はてなキーワード: 道義的責任とは
ブラック企業の加害がネタとして消費される現状にモヤモヤしてる。
こういう辛い体験がネタとして消化されて終わり、という現状が悲しい。
もっと社会全体で問題視して、経営者やマネジメント層を厳しく注視していくべきじゃないのか。
彼らは加害者だ。
彼らは社会や個々の組織において強者なのだから、その分己を律する道義的責任があるはずなのだが、
残念ながら己の立場を利用して加害を繰り返す人で溢れかえっている。
という道徳的な警告を行い、ある程度その振る舞いを抑制する必要があるんじゃないたろうか。
これは既存の労働運動にはない観点で、権利や制度だけでなく、倫理や道徳という領域で企業と対峙していかないと企業の加害は防げないと思う。
包丁を作った人も車を作った人もそれらがどう使われたかの責任を取れないし取る必要もない。子供だって(成人するまでの間の法的な扶養義務や監督義務はもちろんあるがそれを超えて)親は人生の責任を取れないし取る必要もない。子は一人の独立した存在であって親はその始まりにきっかけをつくったに過ぎない。子が幸せになるのも不幸になるのもその子供次第で、せいぜい親はそれを助けるくらいしか出来ない。
子供が幸せになるために努力する道義的責任はあるかも知れないが、幸/不幸はあくまでも結果でしか無い。子は最終的には自分自身で幸福を掴まなければ幸せにはなれないし、そのために親ができることは非常に限定的である。
なんでもかんでも親の責任を問おうとするから出産・育児が人生にとっての重荷になってしまっている。何かに付けて親の責任を問う外野は全て無責任な他人でしかない。子供は勝手に幸せになったり不幸になったりするし、親も勝手に幸せになったり不幸になったりすればいい。育児をしてみれば、子供の人生なんてコントロール出来ることよりも出来ないことの方が圧倒的に多いことがわかる。
割と真面目に考えてみた
アメリカ国内の政治分断は極めて大きくなっている。これほど分断が激しいと左から右あるいは右から左への移動は少ないと思われる。
バイデン/トランプを支持していたけど今はもう支持できないと考える人たちは不投票へ流れる割合が多くなるのではないだろうか。
バイデンは年齢と体力的な問題、移民問題、ウクライナ問題がトランプは議会襲撃の法的道義的責任の問題で前回よりも支持者を減らすと思う。
そうすると共和党支持者と民主党支持者の数比べになり人口動態的に民主党が有利になってくる。
共和党支持者のメインであるwaspの比率は年を経るごとに小さくなって、逆に民主党支持者が多い非白人は多くなっていく。
特に共和党の牙城であったテキサス州とフロリダ州では民主党支持者の移住が増えていて都市部では民主党が逆転している場所さえある。
弊社で受託しているソフトウェア開発プロジェクトが終了間近となり、納品物をまとめる作業をしている。
納品物の一つにはFOSS (Free and Open Source Software)、俗に言うOSS、の説明書がある。
増田はこれまでで受託開発企業を3社ほど転々としてきたが、これをきちんと納品している会社は過去には見たことは無かった。道義的責任として、「このソフトウェアはこんなOSSを使ってます」という説明は顧客に対して為されるべきだとずっと思ってた。もちろん、納品時ではなくてプロジェクトの初期で実施するのが良いと思うけども。
経済産業省が公開している「情報システム・モデル取引・契約書(第二版)」という、受託開発の契約書の雛形が存在する。この雛形の中では次のような条項が提案されている。
https://www.ipa.go.jp/digital/model/model20201222.html
(FOSSの利用)
第49条 乙は、本件業務遂行の過程において、本件ソフトウェアを構成する一部としてFOSSを利用しようとするときは、当該FOSSの利用許諾条項、機能、開発管理コミュニティの名称・特徴などFOSSの性格に関する情報、当該FOSSの機能上の制限事項、品質レベル等に関して適切な情報を、書面により提供し、甲にFOSSの利用を提案するものとする。
2. 甲は、前項所定の乙の提案を自らの責任で検討・評価し、FOSSの採否を決定する。
3. 乙は、FOSSに関して、著作権その他の権利の侵害がないこと及び契約不適合のないことを保証するものではなく、乙は、第1項所定のFOSS利用の提案時に権利侵害又は契約不適合の存在を知りながら、若しくは重大な過失により知らずに告げなかった場合を除き、何らの責任を負わないものとする。
開発者は「こんなFOSSを使ってます、それはこんな機能があって、こんだけ人気があって信頼がおけるものです」みたいな説明をする義務を負う代わりに、万が一そのFOSSがバグったりしても責任が限定される、という話だ。
もしも受託開発の契約書にこのような条項があったとしたら、きちんと利用しているFOSSの説明をしよう。しなかったとしたら、後で不利益があるかもしれないし、それ以前にその仕事は技術的に真摯なものではないと言える。
これが全く守られてないからじゃね?
