ずっとSNSを使い続けてきた。
2010年代、リーマンショックを契機とした社会不安も手伝って、大学生の間では意識高い系の立ち振る舞いや起業がフワフワとした流行りになっていて、
ご多分に洩れず自分もTwitterのプロフィールには "/"を使ってたくさんのカッコいい(と想っていた)属性を並べていた。
なんだかんだ就職はJTCに入ったけど、社会人になってからも気になったニュースを見つけては感想書いてシェアしたり、充実した日々をアピールするような投稿を繰り返していた。
20代後半以降はさすがにそういう投稿も身を潜めたけど、食った飯だったり趣味のことでは投稿を続けていたし、昔の友人たちともゆるく繋がっていた。
日々の暮らしが充実していないわけではない。むしろ毎日楽しい。結婚して、お金もそこそこ貰って、とっても楽しい。
でもその楽しさを誰かとシェアしたり、昔みたく共感してほしいとは思わない。毎朝起きて仕事行って帰って妻と仲良く談笑してご飯食べて寝る。その幸せは、昔必死になってみんなとシェアしたかった幸せとは何かが決定的に違う。
それに最近のSNSはいつも誰かが怒っている。差別について、平等について、男女について、戦争について、平和ボケについて、金持ちについて、貧困について。正反対の事柄について常に怒りを発している人がいる。頼んでもいない何かしらの文句が無限に流れてくる。
そうだな、今の私の幸せにはそういう怒りとか、昔必死にシェアしていたアレコレのような「熱量」がない。
そして、そのことに対してすら正直どういう感情も湧かない。
実効為替レートでの円の価値が1960年代レベルまで下がってるらしい。
まぁ体感的にもそうだなーって思います。海外のサブスク価格がジュース感覚で700円だの1600円だのの課金を促してきててお前アホかよって感じ。
アホと言うか円の価値が弱すぎだな。弱すぎ新作。
割と半信半疑でドル円200円になるだろうなとうっすら思ってた。
今までは確率60%くらいでドル円は200円に到達するかもなーとうっすら思ってたけど。ちょっと考えを改めた。
まず間違いなく200円は行くだろうな。下手したら10年かけて500円とか行くかも知れない。言い過ぎたかな?
まー500円は半信半疑だが、あってもおかしくないだろうなーって思い始めてる数年前なら絶対にないだろうと笑い飛ばしてたけれども、日本の金利と物価上昇のを考慮した実質金利のレートがマイナスにえぐれてる。
表面上のドル円金利差だと見えてこない金利差が実質金利さで出ているので。円安圧力は継続し続けるだろうなと言ったところ。
せいぜい日本国内の物価上昇が停滞するなら少しは収まるかも知れないけど収まったら国内の経済の回転が悪くなるので収まらないほうがマシと言った感じ。
円は価値を毀損させ続けながら日本経済を回すしか許されないっぽい。
これが良いか悪いかは別に議論する必要はないかな。みんなで選んだ安倍ちゃんがやったアベノミクスの時点で約束された果実だったわけだし、甘んじて日本国民は受け入れろと言った感じである。
まぁ紙くずはいいすぎたけどトルコリラよりはマシな通貨って感じですね。
エルドアンみたいな独裁者もいないのに自国通貨価値が下落してインフレしているのウケる。まーでも失われた30年でのセルフ経済制裁寄りはマシなのか?
