はてなキーワード: よかった探しとは
ベスト10を選んだ以上ワースト10も選びたくなった。何度も言いますが選出基準は独断と偏見です。
何百年も前の古典を独自解釈でアレンジしまくるのは全く問題ないし、『銀河英雄伝説』もある意味そういう「みんなが知ってて好きに翻案しまくる時代劇」枠になってきてるから大胆な改変が許容される感はあるかもしれないけど、精緻に組み上げられた現代の名作である『屍鬼』でそれをやるのはダメでしょ。ギルティでしょ。とにかく元になった漫画が原作改変でひどすぎるものだからそれを継承したアニメ版もひどい出来になっているという一例。これは俺が読んだ『屍鬼』ではない。本当にクソ。
テン年代最悪のアニメ映画と言っても過言ではない。クソ of クソを煮詰めたような作品。製作陣は頼むから原作をちゃんと読んでくれ。どうしてあの緊張感溢れるシーンが全部脱力系ドタバタコメディになってるんだよ。おかしいだろ……。ハラキリもんですわこれは。まずもって原作では知的な感じだった当麻蔵人をおバカキャラとして描く必然性が1ミリもわからないし、そのせいで毎度毎度イライラするし高速のサービスエリアで優雅にお茶飲んでんじゃねえよ。女装して総領事館に向かうという見た目おかしくて地味だけど緊張感あふれる良い遣り取りを頭お花畑のドタバタシーンに変えた挙げ句にドヤ顔で出てくる英国人。滅べばいいのでは? ほんと劇場で見た直後はあまりのショックで放心状態だったわ。返せよ……っ! 俺たちの愛した『図書館革命』を返せ……っ!
「観ない権利」? 楽しみにして観に行ってこのクソ映画を見せられたんですよ! TVアニメでも色々微妙な箇所はあったけどまさかここまで盛大にやらかすとは思っていなかったので……。TVアニメ版の段階から激しく叩いていた人たちの先見の明にはただただ頭が下がります。次からは製作陣の心が折れるくらい強く叩いていこうな。
……んだよ、意味が分かんねえ。1話をあそこで切っておいて2話をそう繋げる発想はなかった。他にももう本当に色々とすごすぎる。何なんだこれ。
些細な省略、些細な改変はもう仕方がないと割り切ったとしても、クライマックス、トァンのミァハへの思いを改変したのだけはマジでありえない。『屍者の帝国』(2015年)もかなり改変がひどかったし、伊藤計劃が死んだからって好き勝手しやがってふざけんなクソが、という感想しかない。
下げに下げた期待値の遥か下を駆け抜けていった奇跡の作品。好きなキャラが日常パートでキャッキャウフフしているだけで嬉しい、そんなふうに思っていた時期が僕にもありました……。日常パートでキャラdisをしてくるなんて思わないじゃん? カレー回が絶賛されてるのマジ腹立つ。あの回は足柄さん好きにとっては悪夢でしかないでしょ。金剛型の扱いもひどいし、他にも大井っちとかが好きなんですけど見事に……見事に……
まあ頑張ってよかった探しをするなら、あれだけ猛威を振るっていた足柄さん行き遅れネタがマジで観測範囲から一掃されましたね。いやほんと、アニメ化以前はpixivをめぐっていると必ずといっていいほど足柄さん行き遅れネタに突き当たり、自分としては解釈違いだけどまあ同人だから好きに描けばいいよな~アハハ~って流していたのだけれど、アニメ放映以降ぱったりそのネタが流れてこなくなった。みんなあのアニメ化後にそのネタをやらないだけの良心はあったんやな……というか行き遅れネタを描くような層さえもドン引きさせる公式アニメって……
けもフレ2に怒れるんだね。原作レイプを気にしない連中だと思ってた。だったらなんでその気持ちを少し……ほんの少しだけでいいからお前らが楽しんで見ていたクソアニメの原作ファンたちに、何で分けてやれなかったんだ!!!
