はてなキーワード: 父子家庭とは
私自身、父子家庭に育ってこの問題には興味を持って微力ながら取り組んできたのでとても嫌な気持ちだ。言葉も変わり対象も広がったのに今さら自分の都合のいいように言葉を歪曲して男女間の対立煽って何がしたいの?こんなところで女相手に文句言ってないで自分もなんかすればいいじゃん……
男女の対立を煽ってるのは男性差別をしてる女。言う相手が違うわ。
男性差別がないなら私が何か言うこともない。
俺は娘と暮らせればそれで十分だし今でも父子家庭+ピンポイントで手伝ってくれる妻という立場の人という感じなんだけど、昨日数カ月ぶりに家族3人で出かけて子供を真ん中に手をつなぐと娘はそれはそれは満足そうな顔を浮かべるので自分の相手をしてくれない母親であってもやはり両方必要なのかと迷う。だが妻から邪険にされる娘を見るのはやはり切ない。懐いているわけではないが邪険にされていることをあまり気づいてないというか気にしていないというか。
PMSがキツいというのもあるし、その話が出たときにピルを勧めたが結局無視されている。だがピルを飲んだところでPMSが収まらない可能背は普通にある。逆にPMSがキツいと思ってた時期がデフォルトの性格になるなら最悪の展開だ。自分としてはそれでもやはり一度試してほしいと思う。根本的には本人の性格の問題だと思うが。
元増田です
それも離婚の原因の一部です
奥さんが子供放置で遊びまくっていて、自分のワンオペの負担がそろそろ限界です
それに奥さんの子供への接し方がまったくなっていないのも原因です
幼児に「ちゃんとやれ」という具体性のなにもない指示や、自己肯定感を育てない子供への話し方
ほんと私には無理です
GWの10日で子供をつれて実家に帰り、年老いた親の助力をある程度借りて父子家庭のシミュレーションもできました
あと決め手になったのが私に対する心配する心の無さですね
怪我しても病気になっても心配の言葉が何もなかったのが応えました
テトリスという匿名ダイアリーを読んで、ほとんど同じような経験をしていたのを思い出した。
突然すぎる家庭環境の変化に耐えかねて、警察沙汰になるようなイタズラを外で繰り返していた。
ひねくれすぎて、小学校の友達に卑屈な態度をとっていたせいで学校内で虐められた。
やがていじめから逃げるようにして、学校帰りゲームセンターに通い、コインゲームにハマっていった。
知らないおじさんからもらったメダルや拾ったメダルで、ただひたすらにコインゲームをやっていた。
今にして思えば、あのコインゲームのスペースは寂しい人たちの集まりだった。
いじめられっこや家庭内で放置された子供、それから家に居場所のない老人。
そこで新しいコミュニティを築いた。同い年の不良から老人まで幅広い世代の人たちと交流し、そこでいろんな人に優しくしてもらった。
中学校を卒業するまでゲームセンター通いは続いて、高校へ入学と同時にゲームセンター通いは止まった。
増田と同じように大学受験に失敗して浪人が決まった時、ゲームセンター通いが再開した。
結局この時も、大学が決まるまで2年間通い続けた。
大学に入ってからも春休みや夏休みなど大型連休で精神的なバランスが崩れるたび、ゲームセンターに足を運んだ。ひたすらにコインゲームを続けた。
彼女に振られたとき、家庭内が不穏なとき、大学の課題がキツイとき、強いストレスを受けるたびにコインゲームに没頭した。
社会人になっても長い休みを見つけるたびに足は自然とゲームセンターへと向かう。
3000円を両替機に突っ込み、メダルをジャラジャラさせながらプッシャー機にメダルを落としてゆく。
きっとこれからも強いストレスや不安を感じるたび、ただただ無心でコインゲームに没頭する。
それがテトリスの増田と同じ、傷ついた心の回復方法であり、安定剤なのだろう。
近頃だんだんと数を減らしてゆくゲームセンターとコインゲーム。
全てが消えてしまった時、私はどうやって傷を癒せばいいのだろうか。
困る。困惑する。
母子家庭から父子家庭になるっていうアクロバティックな人生の経緯もある。そこからまさかの国公立大学に行って引きこもりっていう経緯もあるんだけど、そういう人生の経緯の悩みはありきたりで、似たような悩みは見つかる。問題はそこじゃない。
実のところ、うちは神道系の新興宗教に帰依している。日神会、といえばわかる人がだろうか。
