はてなキーワード: 梅田駅とは
2005年4月に発生したJR宝塚線脱線事故から今年で13年が経過した。
13年前当時は、メディアでJR西日本の安全軽視がどうのこうの言われていたけど、あれから13年経過しても関西の鉄道事情は全く以前と変わっていない、というよりも2005年と比べてさらに悪化しているのではないか。
まず、事故があった2005年と2018年現在を比べてみると、関西地方の人口はさらに減っている。
大阪府の人口は880万人を維持しているが、兵庫県や京都府、奈良県の人口は13年前と比べるとさらに減少している。
これによって、JR西日本と関西私鉄との競争がさらに激化していることを示している。
関東地方と比べて、関西地方は「私鉄王国関西」と呼ばれるほど、JR(国鉄)と私鉄の競争が激しい。
広大な関東平野内に築かれている関東地方の鉄道ネットワークは、JRと各方面の私鉄路線が競合しない仕組みになっているのに対し、近畿地方は大阪平野を除いて周辺ベッドタウンが山地などに囲まれていて平野が少ない(六甲山地・大山崎の狭窄部・生駒山地・和泉山地・奈良盆地・京都盆地)。
そのため、JR路線と私鉄路線同士が近い位置を平行しながら通っていることもあるので、競争が激しくなるのだ。
2.JR京都線VS阪急京都線・京阪本線(梅田・淀屋橋~京都・四条河原町)
私は関東地方に住む人間であり、たまに大阪へ旅行や出張へ出かけるが、大阪の鉄道で一番驚くのが京都~大阪~三宮間を時速130キロで走る「新快速」の存在である。
一度、大阪~三宮間で乗ってみたことがあるが、速い速い。関東地方にも、新快速のような転換クロスシートの速い電車を作ってほしいくらい。
関東の鉄道はJRと私鉄の棲み分けがある程度出来ているので、新快速のようなモノは無いし、恐らく今後もできないだろう。
宝塚線の脱線事故の原因を突き詰めて考えてみると、あの「新快速」のような電車を作らなければならないほど、JR西日本は追い詰められていたということだ。
JR西日本が大阪駅に三越伊勢丹の招致を決めたら、阪急は自前の阪急梅田本店の建て替えをして三越伊勢丹を迎え撃つことになった。結果は阪急の圧勝で、三越伊勢丹は約3年で撤退したけど。
今になって考えてみると、脱線事故の元凶である阪急との戦争を反省するどころか、更に激化させていた場面を私たちに見せつけていたわけである。
電車内の痴漢を止め被害者のジッパーを上げて逃がした女性が犯人の男二人により電車から工事現場に連れ込まれ殴ったり鋸で脅され強姦された御堂筋線事件だ
犯人は「付き合っていた女に逃げられ、ムシャクシャしていたから」と証言
弁護人は「女性にも落ち度があった。逃げようと思えば、逃げられた」「周囲の人間が見て見ぬふりをしなければ、犯罪に至らなかった」と弁護
裁判官は「前途ある青年である」「同情すべき成育歴がある」と減刑した
梅田駅で小さな暴力、迷惑行為をなくすようスポットアナウンスでPR活動を行った
もし、めいわく行為の被害にあったら、ためらわずに大きな声を出してください。
勇気ある協力を……
すり・ひったくりにもご用心!
