名前を隠して楽しく日記。
よくある中高年の洗礼じゃん
いまの社会的な男も社会的な女も、結局は男性優位社会におけるそれなので
どんなに平等を装っても「男」というだけで責任のようなものが付きまとう風潮があるし「女」には払拭できない従属性みたいなものが垣間見えるような世界における男・女でしかない。
そのような男女のままでいながらマイノリティ性を是正しようとするから矛盾が生まれるのでは。
男女平等社会におけるそれぞれの性はいまの男女のようなものではないはずで、今はただ合理的に説明でき納得しうるそれぞれの性のモデルが無いままにさまよっている感じがする。
続きも読んだけど、飾られる絵画は本物の絵の具のノリ具合、掠れ具合、紙の質感などなどの細かいところから躍動感が現れて、だからこそ高い金をかけてオルセーや大英博物館、ピカソ美術館までいく価値があるんだよ。本当に情けないな。
写真の平たいプリントを見て満足してられるんならそのレベルの生活でいいんだよ。東京なんか引き合いにしないで自分に適した生活を楽しく過ごしなさい。
今年度に40を迎える学年なんだが
そんな歳か、健康には気をつけないと的なことを思って調べてみたら
健康保険会社が調査した結果は40歳の死亡率は1000人に対して0.96人と出ているのに同年齢で関わってる人は100人そこそこのはずなのに2人も聞かされるとは。
さらに、高校卒業時は高校の近くの団地から通ってたが、親が家を建てて引っ越したことで卒業アルバムの住所にはもう実家はない。唯一知ってる連絡先の携帯もすでに解約済み…
大学の同期は普段なら毎年年賀に対する応答があるはずが、それがなく一瞬同期グループがざわついた。その後簡単な応答があり安堵したが…
本日昼、公衆電話からと表示された電話があった。何かと思ったら何度かお会いした奥様の声。残念なことに…だそうで。
詳しくは聞けなかったが、昨年末から体調が悪く、1月中旬に病気が発覚し闘病しながら仕事を続けてたものの4月から一気に悪く仕事も休むことになり…とのこと。
こちらは数年前から転勤し、葬儀の日程案からすると参列には有休休暇を取らないとキツいが、私自身が転職したばかりでそれは叶いそうもなく、向こうも家族葬にするということで弔電を出すことにさせてもらった。
弔電の出費は虚しい。GWなどの長期連休に集まって共に馬鹿騒ぎする金だったらどれほどよかったか…
すっごく単純なことをいうとですね、日本の企業って結局は「決裁権」なんですよ
つまり、何にお金を使うか決める権利を誰が持っているか、ってのを明確にするのが役職
「部長」が一部の小さい決裁権を「課長」(or 「次長」クラス)に委任していて、その決済があって初めて会社のお金が使える
当然、大きい案件なら「部長」、小さい案件なら「課長」を納得させないと企業のお金を動かせない
自分が見える範囲、人類の仕事のかなりは、ホントに意味あるんかな?っていうものに見える。
合意形成のために、あんなに時間を使って意味があるんだろうか。
今に始まったわけじゃなく、ずっと昔、今大河の舞台になってる平安時代の頃だって、今より不便だったのに、祈祷やら占いやら呪いやらで大忙し、侍ること、気の利いたことを言うこと、それが特級の仕事だった。
全く生産性がない仕事に思えるけれど、今だってかわりゃしない。占いや祈祷で合意形成ができたように、選挙や議論でみんなの合意が得られるから、そのために時間とお金が使われる。
全くもって不毛だ。
「togetterへの反応は、togetterに書こう音頭」
(サビ)
反応はそこで、しっかりと共有しようぜ
(Aメロ)
でも待って、その手を止めて
思ったことは、とぅげったーに残そう
(Bメロ)
画面の向こう、誰かが待ってる
(サビ繰り返し)
好みの性格の男、多分20代くらいは趣味か仕事に夢中で女に興味ない もしくは興味あっても奥手すぎて(?)表に出てこない あるいは根が隠キャなのを憂いており俺なんて…みたいになってる
好みの性格の男、30後半〜40代くらいになるとある意味吹っ切れて(?)いい感じの気さくな雰囲気になってる 好き