はてなキーワード: クラスタとは
http://anond.hatelabo.jp/20130621150557
ブコメ見てるとdisられてる(実際られてないけど)大喜利クラスタのほうが増田の真意を汲み取れてて、関係ない人がなんか自分が攻撃されたかのような反応してておもろい
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130620/p4
アリだと思います。
「どうやったら言うことを聞かせるか」は至上命題です。
今のちょっとでもキツ目の事を言うとバカッターや内部密告(エスカレーション)制度に
すぐに持ってかれちゃう現代では、このスキルを磨くことがPMスキルなんじゃないかと。
自分IT業界(しかも底辺が集まるテスト系ね)にいて常々思います。
なぁお前ら。この業界終わってない?
数年前までテストPressとか出てなんか流行ってる感あったけど。
オレ10年超細々とテスト関係やってきたけど、最近本当にひどい。
二言目には「開発戻りてぇ。オレはこういうことがしたいんじゃない」って言う、
簡単に和を乱す、
オンゲのアップデート日に平気で休む。
いや、オレもそれっぽくなったし、そういう奴嫌いじゃないけど。
そんなヤツに基本給6割やるためにオレ終電逃してるのかよと。
そんな奴らを、生かさず殺さずで言うことを聞かせるスキルってのは、
もしドラより貴重だと思うぜ~?
映画「奇跡のリンゴ」が好評のようです。私も見てきました。感動しました。
いっぽう、はてなのニセ科学批判クラスタ界隈では、この映画を見ずに「奇跡のリンゴ」のモデルになった農法を批判するのが流行っているようです。追従礼賛ブクマもたくさんついています。
http://d.hatena.ne.jp/locust0138/20130609/1370789361
http://d.hatena.ne.jp/locust0138/20130612/1371052702
http://d.hatena.ne.jp/doramao/20130618/1371549428
http://d.hatena.ne.jp/doramao/20130619/1371611793
これらは映画に対する評ではないのですが封切りに合わせたエントリーですから、映画を観てきた身として、これらの評を読んで???となってしまうところを指摘しておくのも悪くないかと思います。
まず、映画は何も農法を学ぶために観るものではありません。「奇跡のリンゴ」でいえば、阿部サダヲ、菅野美穂、山崎努、音楽:久石譲といった顔ぶれで観にいく人も多いでしょう。またもちろん、作品に100%のめり込めなくても観にいきますし、感動もできます。この映画はそういう映画です。「海上自衛隊全面協力!」という宣伝文句にあまり良い感情を持てない人間でも「灰原哀が出てるなら」で映画館に足を運ぶことはあるでしょう。
「感動している人間は思考力が落ちて大事なことを色々と見落とし、判断を誤るからです」とわざわざ赤字強調で書いている人もいますが、感動したからといってそうならない人間のほうが圧倒的多数です。アクション映画で感動した人がみな現実と混同するかといえばそんなことはありません。
「実話と銘打ってるから危険」――は? 映画「大脱走」は実話に基づいており、観た人は《多少は》本当はどうであったか気にするかもしれませんが、本格的に調べようとはまずしないでしょう。「実話に基づく」は基本的には映画を楽しむ際の参考として機能するだけです。また、シネコンだと関連書籍置いて売る、ということもあまりないかと思います。もちろん本屋では積んでありますが、映画見て出たところに本があるのとでは影響はかなり違うでしょう。
さて、映画「奇跡のリンゴ」についてはYahoo!映画の次のようなユーザーレビューが参考になるかと思います(固定URL表示できないので、投稿時間で示します):
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tymv/id344360/
2013/06/15 01:25:41
とは言え、僕自身鑑賞前は
突っ込んだ内容を想像していましたがさにあらず。
と簡単に思わせないところがよかった。農薬を使っている農家の方を
悪者に仕立て上げたら嫌だなとも思って見ていたのですが
この映画では、既存の農薬を使った農法を批判する箇所はほとんど全くと言っていいほどありません。まわりの農民、池内博之、笹野高史、ベンガルらも実はいい人です。
冒頭のナレーションでは
とあって、菅野美穂が農薬で苦しんでいる場面へと繋がります。しかし、このナレーション、言い換えると、農薬を使って作ったリンゴでも食べるのは安全、ということです(1980年代前半までだとこう言い切ってしまうのは言い過ぎではないか、という気もしますが)。