電車内での痴漢はもう許さぬ―社内暴力の追放を進める大阪府警は、痴漢一掃のポスター=写真=をつくり、二十九日からJR東海道線などで車内つり広告を始める。キャッチフレーズは「あなたの勇気 ありがとう」。
と記事にしている
当時はエロい中吊り広告は許されていたが「性暴力追放を主眼に作成したものですが、性を前面に出したくない。又放送にしても同じことです。よろしくご賢察願います」という理由で痴漢ポスターで性をイメージする単語を使うのが御法度だった
痴漢は犯罪ポスターは当たり前の事を何故主張すると思うかもしれないが
事件をきっかけにして出来た性暴力を許さない女の会が何度も鉄道会社に要求し
口頭での陳情に対しては、「僕も酒の席では女性の肩に手をかけることもある(から大したことではない)」「男性のお客様に不快感を与えるため掲示できない」「痴漢の対象になるので女性駅員は配置できない」、さらには「痴漢もお客様だから」といった説明を受けながらも何年も頑張り掴み取った物だった
埼玉生まれ、埼玉育ち。大学と就職は東京。で、転勤で大阪に住んだ。
これがまずあやしすぎる。
元増田の書いた内容で、関東について詳細な記述がろくになさすぎる。
あったとしても比較対象がおかしかったり、首を傾げる内容だったりする。
関東圏については知ったかぶりの知識で語ってる可能性が非常に大きい。
少なくとも、住んでた期間は大阪の方が圧倒的に長そう。
住んでみて、よかったところ、悪かったところ、イメージが変わったところ、ああ、大阪だと思ったところなど多々あったんで、つらつら書いておく。
これもデマカセなんだよね。
住んでみて悪かったところなんて全然あげてない。
あれは全部大阪を褒めてるだけ。
意外に街がきれい
綺麗なところだけ取り上げててアンフェアさがすさまじいよねこれ
あと、やっぱり大阪城はいい。高層ビル街の前に立派な天守閣が見えるのは、すごい日本的で、自分が外国人観光客だったら大喜びだ。 やはり東京よりコンパクトにまとまっていて、暮らしやすい。 ああ、やっぱ関西私鉄って存在感あるんだなあと感じた。
「やっぱり」「やはり」「やっぱ」
この辺りの表現って、もともと関西の方に軸足が無いと出てこない視点での語りなんだよねこれ。
なのでこの立ち位置の語りで関東生まれ関東育ちとか、絶対に嘘だと思う。
あったとしても元からかなりの大阪かぶれ、大阪信者だったとかでないと説明がつかない。
で、ちゃんと通りごとに住居表示が変わっているのにちょっと感動した。 「淀橋」を「西新宿」にしてしまった東京なんかよりずっといい。 谷崎潤一郎が好きなオイラは、鵙屋春琴の実家の薬種商がある「道修町」が、いまでも道修町で、製薬会社があったりすることに、ちょっとあがった。
通りごとの表示と、過去と現在の名称変更を比較していたり、比較対象がやはりおかしい。
あと最後の行の自分語りは単なる趣味の話でむりやり大阪を持ち上げてるだけなので、あのエントリ内ではただのノイズ。
やはり東京よりコンパクトにまとまっていて、暮らしやすい。 しかも、街が平らなので、自転車でも楽々。
コンパクトとか耳障りが良い言葉を使ってるだけで、ただ単にスケールが小さいだけじゃねえか。
この理屈を突き詰めると、山奥の小さな村がコンパクト最強伝説だかんな。
したら、埼玉の実家から都内に行くより近いくらいじゃんよ。
ここが一番違和感を覚える。
「じゃんよ」もあやしいけど、「したら」も怪しすぎだろ。
どちらも関東人が使う言葉じゃないので、出身地がさらにあやふやになる。
そもそも、転勤するような年齢の人間が使う言葉ですらねえじゃん。
私鉄が強い なぜ、阪急の梅田駅はあんなに立派なのだ。南海の難波もそうだが、デパートの建物に味があることもあって、ああ、やっぱ関西私鉄って存在感あるんだなあと感じた。 それでも、国鉄時代を知っている年配の人に聞くと、ずいぶんJRになって変わったらしいが。
こんなとこ関東の人が気にするポイントじゃないというか、そんなとこに注目するのは関西モンの特徴というか。
なぜ素直にお国自慢ができないのか。東京人に褒めてもらわないと胸を張れないのか。
ほんとこれな。
何かを褒めるときに、何かを貶す必要はないってどっかのブコメで最近見たが、
まさにこれな。
自分達の住んでるところが素晴らしいって思うなら、純粋にそのことだけを表明すれば良いんだよ。
関西人、特に大阪人と京都人の関東とりわけ東京へのコンプレックスはいつになったら解決するんだよ。
関西からやたらと目のカタキにされるけど、関東人は関西なんて基本アウトオブ眼中なんで
関東から注目してもらいたいが為に関東disを大声で主張し続けてるとしか思えないわ。
埼玉生まれ、埼玉育ち。大学と就職は東京。で、転勤で大阪に住んだ。
住んでみて、よかったところ、悪かったところ、イメージが変わったところ、ああ、大阪だと思ったところなど多々あったんで、つらつら書いておく。
なんだか、ごちゃごちゃしたところや派手派手なところばかりだと思っていた。
関東のテレビで映る道頓堀とか、「ヒョウ柄をきたおばちゃんが自転車で爆走する商店街」のイメージが刷り込まれていたせいかもしれない。
だが、淀屋橋から御堂筋あたりをぶらつくと、ずいぶんきれいな街だとおもった。御堂筋ほどきれいなオフィス街は日本にはそうそうないんじゃないだろうか?
