はてなキーワード: プロモーションとは
「ステログ」って、今回問題になったPR会社による火消しステマなんじゃないだろうか。
というのは、ステログは、「レビュー数が少なくて、高得点をつけてる人」をあぶり出してるんだけど、食べログもさすがにそんな作戦にはとっくに対処していて、そういう場合は点数が上がらないように、もともと作られてるんだよね。つまり「ステログ」であぶりだせるのは、素人による「自作自演」だけなんだ。プロモーション会社が有料で引き受けて、巧妙に点数を上げてるような事例、つまりレビューを数多く投稿していて点数に大きな影響を持つユーザを事前にじっくり作っておいて、そのユーザに高得点をつけさせるような作戦は、華麗にスルーされてしまうんだ。
もちろん、そこまで悪意なくておもしろ半分にやってるだけかもしれないけど、一番注意した方がいいのは「ガチヤラセ??」って赤文字だけ見て喜んでる人ね。それ、ステマに騙されてる可能性は高いと思います。
そもそも。
「食べログ」って、レビューを書き込んだユーザーの「レビュー書き込み数」とかを単純に返すAPIとかないので、「ステログ」の会社は、自社製のクローラでデータ収集してるんだろう。ま、それは別に悪いことじゃないんだけど、そんなクローラまで作ってる会社が、食べログの採点の仕組みの基本を知らないってのは腑に落ちない。
※ツイッターからの流れで書きました。偶然ご覧になった場合は意味不明だと思いますのでスルーしてください。
では、昼間の河野さんの記事について、思うところを申し上げます。
「どっちが正しいか勝負しましょう」なんて気はありませんので、ひとつの意見としてお読みいただければと。
まず前提をいくつか。
1 ご承知とは思いますが、当該記事 marketingis.jp/archives/1594 の内容にのみ異議があり、河野さんご自身の人格や存在を否定する意図はありません。もしそう取れる発言があればお詫びします。特に河野さんが気にされたツイートは、確かに非難のニュアンスがこもったものになっており、あらかじめお詫びいたします。
2 ツイッター上では実際の知人友人もいらっしゃいますが、好き勝手なことを書きたいので、一応は匿名でやっております。「いや、直接連絡を取って口頭で」ということであれば、別途ご連絡申し上げます。
3 私は企業のサービス企画の人間で、以前はネット広告を担当していました。物書きではありませんので、文章の質についてはご勘弁を。また、ダイレクトマーケティングの経験しかありませんので、産業全体については私見を超える言及はできません。
以下、本文です。
まず、お気に障ったと思われる「終わった教」についてですが、もちろん、タイトルの「4Pの時代は終わった」についての言及です。
ここは批判というよりも反射的な嫌悪感がありました。
「○○は終わった」「これからは○○だ」「201X年は○○が来る」という言葉で危機感を煽ってコンサルだのセミナーだので稼ぐ方がいますが、反射的に「またか」と思ってしまったための言葉です。私は河野さんをネット上の断片的な上方しか存じ上げないにも関わらず、勝手にそうした類だと分類してしまったことは軽率で、たいへん失礼いたしました。
本文について。
私には4Pが終わったという意見(表現?)には同意できません。記事を拝読しても、終わる終わらないの問題ではないのではないかと考えます。
少し具体的に。
記事中で“ひとつは「バランスが崩れた」こと、そしてもうひとつは「Pが増えた」ことです。”と書かれていますが、この2つには違和感を感じます。
まずバランスについて。元々、4Pの要素間のバランスは均等ではないと考えています。
ダイレクトマーケティングでは商品が売れるための要素として「市場4:商品の良さ4:広告2」の比率であるいう考え方があります。ダイレクトマーケティングに長年従事してきた者としては、これは数値的にも実感的にも、実際にそうであると考えています。
通販的には、広告というのはあくまで受注を目指すものですから、4Pに置き換えれば、概ねプロダクトの方がプロモーションの2倍重要である、と考えられます。
他の業態を見ても、4Pがそれぞれ比較的等価に扱われてきたと思えませんし、業種や手法によって比重は異なるのではないでしょうか。
ならば、その比重の変化を4Pという考え方が終わる終わらないという話につなげるのは、少し無理がありませんか?
プライスの比重が高くなっているというご意見には異存ありませんが、安売り競争とは別の次元で成功する企業も少なくありません。
4つの要素の比重の変化そのものが当然であるならば、プライスの重要性の向上という現象は、4Pという考え方そのものの有効性には無関係であると考えます。
次に、セス・ゴーディンの引用に河野さんが加えられた「P」のリストですが、「Philosophy」以外は、従来の4Pを構成する要素のひとつ、あるいは4Pとは元々異なる切り口で語られていること、ではないでしょうか?
前者であれば4Pを深掘りしたことになりますし、後者であればそもそも4Pでは除外された考え方ですから、これらも4Pそのものの否定には繋がらないと考えます。
ただ、「こういう要素が重要だよね」という意見表明であれば、なるほどほとんど同意です。あ、ほとんどと言ったのは、全部について熟慮していない程度の意味で、一部同意できないことは意味しません。
ご存知でしょうが、マーケティングは色々な構成要素が複雑に絡み合っていますから、1つの切り口で都合よくすべてを考えることのできる方法はありませんよね? 4Pもそれらのひとつに過ぎず、終わった終わらないという意見は適当ではないと思ったわけです。
で、最近の「終わった」「来る」に辟易していたところに、河野さんの記事を拝読し、反射的に軽い気持ちで陰口を叩いてしまった、という次第です。
最後に。ツイートで言いたかったこととは離れますが、糸井さんの件も気になりました。
糸井さんの広告観ですが、「この広告でどれだけ売れたかとか、そういうことじゃない。俺と組んだら一回遊べるぜ、ってこと」(要約)という、広告そのものに価値を置いた考え方でした。これはなぜか10年以上前にプロレス雑誌に掲載されていた糸井さんのインタビューでの発言なので、ご存知かどうかわかりませんが。
こうした広告観に立てば、いま売れてます、というコピーは確かに広告の“文化的”な意味での衰退とも取れます。少なくとも糸井さんは楽しくはないことでしょう。
が、これがプロモーションの相対的低下を意味するとは思えません。だったら「いま売れてます」的なコピーでプロモーションすればいいし。嘘や違法は論外ですが、これまでのメジャーな広告手法が仮に力を失っても、他の方法はあります。企業の担当者や意欲ある広告会社の方は、そこに真剣に取り組んでいますよ。
自動車産業が抱える問題って、現在の日本の置かれた状況を象徴するものだよなぁ、と思い、少し掘り下げて考えてみた。「推測」と書いたのは、バックデータ・統計資料にわざわざ時間をかけてあたる暇はないので、状況証拠だけで考えていくということだ。暇な人、もしくは自動車産業関係者のマーケターの方、もしくはマクロ経済の専門家様、データを元にこの推測、といいますか仮説を検証してみてくださいませ。
「自動車の国内市場規模は縮小の一途。特に若者がクルマに興味を持ってくれない。」というのが、業界的に広く共有された悩みのよう。その典型的な事象の捉え方が痛いニュースのこの記事。
痛いニュース(ノ∀`) : “若者、車離れ” 日本国内で車売れない…トヨタ、本気でアイデア募集 - ライブドアブログ
この2ちゃんねるまとめブログで、板の題材として選ばれている記事がこれ。
国内で車売れない危機打開策 トヨタ本気でアイデア募集 (1/2) : J-CASTニュース
ま、痛いニュースとJ-CASTなので、、、、、でも、こういうメディアって、一般的な状況の捉えられ方やルサンチマン的なストレスを推し量るには本当に都合がいい。でもJ-CASTの元記事にはファクトデータも載っている。ちょっと引用してみると、
国内での販売は2年連続の減少だ。ダイハツ工業、日野自動車を含めたトヨタグループ販売は前期比同4%減の227万台と、米国販売との差が広がる一方だ。国内市場全体の落ち込みより減少幅が小さかったため、トヨタのシェア(軽自動車除く)は過去最高の45.8%まで上昇したが、トヨタ車単独で11万台の減では、シェア上昇も手離しで喜べない。
国内の自動車需要(全需)は、2006年度の軽を除いた日本国内の新車販売は前年度比8.3%減の358万台と、29年ぶりの低水準だ。登録車市場の低迷の原因としては、経済性や実用性を求めて軽自動車に人気が移っている影響とされてきた。しかし、軽を加えても同4.1%減の561万台であり、国内市場全体が収縮していることが鮮明になっている。
要は、
ってこと。ちなみにこの元記事は1997年という4年前のもの。
で、その対策として当時のトヨタは、
トヨタは06年末に社内横断的なチームを立ち上げ、国内低迷脱却のアイデアを懸命に探り始めた。
対策チームは、自動車という商品の枠内だけで解答は出さず、地域や社会全体の問題の中で消費を喚起する自動車を改めて模索している。携帯電話などの情報関連の支出が増えた若者の「車離れ」や、少子化による若年人口の減少による市場構造の変化を深刻に受け止め、車が売れなくなった構造要因に真剣に目を向けざるを得ない。地域ごとの特性や家庭の年代構成、消費者の行動なども踏まえて自動車市場全体を抜本的に洗い直そうというものだ。
少子化対策は政府でも有効策を打ち出せていない難題中の難問だ。それでも、トヨタの渡辺捷昭社長は「国内市場を活性化するためには、何よりも市場創造型のいい商品を投入することだ。地域の活性化を含めて、いろんな手を打っていきたい」と、社内チームの試みに大きな期待を寄せている。
というわけで、「国内市場をどうにか活性化させるための手を打ちたいと考え、具体的なアクションを起こしている」というメッセージを打ち出したわけですね。
それに対して2ちゃんねる側の反応はだいたい2分されていて、
となっている。
で、このあと2010年になってどうなったかというと、、、、市場動向、トヨタの対応、そしてネット民wの反応がツンダオワタ情報にまとめられている。(本当は産経新聞の元記事URLを引きたかったのだが、既に削除済み。というわけで、元記事の存在証明はないところはご容赦を。(だから、論文とかでは、データとしては使えないなぁ、、、増田で使うのが精一杯。)
豊田社長「マスコミは若者の車離れと言うが、離れているのは私達メーカーではないのか」 - ツンダオワタ情報
まずはトヨタがどのような手を売ったのかというと、、
トヨタは今年1月に「スポーツ車両統括部」を立ち上げ、スポーツカーの企画や開発に関する最終権限を経営陣から現場に移譲。スポーツカーの復活とともに、走る楽しみを演出する複数の
プロジェクトが始動している。足回りの良さにこだわった特別仕様車を相次ぎ発売。4人乗りで世界最小の「iQ」6速MT搭載限定車は予約開始から1週間で完売。
