はてなキーワード: 平身低頭とは
平身低頭で全てに従えば良いよ
https://anond.hatelabo.jp/20220428103925
は、男性を馬鹿にしているので、まず間違いなく、この内容は理解できないだろう。
男性を頭からバカにしているので、言ってることはすべて否定され、捻じ曲げられて解釈され、真っ当に届くことはないとしか思えない。
が、まぁそれは自分の問題じゃない。まずは自分的メモとして書いておく。
男であれば多かれ少なかれ「渇望」しているのものだ。
何者かになりたい、認められたい、唯一無二のものになりたい。世界で誰も行ったことがないどこかに行きたい。
「渇望」はあるものの、自らが満たされることはない。
それは当然。世界は自分のためにあるわけじゃない。学校に行けば勉強しろ。社会に出れば、パワハラ上司にへいこら。結婚すれば奥さんに平身低頭。子供が出来れば、子供のことで精一杯。
仕事と言っても、どうでもいい雑用ばかりで給料も上がらなければ、褒められることもない。給料が上がらないから無能なのだろうと、いろんな人から責められる。
そのような世界は「渇望」を持った身からすれば「泥沼」のよう。何をどうしても抜けられない。「渇望」は自分の中から発生するがゆえに何をしても消えることはない。
何をしても抜け出せない泥沼のような世界。そこを誰かのために歩いていくしかない絶望、そして「死」。
死ねば楽になるのかもしれない。でも「渇望」ゆえにそれもかなわない。
これから社会に出る新入社員からすれば、不安いっぱいに決まってる。「渇望」が満たされるかは大いに疑問なのだから。
そのような泥沼の世界で孤独に絶望し「死」しかない世界から逃げるには「妄想」位しか存在しえない。
「渇望」は非定型だが、男性であるがゆえに「性」の「型」として、「たわわ」のような女子高生は無垢で生命にあふれているという「妄想」を持つことが出来る男性が存在する。
そういう男性が、たまたま、その存在を見ると、一瞬「死」の世界が崩壊し「渇望」した世界に到達できたかのような「妄想」を感じるのだ。
言い方を悪くすれば、単純に「そういう妄想」を別世界で実現してると言い換えても、さほど間違ってない。
でもそういう「妄想」を持って何が悪いんだ?「渇望」を持っていることは犯罪とは関係ない。そんなんだったら男性は全員捕まってる。
そもそも原因である「渇望」が「性」とは必ずしも関連しないので性犯罪の原因とは無関係だ。
大本が妄想なので、悪く行ってしまえば必要悪。とてもではないが「良い」ものなどと思えるものではない。
「問題ない」からといって「賛美」にはならない。なぜ「賛美」と言う単語を使えるのかさっぱり分からない。
私から見るに、こういう「妄想」を持てる日本社会の流儀というか社会的文脈を把握して書いてるように見える。
フェミニズムの考えでは「渇望」は社会的なものなのかもしれないが、男性からすれば自分の中から発生する、非定型な「衝動」だ。
全くの勘違いをしているようだが、「渇望」は非定型で、女性に向かうとは限らない。
上記のように、たまたま、日本社会の「社会的文脈」で女子高生になったが、おそらく別の社会なら、別のものになったろう。でも完全になくなるとは思えない。
男性の「渇望」が内にある限り。
ということで、まとめれば「何」で元気になるかと言えば「泥沼のような絶望せざるを得ない世界」を「妄想」で破壊し、一瞬「渇望」を実現てきたと思える希望を持つことで、だ。
その「妄想」を「キモい」と言って、男性の愚かさとして非難するのだろう。そもそも理解できないに違いない。
でも、その「妄想」を誰がどう非難するんだ?それが犯罪か?じゃあ「絶望せざる得ない世界」に銃を振り回して殺して回ればいいのか?