中之島公園のあたりもいいし、靭公園あたりなんか、暮らしたら結構おしゃれそうだ。
あと、やっぱり大阪城はいい。高層ビル街の前に立派な天守閣が見えるのは、すごい日本的で、自分が外国人観光客だったら大喜びだ。
たぶん、金さえあれば、おいしいもの珍しいもの、いくらでも食べられるのが東京なのだろうが、安サラリーマンにはあまり関係ない。
東京だと場所と雰囲気にお金を払っているような店がたまにあるが、そういうのはあんまりなさそうだった。
この辺は、いわゆる〝大阪的”ということだろうか?
で、ちゃんと通りごとに住居表示が変わっているのにちょっと感動した。
「淀橋」を「西新宿」にしてしまった東京なんかよりずっといい。
谷崎潤一郎が好きなオイラは、鵙屋春琴の実家の薬種商がある「道修町」が、いまでも道修町で、製薬会社があったりすることに、ちょっとあがった。
梅田から心斎橋まで自転車で移動しても苦にならん。丸の内から渋谷へ自転車で移動する奴は、あまりいないだろうが。
昼間、スーツで自転車移動しているリーマンも東京都は比べ物にならないくらい多い。
なんとなく、京都とか神戸って、もっと遠いのかと思っていた。なんだろう、東京から宇都宮とか高崎へ行くイメージ?
埼玉の南部なんて東京ありきでなりたっているが、大阪、神戸、京都はあの近さでそれぞれ独立して成立している感じがすごい。
ま、実際は相互に通勤しているような人もそれなりにいるんだろうが。
来た当初は、京都が近いことに感動して、二週に一遍くらい、週末は京都に遊びに行ってた。
関東人は、「そうだ、京都、行こう!」って決心して旅行に出かけるところなのに、ちょっくら電車で行けるってのはよい。
なぜ、阪急の梅田駅はあんなに立派なのだ。南海の難波もそうだが、デパートの建物に味があることもあって、ああ、やっぱ関西私鉄って存在感あるんだなあと感じた。
それでも、国鉄時代を知っている年配の人に聞くと、ずいぶんJRになって変わったらしいが。
事前のイメージと寸分たがわず、むしろそれを強化しているのはテレビだ。
関西ローカル番組は、関東人の思い描く大阪を増幅させている感じがある。阪神そんなに好きか?
思うのだが、メディアは大阪を自ら作り出したイメージの枠にはめすぎなんだとおもう。
コテコテで下品で金勘定ばっかりしているのが大阪ってわけでもないし、文化だって東京(江戸)より歴史がある。
もともとは、近松門左衛門をうんだ町なわけだし、「細雪」に出てくる大阪なんて随分お上品だし、コナもんだの吉本芸人だののイメージは、戦後のある時期からメディアが刷り込んできたもんじゃないのかなあ?