よくわかりませんね。
私は円が紙くずになることを確信しているので、売って売って売りまくって儲けていこうと思います。
日本国内で円を稼げば稼ぐほど自分の労働価値は下がっていくからな、物価上昇をアウトパフォームするような賃金上昇じゃないなら働くインセンティブは下がるね。
労働価値下がる場合の対処は投資による資産による収益をふくらませるか、外貨獲得やね。
円はなるべく手にしないほうがいいね。まぁなるべく手にしないほうがいいってことはガンガン使いまわしたほうがいいってことなので、国内での経済活動が活発になるのでこれを持って、経済が活性化されたとも言えるかもな。
少なくとも俺は円を持ちたくないね。過去10年くらいずっと同じことを言っている気がするし、ずっと資産積み上げを実行してきたけど、とうとう本格的な強いインフレ、スタグフレーションの局面を帯びてきたね。
ハイパーインフレにはならんだろうけど、強めのインフレってだけでも生活苦しいしましてや為替差で円安が無限に続く状況ならなおのこと物価上昇のブーストが掛かって生活苦しいだろうな。
俺は資産積み上げてるので影響ないけど円を溜め込んでた人は残念やね。でもそう言う人が安倍さんに投票してたんでしょ。ざまぁw果実モグモグwwwwwww
ファンは「この人の声は唯一無二!と神聖視するけどそんなことは医学的にありえない。
声の個性はたかだか声帯や周辺の形の違いによるものなので同じ声を出せる人間はごまんといる。
ネットに“野良の○○”みたいなのがゴロゴロしてるように喋り方すらトレースできる。
アムロレイも安室透も“アムロ芸人”の若井おさむに交代したっていい。まじめに。
元の声優のファンは重箱の隅をつっついてアレが違うコレが違うと言うかもしれないけど大半の視聴者は気にしないでしょ。
ちびまる子ちゃんだってもうTARAKOさんじゃないけど受け入れられてる。
VTuberだったら中の人がキャラクターそのものだけどアニメの声優は他人が書いた台本を読んでいるだけ。
ドラえもんはまったく違う声に変わってもドラえもんとして成立してる。
ガンダムもコナンも売れるかぎり100年でも200年でも無限に続くのに声優はどうせいつか引退する。
それが数年早まったって誤差の範囲。
声の衰えもあるのだからそもそも気軽に交代するのが当たり前になればいいと思う。生前退位。
「誰でも立候補できるのが民主主義の原則だから現状どうしようもない」は一瞬正しそうに思ってしまうがその実思考停止や。今回の立候補が50人だからギリギリそんな悠長なことを言ってられるだけで、今回のポスター金策とかYouTuber金策が上手く行っちゃったら次は500人になるかも知れないし5000人になるかも知らんやろ。そうなったらまともな人の割合は無限に薄められてしまって、政見放送も大半クソ内容の上時短間違いなし、逆に民主主義は終わりや。俺が良い方法思いついてるわけじゃないが、ノーガード選挙継続はWindowsXPでネットし続けるのと同じやぞ。
両親が複合氏であるときの子供の氏についてはざっと調べた所、各国こんな感じみたい。
(最初に書いた増田の法務省QandAは平成22年調査をもとに書かれたものなので、法律が変わった場合などズレがある場合がある)
両親自身の氏が二重氏(複合氏)であるときは,子に付与することので きる氏はそれぞれ一つに限られる。この制限は子の氏が無限に長くなること を避けるという実際的な理由による。(p296)
https://www.waseda.jp/folaw/icl/assets/uploads/2014/05/A04408055-00-038020288.pdf
両親の結婚の際は夫妻ともに複合氏にすることはできるが
元の文に書いた通り、子供の複合氏は出来ない。子供ごと(兄弟ごと)に氏は変えられない。
両親の結婚の際は夫妻ともに複合氏にすることはできるが
子供の複合氏は認められていない。
結婚の際には元々伝統的に氏に関する法律の規定はなく、氏を自由に変更できる。同氏も別氏も複合氏も選択できる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AB%E5%A9%A6%E5%88%A5%E5%A7%93
親は子供に全く異なる姓を与えることも、片方または両親の姓を名乗ることもできる。