「学者や学徒の知見が専門家に影響を与えて専門家が社会に影響与えるので、直接法的な責任はなくても道義的責任はあるよね」とか
「知識の差があるので知識のある側は無い側を責めないこと」とか
「専門家が事後的に検証や批判をすることで市民社会に責任を果たしましょう、市民はそうするように専門家に要求するのも責任です」みたいな
自然科学や工学の危険性というのは失敗例が重大かつ大規模(公害、非人道兵器、医療事故etc)になるので
翻って日本社会って人文学・社会学がもつ危険性に鈍感すぎるんじゃね?ってのがここ十年近く思う事。
直近だと以下で
https://note.com/000gwen/n/n1f395563e1b7
「こういうことがこれからどんどん起きるんだろうな」と想定していた感じのことがまさにそのまま起きたようなケース。
上のnoteは少し経緯が不足してるので補足しつつ経緯を書くと
・王谷晶っていうレズビアンでLGBTQ+寄りの本書いたり帯文寄せたりしてる作家がいた
・過去にトランス差別で批判されたが謝罪し反省、SNS上でトランス女性を女性と認めないフェミニスト(TERF)を批判したりしていた
・王谷晶が「LGBTQ+にはペドファイル(小児性愛者)は含まれない」的な発言
・LGBTQ+界隈でジェンダー学を専門に学んでる連中から「ペドファイル差別だ、ペドファイルとチャイルドマレスター(児童性虐待者)は違う」とSNS上で詰められる
・王谷晶が帯文書いたLGBTQ+本の日本語版翻訳者が出版社に公開抗議文、謝罪か帯文撤回を求める
・出版社は全面謝罪、王谷晶も「ペドファイル差別はしません」と公開謝罪し鍵垢、小児性犯罪被害者だった過去などを告白するなどかなり混乱した内容
・ジェンダー学を専門に学んでいない一般左派が「ペドファイルはLGBTQ+には含まれない、チャイルドマレスターと似たようなもん、犯罪者予備軍なのでパージせよ」とSNS上で抗議
・そこだけ読んだ非左派の議論オタク連中が「ペドファイルだろうが手を出さなければ内心の自由の範囲内、自由を守れよ、つーかいつもの反差別はどうした?」とSNS上で絡む
・一般左派が「ペドファイルをLGBTQ+に含めようとするのは反左派オタクのデマ工作」と騒ぐ
・TERFが「いやペドファイルをLGBTQ+に含めようとしたのはジェンダー学の連中だろ、そもそもLGBTQ+運動自体が狂ってる」と騒ぐ
・ジェンダー学連中は凍結されたり、残った連中も旗色が悪いからだんまり、議論オタクは飽きてどっか行く、TERFと一般左派が喧嘩し続ける
・結果としては、本当に正しいかよくわからない理由で出版社と作家が公開謝罪させられたが、たぶん検証とかはされない
ここで考えてほしいのは、上の連中のどれに賛同するかって話以前に
・ジェンダー学の結果を社会に直接反映しているのに結果責任を取らない、とる能力がない学者・専門家サイド(出版社、ジェンダー学界隈、作家)
・ジェンダー学の内容(主張、学問的根拠、歴史的経緯)を把握せずにジェンダー学の議論だけ使おうとして失敗している非専門家(一般左派、TERF、議論オタク)
の対立状況って、科学コミュニケーションとかで言われてた「学者・専門家・市民のコミュニケーションの失敗」のまさに典型例なんだけど
全くそう捉えて扱おうとする社会学者やらが全然出てこないことなんだよね。
これって異常じゃね?