治らない病気もあるが、たいていの花粉症だのインフルエンザや腸炎なんかは直してもらえる
昔は何も思ってなかったんだけど、それが普通じゃないということに気づいていたし。
それよりも、宗教なんて助けてもらえない、ただの派閥、既得権益みたいな考えが普通ってことになんだかもやもやしてしまう。
自分は毎日のようになんか知らない目に見えない、神様らしきものに助けてもらってる。
それをけなされたり、いないものと言われるのが、ちょっとしんどい。
あと、神に期待しすぎでちょっと。
神は人間よりはるかにいろんなことができるけど、しょせん、人間に少し毛が生えた程度だ。
病気を治したり、気分を向上させたり、ちょっとだけ運が良かったり。そういうのって、目に見えない。
日神会は最終的に神になるのが目的だから、人間も神として尊重して扱う。
AOや推薦入試にも飛び火しているようですが、中学入試も実はだいぶヤバいですよね。
純粋な学力勝負ではなく、家庭環境や居住地域なども見られているんじゃないの、というお話です。
https://kyushu-chugaku-juken.com/393.html
制服がダサい割にはコアなファン(?)の多いあそこです。不審者が出没したという話も聞きますね。かわいそう。
結論からいえば不合格だったわけですが、10年以上経った今もいまだに納得できません。
・試験自体の出来は、合格ラインを軽く超えていると思われる(算数はほぼ満点、国語も記述問題の大意はそこそこ合ってる、理社も悪くない)
・模試の成績も常に合格圏内、それどころか上位合格のレベルだった
まあ主観的な感触でしかないし、試験の出来が実はクッッッソ悪かったとか、もしくは1教科名前を書き忘れてたとかはあるかも。
受験生何人かでのグループ面接と、1対1の保護者面接があります。
グループ面接では当たり障りのない質問が出て、まあ意思疎通に困難がないかといったところを見ているのでしょう。
コミュ障ではないのでここで落とされたということはないと思います。
願書と一緒に提出だったか当日持参だったかは失念しましたが、家庭環境の調査書みたいなやつを提出させられます。
いや子どもの入試なのに親の職業訊いてどうするんだよ。お受験じゃあるまいし。
反社の人を除くためかな?
ということで、のちに母から聞いたことですが、保護者面接でどういうやりとりがあったか。
面接官「住所が〇〇とのことですが、合格したらお引越しされてくるんですか?」(実家の住所は都内に通学できるような場所ではない)
面接官「うちではお子さんの教育上、お父様も一緒に親子揃ってというのが方針なのですが…」(母子・父子家庭は論外ってことか?)
曖昧に誤魔化して面接を終えたそうですが、入試も合格発表も終わったずっと後にこの話を聞かされて「ごめんね。」と言われたときは胸が痛みました。
入試で問われるのは本人の実力だけではないのだ、と子どもながらにやるせない気持ちになったのを覚えています。
まあもう10年前の話だしどうでもいいんですけどね!
その時に味わった悔しさをバネに田舎の底辺校から東大に進学して、今はoinの人たちとも仲良くやっているので、恨みは晴らせたかなって感じです。
私は母が嫌いだ。
ってリアルで言うと、「まだまだ子供だな」とか、「あなたも親になればわかるよ」とかきっと言われるんだと思う。
進路の話に口出ししてきた母にキレたら、「お姉ちゃんは苦労したことがないから人を見下せるんだ」と言われた。
確かに、未就学児の時に母(私の祖母)が統合失調症だとわかって、両親(私の祖父母)が離婚して父子家庭で育って、高校受験に失敗して滑り止めの私立に入って、父(私の祖父)が再婚して継母ができて、高校中退して、就職した後にうつ病と統合失調症になって、弟(私の叔父)も統合失調症になって、苦労だらけだと思う。
でも私だって、そんな母を持って、両親から名前じゃなくて「お姉ちゃん」って呼ばれてる。父の転勤で海外の学校に転入して、現地の言葉ができない両親に頼られっぱなしだったこともある。
「精神病だから仕方ないんだ」って私に我慢を強いるなら、産まなければよかったのに。普通の母親が欲しかった。普通の母親として振る舞おうと努力して欲しかった。
でも50年以上生きた人の価値観はもう変えられないんだろうな。