https://www.bbc.com/news/world-us-canada-39417074
英国の貴族やジェントリの家系には、「三連姓」を持つ家系がいくつかある、「4つの姓を持つ」姓もいくつかあり、絶滅したバッキンガム公爵家とシャンドス公爵家の姓は、5つの姓を持つ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Double-barrelled_name
スペインやスペイン語圏のほとんどの国では、姓を二つ持つのが慣習。スペインでは、女性は結婚しても法的な姓を変えることは一般的にない。子供の最初の姓は通常父親の最初の姓になり、2番目の姓は通常母親の最初の姓になる。
https://en.wikipedia.org/wiki/Surname
ロシアでは結婚の際に二重姓になることはやや珍しいが、普通で受け入れられている慣習であり、両方の家系を守りたい一部の名家と関連していることが多い。子供には父親の姓、母親の姓、または父親と母親の姓を任意の順序で結合して形成された二重姓が割り当てられる。子供の二重姓はハイフンで書かれたときに接続された2語以下で構成できる。
https://x.com/itangiku/status/1803738267613024672
これさあ。
「そろそろ」じゃなくて、風刺だって意見はあのMVが出た当日からあったし、別にそんな穿った見方ではないだろ。
信者が擁護するせいで治まらないっていう人もいるけれど、どう見てもこうやって無限に蒸し返して叩く人達がいるせいだよ。
こうなるとやっぱりMrs. GREEN APPLEは削除も謝罪もすべきじゃなかったな。
謝ったところで向こうは叩く手を止めないんだから、
開き直ってMVを流し続けるべきだった。
コロンブスの時には「今の価値観で当時を裁くな」「当時の価値観でも駄目だった」という理屈で無条件に断罪されていたが、
こっちこそ100年も経っていない、今とは大して価値観が変わらない時期の出来事なのに、
「泣いて謝罪した」程度を大袈裟に報道し、許してやろうとする寛大な世論が生じている。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240620/k10014486571000.html
自分ら日本人と同じアジア系有色人種であるアメリカ先住民に対する加害に対しては何故か白人目線で反省会して
今の欧米でのコロンブスの評価をもって過去どころか今も続く先住民への人権侵害は軽視する一方で
原爆という日本人(だけじゃないけれど)への加害には必要以上に寛大。
やってる当人らはその自覚がなく、寧ろ名誉白人を糾弾しているから始末が終えない。
もしコロンブスが泣いて謝っていた資料が見付かったらどうする気なんだろ。
多分そんな事ではやった事は変わらないって言って、変わらず叩き続けるんだろうけれど。
我那覇真子さんは本当に素晴らしい女性だ。 ワクチン薬害について国に対して追及していく姿勢には共感している。 しかし共感出来ないこともある。 昨日、横浜スタジアムでワクチン接種会が行われていて、 そこで我那覇さんのグループは反ワク運動をしていたのだが、 なぜこんなことをするのかがよくわからない。
だって、打ちたいやつは勝手に打てばいいだろう。 なぜ、打つのを止めようとするのだろうか。 今になっても毒チンを見抜けないような白痴は死んだ方が国のためだ。 だから、国のためを思って活動しているのであれば、むしろ打たせる方が筋が通っている。
同じく昨日、これは別の話題になるが、 木原功仁哉という弁護士が国賠訴訟を起こすことを発表した。 原告は、高知大の佐野教授の論文に出てくる、 接種から2年経ったのに皮膚からスパタンが発見された人だ。
2年も経ったのにスパタンが発見されたということは 接種者の中でスパタンが無限に産生されていることを示しており、 これが最近になってワクチン薬害がハネてきている理由であることはほぼ確からしいわけであるから、 これはワクチン薬害において非常に重要な鍵となる事実ということになる。 だから、このタイミングでこの裁判を仕掛けに行ったのはさすがと言わざるをえない。 国を転覆させることの出来るほど重要な裁判になるだろう。注目している。
