はてなキーワード: 対象とは
あと鎮静剤は向精神薬なので、向精神薬や鎮静剤という文章はおかしい。
脳に違いはなく、MRIでは何もわからないという主張ならば、どういう理屈で向精神薬や鎮静剤飲んどるんやって話(ワイは飲んでませんけど)
ASDの検査でWAISやWISCといった知能検査を行う目的は、知的障害の有無を確認するためやで。なぜならASDの知的障害の併存率は非常に高いからやで。
現時点でMRIのみで診断するのは適切ではないという主張なら『それはそう』だが、
脳に違いはなく、MRIでは何もわからないという主張ならば、どういう理屈で向精神薬や鎮静剤飲んどるんやって話(ワイは飲んでませんけど)
学習や訓練を行なった結果、WAIS-IV・WISC‐Ⅳ に引っかからない可能性は排除出来ないとはいえ、
基本的に検査内容はこれをクリアできないと通常社会生活に支障が出るっていうものが対象になっている
これを完全に無意味だとするならばいったい増田はどんな社会支援がいるんやって話
(ついでに医師や心理療法士のコミュニケーションチェックはオプションじゃなくてセットです。大抵は鬱やSADの検査もします)
助けが必要なら、障がい者認定されない世界線、知的障害もしくはボーダー認定されない世界線を残しておきたいとか言わんで、素直にちゃんと検査受けた方がいい
本当にちゃんとWAIS-IV・WISC‐Ⅳ受けたかい?そのレベルでなにも検出されない、なにも精神病名が付かないってあり得る?って人の方が遥かに多い
単純接触効果: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%98%E7%B4%94%E6%8E%A5%E8%A7%A6%E5%8A%B9%E6%9E%9C
ザイアンスの単純接触効果、ザイアンスの法則、ザイアンス効果などとも呼ばれる。
はじめのうちは興味がなかったものも、何度も見たり聞いたりするうち、次第に良い感情が芽生えてくるという効果。たとえば、よく会う人や、何度も聞いている音楽は、好きになっていく。これは、見たり聞いたりすることで作られる潜在記憶が、印象評価に誤って帰属されるという、知覚的流暢性誤帰属説(misattribution of perceptual fluency)で説明されている。
(中略)
『俺・私はよりも大変ってマジで?俺・私は支援の対象じゃない(手帳出ない)んだけど?』って言われたら、
『た、確かにそうかも・・・😥』って割と思わないでもないが(でも貰えるものは有り難く貰う)、
自称お仕事できない・自称お約束守れない・お友達いない・恋人いない人が、『発達障害だと認定してもらえない!発達障害の検査に不備がある!』って言ってるの見ると、
<それ本当に障がいが起因か?起因なら相当重たいやつだが、それでなんらかの病名や障がい名がつかないって、本当に起こり得る?>って思う
IQテストは学習や訓練でなんとかなっちゃう側面もあるから(全IQテストとか言語テストとかただの常識テストだし、各種適性検査で似たようなパズル問題出るし)
IQテストで何も引っかからないはフツーに起き得ると思うけど、診断時に必ずセットでやるコミュニケーションの確認で引っかからないって絶対にないと思うのよね
少なくとも、発達障害が原因で、お仕事できない・お約束守れない・人と破滅的にうまくやれないのであれば、絶対引っかかる
つか、このレベルは医師ではなくとも、誰でも違和感を覚える (支援が必要な児童、非行なんたらについては。書いても理解しないだろうから略)
助けが必要なら、障がい者認定されない世界線、知的障害もしくはボーダー認定されない世界線を残しておきたいとか言わんで、素直にちゃんと検査受けた方がいい
以下、再放送
脳がどうたら→ https://anond.hatelabo.jp/20230916123726#
欲しい病名をもらうまでガチャ回すんだよ プロ弱者やってる人達はどんなに(底辺の)健常と診断されても 自分は障害者だという信念がブレない お前も諦めるな
『反社』や『特殊なバックグラウンドがある人』以外で、これ↑やろうとする人は、フツーになんらかの障害・疾患あって、それ拾えない医者がヤブなだけだと思うが、