短い尺に原作5巻までを詰め込もうとした結果として原作を改変したわけではなく単に省略するという手法を用いておりそれでどうなったかといえば原作の胸熱シーンや人物の丁寧な描写をゴソッと削ぎ落としそのくせキャラいじりネタだけはしっかり残してあるというどうしようもない出来になっていた。見始める前の期待感からジェットコースターのように評価が落ちていったあの残念感は忘れがたい。作画も声優も良かったんだから2クールにしておけば……。ともかく、山刀伐さんと鹿路庭さんが好きな人間にとってはちょっと許容値を超えた省略だった。
本当に許せない。原作無視の展開が多すぎて途中で耐えられなくなり視聴をやめたぐらいにひどい。何よりひどいと思ったのがアニメ版で理子ちゃん先輩の最初の個人戦での対戦相手が石澤さんになっていたことで、原作では勝ち進んでいた理子ちゃん先輩を一回戦敗退にする意味がわからなさすぎたし、石澤さんの方も神奈川トップクラスの選手なのに一回戦で格下の選手に見破られるくらいにはバックハンドが苦手という謎設定になっており、お前ら原作改変するならするで整合性を考えろよと。機械的に石澤さんと理子ちゃん先輩の原作での一回戦の相手の設定を混ぜちゃったんでちゅねー。馬鹿なの? 死ぬの?
というか割と転校直後にフレ女のみんなと打ち解けて愛され末っ子ポジションに収まっていたコニー・クリステンセンを北小町との練習試合までチームメイトとギスギスさせて多賀城ヒナちゃんに冷たい扱いをさせていたのはマジありえない……。志波姫さんの声優完璧だけど完全にフレ女がひどすぎてもうダメ。耐えられない。その後和解したからいいじゃんとかそういう問題じゃないんで……コニーが数ヶ月間あの塩対応をしてきたクソ女になってることが許せないんで……フレ女のみんなが何ヶ月もコニーとギスギスしてたことが我慢ならないんで……フレ女を舞台にしたノベライズが最高オブ最高だっただけにアニメ版フレ女のクソっぷりが際立つ……とりあえずお前らノベライズは読め。原作を読んで感じた「志波姫唯華が好き」という気持ちが「志波姫唯華好き好き大好き超愛してる。」に変わることは請け合う。はぁ、唯華先輩尊い……
なまじ作画や映像のクオリティがいいだけに叶わぬ希望を捨てられず最後まで観続けてしまったという点で残酷なクソアニメだった。姫様の都合の悪い命令には唯々諾々と従いながらもっともな命令には逆らう無能家臣、次々と安っぽく死んでいくキャラクターたちに当然哀惜の涙など流せるはずもなく、まったく理屈の通っていない姫様の台詞に説得されるステラにはご都合主義すら凌駕する何かを感じずにはいられなかった。そしてさんざん無意味な流血を描いておいてオチが「これは、遠い遠い星に生まれた、ある二人の女の子のお話」だったのはさすがに人が死んでんねんでと全力でツッコまざるを得ず、うん、ほんと、見た時間を返してくれ……
自分は(娘だが)父親に「あしながおじさん」を進められたときはこういう恋愛小説に興味がなく、なんでこんな他人(年上のお姉さん)の手紙をえんえんと覗き見などしなければならんのだとおもった。
今となってはもちろん、ツンデレなおじさん(金髪碧眼の若い男性である。執事にジャービス坊ちゃんとかよばれているええとこの子である)がとてもかわいいですねという生ぬるい目で見ることができる。
あと濫読家で妹がうるさい家だったので暇つぶしもかねて小学校中学校の900(日本文学・世界文学)のあたりはありったけ読んだ。
3冊まで借りられたので、シリーズ化してあればなんでも読んだ。(全集でないのは毛色が違う取り合わせになるので選ぶのが面倒)
ねしょんべん物語も落語全集も世界創成童話も南洋一のルパンもシャーロックもSF全集のトリフィドもコバルト文庫の氷室冴子も星新一も、まあ背表紙が同じ色の版型同一の本が棚に並んでいれば(そしてだれかに先に借りられていなければ)すべて読んだ。
しかし他人の「心理」とか「日常」とかを追跡する面白さは大きくなるまでなかなか感じられなかった。夢野久作なんか心の中の話しかしてないけどおもしろいので小学校で読んでたらショックだったかもしれないな。いやそうでもないか。
ルナールさんのにんじん、オチはそれでいいんかい。でも、ちょっとわかってしまった。2chから流行った毒親文学の走りだね。
