冷笑的なマッチョイズムで典型的なホモソーシャル
・マスキュリニティ賛美の色合いが濃いこ、異性愛規範も充満している
・軍隊主義的な“男らしさ”だけが物事を解決できるわけじゃないという教訓
・車が自分の男らしさを体現する剣であり、もっと言えばペニスである
・上から目線のマスキュリニティではなく、下から支える献身的な愛を感じる良いシーン
・「女の連帯」とは似て非なるものです。なぜなら既得権益に酔いしれたいだけ
・「ガンダム」は男同士の同性愛には直接的には踏み込まない。やはりホモフォビアがある
・そして日本のインターネット界隈もSNSやまとめサイトを中心にしてインセルの巣窟になってしまっている動かぬ現実がある
・『機動戦士ガンダム』を継承する「男vs男」の対決に行き着き真の部分はものすごくホモセクシュアル
長くなったので後編【https://anond.hatelabo.jp/20230218181513】に続く。
https://anond.hatelabo.jp/20230209171536
桜ういろうの人は毎日のように暇空茜を馬鹿にするようなツイートをしていて
そこそこ影響力が大きい。
https://b.hatena.ne.jp/site/twitter.com/uirousakura
【悲報】自民党が都知事選で小池百合子氏の対抗馬として、元厚労次官の村木厚子さんを一時検討していたことを知り、暇空茜氏が「俺は信じない。自民党内のナニカの仕業か」と激しく動揺してしまう。
暇空茜さん、このところネタ切れ気味だよな。急減する求心力に抗うようにネタを出そうとするんだけどマニアック過ぎてウケないし、手当たり次第にアンチを粛清したので「戦ってる感」も演出できないし…
当初は利用していた有本香さんたちも飽きちゃったみたい
暇空茜氏のColabo に対する病的な言いがかり村木厚子さんに対する陰謀論も全て以下の発言で腑に落ちました。
ちなみに安倍さんを支えていた外国の宗教団体がジェンダーフリー教育に反対し、各地で政治工作を活発化していたことが広く知られています。
#純潔教育
それでも訴えられてないよな?
それとももうとっくに訴える準備してるのだろうか?
それを左よりのはてなブックマークの連中が無言ではてブしてホッテントリさせてるけど
桜ういろうもはてなブックマークユーザーも訴えられてないのを見ると
暇空茜さん、口では勇ましいけど
先週の木曜深夜、なーんもしてないのに13年使ってたツイッターアカウント凍結され(マシュマロ連携のせいか?)、急にインフラの一つを壊された感じがして、ぶっちゃけ持病の精神疾患(双極性障害)が悪化し、ホルモンにも急激なストレスがかかって不正出血までした。抗うつ系の薬(本当は躁転するからよくない)も増量になった。
新垢の方は凍結が解除され、とりあえず旧知の相互さんをフォローしたが、とてもじゃないが全員のアカウント名を覚えてるわけじゃないし、鍵垢なんてどうしようもない、探しようもない。
フォロー返ししてくれる人も本当に旧知の人ばかりで、それはありがたいんだが、リアルでも会いたいねとか、やりとりしていた人はフォロー返してくれなかった。ショックだった。
とりあえず凍結後作ったマストドン垢やdiscord垢を使って凍結についてクダまいたり情報交換したりして、それまで絵だけ上げていたインスタも活用し始めた。
そうすると、とりあえずツイッターなくて困るのは、有名人の訃報や声優やアニメクリエイターの近況をいち早く知れないことだけと気付いた。
そんなこんなでツイッター離れ対策を行っていると、解凍された新垢に紐づけされたメールアドレスに、ツイッター社から「ツイッターで会話してみませんか?」と使用を促すメールが届いていた。うっせーんじゃ、今更なんなんだよボケカス。
