はてなキーワード: 社会生活とは
私と家族の詳しいスペック(例えば身長体重、美人不美人、友達の数や成績)は書かない。それは本題ではない。(先に書くと、むしろそういう関連付けを拒むべきというのが私の意見、結論だ。)
息子は中学生、一人息子。妻は三十代後半。私は四十代。
お盆に先立ち、中学生の息子は先に、比較的近所の私の実家に帰っている。
息子が出かけた夜、私の妻が、こんなことをいってきた。
「息子はチー牛なのではないか?どうにかチー牛にならない人生を歩ませることはできないのか?」と。
私は耳を疑ったし、そういうことをいう妻に悲しくなった。
実の息子に対してそういう感情を抱くのか、とか、本人のいない前で悪口のようなネットミームを擦り付けるのか、とか、色々な感情がよぎった。
チー牛という言葉、ネットミームは、私も一応知っている。知っているといっても、あの有名な画像と、牛丼店でチーズ牛丼を頼みそうな性格・人格、という、何か表面的なことだけだが。
私は妻に、「ネットミームで人を呼称するようなことはしないでほしい」ということを伝えたうえで、なぜ息子を「チー牛」だと思うのか、妻の考える「チー牛」とはそもそもどんな存在なのか、など尋ねてみた。
妻曰く、(いくつかの会話を私がまとめたものだが)
・まず「チー牛」とは、社会生活を営む上でリーダーシップや創造性などが見受けられず頼りなく、特に異性関係においても劣位ないし全く展望が望めず、またそれによって勝手に逆恨みや卑屈さを増幅させ悪循環に陥るであろう男性の総称。
・この「チー牛」という言葉は、妻の友人たちのLINEグループなどでまず概念を知り、そのあと個人的に調べて、腑に落ちたので使うことにした。六月ごろからこの言葉をもとにした息子への疑念が生じた。
・息子を「チー牛」と思った理由は、息子の(公表しない個人的なスペック)や交友関係や部活動での立ち位置などを広く見たうえで、前述の素質が多くみられるから。
私は、仮に息子が「チー牛」だとして、一体何の問題があるのか、いくつか思いつく例を挙げて聞いてみた。ただ、私もショックというか悲しい気持ちがあり、うまくまとまった受け答えができていたかは分からない。
(私)出自とか社会的階層による差別が許されない社会において、どうして「チー牛」という概念を息子に当てはめようとするのか? 我々も例えば「ゆとり」とか「新人類」とか「さとり世代」とかただ生まれた年代でレッテルを張られる辛さを経験しているはずであり、それをネットミームで何故繰り返すのか?
(妻)そう感じてしまったものは仕方がない。母親であっても異性としての視点があり、息子がこのままでは対人関係面で悪化するのを予想できる。チー牛という分かりやすい言葉がある以上それを使うのは当然だと思う。
(私)私も妻も息子の人間関係をすべて知っているわけではないし、まずそもそも、仮にその「チー牛」で何が悪いのかわからない。息子は何の非行もしていないし、いや、逆にしていたら「チー牛」じゃなくなるのか?(何だか屁理屈っぽいが私も混乱していた)
(妻)息子にヤンキーになってほしいとかそういうのではなくて、ただ普通の人間、社会生活を営む上で常識的な身のこなしとか、総体的なことを重視できる人間になるべき。
(私)息子は、まだと言おうが、もうと言おうが、中学生であり、親に関与できる部分もあれば、息子個人の未来もある。私も妻も、自分のやってきたことを息子に強制できる人間ではないし、まずそういう人生観を伝える上で「チー牛」ということばを使うのが間違っているのではないか。
(妻)だから、今までそれを言い表しづらかったのが、新しい言葉ができた以上、「チー牛」という言葉を使うのは当然だという話。話さなければよかった。
(私)息子には、まさか、面と向かって「チー牛」などと言う言葉を使ったのか?
