2020-02-04

ネット議論ができないのは馬鹿に構うから

タイトル煽りですが本心です。

今日ネットでは議論という名の罵倒合戦が賑やかです。

ネット黎明期には「誰が言ったかではなく何を言ったか評価される世界」「フラット議論ができて正しい結論が導ける世界」などという期待がありましたが、どう考えてもそのような世界は実現できていません。なぜでしょうか。

答えは簡単で、みんなが馬鹿に構って議論すべき相手議論していないからです。

ここで、あるイシューに対して賛成する陣営をA陣営、反対する陣営をB陣営しましょう。AとBには右vs左でもオタクvsフェミニストでも自由ものを入れてください。

このとき、当然ながらAもBも中身は一枚岩ではなく、多種多様人間存在しています

ではここで、少し視点を変えて「より良い結論を出すための議論の場」を考えてみましょう。

学生なら部活Mtg社会人なら会社会議あたりを想像すればいいかもしれません。

このとき、「より良い議論」をするには複雑なステップを踏む必要があります。よくあるのは

1.議論目的とゴールを決める

2.目的とゴールの認識が違っていればそれぞれすり合わせる

3.たたき台説明する

4.それぞれの意見を表明する

5.各意見を整理し、合意している部分と合意できない部分を明確にする

6.合意できない部分について、さらにそれぞれの意見を表明する

7.目的に照らしてどの案が良いか、お互いに軌道修正をしながら検討していく

8.どうしても合意できない部分については多数決委任場合によっては保留などによりその場での結論を出す

という感じでしょうか。

このように、本来議論を行うには目的とゴールの一致、合意形成のための地道な意見交換が不可欠です。

ところで、話を戻してAとBです。ここには多種多様な人がいますが、ひとつの切り口として「より良い議論をしようとする人」と「自分意見を言いたい/通したいだけの人」が存在します。

前者(仮に「賢者」と呼びましょう)は大抵の場合留保意見聴取を伴うために地味で穏当で目立ちません。後者(仮に「馬鹿」と呼びましょう)は極端な物言いと押しの強さがあり、目立ちます

本来、より良い結論を導くためには賢者同士で話をするべきなのです。それは頭の良し悪しなどといった話ではなく、「より良い明日を作りたい意思」があるかどうかです。

ところがネットでは賢者は目立たず、馬鹿は目立ちます。そして、馬鹿意見は粗が多いため非常に突っ込みやすいのです。

かくしてA陣営はB陣営馬鹿攻撃し、B陣営はA陣営馬鹿攻撃し、馬鹿さらに注目を集め、議論は一向に深まらず、喧嘩炎上ネットの華として十年一日光景を続けるのでした。めでたしめでたし

相対的馬鹿の関与を減らす「代表民主主義」や利害関係が一致するメンバーを集めた「法人」は本当に良くできた仕組みですね。

議論に向かないネット有益議論を諦めない私たちは頑張って馬鹿無視して語り合いを続けましょう。

終わります

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