「退院」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 退院とは

2023-12-10

妊活から出産退院ぐらいについて書いてみる

妊活してた時のこと

精子検査受けたら、精子の量は多いが、活動的精子めっちゃ少ないって結果が出て、後輩から「質より量のタイプなんすね」って言われた笑。

仕事大変すぎてストレスフルな生活してたが、仕事辞めた途端に妊娠した。自分の中ではストレスが原因で不妊だったんじゃないかなと思ってる。(まぁ原因は結局よくわからんが)

・僕は子ども妊娠したら産めばいいし、妊娠しなかったらしょうがないってスタンスではあった。が、妻とはスタンスの違いでもめた。

・当時、不妊治療自由診療だったから、結構治療費が高くて躊躇はした面はある。保険が効くようになったのはいいことだと思った。不妊治療をやってる有名なクリニック(東京木場にある木場クリニックってとこ)に過渡期の時に行ったら保険適用診療を凄い推されて、不信感が出た。あと「時間ないよ」ってめっちゃ脅されたし、金儲けしたいだけやんけ!って普通に思ったよね。

・結局タイミング法で自然妊娠たから、不妊治療はしなかった。初めて病院行ってから1年くらいで妊娠したんだったと思う。

・僕が長風呂をしていると「お風呂長すぎ、お湯って精子に悪いんだよ」って風呂突撃された時は、妻…まじかよ…ってなった。ちなみに長風呂精子に悪いか確認は出来てないっぽい。迷信だと僕は思ってる(お風呂トイレけがひとり時間満喫できる唯一の場所だったのに剥奪された時は悲しかった。)

退職前の有給消化期間に妊娠発覚して、育休取ってから辞めればよかったなぁと思ったけど、まぁたぶん仕事辞めてなかったら妊娠してなかったと思う。

妊娠中の時のこと

・妻はつわり結構重かったぽい。1日2回くらいは吐いてた。

妊娠2ヶ月目くらいかつわり始まってたのだが、安定期に入ってないから、周りには言えないしって困ってた。安定期入るまで周りに報告しないって慣習、あれもう古くね?

・なので、妊娠中は家事基本的に全部僕がやるって決まりにした。

・あと妊娠期間+出産後1ヶ月は、妻に月9万円を支給するって制度にした。金額代理母出産費用ベースに算出した。

代理母出産報酬って200万~400万くらいらしいから、まぁいったん200万で考えると月20万になる。で、家事は全部僕がやるってことにしたから、家事代行サービスの料金考えて、結果差し引き月10万円になった感じ。あと、たまにマッサージもやるってのも組み込んで、1万くらいは値引き交渉して月9万になった。(今思うと、払いすぎたんじゃないか?って思ってる)

・重度のつわりだったから、妻は仕事を休業して、傷病手当をもらう感じにしてた。産婦人科診療証とかが必要になるらしい。

妊娠中の内、7ヶ月間くらい僕がDIYで泊まり込みで団地のリノベしてて、1週間の内で4日くらい家を空けることが多かったんだが、食べ物は作り置き、掃除洗濯は帰ってきた時に纏めてやる、とかで対応したが、妊娠中で一人の時間が多いと大変だったろうと思うし、妻に感謝

エコー写真は2か月くらいはシルエットがわかるからちょっと楽しいけど、4カ月くらいになったら何が何だかわからんから、貰ってもいらないねってなった。

・7か月目くらいで男の子って発覚した。

お腹がかなり大きくなった頃は、腰?が辛くなったらしく、骨盤支持ベルト買ってた。

・寝る時は、完全な仰向けはキツイらしくて、人を駄目にするソファを使って座りながら寝てた。

名前は、1か月前くらいから考え始めて、最初に1時間くらいブレストで30個くらい候補出して、生まれる1週間前までに個々人で必要であれば追加して、1週間前に第一候補を決定して、生まれる当日までに異論があれば言い合うって事にした。結論で言うと、最初いいねってなった名前になった。

名前の画数とかは調べもしなかった。画数は複数名前候補があった時に使うって話をしたが、結局同率一位は出なかったので、使わなかった。

・画数は流派があるらしく、流派によって吉になったり凶になったりするらしい。意味ないじゃんwww

破水から出産退院のこと

破水おしるしか、見分けつかなかった。文字情報だけだとわからん

・かと言って、動画にできるかというと、微妙かもしれない。(BANとかされそうだし)