男性の悲しい適応反応を「弾圧」してさぞかし楽しいことだろう。
でも、その弾圧に意味はない。男性の「渇望」が消えることはないからだ。
この内容もフェミニストからすれば、言ってることが分からないのだろう。私は一応「表現の自由」派になるのだろうが、そんなに大層なもんじゃない。単に「妄想」するぐらいの自由をくれと言ってるに過ぎない。
基本的に相手にぶん殴られたり、刺されたりしないと付け上がってるから、
公衆の面前で堂々と罵倒したり、集団で一人を追い込んだりできる。
被害を受けた側もやり返さず、律儀に平身低頭で防戦一方に徹するから、
そのうち精神を病んで不登校/休職したり、電車に飛び込んだりしちゃうわけだ。
ある程度虐げられたら、これから振るう暴力の妥当性の証拠集めを丁寧に行なってから、
ここぞって時に満を持して加害者の横っ面を張り倒して、一発スカッとした方が精神衛生上、絶対良い。
衆人環視の元で思いっきり張り倒されて、プライドが傷付かない奴なんて居ないからな。
加害者側もよっぽど厚顔無恥な人間じゃないと被害届出せないよ。自分の過去の悪事が露見する可能性が怖くてね。
ただ暴力の妥当性の証拠集めの時点で、まだ情状酌量の余地が無さそうなレベルなら一旦保留しろ。それはまだ機が熟していないから。
「内心よくやった!と思ったよ」「あれは殴られても仕方ない」とか周囲が隠れ擁護してくれそうなレベルに悪化するまで待つこと。
18時半くらいまではそんなに混まなかった。最近、フリーター女子アルバイトさんがお水風俗の世界に片足を突っ込みたがっている、という話をAさんとする。まだ未成年だと諸々の支払いが来ないので、気軽な気持ちで大金を稼ぎたがるのでは? とAさん。なるほど。今時はキャバクラとかでも雇用契約を結ぶ時にマイナンバーを要求されたりするんだろうか。仮にそういうのが無かったとしても、最近は税務署が厳しいので、稼いだお金を銀行に預金したことがきっかけで脱税がバレるとかありそう。税金払ったら夜の仕事なんか、やるだけの価値があるほどの手取りは残らなさそうだ。そんな話をした。
19時を過ぎた頃から、家族連れがやたら多く来店。別に、良さげな一番くじがあるとか、アイスやお菓子を何個か買うと良いものが貰えるキャンペーンとかをやっている訳でもないのに。
小さな男の子数人と女の子を連れた一家が来店。まあやんちゃ坊主がそれだけいるとご両親でも制御しきれるはずもなく。アイスケースに群がる子供達の一人が、置いてあった台車(4段重ね)の上によじ登ってしまい、台車が動いた弾みにアイスケースの縁に顎をぶつけそうになった。慌てて飛んでいって「ごめんねこれには危ないから乗らないででね」っていってお子様を台車から降ろした。ご両親からめちゃめちゃ謝られたけれど、こっちも平身低頭で謝罪した。子供達がアイスケースに群がり始めた時点で、足場になるものを全て退かすべきだったので。
やばいな、自分の子供が大きくなるに連れて、幼児の行動の読めなさに対しての危機意識が鈍麻している気がする。きっと、3年前の私だったら、子供達がぞろぞろ入店してきた時点で、危ないものはバックヤードに片付けたはず。たかが子供を自分の腹から産んだくらいで育児のエキスパートになどなれるはずもなく。というか、育児スキルなんかほんの一時のもので、幼児のいない暮らしに戻れば、徐々に失われていくものなのかもしれない。過去の経験から子供の面倒を見るのは朝飯前と思い込んで孫を危険に晒すばあちゃんへの階段を、早くも昇り始めている自分に気づいた。
とかいうことをAさんに話したら、「そういうもんなんですか!」と驚かれた。おう。私も、ついさっき気づいたばかりだしの。
21を過ぎたら流石に暇になった。猫が好きなのに猫に好かれないAさんに、猫と戯れるためのコツを教えた。まず猫の方を見ずに座り、不燃ごみになった気持ちで、猫の方から近づいて来るのをじっと待つ。もし猫が人に可愛がられた経験を持っていれば、どんなに不燃ごみみたいにしていても人間は人間とちゃんと認識しているし、近寄ればエサはくれないまでも背中くらい掻いてくれるだろうと考えて、近づいて来るものだよ、と。「そういうもんなんですか!」とAさん。人間の育成方法は忘れても、猫と共存する方法は忘れないというのも、変な話かもしれないけれども。
撮影現場をみていると、そろそろ時間の問題なのではないかと思う。
広告制作の現場には多くのスタッフの我慢によってなんとか成立している。
制作会社にまるっと案件を振り、監督、撮影監督などをアサインして
内容を作っていく。ほとんどが決まった段階で
現場のスタッフの多くは急なスケジュール調整と安価な労働力で調整をする。
寒い現場において本当に暖房が必要なのは現場スタッフなのに関わらず。
規模がでかい現場の場合はここらへんが充実しているがほとんどの現場はそうじゃない。
現場にある飲み物やお菓子は糖分過多で体に良くないものばかり。
感覚を研ぎ澄まし、クリエイティブなことをする前提のスタッフに良い環境とはとても言えない。
体に無駄な贅肉がついた人が目立つ。
このコロナでマスクが必須になったのはせめてもの救いなのかもしれない。
新人である制作スタッフの彼は、後何年すればプロデューサーになれるのだろう。
彼らはディレクターやプロデューサー、チーフカメラマン、または優秀な照明マンを夢見ているが、
今やっている下積みは本当に今やらなければならない仕事なのだろうか。
