はてなキーワード: 作用とは
自浄作用がないんでしょ。あってるじゃん。
ゲームは人間の感情を強く揺さぶるものであり、だからこそ楽しく、多くの人をひきつけている。その感情への影響力の強さは魅力であると同時に、危険でもある。ゲームは非常に強力なプロパガンダの道具として使うこともできる。ゲームの強力な感情作用は平和な遊びに留まっているからこそ尊い。そこに企業や国の政治的思惑が介入したとたんに、ゲームは卑劣な感情操作プログラムに成り下がる。
じゃあもしプレイヤーに暴力的になってほしいと考えて戦闘を過激にしたら、それは悪なのか?
暴力を助長するとかいう人はいるけど、実際にそうなるエビデンスは十分にない。ゲームをプレイしていくなかでプレイヤーは、制作者の意図とも表現とも関係なく、楽しみだけ享受していくでしょう。Epic を支持しろみたいに促されたって、自分の考えを自分に倫理観で判断できると思うよ。もしそうでないなら、むしろ判断力を養うだけの教育が足りないんだ。クリーンな環境で汚れに触れさせないで育てれば、親はラクかもしれないが、では判断力を培うために政治的闘争に向き合わせる機会を用意するつもりが本当にあるのか、って疑念がある(※いや増田がってことじゃなく一般的にね)。
オッパイの大きいキャラクターを出すことが女性を隷属させる傾向を作る、って問題になってたこともあったけど、人間はそんな風に単純に、感情操作されないと思う。APEX だってブラックライブズマターってバナー入れてたし、子どもをもっと政治に触れさせていっても良いと思う。企業だって欲望を持つものの集合体なんだ。隠したっていつかはバレるさ。
(この日記の内容はすべて投稿者の感情です。倫理や法律には詳しくありません。)
ゲームを政治利用したEpicGamesへの憤りが収まらない。
AppleとEpicGamesのストア利用手数料をめぐる係争が一週間ほど前に勃発した。自分はどちらの言い分にも一理あると思って、法廷で存分に争って決着をつければいいだろうというところで意見が落ち着いていた。
しかし、今日、FortniteでAppleを腐ったりんごと揶揄したイベントの開催が通知された( https://www.epicgames.com/fortnite/ja/news/freefortnite-cup-on-august-23-2020 )。私はこれが許せない。Appleをdisったことについてはどうでもいい。争っている相手は関係ない。自分が許せないのは、多くの子供も遊んでいるゲームを政治的プロパガンダに利用したEpicGamesの、ゲーム・エンタメ会社としての下劣な倫理観だ。
ゲームは人間の感情を強く揺さぶるものであり、だからこそ楽しく、多くの人をひきつけている。その感情への影響力の強さは魅力であると同時に、危険でもある。ゲームは非常に強力なプロパガンダの道具として使うこともできる。ゲームの強力な感情作用は平和な遊びに留まっているからこそ尊い。そこに企業や国の政治的思惑が介入したとたんに、ゲームは卑劣な感情操作プログラムに成り下がる。
TwitterにAppleの1984年風CMのパロディ動画をアップロードしていたのはまだ許せた。SNSで政治的主張をするのは問題ない(ゲームのキャラクターを使った動画だった事が引っかかってはいたが。例えば、企業の係争についてマリオが主張してたら最悪だと思うけど、同じようなことをEpicGamesはやった。)。だが、ゲーム内にまで企業の係争を持ち込んでプロパガンダを行うのは、ゲーム運営会社としてやってはいけない一線を完全に超えている。
EpicGamesがやったのは、子供が遊んでいる砂場に遊び道具に見せかけたピストルを持ち込んだようなもので、ゲームを遊んでいるだけのつもりの子どもたちは、EpicGamesのせいで知らず知らずのうちに政治的な係争の兵士にされる。
企業の目的が金儲けである以上、他企業との争いは避けられないが、そういう大人の事情はコンテンツ本体の中には持ち込まないのがエンタメを作る会社としての最低限の倫理観ではないのか。
将来子供ができたとしてもEpicGamesのゲームは絶対に勧められないし、自分も政治介入があるゲームで遊びたいとは思わない。Fortniteは少しやったこともあるが、さっきアンインストールした。ゲームを政治利用するEpicGamesの衰退を願っている。
こんにちは〜!
テレアポ2回目だよん!
パスが7件
受注が1件でした!
受注に結びつかなかったのでは?という結論に至りました。
例えば、30分と言われたのに1時間かかっただとか、
相手の熱量がある時間がすぎてしまったが故にクロージングが失敗しているような気がしました!