9月3日。強い日差しの下、静岡県小山町の富士スピードウェイで、1台のスポーツカーが強烈なエンジン音を響かせていた。12月から世界限定500台で販売が予定されている高級
スポーツカー「レクサスLFA」(価格3750万円)。報道関係者らを対象にした試乗会が行われていた。LFAの最高時速は325キロだが、この日は1周4.5キロのコースを約2分で駆け抜けた。「ハンドルを握ったときにドキドキ、ワクワクするクルマをつくりたい」自らレースにも参戦する豊田社長は常にこう言い続けてきた。
つまり、
のようにスポーツカーに活路を見出そうとしているよう。
でも、その結果は、、、、「文中の」ファクトデータを洗ってみると、、
クルマが売れない。昨年の国内新車販売台数は約460万台と、ピーク時(平成2年)の6割程度にまで縮小している。景気低迷が一因だが、一般的には若者のクルマ離れが最大の理由とされている。調査によると、大学生の「興味ある製品」でクルマは17位(20年度)と、40~50歳代が大学生だった当時の7位から大きく後退している。
要は、
ということ。ただし、MTのiQは限定台数を売り尽くしたし、Wikipediaの記述を見るかぎり、LFXもきちんと台数は捌けているよう。要は、「作ったクルマはちゃんと売れたけど、市場全体の構造を変えるまでに至っていない」ってことですね。それに対するネット民wの反応は、1997年の痛いニュースから、全く変わっていないというのも面白いところだ。
結局のところ、市場の縮小は人口減少トレンド下では不可避。でも、せめて若年層にクルマを運転する楽しみを知ってもらい、高付加価値のクルマを継続して買ってもらえるようにすることで、市場構造の問題を少しでも緩和したい、っていうところだと思われます。少なくとも、ここまでに取り上げた情報ソースからすると、、、、ですが。
まず、「若者」という括りに対してツッコミがあるというのは、甘んじて受け入れよう。というか、全面的に納得せざるを得ない。で、話を単純化するために、母集団を「大学生」という括りに絞ってみることにする。大学進学率が上昇し、それによって「大学生」という母集団の性質が変化したという点については、「なぜ大学進学率が50%を超えたのか? -大学進学人口と大学数との関連-」という小樽商科大学の学報掲載記事をご覧いただければ一目瞭然。(ああ、やっと真っ当なデータリソースを挙げることができた、、、ホッ。)
であれば、「大学生」よりも、より限定した形で母集団を設定しなければ、まともな時系列比較ができない、ということになる。でも、そんな統計はまともに存在しないだろうなぁ、、、、ということで、ここからは、私の実感という超主観的な状況証拠を絡めてで話を進めたい。私は30代半ばで、某都心から50kmくらいにある某大学を職場とする人間だ。で、自分の周りがみんな全くクルマに興味がないかというと、そんなことはない。R32スカイラインをシートを始めとしてひたすら改造しながら乗っている先輩、フランス製オープンカーに乗る後輩、馬鹿でかいアメリカ製SUVで駅まで送ってくれた後輩、、、、普通にいる。しかし、キャンパスの周りが整備され、駐車場の確保が難しくなったなどの事情もあるのだろうが、昔はその存在を確認できた30万円で買った中古車で大学に通い、金はなくともバス/電車という公共交通機関の利用を忌避するタイプの層は、ほとんど見ることができない。つまり、エンスー、とまではいわないかもいれないが、クルマに対しそれなりのお金を費やししている層は昔も今も、少数ながら存在していて、がんばってクルマに乗ろうという層がいなくなったということになるだろう。
30万円の中古車というと、当時の車種で具体的に言えば、10年オチのファミリアハッチバックとか、カローラⅡとかですな。当然乗り心地は良くないし、内装はパットしないし、、、でも、なぜわざわざそんなクルマを乗り回していたかというと、一番大きな理由は「クルマが無ければ不便だった」ということではないかと思うのですよ。この15年ほどで、私鉄や地下鉄の延長、新規路線開業は相次いだし、JRも湘南新宿ラインなどの直通電車をバンバン投入した。職場近辺は、15年ほど前までは、各駅停車しか止まらない私鉄の駅までバスで15分。都心に行くには2時間じゃ利かないという状況だった。かつ周囲には自動車工場と関連施設、更には清掃工場とかしかない、街だったわけで、、、、そりゃ、がんばってバイトして、クルマ買うよなぁ。逆に言えば、今となっては、無理してバイトしなきゃ手に入らないならクルマなんて買わずに、大学が斡旋してくれるUQ Wimaxのルータでも買って、電車の中で課題をこなしている方がよっぽど効率的だ。
これと同じ状況が広く各大学で生じている。また、首都圏・関西圏のいたる大学で、文系を中心に、バブル期に都心から30〜50km圏に新たに取得した土地に移転させた学部を、都心部の本部キャンパスに戻すというプロジェクトが進められている。というわけで、大学生の多くがクルマに乗らなくなるのは必然、というべき状況なのだ。
"Fun to Drive"というのは80年代〜90年代(だったかな?)にトヨタが掲げていたコーポレートスローガン、というかキャッチコピー。今あらためて読んでみると、いいキャッチコピーだなぁと。クルマを運転するのはやっぱり楽しいと思う。車高の低い、重心の位置が決まっているクルマって、運転技術が下手な人間でも、走らせるとむちゃくちゃ楽しい。(助手席に乗る人はたまったものじゃないわけだけれど、、、)研究者の職場というのは、普通のホワイトカラーと比べて圧倒的に交通の不便な場所に設置されていることが多い。大学しかり、企業や行政立の研究所しかり。将来的にそういった職場で、ある程度の期間働くことになったとしても、個人的にはクルマで通勤するのはできるだけ避けたいと思う。だって、遅刻の心配しながら朝必死に高速を飛ばしたり、長時間デスクワークした疲れた体で夜道を長時間かけて走って帰宅なんてしたくないじゃあないですか。しかも、クルマに乗っている限り、酒が飲めないというオチまでついてくる。正直、Fun to Driveを実感するきっかけが、自分に巡ってくる機会なんてめったにない。
タイトな仕事に従事する層が通勤でFun to Driveを感じるというのはかなり厳しい。逆に言えば、サボってもいい授業を沢山履修していたり、帰り道にドライブデートする機会が多い学生というのは、Fun to Driveを感じるのにものすごく最適化された生活をしているのだろう。もちろん、クルマで通うことが正当化されるような大学に通っている場合に限るわけだけれど、、、、
それ以外では、「もともと自宅に乗っていて楽しいタイプのクルマがあって」「工場勤務で工場隣接の寮に住んでいるから平日は閉じ込められている。近所にろくに店もないから、週末はクルマで遠出するのが趣味。店がないということは、そもそも他にお金の使い道もないし、、、」という人くらいなのではないかと思いますよ。
まあそれでも、ものづくりニッポンの文化として、モータリゼーションは浸透し続けるべきだし、それは可能だとおっしゃる向きもあるだろう。であれば、自動車文化先進国といわれるヨーロッパの状況を見てみたい。
ヨーロッパに行くと、日本ではあまりお目にかかれないブランドのクルマをよく見かける。SKODA、SEAT、そして90年代には多少日本にも乗っている人がいたけれど、、、的なOPEL、LANCIAなどもまだまだ現役だ。注目したいのはSKODAとSEAT。この2つのブランドはAudi同様VOLKS WAGENの一ブランドなのである。SKODAはもともとチェコ、SEATはスペインのメーカー。それぞれVWによって買収され、現在は中〜低価格帯のラインナップを担っている。逆にVWの高級ラインがAudi。VWは、ヨーロッパで最も販売台数が多い自動車メーカーだ。ACEA - European Automobile Manufacturers' Associationの、Year 2011 by manufacturer and by vehicle category (Enlarged Europe) <※注1:エクセルファイルへのリンクです, 注2:1月〜8月までの数値>によると、メーカーとしてのシェアは23.2%。で、問題は23.2%の内訳だ。VWブランドは全体の12.3%。高級ラインのAudiは全体の5.0%、SEATが2.3%、SKODAが3.6%である。VWはフェートンやトゥアレグなどの高級車(というか、実質中身はAudi A8・Q7ね、、、)はあれど、代数的にはごく一部だろうから、23.2%のうち、15%くらいはBセグメント以下の中小型車と推測できる。そしてVWグループの低価格帯のクルマにスポーツカーは極少数だし、Golfにしても他の車種にしても、ホットバージョンのグレードは売上のほんの少しだろう。
一方、スポーツブランド、エンスーな人御用達ブランドはというと、、、ALFA ROMEOで1.0%、PORSCHEで0.3%。ボンドカーASTON MARTINもヨーロッパでは8ヶ月間で1,664台(0.0180630955651735%)しか売れていない。(これだけ売れれば十分か、、、?)ちなみにみんな大好きフェラーリは、FIATグループの中でもその他扱いされていて、数値が出されていない。っていうか、その程度のもの。ヨーロッパは階級社会が未だに色濃く残る社会なので、先祖代々馬車に乗っているような人たちが、相変わらず週末の嗜みとしてポルシェやフェラーリ、はたまたブガッティやランボルギーニなどのカロッツェリアがリリースする少数生産の高級車に乗っているのだろう。ということは、ですよ。日本においてエンスー車のみをひたすら取り上げていたCar GraphicやNaviのような雑誌がそこそこ売れ、地方自治体立の図書館に配架され、なおかつテレビ朝日系で番組まであったというのは、どう考えてもおかしい事態、なわけですね。
というと、やっぱり車の運転が「好き」っていう人はそんなにいるように思えない。バック・トゥ・ザ・フューチャーの時代から、若者の憧れはSUVだったし、トヨタがアメリカの若年層を攻略するために導入したサイオンだって、ラインナップはxB(日本名Bb)、xD(日本名ist)だし。アメリカ市場といえば、、、のホンダの戦略車種だって、ELEMENTやCR-VにMDX。ようは、SUVをカリフォルニアサーフカルチャーに振るか、ニューヨークのヒップホップカルチャーに振るか、はたまた高級志向に走るかしか、手はなかったわけで、、、、