そういえば自分の周りに親権を押しつけて離婚した母親がいたなあと、元増田を読んでいて思い出した。
もう20年近く前の話だし、元増田の元家庭とはずいぶん環境も違う。
記憶も定かでは無いけれど、「親権押しつけて離婚した母親」がどう見えたか、息子の立場の思い出で自分語りする。
私と弟が学童保育から帰ってきて一息ついたあと、入れ替わりで母親は家を出ていって、そのまま帰ってこなくなった。
私と弟がどこにいくのか尋ねたところ、
「ちょっと買い物に出かけてくる、あんたたちも来る?」と母親は応えた。留守番をしている、と返したと思う。
まだ日が落ちる前で外は暑かったし、エアコンが効いた部屋から出たくなかった。
母がいっこうに帰ってこないから、勝手にレトルトのカレーを食べるか迷っていたところだった。
そこからは記憶があいまいで、「お母さんは買い物に出かけている」と父親に伝えたこと、その日は結局帰ってこなかったこと、
翌日の夜に「お母さんはもう戻らないんだってさ」と父親に伝えられたことは覚えている。
数日経ってから改めて、「お前たちはどうする?お母さんについてくる?」と父親に聞かれた。父と母だけで子供に見えないところでやり取りをしていたんだろう。
私と弟は、間髪入れずに「父親についていく」と伝えた。
子供ながらに、「父親は家に住んでいる、母親は家を出た」「父親は仕事をしている、母親はパートタイムで働いている」「母親と一緒になるのは不安でしかない」と思ったから。
その日からしばらくは子供部屋ではなく、父と母親の部屋で寝ることになった。
父親には「お父さんが寂しいだろうから」なんて言ったけど、たぶん怖かったんだと思う。寝ている間に父親もいなくなったら、とかたぶんそういうことを考えてたんじゃないか。
正直なところ、離婚の前後の夫婦関係や母親の状況について、父親に聞いたことはない。父の浮気のようなわかりやすい理由があったのかも分からない。
当時は、父親の機嫌を損ねたくなかったから、そんなの聞けるわけがなかった。
私も弟も父親も、母親がいなくなって、各々で新しい日々を送ろうと四苦八苦していたし、そのうちに聞くタイミングを失ってしまった。
というかよく考えたら、父と母親の馴れ初めについてすら詳しく知らない。なにしろ私がそんなものに興味を持つ前に離婚してしまったから。
父の年齢から離婚時点の年齢を考えると33~4歳前後になるから、彼らはおそらく大学を出てすぐに結婚したんだと思う。
父は普通のサラリーマンで帰宅は20時前後、母親も、私が幼稚園の頃からパート勤務をしてて18時頃の帰宅が多かった。
なにしろ大学を出てすぐ私たちを生んだわけだから、我が家にも給料的には余裕が無かったはずだ。
共働きということもあって、私と弟は小学校に入るとすぐに学童保育に預けられた。
周りの友人たちの母親は専業主婦ばかりだったし、いま思えばマイホームを持った落ち着いた家庭が多かった。
記憶にある限りでは、私の母親はPTAなどにもほとんど参加していなかったと思う。地域での友人関係というのも無かったんじゃないか。
当時は家の鍵を渡されてなかったから、学童保育から帰ったあとは玄関の前に座って、母親の帰りをぼうっと待っていたのを覚えている。
離婚の経緯に関しては唯一、母親の祖父母から「あの子はあんたたちを育てるのを投げ出した、だから勘当をした」という趣旨の話を聞いたことがある。
そのため、母が家を出て行った理由は、私と弟の世話に嫌気がさしたからだと思っている。
実際、当時の私と弟は問題児で、小学校でも幼稚園でも喧嘩や忘れ物などの問題行動をよく起こしていた。
あまり詳しく覚えていないけど、家庭でも似たような状態だったのだと思う。酷く手のかかる子供だったと思う。
そんな状態である上に、私と弟は昔から比較的父になついていた。母親から見れば「男3人と自分」という対立構造に見えるときも多かったんじゃないだろうか。
上に書いたように、父と母親のどちらにつくかのやり取りもあったから、子供目線だと「母は親権を押し付けて出て行った」のではなく「僕たちは自分で父親を選んだ」という意識を持っていた。
でも、こうして書いていると、やはり母親は私たちと居ることが耐えられなかったんだと思う。
「買い物」に出ていく際の「あんたたちも来る?」という問いは、きっとそんな耐えられない息子たちと自分の関係を確かめる意味の言葉だったんだろう。
