はてなキーワード: 一枚岩とは
https://anond.hatelabo.jp/20200223122336
草。
こう言うのが当時嵐は頭を下げて過ぎ去るのを待つような連中だったのやろうなぁ。
他の方も言われる様に今の若い人達はそのオタク趣味が当たり前のものになっているのに。
そもそもオタクって一言に言うけど、それこそ色々な人や趣味の別々の烏合の衆の集まりに過ぎないんだけどね。
そりゃ老害もいれば、今を生きる人もいるのも当たり前。
それこそ当時反対派が一枚岩ではなく、烏合の衆に過ぎないと言われていたのを見てもどういう事か判るだろうにねw
当時規制に反対していたオタクなんてそれこそ極々一部に過ぎない訳。
それですらこんなのだから一部を見てオタクが老害になったとか語るなって話じゃないの?
その漫画やアニメ、ゲームですら多種多様のジャンルがある訳でそれでこうだと言って結論付けるのもおかしいでしょ。
この増田だけが石原化が進んでいるだけであって、それこそリベラルに表現の自由戦士と揶揄される人達はそれに抵抗しているのだけどね。
一方で自身の表現の自由を嘯き、一方で耳障りの良い詭弁を弄し、著作権で関係ない第三者に対してネット規制をしようとしているダブスタをかました出版や漫画家は兎も角としてもだ。
両方ともコメント欄ですぐにゴリラが湧いている点もポイントが高い(笑)
https://togetter.com/li/1471498
草。
まあこんなもんでしょ。
きちんとフェミニストとツイフェミを区別しているのが素晴らしいとあるけど、日本のフェミニズム自体、それこそラディカルフェミニズムと純潔教育のハイブリッドでしかないから、ある意味においてはツイフェミ界隈より地獄そのものなんだけどね。
しかしこの界隈は魔窟だよね。
https://togetter.com/li/1471542
俗にいう所の腐フェミや(ヨ)界隈のリベラル連中辺りの思想の奴等とかかな?
オタクと言うか表現規制の反対派と呼ばれていたもの自体が、当時から言われているけど一枚岩ではないし、それこそ昔から後ろから味方撃ちをしている奴やら机の下に隠れていれば、嵐は過ぎ去るみたいな事なかれ主義の連中もいたので、その当時から変わっていないとも言えなくもないよ。
当時はそれをしていたのがネトウヨだったけど、今はリベラルや腐フェミってだけ。
またこの手のはオタクより政治成分の方が強い連中が特に多いね。
いずれにしろオタクや奴ら曰く表現の自由戦士からすれば敵よりも余程厄介な連中だけど。
これも当時の構図から変わっていない事。
シュタゲでいうところの300人委員会が世界を動かしているとか
そういうものを前提に話はしていないことを明示的に示さないと分からない人とは会話が成立する気はしないので
これで終わりにさせていただきますね
あなたの言いたいことは分かりました。しかしそれは陰謀論です。あるいは憶測です。
なぜそう言い切れるのか。それは、陰謀論というものは、可変的であるからです。
株式相場が上がった理由を解説するアナリストのように、いくらでも筋書きを後付けすることができます。
もちろん、その中には真実に近いものもあるでしょう。しかし、それは偶然です。
ほとんどの場合、その真実性はフィフティー・フィフティーと仮定した方が賢明です。
権力者側が都合のいいように法整備するという点は同意できますが、権力者は一枚岩ではありません。
ネット黎明期には「誰が言ったかではなく何を言ったかが評価される世界」「フラットに議論ができて正しい結論が導ける世界」などという期待がありましたが、どう考えてもそのような世界は実現できていません。なぜでしょうか。
答えは簡単で、みんなが馬鹿に構って議論すべき相手と議論していないからです。
ここで、あるイシューに対して賛成する陣営をA陣営、反対する陣営をB陣営としましょう。AとBには右vs左でもオタクvsフェミニストでも自由なものを入れてください。