経済成長期というのは、来年は今年よりも所得が増える人が沢山いるという状態のことだ。経済的に余裕が出来てくると、多くの人間が考えるのは生活の質的向上を図ろうというものだ。その結果、未知の様々な趣味にお金と時間を突っ込んで見ることとなる(これ、現在の中国沿海部がちょうどそういう状態)。そういった状況下で、日本のメーカーはレビン/トレノ、MR-2、CR-X、ユーノスロードスター、FTOなど低価格でかなり走りが楽しめるスポーツカーを量産してしまうことに成功してしまう。ミドシップのツーシーターが200万円台前半とか、V−Tecエンジンを積んだ2ドアホットハッチが100万円台、車の歴史から見たら、おかしいだろう!ということですよ。更にホンダビートやダイハツカプチーノ、極めつけはマツダAutozam AZ-1。軽自動車なのに、ミドシップでガルウィング。とんでもなさすぎる、、、、
で、いろいろ手を出してみるものの、そこそこ収入が安定する頃には、自分の趣味や可処分所得に見合った趣味だけに落ち着いていく。ま、もともとクルマで女の子にもてようと思えば、そこそこの外車や国産車でもレクサスになるだろう。中途半端に月3万円のローンとほぼ同額の維持費をクルマに突っ込むくらいなら、3万円を衣服費に使い、残り3万円でデートに誘う店のグレードを上げた方がよっぽどモテるだろう。結局日本という市場は、相も変わらず500万円オーバーのクルマを買い続けてくれる一部の層と、下駄として使うための安くて丈夫なクルマを選ぶ層(しかも、子育て期限定でワンボックスを買う層も多いと見た、っていうか00年代前半は、2シーター乗っていた人が、パパになってSTEPWGNやセレナに乗り換えを余儀なくされるというパターンが本当に多かったのですよ)と、クルマなんてそもそもいらないっていう多くの層によって形成されることとなる。下駄クルマは利益率は低いし、韓国・中国勢がブランド力を向上させていけば、取って代わられる事態も当然ありうる(それを日本にやられた先例がアメリカだ)。国内市場で利益をあげ続けようと思うならば、高級車のシェアを取りに行くしかない。そういう意味でトヨタはLexusを止める訳にはいかないし、他社は実質国内市場はあきらめかけているんじゃない、、、としか思えない。高級車ラインを展開できなければ、日本は欧州・アジア向けモデルを導入するone of themの市場という前提で戦略を立てざるを得ない(実際、日産、ホンダ、マツダなんかはまさしくこの戦略をとってる。マーチが全量アジアからの輸入になるなんてね、、、、)。
で、以下のURLから1本のテレビCMをご覧頂きたい。トヨタグループの一員であるダイハツの企業CMだ。
テレビCM 企業CM「日本のどこかで 新しい町」篇【ダイハツ】
このCMの読み解きは、あくまでも僕の憶測にしか過ぎないのであしからず。
都会でクリエイティブ(たぶん美容師とか、ショップ店員とかかな?)な仕事をしていた瑛太が、突如田舎にIターン(Uターン、じゃないだろうなぁ、、、)して、ガテン系(工務店)の仕事を始める。そこで、これまで乗っていたアメ車のシボレー・カマロを第三のエコカーであるダイハツの軽(ミラ・イース)に変える。生活の変化と平行して、地元の郵便局員である吹石一恵との関係が始まり、、、、というストーリーなわけだけど、設定の1つ1つに企業戦略として重要な意味合いが込められていると思うのだ。(あくまでも推測だけど、、、)
都心にはダイハツが売り込む市場など、商用車以外に大して存在しない(それでも、乳幼児を抱えるお母さんが、電車に乗れなくなったから必要に迫られて車を買うというケースは結構ある(タントのCMを参照。それにしてもダイハツのCMは、意図がすっきりはっきりして清々しいほど。マーケ的お手本ですね。)。だから、当然第一次・第二次産業(の生産部門)が経済の中心であるエリア、もっとわかりやすく言い換えると、でっかいイオンモールが唯一のデートコースという地域が、ダイハツ(とかスズキとか)の主戦場となる。
そういったエリアは、都心とは異なる理由で市場の縮小が進んでいる。まずもって、人口減少トレンドがものすごく強いということ。都心の場合出生率は下がっても、人口流入が大きいので若年層人口の減少トレンドはかなり緩和されている(というか、江東区とか、横浜市なんかは、保育園入園の待機児童問題がぜんぜん解決されないままで、、、、)。でも、地方は加速度がついて若年人口が減っているというのがまず前提となる。
その上に自動車市場を冷やす意外な要因というのが、実はイオンモールの進出ではないのかな、と個人的には睨んでいる。こう書くと、「イオンモールこそが、駅前商店街衰退の最大の要因で、だからみんなクルマを保有せざるをえないのじゃないか」というツッコミがきそうだが、たぶん逆じゃないかな、と。地方の駅前商店街なんて、もともと若年層が楽しめる娯楽や、ファッションを提供する機能を持っていなかった。だから、暇な若者に出来る時間つぶしって、女の子を誘ってドライブくらいしかなかったわけだ。例えば、90年代にものすごく売れたホンダ・S-MX は、フルフラットシートにできるだけでなく、ご丁寧にティッシュボックスまで備え付けてある。わかりやすくニーズのど真ん中をついていたわけだ。
それが、イオンモールができることで状況は一変する。シネコンやタイトーとかセガとかの大規模ゲーセンやROUND1で時間は潰せるし、服を買うのも、ワールドやイトキン、オンワードといったアパレル大手のちょっと低価格ラインのショップ、レディースならば宮崎あおいがCMしてるEarth music & ecologyとか、OZOC、Melroseとか。メンズならTK Takeo Kikuchiとか。ユニセックス&チャイルドで、UNIQLOに満足しない層のために、GAPとか、無印とか、COMME CA ISMとかも入っている。ABCマートがあれば、靴も含めてそんなにダサくない、というか都心で売っているものと遜色のないものが揃ってしまう。そりゃ、裏原宿のテイストは無理だけど、池袋マルイやサンシャインシティくらいのレベルは買えてしまう。片道30分でイオンモールにつけるのであれば、その短い時間にお金をかけるよりも、一日中過ごすイオンモールの中でお金を使ったほうが楽しいわけだ。つまり、人口が少ないだけでなく、残っている若者にもクルマに必要以上にお金をつぎ込むインセンティブがもはや存在しないということだ。
じゃあ、粛々とシュリンクする市場規模に対応するだけの資源投下をすべきか、、、というとそうは問屋がおろさない。それができない要因、それは地方に数多く存在する独立資本の販売店フランチャイジーだ。バブル崩壊後、自動車メーカーはそれぞれ、ドラスティックに販売網ネットワークを整理した。今となっては複数の販売チャネルを運営しているのは、実質的にはトヨタだけになってしまった。ただし、トヨタ・日産・三菱といったメーカーの場合、販社は一部自らが出資している法人が大半であり、スムーズに(とはいかないまでも、どうにか)店舗網の縮小、合併を進めることができた。ところが、ダイハツ、スズキ、スバル、ホンダ(の旧プリモ店)は、三丁目の夕日に出てくるような個人経営の自動車整備業にフランチャイジーとして販売を委託するという形態の店舗を数多く抱える。販売店網が密だということは、アフターサービス・メンテナンスの質を向上させることにつながる。アフターサービス・メンテナンスはアフターマーケットという業界用語があるくらい、利益率の高い市場なので、各社力を入れているわけだが、サービス水準を高めるためには、各店舗の士気が高められていることが重要だ。
販社としては、生涯価値の高い顧客、つまり長くお金を落とし続けてくれる顧客を捕まえたいというニーズを持っている。となると、地方にやってきた若年層というのが、一番欲しい顧客のプロファイルとなる。地方にやってきて、工務店という地域密着な仕事をし、地元の(たぶん)特定郵便局の職員とつきあって結婚して、、、というのは、まさしく地方の販売店にとって喉から手が出るほど欲しい顧客像だといえるだろう。こういう層に向けて、ストレートに刺さるCM、というのは、ミラ・イースの本当の想定顧客かどうかは関係ない。(実際、イースの車種CMは、ブルース・ウィリスを起用してダジャレを言わせているわけだから、瑛太のようなプロフィール、ではないことは明白。)「企業CM」して瑛太と吹石一恵が出演するCMを放映するということは、メッセージのターゲットは販売店フランチャイジーなのではないかな、と。
小見出しで結論は言い切っちゃいましたが、基本はこれ。自動車メーカーもボードメンバーや車種開発部門は既にわかっていてやっているはず。じゃなきゃ、瑛太が乗るクルマはミラ・イースにならないし、マツダのスカイアクティブテクノロジ搭載車やホンダのハイブリッド車に国内独自モデルが1つもない、なんて事にもならないはず。
ところが、販売部門、とくに販社といっしょにプロモーション計画を取りまとめる部門は、国内は縮小均衡で粛々とやっていく、なんてことは口が裂けても言えないはず。なので、国内販社向けマーケティング担当者が考えるべきは、シュリンクする市場環境下で、世界共通モデルをいかに低コストでローカライズして、他者のシェアを奪うのか、しかないのが現状なのだと思いますよ。正直、ね。
http://anond.hatelabo.jp/20111005092209
直木賞、芥川賞、本屋大賞など。文学賞を創設してこれというものを選んで授賞する。本屋大賞なんか一番わかりやすくて「書店員が一番売りたい本」を選んで授賞してるんだよね。ある意味で一番効果的なプロモーション。上に上げた3賞以外ではノーベル文学賞が有効。世界的大家でも日本では無名な作家が一気に売れるようになる。
普段本なんか読まない賞にとって、これも有効なプロモーション。俳優陣は勿論、脚本家や監督も実績のある人を採用すれば効果的。観客動員や視聴率のために原作からの改変なんて当たり前だけど(中年男の主人公が若い女性になったり、殺人の動機が単純になったり)、それでも原作が売れるようになる。ただしやり方を間違えると元からの原作ファンが立腹する可能性あり。ラノベのアニメ化もこれに含まれる。
「小節は読まないけどビジネス書は読む」「雑誌や新聞は読む」という人には有効。「もしドラ!」「チーズはどこへ消えた」「GOAL」など。ただ、これ「小説を売る」じゃなくて「書籍というパッケージを売る」というものだけど。難点はブームが去ればあっという間に著者が一発屋化すること。
ここ数年の流行。夏目漱石や太宰治に小畑健の絵をつけたり、サリンジャーやチャンドラーを村上春樹訳で発売したり。これもやり過ぎると陳腐化する。
去年辺りまで流行ってた。小説と言うよりもタレント本といったほうがいいのかもしれない。ただあれだけ話題になった劇団ひとりが2作目は全然売れてないし、水嶋ヒロも2作目が出る気配がない。その後も作家として活動しているのは辻仁成(辻はブーム前に出てきたけど)、川上未映子など少数。
AKBに、それほど興味がないのだが、このじゃんけん大会のニュースを受け、
いろいろと情報を見てると、このじゃんけん大会っていうものが、おそろしいほどよくできたビジネスだと感心した。
知らない人のために一応補足しておくと、
やってることは、ほんとうに、ただのじゃんけん。じゃんけんでシングルを歌う人とそのセンターを決める大会。
で何が優れているかというと?
