はてなキーワード: テプラとは
セブンイレブンのテプラをよく「デザインの敗北」って言ったりするけれど、エスカレータで左側に乗る列ができて右側がガラガラなの、さしずめ「マナーの敗北」といった趣きがある。
10年前ぐらいはなんとなく2列になっていったような記憶があるのだけれど、昨今はいくら左一列がびっしり並んだとて、2列にバラけることはない。
他にも、神社の「二礼二拍手一礼」も10年前ぐらいはなんとなく鳴らして、なんとなく手を打って、なんとなく拝んでいたぐらいだったのが、「二礼二拍手一礼」がしたり顔で吹聴されるようになってからは、みながみな「二礼二拍手一礼」をやって混雑度が増しているし、ひどいところは賽銭箱を先頭に2列がびしっと並んでいたりする(もちろん、正殿の幅はもっとある)。これなんかも、まっすぐ並ぶのが正当などという「マナーの敗北」ではなかろうか。
他にもこういう例はあると思うのだけれど、こういった点では我々は馬鹿になったんだなあと思わざるを得ない。
個人的には酒井氏と所属事務所の対応には眉を顰めてますが、気になったのはどっちかと言えばそれに対しての感想記事とかで
https://news.yahoo.co.jp/byline/fujiiryo/20200129-00160826/
こんな記事とか
https://note.com/chiharatetsuya/n/n753983f68bfd
こういう感想とかが出てくることがよく分からないなって思います。
「テプラアートの第一人者は私なのにその私をないがしろにするなんて許せない」
「お前ら私の作品のこと知ってただろ、私の作品に影響を受けてたんだろ、それなのに自分で考えたみたいに言いやがって」
ってあたりなんですよ。
で、そもそもその主張って正しいの?って話なんですわ。
先人の作品にはリスペクトがないといけないとか、著作権上の問題はなくても経緯は払うべきとか、別にそれそのものは否定はしません。
十数年前ののまネコ騒動とか某社に対してムカついてましたし。
でもね、そもそもその「酒井いぶき氏の作品にインスパイアを受けてネタパクした」っていうのが事実なんです?っていう話。
酒井氏に影響を受けていなかったとしたらそもそも敬意を払うもなにもないんですよ、だって無関係だもの。
で、個人的にはラフォーレの広告を見て酒井氏の作品に影響を受けたとは思えんなぁとしか感じない。
だから上記のような記事を見て「この人たちは具体的にラフォーレの広告のどこらへんをパクリだって思ってるんだろう」って不思議になる。
棘の方でも検証的なまとめが出てるけど
https://togetter.com/li/1460367
こういった状況を見て、広告のデザイナーは確かに既存の表現やら何やらに影響されてああいった広告を作ったんだろうとは思うけど、じゃあその発送元が何かを辿ったときに酒井氏の作品だろうとは思わないわけですね。
それこそ本人の主張通りセブンのコーヒーだとかそっちからの発送じゃないのって話になり、作者はセブンコーヒーにもっと敬意を示せ、って話なら納得しますけど、酒井氏に敬意を示せって言われても「なんで?」としか言えないわけです。
言い方悪いけど何かと起源を主張する韓国(WEB上のネタ的な意味であり韓国そのものを揶揄する意図はありません)かよっていう。
「テプラアート自体がアートとしては昔からあるし色々な人がちょこちょこやってる」
状況で、たまたま相手が酒井氏の存在を知ってたからといって、影響元が酒井氏だとは考えにくいと言うか。
セブンコーヒー、デザインの敗北といったネタ群がこの世に存在していなかったとしたらラフォーレの広告が生まれたかどうかは怪しいけど、酒井氏の作品がなくてもラフォーレの広告は生まれたんじゃないかって思うんですね。
ラフォーレや広告会社は一緒に仕事をした私のことを知っているはず、という酒井氏の主張も実際は嘘ではないけど本人の活動やそれまでの作品を把握してるほど密に関わってただけじゃなくて、BtoCのCでしたみたいなレベルの話のようですごい自信だなぁと思ったりするけどまあそれは別の話ではあります。
どっちかと言えば酒井氏の作品を認識しているのは着想を受けたから知ってるのではなく、作品を作るにあたり類似表現がないか調べた時に出て来たんじゃないかなぁと思ったりはしなくはないです。
そういうものに対して、そこらへんの一般人がなんとなくの表面的な雰囲気だけで似てるなーって思うのは別にいいです。そもそも感想の制限とかできませんし。
でも具体的にどこがどう類似しているのかといった根拠の提示もなしに、みんなが言ってるから、本人がそう主張してるから、立場の弱い個人アーティストだから、きっとパクられたんだろうといったような印象だけでパクリだと叩くのはよくないと思うんです。