小公女ポリアンナ、アニメはチャンネル権を主張する妹たちがいたために見ることはなかったけど、成人してから読むと強烈だな。「よかった探し」というミームをつくったのこいつやで。
赤毛のアンはテレビで見れた。今見ると馬車とかやはり宮崎動画だけあって木漏れ日とか子供向けなのにめっちゃがんばってる(そして低予算なのでたぶん子供の時はわかってなかった)
そのあとお小遣いが増えて漫画が買えるようになりSF系少女漫画やコバルト文庫も好きなだけ変えるようになり(少女向けsf漫画の出始め)、ウィングス創刊に立ち会った。ズッコケはたぶん自分が高校ごろでそのあと怪盗ゾロリとかでて自分の子供世代だとゾロリは全巻必修だったのかな。アンパンマンも地味な扱いだったと思う。今みたいなポケモンみたいなアニメ系作画じゃない水彩っぽい絵本がぽつぽつとでてはいた。児童だとバーバパパ、あと長靴下のピッピ、マガーク探偵団(これもなかなか長い)(しかし主人公が不細工で絵も今いち)
子供が特定の本を選ばないのは「長い文章がいやだ」「ふりがながふっていない」「文庫本は字が小さい」「挿絵が怖そうに感じられた」といった些細な理由だと思う。
追記、そういえばクレヨン王国シリーズは妹がたくさん集めていた。自分は誰も知らない小さな国シリーズ出てるだけ読んだくらいだなあ。
春コミで買った同人誌のいくつかがハズレだった。
10冊買って10冊全部が最高だなんてことはありえないと思っている。
言っちゃ悪いがプロでもなんでもない素人の創作物だ。そういうこともある。というか、そういう事の方が多い。
それを500円、1000円、あるいはもっとの金額を出して買うことを選んだのは自分自身であることもわかっている。
それでも500円あったら安いランチが食べられるし、1000円あったらいろいろできる。
金を払っているんだから私を楽しませろ、とは言わない。同人誌は個人の嗜好の発表会である。
描き手が妄想をかたちにしたものを、買い専の私は金を払って見せてもらっている立場なのだ。
しかし一方で、せっかく金を払ってるのだからその分は楽しみたいと思っている。
今回ハズレだった本は
・表紙こそ好みの絵柄であったが本文はそうでもなかった
・どういう話なのかよくわからなかった
といった具合である。
これをどうやって金額分の元を取るかといえば「よかった探し」をする。
・本文はそうでもなかった=表紙は好みだった
・オチが気に入らない=その直前まではよかった
このように考えるけれど、ネチネチした性格の私は「とかなんとか言ってもハズレはハズレ」という思考は残っている。
その思考をねじ伏せるくらい「ここがよかった」というポイントを羅列していく。
しかし言うほどぽんぽんと出てくるわけがない。出てくるくらい良い本ならそもそもハズレとは言わない。
それでもひねり出すためにどうするかというと、感想を書くのである。
最近は本の奥付に感想用フォームのQRコードを載せているサークルがある。
当然だが「お前の新刊買ったけど表紙に比べて本文が下手!表紙詐欺!」などという内容ではない。
「会場で思わず手に取ってしまうほど素敵な表紙でした!」と書く(この感想がいい感想かどうかは別だ)。
とにかく気に食わない点以外は全部褒める。
絵が好み。線が綺麗。話が上手い。描写が丁寧。タイトル付けが巧み。カラーの色使いが素敵。
ネタがなければ装丁を褒める。PPがかわいい、特殊紙がキャラにぴったり、本文色インクが話の雰囲気にマッチしている、とか。
とにかくほめる。ほめちぎる。目についた要素を全部ほめる。
もちろん自分に嘘はつきたくないので、絵が気に食わないのに「好みの絵柄です!」とは書かない。
感想を書くために目を皿にして長所を探し、実際に文字に起こし、誤字や失礼な言い回しがないかチェックする。
そうすると自分の中で「あれ、この本ハズレじゃなくね?アタリじゃね?」と思えてくる。
時間をかけて感想を書き、送信ボタンを押す頃には、ハズレの本はハズレでなくなっている、ことがある。
最近はTwitterアカウントも奥付に載っているので、鍵付でなければ感想を送ったあとでアカウントを覗きに行く。
すると「感想をもらえた!嬉しい!」とツイートしていることがある。
それを見て「私のようなネチネチした人間が送ったとも知らないで…」とニヤニヤしている。
初期条件で相手に満足できていれば、その後の生活で生じるもろもろの問題にも我慢しやすいんじゃないでしょうか?