ごめんね、お母さんよりも冷房を選ぶような息子たちで。あの日は暑かったからなあ。
断片的な記憶だけど、父親が離婚届を書いているところ、書類を返送する際に「こんな男と10年以上いてくれて~~~」という趣旨の手紙を添えていたことを覚えている。
父は「本当にお母さんと連絡したいと思ったら、この携帯番号にかけたらいいから」といって、母の連絡先が書かれたメモを電話機のわきに残してくれた。
何度か電話をかけた記憶はあるが、そのとき何を話したかはもう覚えていない。
しばらくは祖父母が手伝いに来てくれていたこともあり、私も弟もすぐに母親がいない生活に順応した。メモはしばらく壁に貼ってあったけど、どこかにいってしまった。
もっとも、何年かに一度は連絡がある、ないしは帰ってきていたこともあるらしいので、本当のところは知らない。
私が二十歳を過ぎたころぐらいに、祖母から「母親と会うつもりはないか」と聞かれたこともあった。
ただ、そのときにはもう私も大学生だったし、妙な蒸し返し方をされるのが不気味で会うのを拒んでしまった。「会わなかったぶんのお小遣いをくれるなら考えるよ」とかなんとか適当なことを言って。
小遣い自体は実際にもらった。
あとから聞いた話によると、これは母から祖父母に「息子のために使ってほしい」とあずけられたお金から出されたものとのことだった。
祖父から「残りは、いつかお前たちがいい人を見つけて結婚式をするときに渡したい」と言われた。
父と母親の間で、慰謝料だか養育費だかの金銭のやりとりがあったかについては、知らない。たぶんもう知ることもないと思う。
離婚してすぐに一家4人ですごしていた家からは引っ越すことになった。
学校が変わったことがきっかけで、無自覚な問題児から自覚のある問題児に変わった。
父親との関係とは紆余曲折あったものの、大学までは出してもらった。
その間、母親がいないことで不便した記憶というのはほとんどない。保護者参観に親が来ないことにもすぐに慣れた。
中高生のときから料理をするようになったし、親が家にいないおかげでのびのびと生活していたから、むしろ恩恵のほうが大きい。
「いつ結婚するのか?」と尋ねられること。
これは母親がいなくなったこととは直接関係とは思うけど、異性と生活を共にして、家庭を持つイメージがどうしても持つことができない。
おじいちゃん、お母さん、ごめんなさい。どうも僕はあのお金をもらう気にはなれません。
今になって思うと、ひどく気の毒に感じている。
母親が私を生んだ年齢をすぎて数年が経つ。もし今の私が、私のような子どもを持っていたとしたら、おそらく私だって投げ出すと思う。
もっとも、母親が買い物に出かけた理由が、本当に私たちだったのかは知るよしもないんだけど。
本当にお疲れ様でした。
自分語りをしながら、もしかしたら私も元増田の書いてるような「隠し通された子供」なのかもしれないのかなあ、なんて考えてしまいました。
ただ、いずれにせよ元増田さんの体験は元増田さんだけのものですし、好き放題に増田で叩かれたり、長文で自分語りする父子家庭出身者が現れても、あまり気に病まないでください。
どうにかいろいろと上手くいくようになって、元増田にとってもお子さんたちにとっても一番傷が少ない結果になるように、祈ってます。
・教育費の無償化。これがないまま出生だけ増やしても、適齢期を借金地獄で終える若者がますます増える。経済的破綻を恐れる計画性のあるカップルほど、子の幸せを考えて一人しか子をもうけなくなる
・父子家庭と母子家庭の子供の生活援助。両親揃っている子と比べ母子家庭は学校でつまずきやすく、父子家庭はその三倍つまずく統計が出ている。問題のある世帯の子を放置してグレさせると、犯罪者になるなどして、子が存在しないよりも社会のマイナスになる
分かる。が、これは実質的な一夫多妻につながる危険球でもある。
こうした施策であって、男性に給付金を出すことではない。男性限定の給付金を出しても、ゲーム課金や買春の増加にしか繋がらない。
あと、私は「男性に補助金」などという話をしていない。「女性の収入を抑制する」」と言っている。
ゴミ親に給付金を出してもパチンコに消費される。必要なのは子への直接援助。そして子育てによる支出が減ると、経済的破綻を恐れる計画性のあるカップルの子供が1人から2~3人に増える。