敬意のないアイデアのパクリを批判するのなら、そもそも本当にその事例は敬意のないアイデアのパクリであるのか、単に既に手垢のついた表現で似たようなものが溢れてるだけとかそういったオチじゃないのか、といったあたりは気を配るべきなんじゃないかなあと。
アイデアパクを問題にするのであれば、そもそもどこらへんがどうアイデアパクであるのか、インスピレーションを受けた相手を尊重するというのはどういうことか、もっと踏み込んで話して欲しいなあとかそんなことを感じたっていう話でした。
年周期ぐらいで転勤をしている。
そのたびに家具を買っていたら金がかかるし、転勤費用もろくに出ないのでデカイ家具を持っていく気にもならない。
じゃあどうやっているのかっていうと、ダンボールにテプラで「食べ物」「スーツ」「下着」「私服」と書いて誤魔化している。
これでいいのだろうか。
それすらもう分からない。
とりあえず転勤させるときは引越し費用全部会社が持つように法律を変えてくれ。
まあ無理だろうな。
だってそれをやろうとしたら国家公務員が年度末に一斉に引っ越すさいの金を税金で全部出すことになってしまう。
見積もりもロクに取らずに公務員が適当な引っ越しをする金を税金で出せだと?ふざけているよね。
つまり、無理なんだ。
ネットワークエンジニアをやっていて、機器に貼るためにホスト名等の情報や、
ケーブル等に取り付けるタグ(丸札)に貼るためのシールをテプラでたまに作成する。割と好き。
家でも似たような事をやりたくなって、最初はプリンタを持っていたから、シール用紙で印刷していたけれど、
面倒だったので、1万ちょいなら趣味みたいなものとして買ってもいいかなと思って、思い切って買った。
最初はセブンのコーヒーメーカのごとく、いろいろ作って貼ってみようかと思ったけれど、
意外と貼るものが無いことに気づき、今ではホコリをかむっている状態。
テプラぐらい簡単よ!って調子に乗って手伝うことにしたら大変なことになったの。
何個文字を打ったか画面が小さくて見えなくて数えながら打つのが面倒くさい!
と、もう面倒くさいのヒッツオンパレードなのよ!
今の時代大喜びでテプラ出してる人っているのかしら?って言うぐらい
例えばね「みかん」ってシールを10枚出したいとするじゃない、
印刷枚数指定ができないので印刷ボタンを10回押さないといけないという感じなの。
わかるかしら?
工夫して考えたあげく、
「みかん みかん みかん みかん みかん みかん みかん みかん みかん みかん」
って一行にみかんってたくさん入力して、これを1枚で印刷するのよ。
であとでちょきちょきハサミで切る感じ。
入力した回数を「正」の字でカウントしながら入力するという涙ぐましんぐなダンシングヒーローなわけよ!
ラブソングを探してって、
やかましーわい!
まあ私はバックアップバッテリー世代だからそんな苦労は知らないけど。
そんでね、
これが正確な回数とは限らないし、
訳ワカメだわ。
でもね、
あっと言う間に出来ちゃったわ!
パチパチパチ!
出来たから良かったけど、
ちょっとパソコンに接続できるテプラの機械を買うことにしたわ!
こんなローテクノロジックな場面に出くわすとはまさか平成最後にそうなるとは思わなかった。
おかげでこんなに遅くなってしまったわ。
テプラについて1日考えてみるのもいいわねと思った次第よ。
うふふ。
これ最近お気入りなのよね。
自分でも作って試してみようと思って
なかなか豆乳を投入する機会がなくて、
でも今度作るわ。
朝晩はさすがに冷えてきたわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
【追記】
もちろん個人的な妄想だと本文に書いている通り、まじめに読んでもらわなくていいです。
間抜けな仮説です。
(「結果があるので、いくらでも後付けで正当化できる」「過剰に意味を見出しすぎかもしれない」って繰り返し本文に書いてあるのに、それで突っ込んだつもりになられるのは反応に困るけど)
ただ「セブンカフェが何故売れたのか=あのデザインだからだ」ではなくて、
開発に2年もかけて大ヒットしたセブンカフェのマシンが何故「あんなデザインだったのか?」という話がしたかったのです。
わかりにくい文章でしたが。
また、佐藤可士和については手放しでほめるつもりはなくむしろ疑問な部分もあって、
下記のtogetterのような話がデザインやブランディングのプロから聞ければな、と思った面もあります。
(たしかそう思って書いた気がする)
https://togetter.com/li/469151
以下補足
機械自体がセブン主体なので「口を出せなかった」可能性は低いと思います。