自分が健常で、パーソナリティ・コミュニケーションに特に問題がないと知ることには意味はあると思うので、やっぱ受けた方がいいと思う
本当にちゃんとWAIS-IV・WISC‐Ⅳ受けたかい?そのレベルでなにも検出されない、なにも精神病名が付かないってあり得る?って人の方が遥かに多い
共同親権の認可を盛り込んだ民法改正案の骨子が見えてきてから、共同親権界隈は大揉めだ。柴山・牧原といった共同親権推進派議員達には、いわゆる別居親たちからの非難が殺到し、「騙した」だの「裏切り」だのと不穏な言葉が飛び交っている。
どういうことか。自民が了承し、今国会に提出する予定の民法改正案では、こうした推進派議員が共同親権界隈の後押しを得ながら主張してきた「原則共同親権」が実現しなかったからだ。父母どちらかの単独親権を義務付ける規定はなくなり、父母の協議と合意によって共同親権を選ぶこともできるようになる(選択共同親権)。多くの人にとっては、既存法体系との整合性もある程度保ちつつ、共同・協力して子を監護できる良好な関係の元配偶者達に対しては共同親権への道も開かれた、穏当で合理的に感じられる改正だろう。
ところがどっこい、ネットの共同親権界隈・別居親界隈というのはそういう話が通じる世界ではないのだ。詳しくは別のエントリ(共同親権推進派の界隈、色々すごい)で書いたが、この人達は基本的に「他責・他罰の共同体」である。離婚に到った理由について省みることなく、妻に「出て行け」と行って出て行かれたら「連れ去りだ」と騒ぎ立てたり(棋士の橋本崇載がその典型)、「少し叩いたぐらいでDVとか言い出した」「厳しめにしつけないと女はわからない」「面会交流する気がないなら訴えてやる(←これを妻ではなく子供に向かって言う別居父がいるのだ!)」みたいな有毒な男性性をみんなで承認し合って怪気炎を上げている、そういう界隈だ。
新法案では高葛藤(≒夫妻の関係が壊滅的に悪い)ケースや、DVのおそれがある場合は共同親権の対象から除外される。そして、ネット共同親権界隈というのはこれだけで適用NGになってしまう人達の吹きだまりだ。自分の見立てでは、この人たちの多くが本当に求めているのは、子の監護権そのものというより、「自分を見捨てた/裏切った妻子を見返すこと」であり「失われた男のメンツの回復」である。そして原則共同親権の導入という法改正は、それを労なく自動的に成し遂げてくれる福音のはずだった。しかし現実はそうならなかった。だから「俺たちには何の恩恵もねーじゃねーか! 嘘つき!」とキレ散らかしている。
今回の法改正にあたっては、法務省の要綱原案に対して、より共同親権界隈の主張に近い自民党PT案が出ていたが、基本的な線では法務省案が生かされた形になっている。共同親権に反対する法実務家側にもそこを評価する声が出ている(廃案すべきだと主張してはいるものの、要綱のなかで死守すべき要素は維持されている、という評価)。柴山議員たちは共同親権界隈に向けて、色々なことを口約束して支持を取りつけてきたが、実際の改正案にその多くが盛り込まれず、終わってみれば「真っ当な元夫婦同士なら、離婚後も共同で子育てできるよ」という穏当な落としどころになっている。おそらくこの改正案が可決したら、共同親権に関する法的議論はもう決着だろう。後に残るのは、満たされなかった期待に対して、非難すべき相手を探し求めて彷徨う「他責・他罰の共同体」の怨嗟の吠え声である。そして今のところ、その声は柴山ほか「共同親権推進派議員」に向かいつつある。
いまだに、日々ボーはおそれているについて考えている。
考察サイトとか、ふせったーとか、ツイッター(X)とかも見てる。
モナがボーの男性性を嫌悪しているみたいな考察が多いと思うけど、違うと思う。
彼女の夫が彼女に与えなかった(推測)「(性的にも)愛されている」という実感を、ボーから取り立てようとしていたんだと思う。
以下論拠
・細かいセリフは忘れたが、クルーズ船の寝室でモナはボーに対して自分の男性観(男は鈍感だけどそこが良いのよねみたいな話)を語った後、字幕ではなく英語音声の方で「あなたの男性性を誇りに思う/あなたは私の誇らしい男」みたいなことを言っていた。
・最後の裁判で、ボーが思い出の女性とセックスしたことを詰めるシーンで弁護士が「ボーはあの女に愛情を与えた、本来は彼女(母)に与えるべきところをーーー」みたいなこと言ってた(よね?)