すくなくとも
「学者や学徒の知見が専門家に影響を与えて専門家が社会に影響与えるので、直接法的な責任はなくても道義的責任はあるよね」とか
「知識の差があるので知識のある側は無い側を責めないこと」とか
「専門家が事後的に検証や批判をすることで市民社会に責任を果たしましょう、市民はそうするように専門家に要求するのも責任です」みたいな
自然科学・工学の危険性的な話では当たり前のように出てきた初歩の初歩の話が全然出てこないんですよ。
なんでだろう。
なんでだと思う?
色々仮説はあるんだけど正直よくわからないというのが第一なんだが
そもそも論として「人文学・社会学の危険性」自体が学者や専門家にすら認識されてないというのが理由だとしたら
「それって自然科学とか工学の話ですよね?今関係あります?」と本気で思われていたら
中々恐ろしい話ではないだろうか。
「お気持ち」だと量刑がおかしいことになる、というのもあるよな。
「ジャニーズが叩かれないならこれまでの炎上騒ぎは何だったんだよ」(anond:20230330233428)で言われてたけど、たかだか人形の胸触って写真撮っただけで県知事に怒られが発生するとか、たかだか全年齢向けラブコメ漫画を擁護したらスペースで詰められて謝罪させられるとか、たかだか巨乳イラストのグッズ目当てに献血行ったら売血だのモラルを疑うだのと騒がれたりとか、そういうのを目にしてると、今のジャニーズへの微温的な対応が信じられないんだよね。
オタクへの「キモい!」っていう感情は、きっとイケメンのレイプ被害への冷静な処罰感情よりもよっぽど強いってことなんだろう。
でも冷静に考えてみたら、実在の青少年を地位を利用し見返りを与えることでレイプしつづけてきたジャニー喜多川と、そういう性犯罪者を野放しにしていたジャニーズ事務所、そうと知っていながら彼らに放映枠を与えて権力を強化してきたメディア、そしてなんとなく噂を耳にしつつも彼らに貢ぐことで結果的にジャニー喜多川の脅しを有効なものにしていたファンの皆様(仮にジャニタレがファンからそっぽ向かれる状況だったら「性行為に応じないとデビューさせないぞ」なんて脅しは通用しないので、まあファンによる応援はジャニー喜多川のレイプを幇助してましたよね)の責任は、どう考えても人形のおっぱい触るマンや巨乳ラブコメ容認社長や献血オタクよりもずっと重いんだよね。
いや、ファンの責任は個人的には芥子粒ほどに軽いとは思うのよ。だってどう考えても責任の重さなんて、
みたいな感じの配分になるわけで、ファンは微罪でしかない。別に何ら疚しさを感じる必要はないくらいに薄まった責任だと思う。
でも、行為の悪質さで言うならば、
実際の性犯罪を無視して性犯罪者に権力を与え続けたジャニーズファン>>>>>>非実在キャラの人形の胸を触ったマン>>>>>>フィクション作品を擁護した社長≧献血に行くオタク
って感じになるじゃん。
「キモい!」っていう感情にまかせて人形πタッチやら何やらをあれだけ強くバッシングした以上、量刑のバランスから言えばジャニーズファンはもっと苛烈なバッシングにさらされるべき、ってことになるんだけど(人形πタッチマンは県庁に謝罪に行ったんだっけ? つまり、ジャニーズファンの皆様はそれ以上の謝罪を強いられるべき)、インターネット私刑には「量刑のバランス」っていう概念がないから、信号無視したやつを吊るして強盗殺人犯を説諭で終わらすみたいな謎現象が起きちゃうんだよなぁ。
ともあれ、お気持ちドリヴンのインターネット私刑は滅ぶべきである。
実在の人間の権利や利益を第一に考えたらこういう結果になるよね。
まず、実在の人間に対して直接的に性暴力をふるった人間が一番悪いわな。刑法上の犯罪になるのはここまで。