何曲か歌も披露するらしいが、基本はじゃんけんのみで武道館が満員。しかも、チケットは3000円。
武道館はコンサートによって収容人数が違うらしいので正確には、わからないけど、1万人きていたら、
それだけで、売上は3000万円か。
オリコンの本のランキングによると1000円の公式ガイドブックが約5万7千冊売れてる。
これで、売上は5700万円か。
http://www.oricon.co.jp/rank/ob/w/2011-09-19/
約100箇所の映画館でライブ中継されたらしいです。これはSONYが力を入れている「ライブスパイア」っていう奴だけど
それの公式サイトをみると、チケットが売り切れの会場もあるみたい。売上はわからないが利益にはなっているだろう。
http://livespire.jp/news/2011.html#20110916190715
このじゃんけん大会中、各AKBメンバーに密着取材して、それをDVDにして売っている。
直販のみらしいので売上はわからないけど、これも利益になっているだろう。
http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/jikenbo_detail/?id=20110112-00004874-r25
そして、最後に一番すごいのは、このじゃんけん大会っていうのが、
ぶっちゃけていえば、今後、発売するシングルのプロモーションだってこと。
今回は、最後まで勝ち抜いた篠田麻里子がセンターをやるらしく、ニュースもかなり出ているのを見ると
このじゃんけん大会は、プロモーションで金を稼いだあげく、プロモーションも成功させている。
これは新しいビジネスモデルだわ。
んー、もっと大きな基本的な考えがあるんじゃないかなぁ。それは、「昔は、会社でないとできないことがたくさんあったけど、今はそうじゃない」ってこと。
昔は、「自分が作ったサービスを日本中、いや、世界中の人に紹介して使ってもらいたい」なんて思えば、会社の力を借りるしか無かった。個人で出来る範囲を遙かに超えるコストがかかるから。だからまず社内で「こういうことをやりたい」と企画して、お偉いさん達を説得することから始める。そして会社で開発して、会社で宣伝して、会社でサービス運用しないとダメだった。なので、どんなに「面白い人」も会社を辞めずに会社で仕事した。
でも今じゃ、Webサービスの開発やプロモーションくらい、全部個人でやろうと思えばできる時代。じゃぁ、どうして不自由さを感じてまで、わざわざ会社でやる必要があるの? 自分でやっちゃえばいいじゃん。ってなるのは当たり前。
私が感じた例で言うと、例えば海外のある国のある田舎町について直接現地住人に聞いて調べたいとする。昔ならまずそこの現地まで行って、そこの住民にコンタクトを取ってインタビューするまでに膨大なコストがかかり、気軽に個人でできるもんじゃなかった。でも今なら、Facebookでもなんでもいいけどそこに住んでいる人を見つけて、直接メールなりビデオチャットなりで頼んで聞いてしまえばいい。
そう、「個人でできる仕事」がとても大きくなっているんだ。
他の業界、例えば音楽業界なんかも。昔は、自分が作った曲を演奏して、それを日本中に届けたい……って思えば、もうレコード会社と契約する以外の選択肢は無かった。でも今じゃ、音楽やりたければmp3で自分でネット配信しちゃえばいい。CDを売りたければ、それこそ自分でCD-R焼いて自分で通販サイト作って売ってもいい。
結局、今の時代、会社が従業員に提供できるものって、もはや「電話受けてくれたり、事務書類や法律関係のお手伝いをしてくれて、仕事のためのインフラ環境を整えてくれる便利な事務所」としての機能しか無いのだ。ここがちゃんと分かっている会社も(日本には非常に稀だけど)確かにあって、そういう会社には優秀な人は居着いているよ。でも全く分かってない会社も(残念ながら)たくさんあって、そういう会社はいまだに「朝は9時出社」「社内からTwitter禁止」「10年は泥のように働け」ってなってるわけ。
きゃりーぱみゅぱみゅについて大して知りもしない自分が思うのは、あれって、「海外で人気の○○」に弱い日本人のさがを活用したプロモーションが成功したんじゃないかということ。海外で人気であるという事実を半ばでっち上げに近いやり方で作り出し、それを起爆剤に、日本で本格的に売る、みたいな。飽くまで憶測なんだけどさ。
例えば、ざっくり言ってフィンランドの人口は500万人、ベルギーの人口は1000万人。日本より人口が断然少ない国のitunesユーザーの中のエレクトロ部門なら、サクラが買いまくればランキングは操作できそうだ。(仮にフィンランドの人口の1/10がitunesユーザーで、そのうちの1/10がエレクトロというセグメントのユーザーだとしたら、その数は5万人。5万人の半数の2万5000曲くらいダウンロードされればランキング1位は取れるんじゃなかろーか。欧州では1曲150円しない価格でダウンロードできるそうなので、150円×2万5000曲=375万円使えば、フィンランドのitunesエレクトロ部門でランキング1位を獲得できる…のかもしれない。)
他にも、例えば、youtubeには外国人がきゃりーぱみゅぱみゅをみて驚いたリアクションをする様子を映した動画があったが、うがった見方をすれば、あれは胡散臭い。著名人が推薦するという手法も広告の技法としてはありきたりで、"Limp BizkitのFredがツイートした"というのも、そういうのの一貫だったりしないのかなと。
まぁ個人的にはどうでもいいんだけど、デビューアルバムがフィンランドとベルギーのiTunesエレクトロチャートで1位になるという快挙を成し遂げてしまって今やここぞとばかりにバラエティ番組にまで引っ張りだこのきゃりーぱみゅぱみゅさんだが、歌い手がPerfumeでもMEGでも鈴木亜美でもあくまで歌を素材として扱う相変わらずブレない中田ヤスタカサウンドであるとか、彼女のキャラクターを十二分に表現した奇怪なPVだとか、子供の頃の黒歴史のイメージビデオであるとか、色々と成功の要因は挙げられると思うのだが、この件に関して思うのは、紛れもなく「日本でおそらく初めてYouTubeから火がついたアーティスト」ということだ。海外だとOK GOとかYouTubeのPVからブレイクするケースはあったけど、YouTubeから無名の国産アーティストが世界的に一気にブレイクしたケースは彼女が初めてといっていいんじゃないだろうか。どういう経緯を経て海外にまでぽんぽんぽんぽん浸食していったのかは定かではないが、有名どころではLimp BizkitのFredがツイートしたあたりで加速したんだろうか。
ここで改めて思うのは、もうレコード会社はいつまでもPVや音楽の違法アップロードを躍起になって消している場合じゃないよな、ということで、公式に YouTubeなりにPVをアップするのはマーケティングとしてもはや必然なんだということを、改めて終わりかけている音楽業界に伝えておきたい。というか、目先の音楽で儲けようと考えずに、とにかく世界規模で多くの人間の目に触れられるチャンスが確実にあるわけで、当たればその先でいくらでも儲ける手段はあるんだぜ、という考えに4~5年前からシフトしていかなければいけなかったんですよ。SMEのアーティストとかもうまったく聞かないんだけど、未だに何やってんの。
あと、関係ないところでもうひとつ思うのは、こういう「ブレイク」の感覚っていうんだろうか。今や小さい規模でなら、芸能事務所やらメジャーレーベルに属さなくとも良くも悪くも似たような感覚は味わえちゃう時代になりまして、そう考えると、これからの芸能界はそれこそ世界レベルで受ける人材が求められるわけで、「ただ目立ちたかっただけ」の中途半端な芸能人やアーティストにとってはこれからますますしんどい時代になるよなぁと思うわけです。
(追記)
一応、成功例が少ないだとか偶発的な事例だとか反応があるので書いておくけど、デビューしたばかりのアーティストでいうと、¡MAYDAY!というアーティストはまだYouTubeができて間もない頃にYouTubeのPVがきっかけでブレイクしたと言えると思う。順序が違うけど、Justin BieberだってYouTubeからデビューして今や億単位の再生回数を誇っているわけで、世界的に見れば別に特別な事例でも何でもない。ただ、はっきりと「YouTubeでブレイクした」と言えるアーティストは少ないだけで、Perfumeなんかもそうだけど、確実にYouTubeがきっかけで海外のファンが増えたアーティストはいくらでもいるだろう。これは別に音楽に限った話じゃなく、今のところ全世界にコンテンツをプロモーションしかけようと思ったら、コストを考えれば、ツールはYouTubeとFacebookぐらいしか考えられないだろう、という話をしているのであって、「youtube以外のプロモーション活動無視かよ」とかいうツッコミはまったく論点が違うので、あしからず。
小学生の時に一度見たことがあったが、体中を包帯でまかれた母親の姿がトラウマになり、それ以来怖くて見るのを避けてきた。だから私にとっては、実に数10年ぶりという事になる。
世間一般では蛍の墓は「反戦映画」と言う事になっている。空襲で母を無くし、残された兄と妹二人が、戦争という環境下で必死に生きる姿を描く壮絶なドラマ。劇中、栄養失調で妹の節子が死に、駅の隅で兄の清太が野垂れ死ぬ時、だれしもが涙し戦争の愚かさへの痛切なメッセージを受け取る、と言う事になっている。
しかし、今日改めて見たら全然印象が違った。私は「蛍の墓」という映画について根本的な誤解をしていた。たしかに戦争は舞台装置として使われているが、これは「反戦映画」なんかじゃ全くない。もっといえば、「戦争」という時代は「蛍の墓」の話の本筋には、ほぼ何もつけ加えていない。兄と妹が息絶えるという悲劇的なラストも、戦争のせいではなく、単に彼らが「俺たちに明日はない」のような放蕩生活を送っていたからに過ぎない。
親を無くし、空襲で家を焼かれた彼らはおばさんの家に厄介になるが、やがて「働きもせず飯を食べてばっかりいる」彼らに、おばさんは苛立ちを募らせてゆく。兄と妹は居心地の悪さを感じるようになる。我慢の限界に達した兄の清太は妹を連れ出し、おばさんの家を離れる。いわゆる、逆ギレという奴である。家を追い出されたわけではない。清太自ら「居心地のいい場所」を求めて無計画に家を飛び出すのである。やがて、小さな洞穴を新しい我が家とし、外界との接触を一切断ち、二人だけの生活を始める兄と妹。兄は、そこら辺にある蛙をとったり、畑から作物を盗んだりして、食いつなぎながら穏やかに暮らすが、そんな生活に幼い妹が耐えられるわけなく、やがて妹は、栄養失調で死にいたる。
重要なのは、彼らの命の選択権は「戦争」にあったのではなく、彼ら自身にあったということだ。言い換えれば、二人は「死」という結末にならなくてすむ選択肢も取りえた。たとえば清太は、終戦まで我慢しておばさんの家に留まることもできたし、別に働き場所を見つける事は可能だった。途中でリンチされる清太を助けてくれた警察官に理由を言って救いを求めたら、違う結果にもなったはずだ。唯一、「戦争」そのものがストーリーを動かしている所といえば、空襲で母親が被爆し不条理に命を奪われる冒頭の約10分だけで、その後ストーリーの牽引役は完全に兄の清太の(自己破壊的な)行動にある。