費用と手間をかけるなら確度の高い方法がねぇかなぁ とは考えています。
面倒でさーせん。素直に、良い結婚相手と出会いたい と言ってるつもりでしたが。
無条件で「俺と結婚してくれるなら誰でもいい」とは考えられなかったので。
でもこれって普通だと思うんですが、ずれてる?
出会い系の方が真剣に探されているのを否定する意図はありません。
ただ売れ残り、性格に問題のある方、高齢者が多いイメージはあります。
理論的には好意の返報性というやつですね。よかった探しはしてみようと思います。
近くにいる子がいないので、そこをどうするかですが。
趣味サークルに参加しての接点増加は検討してみようと思います。
真面目に活動している方に「出会い厨ウゼー」と申し訳ないことになる可能性はありますが。
人は色々考えて動いていると感じるのですが
配偶者選ぶだけ何も考えずフィーリングという方は少ないのではないでしょうか。
相手を搾取して幸せになってやろうというのではなく、相互に幸せな家庭を築きたいので打算的とは何か違うと思いますが。
良い相手と出会いたいという考えを捨てるだけでは、出会い自体は増えない気がしますが。
リアルじゃこんなエゴイスティックなことはなかなか言えんのです。
あと同種のこと考えてる人もいるはずなので、どうしているか知りたかった。
一長一短というのではなく頑張ってよかった探しをすると一つぐらいはとりえのある候補者がいなくもないという具合だ。
全国の方もなあ。
僕は来るべき脱原発の日のため猛烈な技術開発が必要だと思うから、その資金を失わないよう今は原発を再稼働するべきだと思っている。
石油や天然ガスに311以前よりもっと依存したいのであれば、自衛隊に猛烈に金を突っ込んで輸送路の安全を確保する必要があると思っている。
じゃあ自民党かっていうと、幼女を守れない内容の児童ポルノ法やTPPでフェアユース無しに非親告罪化される著作権はまずすぎる。なぜならそんな雰囲気のヤンキー喧嘩祭りウェーイ状態の日本では僕が生きていけず死んでしまうからだ。
憲法をまるで理解せずにぐちゃぐちゃにいじってドヤ顔されてせっかく戦争で負けて手に入れた全体主義でない憲法をなくしてしまうなんて日本は馬鹿馬鹿しくて生きていけない。
じゃあ共産党とかその他で良い政党があるかといえば、ない。経済軍事エネルギーで全然ダメだ。
まあこんなのはいつもいつもわかってるんで、今回も一番マシというかとりえの多いとこに嫌なところに目をつぶって入れる。
お姉さんは誤魔化したり、嘘をついているのに、そこまで収集できるのってすごいと思います。
知人さんも妹さんに教えてくれるみたいですし、それって周りがすごく協力的って事ですよね?
元増田さんが本当にお姉さんが遊びに行くのが嫌なのでなければ
お姉さんが何故秘密にしなきゃいけないのか、を考えてみてはどうでしょう?
流石にそこまで調べ上げている、というのを急に本人につきつけるのは
信頼関係の上でもまずいと思いますので、
「自分たちはそれを悪いと思ってない、むしろ嬉しい」ってアピールしてみるのはどうでしょう?
お姉さんの不安定な所は家庭だけでなく、他所にも出ていると思います
知人さんは、お姉さんのそれを受け止めた上で付き合って、
しかも妹さんに教えてくれる、本当に心配してくれている良いお友達だと思います。
ただ、良いお友達という事と、遊び方がその家庭それぞれの良識に合うか、は、また別問題ですので、
そこはお姉さんが遊んでいる事を「隠さないで済む」ように方向付けるのがよいのではないでしょうか?
多分、これって子供のしつけと同じ…ですよね。
家にお金を入れない、手伝いもしない、というのは鬱になる前からでしょうか?
