はてなキーワード: おめでた婚とは
全員が全員ではないが増田周りのオタク女が彼氏できた途端三次元の恋愛を勧めてきたり頼んでもいないネット仲人をやろうとするのでマジで何…?
増田の友人は彼氏ができた途端「恋愛はいいよ〜二次元のセリフ三次元でいっぱい言ってもらえるんだよ?なんで嫌なの?」とか言ってきたし
「彼氏がクズだってわかってるのに好きだから離れられないの…」という話に「いやクズだってわかってるなら距離置けばいいじゃん」とマジレスすると「正論すぎて増田ちゃんのとこちょっと怖い」と訳わからないことを言われた。
あっだめだと思って連絡を取らずにいたら別の彼氏と同棲3年でおめでた婚をしたらしい。
そのまま幸せになってくれや…。
こちらも彼氏が出来てから付き合いたての頃はオタク垢の割にTwitterで惚気が激しすぎてミュートしてたのだが増田がミュートしてる間にどうも仲の良い男女フォロワーの仲を邪推して仲人になろうとしてたらしい。勝手に。
しかもTwitter上で「○○くんのことどう思う?」と公開処刑で聞いていた。めちゃくちゃ恐ろしい。
彼女の場合はTRPGもやっているのだが恋愛RPに持って行くことが多くなったとも聞いて「ああ…」となんとなく納得してしまった。
相談してきた方は「付き合う前の性格に戻ってほしい…」と半泣きになっていたが3年これが続いているのなら多分無理だろうという気になってくる。
できちゃった婚をおめでた婚や授かり婚などと言い換えてからもう随分経つ。
この少子化の中で、でき婚/できちゃった婚について昔ほど叩かれることはなくなったように思える。
しかし、未だにデキ婚を叩く人たちがインターネットの片隅に、井戸端会議のその中に、マックの女子高生の会話に、ところどころで生息していることを観測する。
私は彼あるいは彼女らがどういう属性で何を思ってデキ婚を叩いているのか知りたい。
彼あるいは彼女らの属性としてまず考えれるのは童貞あるいは処女である。
これらの人たちが婚前交渉をした末にデキ婚をした人たちを叩くのは無理もない。偏見であるが5ちゃんで観測する人たちはここの属性が多いように思える。
自分たちは結婚まで我慢したのだからデキ婚はさぞ不潔に見えよう。
そして考えられるのは、子供がデキたら必ず中絶してきた/させてきた人たち。
あまりこの属性の人たちがデキ婚を叩くのは想像し難いが、デキても中絶することを信条にしていた人たちならデキ婚を叩いても仕方がないように思える。
同じように考えられるのはデキても結婚せずに生む人/生ませる人たち。
デキても男に逃げられた女だとしたら、さぞデキ婚が憎かろうし、デキても逃げてきた男だとしたら、デキ婚する奴は憐れに見えよう。
上記四分類の属性の人たちがデキ婚を叩いているとしたらまぁわかる。
しかし、中には婚前交渉をしているにも関わらずデキ婚を叩く人たちがいるのを私は知っている。
彼らは「自分はコンドームつけてるから」と避妊していることをアピールするが、日本で主流なコンドームによる避妊は完璧ではない。
たとえピルによる避妊を併用したところで100%完全な避妊とは言い難い。
それにも関わらず、たまたま自分が黒ひげに当たらなかっただけで、たまたま黒ひげに当たった人を烈火の如く怒り叩く心情を私は理解できない。
おめでた婚、と昨今ポジティブに言われるようになったデキ婚に対してわたしは根強い偏見を持っている。
なぜ、ゴムをつけるという至極簡単な避妊行為ができないのか。籍を入れる前に子供を授かろうと思えるのか。
小泉進次郎と滝川クリステルが結婚するという速報を聞いたとき、ああ、いい歳した大人でもデキ婚なのか、と少し失望した。ただ世間の風は少し違った。世間的に立場のある2人だから週刊誌等にスクープされる危険があるため、事後報告、というのだろうか、でも違和感がない。頑張ってほしいと。普段マイナスのコメントで溢れるヤフコメにさえ、祝福の言葉が目立った。