破水ってもっとバシャーってなるものだと思ってたわ。パンツに染み出来たレベルでも破水になるのね。結局破水だった。

・5/25が出産日だったんだけど、5/28電気工事士筆記試験日で、ひとり時間が増えてちょうど良かった。妻が入院してると自分時間が増えるから束の間の楽しみだった。

藤沢大庭吉田クリニックってところで出産したのだけど、無痛分娩の予定だったのだけど、麻酔担当の人が休みになる木曜日麻酔が行えない。

水曜日破水たから、麻酔促進剤を入れて、麻酔もしたのだけど、生まれる気配がないから、無痛分娩は諦めなきゃいけなくなった。ただ、麻酔は打ってるから無痛分娩費用の15万円は支払う必要があった。結局、普通分娩で産んだから15万円無駄になった。

・そして麻酔のために背中に針入れて、そこから麻酔剤を入れるらしいんだけど、麻酔は無理ってなった後も針は背中に入れたままにされて、出産後まで放置されたらしい。

・で、結果「脳脊髄液漏出症」って奴になって、妻が2週間くらいは激しい頭痛に苦しまされてた。

麻酔担当の人に、無痛分娩はしない方針となった後も針は入れっぱなしにするのが普通なのか?って聞いたら、それが普通だって言われた。にわかには信じがたいが…。不信感でた。

・で、頭痛が酷いため、処方された薬が「安息香酸ナトリウムカフェイン所謂アンナカってやつ)」なんだけど、保険適用外って言われた。一応入院中にも母乳をあげてるの状態なんだけどカフェインを処方することについて、ちょっとした説明ぐらいはして欲しかった。後からカフェイン…だと…?って薬局で気づいたのだけど、後々吉田クリニックに確認して授乳しても問題ない旨、説明はしてもらった。

薬局処方箋を貰いに行くと、まずアンナカは処方する基準が厳しいのか門前払いを2件くらい食らった後、3件目は引き下がるわけにはいけないって思い、色々事情説明すると、処方してもらえることになったが、薬剤師の方すら、「医療過誤かもしれないのに保険適用外?」「授乳についての注意点とか聞いてないのか?」とか色々不信感もあるっぽくて、一応吉田クリニックに電話して、諸々確認はしてもらった。ただ、あんまり納得できる回答はなかったっぽい。

保険適用外については確認したら、ワタワタし始めたが、まぁ入院期間は吉田クリニックにずっといなきゃいけないのは、妻だし、入院期間もあと3日間くらいあるし、騒ぎ立てるのも良くないってことで、追及はしなかった。