なお、個人的には、そういう単純な「コテコテ」でない、「お上品」と「抜け目なさ」が入り混じった「大阪」を体現しているのは、料理研究家の土井善晴センセみたいな感じじゃないかと、最近思っている。
http://anond.hatelabo.jp/20150709224843 の釣り認定について、野暮は承知で、思ったことをいくつか記しておく。
書いているうちに、もっと別のこと書きたくなって、こんなんもエントリしてしまった。
http://anond.hatelabo.jp/20150710214628
つくづく野暮である。
京阪の子会社が作った新京阪線(今の阪急の京都線)の地下線の西院駅 - 大宮駅間は1931年に開業。
鉄道省は、対抗して関西急電と呼ばれる、料金不要の優等列車を設定。1936年には、流線型の車体デザインの52系(流電)を投入。現在の新快速の礎を築いた。京都駅 - 大阪駅間を34分、大阪駅 - 三ノ宮駅間を25分。
大阪市営地下鉄の御堂筋線は、1933年(昭和8年)5月20日:1号線 梅田駅(仮) - 心斎橋駅間 (3.1 km) が開業。
開業当初、御堂筋線はわずか1両編成での運転だったにも関わらず、当時からすべての駅のホームが、将来を見越して 17 m 級車による8両編成に対応するように建設されていた。
さらにいうと、東洋初の東京の銀座線と比べると電車が一回り大きい。
近鉄の前身のひとつの参宮急行電鉄は、大阪 - 伊勢間130km超の長大電車路線を作り、1932年(昭和7年)には、上本町駅 - 宇治山田駅間を2時間1分で走破した。ライバルの鉄道省の準急列車は、3時間、鈍行は5時間かかった。20m級車体で最高時速110km/h、二等客車並のクロスシートが装備された。21世紀初頭の電車と遜色ない性能があった。
阪和線の前身の阪和電気鉄道では、1933年に超特急の運転を開始、阪和天王寺 - 阪和東和歌山間を45分で結んだ。表定速度81.6km/h。まじで速いよ。特急こだま号が登場するまでの日本で最速の鉄道だった。
戦前の話じゃないけど、自動改札機も1970年台には関西私鉄の主な駅にあった。大阪万博から続く未来がそこにあった。国鉄は人がきっぷにはさみを入れていたけどね。
ある日、昼で仕事を体調不良で早退して、御堂筋線に乗って家に帰宅しようとしたところ電車にいきなり飛び込む。
その後、怪我は頭に2箇所、全身打撲。警察と鉄道警察に保護され警察署へ。ダイヤへの遅れは出なかったそうだ。
警官2名に両手を拘束されて、ワゴン車のような車でいきなり2時間ほど大阪市中心部から走ったところにある
最初は診察室で診察。医師に「あなたはここで入院することになります」と言われる。
最初、ナースステーションの中にある、全面透明なガラスで覆われた部屋に案内される。お手洗いは、部屋の外。
お茶だけ飲んでつき返して終わる。
翌日ドアが開けられ、朝食だといわれロビーのようなところへ。
オーブントースターが置かれていて パンとジュースを渡される。
患者たちは仲良くみなで話し合って食事を楽しそうにとっているが。
ちなみに治療に必要な薬は時間ごとにワゴンにのせられて各々の病室に配られる。薬の管理は自分ですることができない形になっている。
そこで見たのは、老人の山。山。山。 老人ホームかと思った。
後でその老人たちには少々痛い目にあうことになる。
一般病棟にうつっても個室の病室なのでさほどかわらない。自分はお茶を部屋にいれ寝て過ごしていた。
スルト「ドンドンドンドンドン」とたたく音。医者の往診かと思うと違う。
まったく知らない老女が立っている「ここは私のお部屋なんですよ」とにっこり。
しかし部屋移動が行われていてネームプレートは私の名前になっている。その人は別の部屋になったのだろう。看護士を呼び、