だが本当にそうだろうか。確かに政治家、フリーアナウンサーという職業柄、2人のプライベートは日頃から狙われやすく、もし見つかればスクープされるだろう。だから安定期に入るまで報告をしなかった、というのはわかる。だがこの理由で妊娠が結婚より先に来ていいというのは理論が飛躍しているのではないか。もしその理由で説明するあれば、すでに入籍をすませており、そして子供を授かった、と。そうすれば個人的には納得がいく。
そして今日、萩野選手とmiwaのデキ婚が新聞に載った。さすがにこれに関しては否定的な意見が多いが、本質的には小泉・滝川夫婦と何ら変わらない。なぜ同じ結果であってもこう反応が違うのか。もちろん世間的なイメージが違うからというのはわかるが、デキ婚の議論からすれば同じことなのに。
ただ、デキ婚だから家庭環境が悪く、結婚→妊娠の順序を守ったからそれが良いというわけではない。知り合いのご両親はデキ婚で、結果として3人子供を授かった。その夫婦はとても仲良く、子供の学校行事には夫婦で参加し、子供たちも両親のことを尊敬していて大好きだと言っている。わたしは冷めた家庭で育ったため、その家族をみると羨ましく思うし、すごいなと思う。
これがあるから妊娠のタイミングで今後の何かが決まるとは決して思わないが、わたしは順番を守り、そして笑顔あふれるあたたかい家庭を築きたい。
自分も友人も20代ともなれば、結婚や妊娠・出産は珍しい事ではなくなった。
高校生くらいまでは、出来ちゃった結婚? やおめでた婚? とやらに嫌悪を抱いていたくらいだが、
今は「当人達がよければそういうのもありかな」と思う程度になった。
まぁ、女の友人ならヤって捨てられるというのでなければ、責任を背負うと言ってくれる旦那さんでよかったと安心するし、
思うようにしている。している。しているのだ。
ただ、「出来ちゃったから結婚して産んで育てます」と言う彼らに今でも聞けないことがある。
「どうして避妊しなかったの?」
出来ちゃったと言うのはそういうことだと思っている。
それ以外の要因があるのであれば教えて欲しい(レイプとかは論外。別の話)。
お金もかかる。時間もかかる。自分だけの命じゃなくなって、負担も増える。
『出来ちゃったから』と産んだ子供を育て、その子供の人生をほぼほぼ決めるのは産んだ人間なのだ。
それが全てとは言えないが、子供がどのような人間になるかにおいて、
周りの環境というのは多くのウェイトを占める。
自分はそこそこ貧乏な暮らしをしてきたので、お金が無いせいでやりたいこともやれなかったり、
無計画で産んで、その子供を養って満足に育てるだけのお金の余力や計画があるのか?
いい暮らしを、いい教育を、いい思い出をとなれば、それに更に上乗せされるのは言うまでもない。
しかも、一千万あれば良いわけではなくて、親2人もきちんと暮らしていかなくてはならない。
それに、自分が平均寿命まで健康で元気に生きられるかどうかは保証がない。無論、自分の家族も。
自分達の愛の結晶だって言って産み落として、子供は勝手に育つわけじゃない。
手間もかかる。上手くいかない事だってある。いっそ、子供が原因で夫婦仲にヒビが入るかもしれない。
子育てはお金がかかってリスクの高い趣味なのだという記事をどこかで見たが、粗方同意する。
そのリスクを全て考えた上で、背負えると思ってあなた達は『ソレ』をしたの?
「どうして避妊しなかったの?」という言葉が頭をぐるぐるする。
調べたり考えたり話し合ったりして、産んで育てると決めたのかもしれない。
自分が聞きたいのはそこじゃない。
『結果に対してどういう考えを持って決定をしたか』ではなく
『その結果に至る可能性があるのに、どうしてその行為をしたのか』なのである。
リスクや自己満足という快楽に、人間は抗えないとでも言うのだろうか。
辛いことや立ちはだかる壁に全部目を瞑って、素敵な未来だけ見たとでも?