道義的責任でいうと、子供をレイプすることがわかっている人間を、子供たちに影響力を及ぼす地位に就け続けてきた人たち(実質的にレイプを幇助してきた連中)がその次。その中で一番責任が重いのは直接の所属組織であるジャニーズ事務所。次に、メディアという影響力の強い媒体で無批判にジャニタレを使い続けてきたことでジャニー喜多川の権力を支えてきたメディア。そして最後に、そういう噂を知りながらアイドルたちを「推し」続けることでジャニー喜多川の権力を盤石なものにしてきたファンたち(「ジャニーさんの言葉」とやらをありがたがってたハフポの記者さんとかね)。この人たちは刑法犯にはならないにせよ、未成年に対する継続したレイプの道義的責任を負うべき(もちろん負うべき責任には濃淡があり、末端のジャニヲタの責任は鴻毛のごとく軽いとは思うよ)。
(なお、この増田は、「ジャニーズ事務所はジャニー喜多川のご乱行を知っていて黙認した」という仮定に基づいているが、たとえばアイドルたちの部屋の鍵を渡したりするなど彼の犯行を直接的に手引きした者が事務所内にいるなら別の話になる)
人形πタッチマンは、寿司ペロ高校生と違って人形に汚損などを生じさせたわけではないのでもちろん刑法犯にはならないだろうが、施設管理者の意志に背く形で施設を利用したことになり、施設管理者を激怒させているので、犯罪者ではない(流石にこれで不法侵入罪は無理がある)にせよまあお行儀はよくない。しかし、お行儀がよくないことは、未成年へのレイプを幇助することに比べれば罪は軽い。
最後に、自分のツイッターアカウントで漫画の論評をすることや景品目当てで献血に行くことには何の倫理的問題もない。
ということで、不等号にはちゃんと理由があるのでした。「実在の人間に対する加害か?」ということを考えると、かなりクリアに責任の重みづけできると思うよ。これを「お前のお気持ちだろ」と言われても困っちゃうな。
水に流す、仕方がないがある国民なのに言うほどか?
「Shikata ga nai (仕方がない)」はサンノゼにも刻まれているが?
「仕方がない」は日本人の自己犠牲的な悲観性を表す表現として、多くの外国の著述家によって指摘されている。
また、太平洋戦争時のアメリカやカナダで行われた日系人の強制収容において、収容所での絶望感と虚無感を克服するべく、「Shikata ga nai」というフレーズを頻繁に用いりつつ、そのような苦しい状況の中でも、挫けることなく希望を見出そうとし続けていたと言われており、その精神性は現在でも日系人社会において根強く残っているという[2]。
ピューリッツァー賞作家のジョン・ハーシーは1946年のルポルタージュ『ヒロシマ』で、広島住民はおおむね核爆弾使用の道義的責任に無頓着であったと記し、ある被爆者の、戦争だったのだから「仕方がない」(Shikata ga nai) という発言を紹介している
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%95%E6%96%B9%E3%81%8C%E3%81%AA%E3%81%84
映画「Winny」の公式HPが発表されて話題になっていますね。
プロフェッショナルや定評のある職業で働く人々は、専門的な知識とスキルを身に付けている。
そしてその知識がどのように用いられなければならないかを倫理道徳的問題と捉え、それが職業倫理と呼ばれることになった。
この職業倫理によって他には出来ないその専門職にまつわる判断を下し、スキルを適用し、総合的な情報・知識に基づいた決定を下すことができるようになるのである。
医師であればその知識を使って人々を治療し、健康の維持、増進を図ることに努める。とある
ここで一つ記事を紹介しよう
ドジっ子巫女エンジニアがサーバーを止めた件と職業倫理 - いま作ってます。
https://fukken.hatenadiary.org/entry/20110522/1306066875
内容としては脆弱性のあるシステムをエンジニアの独断でシャットダウンをしたが、職業倫理として正しかったかどうか。というもの
記事の著者はこう書いている