ボー少年がモナの下着を悪い友達に与えたことに関する怒りも、上記のことが関係してるんじゃないかな。
ボーがモナのことを(性的対象として)愛してるなら、そんなことを許すはずがないから。
さらに言えば、モナがクルーズ船で女の子にボーをけしかけたのだって、テストだったんだろう。
ボー少年に与えられた正解は、女の子に目もくれずモナを慕い続けることだった。
ボーの男性性は許されている、モナに向ける時だけは(しかしモナにそれが向かうことは一度もなかった)
(そしてそれが、モナが定めたボーの一番の誤ちなんだろう)
もちろん息子であり庇護者であるボー少年が、モナを性的に愛する義理なんかないのだけれど。
屋根裏の巨大ちんちんに関しては、モナが用意した着ぐるみ的な何かだと思っている。
全てはモナの管理下にある、だからあのちんちんだってモナが用意したものだ。
モナの中の夫は陰茎だけの悍ましい存在であり、それをボーと共有したかった。
そしてボーが父の罪(絶対浮気だと思う)を贖うよう、モナはずっと望んでいた。理解して欲しかった(繰り返すが、ボーにそんな義理は全くないのだが)
モナは本気でボーが「自分を愛する息子」と「自分を愛する夫」にならないことを悲しんでいる。
母親に性的に求められたことはないが、この本物の悲哀の迫力はわかる。
さぞかし辛かっただろう、今は休んでくれボー。
何というか、マジで思考能力なく対人攻撃のゴミばかり。アンチ仲間が働く無能の射殺対象ばかりで辛い。
件の増田についても余裕があれば反論をしたためたが、気づいた時にはシロアリどもばかりがいた印象だけを残してしまった。
多勢による印象操作では、正義やアップデートを掲げた連中には敵わない。
仲間たちよ、聞いているか。
戦い方をコピーしても勝てない。
『オタク』は、かつて様々なものの愛好者をさす言葉だったけど、いつからかアイドルとか役者とかキャラクターなどの個(人)に執着する人たちがデカい声で自称し始めてから、概念がかなり歪められてしまった。
私は長年、自分のことをかなりオタク気質だと思っていた。興味のある分野はとことん掘り下げ、どんなことに感情を刺激されるのかを突き詰める気質があり、好きなカルチャーを探求する姿勢をオタクと表現していた。
ところが、『推し』なる概念が『オタク』を侵食し始めてから、カルチャーの背景や文脈には目もくれず特定の対象を狂信的に支持する姿勢を『オタク』だと誇示する人が増えた。
そういう姿勢は個人的に好きではないが、言葉の意味は変わるものだし、『オタク』の間口が広がるのは良いことだと思っていた。
しかし、推し活をするタイプのオタクの方々の声があまりにデカいため、最近の『オタク論』に関する話題はそちらの方々の理論の話で一色だ。
私が従来思っていたオタクのスタンスと、推し活をするタイプのオタクのスタンスは、真逆と言えるほど違う。共感できないどころか、もはや何を言ってるのか理解できない。
逆に、自分を〇〇のオタクですと自称しようにも、こちらの意図する伝わり方をしてくれない。
あるアスリートが苦手。現役時代からだから、イラつきだして20年になるかな。SNSとかミュートにしているんだけど、それでもたまに視界に入ってきてしまう。
現役時代はその競技で大活躍。引退後は言い切り型のビジネスフレーズを連発してそっち方面で大人気。メディア受けも良いし、売り出し方というかブランディングが上手いなと思う。
現役時代からなぜこんなに苦手なのかうっすらと思いを巡らせてみたら気がついた。言葉の一つ一つが薄っぺらいんだ。
ビジネス関連の自己啓発で当たり前のことをもっともらしく言うんだけど、それって毎回、小学生でも分かりそうなこと。それこそ「決して息を止め続けない、息をし続けること、さもないと窒息死してしまうのだから。」みたいな、某若手政治家を揶揄するネットミームに近いものがある。