高校卒業後すぐに就職した会社の同僚、Mちゃんの話をさせてほしい。
Mちゃんと私は、県立の商業高校を卒業して自動車の部品関連の会社に就職した。
高校時代のMちゃんとの関係性は、友達の友達くらいの間柄でそれほど深い関係ではなかったものの、就職後すぐに仲良くなった。
彼女はとっても美人というわけではないけど、ブスでもない。おしゃれと洋服が好きな70点くらいの女子だ(因みに私は20点くらいのブスな女だ)
彼女は明るい容姿とは裏腹にネガティブで、そこが当時無駄にポジティブだった10代の私と引き合った。
業務内の宿泊を伴う研修は必ず2人で行っていたし、慰安旅行でもいつも一緒だった。仕事帰りに定期的にお茶をしたし、先輩を交えてご飯に何度も行った。
取るに足らない無駄話や妄想話を何時間も続け、とても楽しかった事を今でも覚えている。
ただ、私は思う。Mちゃんは友達ではなかった、と。
Mちゃんと一緒にご飯に行っていた先輩は後に友達になれた。それなのに、Mちゃんとは最後まで友達になれなかった。
Mちゃんとの距離が離れていったのは、Mちゃんの結婚がきっかけだった。所謂おめでた婚、である。
MちゃんとMちゃんの旦那と私は同じ年で、セッティングされた飲み会で知り合った(因みにその飲み会は一言で称するとクソ)
Mちゃんはその時旦那を好きになり、数か月後めでたく付き合うことになった。
告白からの初セックスの流れを事細かに説明してくれたMちゃんの恥ずかしそうな顔は忘れられない。おかげで雨の日にタクシーに乗ることを数年間拒否したほどだ。
結婚式にも一応参列した。少しお腹が膨らんでいたものの、Mちゃんは純白のドレスがとても似合っていた。おめでとう、と当時の私は声を発せたはずだ。
Mちゃんは綺麗で、とても幸せそうに見えた。
ビンゴの景品でコンドームと精力剤が当たるような2次会を終え、私は帰宅するためにタクシーに乗った。見知った街並みを眺めながら、タクシーの中で声を殺して泣いた。
悔しかったのだ。結婚できない自分が。何かの烙印を押され、欠陥ができてしまったような自分が許せなかったのだ。
今となってはお笑い草だが、あの頃は結婚できない自分か最下層だと思っていたのだ。
結婚さえできれば、人間的に評価される。結婚できない自分は不出来であると。我ながら、小さな世界でしか生きていなかったと今なら思える。
ただ、その頃は全く思えなかったのだ。
結婚式から数か月後、Mちゃんから子供が産まれたとの報告があった。悩んだが、仲良くしていた先輩と一緒に赤ちゃんの顔を見に行くことに決めた。
地元から車を飛ばして数百キロ、1DKの荷物が多めのアパートの一部屋にMちゃんと子供がいた。
キラキラネームを多少かすったような女児の名前を伝えられ、口にするたび澱が溜まっていくように感じた。
決して子供が嫌いとかそんなことではない。子供に害はないのに、Mちゃんの子供というだけで何だか存在が不快そのものになった。
子供を抱いてみるか、と言われやんわりと拒否をしたのは、赤ちゃんという物体への恐怖心だけではなかった。
やわらかさやあたたかみに触れて、自分がちっぽけでみじめな存在だと再確認したくなかったからだ。
そして子供を産み、多少ふっくらして母となったMちゃんが心底羨ましく思えたのだ。
そうだ。羨ましかったのだ。
結婚、出産。自分には叶わない事をMちゃんはいとも簡単に手に入れた事に。
赤ちゃんを見に行った数日後、Mちゃんから来た御礼メールに返信をしてそれ以降Mちゃんとの連絡は暫く途絶えた。
それから約7年の月日が経つ。
その間、私には色々変化があった。
まず地元を離れ、首都圏に移り住んだ。様々な仕事を転々とした結果、現在は在宅で仕事をしている。
まだまだ雀の涙くらいの収入だが朝晩の通勤ラッシュと煩わしい人間関係から解放されることができ、とても快適な毎日だ。
そして数か月前、1年半同棲していた彼氏と結婚をした。7年前の私だったら結婚した事実だけでうれしくて死にたくなっていたかもしれない。
7年前の私に言ってやりたい。結婚なんて呆気ないよ、と。
あと、結婚しても大して何も変わりはなしないよ、と。