彼らが現場でも重宝されているのは雑用をスペシャルにできるからではなく、
各自のカメラ、エディット、照明などをスペシャルにできるからである。
金をかけまくれば良い機材も良いポスト処理もできて
当然高品質になるにきまっている。
再生される。話題になる。購買活動やブランディングにつながる。
演者には平身低頭なのに末端のスタッフを顎で支持するプロデューサー。
※ちなみにプロデューサーには2種類いて、ここでは代理店サイドのプロデューサーを指す。
現場の制作側プロデューサーは総じて調整力が高く、スタッフを気遣う人間味のある人が多い印象だ。
映像業界の花形である「映画」などは未だにエンジニアやカメラマン、アシスタントが
つらい思いをすることが多いが、最近のNetfllixの撮影現場ではパワハラ・モラハラを防止するための
リスペクト・トレーニングが必ず撮影前に実施されているようだ。
華の20代に、体が太り、肌があれ、寝ずに働き、安月給。
休みもなく、クリエイティブを発想する機会はどんどん奪われる。
上述したようにNetflixやAmazon Primeのようなビジネスモデルが違う映像の世界では、
リスペクトが前提となり、良い関係性で良い作品を創るための仕組み化が進められている。
■
ちょっと視点を変えて、制作した映像の価値ってなんなのだろう。
数億から数千万円かけて作った映像は、たった1回の瞬間風速をもとめて戦略をもとに配信される。
最近も飲料水のCMがSNSでバズった。趣向を凝らしていて共感できるエモい作品だった。
映像の撮影手法や演出もすごい。キャストもイケてる。その裏側も公開されてバズっていた。
しかし、清涼飲料水なんてほとんど体に毒だ。砂糖水とほぼ変わらない。
イメージで作り上げた爽快感や清潔感、健康的な感じがまさしく動画で補填され(狙い通り!)、
話題を呼び、物は売れ、映像の評価も上がり、また似たようなベクトルの作品が生まれ続ける。
安価な材料で利益率を最大化し広告で売りまくる大手企業にくらべて、
高品質で良いものを創り広めようとしている企業にはお金が当然ながら相対的にお金が足らない。
広告には大金が必要となる。誰だって良い監督、良いカメラマン、良い照明、良いエディターと
気持ち良いスタッフたちと映像を創りたいに決まっているが予算的にできない。
最近、SNSの活用が幸いして素人であるお店のスタッフが上げた動画がバズりまくり行列を作る事例があった。
人が来て、喜んで、もちろん売上という実績が出ている。
そもそも、大金をはたいて嘘くさい広告を作るインセンティブですらなくなってきているのかもしれない。
数千万かけても、”偉い人たち”の実績にしかならない広告映像ではコスパが悪すぎるのだ。
広告を作るクリエイターはポリシーを持って全力で考え映像を作っているのだろう。
僕自身、関わったナショナルクライアントや大手企業のCMなど実績として使うことがままある。
しかし、現場を思い返しても”創っている”という感覚は最後までなかった。
これらの問題について僕は考えている。新しいビジネスモデルを考えている。
こうした課題に気づいている監督やカメラマンは必ずいると思う。
僕の名前や役割を出すと、最近まで関わってきた現場のスタッフの方たちに申し訳ないし、
誰かの何かを刺激して、この闇に立ち向かう人が増えればいいな。
2021年3月、とあるVtuberが引退した。でもって、Vtuberの「中の人」のTwitter(真偽不明)(たぶん)が引退2カ月後に判明した。
半信半疑で、その人がTwitterに上げてたガチャ動画を見た。声を聞いた。
一瞬で過呼吸になった。
好きな声だ、この約2年間ずっと聞いてきた声だ、引退してからずっと生きてるか心配してた、二度と聞けないと思って、それでも寂しい、また聞けたらなんて叶いもしないだろうけどぼんやり思ってた………………その人の声だった
元気そうでよかった
とりあえず非公開リストに入れた。フォローはしてない、リプも送ってない。たぶんこれからも送らない。
間違えてはいけないのは、そのTwitter垢は「Vtuber」の垢ではなく、「一般オタ」の垢だということだ。
私はただの一般オタの垢を見つけただけ。
Vtuber界隈には「転生」というワードがある。Vを引退した中の人が、違うガワで活動することだ。
あの人はたぶん、転生ではないと思う。私は転生判定しなかった。
某声優さんと相互フォローなのは、Vとか声優とか関係なく、ガチで仲良くなったからだろう……と勝手に都合よく思っておく。
他のファンがこの件をどう思ってるだとか、自分がどう思われるだとかは考えないようにしている。頭いたくなるしな。
今までさんざん書き連ねて来たのは、自分の指針を忘れないようにするため。ついでに、こんなオタクもいるよって発信するためだ。
あの人は一般人だ。
私は、「好きなVによく似た声の一般オタを、勝手に見つけた」だけ。
私が初めてドはまりして、ボイス買って、メンバーに入って、ライブを見て、タペストリーを買ったVtuberとは別の人。
それでも、見守りたい。
当初は移民が全くこなかったこともあり、むしろ移民局は平身低頭「ワークビザを申請するならいっそ永住権申請しませんか?」くらいの営業活動をしていたし、永住権の申請書も移民局に行けば普通に手に入った。制度もガバガバだったのでこの頃の人と話しても全く噛み合わない。