例えばどっかの病院が経営判断で薬の代わりに砂糖玉を処方すると決めた時に、医師が「それは運営者の責任で、私は知らない」等と抜かして処方したらどうなるのか
技術者は技術的事項については社会的な責任を持つと自認すべきであるというまとめになっている。
最初の話に戻ると、Winnyを開発した金子氏は東大の研究所にてオペレーティングシステム、シミュレーション環境を研究していたソフトウェア開発者であり情報工学者だ。
自身の専門でもあるP2Pの技術を最大限に利用し、匿名性に特化した「最強の違法ファイル交換ソフト」を作成し公開した人間である。
アップロード機能を潰した拡張Winnyを使用し、大量に違法ファイル(当時はダウンロードは違法ではなかったが)をダウンロードしていたが、
アップロード機能を潰していたために著作権違反では逮捕されなかった。
焦った警察が著作権違反ほう助の罪で無理やり逮捕した件はややこしくなるのでここではおいておく。
少なくとも自身の専門技術を悪用し、このようなソフトを作成したことは完全に職業倫理に反している。
教師が教え子に手を出す。
ソフトウェアエンジニアから聞こえてくる声は「惜しい人を亡くした」「すごい技術者だ」「彼を失ったのは日本のITの死だ」等擁護の声ばかり。
聞いてあきれ返る
ちなみに先のブログ記事を書いた b:id:fukken 氏もWinnyのブックマークにこう残している
b:id:fukken Winnyがいいソフトだと殊更に主張するつもりはないが、最低限、最終的に裁判の結論は無罪(つまりWinnyの開発は罪ではない)になったという事は金子氏の名誉のためにもうちょっと広く知られて欲しい。 ★300
https://b.hatena.ne.jp/entry/4726311169854365091/comment/fukken
何が名誉だよ
1968年 世界基督教統一神霊協会(統一教会)の教祖、文鮮明が国際勝共連合を設立
1975年(昭和50年)の東京都知事選挙では、朝鮮総聯の影響下にある朝鮮大学校を認可した当時の東京都知事美濃部亮吉の3選を阻むため、若いメンバーが大量に動員されたとされる[要出典]。
また、1986年(昭和61年)7月の衆参同日選挙では、150人の衆参両院候補を応援、自民、民社両党を中心に134人を当選させた、としている。同連合が発表した名簿には、松永光(自民党スパイ防止法制定特別委員長)、森清、箕輪登(当時の自民党衆議院議員)らが含まれていた。同連合の機関紙「思想新聞」によると、選挙後には、これらの各勝共推進議員一人ひとりに勝共理念の研修を受けてもらったという。その結果、134人全員が勝共理念を理解し、国会議員のそれぞれの地元でも勝共連合支部との関係が密接になった、と伝えている[16]。
1986年の第38回、1990年(平成2年)の第39回、1993年(平成5年)の第40回と3回の衆議院議員総選挙に出馬しいずれも落選した阿部令子[17] は、霊感商法の霊能者役であり合同結婚式に参加した教会員で渡辺美智雄元秘書だったとされている[18]。1990年総選挙での自民党追加公認に関しては「公認は渡辺(美智雄)氏らが強引に押し切った」[19] とされ、地元大阪府連の強い反発を受けた。なお、「霊感商法などで問題になっている統一教会との関係」が他党(共産党)のビラなどで指摘されているが、阿部本人は「支援は受けているが会員ではない」[20] と歯切れの悪い回答を残している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%8B%9D%E5%85%B1%E9%80%A3%E5%90%88
統一教会においては「天皇であろうが大臣であろうが、祝福(合同結婚式)を受けないと救われない」と教えられている。(中略)それにしても皇太子を伝道師、合同結婚式に出ることも「夢の様な話ですが、これは可能なこと」という文鮮明教祖の発言について、「勝共文化人」と呼ばれてきた人たちは、どう答えるのだろうか。
