2023-03-10

努力って言葉の使われ方が最近キモいなって思う。

「私は努力してるんで」「お前は努力もせずに」「ちゃん努力したのか?足りてないんじゃないのか?」

別に今も昔も変わらず言われきた事だろうけど、ネット蔓延る謎の自己責任論を眺めてると強くそう感じる。

努力尊いみたいな多少の価値付与はあっても、基本的には目標に向けて何かしらのアクションを取るという割と価値中立的言葉だと思うんだけど。然るべき、やって当たり前の、やらない奴はクズな、という透明な前置きが付け足されてるような気がする。わざわざ注力とかに置き換えたくなる。

流行りの歌にも「努力」についての文言が出てきた。総じて逸脱への自己弁護の歌だったが、「努力しちゃっててごめん」というワンフレーズ

批判(単なる非難同義に使われる言葉としての)は不毛、口だけの奴らと違って自分努力してる、正しい存在だ」みたいな事なんだろうか。

生きるのメンドクセ〜ダリ〜と言ったらそれはお前の努力不足だと怒られる。いや知らんがなって話なんですよ。ストイックなのは結構ですけど、それを他人にも要求するのは非常にウザい。別にアタシ自身努力しないけどお前らはアタシを助けろよ、なんて事は言ってねーんだからよ。

怠惰聖書で嗜められるくらいに人の根源的な性の一つだ。その本能抗うのが人生というもの、そんな事は分かっているが、ダルいものダルい

努力不足を開き直る君の心が君自身を害している

そんなことはナン ノブ マイ ビジネス(夜に影を探すようなもの)です

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