本垢の凍結については毎日、何もしていないのに凍結されたと英語で異議申し立てしている(幸い、英語を使う仕事をしているので不自由ない)が、自動メールが延々と返信されるだけで、効果あるのかどうかがわからない。懸念は、色々と調べものの成果をtogetterにまとめていたから、そのtogetterまとめが無惨な状態になっていることだ(画像が表示されない)。
同じ内容はブログにも上げているから、そこはいいんだが、togetterのPVがそこそこあったから、読んでくれていた人に申し訳ない。
一刻も早い本垢の解凍は悲願だが、解凍されても、もう積極的な使い方はしない。不特定多数の力で成り上がって、そして有名人や金持ちや政治家や活動家を優遇する今のツイッターなんか、誰が盛り上げようとするかよ。くたばれツイッター、さらばツイッター。もう終わりだよ。老害と金持ちと自称インフルエンサーでよろしくやってろや。
若い子がインスタやtiktok中心なのがようやくわかったわ。イーロン体制で最低なソーシャルメディアに成り下がって、やはり栄枯盛衰、盛者必衰の理は真だなと思った。
https://anond.hatelabo.jp/20230121222629
はー。(でっかいため息
まじで理解できねえわ。
あーやだやだ。敗北の甘美なカ・イ・カ・ンすら理解できないやつは。
女とか男とか関係ないんだよ。
他人に負けてるときに嫉妬とか対抗心とかを覚えるということ自体人間として傲慢なんだよ。
自分は自分なりに抗うけど最終的には必ずより優れた存在に凌駕されてしまうというのが人類が獲得してきたたただひとつのしんじつなのに。
フェイク混みで前提を話すと、
妻の弟は数年前に苦労の末30手前で医者になったが、結婚どころか女性との交際経験もない。
見た目も性格も特に悪いところはないのだが、単純に奥手で、引っ込み思案なところが理由だと思う。
私の子供達とはよく遊んでくれるし、私にも近すぎず遠すぎず心地よい距離で接してくれる。
30代半ばにさしかかり、また仕事にも余裕が出てきた義弟が、婚活に精を出している。
いや、精を出しているのではなく、義父義母の無言のプレッシャーから義務的に婚活しているのかも知れない。
以下の一段落は全て妻経由で聴いた話。
先日、男性は医者のみ、女性は四大卒以上が参加できる婚活パーティーに義弟が出席し、気になる女性と連絡先を交換して何度か会ったらしい。
何度目かに、その女性から、実は短大卒なのだと打ち明けられた。
そのことを義父、義母、妻が知り、特に義父がそんな基本的なところで不誠実な人間とは付き合うなと激怒した。
義弟は、少しだけ躊躇したが、3人がかりの説得にそれほど抗うこともなく、交際には至らなかったとのこと。
この経緯に私は妻に対する想いが冷めていくのを感じた。
確かに、条件付の婚活パーティーに条件を偽って参加したのだからそれは咎められるべきだし、
そのことが後々に深刻な問題に繋がることもあるだろうとは思う。
しかし、そもそも30代半ばのいい大人の婚活に、そこまで家族が口を出すのはどうか、というのに引いた。
もしかすると、前々から違和感があって、今回の件はただのきっかけに過ぎないのかも知れないが、私の中では相当に大きな出来事になった。
アンフェ、ミソジニーたちからの差別だ! 党派性など関係ない!
と現実から目を背け必死に抗うのも痛々しいし、「連帯」というワードも気になる。
[wikipedia:革命的労働者党建設をめざす解放派全国協議会]
革命的労働者党建設をめざす解放派全国協議会(かくめいてきろうどうしゃとうけんせつをめざすかいほうはぜんこくきょうぎかい、略称:解放派全協)は、社青同系の日本の新左翼党派の一つ。1980年から1984年にかけて革労協狭間派から分裂して結成された。別称は労対派。警察は極左暴力集団、マスコミは「過激派」と呼んでいる。
[関連項目]
真っ赤やないか..........