そうならば、妹の節子を殺したのは実質的に、兄の清太だといっていい。しかし清太自身は、自分の身勝手さに妹は巻き込まれたのかもしれない、という可能性には全く気付いていない。少なくとも、燃え盛る妹の死体を見つめる兄の視線からは微塵の「自責」の意識も見られない。そこには、ただ、自分の道なんかを信じちゃって進まんと決意しちゃうまっすぐな瞳がある。私は、このまなざしをみた時、吐き気がした。それは、小学校の時感じた戦争のグロシーンに対してのそれとは全くちがうタイプの、この映画による2回目の吐き気だった。
繰り返すが、これは戦争映画ではない。戦争それ以前に、社会において人と折り合っていくことを拒み、自分が他と独立な法則にしたがっていると信じ、完全な自足の道を求めようとした若者がたどってしまう足跡の映画である。実際、この映画を手がけた高畑監督自身も、口すっぱく「これは戦争反対の映画ではない」といっていたようだ。それが”戦争の悲しさを伝える映画”として流布されたのはおそらく、プロモーションサイドの暴走であろう。
確かに、「蛍の墓」は悲劇だ。ただ、この映画において結果的に悲劇をもたらしたのは戦争ではなく、この頑なで、近視眼的な若さのようなものである。泣けるっちゃあ、そこで泣ける。
すなわち、問われるのは「戦争」ではなく、「道徳」であろう。少なくとも、私が戦争被害者ならこれを反戦映画と認めないだろうし、私が教師なら上記の文脈において教え子の小学生に見せて伝える。
http://twitter.com/#!/zaway
http://anond.hatelabo.jp/20110810122334
という記事を書いたらこういう情報をいただきました。
岩崎夏海「小説の読み方の教科書」 http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refBook=978-4-267-01885-5
『もしドラ』以降、事実上初の岩崎夏海氏の書き下ろしは、「小説の正しい読み方」の指南書。 NHK総合「課外授業ようこそ先輩」(7月9日放送)でも反響を呼んだ、「『もしドラ』流 読書術」のエッセンス。 「小説は、正しく読めばこれほど助けになるものはありません。 ぼくはこれまで、ぼくを生かしてくれたものは何かと問われれば、 まず真っ先に『小説です』と答えてきたくらいです。 ぼくは、小説を読み、そこから学ぶことによって、 これまで成長を果たしてきました。」(著者あとがきより) (目次より〔予定〕) 第1章 ぼくの読書遍歴 第2章 ではなぜ小説なのか 第3章 小説の歴史 第4章 なぜ『ハックルベリー・フィンの冒険』なのか 第5章 『ハック』の読み方(ストーリー編) 第6章 『ハック』の読み方(キャラクター編) 第7章 『ハック』の読み方(テクニック編) 第8章 小説の正しい読み方
タイトルだけ見て大爆笑した。
最近久々にブログでこういう事書いたと思ったらこれの伏線だったわけか。
『もしドラ』を出してからというもの、世の中には小説の読み方が誤っている人、知らない人が多いということにも気づかされた。特にネットの世界では、誤った批評というものが数多く見受けられた。そうして彼らは、その誤った読み方ゆえに、肝心の面白さを見逃してしまっているのだ。
それが、ぼくにはとても「もったいないことだ」と思われたのである。小説も、正しく読めば、今よりずっと面白さを味わえたはずなのに、それをみすみす見逃してしまったのでは、お金も時間も損である。
そこで、そんな人が少しでも減るように「小説の正しい読み方をレクチャーすること」は、ぼくの一つの使命なのではないか――と考えるようになったのである。そうして、「小説を少しでも面白がれる人が増えれば、それは一つの社会貢献になる」とも考えるようになった。
やねうらおさんに思い込み激しいと言われて踏みとどまるわけはなく、むしろどんどん加速していってるハックル△。
どこでクリティカルを突破してグラウンド・ゼロに到達するのやら。これからも目が離せない逸材です。
ちなみにテレビ関係の人というか、手順を踏んで商品発売前に人を集めたり種を蒔いておくのは上手だわ。
逆に考えると、直前にあんまり人集めをしてなかった「エースの系譜」については
売れなくてもいいから彼が言う「正しい読み方」をしてくれる人にだけ読んで欲しかったんだろうかと考えるのはちょっと贔屓目かな。
2 ***が出来ないと問題だ、可哀想だと煽る。○○の話題に人を集める
3 人を集めた段階で***の問題がきになるあなたにこんな商品ありますけどどうぞ、と提示する
4 1~3の流れを商品ありきのヤラセ=3から遡って問題をでっちあげ、ではなく心から困ってる人のために準備しました、という演出を行う。
(客からすればお買得価格が大事なんだけれど、あれも「お客様と私の中ですから」というアッサラーム的な演出でお客さんのいやらしさをフォローするのが大事)
1~4をタイミングよく行っていくことで、商品の品質のチェックや、他の商品との比較が行われる前に短期間で売り切るのがポイント。
ちなみにこれ私が考えたわけじゃなくて、「秋元康の仕事術」とかいうタイトルの本を立ち読みしたときに書いてたのでたぶんAKBもこの方式でやってる。
んで。
ハックルさんの強みは天然で4ができちゃうところなんじゃないかと。
僕らはハックルさんのことをよく知ってるからあんまりピンとこないかもしれないかもしれないけど、
ハックルさんの言動って、あんまり彼のことを知らない人が見たら、ネタなのかマジなのか判別が難しいところだと思う。
「よく知らない人」にはなんだか真面目そうだしいいんじゃない?って思わせられる。
これは今のやらせ臭さがプンプンするぜぇーなテレビや出版業界ではとってもイケてる性質じゃないかと。
実際4のみせかけの部分を「CSRマーケティング」とか言って売り込んでる業者さんに遭遇したことあるので結構大事だと思うんだ。
こういうところは素直に見習いたいけど、見習おうにもこの人の人の話聞かない&周り見えてないっぷりは真似しようと思っても真似できないのがツライ。
ハックルさん次は「真摯マーケティング~ドラッカーが教えてくれたビジネスで一番大切なこと~」とかの本を出さないかなー。
この人のいう真摯って私の思ってるのと違うんだけど、彼がこの言葉をどう捉えているのかすごい興味があるんだよ。
ちなみにこの本は11月発売だそうです。
この本も私が買って、笑えるところは皆さんと共有する予定。
読むのめんどいけど読まずにハックルさんをDISるのはちょっと気がひけるという方は買わないでしばらく待っておいてくださいね。
プロモーション入りコンテンツ=クソとするロジックがよく分からん
NHKがプロジェクトXやってた辺りからおかしくなった気がする。
グルメと関係ない番組で「どこそこの〇〇はうまい」とか言ってゲストが「おみやげ」持ってきたり、
「楽天で売上1位の商品はこれ!」と言って訳のわからんものを紹介したり、
「〇〇は健康に良い」って紹介した翌日にスーパーで売り切れ続出とか、
やたらロケに行ってメシ食ったりする番組が増えてきたり、家電量販店で買い物だけする番組があったり、
最終的にはファミレスのメニュー全部食うとか、コンビニの新商品を評価(うまいとしか言わない)とか、
工場見学までやって露骨に特定の企業イメージを上げようとしたりしてる。
トーク番組のゲストは、ドラマか映画かCDか書籍のプロモーションで来てる奴ばかりだし、
ドラマも最終回で劇場版に引っ張るような終わり方をして、結末が気になったら映画まで見なきゃいけなくなったし、
アニメなんて本編がまるごとDVD、BDやキャラソンCD、原作のラノベ、漫画のCMみたいなものだ。
制作費が減ったせいなのか知らんけど、最近のテレビは1日じゅう芸人がコマーシャルやってるような番組ばっかりだ。
ステルスマーケティングというか、露骨すぎてステルスにもなり損なってる。
そりゃ番組単体のクオリティとか関係ないだろ、CMなんだから。
エヌ氏の一日は、「いいね!」ボタンをクリックすることから始まる。
「いいね!」ボタンは、エヌ氏が参加している仮想世界上の友達の日記やひとりごとつぶやき機能についているお手軽評価ボタンのことだ。
エヌ氏の友達は、熱心に仮想世界上の日記に日々のできごとを綴っていた。
朝ごはんに食べたもの、今いる場所、気がついたこと、天気のこと、猫や花の写真とありとあらゆるものが仮想世界上の日記としてほぼリアルタイムに書き込まれていた。
エヌ氏は仮想世界上の友達との友好的なコミュニケーションを円滑に果たすために、早起きしてエヌ氏が就寝してから起きるまでの間に書かれた日記にたいして、「いいね!」ボタンを次々と押していった。
本来は、どういうふうに「いいね!」なのかを感想コメントとして残すべきなのだが、何せエヌ氏が読まなければならない日記の量は膨大で一日のうちのかなりの時間をそれに費やしていた。そんな状態だったので、コメントを残さずとも、友達の日記を読んだ証拠を残せる「いいね!」ボタンはエヌ氏にとって、歓迎されるべき機能であった。
出勤前の30分の時間で、「いいね!」ボタンを押し切ったエヌ氏は、朝食も摂らぬまま駅へ向かうバス停へ向かった。
するとエヌ氏の仮想世界上の友達たちは、これまでのエヌ氏の「いいね!」行為への対価を果たすべく、「家を出ました」日記に対して「いいね!」を連発し始めた。
はたからみると、一体全体、何に対して「いいね!」なのかさっぱりわからないが、「いいね!」ボタンを介したコミュニケーションはエヌ氏の生活の一部となっていた。
バスに乗り込むとき、エヌ氏はバスのナンバープレートに書かれた番号とバスの形式を仮想世界上の日記に書いた。このナンバーのチェックはエヌ氏のライフワークだ。エヌ氏のこの日記に次第に「いいね!」が増えていく。増えていく「いいね!」の数を見て、エヌ氏は満足した。
バスを降りたエヌ氏は駅の立ち食いそば屋へ入り、いつものコロッケそばの食券を購入した。カウンターで食券と引き換えにコロッケそばを受け取ったエヌ氏は、隅っこのテーブルにコロッケそばを運び、携帯端末でコロッケそばの写真を撮りはじめた。エヌ氏は、そばを食べながら、器用に左手で携帯端末をあやつり、コロッケそばの写真を仮想世界上の日記として書き上げた。
当然、今年の初めからコロッケそばを何杯食べたかのカウントも忘れない。梅雨の明けたこの時期でコロッケそばカウントは65だった。
食事をこの日記に書き込むこともエヌ氏の大切な日課だ。エヌ氏は日記に書き込んだあとに徐々に増え続ける「いいね!」の数を見ながら、コロッケそばの余韻に浸っていた。
エヌ氏が朝起きてから、2時間が過ぎようとしていた。エヌ氏が見るべき新しい日記があることを画面が告げていた。交友関係が広いエヌ氏が見るべき日記の数は瞬く間に増えていく。
電車を待つホームの上でも、日記を確認し、「いいね!」ボタンを押す作業は続いた。エヌ氏はいつものように先頭から2両目の後ろよりのドアに並ぶと入ってくる電車の番号をチェックし、軽やかに日記を作成した。