その後、「労働力として国の発展の手助けになる存在」として移民が取り扱われるようになった。このときは変な話だが英語ができなくても永住権を取ることができた。そのくらいに働き手を欲していたと言ってもいいだろう。なので、少し年配の永住権保持者を見ると英語が全くできない人はそこら中にいる。
これによって、ルールの隙きをついた永住権取得者がものすごいことになり、移民局はルールを厳しくしていった。これは「本来であれば永住権など取れるはずもない人を排除する」と言う割とまっとうな方向性だった。
2つ前の政権のときに永住権のルールは「誰でもいいから労働者がほしい」から「労働者はほしいが誰でもいいわけではない」に風向きが変わった。
例えば英語はできなくてはならない(試験に合格するか同等の実績を示す必要がある)、オークランド以外での就職者には有利に働く制度をつくった、年収がその業界の平均を上回っている必要がある(これはもともとかもしれないが)、というあたりだ。
このあたりで英語がどうしてもできない人は断念せざるを得なくなったようだが、それについてはあまり文句はない。
さて、最近ニュージーランドの永住権で「あまりにも不公平かつ意地汚いルール」が追加された。それは「就職して年収が平均の2倍受け取っている人は優先的に処理する(そしてそうでない人は永遠に放置する)」というものだ。
年収が平均の2倍というのは偏差値で言えば75以上というえげつない数字だ。
このルールのおかげでニュージーランドには全く永住権の申請が処理されないまま放置された人が1万人以上ひしめいている状態になった。
これからニュージーランドに移住を試みる人々はこの1万人以上のいつ処理されるともわからない人々の後ろに並ぶか、平均年収の2倍の仕事にありつく必要がある。ちなみに平均年収の2倍を得ている人たちは、数週間で審査が開始され、数ヶ月で永住権を手にしているようだ。
選挙権もなく、家を買うこともできないし、転職や引っ越しすら困難で且つ帰国すれば申請が取り消される状況で何年間も待たされ、しかも、その間ビザを申請し続けなくてはオーバーステイになる人々
結果今の移民局には、永住権を手に入れるまでの期間が23ヶ月と書かれるようになった(数年前は9ヶ月)。つまり、この不公平なルールを変えることよりも申請者を不当に待たせることを国として選択した、つまり、「お前たちは永遠に搾取対象だ」と宣言したと言ってもいい。この23ヶ月すらどこまで本当か怪しい。
コロナで国境が封鎖されているのでなんとなく優先度が低い人々も今は処理されているが、国境が開放されればもとに戻ることは想像に固くない。
ちなみにこの移民に対する不当な扱いは、前政権、日本人が尊敬してやまないジャシンダ・アーダーン政権のときに始まった。大概的には先進的な女性リーダーを気取りつつ、内部に向けては異様なまでの移民に対する搾取を進めている政権が今の政権だ。
そのため、ニュージーランドにいて思うのは「よくここまでいい外面できるな」ということだ。
ちなみに、「移民ってそういうものでしょ?」と思う人もいるかもしれないが、全くそんなことはなく、移民に対して不当な扱いをしてはならないということはどの移民国家でも守るべき原則であり、この扱いはどうあがいても「不当」と言われる。
さらに言えば、最近不動産に対する投機加熱をクールダウンするという名目で投機家や投資家を狙い撃ちにした制度改革もした。これが何かはここではいちいち言わないが、投資家があまり儲からないようにする制度改革だ。
ニュージーランドの不動産はとにかく投資家たちのおもちゃであり、ひたすら値段が上がり続ける。これは世界的に見ても異常なペースであり価格である。そこに制度でメスを入れた。
これで思い出されるのは日本のバブル崩壊だ。これと同じことが起きたらどうなるだろうか?今家を持っている投資家たちは、手放せない家を大量に抱えることになる。信じられないかもしれないが、家を投資で購入している人はこの国では20件位持っていることがザラだ(そして家を買えない貧困〜中流から限界まで金をむしっている)。
日本人が大好きなジャシンダ・アーダーンと彼女の率いる政権がいまニュージーランドをぶち壊そうとしているかもしれない。ぶち壊れてしまうのも見ものではある。
https://togetter.com/li/1473872
さて、「無いとは思うけど、万が一もし私がマタニティーハイになって子供に変な名前つけようとしてたら、殴ってもいいから正気に戻して」と言われたのが去年。弟君から連絡があって、名前は普通なんだけど漢字がやばい。「娑斗死」ってかいてさとしって読む感じで、中二感すごい。行ってくるわ。— 埼玉っぴ(魚類のあの人) (@saws_skmdrt) February 25, 2020
ただいま。どちゃくそ疲れた。とりあえず勝った。向かってるときは「家族から思い切り反対されて気が立ってるだろうから、なるべく優しく平身低頭に行こう」と思ってたんだけど、インターフォン鳴らして弟君に通してもらって居間に入ったら「なんであんたが来るの!」ってすごいんだわ。もう敵認定。→— 埼玉っぴ(魚類のあの人) (@saws_skmdrt) February 25, 2020
「おどれがゴンタしとっから、弟君はわてにチンコロしよったんやぞ!」とフォロー。もう常に声張り上げてるからのどが痛い。「なんでたまに関西弁なの!?」とか的確な質問が来るけど無視。