同棲からの結婚だったし、結婚しても引っ越すことなく同じ家に住み続けているし、結婚式も新婚旅行も互いの仕事の都合と飼っている2匹の猫と片時も離れたくないという理由でしなかった。
結婚に付随するイベントをほとんど回避し、浮いたお金で電化製品、家具、寝具を一新した。
家に居ることが多い私は、お気に入りのものに囲まれながら猫と昼寝することを何よりの楽しみにしている。
親からは、何度か孫の催促をされているが、やんわりと流し続けている。
Mちゃんは第1子を出産した2年後、第2子を授かった。今度は男の子らしい。
旦那が免許停止になり失職し、人に言えない仕事をすることになった結果「これまで経験したことのないような貧乏」に陥ったと聞いた。
どれほど貧乏かは知らないが、Mちゃんの父親は公務員で母親は専業主婦という比較的富裕層に属していたので、貧乏を経験したことがなかったのだろう。
Mちゃんは寿退社した会社にパートで復職し、時給950円で頑張っているらしい。おそらく、いまも。
これから子供が大きくなるにつれ、養育費が更にかかるんだろうな。大変だろうな、ってMちゃんのLINEのアイコンの中で笑ってる子供の写真を見ながらふと考える。
LINEで一応友達登録をしているが、連絡しあったことは一度もない。ただ、ブロックはしていない。Mちゃんもブロックしていないので、Mちゃん家族の成長をLINEのアイコンで確認している。
お金には苦労するかもしれないけどしあわせでいてほしいな、と今ならそう思える。
これに関しては、まだ答えがでない。おそらく一生でないだろう。
子供を産む人生と産まない人生、ひとりで生きる人生と誰かと生きる人生。選択するのは自分自身だ。
後悔はしていない、今は。
27女です。
誰も興味ないかもしれないけど、思うところを書いてみる。
自分となるといろんなことが茶番に感じて抵抗あったし同棲期間も長くて、今更結婚式するのなんて面倒!と夢のない事考えてた。
遠方の親戚に挨拶に回るのが面倒だから結婚式したほうが一度に親戚に挨拶出来て楽って話はよく聞くけど、
考えるうちに、どこかで親に対しての一区切りというか感謝を伝えたいという気持ちが芽生えてしまって地味にでも何かしたいなって思った。
家で手紙読んで花束渡すのもアリだしお金もかからないけど、今更と照れくさい。
■フォトウエディング
フォトスタジオや街でドレスや和装で写真をとって記念にするパターン。
訳あり婚(?)とかおめでた婚の人も多そう。
ただカメラマンの指示で見つめ合ったり手でハート型つくったり、
出来た写真を家に飾るのも、誰かに見せるのにはとっても抵抗が・・・
the結婚式っていう白無垢の古風な写真を残しておきたい気持ちは多少ある。
■二人だけでの挙式
もしくはハワイとかビーチリゾートでハネムーン兼ねてってのもコスパがよさそう。
でも二人で式ってところがまずピンとこない。贅沢な旅行という感じ。
■身内だけで海外挙式
まぁ楽しそうだけど、父母が若くないので海外挙式なんて想像がつかないし合わないというか。
費用的にも旅費を一部~全部負担したりご祝儀を遠慮したりあるだろうし
親戚を呼ぶなら仲の良い友達を呼びたいから、どっちもとなるとハードル高め。
■家族で挙式&お食事会
これは結構本気で考えた。最近多いらしいいわゆる地味婚。神前式もいいな。
でも親戚が遠方だと、時間をかけてわざわざ来てくれるんだから良いお料理で、お色直しもしたほうが良いだろうし、間を持たないから司会者もプロにお願い・・・
となると普通の披露宴と同じような金額になっていきそうな予感もしたし、
なにより旦那になる人が『友達呼びたい』と言ったのが親族だけっていう式が選択肢から消えた理由。
費用を惜しまずに親戚だけで料亭なんかで挙げたらアットホームで良い式になるだろうけど。
挙式に呼ばなかった親戚や上司を招待するならあるていどフォーマルにしないと失礼そうだし、
逆にフォーマルにしていくとどんどん披露宴のようになっていく。
会費、立食or着席、遠方からのゲストへのお車代、お色直しの有無、引出物の有無・・・
