はてなキーワード: 多発性硬化症とは
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★主な登場人物
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シャロン(ターの内縁の妻・ベルリンフィルのコンサートマスター)
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フランチェスカ(ターの元愛人・指揮者見習い・副指揮者の地位を狙っているが現在はターのアシスタントに甘んじている)
クリスタ(ターの元愛人・指揮者見習い・現在はターに追放され(?)ニューヨーク在住)
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★シーン
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プライベートジェット(ベルリン→ニューヨーク)で眠るターを撮影しているのはフランチェスカ。チャットの相手は多分クリスタ
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冒頭のクレジットの背後で流れるのはターの実地調査先のペルー東部ウカヤリ渓谷の先住民の歌(この調査にはフランチェスカとクリスタも同行していた模様)。
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レコードを床にばらまいているシーン(ターの仕事部屋?)の足はおそらくフランチェスカ。
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講演会後に話しているファンの女性とターはおそらくこの夜密会している(女性のバッグが後にターの持ち物として出てくる)。
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指揮者がヘッドフォンをしているのは映像と合わせるためのガイド音を聴いているから。なおこのシーンはモンスターハンター(テレビゲーム)の観客コスプレ演奏会と思われる。
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クラウディオ・アバド…ベルリンフィルの元首席指揮者(故人)。
バーンスタイン…指揮者(故人)。愛称「レニー」。ターの師匠(という設定)。テレビ番組(ヤング・ピープルズ・コンサート)などを通して一般庶民にクラシックを普及した。
ジェームズ・レヴァイン…指揮者(故人)。セクハラ等の女性絡みのスキャンダルで有名。
シャルル・デュトワ…指揮者。セクハラ等の女性絡みのスキャンダルで有名。
マイケル・ティルソン・トーマス…指揮者。愛称「MTT」。
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ…大御所チェリスト(故人)。ロシア人。
ジャクリーヌ・デュ・プレ…女流チェリスト(故人)。多発性硬化症で早期の引退を余儀なくされる。
ダニエル・バレンボイム…指揮者/ピアニスト。過去にデュ・プレの恋人だったことがある。
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★トリビア
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フリーボウイング…通常、弦楽器の同一セクションでは統一する弓のアップダウン(引き弓・押し弓)を奏者個人の判断に任せること
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ベルリンフィルを演じている(?)のはドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団。ホールはドレスデン文化宮殿。
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ほぼ全編に渡って音声は同時録音。つまりブランシェットは実際にバッハを弾いて、マーラーを指揮をしている。そしてオルガ役のソフィー・カウアーは実際のプロのチェリスト。
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コロナ後遺症もワクチン接種後のコロナ後遺症様症状も機序がわかっていない
一般的な検査では異常が検知できず、現代医学では「医者が診断できない病」といった所www
でもですぞ
そういう病気はこれまでもあったはず
まあ拙者は”OTAKU”ですので?www 病魔におかされながらも好奇心が止まらないわけでござるwww
そこで調べたところ、かのプレゼンテーション番組たる“TED“が特集をしているのを発見www こ・れ・ぞ、 ”意識高い系”www ドプフォッwww
スピーカーのBrea氏は、ME/CFS(慢性疲労症候群/筋痛性脳脊髄炎)
有名な「医者が診断できない病」www
世界で1500万人~3000万人www 寝たきりに追い込まれる事も少なくない病気ですなあwww
彼女はいろいろな科を受診して、いよいよ神経内科から「転換性障害(conversion disorder)」という診断を受けたそう
いわく! 「症状すべてが自分では憶えていない幼少期のトラウマによるもの」であると! 転換性!これ!転換性出たよ~~!
診断を受け入れた彼女は自宅までの道のりを歩くことにしたwww
その結果www ME/CFSが悪化して3年間寝たきりになったとのことでござる(爆)wwwwww(注1)
なぜ誤診が起きたのか
ME/CFSの症状は、はるか昔から「女性特有のヒステリー」などとみなされていたそう! 悪霊退散悪霊退散!!