(妻)使っていない。(これは本当だと思う。息子が何かショックを受けたり妻を避けてる様子はないので。そう信じたい)
妻が、私にこのことを話さなければ(相談しなければ)よかった、と言っている通り、この数日間、私と妻は少し(というか私の側からはかなり)ぎくしゃくしてしまっている。
個人的なスペックについて話さないとは書いたが、少なくとも妻がこれまで、このようなネットミームを使ったり、なんというか、「生理的に無理」「キモイ」みたいな即物的なことばを頻繁に使う人間ではなく、息子に対してもちゃんと親としての見守りを並んでしてきてくれたと思っていた。故にショックが大きかった。
しかし妻にとっては、息子が「チー牛かもしれない。チー牛だ」ということが、「親としての責任、見守り」という認識なのだということにも思い至っている。何か、本当に根本から食い違っていることだけはわかる。
ただ、私はチー牛という言葉や概念自体を否定したい立場だ。特に、まとめサイトでやいのやいのいう次元ではなく、親が子供を指して使う言葉ではないというまず常識のレベルで。
だが、なんというか、これ以上どうしたらいいのかわからない。一度チー牛という言葉を知り、息子に当てはめてしまった以上、妻は息子に対し、何をするのか。さっきも書いたが、「チー牛」という概念自体が良く分からないので、どうなるのか分からない。
単に「シャキッとせえ」「ええかっこしい」みたいな次元ではなさそうだ。私に「息子がチー牛だ」という以上、子育てとしての問題意識があるのだろう。父としての自分は、では「チー牛」に対する何かを打ち出せたのか。
40代男
子供の頃からマンガ・アニメ好きで、キャラクターたちの純粋な精神が大好きだった
逆に現実では人間の複雑さ、汚さを見るにつけ不信感とトラウマが植え付けられた
社会生活はなんとか送れているが、恋愛・性欲対象としての現実女性に興味がなくなっていった
現実で言い寄られたりすることもあったが、
養ってほしい、媚びたい、甘えたい、などといった意図を不純に感じて嫌悪してしまう
現実には男女格差があり、経済的に男性に依存する戦略として有効だからこういう言動をとるのだろうと理解しているが、
精通はAVだったがシコリまくったのはゲームのキャラで、次第に現実女性の体の不完全さに物足りなくなった
ヤリそうになったことは何回かあるがそのたびにリアルな人間のエグみを感じて萎えていった
コスプレも無理
創作されたキャラクターたちの体の完璧さに比べたら、コスプレイヤーの不完全な体ばかり目についてしまう
コスプレする人に物申したいわけではなく、むしろ趣味を現実に表現できていて凄いと思っている
ただ自分の嗜好がそうだという話
今では恋愛対象としても性欲対象としても現実女性に興味がなくなり、
ちなみにAI生成で金を稼いだことはない
自分の老後が心配だが、このご時世、年齢・性別にかかわらず同じような人は沢山いると推測する
折り合いをつけなければいけないと強迫的に考えているわけではないが、
興味があるので
二年前の増田にコメントする。人治主義に関するあなたの見解は正しいと思う。
人治主義的な世界じゃなく法治主義的な世界の方が、自分の内側にある理屈にだけ向き合えばいいから戦々恐々としなくて済む。同調圧力でお気持ちをゴリ押しできない分、説得のコストは必要になってきてしまうけど、「みたいな奴増えたよな?」のように誰かの合意を求めてどこかに呼びかけて、運良く賛同を得られたときだけ説得力を持てる、みたいなバクチに頼らなくていいから、生存に確かなグリップ感が出るはずだ。
しかし二年後の日本は…、残念ながら人治主義に陥っているらしいんだ。
エルフ先生の炎上問題を調べていて気づいたんだが、批判派のほとんどが理由を説明しない。
説明してるわずかな人たちの理屈は、いままでポスターを性的だと非難していたフェミニストの言い分とそっくりだった。
