手先が器用でやさしかった。
本だったらいくらでも買ってやる、と言ってくれて、
ずっと手元に置いてある。今も時々読む。
それ以降は父には今までいろいろ言われてきた。
確実に受かる私立高校、希望している公立と同じ位の偏差値の私立高校の
2つくらいを受けるのが主流(?)だった。
滑り止めなど受けなかったから、
そんなもんあるとは思うな、とか言われた。
勉強したい分野の研究室を自分のいる場所から通える範囲で探したら、
そこを第一志望にした。
俺は賛成しない。
母と、母方の祖父母は学費含め応援してくれた。
祖父母にはお祝いとして大きなお金を頂き、
なおかつ学費を貸してもらったけど、
借りた分は1年半くらいで一気に返した。
いろいろいわれたような気がする。
自分は複数人で開発を行う部署。
父はたった一人の部署。
しかも分野がまったく違うのに、
この人、何言ってんだろう?と思うようになった。
このままじゃ、いらいらしてうまく生活していけないな、
と感じたので家を出た。
恋人からはプロポーズされて、だけど恋人の配置換えや家の問題で、
なかなか話が進まず、そうこうしているうちにおめでた婚になってしまった。
そのおめでた婚になる直前くらいに、
疑わなかったらしい。
思い返してみれば、家を出てから、何度となく、
自分への断りはなかった。
何度もいろんなものを探した。
たまりかねてマジギレした。
だけど、おめでた婚の話で、とりあえずこちらが折れた。
その後こどもが生まれたが、こどもが生後3週間くらいのころ、
夜泣きがひどくなかなか寝てくれなかった。
泣きすぎで声が枯れていた。
孫かわいさで義理の実家がお嫁さんに言うアレコレ、みたいなことは一通り言われた。
医療従事者である父がいろいろアドバイスめいたことを言ってきたが、
お前は黙ってろ、と思った。
その後も何かといろいろこちらがムッと来るようなことを言われた。
かわいそうだと言われた。
私はこれを聞いて、冷静に、
そういった発言は控えてもらえないか、と伝えた。
母へ「復職について悩んでいるようだから相談に乗ってやれ」と言ったらしい。
母は、ここまでいろいろと自分と父がドンパチやりつづけてるのをフォローし、
なおかつ、自分(母)の実家でも、(母の実家の)本家の人間のように父が振る舞い、
親戚相手にドンパチやりつづけ、私の配偶者にまで気を使わせている現状に嫌気が差し、
離婚をしたい、と申し入れた。
そう言われて、その後懇々と諭す母の話を聞いて、初めて父は気づいたらしい。
今までの言動は、その場その場で終わっているものではなかったこと。
その場その場でいろいろと言われても、その後何にもなかったかのようになっているのは、
自分が好かれているからだ、と勝手に思っていたが、そうではなかったこと。
自分へはその申し入れの後にやっと謝罪が来た。
だが、これ以上配偶者まで巻き込んで付き合いきれない。
保育園へ入れるこどもが、ある程度会話ができるようになったとき、
自分たちでなんとか説得したことを
無神経に蒸し返すようなことを言われたらたまったもんじゃない。
家族を守るため、冠婚葬祭やこどものお祝い事など以外では顔を合わせたくない。
理解して欲しい、と伝えた。
今まで、優しかった父のことを信じていたけれど、
どんどんひどくなるばかりで、
もう付き合いきれない、と思ってしまった。
先生、と言われて、崇め奉られて、いい気になった結果、
父が嫌いな祖母と同じような性格の、
嫌味で誰からも疎まれる爺になった。
仲の良くない祖母とともに、疎まれて暮らしてくれればいいのに、
と思ってる。
使い切った分、残りの人生はさびしく生きてけばいいんじゃないかな。
父は後悔しているようで、
ここで追い詰めるようなことをたらふく言ってやりたいけれど、
一番追い詰めるのはこのまま無視だと思ってるので、しない。
すっきりしないけど。
なべ焦がしたり本当にこどもいるのに注意力というか、
いろいろ意識が散漫になってて危なすぎるんだけど、
追い詰めて追い詰めて、死ぬ手前くらいまでにするには、
これが一番効くんだと思いつつ。
配偶者にめぐまれ、こどもにめぐまれ、義理の実家にもめぐまれて、
自分は父のようにおごらないよう、幸せに暮らしたいと思ってる。
この血が目覚めることなく、幸せに。
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元増田です。 死んだと思うようにしよう、としてたんだけど、 どうにも難しくて。病気とかボケとかっていう発想はなかった。 誰か知り合いに聞いてもらえる話じゃないけど、 吐き...