こういうのは、主催するカップルのリア充具合(人脈や雰囲気、プロデュース力)があって初めて楽しめる感じ。
『会費』というところで逆に失礼にあたったり?料理と金額のバランスも悩みそう。
遠方で呼ばれた人も困るだろうし。
北海道だと会費制が普通っていうけど1.5次会がもっと全国的に当たり前になればいいのに。
なんて事をぐだぐだ思いつつ、式場見学に行ったらあれよあれと一般的な挙式と結婚式の組み合わせに落ち着いてしまった。
しかもドレス試着したら意外にもテンションがあがってウエディングハイになりかけてる。
アメブロでもやろうかな。
先日、妻とできちゃった結婚の話になった。
私と妻は結婚3年目。そろそろ子供を作ろうと思っているタイミング。
私は「できちゃった結婚」に相当否定的だ。ましてや「授かり婚」だの「おめでた婚」だの、正直吐き気がするネーミングだと思っている。よくもまあ、それを周囲に公言して結婚式に自分の子供を座らせる夫婦もいたものだな、と。恥ずかしくないのだろうか。
その子供が生まれたら、親は、一生守って育てていかなければならない義務がある。それは精神的にも責任感という言葉で表現できるし、物理的にも、金銭的な見通しや将来の安定が少しでも見えてきたタイミング以降でないと、命を作ってはいけないと思う。結婚とはただ紙を1枚出すだけの約束事では無い。今の日本ではまだ、それは社会的な信用と子育てしやすい環境を得るための大事なステップだ。
できちゃった結婚を批難すると必ず現れるのが、「当人たちがその後責任を持って育てていけば良いのでは」「子供を養える金銭的余裕のある2人であれば構わないのでは」という意見だ。確かに、当人たちが精神的にも金銭的にも覚悟を決めるに越した事はないだろう。
しかし私がどうしても許せないのは、子供ができた「その後」ではなく、子供を作る「その時」だ。子供を作ろうと思っていなかったが、子供が出来た。だから、覚悟は後付けで整えた。そんな失礼な事があるだろうか。命に、自分の子供に失礼だとは思わないのか。生まれる前から我が子の尊厳を思いっきり踏みにじっているようなものだ。
できちゃった結婚のカップルが子供を作った「その時」、その2人の中で「子供を作る」=「命を作る」という認識は、決して一番ではなかっただろう。それよりも、「2人が愛情を深めたい」「避妊なしのセックスで快楽を得たい」「子供ができてしまえばその時はその時」「子供を作って既成事実を作ってしまおう」等の認識が、優先順位で上にきていたのではないか。考えられない事だ。
「命を作る」時に、「命を作る」が優先順位の一番でない。これがどんなに恐ろしい事か。どんなに失礼な事か。よくそうも軽々と命と向き合えたものだ。
子供を作るという事は、もしかしたらその子が学校でいじめられるかもしれない、大きな病気やケガに直面するかもしれない、もっと言えば生まれた瞬間から重度の障害を持っているかもしれない、五体満足じゃないかもしれない、はたまた将来犯罪者になってしまうかもしれない、その他沢山のリスクと可能性を互いに認識し確認し、その上で「命を作る」というステップを踏む事ではないのだろうか。
後付けの覚悟や環境なんか、何のフォローにもならない。「命を作る」その時において、その認識が優先順位の一番でなかった事が、私には信じられないのだ。理解を超えているのだ。というより、純粋に怖い。意味が分からない。どういう人生を歩んだらそんな優先順位設定が出来るのだ。それも、あろうことか2人そろって。
生まれてくる子供に、「あなたは作ろうと思って出来た子供じゃない」と、言わないまでもそういう認識を持って人生を歩む事に対する恐怖はないのか。
という事を妻に話したら、「他人がどうしようが私たちは今確かに幸せだし、そういう覚悟で子供を作ればいい。それだけじゃない?」、と言われた。その通りだ。頭が下がる。この割り切りが羨ましい。
手先が器用でやさしかった。
本だったらいくらでも買ってやる、と言ってくれて、
ずっと手元に置いてある。今も時々読む。
それ以降は父には今までいろいろ言われてきた。