「価格が安い」「セブンだから」が理由なら、セブンイレブンが数十年に渡り4度も失敗した説明がつきません。
マックのコーヒーや、映画館にある自販機のコーヒーが昔から売れていたのに、セブンを含めたコンビニがコーヒー事業で30年間失敗し続けてきた、という部分が話の根本にあります。
セブンカフェが売れた主な理由はもちろん「味」だと思いますが、
なおさら「使いにくいデザインが根拠もなく採用されるのはおかしいのではないか?」と思ったという話です。
それに、味だけが理由ならそれこそあんなクソデザインはすぐに修正すれば済みます。
でもそれをしなかったんです。
それだとセブンカフェの1、2年前にコーヒーにチャレンジしたローソンやファミマが先に成功していないことを説明できません。
実際には2社は一旦サービスをやめ、セブンカフェ成功の後に再開した流れです。
https://toyokeizai.net/articles/-/47750
https://toyokeizai.net/articles/-/51509
本文を書いた前後に小規模なデザインリニューアルをしたんですが、リニューアルまでに5年くらいの期間があったんじゃないかと。
5年も経ってからというのは、失敗が理由のデザインリニューアルではないと思います。
「デザインがよければ『シェア6割』よりももっと売れた」可能性があるのなら、普通は5年も待たずにすぐにでもリニューアルするかと。
その時点で客からのマシンに対する不満はわかっていたはずであり、リニューアルも出来たと思います。
(RLのボタン名称変更などは低コストですぐできるし、そのためのテスト期間です)
さすがにコーヒーチェーンの売上を抜き去り、コンビニコーヒーを消費者物価指数にまで押し上げ、業界6割を誇るシェアとそのプロダクトをただの「無能」で片付けられる人向けの話ではありませんでした。
「むしろこの程度のこと」すら考えられなかったらデザイナー、それもブランディングを手がける人には絶対なれないんですけど。
(本当はこの1億倍こまかい)
「考えすぎ」だと思う人は、仕様書を作った経験などはないんでしょうか?
世の中のサービスやプロダクトが何も考えられずに作られてると思うんでしょうか?
本文の内容通りの思惑があったとは自分でも思いませんが、「何らかの見通しがあって作られている」とみるのが普通です。
過剰な決め付けは禁物なんですけどね。
なんにせよ、こんな長文を読んでいただいてありがとうございました。
【追記おわり】
この記事のコメントで相変わらず佐藤可士和が馬鹿にされている。おれも以前はセブンのコーヒーマシンを多少なりとも馬鹿にしていた。
しかし、コンビニコーヒーについて少し調べてみたら考えが一変した。実はこれも計算づくだったのではないかと思えてきたのだ。
いま、なんだ信者の戯言かよ、と馬鹿にした人がいたでしょう。でも、いったん待っていただきたい。
よくよく考えるとあんな出来そこないみたいなデザインと、セブンカフェの大規模な成功が結びつかないのだ。
まず、俺は勘違いしていた。
あれだけ叩かれたのだから、セブンカフェのコーヒーシェアは高くないのだろうと。
そして、コンビニで出来たてのコーヒーを出せばそりゃ売れるだろう、デザインもクソも関係ないアイデア勝ちだなと。
しかし違った。
セブンカフェのシェアは6割超の独り勝ち。圧倒的な人気で売れ続けているのである。
そしてアイデア勝ちなんてとんでもない。
日本のコンビニは、1980年代からコーヒーマシンを導入しようとして、2013年まで30年間ずっと失敗し続けてきたのだ。
2000年代にも売り上げが伸びずに、セブンだけでなくファミマやローソンがあきらめた事例もあるようだ。セブンの試みも5回目の挑戦らしい。2013年のセブンカフェのために開発に2年もかけていたようだ。
こうなってくると事情は変わる。
今やスタバやドトールなどの売り上げを抜くほどコンビニコーヒーが浸透したという記事も見た。こんな成功を納めるきっかけになった事業が偶然のわけがないし、一番肝心なマシンのデザインを適当な仕事で済ませるわけがない。
佐藤可士和というデザイナーに簡単に触れると、シンプルなデザインを手がける事の多い人だ。
Tポイントカードや今治タオルのデザインがわかりやすいだろう。
そしてシンプルなインターフェースのコーヒーマシンでボロクソに叩かれた。
シンプルというのは、要素が限られるということだ。右や左、上と下という感覚はその中でも大きな基準になる。
佐藤可士和どころか全デザイナーにとって当たり前のことだが、左右とLRという表記が逆になっていたら使い難いことくらい、気づかないわけがない(素人だって気づく)。文化大革命時の中国で「赤信号が進め」になりかけたみたいな話だ。