ここからは嘘なのですが、
改善策として、クロージングの時点でExcel入力がマクロになるようなものがあれば良いなと思いました。(作れないけど)
後、誌面での資料が欲しいと言われたのですが、断ることしかできなく、
明日会社の上司にラクスルとかプリントパックなどのサービスはできないのか聞いてみたりしたいと思います。
今後会社が大きくなるのかどうかとかも聞いてみようと思います。
後、僕は精神に異常があるタイプなので常にこの世の中を疑っています。
例えば、あなたがいる職場がどこに行っても同じ理由は、神が作用しているからではないでしょうか。
職場が成り立たないのは同じような人がいないとなり立たないからですが。
私は憑依体質なので、この世が非言語の中で神というシステムがあることを教えてくれたことを
知っています。
なぜを考えすぎたが故に、人を信じられない人間になってしまいました。
ミッキーマウスを見ると怖い。
普通の話をしていたかなって思った次の瞬間には神のような不確定なものを信じてしまうのです。
自分の嫌なこと嫌いなことがあると、そこに神がいる、神様のせいにする。それを信じられない、という状況に陥ってしまうのです。
後、何を話しましょうか。
論理的でない話ばかりですが。
そう、明日の話ですね。
例えば、30分と言われたのに1時間かかっただとか、
相手の熱量がある時間がすぎてしまったが故にクロージングが失敗しているような気がしました!
・人の名前を間違えない
・Excelはしっかり保存する!
・改善策として、クロージングの時点でExcel入力がマクロになるようなものがあれば良いなと思いました。(作れないけど)
後、誌面での資料が欲しいと言われたのですが、断ることしかできなく、
・明日会社の上司にラクスルとかプリントパックなどのサービスはできないのか聞いてみたりしたいと思います。
小学生のころ、子供会かなにかの行事で、近所にある通称「400年窯」っていう場所(地元は陶芸が盛んで窯がたくさんあった)で祭りみたいなのがあったんだよ
冬場で、けっこう人が集まってんだけど、これと言ってスペクタクルはなく、なんとなくウロウロしつつ遠くから聞こえるマイク越しの声を聞く、そんな感じのゆるい祭り
で、なんか分かんねえけどぜんざい配ってたんだよな ポリ容器に入った小さめのポーションでさ
俺は当時わりとアンコ嫌いで、受け取ったときはウゲッとすら思ったんだけど、寒い中口をつけてみるとバツグンにうまかったんだよな
あったかいし甘さが染みるしモチの食感は快いし、会場の片隅に立って田舎には珍しい人混みを見つつぜんざいを啜るのは本当に良い体験だった
たぶんぜんざいそのものが特に良いものだったってことはなく、ふつう程度だったとは思うんだけど、それにしてもうまかった
ありゃ何だったんだろうなあ 祭りが大事なのか野外であることが大事なのか
どっちもかなあ それとも子供時代特有の何かが作用してたのかな
だらだら書いてたら長くなってしまった。
書き手の感情を整理がてら書いてるので、暇つぶしにしかなりませんが。
-----------------------------
先月辺りまで「ルース」にはまっていた。
ルースとは裸石とも言い、発掘された原石をカットや研磨を施された石のこと。
ざっくり言えば指輪やネックレスといったアクセサリーの台や枠に取り付けていない、宝石単品のことだ。
宝石と言ったら高価というイメージだが、ルース全般をみるとそうでもない。
ワンコイン500円を切るものから、とんでもないお値段までピンからキリの幅がとても広い。
かねて鉱物に興味のあった私は、今年に入って間もなくルースの存在を知った。
手に届きやすいもので好きな色の石や誕生石を、少しずつ収集していた。
冒頭のはまっていたという過去形通り、現在は熱が落ち着きつつある。
他者から見れば些細かもしれない出来事が2つ、心にもやもやとして残ったのが原因だ。
1つ目。
カラーチェンジというのは、その名の通り照明の種類によって色が変わる。
良く知られているのは「アレキサンドライト」だろう。
個人的な所感だが、カラーチェンジは解りやすい変化から人気があるように思う。
先に挙げたアレキサンドライトだと天然かつ品質も良し、カットも美しければとんでもないお値段になる。
この時、私が購入したカラーチェンジのルースは普段あまり手を出さない価格帯のものだった。
なぜ購入に至ったかというと、それまで数回販売に出されていたが、希少性から入荷見込みがなく当面は販売機会がないこと。
そして色の変化がとても私の好みだったから。
これより前に別のカラーチェンジのルースも購入しており、とても満足していた。
ただそれまで購入していたルースより高価なものだったため、即決はしなかった。
人気のあるものから次々と完売していく中で、カラーチェンジのルースはまだ残っていた。
商品画像にある美しい色に惹かれ、財布の中身と相談した上で、購入に至った。