が、1880年代に****(聞き取れず。何かジグムントぽい名前)が新しい理論を作り上げたwww
「苦痛すぎる記憶や感情が無意識の中で身体的症状に転換(conversion)して起きる」
フロイトの理論そのまま、神経医は診断を下したようだ。そう、Brea氏は言うwwwwww
なぜ、こんな事が起きたのか。女性差別も関係しているだろうが、医者も基本的には患者を助けようとしているはず。
答えを知りたいがゆえに、ヒステリーと分類することで治療が不可能な病気を治療し、説明のつかない病に説明をつけているわけです。
心因性は証拠が不在である事を示しており、それで決着がついてしまうと「生物学的な研究」が進まないとのことwww オウフッwww
実際、アメリカにおける ME/CFS の患者一人あたりの研究費は、AIDSが$2500、多発性硬化症が$250、ME/CFSは$5らしいwww ビッグマック1.15個分wwwwww
そして研究がされなければ協力が得られず、的確な治療や支援も受けられないwwwwww
患者は自ら研究者になり、医師になり、実験台になる。これが患者にとてつもない負担をもたらすwww
だから、Brea 氏は、インターネットの仲間たちに出会えたことに感謝をしていると言っているでござる
なかま?www どうして?www
インターネット以前に発病していたら?仲間たちと出会えていなかったら?
多分自ら命を絶っていただろうと思います。
ME/CFS はようやく研究がされるようになってきたそうですな(注2)
だが、Brea氏はその先を見すえるwww
「社会制度や文化を変えなければ他の病気でも同じことを繰り返してしまう」
てんかん患者も、多発硬化症も、最近では胃潰瘍も、医療技術が発展するまで心因性だとみなされていたwww
未知の部分が多い自己免疫疾患は、特にそういった傾向があるとのことwww
自己免疫疾患を持つ患者の45%が、初めは心気症と診断されてしまっているというwww(注3)
さて、「コロナ後遺症」や「コロナワクチン接種後のコロナ後遺症様症状」の原因の一つとして、自己免疫が深く関わっているのではないかと言われている(注4)
まさに我々は、Brea氏が危ぶんだ渦中にいるのかもしれないのですなwww フォカヌポゥwwwwwww
しかし、心因性であると誤診をしてしまうと、患者に想像を絶する苦痛をもたらす(核爆)
なぜ?
「わからない」と思った時に、何をするのか
話を聞く、患者の話に耳を傾ける
動画の最後で、Brea氏が言った言葉は、ニヒリストには楽観的にも聞こえる
すみません、以上、いっちょかみですが、大変失礼いたしました・・・・・・
What happens when you have a disease doctors can't diagnose | Jennifer Brea
https://www.youtube.com/watch?v=Fb3yp4uJhq0
(注1)ME/CFSは運動不耐性のある患者でペーシングを無視すると増悪すると言われている
https://undark.org/2017/07/26/cdc-chronic-fatigue-graded-exercise/
(注2)研究の一例として
https://www.ncnp.go.jp/topics/2021/20210427p.html
(注3)American Autoimmune Related Diseases Association(AARDA)
https://autoimmune.org/resource-center/diagnosis-tips/
(注4)
https://twitter.com/VirusesImmunity/status/1502295981752295438
・報道されてる人たち全員が“ワクチンの”重い副作用が起こってるのではない。
・HPVワクチン副作用だと言われてる人たち全員が本当にHPVワクチンの副作用を患ってるわけではない
は言えても
とは言えないはずだと私は考えている。
極限的に考えて、副作用が出てない集団と比べてほとんど0%の割合だとしてもそれは、統計的なマクロな視点の話であって、個々人に視点を当てたミクロな視点の話ではない。つまり、副作用がゼロ人ということとは結びつかない。
・HPVワクチン副作用が起こった人数は地球でゼロ人という個を指したものではなくて、母集団から統計して、副作用はそれほど起こっていないはず
ということであると考える。
科学は証明されなかったらその時点ではなかったこととするという体制をとっている。アイデアは無限にそこらへんに転がってるからだ。於保方さん事件がわかりやすいが、発明の案を出した人ではなく、発明を証明までできた人が評価される仕組みを現代科学界ではとっている。
つまり、今科学で証明されていることというのは、「HPVワクチン特有の副作用がある」ことが証明できなかったという事実から「副作用は(ほとんど)ないはず」という事実を導いたことであって、「副作用がなかった」証明をしたわけではない。背理法的な導き方だ。