そのまま誘導をお願いする。が ニコニコその老女は後をついてくる。「@@ちゃんが遊んでくれるって!」と
あとで聞いた話だが、この病院では老人患者(認知症)を多く抱えており。その認知症患者の世話を比較的若く軽症の患者に任せているそうだ。
実際この老女はずっと退院まで、お手玉だの折り紙だのにくっついていた。まさに金魚のフン状態。
どこにいくにもついてくる そんな感じだった。
しかし。精神的に私は検査を経て「統合失調症(破瓜型)」と診断されていたのですが 実際に「他人(老人)の部屋など見られるはずがない。
かなり疲れ切っているのだし、他人にまで注意はいかない。私のように、老人の世話を任されていた若い患者は数人いたらしく、みなやはり
一様に疲れ切っていた。老人によっては性的なことまで行おうとセクハラまでしていたという話も聞くし、深夜まで元気な老人は多かった。
そして老人の世話を押し付けられていた患者はみな一様に調子はよくなかった。自傷に走っていたものもいたし、首をトイレでつった人もいた
それでなくてもベッドでずっと休み続けている人も多かった。何より目がつかれきっていた。
自分もやはり疲れきってしまい、老人と唯一離れられるトイレで、ストッキングを使い、荷物をつけるひっかけ棒を使い、首を吊ってしまった。
意識はなくなってしまったらしい。数日その間保護室に入れられた。
保護室には老女から覗ける位置のドアがないため解放されることができた。
入院からまた2ヶ月ほどが過ぎたが、次々とやはり人が押し付けられてくる。
「@@さん(私のことは)世話が上手だからね~」冗談じゃねえよ。死ねよ。
胸を毎日執拗に触ったり下着の色を聞いてきたり服を脱がそうとする男性老人
などが私にはあてがわれた。
なお服を脱がそうとした男性老人は、私が怒りを覚えてしまい、頬をけりとばしてしまった。
そんな入院から3ヶ月。一応もう実家に帰るという形で入院の方を終えた
とはいえ、自力ではほとんどまっすぐ歩けず、もう薬の副作用で常に眠気が抜けず
症状は治まっていない状況だった。
※なおこの本人は。その後も療養生活を続け
昨日朝、11時ごろ 自力で農薬を飲み亡くなられたとの事です。合掌
http://anond.hatelabo.jp/20090728120227
携帯に何でも頼るのって実はしんどかったりもするんだよなー。
件の待ち合わせだけど、ハチ公辺りで待ち合わせとか、やっぱり具体的にどこどこって言っておかないと、いちいち面倒くさい。改札口付近だと思っていることもあるし、喫煙所の近くだったりすることもある。結局また電話しないといけないし、電話したってすぐにわかってくれないときもある。代々木公園近くだったときは電波がよくないみたいで、連絡がつきづらいときとかもあった。
携帯を忘れて人と待ち合わせをしたこともあるが、今まではなんとか無事に合流できている。時間に遅れないことと、待ち合わせが複雑過ぎないこと(もしくは以前に待ち合わせをしたことがある場所)であれば結構可能。
携帯を持たない親戚と梅田駅や大阪駅で待ち合わせをしたことがあるけれど、あの人の多さでも無事に合流できるからやれば出来るもんだ。
要はスムーズに会うことが出来るように軽く下準備をしておけば、ハプニングがない限りは大丈夫だったりするのではないかな。逆に準備がなければ携帯が必需になって、しかも結構面倒くさいことの繰り返しになる。ってことで、携帯はあくまでそういう意味では保険だよね。
遅れたから連絡すればいいってもんじゃないしね。5分10分の遅刻は十分許容範囲だし、それくらいならば連絡くれなくても別にいいんだけれど、30・40分とか遅れられると・・・ね。
個人的には待ち合わせの時に恐怖なのは、方向音痴だったり、連絡をちゃんと把握してない人なんだけどね。。。遅れる人はそういう人だよ。