コーヒーマシンのようなプロダクトデザインが出来上がるまでには、長いプロセスがありテスト使用だってある。
身近な家電製品が出来上がるまでを想像してもらえれば早いが、市場調査や企画やデザイン、機械の調整など、様々な検証がされた末に製品化される。
当然、あのコーヒーマシンが使いにくい事は、プロセスの途中で関係者全員がわかっていたはずだ。
それなのに、絶対成功させなければいけない30年越し5度目の挑戦でああいうデザインにしたのは、わざととしか思えない。
普通ならば失敗を何としてでも避けるため、左右のわかりにくさなど、いの一番に潰すミスだ。
佐藤可士和が無理に推し進めたにしても、絶対セブンの偉い人からストップがかかる。だって悲願のコーヒー販売のために開発に2年もかけてるんですよ。意図がなければリスクは取らないはずだ。
ではその意図はなんだったのかというと、「使いにくいことそのもの」ではないかと思うのだ。
ここからは、乏しい想像力による推測というかほぼ妄想でしかないために一気に話が飛躍するが、堪えていただきたい。
日本人には、行列に並びたがる性質がある(らしい)。飲食店での紹介には「行列」は欠かせない文句だ。
あの使いにくいマシンはそうした「行列効果(バンドワゴン効果)」と、「炎上商法」そして「学習した事はやってみたくなる」という効果を狙ったのではないかと思う。
客が店内に入ると、レジ近くの目新しい機械の前でモタモタしてる人がいる。客はセブンがコーヒーを売り始めたというニュースを思い出す。店内にはコーヒーのいい香りが漂い、コーヒーマシンの前に並ぶ人も増える。
しかし実際使ってみると、非常にわかりにくくて混乱する。行列も増える。なんじゃこりゃ、誰が作ったんだこんなマシン、テプラが貼られてたぜ、酷いデザインだなとネット上では炎上気味に話題になる。
しかし、たかが左右の使い分けくらいは一度使えば覚える。いやむしろ、覚えるというアクション自体がユーザー体験になるし、セブンに行くたびにその事を意識する。なんなら汚く貼られたテプラも記憶に残る役割を果たす。
コーヒーは習慣性のある飲み物だし、人間はわざわざ覚えた事は実践してみたくなる生き物だ。それに実際飲んでみると、低価格とは思えない程度には美味しい。
そうやってリピートしてみて、スムーズに操作出来る自分と、コーヒーの味に満足感を覚える・・・
と、こういう画が描かれていたのではないかと思うのだ。もちろん、セブンカフェの成功とトップシェアという結果があるので、いくらでも後付けで正当化できる。
しかし佐藤可士和はマシンのデザインだけではなく、セブンイレブンのブランディング自体も担当し、セブンカフェの細かいアイテムのデザインも担っている。
そしてこのアイテムの内、カップのデザインこそ、あまり話題にならずに見落としがちだが、他のコンビニとの差別化の要因になった強力な武器と言われているのだ。
コーヒーがホットで注がれても熱くなりすぎることがなく、手のひらの中でちょうどいい温かさを得られる。
滑り止めがついていて扱いやすいし、手触りも抜群に良い。
RのカップでLを押し間違えても、ぎりぎり収まるサイズにも設計されている。(内容量についての詐欺説は悪質な嘘なので注意)
間違って蓋をつけたままマシンに入れてしまっても、ちゃんとコーヒーが注がれるように注意を払ったデザインが蓋には施されている。
他のコンビニと比べ、これだけこだわったデザインをカップに施した人が、マシンについてはただの無頓着だったとはやはり考えにくい。(マシン自体もカップを斜めに設置しないようにスペースが工夫されていたりするらしい)
上記の解釈が正しいかは別として、消費者の行動を踏まえた何らかの戦略があったことは違いなく、だからこそ30年も失敗し続けてきたコンビニコーヒーの導入に大成功したのだ。
繰り返すが、あの「使い難いコーヒーマシン」からコンビニコーヒーの躍進が始まったのだ。そして2015年には、コンビニコーヒーは総務省の消費者物価指数に加えられるまでの巨大市場に至ったのである。
以前の俺は違うデザインのマシンならセブンのコーヒーももっと売れただろうにと上から目線で思っていたが、こうした事実を知ると間違っていたのは俺のほうだった気がしてくる。
佐藤可士和の全仕事が素晴らしいとは言わないし、セブンのコーヒーマシンの意図も正確なところはわからない。だが、馬鹿にするだけでは見えないこともある。
コンビニ業界の悲願の達成、日常の消費をここまで変えた商品という結果はやはりすごいことだし、その一部は佐藤可士和の手によるものだ。
過剰に意味を見出しすぎかもしれないが、彼を馬鹿にしている人も、そのことはほんの少しだけでも覚えていてもらいたい。