はてなキーワード: サウナとは
これのブコメ、
中身なさ過ぎ。シス男性がゲイ男性を排除していないというが、ゲイがいる事を認識出来ていないだけの話。上野駅の公衆便所はゲイの集会場所だからそこのトイレの使用は避けよう、なんて話は幾らでも聞く。
シス男性による公衆浴場でのホモフォビアはなくはないと思うんやがな、どこどこのサウナはハッテン場だから怖いみたいな会話は聞いたことある
いや、川崎だかどこかであそこははってんばだって噂が立って客が来なくなっていう風呂屋がそういうことはやめてくれって張り紙出したって話あったじゃん。
ってのがあるが、これは「あそこ行くのやめよう」という話であって「男湯に入ってくるなと言った」話じゃないよな。
もちろん、あそこはハッテン場だから、などと利用を避けようとするのは差別であり、認められるべきではない。ゲイが多い浴場だろうが普通に利用するべきだ。その意味で、男湯でのゲイ差別がないなんていうのは嘘だ。
でも、「ハッテン場と噂された浴場の利用を避ける」という行為と「トランス女性は女湯に入ってくるな」という行為は、同じ差別でもぜんぜん違うよな。どう考えても相手の行動の自由を縛り追い出そうとしている後者の方が悪質だろ。
「あそこの銭湯はトランス女性が普通に入ってくるから行くのやめよう」くらいになってようやく男湯のゲイ差別と比較可能になる。入る権利を認めようともしない現状は悪質な差別だ。
創世記によれば 、神はまず天地(宇宙)を作り、そこに光をつくった。
そして2日目には空を、3日目には大地と植物を、4日目には太陽と月と星をつくった。
5日目、神は魚と鳥をつくられたあと、6日目には獣と家畜、そして神に似せた「ヒト」を作られた。
そして、神は7日目に何をつくったか。
サウナを暖めているサウナストーンに香りの入った水をかけることで湿度を高め、体感温度を高めながら香りを楽しむこの行為をフィンランドではそう呼んでいる。
そして今、夜更けのタクシーの室内球が点灯したかのごとく薄暗いサウナ室のドアを開け、1人の熱波の送り手「福永さん」は現れた。
サウナストーンに水がかけられると体感温度が急激に上がっていき、部屋中がアロマの香りで満たされていく。
俺の期待もまた高まってゆく。
子供時代にこっそり持ち出して遊んだライターのように、小さくて高いエネルギーと高揚が押し寄せてくる。
そして福永さんは手にしたバスタオルで発生した蒸気を室内に行き渡らせる。
福永さんはサウナストーンのある僕の左側から徐々に右側に熱波を送っているので、普通であればドライヤーに当てられるように一面だけが熱くなるはずだ
また暖かい空気は通常高いところに登って行くので、頭や耳は熱く、一方足はそれほど熱くないように感じられるはずだ。
だがおかしい
俺の右半身が温まってきている
福永さんが俺の正面に立つ
彼のタオルさばきから生み出される巧みな気流の流れはいっさい皮膚を焼かない。
自然に自分の肉体と精神が温められ、雑念が一枚また一枚と剥がされてゆくのだ。
どうしてこんな暑い部屋にいるのか?どうして自ら苦しい目に合う必要があるのか?