言葉の揚げ足取るようで悪いが「HPVワクチンで副作用が起こることはない」とまで完全に言い切ってしまっているのは非科学的であると思う。
科学を盾にしてるのだから、様々な背景や前提を取っ払って必要な修飾まで捨てた文章を使わないで欲しい。とてもデリケートな話題であるということを胸に刻んで言葉の端々まで気を使っていただきたい。
あと、副作用の証明というのはわかりやすいバイオマーカーがあるわけではなく、患者のワクチンを打った前後の状況(社会的背景も含めて)、ワクチンを打った時の反応などを総合的に加味して診断されているものであり、副作用と診断する体系的な指針があったとしてもかなり不確かさを含んでしまうものであると言えよう。
100%それが正しいなんて言える段階まで医学は進歩していないと思う。
ここまで何が言いたいのかというと、
・マクロ視点的にHPVワクチンはほとんどないと科学的に締められたのは間違ってるとは言えないだろう
・ただ、それはマクロな話であって、ミクロにゼロ人だと言ってるわけではないから病院に行った全員が副作用被害者な可能性はないとしても、目の前の患者一個人を100%副作用がないとまで断言できるものではないはずだ。
100%副作用がないと断言できない、つまり100%副作用があるとは誰も一患者に対して断言できないということは、万一副作用が(本当に)起こってしまっている人は極めて不利な立場に立たされてしまうのだけど、このことを認識してない推進派が多いと感じる。
つまり、本当に副作用を受けた人は完全ゼロとは言えないはずなのに、副作用が集団的にほとんどないという方針が打ち出されると、副作用を受けた人が副作用被害だと認定されて補償される可能性はゼロに近くなる。
そもそも、その方針が打ち出されなかったとしても補償を受けられるほどの証拠を証明するのが難しいが、逆に証明を求めている側も補償が受けられない証明をしているわけではなく背理法的に導いているだけだ。
だからワクチンの補償ってかなり不確定だし、制度として現行あっても信用できるものじゃない。だから安心して受けられるっていうものじゃない。
もし、HPVワクチン接種を推し進めるなら、この完全に片側が不利な状況をきちんと把握した上で、自身の行動がマイノリティを無視しているがマジョリティにとっては利益になるものだという現実をきちんと認識して、活動してほしいと思う。
わたしは、この非対称性についてはどうしようもないと思っており、ただどうしようもないからといってそれを完全に無視されるのには怒りを覚える。
どうしようもないけど、統計的にはこっちの方が多くの人を救えるからということでワクチン摂取を推し進めるのに反対はしないが、そのどうしようもなさと向き合おうとせず認識すらしないのはどうかと思う。(もしかして認識しながら公共の福祉のために黙ってる?それはある意味肝座ってるわ…)
被害者は一言どうしようもないだけでは終わらせられないから自分たちのことを主張するのは当然だ。
わたしは思うのだが、HPVワクチン副作用だと言われてる人たちが副作用が原因でないというなら、その本当の原因をつきとめ症状を治してあげたら良いと思う。
その症状が、副作用か副作用じゃないかに関わらず治療は適切にされるべきだ。ただ、これを適切にできる医者は、ほとんどいないだろう。これも副作用被害者が大きく声をあげる一因になっていると思う。
こういった人たちをきちんと救う方向へはま動かず、ワクチン推進を推し進めてたら副作用被害者(だと思っている)の人たちはそりゃ反対する。ガン無視と同じだものね。副作用被害ないっていうなら困ってる人たちが副作用被害でないならないなりに治療を受けられるような活動も並行しないと正直都合いいなと思う。
副作用被害者の一部の集団に新種の自己免疫疾患かもしれない結果が出ている。
まだまだ、医学は進歩途中であり、すべてがわかっているわけではないはずだ。それをきちんと認識してほしい。(だからもちろんこの新種の自己免疫が副作用由来かどうかも本当に体に悪影響を及ぼしてるかもなにもかもまだ断言できるものではないという前提である)
過去有名な自己免疫疾患である多発性硬化症や今は認められているその他の病気がヒステリー扱いされていた歴史があったことなどを踏まえて、今一度自分の行動を振り返ってほしい。
自分のわからないことを患者が悪いとしてなすりつけるのではなく、己の限界を認識し、わからないことはわからないときちんと言ってほしい。
自分のわからないことを心因性などとさも原因が分かったように言うのではなく、現在自分のところでできる検査では原因が見つかりませんでしたとただ起こった事実だけを言えばいい。
科学的基準と照らし合わせて患者に心因性って診断つけてる人っているの?原因が見つからなかった→心因性っていう自分が世界の全てをわかってます的飛躍的論理の医者それなりにいない??