日記を作成している間にもエヌ氏がチェックしなければならない日記の数はうなぎのぼりに増え続ける。電車に乗り遅れて遅刻しそうな人の日記に「いいね!」を付け、風邪でおなかを壊して寝込んだ友人の日記にも「いいね!」をつけた。ゆれる満員電車の車内で、つり革につかまらずに絶妙なバランスを取りながら、携帯端末を操作し、増え続ける日記に次々と「いいね!」ボタンを押して、日記を読んだことを示す証しを残した。
会社に着いたエヌ氏は、席につくとおもむろにパソコンの電源を入れ、社内SNSの画面をチェックし始めた。この画面にも「いいね!」ボタンが実装されており、次々と軽やかに「いいね!」ボタンを押し続けた。
会社の業績が落ちていることを示す記事、先輩が地方に転勤する記事、一身上の都合で退職することになった記事と内容のよしあしにかかわらず兎にも角にも「いいね!」ボタンを押し続けた。
プライベートな仮想日記とは別に取引先や同じ業界の人たちとのネットワークもある。社内向けの「いいね!」が終わると、仕事上のつながりのある人たちの日記に「いいね!」をつけ始めた。こちらはプライベートな日記以上に「いいね!」をつけるのに気を使う。付けもらしがあっては失礼だし、「いいね!」をつける人とコメントを書く人との間で差をつけてはいけないからだ。一応、社内の内規でコメントを書くことは作業負担も大きく、誤解を招く恐れがあるので、「いいね!」操作に限るとなっている。
ここまで仕事を終えたエヌ氏は、休憩のために喫煙室へ向かった。喫煙のための休憩はなぜか咎められないことになっている。
タバコに火をつけるのと同時に反対の手で、携帯端末から「喫煙室なう」と仮想日記に書き込んだ。
書き込んだあとから「いいね!」の嵐がやってくる。仕事中に増え続けた日記に「いいね!」をつけ終えるとエヌ氏は、喫煙室を出た。
エヌ氏はオフィスに戻ると、担当している商品のプロモーション用アカウントにログインしてみた。一般の人から感想や苦情が書き込まれることが多く、それに対してうまく受け答えをしなくてはならない。機転のきいたコメントができればいいのだが、うまいコメントが思い浮かばないときは、「いいね!」を多用した。そのときに最善の言葉が見つからなくても、会社として関心があることを示すことができる「いいね!」ボタンはエヌ氏にとっても会社にとっても都合のよいものであった。担当者が複数いても、それぞれの変な個性がでることもなく穏便にアカウントの運営ができた。
「いいね!」ボタンの操作に夢中になって仕事をしていると、とうに昼食の時間を過ぎていた。
カフェテリアでB定食を選び、デザートのショーケースから日替わりプリンを手に取り外の見える席に腰掛けた。昔は同僚と食事をともにすることが多かったが、今では食事の時間も貴重な「いいね!」タイムとなっている。プリンを食べた数をカウントするのもエヌ氏の重要なライフワークとなっている。プリンのカウントは89だ。日記のタイトルにカウント数を入れて、写真を撮って日記を作成した。
先ほど、休憩したときに「いいね!」チェックをしたにもかかわらず、すでに二桁以上の新しい日記がエヌ氏の携帯端末の画面にはあった。
この日記の未読を消化することはエヌ氏にとって大変に重要な関心事である。しかも読み逃げするわけではなく、「いいね!」をつけるのだ。
「いいね!」をつけることは信頼とコミュニケーションの証しであり、エヌ氏にとっては生きがいだ。
食事のあともエヌ氏は的確な操作によって、「いいね!」ボタンを次々と押し続けた。それは仕事の一部でもあり、趣味の一端でもあった。
画面を更新するたびにあらわれる新たな「いいね!」ボタンがある限り、エヌ氏の仕事は存在し続けるし、エヌ氏の存在意義も大きなものになる。
日もとっぷりと暮れたころエヌ氏は会社での仕事を切り上げ、帰路の電車の中にいた。朝と同じ車両に陣取り、携帯端末の「いいね!」ボタンを押し続けた。「いいね!」ボタンをたくみに使いこなすエヌ氏は、仮想日記上での評判がすこぶるよかった。仮想日記上でエヌ氏と知り合うことができれば、自分の日記にエヌ氏からの「いいね!」の評価が必ず入るからだ。
エヌ氏の「いいね!」の評価は呼び水となりほかの人も釣られるようにして、「いいね!」ボタンを押してしまう。エヌ氏の周りには「いいね!」の好循環ができているようにみえた。
帰宅したエヌ氏は、就寝までの時間を使って、仮想日記の新着のチェックを始めた。帰路の電車やバスの中でもチェックをしていたのだが、小さい画面では、日記の消化に限界がある。エヌ氏ご自慢の32インチの薄型画面を使っての「いいね!」ボタンを押す操作はとてもはかどるのだ。
時計の針が次の日に変わるころにエヌ氏の一日は終わる。しかし、エヌ氏が寝ている間にも世界は動き続け、無数の「いいね!」ボタンは増え続ける。
ソーシャルネットワークと言う言葉が浸透し始めて以来、TwitterやFacebookなど、様々なソーシャルネットワークを利用するユーザー数が急増中です。
最初に浮かび上がる話題は、「★★★でビジネス展開」この言葉にどれだけの方々が踊らされ続けて来た事か・・・。
ビジネス展開の部分を煙に巻く様な内容のセミナーが横行し、その気にさせられた方々が無駄な動きを取ってしまう。
そんな話を聞いた事ってありませんか?
しかし、その展開して行く方向性を明確に理解していないとただの時間のロスにしか過ぎないのではないでしょうか?
では、いかに効率的に自分自身のスタイルを崩す事なくソーシャルネットワークでのビジネス展開を進めて行けば良いのかと言う事を簡単にでは御座いますが、掻い摘んでお話したいと思います。
インターネットが普及され、近所付き合い等の人間関係が希薄なモノになろうとしている現在。人々は誰とも会話を交わさずに生きて行ってるでしょうか?
答えはNOです。
これだけ簡単に色んな情報を手に入れる事が出来、これだけ手軽に世界中の人と繋がる事が出来る状況。それでも時が経てば経つほど、人は情報よりも人と人の関わりを求め始める。
金八先生曰く「人という字は人と人が支え合って出来ている」
そのとおりですね。人は人と関わり合って生きない限り満足を得る事は無いのです。
そして、その流れも不思議なモノで
当初は、世界中の人と簡単にやり取りが出来ると言う斬新さが刺激的な部分でもありましたが
よりリアルな距離感でのやり取りをスピード感を持って交わす事が出来るツールと言う使い方に変わろうとしてます。
その流れが顕著に現れてるのがTwitterやFacebookですね。
デベロッパー的な方(既に戦略的な利用をしてる方)は様々な地方の方との交流を図る場所として利用してる事が多いのですが、利用者の大半を占めている一般的な方々の利用方法は、身近な人とのコロニー的な交流を図る場所として利用する事が多い様です。
その昔、人々は道端で言葉を交わしながらその人がどういう考えを持っているのかと言う事を把握しながら交流を重ねて来ました。
知り合いでは無い間柄でも、他の人から得た情報や時々目にする相手の姿を見る事により相手のヒューマンデータの確立が出来ていたと言う事なんです。
ここは簡単に箇条書きで
1、相手の事を直接対話する前からある程度把握出来ている。
2、職業や業務内容も把握出来ている
3、大体どの辺りを拠点にしているのか把握出来ている。
ここまではリアルの世界もネットの世界も同じだと思います。では、わざわざネット上のソーシャルネットワークを使って人との交流を図る理由は?そんな疑問を持たれる方も多いのでは?
ソーシャルネットワークを利用する事によって更に大きな利点を得られるからこそ人々は利用するんだと考えています。
では、プラスの内容を追記。
+1、相手の趣味や思考を把握できる。
+2、相手との接点を持ち易い
これこそが、ソーシャルネットワークの利点です。
以上の内容で考えると、ビジネス展開と言う点での光が見えて来た方もいらっしゃるかと思います。
情報を得る事も重要ではありますが、ソーシャルネットワークとは、如何にして自分自身のパーソナルデータを発信し続けるかと言う事がポイントになるので、あなた自身の日常や趣味などを可能な限り公開し続ける事。
仕事に置き換えるとすれば、お客様や取引先の方に、表面上でしか把握されていなかったあなた自身のパーソナルデータを把握して貰う事が出来、より親近感を持って頂く事も可能であると言う事なんです。
そして、それらの流れは今までの世界観とは全く違った営業活動にもなる訳です。
インターネットは24時間フルオープン状態!!あなたが公開した情報は、今までの仕事時間では展開する事が出来なかった時間帯での活動をも可能にしてくれていると言う事なんです!!
では、あなたの事を検索された時の事を考えてみるとどうでしょう?
検索結果に1~2つの内容が出るだけの場合と、検索結果ページ内にズラッとあなたの事が並んだ場合。
必然的に、検索結果に色んな情報が出る方は再度検索される場合が多いと言う調査結果も出ており、ただ日常をネット上で表現(公開)するだけであなた自身の大きなブランディングが出来てしまう。
これこそがソーシャルネットワークでのビジネス展開になると思いませんか?
1、わざわざ日常とは違う何かを始める訳でも無い。
2、使っているうちにスキルアップも可能。
ここまで書けばご理解頂けると思います。
ネットは苦手なんだよなあ・・なんて言ってる場合では無いのです!!
こんなにも簡単に無料で使える最強ツールを使わない手は無いのです!!
まずは、始めてみる事です!!
あなた自身に合った最高のソーシャルネットワークの利用方法を確立してみて下さい♪
(CV: 小山力也)
よう、全国2000万の非コミュども。今日も今日とて、カスみたいな増田で傷の舐めあいと罵り合いか。
タイトルの通り、最近自分の周りの非コミュたちを見ていて、なんとなく共通して当てはまるものが見えてきた。
信頼を失うような立ち振る舞いが多い。メールの返事返さないとか、電話にでない、とか。
基本的にこちらの事情や行動を平気で踏み潰すヤツが多いことに気づいた。
信用は金で買えるが、信頼は金で買えない。
コミュニケーションというのは信頼が前提にあるものだから、これを失うと、どんどん人間が離れていく。
最初から信頼を獲得するスキルを持ちあわせていなければ、最初から人間は近づいてこない。
つまり、信頼とは本来時間と手間をかけて積み上げていくもので、
それが最初から足りてないから、非コミュは非コミュのままなのだ。
本来は付け焼刃で人間関係スキルだけを磨こうとしても信頼は勝ち取れないのだが、
右も左も分からない非コミュたちには最初のワンステップは必要だろう。
10の具体的なテクニックとしてまとめておいた。
これらは基本的に、小さな信頼を獲得し、コミュニケーションを維持するためのテクニックだ。
これをすれば相手との会話やメールを維持することにつながる。そしてそれがコミュ力だ。
どれも社会人として基本的なことだが、これをすべてやり続けると、
遅刻をするってことは、待ってくれている人の時間を盗むこと。
時間は金で買えないし、返すこともできない。
相手のその日の貴重な1分1秒を奪ってしまったと考えろ。
誰も泥棒を信頼しないし、君も信頼しないだろ?