同様に、無農薬リンゴの利点について何か語られる、ということもありません――さいごの「おいしい」という以外には。
はっきりいって、この映画、主人公がなぜそこまで無農薬に固執するのか、という点では弱いと思います。ここまできたからにはもう止められない、というような言葉が何度となく語られますが、それは本人たちの事情です。
これらの点は製作側が、木村農法に対する批判をある程度知った上でつくったからではないか、と私は推測しました。今後、もし木村農法を批判するのであれば、映画のこういう姿勢を知っておかないとズレたものになります――というか上の批判はその典型。
言葉をかけなかった木だけ実らなかったというくだりは本人の書籍にもあるそうですが、映画でこういう「奇跡」だけいくつか押し出して「科学的説明」はほとんど付けないというのもダブル・ミーニングで、双方に配慮してるからだと思います。
映画全体でも、雄大な岩木山、リンゴの花の可憐さ、などの風景や原田美枝子、伊武雅刀らも含む家族愛、隣人愛が一番印象に残りました。人によってかなり違いはあるでしょうが、「無農薬のすばらしさ!」がまず刻印される人はそんなにいないと思います。(もちろん、そういう人もいるでしょう。ただ、映画館でみた客層でいうと、最初からそう思っている人が自らの信念を確認するケースの方が遥かに多そうです。)
ということで、映画を見ずに批評したり、それに追従ブクマを付けたりする人がおそらく想像してないことを述べておきます。
この映画見て、「無農薬」という言葉にそれほど影響されずに単純に、津軽りんごいいなぁ、食べたくなったなぁ、という私みたいな人はけっこう存在するのではないでしょうか。つまり、この映画が大ヒットすることで、木村氏だけでなく、(おこぼれとも言えますが)他のりんご農家にとってもプラスに働く可能性もそれなりにありそうです。―――もしそういうことになれば、それは既存の農法に対する批判を抑え、まわりの農家も良い人として描いたスタッフの心遣いのたまものでしょう。
最後は私からのお願いです。「農薬は安全」という人は、中国等の農薬やTPPについても必ず触れていただけないでしょうか?
良い映画でした。
「正義」「善意」ではなく、多くの人々は与えられた情報の範囲内で物事を判断するし、大衆に与えられる情報の大元の流れの人脈とか金脈とか各クラスタ間の
ネットワークがどういう流れを作ろうとしていて、勢力や対立クラスタ、情報攻撃力、防御力、知性の浅さ深さ、物語を作って大衆を誘導する能力、拡散力、共感力
など一つ一つの要素が情報ゲームの趨勢を左右すると知っておくと何かと捗る
情報におけるゲーム性については、とある市立大学の某先生が良いコラムを書かれていたので休日の趣味のバルザック『人間喜劇』シリーズ読書を中断してでも
日(仕事)
帰宅→家事→仕事準備→就寝→翌日早起き→ネットサーフィン(仕事に役立つ知識 交通情報 増田)→家事→仕事
平日(休日)
家事→ネットサーフィン→家事→ダンス、フランス文学読む クラスタ分類流れ作業 宝探し(鑑定団ごっこしに行く) 街に服を見に行く
http://anond.hatelabo.jp/20130606080237
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20130606080237
↑
このブコメな。
いやさ、あんなん(実はかなり居るんだけど)幻想だぞ
私とか、げんしけんの久我山をベースにみーたんの新人と私モテの黒木智子を足して3で割った感じだぞ
実のところ、げんしけん2のリアル波戸くんみたいな奴、かなりの数いやがるのが厄介でな
そ、それで、私みたいなホモショタ版クガピーの立場が無いのが、こ、困るんだよね(どもる)
あと、ホモ特有のリアル交流好き&容姿重視で、腐男子クラスタみたいなのは、如何にもリア充同士で固まってるしね
ネットはネットで、意識の高いはてなーやツイッタラーが「ジェンダーやセクシャリティ」を語ってるんだけど、どうしたものか「セクマイに理解があるクラスタ」ってのはオタク批判が好きで、セクマイはオタクに批判的みたいな風潮あるんだよな
それは他人の言動を「脅迫」「暴力」「勤務先への電話」等で押さえつけようとする行為
これを行ったもしくは行う事をwebでほのめかしている人やそれに賛同したり正当化している人達が目立つクラスタには
近寄りたくないし、その人達が行っている社会活動も正しさを隠れ蓑にした反社会的勢力と看做している
いくら良さげな事を言おうが共感できない
先鋭化してる人達に教育の「格差社会」というものを感じてしまう
影響力のある人の言葉をただなぞるだけの人たち、他人の作ったデータを刷り込まれ続けるだけの人たち
ネットの大衆意識が今何処に向かっているか狭いクラスタに閉じこもって空気の流れを読めない人たち