そのような雑念はすぐに消え去り、ただその恵みを受け入れることだけが己の心の中に残ってゆく。
ちなみに神が7日目につくったものがもう1つある。
水風呂だ。
刀鍛冶が湯入れの温度を繊細に見極めるように、まずは身体の汗をかけ水で流し、そして一気に全身を突き入れる。
水深170cm、熊本の土地で磨かれた天然水の水風呂はまるで羊水のように火照った身体を抱きしめる。
その水風呂にただいっぽん垂らされる荒縄を握りしめ、天から降り注ぐ天然水の滝を受け止める。
もはやなにかを考えることなどない。
釈迦如来に垂らされた蜘蛛の糸を見つけたカンダタのように、無心で水と自分だけの世界に没頭するのだ
身体が芯まで冷えたところで水風呂から出る。神がつくったこの星の隅っこへ置いてある、白いプラスチックの椅子に腰掛ける。
まぶたが重くなり、体の力が抜け、自然と息を吸いたくなる
そして昔の出来事や遠い宇宙のことなどが過去や未来とひとつになったかのようにとめどなく、無尽蔵に思い出されてゆく。
大学の時は木星の研究をしていたなぁ。新しい天体や事象を見つけてそれに名前をつけたかったなぁ。人はいつか死ぬし、死ぬまでの間に爪痕を残したかったなぁ。そういえばホスピスにいるばあちゃんは立てなくなっちゃってたなぁ。実家で着ながら家事をしてたセーターに着られてる小さくなったばあちゃん。母親は次は何日にどの親戚が来るか、毎日伝えてばあちゃんの気力を繋いでたなぁ。もしかして無理矢理頑張らせてるんじゃないかって不安になってた母親をデイケアのマネージャさんが励ましてたなぁ。頑張らせてるんじゃないんですよ。ばあちゃんは自分の力で頑張ってるんですよって。
俺の意識が肉体のことを忘れて飛び回る。
細胞と細胞を繋ぐシナプス。銀河を飛び回るニュートリノ線。主よ。人の喜びよ。
この浴場にさっきまでいたお腹の大きいおじさんも騒ぐ高校生も、店員すらもここにはいない。
自分の中心たるイデアがまっすぐ、自分を内包している世界とリンクするのだ。俺は今宇宙と1つになって、そこから何かを得ているのだ。
ありがとうばあちゃん、ありがとう木星、ありがとう芥川龍之介、ありがとう旧約聖書、ありがとうイソップ、ありがとう子供の落書き帳。100円ライター。ありがとうギリシアにアテネ。
この快感をサウナ愛好家たちは「ととのう」と呼び、また最高のトランス状態を求めて日夜研究を惜しまないのである。
全てを終え、服を着てサウナの外に出る。
全てが整理されて視界と考えがクリアになる。
さて。
https://anond.hatelabo.jp/20190112150155
とても良い意見だと思う。
お気持ちにしてもおおよその男女双方の意見が合致すればそれは社会的意思となるわけだが、今回はそれが合致せず、一部女性がトランス女性を排除する意思を表明しているためにこじれている。
・力の強い存在と裸で同居するのが根源的恐怖(「小学生男子でも嫌」「吉田沙保里は構わない」という意見があるので本質ではなさそう)
答えは簡単で、彼らは既に「自分を性的対象としている」「男性器を持つ」ゲイ男性と入浴を共にし続けているし、それに対する抵抗感など示したことが一度もないからである。
全人口のおよそ10%程度が同性愛者であるということが広く知られているが、これによると大衆浴場に入ればかなりの確率でゲイ男性と共に入浴することになる。これは避けることができない。
男性と言っても力の強弱は当然あるわけで、ガタイのいいゲイ男性なら弱い(若い・幼い)ヘテロ男性をレイプすることは「理論的には」可能であろう。
しかし銭湯・温泉は公衆の場である。大衆の門前で性暴力、レイプが始まるか?と言われるとそれは限りなくNOであろう。(そんなことがあれば周りの人間が黙っていないわけで、即現行犯逮捕となる)
ヘテロ男性はこのことをよく知っている。そしてゲイ男性も、当然ヘテロ男性をレイプしない。性的指向がどうであるかと性犯罪に走ることは関係がないからだ。ゲイ男性=犯罪者ではない。
この前提を個々人が踏まえているかどうかはともかく、歴然とした事実としてヘテロ男性はそもそもゲイ男性を排除したことが一度もない。当然のこととして受け入れているのである。
恐怖どころか普段特別に意識したことすらないであろう。それこそが本当の意味で「受け入れている」ということになる。
そりゃゲイ男性視点からすれば性的に興味がある対象の裸が並ぶわけだから、性的関心を向けられる、性的興奮をされる、「視姦」されるくらいはあるかもしれないが、その程度好きにさせてやれという心持ちなのである。実害があるわけではないからだ。
つまり防犯の意味で男女を分けているということではなく、結局「お気持ち」なのである。
ことシス男性については公的な施設からマイノリティを排除しようという性的差別心はほとんどない。
ここでの最終的な論点は、シス(ヘテロ)女性が差別心を手放し、マイノリティを受け入れるかどうか、これ一点に尽きる。
例えば先進国ドイツのサウナは男女混浴であるが、それによる問題は特に起こっていない。
※2019/1/13追記
『「女湯におけるトランス女性」という性自認の問題に対し、「男湯におけるゲイ男性」という性的指向の問題を配置するのは非対称では?』というブコメがあった。
実際にトランス男性(未工事で身体は女性)が男湯に入って良いというルール、社会的寛容が醸成されトランス男性が入ってくるようになったとして、嫌がる男性客がどれだけいるだろうか?