間もなく、他の購入品とともにカラーチェンジのルースが届いた。
すると同日に同じ物購入したある方の到着報告が目に留まった。
「変化後の色が違う」
驚いて画像を見れば、確かに商品説明時と異なる色に変化している。
確かに色は変わっている…ように見える。
というのも、色の変わり方が近似色(例えば緑から黄色、報告は緑からオレンジ)なのだ。
そしてライトを見続けていることでどんどん目が疲れて、肉眼では判断できなくなってしまった。
しかしスマホの写真では、ライト以外は同じ条件下で撮影していて、色はしっかり変わっている。
写真では変化していたこともあり、私は交換せずに手元に置いた。
当時はこういうこともあるのだと思ったが、何処かもやっとした1つ。
2つ目。
展示即売会は全国で「ミネラル~~」という名称などで催されている。
多数の出品ブースから巡り巡って、お目当てや掘り出し物を見つけるのはとても楽しい。
さて新型コロナ禍の折、各地のイベントは軒並み中止や延期となった。
緊急事態宣言が解除されてから次第に新型コロナ対策をした上で、少しずつながら展示即売会が開かれていった。
その中で、とある販売元が単独で数日間、即売会をすると発表した。
そのノベルティの1つがとても良さそうと思って、行く計画と予算を立てた。
行く日の前夜、様子はどうなのかとSNSで見て回っていると気になる言葉を見つけた。
「ノベルティが終了しちゃってた」
終了してた、そんな言葉は他には見当たらない。
各日で数を用意しているのか、と思って深く考えずにいた。
当日は、開場に合わせて到着したことでスムーズに買い物できた。
お会計もまだ数人目だったと思う。
だがレジ隣の陳列に希望していたノベルティは見当たらず、質問するとやはり終了していた。
ノベルティ終了について発表があったのは、私が行った日の夜だった。
【十分な数を用意していても、限りがある】
ノベルティを渡す立場にいたこともあるから、それはよくわかる。
予測を立てることは、とても難しい。
ただ今回は、ノベルティへの期待が大きかった。
帰宅後、購入品を並べて楽しんでいたが、残念な気持ちも隣り合わせだった。
比較的こまめにSNSを更新してくださっているだけに、早めにお知らせしてほしかった。
この2件によって、いつのまにかルースへの熱が落ちてしまった。
1つ目の販売元での通販はよく利用していたが、先月は購入していない。
2つ目の即売会は、また今月開かれるそうだが行く計画は立てていない。
希望していたノベルティがまた用意されて最後まで渡せるよう準備します、というけれど。
それでもあまり乗り気にならないのは、熱がなくなってしまったのだろう。
-----------------------------
https://togetter.com/li/1577231
ただし以下のようにも発言している。
「フェミニストというだけで、こんなにもひどい中傷が行われた」という主張をわざわざ裏づけ、被害者ポジションを強化するだけで、フェミニズムに対する正当な批判のイメージをも貶めているだけです。
この発言からイメージ戦略を意識しているように読み取れてしまい、少し不安がある。
「表現の自由側には自浄作用があるが、フェミニスト側には自浄作用がない」というレッテル貼りを次の戦略にしているのだとしたら、やっぱりいつもの青識さんだとなってしまうからな。
自浄作用が働いてて偉い!
マジレスすると,鎮静作用のある薬って作用機序がよく分かってないものが多い.ブロムワレリル尿素とか抱水クロラールとかね.
バルビツール酸系との比較という臨床上の要請と,神経科学の発展という研究上の都合とが歩調を同じくして研究が進んだベンゾジアゼピン系がむしろ例外.
ごめん
例え自体が何に対するフェミの反論かわからないから何言ってるかわかんねえわ
ざっくりした話ならば、国ごとの犯罪の様相は国ごとの事情によって異なるというのはほぼ確定的な事実だという点では藁人形であるフェミに同意する。
日本と世界各国を比べて、どう言った事情がどのように作用しているか一つ一つ示すというのは不可能だし要求すること自体が無意味
戦争で孤児が増えるような社会情勢レベルでのよっぽどのことがない限り、犯罪率との相関は示せないだろう
細かな規制や宗教的規範、道徳観がどう影響しているかなど示すことは不可能。事実から導かれるのは仮説考察の範囲に留まり真理には到達しない。主張が限界というのが科学というものの本質だろう
仮にそれが可能だというなら、やって見せて欲しいわ
徹頭徹尾お気持ち案件で、哀しい気持ちをどこかに吐き出したくてこうして増田に書き込んでいる。
「何を言ってるんだこいつは?」と思われそうなタイトルだけど本当にタイトルのまま。推しがとあるCPの二次創作で腕だけにされていた。以降推しをA、そのCPをABとする。