忙しかったり、小さなことだったら忘れることもあるだろう。
ところが、相手からしたら小さなことではなく、とても重要なことだったりする。
そういうことで相手や周囲から信頼は簡単に失う。
忘れそうだったらメモるとか、タスク管理するとか忘れない方法を考えろ。
仕事だと必然的に納期というものがあるが、プライベートでもいつまでにそれをしたらいいのか確認する
「いつでもいいよ」と言われても「こっちの都合で決めていい? 1週間後でどう?」と決めておく。
「いつでもいい」と言っても半年や1年待ってくれるヤツは、ほとんど居ない。
「あれ、いつやってくれるの?」「いつでもいいんじゃなかったの?」「そうだけどさっ!(怒」
このやりとりをしてしまうと、最悪のパターンだ。
「いつでもいい」は「やってもやらなくてもいい」ではないことも肝に銘じろ。
秒速で返せ、っていうわけじゃない。でも24時間以内には返せ。仕事だったら翌営業日まで。
24時間以内で答えが出せない返事は、返事するのに待って欲しい、という返事を書く。
いつまでには返事できる、というのも書き添える。
いつまでに返事できるかわからなかったとしたら、それも正直に書く。
真っ当な教育を受けて来た人間なら、今までの人生の必ずどこかで教わっているはずだ。
そして、真っ当な人間なら「ありがとう」と言ってもらえると嬉しい。
部下の仕事ぶりにもこれは使う。仕事だから当たり前、自分の部下だから当たり前、と思っていると
最低限の仕事はこなしてくれても上司としての信頼は勝ち取れないし、チームとしての能率も下がる。
例えば起業することになり、友達でデザイン事務所やっているヤツが名刺を作ってくれたとする
「おまえとは友達だし、そこまで手間かかるものでもないから、今回はタダでいいよ」
と言ってくれても、その言葉は額面通りに捉えるな。
その友達はそのスキルで商売をしていて、その商売の時間を短時間とはいえ割いてでも作ってくれたのだ。
金はいらないというのなら、せめて飲み会開いて一晩の飲み代ぐらいは奢れ。
恋人や伴侶、家族、大切な友人には必須イベントだが、友人、ちょっとした知人にもあげたほうがいい。
ただし、友人レベルには大した額でないプレゼントを考えろ。あまり額が大きいと相手は引く。
普段あまり顔をあわせない相手にはおめでとうメールを送れ。疎遠だった人と関係を復活させるチャンスにもなる。
その人の趣味や仕事に直結するような情報を仕入れたらすぐに教える。
例えばビール好きの人が知り合いにいて、自分の地元でビール祭りが開かれる、なんて話があったらすぐにメール。
自分の趣味趣向を知った上でプラスになる情報を教えてくれた、ということが喜ばれるのだ。
若いヤツには効果的だ。年長者からは「若いのにしっかりしてる」という印象を持ってもらえる。
きちんと躾された人間には当然のことだが、最近これが出来ない人、すごく多い。
祝い事やお見舞いにはしかるべき熨斗(のし)をつける。わからなかったらググれ。店の人に聞くのもいい。
別段の要件のない、ただ遊びに行ったり訪問するだけの場合でも手土産は忘れるな。特に初訪問には必須。
相手の時間をこちらの都合で割くのだから、それに見合う返礼は持って行け。
とりあえずの10項目だ。
1〜5までは社会人として信頼を維持するための必須条件だ。これを外すと信頼は減点される。
6〜10は相手に+αの信頼と心象の良さをアピールするものだ。
つまり、信頼の加点要素。ただし1〜5までがしっかり出来ているという前提だ。
どれも、マメさや多少の金銭、手間暇が求められる。
でも、そういうことに金や時間といった人生のリソースを費やすことが
社会の中で良好な人間関係を築くってことだ。
社会でちゃんと生きてるヤツは、こういうことがちゃんと出来てるってことだよ。
騙されたと思って1年間これやり続けてみな
とはいえ、こんなに釣れるとは思ってなかった。
読み返せばちょっと分かりにくいところもあったので、てにおはを付け加えたり、言葉を前後したりしてるが、
基本的に意味は改変してないので、後から読む人は安心してほしい。
「恋人が出来ない。いつも一人」とか「一緒に遊んでくれる友達いないんでぼっちなんすよ」
とか言っているヤツは、挙げた1〜10は概ね出来ていない。
こういう状態を非コミュだと考えている人は、オレ以外にもいるだろう。
そこから脱したいのであれば、上記10個を実践すればいいし、
非コミュのままでいいというヤツは、それでいいと思う。
ただ読めばわかるが、人間関係≠0のヤツが前提だ。
本当に0のヤツは… そんなヤツいるのか? だとしたら現代の仙人だな。
何にせよ「これは非コミュじゃない!!!!」と思うのなら、そう思っててくれ。
非コミュの定義を社会学のお偉いセンセにでも定義してもらうまで、この論争はお預けだ。
特に後半を人をたぶらかすテクニックだとか、見返りを要求しているように感じる人たち。
そう思う思考回路は卑屈そのものだから、早めに改めたほうがいい。
卑屈でいることは、何の得にもならない。むしろ鬱になる傾向があるといっていい。
卑屈が過ぎて、鬱になり職を追われた人間を何人も知っている。
公私ともに必要なテクニックだ。特に贈答が関わるものは、女性のほうが敏感だぞ。
よく母親や嫁さんが「お返ししなきゃ」とか言ってるだろ?
こちらと相手の格を考えて、額や品を考えなきゃいけないんだよ、本来は。
ただまあ、そこは高度な人間関係のテクニックだから、そういうのは母親や嫁さんに任せとけ。
モノ知らないヤツが横から首突っ込んでああだこうだ言うような次元じゃないんだよ。
id:REV こういう行為は、おそらく、たぶん、コストパフォーマンスが良い。で、こういうのを安く考えるから非コミュになっているというw
仰るとおりだ。若い人こそ先が長いんだから、こういうこと大事にしておかないと、後の人生で面倒や恥をかくことになるな。
id:kussun 人間関係 お世話になった人からの答えにくいメールを無視という最悪の形で返してしまった愚か者がここに。 4)が心に刺さる。
年賀状やお中元の類は年長者にはメリットあるが、むしろ若年層はメールのほうが敏感なもんだ。
メールであれなんであれ、便りの返事が遅いと、出したほうはやきもきするものだ。
事情は知らないが、早めにお詫びと、答えられないんなら答えられない理由正直に書いて送ったほうがいいと思うぞ。
id:rag_en 増田 4以外の前半はまぁいいとしても。後半は、結婚式とか葬式とかあの手のイベントに通じる気持ち悪さ満載だなー、と思った。コミュ・非コミュっていうか、昭和の残滓って言ったほうがしっくりくる。
昭和の残滓とは素晴らしい表現だとは思うが、時候や儀礼は大切にしたほうがいい。
例えば年賀状なんて明治から始まった作られた文化だと言うヤツがいるが、
お世話になった人たちに年始の挨拶を訪ねてまわるってのは、もっと昔からあったんだよ。
今の年賀メールといっしょで「なんだ、挨拶にも来ず紙キレ一枚で挨拶したつもりか、無礼な」
って当時の老人たちは思ったかもしれないな。
大切なのは、その媒体の形にこだわらず、その背景を大切に、ってことだと思うぞ。
id:triggerhappysundaymorning こうゆうウザい諸々から逃れるために非コミュを目指してるんじゃないの?
id:Blue-Period 非コミュ 人数分×2個のお土産を持参して渡す勇気が出ずに最後まで残業してこっそり持ち帰ってる俺の気苦労をなんだと思ってるの? バカなの?
素敵な写真を撮れる人は、そういう立ち振る舞いもソツなくこなせると思っていたのはオレの思い込みだったな。
それは仕事上のことなのか? だとしたら最悪じゃないか? バカなのは君だ。
自分の上司からは「あいつちゃんと手土産持って行ってる」と思われ
相手先からは「(あの人、手ぶらで来たの? エー? ヒソヒソ)」って言われてるかもしれない。
まあ、手ぶらで来たことに根を持つような会社や人間はロクなもんじゃないが、
会社同士の付き合いの上で、それはちょっとヤバいんじゃないか?
id:aozora21 はてな匿名ダイアリー 1から5までは当たり前、ただし仕事上で。手土産もプレゼントも策略なら面倒くさいのでやめてほしいです。
君のようなのが卑屈人間の典型だ。
相手が本当に君が喜んでくれるなら、という思いだけでプレゼントくれたのだとしたらどう思う?
それは相手に対して失礼だとは思わないのか?
id:jassmaz 六以降はTwitterなどソーシャルネットワーク以後の社会においてはさして重要ではないような。昔は誕生メールなんか来たけど、今じゃ、twitterやmixiを介して祝うからなあ。
仰るとおりだ。
オレも無根拠にこだわれ、と言ってるわけじゃない。twitterやmixiでメッセージ伝えられるのなら十分だ。
最近はAmazonのギフトカードをネット経由で送ることも良くしてる。
もちろんその人がAmazonでよく買い物をしてる、という情報をリサーチした上でだ。
id:houyhnhm 遅刻の神みたいな人がいるけど、それは非コミュからかけ離れてるしねえ。/仕事上の信頼はなんか無責任に仕事投げられるサインっぽいので、いい加減になろうと思う今日この頃です。
オレは遅刻の紙なんか真っ先に付き合い切りたいと思うがな。
無責任っていうのは、まず本当に無責任なのかどうか確かめる必要がある。
君の伸びしろを期待して仕事をふってるのかもしれない。
早期の転職をおすすめする。
id:uwananiwosuru 全然できてない人にも友達はいるわけで それはどういうことなのか非コミュには全くわかんにゃい
それは本当の友達なのか確認するべきだな。
金やなんらかのメリットに群がってるだけなのかもしれないし、
単なる腐れ縁だけなのかもしれない。
朱に交わればなんとやら、と言うしな。
id:Nihonjin これらのことを「思い入れなしに」実行できることがポイントだろう。マリオでクリボーを踏み潰す感じで。あんまり考えすぎるとできなくなる。相手のこころを読み込みすぎるから。
仰るとおりだが、それは最終的な理想型だ。
これをやってこなかったヤツは、どうしても最初は意識しないとできない。
ただ、これをやりだすと、相手から「ありがとう」と言ってもらえることも増えるし
メールはちゃんと返ってくるし、あまつさえ誕生日プレゼントがもらえちゃったりするのだ。
それぐらいになると、意識せずにも自然に出来るようになってると思うぞ。
id:mamezou36 生活 素直にとても参考になる。18歳ぐらいの時に読んでいれば人生も変わっていただろう。
こういうことは年齢の問題じゃないぞ。
今やらなければ、これからも変わらないままだ。
1)でも言ったように、過ぎた時間は取り戻せないんだぞ。
今そんなことを考える暇があったら、この10をどう自分の生活に取り込むか考えたほうがメリットあるんじゃないのか?
id:ToQoz えっと... 期限守らないとかはうざいけど. 半分くらいはよく分からないな. なんか持ってこないと価値を見いだせないような訪問は受けるなよとかゴニョゴニョ
なんで迎えるほうの話してるんだ? 訪問するときの話だぞ?