んで冷静に話し合いが開始。ご両親と旦那さんと弟君も交えて、何があってもわいが主導権握る。→— 埼玉っぴ(魚類のあの人) (@saws_skmdrt) February 25, 2020
んで友人の言い分は「この子は特別な子神様が授けてくれた子。だから名前も唯一無二な特別なものをプレゼントしないといけないの!」の一点張り。わいがうっかり「プレシャスw」ってぼそって言ったら逆上。これは謝った。名前の読み自体は満場一致で賛成だから、問題は漢字のみ。— 埼玉っぴ(魚類のあの人) (@saws_skmdrt) February 25, 2020
「僕の名前から漢字一文字を使う名誉を授けるよ。どれも音が全然違うけど」って言ったら「前にも聞いた!意図的に使わないように考えて選んだの!」と、まじ失礼。んでもう埒が明かないから「○○、子供をペットやと思っとるやろ」って煽ったら「そんなことない!」ってまた逆上。→— 埼玉っぴ(魚類のあの人) (@saws_skmdrt) February 25, 2020
「だったらこんな漢字にして笑いものにするのがお前の趣味なのか!」って無言だった親父さんがドナルドなる。めちゃくちゃ温厚そうな親父さんだし、友人もビビったんだと思う。明らかに縮こまり始めてるので、「お父さんお母さん、○○の名前の漢字、こういう風に変更していいですか?」→— 埼玉っぴ(魚類のあの人) (@saws_skmdrt) February 25, 2020
とその場で思いついた、子供につけようとしている漢字に近い雰囲気の漢字にして紙に書いて提示。ご両親が「いいですよ!」って言うんだけど、友人が「ふざけないで!」って言いだして、「おどれがしとるのはこういうことやど!」って怒鳴りつけたら、なんかハッとした顔になって、はい、大勝利。→— 埼玉っぴ(魚類のあの人) (@saws_skmdrt) February 25, 2020
ぼろくそ泣き始めて謝り始めて、まぁ一件落着。
お父さんに「漢字が決まりましたら、ぴっぴさんにご連絡しますので、確認していただいてもよろしいですか?」って聞かれたんだけど、わいに決裁権があるわけじゃないんだし、わいに確認とるのはおかしいだろ・・・。
んでさっき帰ってきた。— 埼玉っぴ(魚類のあの人) (@saws_skmdrt) February 25, 2020
これ思い出したわ 夫婦別姓を選ぶほど姓にこだわっている家庭の姓に関する約束なんてマタニティハイであっさり吹き飛ぶだろうね
せっかくだから、コランダムをもってきて。 色合わせをしないといけないんだ
で コランダムって 何色だと思う?
とか
空の色で写真を取るで そらのいろって何色?
あわないんだよ 普通
面白いだろ
ちょっとちがうだろ?
それがプログラマーに必要な、ヘアワックス 男性バージョンなんだ 買った人だけの秘密
オーシャントリコは それが 一番わかり易い
1色1色全部使い方が違う 美容室にいくときは 髪の毛洗わせてやるよって 偉そうに言えば あぁ ワックスおちなくなったんだなぁって思ってもらえるし
客がペコペコするのはよくないから
えらそうに 髪の毛洗わせてやるよっていえば 察してくれる あぁ ワックス落ちなく成ったんだなぁって
たっぷり 初回はつけすぎるぐらいでいい おちなければ 美容室で 洗わせてやるよっていえば あぁ ド素人さんかぁって 優しく対応してくれるから
つい最近のこと。調剤薬局で、薬ができるのを待っていた。目の前で、じいさまが何やら駄々をこねている。ちょっと聞いてみると、処方箋の用法の記載が間違っているらしい。薬剤師さんは、処方箋通りの用法だと出せない薬なので、医師に照会するとのこと。ところが、これに気に入らないじいさま。「患者もわかってるのに、杓子定規だ」「時間がないから医師に照会なんてせずにいつもと同じように出してくれ」と言ってる。薬剤師さんはひたすら平身低頭する。そんな薬剤師さんにねちねちねちねち言い続けるものだから、大人げないとは思いつつもついにブチ切れてしまった。
「杓子定規じゃないといけないんだよ!」「毒薬なんかな、杓子定規じゃなかったら死ぬんだよ!」って。さすがに、そうしたらおとなしくなったが。
処方箋のミスを放置して調剤したら、人の命なんてあっさりと消える。たとえ患者がわかっていようとも、本当に患者がわかってるのかなんて薬局で確認する術もない。人間はミスするものだから、薬剤師という専門職を置いてきちんと処方をチェックするわけで。専門職の仕事をリスペクトしないじいさまをつい一喝してしまった。
しかし、よく考えたら、こんな大人げないことをやる私もクレーマーになる素質ありかもしれない。
争いは同じレベルの者同士でしか発生しないがあって、思わず苦笑いした。争いは同じレベルの者でしか発生しない、その通りだな。反省しなきゃならん。
クレーマーじいさまと薬剤師さんの間にインフォームドコンセントが成立してたか、って視点で見たらちょっとじいさまには悪いことをしたんじゃないかと思い始めた。専門職としては平身低頭してるばかりではだめで、言うべきことはきちんと言わなければならない。処方箋のミスを放置したら医療事故につながるから調剤できないと毅然と言わなければならなかった。薬局も商売だから「お客様」に媚びなければならない辛いところではある。ただ、それで専門職として言うべきことが言えなくなるのはどうなんだろう?