このとき、当然ながらAもBも中身は一枚岩ではなく、多種多様な人間が存在しています。
ではここで、少し視点を変えて「より良い結論を出すための議論の場」を考えてみましょう。
学生なら部活のMtg、社会人なら会社の会議あたりを想像すればいいかもしれません。
このとき、「より良い議論」をするには複雑なステップを踏む必要があります。よくあるのは
4.それぞれの意見を表明する
5.各意見を整理し、合意している部分と合意できない部分を明確にする
6.合意できない部分について、さらにそれぞれの意見を表明する
7.目的に照らしてどの案が良いか、お互いに軌道修正をしながら検討していく
8.どうしても合意できない部分については多数決や委任、場合によっては保留などによりその場での結論を出す
という感じでしょうか。
このように、本来議論を行うには目的とゴールの一致、合意形成のための地道な意見交換が不可欠です。
ところで、話を戻してAとBです。ここには多種多様な人がいますが、ひとつの切り口として「より良い議論をしようとする人」と「自分の意見を言いたい/通したいだけの人」が存在します。
前者(仮に「賢者」と呼びましょう)は大抵の場合、留保や意見聴取を伴うために地味で穏当で目立ちません。後者(仮に「馬鹿」と呼びましょう)は極端な物言いと押しの強さがあり、目立ちます。
本来、より良い結論を導くためには賢者同士で話をするべきなのです。それは頭の良し悪しなどといった話ではなく、「より良い明日を作りたい意思」があるかどうかです。
ところがネットでは賢者は目立たず、馬鹿は目立ちます。そして、馬鹿の意見は粗が多いため非常に突っ込みやすいのです。
かくしてA陣営はB陣営の馬鹿を攻撃し、B陣営はA陣営の馬鹿を攻撃し、馬鹿はさらに注目を集め、議論は一向に深まらず、喧嘩と炎上がネットの華として十年一日の光景を続けるのでした。めでたしめでたし。
相対的に馬鹿の関与を減らす「代表制民主主義」や利害関係が一致するメンバーを集めた「法人」は本当に良くできた仕組みですね。
議論に向かないネットで有益な議論を諦めない私たちは頑張って馬鹿を無視して語り合いを続けましょう。
終わります。
https://president.jp/articles/-/32248
https://president.jp/articles/-/32248?page=5
しかしこの部分を読んでいるとまさにポリコレ棒を振り回す心理が良く判るし、そりゃ各国で逆に保守が台頭するのも良く理解できる。
何よりこれについてもほぼ失敗する事は確実だろう。
この様な押し付けがましい行為こそ今までのリベラルの行為であったし、そういう思想こそ毛嫌いされた経緯があるからだ。
今までも寛容を盾にして人権や平等を言いながら規制や思想の押し付けを行っていたのだ。
これが西洋的価値観になった所で何も変わっていないと言う所だね。
その点を全く彼等は学んでいないとしか言いようがない。
それに西欧社会ですら一枚岩ではないし、国家毎に考え方も違う。
それが他人種であれば猶更だし、力を持ち始める中国としてはこんな考え自体排斥する方向に向かうのはほぼ確実と言っても良い。
これこそがリベラルと言うか影響力を失いつつある西欧社会の断末魔であると読んでいて思ったよ。
そりゃグローバル化とやらは失敗するわけだ。
「性的少数者」自体意外と語が広い。立場や細かい多数派との違いは意外と多岐に渡る。
そもそもその辺の属性を一回抜きにしても、人間が2人そこに立っていたら意見が完全一致する方が少ない。
例えば性的少数者が普通かどうか・普通にしたいかの議論はわりかし盛り上がるし、意見も分かれるところだ。
男キャラと女キャラの恋愛を表すオタク用語である「NL」というのはノーマルラブの略称である。