科学を盾にするのはいいが、盾にするならするなりに論理を通してください。大事な前提や修飾を省いたバズりやすい文章で人を惹きつけるようなことはしないでください。
あとこれは個人的な意見だけどワクチンって体質的にワクチン無理な人除いて全員に受けさせることによって集団を守るってものだと思うから、個人の選択や責任をそこにそんなに問わず、起こったリスクもコストのうちだと精算できるくらいの仕組みでいてほしいと思います。個人個人の治療の選択に関しては患者に多少の責任があっても、できるだけ多くの人が打った方が効果が出て更に進学や渡航の際に聞かれる類のものは個人責じゃないっしょー
なんかCharlotte見てたら、1話でAngel Beats!の二の舞いになりそうな匂いがプンプンして、あー見なくてよかったという気持ちにしかなれなかった。一時期のKey作品面白いっていう評判は他の人にはともかく、少なくとも僕個人でそれが信じられたのは京アニのおかげなんだろうね。一昔前の京アニ作品もそうだし、ハガレン1期のアニメ版もそうだし、原作にはストーリーがなくてまとまりにくいものにうまく落とし所を見だしたぱにぽになんかもそうだけど、アニメのシリーズ構成や脚本ってクリエイティブなことよりうまく噛み砕いてくれることがすごいんだろうなぁ~と正直思った
僕がアバン見た時に「あ、この設定というか、この言い回し変だ」と思った作品が殊の外人気だから、試しに見てみたんだけど…やっぱり開始6分で設定の破綻を感じてる。コピーしかできない奴が受験で1位って…。それって正解がわかってるってことだろ?2位以下にならないとおかしいはずなのに
あと、マドンナ的存在って言うキャラは死ぬほど聞くんだけど、これも実在しないんだよなぁ…。例えば、GTOみたく「ドジっ子アイドルになっちゃいました」とか、コクラセみたく「いいところのお嬢様で送り迎えがつく人がいるんだ」みたいな誰がどう見ても浮いてる理由が必要なのにそれがないとか…
トドメは事故ったのを救った時に女の子が「一組のだれだれくんが助けてくれた」ってこの台詞も変なんだよなぁ…。なぜクラス言った?
いやさ、僕がノベルゲーとか小説にハマれない理由って理由付けや情報開示の順番がわざとらしくて「あームダだなぁ~」と思うものがあるから。ムダならムダ、メタならメタで突っ込んでくれればいいんだけど、それがスルーされると、嫌な意味での突っ込みどころとして頭のなかに残って嫌になるんだよなぁ
この、テストで100点とったっていう理屈がだからおかしいんだって。おおよそ正しい答えなり、途中式なりを見抜く方法を知ってなきゃ、仮に他人の答案をカンニングできたとしても、それをカンニングによって100点を取り続けたり、学年トップになることは不可能。最低でも途中式を見抜く学力はある
と、これ、ここまでAパートの話なんだけど、この矛盾にいらついて普段の僕ならここでこのアニメを切る。これが流行ってるとしたらみんな頭悪いんだろうなぁ~みたいな感想を抱きながらね。あるいは、頭が悪いかどうかではなく「きっと1クールも経れば、忘れ去られるアニメだろう」と思うか
ちなみに、僕がグダグダ言ってるアニメはAngel Beats!と同じ脚本の人(有名な人だけどあえて名前は出さないで作品名を出してる当たりご理解いただきたい)なので、「あー数年の間に増えたにわかオタクか、作家名でアニメを見てどうやってでも擁護したい人が盛り上げてんだ」が感想。この脚本家には前科がありまして、最後まで見れば面白くなる・矛盾点はあるけど我慢しようと思って多くの人が見てたら、終盤の感動的なシーンが設定の雑さゆえに矛盾してて成り立たないと言うヘマを数年前にもした人なんです…それでお察しな気が
ちなみに、Angel Beats!のどこがおかしいかについては、ドナーカードの意味もちゃんと検索してない、ドナーがどういう条件で提供されるのかも確認してないいい加減な脚本家がドナーカードにできないことをドナーカードによって達成したという嘘っぱちの設定を作ったこと。犯罪的な捏造だよ。天使ちゃんと音無くんは心臓を提供した・されたの関係と言う話になってるけど、音無くんは衰弱死・餓死みたいな状態でとてもドナーとして成立しない死に方してる。だから、転用なんかとてもできないし、それ以前に脳死じゃないドナーは使える部分が限られているから心臓を移植できないのよね…ストーリーの根幹である部分の前提に現実的な設定を使う以上調べて欲しいといいますか、詳しい描写まではいらないけど、5秒で検索したらわかるようなウソは入れないで欲しい気はします…
そこら辺のところがわかったうえでもなおAngel Beats!がいい話だと言ってるバカとアニメの話はできないと改めてはっきり言っておきたい。作中に出てきたから言うけど「こんなのが売れるなんて世も末だな」とABの時から私はそう思ってました
妹のキャラクターが年齢不詳。兄よりも歳上であるかのような言い回しが多いけど、これは伏線?それとも雑設定からくるもの?