もちろんスポーツ関連の発言はすごく良いんだよね。現役時代から割と革新的に感じる。でもそれ以外の分野についてはムズムズするというか、「それしかやってこなかったんだな」とか、「狭い世界に長く居すぎたのかな」とか思ってしまう。
元々が超一流アスリートだから、そういった格言が好きな層にはすごく刺さるんだろうな。私もそういう偶像崇拝の対象を見つけられると幸せなのかな。
もちろん何の恨みもないんだけど、なんか嫌いでごめんなさい。ここに書いて供養する。
ガワもそれなりに乳デカく描いてもらって揺れるように設定してもらったわけだし
ガワと自分を同一視しているわけではないつもりだったけど
さすがに自分のガワが解体されてる絵を目の当たりにしたときは肝が冷えた
文字通り腹の奥が冷たくなって、肝って本当に冷えるんだなって思ったね
野球は日本では100年以上の歴史がある大人気スポーツだから日本全国津々浦々幼少期からローコストで参入できる土壌が整ってるんや
テレビ中継もバンバンやってるから無料で一流プロのプレーが見れて、用具も学校に全部そろってて、親兄弟や近所のおっさんがある程度ルールや戦術も把握してるから無料で教えてくれる人もいる。
そのくらいのレベルに至って初めて貧乏人の夢の対象になれる。南米やアフリカのスラムの子供がボール一個あればサッカーできる→サッカー選手を目指すというのと一緒。
自分に体力がないことは薄々感じていた
幼少期から運動をしていたのに、ずっと「体力が課題」と言われ続けていたし、
今だって一日出かけりゃ1日寝込んで何もできない
ずっとADHDや怠惰のせいだと思っていたけど、実は頻脈のせいじゃないか?
安静時の脈拍が100ある。特に健康診断で何も言われないし、調べてみるとそれくらいでは別に治療の対象ではなく、本態性低血圧という体質なだけらしい
寝ているだけ、歩いているだけで、普通の人の小走りくらい心臓を使っているんだからそりゃ疲れるわな
親に聞いてみると、祖母が低血圧だったから多分遺伝だろう(発達障害関係あるのかしら)
人生のクオリティを左右する最も重要なファクターのひとつに、バイタリティがあると思うが、自分はこの低血圧であまりにもでかい損をしていると思う
先日スノボに行って、転んだ後なかなか立てないでいると同行者に「も〜頑張って!立って!」と言われて涙が出そうだった
日頃の行いがあるから怠惰と思われるのは仕方ないんだけど、これで精一杯頑張っているのだが!?!?
「転んだ後ずっと立たないんだよこの子」と言うが、最速で立っているのだが!?!?
それがつらい
なによりも
女性は一般的な家庭なら小さい頃から蝶よ花よと自分が愛すべき存在であることを刷り込まれながら育ってきたはずだから、あらゆる消費行動までも自己愛ベースで自分が愛せなきゃ愛す対象にも申し訳ないかのような発想になって然りだろうが
男は真逆で自己愛みたいなナルシシズムを事あるごとにすり潰すような精神観でしごかれて、「我」をもたないことを美徳として育つから、コンテンツを愛す前に自分を整えるべきという発想に至らないの
整えないのは自信や自己愛があるせいで平気でいられるからではなく、自分が個として「見られる対象」だとは微塵も思っていないからなだけ
そこの違いをさっぱり理解しようとせずに、都合よく誤解し続けようとするのは、まあ一般的な家庭じゃなくてひねくれちゃったせいかもしれんからそこはご愁傷さまだが
ブラタモリの件。
物知りな年配の男性と無知な若い女性という構図のものをステレオタイプだと批判したことある人はブラタモリも批判しなきゃおかしいしもしタモリなら許せてしまうならその違いはなんなの?っていう
結局、何か叩く対象が欲しいんやで
読んだ感じ恋愛感情よりは庇護欲に近そうだからカテゴリ的には多分彼女というよりペットだよね