確実に受かる私立高校、希望している公立と同じ位の偏差値の私立高校の
2つくらいを受けるのが主流(?)だった。
滑り止めなど受けなかったから、
そんなもんあるとは思うな、とか言われた。
勉強したい分野の研究室を自分のいる場所から通える範囲で探したら、
そこを第一志望にした。
俺は賛成しない。
母と、母方の祖父母は学費含め応援してくれた。
祖父母にはお祝いとして大きなお金を頂き、
なおかつ学費を貸してもらったけど、
借りた分は1年半くらいで一気に返した。
いろいろいわれたような気がする。
自分は複数人で開発を行う部署。
父はたった一人の部署。
しかも分野がまったく違うのに、
この人、何言ってんだろう?と思うようになった。
このままじゃ、いらいらしてうまく生活していけないな、
と感じたので家を出た。
恋人からはプロポーズされて、だけど恋人の配置換えや家の問題で、
なかなか話が進まず、そうこうしているうちにおめでた婚になってしまった。
そのおめでた婚になる直前くらいに、
疑わなかったらしい。
思い返してみれば、家を出てから、何度となく、
自分への断りはなかった。
何度もいろんなものを探した。
たまりかねてマジギレした。
だけど、おめでた婚の話で、とりあえずこちらが折れた。
その後こどもが生まれたが、こどもが生後3週間くらいのころ、
夜泣きがひどくなかなか寝てくれなかった。
泣きすぎで声が枯れていた。
孫かわいさで義理の実家がお嫁さんに言うアレコレ、みたいなことは一通り言われた。
医療従事者である父がいろいろアドバイスめいたことを言ってきたが、
お前は黙ってろ、と思った。
その後も何かといろいろこちらがムッと来るようなことを言われた。
かわいそうだと言われた。
私はこれを聞いて、冷静に、
そういった発言は控えてもらえないか、と伝えた。
母へ「復職について悩んでいるようだから相談に乗ってやれ」と言ったらしい。
母は、ここまでいろいろと自分と父がドンパチやりつづけてるのをフォローし、
なおかつ、自分(母)の実家でも、(母の実家の)本家の人間のように父が振る舞い、
親戚相手にドンパチやりつづけ、私の配偶者にまで気を使わせている現状に嫌気が差し、
離婚をしたい、と申し入れた。
そう言われて、その後懇々と諭す母の話を聞いて、初めて父は気づいたらしい。
今までの言動は、その場その場で終わっているものではなかったこと。
その場その場でいろいろと言われても、その後何にもなかったかのようになっているのは、
自分が好かれているからだ、と勝手に思っていたが、そうではなかったこと。
自分へはその申し入れの後にやっと謝罪が来た。
だが、これ以上配偶者まで巻き込んで付き合いきれない。
保育園へ入れるこどもが、ある程度会話ができるようになったとき、
自分たちでなんとか説得したことを
無神経に蒸し返すようなことを言われたらたまったもんじゃない。
家族を守るため、冠婚葬祭やこどものお祝い事など以外では顔を合わせたくない。
理解して欲しい、と伝えた。
今まで、優しかった父のことを信じていたけれど、
どんどんひどくなるばかりで、
もう付き合いきれない、と思ってしまった。
先生、と言われて、崇め奉られて、いい気になった結果、
父が嫌いな祖母と同じような性格の、
嫌味で誰からも疎まれる爺になった。
仲の良くない祖母とともに、疎まれて暮らしてくれればいいのに、
と思ってる。
使い切った分、残りの人生はさびしく生きてけばいいんじゃないかな。
父は後悔しているようで、
ここで追い詰めるようなことをたらふく言ってやりたいけれど、
一番追い詰めるのはこのまま無視だと思ってるので、しない。
すっきりしないけど。
なべ焦がしたり本当にこどもいるのに注意力というか、
いろいろ意識が散漫になってて危なすぎるんだけど、
追い詰めて追い詰めて、死ぬ手前くらいまでにするには、
これが一番効くんだと思いつつ。
配偶者にめぐまれ、こどもにめぐまれ、義理の実家にもめぐまれて、
自分は父のようにおごらないよう、幸せに暮らしたいと思ってる。
この血が目覚めることなく、幸せに。