共産主義に対抗し、勝利することを使命として連帯してきた彼らは、多くの場合、熱烈な民族主義者でもあり、皇室崇拝論を展開してきた。勝共連合の背景にこんな「教え」があったことを知っていたのだろうか。
92年の合同結婚式直前に、『産経新聞』(8月12日付)は、「私たちは〝国際合同結婚式〟を応援します」という意見広告を掲載した。そこには大学教授や評論家たち97人が名前を連ねた(もっとも勝手に名前を使われた人もいたが)。この広告を出したのは「国際合同結婚式を支持する学者・文化人の会」。世話人には政治評論家の細川隆一郎氏がいた。細川氏は、90年4月10日から13日までモスクワで開かれた世界言論人会議(文鮮明教祖が主催)にも参加している。文教祖の発言について聞くと、こんな答えが戻ってきた。
「まったく話になりません。論評する必要もなく、皇室を侮辱するものです。(中略)こんなことを言うとは、失礼極まりない。余計なお世話もいいところです」
あれは、桜田淳子さんの結婚をおめでたい、とお祝いしただけですよ」
(中略)
「勝共を応援する会」の活動を熱心に行ってきた一人に木内信胤氏がいる。木内氏はこの会の会長を長年務めてきた。「勝共を応援する会」とは、統一教会の友好団体である国際勝共連合を応援する団体である。
この木内氏は、ソ連、東欧の急変を目の当たりにして「我々応援する会としては、目得たく解散すべきものである」ということを、国際勝共連合の名称変更とともに久保木会長(統一教会および国際勝共連合の会長だった)に申し入れていた。ところが久保木氏からはっきりした返事だなかったため、木内氏は国際勝共連合と袂を分かった。その理由を木内氏はこう書いている。
〈共産主義が今日の状態になつたにも拘らず、引き続いて『国際勝共連合』と関係をもつといふことは、自然に文鮮明という方の特殊な宗教的な活動の片棒を担ぐことになる。そのことを私としては、厳密に避けたいと考へたからに他なりません〉(『私の宗教観』91年)
(中略)
木内氏は、問題の文鮮明発言についてこう語っている。 「こういう発言は無視すればいいんです。黙殺するのがいい。ああいう人間とは議論すべきじゃありません。私はソ連がこうなる前に勝共連合はやめました。統一教会とも文鮮明ともとっくに縁を切っている。もう反共などという時代じゃないし、それよりも文鮮明がヘンテコリンな男であることも分かって縁を切りました」
統一教会のこんな韓国中心主義に対して、民族派からの反発は強い。一水会の木村三浩書記長は、統一教会会員が国会議員の秘書になっていることをふくめてこう語る。
統一教会の阿部令子が渡辺美智雄の秘蔵っ子として登場して、自民党の公認で選挙に出た。当選には至らなかったけれど、自分たちが立ってだめだったら、まずは秘書として政権の中に入って、情報収集や懐柔をし、人脈や金脈を作っていこうというのではないですか。私たちが統一協会を批判するのは、天皇陛下の問題はもちろんですが、日本が過去に朝鮮を侵略した誤りにつけこんで韓国中心を唱えるのは独善だということです。しかも、これが文鮮明の利害のためとくればなおさらです。私たちは、ここの統一教会員に対してはむしろ哀れぐらいに思っています。人に対してではなく、その教義、さらに贖罪意識に乗ったやり方に抗議しているんです」
こういった批判は、一水会だけではない。戦前からの右翼で文鮮明や久保木修己とも親しかった畑時夫の証言を聞こう。 畑に言わせれば、文鮮明は「宗教を軸にした国際的錬金師」だと言う。私たちの前で、ある統一教会幹部に電話してくれた畑は、統一教会員が国会議員秘書にどれくらい入っているのかを聞いてくれた。その相手は「以前ほどではないが相当送り込んでいる」と答えている。
「勝共ということで日本の政治家はだまされた。これが統一教会ということなら、政治家もこれほどまでは接近しなかっただろう」というのが、国会議員に統一教会が浸透できた理由だと畑は見る。