KANONやABだけではなく、アレだけ評判がいいリトバスもですか…。しかも、作者が患っている病気で…。流石にわざとやっているのではないかと疑わしくなってきましたなぁ…。 奇跡をゴリ押しされた挙句、他人事のように「なんか泣けるような胸を打つような近さはないけど、テレビ的なわかりやすいいい話とはこういうものなのだろう」とKANONに対して思ったので、「お伽話」は言い当て妙だと思います
よりポピュラーな病気やシステムを扱えば扱うほど「間違った知識の流布」「当事者を傷つける問題」に進展しかねないところがあるため、危うい傾向だと思えました。特にドナーカードの話は免許取ってから日が浅い時期だったのでなおさら気になりました
いやさ、「だーまえ作品における病気はいい話のための演出なんだ」と言うのはわからんでもないさ。ただ、普段「うつは甘え」「サプリで治る」みたいなウソを振りまかれてる躁鬱病患者としてはああいうものってすごく怖いんですよ…。ドナーカードも免許取って人間なら近しい話だからすごく怖いし…。例えば、「うつは甘えだ!私は君を甘やかさない」と心を病ませながらも自分の仕事場で面倒を見て、厳しきして社会復帰させたらそれはいい話かもしれない。だが、それはリスクを負ってくれる人が前提で「うつは甘えだ」と厳しいところに投げ込む風潮がマスコミやだーまえ作品の影響でできたらどうさ?
大体の鍵っ子は、実は自分が感動したシーンとギャグぐらいしか案外覚えていないのかもしれない。あと人物同士の関係の考察とかはするけど、現実に基づいた設定の考察はあまりしてないのかもですね。更に言うと、多分keyの全作品に共通するかもしれないのですが、後半だけ見れば問題ないってぐらい、前半はギャグと日常(現実的ではないですが)の塊なんです。あまり伏線を積極的に張って行かないレベルでね
寓話以上世界仰天ニュース未満ぐらいの位置の何かだと思わないととても安心して見られない感じはあります。京アニ作品として矛盾やギャグが気にならない形の物ではそこまで気にならなかったのですが、近年の麻枝准自らが脚本した作品は…。例えば、Wikipedia読んでもちんぷんかんぷんで日本にはほとんど患者がいない難病「多発性硬化症」みたいなものでだーまえ演出をなさるんだったらまだ批判浴びないし、なんとなくそんな病気があるんやろう…みたいなのがあるけど、ドナーカードはポピュラーすぎるもん!ちなみに、うつ病よりも関わっている人が多いドナーカードは日本中で8000万人の人(運転免許の裏はドナーカードなので免許保有者だけでもおおよそ8000万人)が関わりがあります。
超極論を言えば、だーまえは逮捕されるべきだったとさえ思ってます。だって、ドナーに関わる人間はおおよそ8000万人。免許の裏のドナーカードだけで日本国民の3分の2。それにありもしない間違った知識を流布したり、価値観を押し付けようと言うのだから怖いと感じないほうがどうかしてる。リプライを見た限りKANONやリトバスでも同じ脚本家が同じような病気や矛盾点を調べないで、創作物に流用しているそうです。Charlotteの脚本家に限った傾向なので脚本家全体の衰えとして捉えるのはちょっとむずかしいですが…すいません。流石に極端なたとえですし、「もし、あんな調子でうつ病を扱ったら」というエクスキューズが抜けてるので、不十分なツイートになってしまいました
この話、だーまえさんの作品が人気を取るたびに僕を含めた誰かが「ざっけんなコラー」と言っても言っても騙される人が後を絶たないから繰り返ししてるけど、したところで得るものないからこのへんでやめます。僕以外に…つうよりももう鍵っ子の間で議論され尽くしているであろうテーマなのに、意外と周りで盛り上がるのな…
まぁ、うまる見て「あの秀才キャラ、悩みがないキャラがハナについてギャグだけを純粋に楽しめなくて少し苦痛」みたいなことを言って「そこ!?」的な返事が帰ってきた偏屈な人間の言うことだからなぁ…。きっと受け入れられないんだろうなぁ
江戸しぐさ→歴史的には間違ってるけど、いい話だからいいじゃない!だーまえ作品(とりわけAB)→病気や患者が利用する制度を調べてないから間違ってるけど、ふんわりといい話だからいいじゃない。が重なる。僕が感じてた怖さはそういうことか!。遠い昔の話ならそれでも被害者は少ないのですが、それをポピュラーな病気や医療制度でやってしまうため、実際の江戸しぐさより被害者が出そうで怖く、またいい話だという言い分も江戸しぐさ的な押し売りや稚拙さが絡むため、賛否が分かれる…というところでしょうか