ネットの大衆が次にどんなパンとサーカスを望んでいるのか 与えるべきパンの種類とサーカスの演目を間違えている人たち
そういうのが分かっていれば、クラスタから抜け出して人から眉を潜められる行為をしなくて済むんだろうけどね
抜け出せないだろうよ 狭いクラスタ内での共感意識の気持ち良さからは
前に一度注目を集めた人がネットでの影響力を維持しようとどんどん過激な言動に走っていく行為についてダイアリーに書いた
ネット論壇で何かの意見を通そうとして常に影響力を保ち続けようとした結果が、大衆にコンテンツエネルギーを消費され尽くして
「過激さ」「惨めさ」までコンテンツとして提供してしまい、SAN値すっからかんになっていく人達を見てると常に物悲しい
女のスッピン、デブ(女はBMI22以上、男はBMI25以上)、ガリ、男のハゲ、男のチビ、ブス、ブサイク、無職、ニート、偏差値30〜40台、IQ標準未満、精神もしくは身体の病気持ち、障がい者
これらは同類。同じクラスタ。
ネットにおける社会運動のマッチポンプさにはいい加減うんざりしているんだよね
日本のアラばかり探す「アンチジャパンクラスタ」あたりの運動の流れとかドロドロしたところとか意識しなくても通りすがりに見えちゃう
新聞の地方紙は意外と侮れなくて、そういうマッチポンプの一端を普通の記事の中に盛り込んで読者に垣間見せてくれることがまれにある
主張例「〇〇が日本にこうこう言っているから云々」 垣間例「こういう学校を卒業して〇〇という機関の△△でXXの為に働いている□□さん」
世に良かれと思ってかえって物事を悪化させてしまう規制運動とか
さてはきみ、初代ポケモンの頃にでも友達からハブられたクチだなwww
まず、学校にゲームを持ってくることは最初から肯定されていない
理由は学業の場に相応しくなく、また盗難や破損や図々しくも他人の物を欲しがってハブにして嫌われるかわいそうな子が出るからだ
と同時に、家で放課後にゲームを持っていないから仲間に入れないというのは根本的に「ゲームが買えないという家庭の問題」であって「仲間たちが優しくない」とかそういう人格の健全性の類の問題ではない
ポケモンに限った話ではない、家にテレビがなければテレビの話題に入れないからテレビで盛り上がるクラスタに入れない
サッカーに興味が無ければワールドカップなんてちんぷんかんぷんだし映画を見なければ「面白いよねー」「かっこいいよねー」と言われてもわからないに決まってる
夏休みにどこにも連れて行ってもらえなかったのび太が海にいったしずかちゃんや山でキャンプしたジャイアンや海外でバカンスしたスネ夫を羨むのは当たり前の話だ
それは彼らが優しくないのではなくのび太(の家の都合)の問題なのは明らかだ
だがそれは友らが悪いのか? 彼らが何かを負うべきことなのか? 彼らが口をつぐんでのび太につきあうべきなのか? 答えは否だ
のび太の家の都合の咎がのび太自身にはほぼ無いのと同じように、他人の家の他人の子どもにだって無いに決まってる
まして楽しい話題なのに何故禁止されなければならない? のび太が居づらいというならのび太抜きで話すより他ない
そこで友達に「ボクにもポケモン貸して」と頼むのは勝手だがそれは拒まれて当然の頼みだということは常に念頭におくべきであって、それがわかってないから断られても断られてもしつこくたかることになってハブ沙汰になるのさ
小学生にそれを要求するのは厳しいんじゃないかな。中学生くらいになって行動圏が広がってからならわかるけど、小学生じゃ家があんまり離れてても遊べないし、もともと親しいんでもなければ他のクラスの子とわざわざ遊ばないし。
貧乏で買えない場合はそれでもどうしようもないけど、教育方針としてなら親が似たような境遇の子が多い、友達ができやすいコミュニティを子供に用意してやんなきゃいけないよ。
化粧や染髪が「普通になる」って、あれだけバリエーションのある装飾行為が「普通」になったとしても均一化はまずしないから
「化粧してるから仲間、やってなきゃハブられる」というより、めっちゃやるグループと適度にやるグループとやらないグループとかにクラスタ化されるだけ
本来接点のないような別クラスタ同士を無理矢理べたべたくっつけたり「学校の生徒」という枠でくくって同質扱いするから問題が起こるんだよ
3DSもそう、持ってないと遊べないかつ買ってやれないレベルの貧乏あるいは教育方針としてゲーム禁止なら
それはもうクラスタ違いと割り切って他のコミュニティを見つけるべきなの
そこへ無理矢理「いいなー貸してー」とか「ほしいーちょうだいー」とか「○○君ばっかりずるいー」とかやらかしてねじ込んでくるからハブにされるんだし
それを「金銭的理由で配慮!全員禁止!」とか言うのは「運動会はみんな手をつないでゴール!徒競走禁止!」ってのと一緒じゃん
何が原因で反応変わってるかって言ったら「猪瀬に味方するような奴だから」でしょ?