ところで調べてみるとこの木原という弁護士、 もとは京大物理工学科の出身だ。 しかも84年生まれということだから、おれやルシファーと同世代ということになる。 この世代はタレントが揃いすぎている。伝説の世代だ。 木原さんはその後、法科大学院を経て弁護士になった。
思えば、日本のワクチン薬害においては京大理系出身者の活躍が目立つ。 荒川央さんは京大理学部の出身だし、 藤川賢治さんも京大情報工学科の出身だ。 本庶佑さんも京大医学部出身で、こちらは立場上目立った活動は出来ていないが、 ところどころヒントをくれている。 そしておれも、京大電気電子工学科出身だ。 実のところ、これ以外にも京大理系の人間はワクチンを打ってない人が多い。 例えば、京大生ユーチューバーのこばちゃんねるは、ワクチンを打ってないことを表明している。 彼らは、こばが地球工、サイコが物工だ。
なぜこんなにも京大理系出身者は真実に対して簡単に近づけるのかというと、 真実にしか興味がないからだろうと考えている。 だから、真実を知りたいと考えるし、 真実以外のことは雑音でしかないから、他人に何と言われようと興味がないのだ。 おれの場合、他人に対する興味もないし、社会に対する興味もない。
おれが増田でワクチン薬害について批判し続けているのも、 他人にワクチン接種を思いとどまってほしいからではなく、 ワクチンに反対していたという事実を残しておきたいからだ。 だから、ワクチンが間違っていたことが事実であれば、 それ以上のことはどうでもいいということになる。 打ちたいやつは勝手に打って死ねばいい。 知的障害者民草のことなんか、知ったことではない。
グレゴリー・ペレルマンも、自身の証明が正しいのであれば 名誉や賞金は必要ないとしてフィールズ賞の受賞を辞退したりもしたそうだから、 彼もきっと、真実以外には興味ない族の一人なのだろう。 そしてきっと、京大理系の祖である湯川秀樹や朝永振一郎や 岡潔なども全員、真実以外には興味ない協会の会員だったのだろう。 超理系人材にはこの傾向がある。
そして我々京大理系人材はこれら祖先たちの意志を受け継いでいるため、 ワクチンが間違ってると思うならそれに対してまっすぐに行動出来るのだ。 もちろん自分も打たないし、他人に何と言われようとどうでもいい。 反ワク弁護士と呼ばれようが、陰謀論者と呼ばれようが、気にすることはない。 我々に構ってほしいなら、京大を卒業してほしい。学歴穢多野郎は近寄るな。
京大というのはそういう特殊な大学であり、 理系は京大 or dieと言われるのはそのためである。 しかし、このように京大ナイズされるためには、学部教育から京大で学ぶことが何としても必要だ。 京大関係者ではあるがとんちんかんな人を見ると、 大学院から京大だったり、あるいは研究者として京大で働いているというだけに過ぎないことが多い。 それでは全くお話になっていない。 宮沢孝幸が最終講演において京大という大学の担う役割的なものについて語っていたらしいが、 全く持って穢らわしいので撤回していただきたい。 あなたは京大グループではない。
家庭を守るのは旦那にまかせて、自分は主夫の管理する小遣いで稼ぐのに集中したい。こういう人もいたろうから、選択肢が増えたのは良いと思うんだよね。
或いはパートに出て、諸費を家庭から出さないようにするとかも全然良いと思うんだわ。
相性や関係を含めた色んな事情で働きたいって人は働けば良いし、主婦として家庭を守ってるのにバカにするなってのも正しいと思うのよ。
でも普通に考えて働くの嫌だろ?
俺も嫁さんに養ってもらいつつ、嫁さんの稼ぎの中から月3万くらい渡して、たまに五千円増やすために嫁が俺ににへーこらする環境にしたいもんよ。
んで、旦那仲間と嫁さんの金で暇つぶしにランチして、嫁のステータスカードバトルして、負けたら嫁のせいにして八つ当たりックスしたいわ。
家事労働って日に2時間弱くらいだから、余程の無能じゃなければ1日暇だし、ちょっとした資格試験とか受けて自尊心満たしても良いな。嫁さんの為になる資格ならなお良いし。
子供ができたら子供が一人の時間欲しがるまで手が空かないだろうけど、それも何十年も手が空かないわけじゃないし。
子供や家庭を完璧に支配したいタイプだと無限に時間いるだろうけど。
自分が選んだ人間と育てた人間以外と深く関わらないなら、すげぇ幸福度たかそうやん。
何がそんなに嫌だったの?