22年の年末は久々に学生時代の友人と会って飲んだんだけど、出てくる話題が結婚とか子どもとかマイホームで、今時間差でダメージを受けている。
学生の頃にぼんやりと考えていた「自分はこの頃には結婚するだろうな〜」と思っていた歳になってしまい、多少傷はついていたんだけど、今回の飲み会でマジで自覚させられてしまった。
けして喪女ではない(と思う)し、本気出せば結婚できる!と思っているが(バカの発言)、結婚への意欲が無いというか……。
自分にはやりたいことがあって上京してるし、好きな人を追いかける日々で、今のところ正直満たされている。
結婚してしまえばこのふたつをいっぺんに失う(諦める)ことになってしまうから、そこまでして結婚したいか?と言われると、う〜んなる。今も幸せなんだけど、でもその幸せって、心の遠いところで幸せになっている感じなんだよね。年末の飲み会はすごくアットホームで楽しくて、きっと近くにある幸せってこんなんなんだろな〜って感じちゃった。
そこで素直に「じゃあそっちの幸せを目指そ!」ってなれればいいんだけど、自分は全然シフトチェンジできない。出来たところできっとすごくモヤモヤが残って、常に心のどこかで『ワンチャン』を狙うようになってしまう。
今までの人生常にそんな感じで、人並みには何かをできるからそれなりの技術も得たと思ってるけど、『これだ!』ってものを習得・獲得できてない。きっとそれは人によって、仕事や結婚相手ややりがいになるんだろうけど。自分にとって『これだ!』と思うのは、本当に果てしないゴールで、辿り着けるかも分からないから、余計に不安になってフラフラしちゃう。そんな中で提案された『身近な幸せ』ってすごい誘惑なんだよね。それは全部悪い事じゃないし、人類みな幸せであれって感じなんだけど、自分がそれを受け取るのは、なんだか、なんか違う……って思っちゃう……。抗ってる自分がしんどいし、抗う意味ある?何と戦ってるのさ?とか思ってしまうわけ。私が知りたいよ。なんでこんなにその幸せにシフトチェンジしないのかをさ。
……増田に書いたらちょっと落ち着いてきた。とにかくアラサー女子に結婚の話題はなんだかんだでダメージを負うようです。
増田の仕様よく分かってなくて変な感じになってたのでアップし直した。
コメントくれた人ありがとう。『下方婚』の意味わからなくて調べた。またひとつ賢くなった……。
下方婚意識したことなかったな〜。結婚の出会いの場って、なんとなく職場とか趣味とかそういうところのイメージあったから、あんまりステータス意識してないかも?……と言いつつ、なにか惹かれるものがあれば惹かれてしまうよね。それが収入、才能、学歴……とかなんなのかは知らないけど……。
神だぞ!こっちは神ぞ!!!?
戦闘に虎が突然乱入してくるの、こんなもん実写版ゴールデンカムイだろ!
知らん!偉そうなおっさんが!エンドロールにドアップで出てくるけど!もう踊るしかねえんだわ!
ナーロッパとか描いてヨーロッパに憧れてる場合じゃねえんだわ!韓国映画じゃねえんだわ!インドだ!時代はインドだ!
植民地がなんだうるせえ!大英帝国みたいな一神教に負けるわけねぇだろ!
ぶっつぶすぞ!!
少し落ち着いたが、相当話題だったのに見るのが結構遅れてしまったことを後悔している。
RRRは人気だったバーフバリの監督作品ではあるが、時代も違えばテーマも違う。
監督の意思や作る意図を感じさせられた点でもかなりブラッシュアップした印象だ。
以前からインド映画はなぜそこで歌うのか、という違和感が拭えなかったが、今作はここは歌わないとこだと冷静に判断できてるし、ここは歌い踊るべきだろうというところで、しっかり歌い踊っている。
映像は圧巻。ストーリーより映像先行ではないか?というほど(ストーリーもしっかりしてるのが今作のすごいとこ)
いわゆるCGの視覚効果が、というよりはスクリーンいっぱいに剥き出しになる筋肉とアクションがとんでもないのだ。
とんでもないといいつつ、バーフバリと違い時代が近代になったのでリアリティがあるのも良し。
ホースが暴れまくってるのを背景に、水神の化身を演出するのは、あまりにもギャグでしかないのにかっこいい。
ゴールデンカムイと書いたが、本当に漫画で見たありえないレベルのアクションで肩車が一番強いのも実感した。
人種的な話もそうだが、こういった部分で日本人はおそらくインド映画を、欧米人よりも思想や宗教観から理解出来る部分が多い。
実際に白人黒人論争で思考が止まってしまった国よりも、冷静に作品の評価ができると思う。
作風的に白人社会やイギリスでの評価が低くなってしまうので日本人のレビューは大事だろう。
インド映画は世界も意識しつつ、自国文化や自国の歴史、社会問題についてしっかり向き合っているのが印象的だ。
映画界の階級社会も問題としてあるのだろうが、映画を見ると、そこに抗う声も聞こえてくるのが面白い。
今作で、欧米等に染まりきらない、自国の意思を持っている映画を作っていることに改めて尊敬をした。
だから日本人も欧米人の真似をしてエンドロールを真っ黒にする必要はないのだ。
積極的に踊っていくことを忘れてはならない。ソーラン節か盆踊りでいい。だめかもしれない。
日本人の感覚に沿えば、漫画のような勢いのあるオリジナル映画をもっと撮っていけるはずなのだ。妙に外国に染まりすぎたのではないか、実写映画界。
にしても年内これを見ずに終わる映画ファンはもったいなさすぎる。