この一言で「同性愛がアブノーマルだって言うのかよ!?」「男女恋愛=普通というのは時代遅れだ」「この単語が無くなるぐらいまで偏見をなくしたい」という人もいる。
一方で「でも多数派がヘテロなら、ヘテロが普通なのは事実だ」「そこまで普通になりたいとは思わない」「言葉狩りはしたくないなあ」というタイプも居る。
大きく分けて、普通になりたい人と普通でなくても良いという人がいる。
後者にも「でも同性婚制度は必要かな」「教育はあった方が良い」という折衷案的なタイプもいれば、それすらなくて良い構わないでくれと考える一切無しの人もいる。
先日、普通じゃなくていい派である anond:20191129143254 のような投稿を見た。
自分は異性愛者のくせに可哀想可哀想とよってたかってくる人間がうざい。
自分は折衷系の普通じゃなくてよい派なのだが、「わかる…」と思った。
別のトラバについているメサイアコンプレックス、これがそうなのだろう。
もう既にこれを表す単語があるのなら無知でごめんなさいなんだが、今回の投稿ではこいつらを「ヘテロメサイア」と呼ぶ事にした。
ヘテロメサイアは繊細チンピラとかお気持ちヤクザとか呼ばれている人種に近いと思う。
まあ意見はこちらに寄っているのだから有難いは有難いし、制度化には認知が第一歩という点においては重要な事だ。
ハッキリ言ってそれがすごくトラウマであり、上記の投稿に短くトラバとして纏めればよいものを長々と語ってしまっているのはこれが言いたかったからだ。
自分は前述の通り普通になる事に重きを置いていない派なので、普通じゃない事を前提にした発言をする。それがヘテロメサイアに見つかった。めちゃくちゃに叩かれた。
理解が足りない!ゲイの人が見たら悲しむだろ!この差別主義者!現代の価値観に適応できない人間は死ね!
色々言われたけど、どれもなんか酷い言葉だったというのは覚えてる。
面白い事に、それだけ罵倒された挙句に「ふーんまあ当事者なんですけどね」と告げると土下座の勢いで謝られた。
そうだよね。あなたはメサイア、可哀想な性的少数者を救う救世主なんだもんね。
ここで述べたヘテロメサイアに限らずフェミニストとかもそうだけど、最近ちょっとメサイアコンプレックスを拗らせてる人が多いんじゃないかなと思う。
メサイアは自分の欲求の為に人を利用する存在なので、救いの手を差し伸べたつもりの対象が本当に嬉しい事ばかりをする訳じゃない。昨今女性からフェミニズム批判の声が上がるのを見ていると似たようなものを感じてしまう。
こういうのが一番根っこは差別主義者なんだよね。
英語民間試験中止を叫ぶ人達は日に日に勢いを増し、正義面を厚くしてるが、必ず負ける。負ける。大負けする。てか、あいつらのせいで、国の大学への介入がもっと強まる。
以下、これまでのおれなりの説明。
天下の愚策である英語民間入試を政権のわがままとして押し付けられる以上、どう着地させるかで、文科省の官僚と国大協で妥協したのが、国立大学における英語民間試験使用の義務化。(その前だと共通テストの廃止、民間入試のみに移行の方が問題としては大きく、そこで戦線を止めたいという思いが双方にあったはず。)
全く使用しないと決定したら、どんな報復があるかわからない。個別大学で使用しないところが出てきても「それは大学の判断だし尊重する」でかばい切れると、双方は判断し、やり過ごす事ができるはずだった。
そして、ボールは文科省の官僚が持ち、政権とお仲間の民間試験業者と調整することで、換骨奪胎、面従腹背して事が済むというストーリーだった。
けど、文科省の官僚がお仲間の民間試験側との調整に大失敗。言うこと聞かないし、聞かせられないし、採点事務とか民間癒着もバレバレでやるしで大失敗、炎上中。スケジュールが遅れに遅れてるのは文科省の無能さだろう。業者が言うこと聞かないなら、金で引っ叩くか、業者の言いなりで突っ走れよ。まわりから非難されて日和るからグダグダになるんだよ!!