現実問題、実在する混浴温泉にいるのは男性ばっかなんだからどっちが寛容かなんて説明しなくても気づくことだと思い、省略していた。
奥さんと喧嘩して追い出されて数日が経った。あっちはあっちで本気でこちらに死んでほしいっておもってるからね。仕方ないね。
でもマジで死んだら元も子もないというか、そもそも家賃も食費も払えないしさ。仕事のあるうちはネカフェとかに泊まってたんだけど全然眠れなくてしんどいし、さりとてホテルは高いし寒波で外は死ねるしで仮眠室付きのサウナにきたわけさ。
大浴場にきてサウナしてきてぼうっとしてたら、目の前の看板にボディシャンプーって書いてあって、まあようは垢すりなんだけど、ここ数日風呂にも入ってなかったしちょうどいいかなーって思って受けてきたわけですよ。
なんかもうブラシでゴシゴシされるのは半ば物扱いされてるみたいだなーと思っていたらアホほど垢が出てくる。それで仰向けになったら股間にタオル被らされるんですね。まあそこはおれと奥さんしかさわったことないというか、触らせちゃったら別のマッサージになるからね。
こんながしがしマッサージしてもらって千数百円って安くない?え、チップ?払うよ払う。
そんなこんなでおわってぼーっとした頭でこれ書いてるからだいぶあたまアレだけど、とりあえず奥さん泣かせといてこんなんしてる時点でどうかしてるんだよな。まああちらはあちらでひとりのほうが気楽なのかもしれないが。でもまあ年明けまでにはなんとかするよ。
夢の中で大学の大講義室で座ってて2つ左隣に知り合いが座っててどっか行きそうだったからオレもついてこと思って立ち上がったら空気がサウナっぽくなっててそのせいかどうかしらんけど夢の中なのにすんごいめまいとたちくらみがしてふらふらしながら待って待ってと言ってる夢
夢占い調べたら
弱気なココロを示します。自信をなくしていたり、臆病になっていませんか?ついついマイナス思考になりがちのようです。そんな弱さが運を逃がしてしまいそうです。時には強気に強引さも必要です。何事にも積極的に活動的に行うことが開運のカギとなりそう!今は弱気は厳禁!プラス思考を心がけて!
自信を突き崩すような、ショッキングな出来事を経験するかもしれません。
冒頭でもご紹介した通り、血は生命力や活力を表し、その貧血によって足元がふらつく夢は、激しいエネルギーの消耗を意味します。
もしかしたら、沢山の時間と労力を費やしたのに、思うような結果が得られないなどの落胆するような場面に遭遇するかもしれません。
ふーん
未だに女を捨てている芸人の代表格と称されているモリマンなのだが結局限界を感じ故郷の北海道に戻ったし。
浜田と全裸でサウナに入るまでした森三中大島は鈴木おさむが最終的には救済。(黒沢の劇太りもこれが絡んでるんだろう。)
ものまね番組で異様な体の張り方をしたしのざき美知も早々と結婚退場。
間近でダウンタウンとウンナンを観てきた野沢直子も最近になって「自信がなくなってNYへ逃げた」と告白。(今思えば篠原涼子とYOUが凄かった。とはいえごっつはこの二人すら完走出来なかった)
オアシスの二人も大久保がフェイドアウト気味に一般企業で働いてた時期もあったし、大病後の光浦はある程度のセーブをしながら仕事をしている。
やはりというか女芸人が行く道もたくさんの屍の上で成り立っている気がしてなあ。
4日目
慣れてしまえばどうって事ない
目を覚ましてカーテンを開けると、結露のモヤの向こうに広島の晴天が広がっていた。
窓の外には気持ちの良い冷気があるのだろう。
東京から南に移動したとはいえ、同じ日本なので11月の気候にそれほど大きな違いはない。
今日がこの旅では広島で最後の朝、昼には新幹線で博多に向かう。
初日に否定的なレビューをしてしまったホテルだが、古い設備もバストイレ別の狭い部屋も慣れてしまえばどうということはなく、フロントは丁寧だし、サウナも使えるし、立地も便利だしで、これで1泊あたり3,500円ならコスト分の満足は超えていると思う。
実際、2泊通してフロントには出張族と思しきスーツ姿やツナギを着た現場仕事の兄ちゃんが引っ切り無しに訪れており、底堅い需要の存在を感じさせた。