それは拉致問題などを行った北朝鮮を経済的に支援する統一教会は問題であること、しかも霊感商法などで日本の公安当局から監視対象である団体である以上、面会を求められても会わないようにしている、というものだ。これはわたしが安倍本人から聞いたことである。総理への道を眼の前にした時期に、そうした方針を変えることなどありえない。今回の祝電も地元事務所の判断で安倍があずかり知らないところで送られたのが事実である。統一教会からすれば、岸信介、安倍晋太郎との深い関係から安倍晋三をも利用したいのだろう。しかし、霊感商法が社会的に批判されてからは、国会議員の対応にも変化がある。
安倍晋三は北朝鮮への強行姿勢ゆえに、祖父の岸信介や父の安倍晋太郎が親密だった統一教会に対し、距離を置くだけではなく厳しい対応を取っているのである。
http://blog.goo.ne.jp/arita0327/e/12d4d733eaea2d590f8b73716ce042ab/
http://blog.goo.ne.jp/arita0327/e/37e6d95f53187d5d2f48ab8bdb281d81/
http://blog.goo.ne.jp/arita0327/e/695fe400235e6e5706874dc9a7e17167/
http://blog.goo.ne.jp/arita0327/e/1230584c94947653d0e01007c631dc13/
霊感商法や集団結婚などの被害が長く社会問題になっている旧統一協会(世界平和統一家庭連合に改称)に関連する団体が開いた大規模集会に安倍晋三前首相がビデオメッセージを贈り、「敬意を表します」などと演説していたことが17日までに分かりました。旧統一協会が勧誘活動や宣伝に利用することで新たな被害につながるおそれがあり、安倍氏の道義的責任が問われます。
安倍氏がビデオメッセージで演説したのは、旧統一協会系の天宙平和連合(UPF)が韓国の会場とオンラインで12日に開いた集会「シンクタンク2022 希望前進大会」です。UPFは統一協会の開祖である文鮮明(故人)と、その妻で現家庭連合総裁の韓鶴子が2005年にニューヨークで創設したNGOです。
同集会では、トランプ前米国大統領に続いて左胸に議員バッジをつけた安倍氏が会場の大型スクリーンに映し出され、約5分間の演説をしました。
安倍氏は「演説の機会をいただいたことを光栄に思います」と述べ、次のような発言をしました。
「今日に至るまでUPFとともに世界各地の紛争の解決、とりわけ朝鮮半島の平和的統一に向けて努力されてきた韓鶴子総裁をはじめ、皆さまに敬意を表します」。実質的なトップの名をあげ、旧統一協会を称賛した形です。
旧統一協会と一体の右翼団体「勝共連合」は、ジェンダー平等を「社会における男女のあり方、そして家庭のあり方を根本から変えてしまおうという危険な思想」としています。
安倍氏の演説の中で目立ったのは、旧統一協会の思想にある家族観への共鳴です。
安倍氏は「UPFの平和ビジョンにおいて、家庭の価値を強調する点を高く評価いたします」と褒め上げ、その上で「偏った価値観を社会革命運動として展開する動きに警戒しましょう」と呼びかけました。
ジェンダー平等などを「偏った価値観」とみなし、個人を尊重する社会を目指す運動を非難するのは異様と言えますが、同集会の司会者は「たいへん感動的な演説」と評価しました。
本紙の取材にUPFジャパン(東京都新宿区)は、米国のUPFインターナショナルと「ワシントン・タイムズ」(旧統一協会系メディア)が安倍氏側にビデオメッセージを依頼したと説明しました。
旧統一協会系集会にメッセージ/安倍前首相「総裁に敬意」/宣伝利用で霊感商法被害拡大の恐れ https://www.jcp.or.jp/akahata/aik21/2021-09-18/2021091815_01_0.html
これ読んで産休とった社員は悪くない、悪いのは会社だけ! って言ってる連中なんなん?