手土産なんか気にせず来て欲しい時は「手ぶらで気楽においでよ♪」と軽く言っておくもんだ。
これを増田に書いて何がしたい? 2011/07/14
知り合いに増田を使ってプロモーション打てないかっていうヤツがいるんだけど、
オレはまったくそんなことには使えないと思っていて、でも、増田の情報波及力って
どういう感じなのかな? と思って釣ってみた。
トラバのつきかた、はてブの伸び方、それと連動するTwitter上での動き。
どれも興味深かったぜ。
あとまあ、人を釣る以上、真っ当な記事は書いておきたい、という思いもある。
今も常識だと思うがね?
自分の親にこれ見せてみろ。なんて言う?
君と同じ意見なら、さもしい生まれなんだな。
自分の境遇を不運だと思ったほうが良いぞ。
好きに生きろよ。まあ他人をうまく利用するためには安い費用だと思うし、有効な投資方法だと思うよ。他人をうまく利用するためには、他人の信用を得ないといけない。
非コミュで生きたいのなら、そうしたらいい。
ただ、ここに書いてあるのは信頼の得方だ。信用の話じゃない。信用は金で買える。
ここでも金を使う方法を書いてはいるが、金の額で動く話じゃない。
基本的な対人スキルが、信頼を底支えするのだ。
あと、利用するという考えは卑屈だからやめたほうがいい。
id:toma-stk これらの事を出来ない人が非コミュなら、不自然にやってる人はキョロ充で、自然にやってる人がリア充のような気がする。
キョロ充って何だ? チョコボールが満足食えてる状態のことか?
最初はみんな不自然だ。
でも、失敗を恐れず場数を踏んだやつだけが自然にやってのけるんだよ。
俺相手の場合は7〜10はやらなくていいよ。
今後は、そういう意思表示って重要になってくるとオレも思っている。
オレの場合、男女合わせてたぶん10人ぐらいは毎年誕生日プレゼントのやりとりしてるんだが、
その半分ぐらいは男だ。4〜5人、ってところか。
軽い感じならさっきもいったようにAmazonギフトカードとかiTunesカードとかで済ますが、
長い付き合いのやつとか、いつも仕事手伝ってくれてる人には腕時計とかちょっとしたバッグとか
id:ktasaka 営業の人がやるといいんじゃないかと思う10項目。
何度も言っているが、これは公私関係なくのテクニックだぞ。
別にプライベートの知人友人に送ってはいけない類のものでもない。
前半5項目はプライベートでも必修科目だ。
遊びに行くのでも、無意味に遅刻してくるヤツは評価下げられるぞ。
id:godfrey 増田, 生活, ネタ これら全て、ラブプラスにおいては実践している。そんな自分に隙は無かった。
オレは全く逆だった。
この違いは一体なんなんだろうな!
id:atawi 人類が残念, 同調圧力 よく読まなかったせいで、最初リストが「こんなに上辺を取り繕うから非コミュなんだよ」って指摘なのかと思った。息苦しい、俺ダンゴムシでいいわ。
残念なのは君の脳ミソだ。人間どうあがいても、ダンゴムシにダウングレードは出来ない。
現代の仙人になることをおすすめする。
ドコモの電波がギリギリ入るところでマイクロ水力発電と狩猟採集生活をしてみてはどうだろうか?
21世紀仙人のあり方として、素敵だと思うぞ。
id:matogawa183 書いている事は正しいと思う。マナーだよね。/でも、「非コミュ」の定義がずれてる気がする/アスペルガー的な非コミュに対してどう考えているのか知りたい。「非コミュ」が悩んでいるのはそっちだと思う。
非コミュの定義は既に述べたとおり、お偉い先生にしてもらおう。
それらしい人物がいた記憶がないので、なんとも言えないな。
すまない。
id:sktnkmwy これらを常識として行い、それに対してウザがられるのが真の非コミュです。例→「プレゼント?うっざー」「ちまちまメール送ってくんじゃねーよ」
それは演出が下手なだけだ。
オレがあげた10を無計画になぞっても意味ないだけだぞ。
相手や機会の背景に合わせて、贈答品の額やメールにタイミングも見極めが必要だ。
そういうことも、折を見て触れていこうとは思っている
もちろんだ。
逆に金がなくても手間暇をかければ誠意を見せられる工夫はいくらでもある。
それすら怠ると、誠意を見せるきっかけがゼロになる、ということだな。
id:komurasakihokori 非コミュのほうが楽です・・・ / とても気持ち悪い。特にブコメへの返信。
増田ではよくあることだ。気にするな
id:washi-mizok 盛り上がってんな
想像以上の釣果で驚いている!
id:gohan_gohan それは非コミュとかそういう問題じゃなくね?一般常識だろ
オレの周囲では、一般常識欠けているヤツに限って、非コミュを自称し、自虐している。
id:dekillcaner 「ちょっとした知人」とか「特にお世話になった相手」が分からないのが非コミュ。非コミュが実践しようとすると、その程度の関係の人にそこまでしなくていいよ!とか、その人にはもっとちゃんとしないと!ってなる
然るべき教育、躾の経験が無かった人はそうかもしれないな。
周囲にそういうことに長けている人に色々聞くのがいいだろう。
特に女性はそういうの敏感だから、ある程度社会経験積んだ女性の知り合い作っておくと心強いぞ。
大学生でこのあたりが出来ているとはすごいな!
がんばってくれ!
id:asitanoyamasita カーチャンは裕福めな縁戚から高価な土産や祭日の贈り物を受け取るたび、隠れて「ハァ、またこんな高価な…またお返し考えなくちゃ。もうイヤんなる」とよく嘆いてたなぁ。物品贈答関連だけはマジで別問題。
仰るとおりだ。
だが、君の指摘する問題は非コミュから相当上位次元の問題であるから、ここでは問題にしない。
ご母堂はお気の毒だったと思う。元増田が心を痛めていたと伝えてくれ!
id:guldeen lifehack, anond, literacy, society, communication 仰るとおり。この程度のことを面倒臭がると(特に賀状・暑中見舞い。1回50円で済むのだから)、それこそ親類縁者からも見放される。
id:anigoka 1億総非コミュ時代, 無能が偉そうに一言→ 個人・世代間のコモンセンスが崩壊した断絶社会でこんなベタなメソッドが社会スキルとして成立すると思ってる増田の暢気さが羨ましい そーゆー311以前のセカイはゴミお節と一緒に円環に導かれたと何度言えば(ry
君の所属するコミュニティが断絶しているだけではないのか?
少なくとも311が関係しているとは思えないな。関東以北ではそうなのか?
まあ、たゆんたゆんしているおっぱいに好んで寄ってくる人間も少ないだろうがな
id:Solven 人間関係を築く相手がいない段階を非コミュと呼ぶんだと思ってたし、私は今それを目指しているから、私は現代の仙人志願者だったのだ
id:saurel 増田 お中元とお歳暮は誰も得しない自己満の押し付けだかんな。俺はあんなの寄越す人は逆に信頼しねーぞ。
心配しなくていい。そういう君も、周囲からは多分信頼されていないと思うぞ。よかったな!
id:morimori_68 ふむ コミュニケーション技能よりもコミュニケーションしようとする意志に着目するほうがうまくいくと思う。
最初はそこから書こうかとも思ったんだが、自己啓発臭くなるのでやめておいた。
今でも十分自己啓発だがな!
id:SHA-320 コミュニケーション, 仕事, 生活 常識やマナーという前提で、使わなくてもいいような間柄になれるのがコミュ強者なんじゃないの。
親しき中にも礼儀有り、という言葉を親から教えてもらわなかったのか?
さもしい生まれだな。
そういう常識やマナーがなくても成立してる間柄は、単なる腐れ縁だ。
夜中のファミレスで夜通しマンガ読んだりくだらない話してるだけの人間がいるだろう?
あいいうのだ。コミュ出来ているように見えて、ああいうのに信頼関係は無いと思うぞ。
id:iroika 社会, 生活 一度誰かに無条件に世話し
■音声入力ソフトを通して、テキスト化。蓄積することで検索が可能に
■声紋分析して「他人の声」も自動で個体識別し、テキスト化の際に色分け表示する。
■心拍計と万歩計、体温計も付けて、消費カロリーを推測する(睡眠時無呼吸症などの、病気を診断できれば尚良し)
■録画装置(超広角or魚眼レンズ)で、「見た物、聴いたこと、話したこと、居た場所」を全部記録し蓄積する
■暗号化して改ざん防止することで、裁判における証拠能力を持つ
22世紀、世界大戦でも起こらない限り、ほとんどの視聴覚情報、行動履歴は生涯分の蓄積が可能になっている。
ログを取っている方が多数派だから、ログの残っていない人間は、社会的に信用されず、
全社会人のログがクラウド化されることで、個人情報の海が形成されている。
(youtubeが全世界の地上波TVの全記録を収容することが可能なように)
もちろん、その個人情報を観測するアクセス権は、本人以外、誰にも与えられない。
学者に研究され、プロモーションのネタになり、市場操作の材料や、時に軍事利用される(今のテレビがそうであるように)。
プライバシーは、生データへのアクセス権、削除権と、限りなく同義になる。
或いは、葬儀のセレモニーの一部に、「生涯データの全削除」が追加されるのかもしれないし、
ホスピスで、ニッコリ笑った看護師さんに「全削除になさいますか、それとも全凍結で50年後公開にいたしましょうか?」と訊かれるかもしれない。
まぁ、そんなわけは、無いんだけどね。
「どうして日本を嫌いな人がこんなに多いの?」って。
http://anond.hatelabo.jp/20110519085139
まあ当然の疑問だな(笑)。
あっちは国家規模の事業として官民一体で日本ヘイトを展開してるのに、日本だけがやっちゃいけない理屈は無いだろうし。
http://anond.hatelabo.jp/20110519004953
「K-POP」ってのはあの国の国策の一環なんよ。それこそ何十億だか何百億だか知らんけど、海外のプロモーションに国の予算が付いてる。
日本のテレビ局はそのカネに釣られてるだけで、他にも「日本のテレビ局系列の音楽会社と契約した韓国人歌手の宣伝」って一面もある。