今時、保護者会のある習い事って珍しいんじゃないかと思う。しかも文化系でっていう。最近じゃあ野球やサッカーのチームでさえ、子供じゃなくて親のいざこざでチームが瓦解するので親はかませないという所ばかりなんだけどなぁ。でも、囲碁教室の保護者会は人数が少ないせいか、前からいる人達の人徳なのか、そんなには居心地悪いとかはないので助かる。一時期、お当番に参加するのがいつもの少数しかいないってキレてた人もいたけど。
保護者会で何をするのかというと、一番大きな役割は、教室のお手伝いだ。具体的には、宿題の丸つけと、対局の勝敗記録をする。
丸つけは解答を見てやればいいし、別に子供達に教えなければいけない訳じゃないから難しくはない。ただ、人数分をなるべく対局が始まる前に終わらしておかないと忙しくなっちゃうのが大変っちゃ大変かもしれない。
対局の記録は、不慣れだと大変だった。まず、誰と誰が対局するかマッチングしなきゃならないのだが、先週の手合いであまり対局してない子同士を優先するとか、棋力の差が大きくない相手と組ませるとか、そういう気配りをしなきゃならない。子供達が組み合わせについて意見を一度に言って来るしワガママも言うので、汲むべき意見・なだめるべきワガママなどに対応するのが難しい。
マッチングが終わり、いざ対局なのだが、先生が忙しくて目が行き届かないときは、一々何目のコミ出しなのか、ハンディ表を見て子供達に指示しなきゃいけないこともあるようだ。
子供達は速打な子もやたら長考な子もいて、対局を終えると次々にこちらにやって来て、結果を報告していく。せっかちな子は、こちらが他の子達の記録をしている最中にも結果を言い放ってどっか行っちゃうので、引き止めて順番に結果を言い、ちゃんと記録表に間違いなく記録されたことを確認してから行くようにさせる。こんな何人もの子供達を相手にすることなんか日常にないので、苦戦してしまった。
でもって、総当たり戦用のあの対戦表!表の左端と上端にメンバーの名前がずらっと書かれていて、左上端から右下端に向かって斜線が引いてあるあれね!書き込みづらいんだなぁ。書き込み間違うと子供達、がっかりしてしまうので、何度も見直した。子供達の立合いの場で書き込んでるのに見直してみたら間違えてたりして震える。
不慣れな私があたふたとマッチングや記録を取っているとき、子供達はもう容赦ないので、
とツッコミを入れてくる。私は、
「すみません、ぶっちゃけよく分かってないので、教えてください、すみません」
平身低頭、頭を下げて子供達に教えを乞うしかない。なんていうか、久しぶりに無力感を味わったよね……。子供達の方が、よっぽどしっかりしてる。
普段、囲碁教室には我が子を送迎するだけで子供達と関わることがほとんどなかったから、誰が誰だかわからなくて、対局結果を報告する子供達の名前を一々聞く。もう歳だもんで、すぐに人の顔を覚えられないのもあり……。すると、特に同性のきょうだいのいる子なんかあからさまにがっかりするよね。「この人私ときょうだいの区別ついてない」みたいな。すいません!めっちゃその通りです!!どっちがどっち!?……と、開き直る訳にもいかないので、間違って記録しないように、もう一度お名前教えてくれる?って聞いた。子供達の軽蔑の眼差しが痛い!ちょう痛い!!
どうやら、お当番に参加出来る保護者はまたごく少人数に限られているようなので、月1くらいのペースで当番が回ってくるようだ。来月もまた頑張ろう。
ちょっと大げさかもしれないし、あくまでうちら夫婦に限った話かもしれないけど、割と目からウロコな話だったので聞いてくれ。
結論を先に書くと、「してもいい?」という言葉を「したい」に変えたということ。
同じと思うかもしれないけど、結婚して10年、前者はいつも使っていたけど、後者を使うことは多分一度もなかった。
その歪みが積もり積もって夫婦の関係を冷ややかなものにしてしまっていた。
なぜ「してもいい?」という言葉を使っていたのかと言われれば、夫婦とは二人いて初めて意味のあるもので、何かしらの決定は常にお互いの承諾が必要だと考えていたからだ。
おそらく、その考え自体は間違ってないと思う。
しかし、その承諾を得る方法として、自分が選んだのは「してもいい?」という問いかけだった。
この言葉は、一見自分の要望を丁寧に伝えているだけの言葉とも取れる。少なくとも自分はそのつもりで使い続けていた。
ところが、この言葉にはうっかり見落としてしまうような落とし穴があった。
それは、自分の要望に対する責任を相手に依存してしまっているという点だ。
例えば、「今日の帰りに飲み会に行ってもいい?」と聞くとする。
少し難しい話をすると、これに対して「いいよ」と答えれば、それは”承諾”だけではなく”許可”が行われたことになる。
同じと感じるかもしれないが、大きな違いとして承諾ではなく許可をした以上は、飲み会に行っことに不満を持つわけにはいかないし、後になって飲み会に行ったことを咎められれば、聞いた側も「許可を得たのにどうして?」となってしまう違いがある。
さらに言えば、許可を求められた側は断ることに対してほんの少しの罪悪感を消費する。(もちろん相手が思いやりのある人だという前提で。)