そんなことが人権より前に来ちゃうならもう人権なんか語るなよw
個人的に言っても
ここは原理主義的になってもいいから障碍者側を庇う一手だと思うけどねえ左翼なら
そうじゃなくて「店主の方が弱者だ」とかそういう考えを述べるならそれもいいよ
でもどっちでもないよね
はてサの一角であるid:sillyfishも認めてるように、大半が無反応、黙殺
「単に忙しいから」?
んなアホなw
こんな話対して興味ない俺でも目に入れざるを得ないぐらいこの話一色じゃねーかここ数日
これだけの露出度で人権マターど真ん中の話題がずーっとホッテントリ出し続けてるのに
わかりやすすぎんだよバーカ
ネット界は、「自分と似た属性の人」とネット友達になる可能性高い。
「自分たちの観測範囲内」「自分がフォローしている人」の女性のリアクションを観察して、
それを受けて「これが女性の総意だ。女性は皆こう言っている」とツイートする。
・・・何のことはない、自分の属性の女性意見を増幅しただけだったりする。
30代キャリア独身女性が「女性は皆●●と言っている」とツイートしていても、
不妊女性の「女性は皆・・・」の「女性」は、皆不妊女性だったり。
基本は、「お仲間同士のツイート交換」なんだが、
一言で言えばTwitterで自分の気に入らない事を言う人達の人格についてイナゴってたから、匿名や2chやまとめサイトをdisっても規制を訴えてもネットマジョリティクラスタの支持が得られないというか、イナゴの被害を受けてる人がいるのに「どっちもどっち」でしかみられないというか。情に流されて明らかにアレな味方(味方かどうかは分からないけど)の長年の書き込みを放置してたオピニオンリーダーの戦略ミスのツケが溜まった結果ってとこかな?
リベラルな誹謗中傷脅し系って人数は少ないけど、なんせ長年に渡って書き込み続けてるからネット経験値の少ない人にはSNSの横のつながりや共通する意見、過去の書き込みの積み重ねから他の人も同じような意見だと誤解されているのかもしれないね
そういう人たちとは一線引こうとしても、べっとりと味方面されて世間の目に巻き込まれてしまう人たちこそお気の毒だがもう「可哀想なキャラ」設定が上記な人々のお蔭で今の時代
通用しなくなってるんだよねー
やっとまともな夕食にありつけた
GWの合間に罵倒の投稿間隔が段々短くなってきた人を眺めながら心配しつつ
昔って見ず知らずの人とのやりとりは手紙が多かったわけで
手紙→電話→携帯→Eメール→SNSと発展していってやりとりの速度も加速していったわけだけど
やりとりの速度が加速すればするほど相手に対する思いやりとか敬意が損なわれていってないかい?
直筆の手紙だったら送る前に色々考えて手直しするけど、SNSは相手に直接バコーンと自分の感情を
ぶつける人が多いんじゃないの? しかも家族でも気心知れた知り合いでもない人に
そりゃトラブルわ 「幾ら狭いクラスタ内で正当化しようがどっちもどっちだよ~ん」で終わっちゃう
案外そこら辺の機微が分からなくてSNSの袋小路というか地獄に嵌っちゃっている人いるんでないのかな
と思ったGWでした