かつて否定したロジックを自分たちが採用する理由の説明は一切なく、そのまま転用していた。
そうしたダブルスタンダードを嫌ってかは分からないが、ほとんどの人が理由を説明せずに
「おかしいやろ」「いや流石にダメだろ」「感覚狂ってる」「コレ擁護するやつおかしい」
思うに、人々は生存の確かなグリップ感よりも、炎上する誰かをみんなで笑ったり、他人の顔色をうかがって自分が孤立してないかを恐れたりするスリルを選択したんじゃないか。
戦々恐々とする日々に、社会とつながっている一体感を得たいのかも知れない。
人気ブクマカのコメントを見ていても、露骨な詭弁術や矛盾、人格否定やハラスメントが増えてきた。
耳目を集めるためにリスクを犯す快感が、この傾向を加速させてると思う。
我々はどこに向かっているのか。
https://x.com/zaikabou/status/1809102663780626888
ええ歳して割り勘だ奢りだとわぁわぁやってる時点で男女とも難アリなんよ…。若い時からまともな人間関係の中にいれば、場面場面で奢ったり奢られたり割り勘にしたり、適宜臨機応変にやってるから、そんな話で揉めないので…
https://x.com/zaikabou/status/1818069034379919419
婚活でペアローンを踏み絵にすると言う男性とか、家事育児ワンオペなのにペアローンなんてありえないと言う女性とか、えぇ歳して奢り奢られ論争やってる界隈と同種なので、若い人はそういう声に惑わされず、物件の価値を見極めながら、適宜共働き家事育児折半ペアローンとかやってけば良いのでは
今のホモサピは10万年前と比べて特に知能が高くなったとか肉体の機能が変わったとかいうのは何もない。
仮に原始ホモサピの赤ちゃんが現代にタイムスリップしてきて拾われて育てられたとしたら、その子は普通に現代語を喋りスマホも使い、見た目も現代ホモサピと何も変わらないだろう。
ホモサピは昔から天才は天才だし、凡人は凡人であることは変わらない。
例えば原始ホモサピにも、文字や時計の概念が無いのに月齢や潮の満ち引きを計算して牡蛎の漁をしてた人がいたわけで、それがどれだけ天才技か想像もつかない。
文字も計算もスマホも天才が作ってくれて凡人が真似して使ってるだけだ。
何が言いたいかというと我々現代ホモサピの凡人は結局原始ホモサピと何も変わらないってことだ。
文字や農耕や都市社会も5千年前くらい前にできたばかりのもので、それ以前の9万5千年以上の間の原始ホモサピの本能が我々には染み付いてるのだ。
アルコールを摂れないことの欠点は酒席での振舞いや勘定の仕方だとかのセコくてどうでもいいことより、殆ど唯一合法の、ある程度は安全な現実逃避の手段がないことで、これは社会生活において不具同然なんだよね。
私は一切酒を飲まない。常に素面。けれどもアルコールが禁止されていなくて、合法で良かったよ。誰も彼もが現実の出来事や自分自身と四六時中、真正面から相対することを強いられたら、酒で現実と折り合いつけてる層の成人達が自殺して、人間の社会があっという間に立ち行かなくなってしまうからさ。
この人はGIDとかトランスではなくゲイの方だけど説明がわかりやすいので貼っておくね。https://x.com/Yasoo___Japan/status/1811588752701284756?s=19
「身体違和に苦しむ人達」の為に作られた「性同一性障害特例法」が「戸籍性別変更をしたい人達」の為の法律に変容させられようとしている。
本来「身体違和を緩和する為」だった筈の「性別適合手術」は、昨年の最高裁判断等で「戸籍性別変更の要件としては人権侵害」だとして批判された。
だが、かつての日本では「性別適合手術をする事自体が違法」だった物が「身体違和の治療として合法化された」経緯がある。
当然簡単にそうなった訳では無く「性別適合手術の合法化」までには「身体違和に苦しむ当事者の人達の血の滲む様な努力」があった。