洗い場の排水も改善された大浴場で朝風呂を浴びてホテルをチェックアウト、清涼な空気を吸いながら、遠回りして広島駅へ向かう。
と、スマホで地図を確認していると、広島城が案外近い事を発見した。
平和記念公園と宮島で観光の時間を使い切ったと思ったが、この距離なら新幹線の出発前に回れそうだ。
江戸時代以前の城は火災や戦争などで城そのものは失われてしまっていることが多いのだが、広島城は戦後、天守閣が復元されており、中は歴史博物館になっていた。
海運の要衝として発展した広島の歴史、築城した大名、城内や城下の暮らしなどの展示を見た後、登っていくと、ショウケースの中に幾振もの日本刀がその刃に輝きを湛えて横たわっていた。
チェックアウトの前にニュースサイトをチェックして目に留まった件がある。
全米ライフル協会が医師の発言を揶揄するツィートをした事に、医師たちが猛反発し、抗議のツィートが全米で広がっているというニュースだった。
全米ライフル協会のツィートには「なんでこんな無神経なことが言えるのだろう」と、瞬間 疑問に思った。
アメリカの選挙に影響を与える資金力が良く話題になる全米ライフル協会だが、それを支えるのは「銃を持つ事を肯定する思想と無数の感情」だろう。
アメリカは「政治が暴走した時に民兵が蜂起して正しいアメリカを取り戻す」という思想の元、市民の銃の携行が権利として認められているという。
でも、そういった政治思想より「銃を取り上げるな」という感情が個々人の心になければ、銃の携行はここまで生きた頑強な権利として存在し得ないと思う。
銃社会でない日本にあって、その想像は難しいと思ったが、日本刀を説明する時「侍の魂であり、日本の誇るべき美の結晶」という様な言われ方をするのを考えれば、わかる気がした。
アメリカで銃が民政の象徴として説明される様に、日本刀も忠義や克己の象徴として思想的な説明が試みられる。
しかし、銃も刀もその道具としての核心的機能は「暴力の行使」だ。
「自分を脅かすものや気に入らないものを暴力で排除できる」という自信が携行を望む個人の心の核心にあるのだろう。
侍の帯刀も銃のオープンキャリーも「それを取り上げられたくない」という感情の根は共通である様に思う。
ただ、それを本当に人に向けるとはどういうことなのだろう。
日本刀の分類上、刃渡り60cm以上は太刀や刀に属するという。
展示のそれを見てもはっきり言ってリアリティがなかったが、すぐ側のショウケースの中にある脇差や小刀は普段料理に使っている包丁と大した違いはない。
「これを人に向ける?刺すのか、これで?本気か?」
膝がすくみ上る気がした。
俺には無理だ。
だけどすぐに次の言葉が心に浮かんだ。
「きっと、慣れてしまえばどうということはない」
コンパクトな予行演習
安さ優先の一人旅といえ、ユースホステルで眠れる自信がなかったので、予約サイトで一番安いビジネスホテルを取ったは良いものの、2泊7,000円のホテルは風呂トイレと洗面室は共用の上、冷蔵庫もなく、カーテンを開ければ階下に斎場というなかなかの感じで一瞬たじろいだ。
バス移動もコンパクトだったが、このコンパクトさも結構なものだ。
ともかく部屋に荷物を置いて、一旦2日後の新幹線の切符の購入と夕食の為に広島駅へ向かう。
日はすっかり暮れていた。
広島駅で切符を購入し、尾道ラーメンで腹を満たした後、ホテルに戻る為、煌びやかな夜の広島を歩く。
「ホテルに戻りたいっていう安心感は旅に結構重要なんだよな、高くてももう少しホテルを選べば良かったかな」と思いながら、夜風に当たっていると、長距離バスの疲れか眠気が襲ってきた。
一階に備えられた共同浴場は小ぶりの銭湯の様な感じで、「他に呼び名は無いといえ『大浴場』は盛りすぎなんじゃないか」と思った。
しかし、小さいながらもサウナも併設の浴場は、ユニットバスより余程つかれを癒すのにもってこいで、「サウナに個室の寝室がついていると思えばこれはこれで悪く無いかもな」と思い直した。
旅の最終日は大分の別府温泉だが、ここで一先ず先に湯治の予行演習だ。