で、国大協側は、この政策主導側の東大が自分達は叩かれたくないと小早川秀秋。単に東大の五神総長が、まわりの学長からいろんなことで非難されまくったせいで、最後の最後でちゃぶ台返ししただけで、自学のことだけしか考えてないよ、あの総長。
そして、非常に良心的な教育関係者や高校生達による反対運動も活性化(この反対運動が2017年時点でここまで大きくなってたら通常ルートで引き返せたかもね)。
マスコミや野党もこの民間入試のヤバさというよりもグダグダさに気づき指摘することは始めたが遅すぎる(共産党は2019年参議院選挙の公約に反対を掲げてるから偉い)。
既にインパール作戦は始まっていて、正常なボトムアップ型の調整や意見具申では収まらない。
反対派は「国大協が入試での使用義務を外す」→「各国立大学が使用中止を決定」→「民間入試システムを崩壊」させるというルートを考えてるし、理があると思っているが、
「国大協が入試での使用義務を外す」→「各国立大学が使用中止を決定」→「文科省ら、国立大学には未来のための入試改革を行う意思がないとみなして、入試使用しないところには報復すると宣言」→「今後の入試制度は政権が決める」ぐらいはやるという可能性に気づいてない。文科大臣、萩生田だぞ、なんでもやるぞ。
大学内の「内ゲバ」を理由に国が個別大学に介入してくるストーリーは、ここ何年間の大学改革の議論を見てればわかるはずだが、反対派は、あくまで正義を貫けば正義が守ってくれるという考え方に固執しているのでたちが悪い。自分に酔いすぎてる。
文科省の官僚からすると、行くも地獄、止めるも地獄。国大協側は止めることでの報復が怖いし、今のまま行ったところで骨抜きはできてるのでダメージは少ない。双方は一枚岩ではないけど、それなりにお互いの空気は読めていてプロレスできてるので、ここが総合格闘技化することはないしできないけど、反対派が煽れば煽るほど、ここに分断ができてくることがわかってない。「敵の養分」と指摘される理由である。
民間入試の導入を止めたいなら、単に入試の公平公正を求める入試論の話では支持は広がらない。というのは、この問題の被害者は受験生、約60万人(過去のセンター試験利用者数から)。人口の0.5%の話。2019年の参議院選挙の得票数からしたら、N国党の比例数より小さい話。
政権を主導する人達からしたら、公平公正とか、入試の正当性とか、どうでも良い話。
「大学業界の権益化」してる入試に、自分達の手を突っ込めたという実績が欲しいから、何が何でも無理やり自分たちの決めたスケジュール通りにやらせるだろう。
だから、大学や文科省の官僚や試験業者が、どうやってもスケジュール通りにできるわけがないと通常ルートで叫んでも意味はない。
けど、反対派はあくまで入試論として反対論陣を張っている。院内集会で高校生を持ち出してたが、そんな意見なんて怖くない。「可哀想だね。生まれた年と場所が悪かったね。」で終わってしまう。多分、世のおっちゃんおばちゃん達も「入試にはある程度の不公平はあるだろう。我慢しろ。」というぐらいの認識でしかない。
本当に止めたいなら、入試の話じゃなくて、政権のハラスメントなんだ、これは入試だけじゃなくて、政権の横暴を止める戦いなんだと論を拡大してかないと一過性で終わる。文化庁の補助金停止デモと共闘するぐらいの発想が必要だが、そんな呼びかけしないよね。あくまで入試ワンイシューで戦うつもりである。N国を見て参考にしてるのか。
政権批判につなげることができて、広がりが生まれれば政権が日和る可能性はある。萩生田にはスキャンダルがあるから、安倍が荻生田を切り、安倍の英断という形でのストップはあり得る。
また、経団連に働きかけて、経団連としては入試で英語4技能は測る必要はない、高校と大学の教育がしっかりその方向性を向いているなら良いぐらいのコメントを引き出せば、ブレーキにもなろう。
けど、反対派は国大協前と文科省前で英語民間試験導入廃止のデモを行うことに固執する。
ただただ、大学の中と外に不信だけを積み上げて、天下の愚策は実行されるだけである。
必ず負ける。それは正義の問題ではない。ただただ、英語民間試験中止派は頭が悪いし、ヒーローヒロインのポーズを取りたいがためである。