その様な「性別適合手術が合法化された経緯」から見ても、性別適合手術が「人権侵害」どころか「人権を護る為の手段」であったのは明らかだ。
そして「戸籍性別変更」は、性別適合手術を受け「身体も心も戸籍性別とは異なる状態になった人達の、社会生活の安定の為」に「特例として認める」と言う物である。
そもそも「戸籍性別は変更出来ない」のが大原則であって、性同一性障害特例法に於いても「戸籍性別変更をしたいから認める」と言う趣旨で無い事は明らかだ。
ところが、一部の当事者らが「戸籍性別変更をするのに、性別適合手術が必要なのは人権侵害」だと言い始めた。
彼等は「戸籍性別変更をする事が目的」である上に「性別適合手術を望まない」事からも分かる様に「身体違和」が無い。
これは、言わば「戸籍性別違和」であって、その上身体違和も無いのであれば、そもそも「性同一性障害として扱われる事自体が不適当」だと言わざるを得ない。
ところが、一部の当事者らが「戸籍性別変更をするのに、性別適合手術が必要なのは人権侵害」だと言い始めた。
いずれこの様な「異常な司法が歴史に断罪される日」が来るとはしても「今現在」は「異常な司法判断」に従う他無い。
そして、その「萌芽」は、先日自民党が明らかにした「性同一性障害特例法」の「改正案」に現れて来ている。
「性同一性障害特例法から手術要件を無くす」代わりに「一定の観察期間を義務付ける」などする事で、実質的に「戸籍性別変更が現行制度より厳しくなる」方向だ。
それは当然で、従前は「司法があり得ない判断を示す」事を斟酌する必要は無かったが、今後は「それを踏まえて」法整備する必要があるからだ。
司法がデタラメな事をする様になると、当然立法としては「司法による法解釈の幅を狭める法律」にせざるを得なくなる。
LGBT法連合会が、その事を「牽制」する様な声明を発したりしているが、自分達がその原因を作っておいて、お門違いも甚だしい。
そして、法が厳しくなる事によって「最も被害を受ける」のは「性同一性障害特例法に真面目に従って来た、身体違和のある当事者の人達」である。
極左LGBT活動家らは、一部のトランス当事者とタッグを組み、司法に性別適合手術を「人権侵害認定」させる様に活動して来た。
それにもかかわらず、彼等の一部が「性別適合手術を受ける人の事も考えて欲しい」などと、今更「白々しいおためごかし」を口にしている。
自分達総出で落とし穴を掘っておきながら「落とし穴に落ちた人を助けて欲しい」と言っている様な物で、余りの厚顔無恥さに開いた口が塞がらない。
【手術なし性別変更、外観要件に「正当性」 当事者の身体状況を考慮し判断】
sankei.com/article/202407…
それどころか無職ロスジェネのここからの問題はもうすでに単純に仕事がないからっていうんじゃあなくて、普通だったら新卒から労働に対するトレーニングをされてたはずが、そういうの受けてない人が結構歳いっちゃってから社会生活に馴染めるのか?っていうことなんだと思うよ…
多分氷河期の時に大人だった人たちは景気が良くなったらきっとみんな働き口があるだろうって考えたんだと思うんだけど、中途採用するにしたってそこまでのスキルは考慮されるわけで意外にそこ見落とされてたっていう。
そこから新卒と同じようなトレーニングをできるか?っていうと、心理面からも体力面からも新卒と一緒くたにしてうまくいくはずもないし。
単純に仕事があればどうにかなるっていう問題でもないんだと思う。
でもそうは言ってもその人たちがみんな生活保護に突入すると社会保障やばいし、だからって切り捨てるわけにもいかない…ってなったらまずは本人たちに自信を持たせるとかできる人がサポートしてくとか、まあ確かに一足飛びに自立は難しいと思うけどなんか他にいい方法ないか考えるとか、今んとこそのくらいしか思いつかない…虐げたところでますます状況は悪くなるだけだろうなとは思う。