それとも、前はちゃんと入れていたのに、今は、という事かしら。
それによっても全然違いますよね。
料理じゃなくて、片付けでもお掃除でも、お姉さんが好きそうな事を分担するのはどうでしょう。
いきなり、これくらいやって!じゃなくて、ゴミ捨てとか一緒に行ってもらうとか。
家事とかって、一緒にやってると、自然と会話も出ると思うんですよ。新聞紙まとめるとか、洗濯物畳むとか。
逆に、もう口をあければお互いにマイナスの事しか出ない、というなら何の足しにもなりませんが…
お料理でも、一度は自分の家庭を持ったのだから、得意料理があったりしませんかね?
あと、直接お金そのものを入れるのではなく、買い物に一緒に行って、代金を出してもらうのも手です。
どちらも、ある程度、一緒に過ごす事が大前提ですが、
それがないとお金だけの話をする事になってしまい、
余計に難しいと思います。
携帯代は、少なくともご両親が出しているのが問題になっている原因のひとつですよね。ご本人が出さないのは何故でしょう。
お金を出すのが本人なら自分に合ったプランにも変更できるのでは?
借金は、具体的に「今出せる金額」から決めるといいです。
1万円でも2万円でもいいから。
金額や完済目的というよりも、返す癖・意識をつけさせる事が必要かと思います。
ただ、本当にご本人に返すつもりがあるのか
そもそも、ご両親に返してもらう気持ちがあるのか
勿論、返してもらう約束だったとは思いますが、そこは親御さんですから、余程窮しないと強く望めないのではないでしょうか。
そして、窮してしまってからでは多分遅いでしょう。
携帯、借金、生活費…と、元増田さんの悩みは、基本的にお金中心みたいですね。
一緒に暮らしていないと、お金の悩みって介入しづらいと思います。
もしかしたら、もうご結婚されてますか?
それだと、女性は余計に介入しづらいですよね。
できることといえば、ご実家(ご両親・お姉さん)との距離を密にして、注意をするのではなく、一緒にキッカケを作ってあげる事はできないでしょうか。
その時にお姉さんにも一緒にと声をかけてみるとか。
四六時中遊び歩いていていない!というなら、そもそも家事をしない、というよりも生活の時間帯が違いすぎて、できない気がしますが…
お金の話は一種ビジネスライクにもできますが、会話や家事、というのは良好な関係でないとなかなか進まないかと思います。
過去の事もあり、嫌な事ばかり目に付いてしまうかもしれませんが、
良い関係や良い事の「よかった探し」が、
悪い事を清算あるいは昇華するきっかけにもなると思います。
お姉さんが嘘を付かなくてもいい環境ができるといいですね。
じゃあ「オンナ心を読む」ことは「よかった探し」ではないし、「女に都合が良すぎる」ことでもないってのか?
そんなわけねーだろ。お互い様だっつの。
それは男の心理を汲むというよりは「よかった探し」なのでは?
ちょっと男に都合がよすぎないか?
別に書き手が男じゃなく女が同じこと書いても
「あ、この人はセックスがしたかっただけだな」って思うよ。
>元気になったら幸せになったの?
http://anond.hatelabo.jp/20070315175551の者ですが、回答。
「今、自分は幸せか?」「幸せになれるのか?」なんて考えが思い浮かばない状態にやっとなった。
元気になったら、「なるようにしかならないよ。HAHAHA」と気楽に笑い飛ばせるようになった。
ちょっと落ち込むことがあっても、よかった探しができるようになった。
薬を飲んでいたときは、失敗などの落ち込む要因は無理矢理忘れるしかなかったのに、いまでは自分の利にする方法を考えられるよ。
ここがいちばん大きく違ってるところかな。
あ、幸せって、「なる」んじゃなくて、「感じる」ものだと知った。
美味しいもの食べて「幸せ」、今日は金曜で「幸せ」、朝降っていた雨がやんで空気が澄んでいて「幸せ」。
週末は何の予定もなくて、自由に過ごせるから「幸せ」。
買ったけど、まだ読んでいない本がいっぱいあって「幸せ」。
こんな感じで、どうですかねー。参考になりました?
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ちなみに調子が悪くて死にそうだったときは、美味しいもの食べても「太って病気になりそう」、金曜で「今週は何もできなかった」、雨がやんで「帰り道滑らないかな」、週末の予定なし「誰からも必要とされていない」、読んでいない本「読む気力が無くて悲しい」とか、考えていたんじゃないかなー。
たぶんそう。