このほんの少しの罪悪感が、10年も経てば積もり積もって離婚の原因となるほどの大きな歪みに十分なり得るのだ。
それならば、これが「今日の帰り飲み会に行きたい」という投げかけになればどうだろう。
そこには返答に対する責任は存在せず、行きたければいけ、その代わりどうなっても自分で責任を持てよということになる。
ここに一方的な依存はなく、たとえ嫌な反応を示そうとも、それは素直な感情の表現でしかなく、罪悪感の歪みが生じることもない。
それどころか、受け入れれば相手に対してもポジティブな貸しをつくることもできるのだ。(もちろん自分が身勝手ではないとした上で。)
つまり、「してもいい?」の問いかけは受け入れて当然、断れば罪悪感が残り、「したい」という問いかけは、断ろうが勝手、受け入れれば相手への貸しを一つ作ることができるという大きな違いがあるのだ。
同じ承諾をするにしても、片やリスク、片やメリットがあるという大きな隔たりがそこにはあった。
これは承諾を得る側にも言える。
「してもいい?」という問いかけは比較的リスクが低く断られてもダメージが少ない一方で、「したい」という問いかけは一方的な要望を押し付けることになるので、承諾を得られたときに相応の報酬を与えなければならない。
つまり、ある意味では相手の良心の呵責に問いかけるようなずるい言い回しとも言えるのだ。
しかし、夫婦間での歪みはすでに危険なレベルにまで達していたのは事実だ。
こうしたやり取りを繰り返していくうちに、妻は断る自分ばかりが罪悪感を感じていることに馬鹿らしさを感じるようになった。
その結果、妻はこちらからの提案に対して、冷たくそっけなく返事をするようになる。
それに対して自分の受け取り方はこうだ。
こちらは相手の顔色を伺って平身低頭お願いをしているのに、それを聞こうともせず冷たくあしらうとはどういうことだ。
事実、こうしたいらだちがお互いに溜まりに溜まって、結婚10年目にしてはじめて食卓がひっくり返るような喧嘩をした。
その後一週間、子供の前以外では全く口を聞くことすらなかった。
昨日今日始まったことではない問題の根深さは理解していたので、もしかするとこのまま決別ということもあり得るかもしれないと、割と本気で考えるほどだった。
気軽に言っているわけではない。今までさんざんお土産を買ったり、喜ぶようなことをしたり、事あるごとにありがとうと言葉を返したり、できる先回りして家事をやっつけたりと手を変え品を変え関係改善に努めてきたつもりだったのに、その結果がこうなのだからもう改善の余地はないのではないかという絶望すら感じていた。
しかし、今回こうして感情的にお互いの気持をぶつけてみて、現状に対する認識に対してズレがあると感じたのも事実だ。
ならばそのズレの原因、認知の歪みはどうして発生してしまったのだろうか。
そんなことを口を利かない一週間の間にずっと考えてみた。
実を言うと、先日話題になった依存症の漫画を読んだことが一番のきっかけだったのだけど、そこで改めて”Iメッセージ”とは何かを考えたときに、自分の使っていた「してもいい?」は、実は”Iメッセージ”ではなかったのではないかという疑問に行き着いた結果、言い回しを変えてみたらどうだろうということになった。
発信は確かに”I”にあるのだが、決済責任が”I”にはない、あっても希薄だということに気づいたのだ。
それならば、ストレートに要望を伝える言葉を選んでみたらどうだろう。
最初は、これすらも冷たくあしらわれたらどうしようと不安だったけど、いざ「~したい」と、自分の要望を言い切りで伝えてみたところ、妻は一瞬はっとしたような顔をしてからむしろとても嬉しそうに快諾してくれた。
なんだ。こんな簡単なことだったのか。
そう思うと、ほっとしたのと同時に、久しぶりの妻の笑顔が見られたことが嬉しくて涙が止まらなくなってしまった。
まともに喋れる状況ではなかったけど、そこではじめて妻に謝ることが出来た。
「今までごめん。多分、僕の要望の伝え方はずるかったよね。窮屈な思いをさせてごめんね。」
多分、そんなようなことを言葉になるかならないかギリギリのところで話をしたと思う。
恐る恐る妻の顔を見ると、微笑みつつも瞳から大粒の涙をこぼしながら突然強く抱きしめてきた。
実は、妻からもそうしたストレートな要望を聞いたことがなかった。
それも妻の遠慮がちな性格がそうさせていたのだと思うと、妻にもつらい思いをさせていたのだろうと悔やんだ。
これからはお互いを信用して、自分の要望に対して素直に相手に伝えあえるようになろう。
そんな提案をすると、妻はとてもうれしそうに、恥ずかしそうにうなずいた。
ここからは確証がもてないのだけど、おそらく、どちらかに偏ってしまったことに問題があったのだと思う。
自分の素直な要望は素直に伝えるべきだし、もしかして相手を傷つけてしまうかもしれないようなことは「~してもいい?」と相手の考えを口にできるきっかけを作り出すことが必要なのだと思う。
あんまり上手に説明できてないかもしれないけど、もしどちらかに偏ることで大切にしたい人との距離感がギクシャクしてしまっている人がいるなら、何かの足しになればと思い文字を起こしてみました。