そりゃ法的な責任はないかもしれんが、道義的な責任は0ではないだろ
明らかに産休取った社員が、産休代替の派遣社員を踏みつける構造になってるじゃん
自分は派遣社員を踏みつけてるけど、その足をどけるのは会社がやることで自分は関係ないってクソすぎるだろ
会社に対して産休代替の派遣社員の待遇を改善していく道義的責任が、産休取った社員を含めたその会社の正社員に発生してると俺は思う
パワハラやセクハラを見て見ぬ振りするのは共犯扱いされるんだから、産休代替でクソみたいな扱いされてるのを見て見ぬ振りするのも共犯だろ
ブクマカみたいな日本のネットの最下層レベルを日本の標準的な知的レベルだと勘違いして心配する必要性はない
ただ創作世界と現実世界がごっちゃになってねーかな?な発言をしている政治家さんは純粋に困ったモンである
or
「仕方がない」は日本人の自己犠牲的な悲観性を表す表現として、多くの外国の著述家によって指摘されている。
また、太平洋戦争時のアメリカやカナダで行われた日系人の強制収容において、収容所での絶望感と虚無感を克服するべく、「Shikata ga nai」というフレーズを頻繁に用いりつつ、そのような苦しい状況の中でも、挫けることなく希望を見出そうとし続けていたと言われており、その精神性は現在でも日系人社会において根強く残っているという[2]。
ピューリッツァー賞作家のジョン・ハーシーは1946年のルポルタージュ『ヒロシマ』で、広島住民はおおむね核爆弾使用の道義的責任に無頓着であったと記し、ある被爆者の、戦争だったのだから「仕方がない」(Shikata ga nai) という発言を紹介している
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%95%E6%96%B9%E3%81%8C%E3%81%AA%E3%81%84
個人のやらかしの原因を個人の攻撃性のみに求めるなら、加害者の家族まで批判するのはもちろんよくない
今の時代に連坐制かよ、と言えば終わる話だ
しかし、最近は「えっほんとにそいつが狂暴なだけ? もしかして教育が悪かったんじゃない?」みたいな物言いが幅を利かせている
もっとわかりやすく言ってしまえば、犯罪が発生するやそれに便乗して、都合よく今の教育を叩こうとする奴が出る
特に性犯罪なんかもう顕著で、「女に自衛を要求するなあああ!!」「オスガキを教育しろおおお!!!」と、いつもいつもこういう流れ
しかし、これが社会に定着し、「犯罪の発生」がすなわち「教育の失敗」ということになればどうなるか
加害者を適切に教育すべきだった親や教師への責任がポンと生まれてしまうのである
具体的に罰される必要まではないにせよ、ゴミを生んだ道義的責任ぐらいは負うべきであり、バッシングのひとつふたつは覚悟してもらわなければならないだろう
そういうことになってしまうのだ
ジャップ「白黒つけない(逃避)」
ジャップ「水に流す(忘れろ?いいな?)」
サンノゼの日本人街にある石碑にも刻まれてる、責任追求を放棄する呪文 ↓
「仕方がない」は日本人の自己犠牲的な悲観性を表す表現として、多くの外国の著述家によって指摘されている。
また、太平洋戦争時のアメリカやカナダで行われた日系人の強制収容において、収容所での絶望感と虚無感を克服するべく、「Shikata ga nai」というフレーズを頻繁に用いりつつ、そのような苦しい状況の中でも、挫けることなく希望を見出そうとし続けていたと言われており、その精神性は現在でも日系人社会において根強く残っているという[2]。
ピューリッツァー賞作家のジョン・ハーシーは1946年のルポルタージュ『ヒロシマ』で、広島住民はおおむね核爆弾使用の道義的責任に無頓着であったと記し、ある被爆者の、戦争だったのだから「仕方がない」(Shikata ga nai) という発言を紹介している
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%95%E6%96%B9%E3%81%8C%E3%81%AA%E3%81%84