該当の作品を見かけたのは本当にたまたまツイッターのTLに流れてきただけ。腕って本当に片腕だけ描かれてて、その一本の腕がAの名前で呼ばれてて、Aとして認識されていた。(追記:片腕だけの状態で意思を持ってうごうご動いていた。原作のAは五体満足で、腕だけになっても動けるなんて設定は当然ない。あったらここでわざわざ吐き出したりなんてしていない)
あまりにもショックでちゃんと確認できたか自信はないけれど、話題にして盛り上がっていたのはAB界隈の数人だけというのがまだ救いだった。それでも、ただ「なんで?」という気持ちでいっぱいだった。腕って。なんで? もうキャラクターですらないじゃん。
ジャンルの二次創作全体に言えることだけど、原作での情報量がそんなに多くない作品だから、掘り下げが不十分なキャラクターは特徴の一部分だけを誇張して描かれる傾向にあった。Aもその内の一人だ。見た目と振る舞いでギャップのあるキャラクター。それを含めて私はAの魅力だと思って推しているけれど、そのギャップの大きさが一層誇大されて、ギャグ要員として駆り出されることが多かった。いやだなと思う気持ちも少しはあった。でもこれに関してはまだ解釈違いの範疇だと思っている。だから作風が口に合わなかっただけと思うようにして、その手の作品は見かけ次第ミュートなりで自衛していた。
だけど、腕だけという最早Aの原型すら留めていないものがAとして扱われているのは流石に解釈違いでは収まらないでしょ。と思うわけで。
嫌なら見なければ良いっていうのは本当にその通りだと思うから、初めに見てしまった時以降見てない。でも、腕をAと呼んでいた人にとってAは腕だけあればいいのかな、とか。顔立ちや口調、台詞、言動やデザインなど、Aの好きなところを切り捨てられたような気分になってしまって悲しくなった。今でも悲しい。なんでAのことを腕だけにして描いているんだろう。
Aの性転換や行き過ぎたパロディにも思うところはあるが、まだAの特徴や本質が残っているなら検索避けするとか注意書き置いた上で好きに楽しめばいいと思っている。でも今回に限っては、腕一本だけの状態のどこにAの要素を見出しているの? と思ってしまう。どうしたらそれをAと認識できるんだろう。いくら考えてもわからない。
流石に描いている本人たちに伝えるのは気が引けた。Aのことを腕だけにするような人たちとは話したくなかった。
仮に伝えたとして、嫌なら見ないのが一番だと思いますとか、全部幻覚なのでとか妄想ですとか表現の自由とか開き直られたら許せなくなると思ったのもある。
少し逸れるけど、嫌なら見るなって言う資格があるのは鍵アカだけだと思うし、誰でも見られる状態にしておいてその言い分は通らないでしょ。見せてるのはそっちじゃん。
正直なところ、鍵アカだけで盛り上がっていたとしても、Aが腕だけにされている事実にA推しとしては傷つくしひたすらショックなんだけど……だから本当にお気持ち案件でしかない。本当はAB界隈内で自浄作用が働いてくれたら一番良いと思うけど、期待しすぎるのも怖いのでやめておく。
この増田が盛り上がってた人たちの目に留まる可能性が無いとは言い切れないから、その時には悲しんでるA推しがいることを知ってくれたらと思う。
───────────────────
・追記1:なんとなく見に来たら思ったより反応あって驚いた。ジャンルに関しては某ゲームとだけ言っておく。あと、原作のAが好きで推している人間として「Aとも呼べないものがAとして扱われていること」にショックを受けて悲しんでいるだけなので、別に怒ってはいない。
・追記2:原作内でAにもBにも腕に関する特別な設定や描写、場面は一切無い(原作でそういう描写や扱いがあれば受け入れているし、その手の二次創作があっても当然だと思う)。ついでに言えばAとBに接点はほぼ無いし、原作内で会話したこともない。顔カプだから、という理由だけで唾棄する訳ではない。ただ、接点のないAとBをわざわざくっつけたならAとBでなくては成立しないものを描くのが道理だ(と思う)が、そのAの要素を殆ど無くしたことに疑問を覚えている。
「肝心のストーリーはどうだったのか」という意見も見かけたが、該当の作品はストーリーすらない小ネタ1枚絵だった。ぶっちゃけそのネタもつまらなかったから作品として面白味もなかったし、それAとBでやる意味あったか? とも思った。とはいえ此処で批評するつもりはこれ以上ない。
自由主義は金持ってるやつが無限に偉く、金持っていないやつは従えってなりやすい。
経済がきちんと動いている時は財サービスの需要が多く新しい商売のチャンスが多く、労働需要が多く労働賃金上昇と労働待遇の上昇が起きる。
だけど一度大規模経済危機を迎えると企業は保身に入り、金を溜め込み、設備研究投資をしなくなるので、不景気にある。なので新しい商売のチャンスが減り、労働者は買い叩かれ悪い待遇に置かれるようになる。
だから政府が一定経済に作用しないとならないというのが、1930年世界恐慌後の教訓であり、ケインズ社会主義だった。各種古物商関係の法律もそうだろう。