私が生まれて初めてアンチからメッセージを貰った話をしたい。少々乱暴な物言いになる。長い長い恨み節に徹した殴り書きだ。
またどうしてメッセージ、という曖昧な表現なのかはおいおいわかってくると思う。
まず同人界隈だとよく目にする焼きマロ、毒マロ関連の話題。私は某ジャンルの同人界隈に身を置くオタクの端くれながら、完全に対岸の火事として今まで扱ってきた(もちろんそれらが邪知暴虐の行いであることに間違いはない。)。理由は単純、版権垢を持っていなかったからである。
なぜ版権垢を持っていないのか、と言われれば自分の作品と人格は第三者から見て完全に隔絶した状態でありたいから、としかいえない。まあ平たくいえば他者との交流が苦手であるだけなのだが。とにかくその時までは同人作家として活動してきて、ネットの悪意に遭遇したことはありがたいことになかったわけだ。
私は自分の作品がかなり人を選ぶものであると自覚している。内容が倫理に反しているだとか、いわゆる同人界隈からは毛嫌いされるようなcp傾向、シチュエーションであるだとか、そもそもがアングラな趣味である二次創作だからであるとか、そこらへんは書き出せばキリがないので割愛させていただく。
とにかく私の作品を読めるのは同じcpを好む、ある程度インターネットでの歩き方を知っている人間だけだ。pixivに投稿した作品にはタグどころかキャプションにまで慎重な検索避けがされているし、万が一の事故を防ぐため読むのがうんざりするような長くてくどい注意書きが添えられている。そして私と接触を図ることができるのは感想を伝えるためのコメント欄か、またはメッセージ機能だけだった。これはだいぶハードルが高い。
もう見るからに防御度マックスの触るなキケンオタクだ。オフでの活動も一切していないし、わざわざこんな偏狭な地までやってきて絡んでくる輩もいないだろうと安心しきっていた。
私の世界は狭かった。狭かったが豊かだった。
ありがたいことにいいねやブックマーク、また感想をいただくことが徐々に増えた。
もちろん見知らぬ誰かに読んでもらえるのは、良くしてもらえるのは、活動するジャンルやcp自体が大きくて栄えたところだった、自分はそれにあやかっているだけだ。それに尽きるけれど、それでも自分の好きを肯定してもらえるのが幸せだった。
それがアンチメッセージだ。本当に唐突すぎて、まるで通り魔に刺された気分だった。
特定が怖いので内容はかなりぼかすが、一番に目についたのは読む人間に自己責任を強いるなというものだった。どうやら送り主は原作愛の強い方であるらしく、だからこそ私の不謹慎かつ不道徳な表現をキャラを巻き込んで面白おかしく扱う話が許せなかったのだ。
何回もいうけれど、私の作品は人を選ぶ。ましてやそれを(できるだけ場所を限定的にしたとしても)ネットの海に放流しているのだ。否定的な意見が出るのは仕方ない。表現の自由があるように、読み手がそれを評価する(作品自体を排斥する資格は誰にもないとして)自由もあると思う。どうしても受け付けないものがあるのも仕方ない。何より二次創作なのだから、原作を第一に考える人が不快な思いをしたのであるなら自分は平身低頭せねばならぬ立場だろう。
私が腹を立てているのはそこではない。画面の向こうにいる人間に向かって匿名でセンシティブな言葉を投げつけてきたその根性である。
あろうことか送り主は私の人格にまで言及してきたのだ。このcpを好んで、こんな話を書く人間は××××(この言葉は実際にその病気で苦しむ人に失礼であるので伏せ字とする)しかいないとまで言ってのけた。
開いた口が塞がらなかった。
なんの権利があって私にそんなことを言うのだろう。貴方に許されるのは私の作品への評価だけだ。(決して自分の好きな原作や、自身の創作を軽んじているわけではない。)何を知った気になって生身の人間にそんな言葉を投げつけているのだ。
これが加害でなくてなんなのだろう。心底腹が立つ。
だったら私も言わせてもらう。私も非常識になろう。私の二次創作における矜恃を曲げてでも貴方を傷つける。ここでくらい好き勝手に書く。
そもそも『そっ閉じ』もできないような人間がpixivを使うな。注意書きや検索除けを全て無視して突破してこちらの陣地にズカズカと踏み込んできたくせに、偉そうに自己責任という言葉を使うな。配慮ばかり求めて自衛を怠るな。配慮と自衛、どちらも揃わなければ二次創作は成り立たないものであることも知らないのか。そして他人を平気で傷つけるような言葉を使う人間が、配慮してもらおうとするな。倫理を説ける立場だと思うな。お客様根性もいい加減にしろ。Twitterの愚痴垢でのノリを対面にまで持ち込むな。陽の光を浴びようとするな。貴方の世界でならお仲間と一緒になってcp叩きもなんでも好きにすればよろしい。でもそれをガバガバの自他境界のまま生きた人間にぶつけるな。
私の好きを今までどおり私の狭い世界に向けて発信し続ける。残念でした。
なんだかもはや同人は関係ない気がしなくもないが、とにかくこれが一人の人間としての感情だ。
あーむかついた。
おわり。