・なんていうか、あれだわ。出産に関して保険適用外なのが、諸悪の根源だと思う。制度変えてほしいなぁ。切実に願ってる。

2023-12-08

難病患者ライフプラン

私は難病患者ですが、マッチングアプリ恋人を見つけました。結婚も考えてくれています

避けては通れない結婚出産話題で、わたしが思うことを書きます

まず前提として、SLE患者だけでなく難病患者恋愛はかなり難しいものだと言えます

わたし自身マッチングアプリ使用している際に、病気であることを告げるとフェードアウトする男性ほとんどでした。

中には、「一緒に支える」と言ってくださる方もいらっしゃいましたが、それでもほんの少数派なのは確かです。

からといって、それが結婚を諦める理由にはなりません。

実際問題、介助者がいない状態での難病患者の1人暮らしは、不安が付きまといます

体調を崩した場合も、家のことや入院する場合手続き等、すべて自分でおこなわなくてはいけません。

両親もいつまでも元気ではありません。そんな時、近くで支えてくれる誰かがいるのといないのでは、全く心の持ちようが違うと思います

わたしは幾度と入院退院を繰り返して、1人で生きていくことの大変さを思い知りました。

人は、1人では生きていけない。

から結婚するためにマッチングアプリ使用し、恋人を見つけたのです。

もちろん、結婚がすべてではありませんし、1人で生きていけるほどの強い方がいるのも理解しています

ここではあえて「結婚したいけどどうせできない」と諦めている方にお伝えしたくて書いています

寝たきりの方でも、全盲の方でも、結婚している方はいらっしゃいます

SLE患者でも、結婚している方はたくさんいらっしゃいます

から難病からといって、結婚できないわけではないと思うのです。

諦めずに自分に合う恋人を探し続けることで、人生の伴侶がきっと現れると思います

2023-12-06

anond:20231206213544

アメリカのように入院したら至れり尽くせりだけど退院して請求額で青ざめるって方が効くかも

一人が耐えられない

バツイチ独居。孤独死まっしぐら人生を送っている。

かつては夫・娘2人・姑の5人家族だった。夫は滅多に家へ帰ってこなかった。

上の娘は勝手大学中退一人暮らしを始め、下の娘は男の家に入り浸りだったので、実質姑と2人暮らしのようなものだった。

姑は癌で入退院を繰り返し、闘病5年で亡くなった。

姑が亡くなってから、私の人生が大きく変わった。

から離婚提案された。夫婦仲は冷えきっていたし、離婚時間問題だろうと思っていたので、大人しく離婚届を書いた。

娘達に離婚することを告げた。私について来てくれると思っていたのに、娘達はすぐ夫と暮らし始めた。

なぜ私について来てくれないのか娘達に聞いたら、「だってお母さんとの生活息が詰まるんだもん。だからお父さんも帰ってこなかったんだよ」と言われた。

娘の言葉にショックを受けるのと同時に怒りが湧いた。

夫と娘達が家に帰って来なかったのは私が原因だと言われたようなものから

私は常に家族のことを考え、家族の為に生きてきたのに、何でそんな言われ方をしなきゃいけないんだと思った。

こんな親不孝の娘なんてこっちから願い下げだ。勝手しろ。何かあっても一切頼るなと娘達に言い、私は1Rで一人暮らしを始めた。

気兼ねなく好きに時間を使える生活楽しいと思えたのは最初だけだった。

程なくして孤独に耐える辛い生活になった。夫と娘達は今頃楽しく暮らしているんだろうかと考えると、発狂しそうになった。

一人暮らしを始めて2年経った頃、私の妹も離婚した。妹の夫が莫大な借金を抱えてしまったのが原因らしい。

妹も一人になってしまう。寂しいだろうと思い、一緒に暮らさないかと誘ったら「子供達と暮らすから大丈夫」と言われた。

私は娘達に拒絶されたのに、妹は子達と暮らせることに納得がいかなかった。

の子は皆社会人社会人にもなって自立せずに離婚した母親のスネをかじって生きるのかと、妹の子達を叱ってやったら、

ちゃん仕事はしてるし生活費は皆で分けて負担するから母さんの収入に頼るわけじゃないよ。そもそも伯母さんが口出すことじゃない」と言い返された。

妹は離婚してからとても幸せそうだった。子達と旅行したと言ってお土産をくれることもあった。

何で私は一人なんだろう。幸せそうな妹を見る度にそう思った。

つの間にか娘達は結婚したらしい。そんな大事な話すら、私は教えてもらえなかった。

私の人生は何だったんだろう。仕事しながらワンオペで娘達を育てて、姑の介護もしたのに、

から感謝されないどころか見向きもされない。こんな人生さっさと終わらせたい。

2023-11-30

祖母施設に入ることになった。

大人になってから祖母と過ごした日々が楽しかたことを振り返りたくて書く。

はいい歳の孫だ。母方の祖母ふたり暮らしをしている。

事の詳細は省くが親がいわゆる毒親だった。色々あって20代の頃に実家を売って、祖母暮らし始めた。

世間的に見るとふしぎな組み合わせだけれど、人生の窮屈さを取り返すみたいに私たち幸せだった。

実家にいた頃は、ふたりともパスタばかり食べていた。お腹が膨らむしとにかく安い。冷凍白身魚フライもよく食べてた。

引っ越しからは、スモークサーモンを買ったり、少しだけ贅沢をした晩酌おつまみふたりで食べた。

いからと買いづらかった葉野菜も、果物だって好きな時に買った。初めてシャインマスカットを食べた時は感動したし、後日ふたりが同じタイミングで買ってきて二房のシャインマスカットが家にあることもあった。貴族食卓か…?と笑った話は、鉄板エピソードトークになった。

また祖母は味覚も胃袋もけっこう若い。私が嫌な事があった!と帰ってからくだを巻いてる日、可哀想に…ピザをとろうか?と言い出した日もあった。自分が食べたいだけだろうと笑ってしまった。歳のわりには随分食べた。

年金暮らし老人と薄給OLふたり生活だったけれど、今までの人生で味わったことがない豊かさがあった。

ひどい暮らしの時もいつもなんとかなると笑っていたけれど、ふたり暮らし始めてから祖母さらに穏やかだった。

私の話を誰にでもしてしまうのは恥ずかしかった。でも、きっとこの暮らし幸せでたまらなかったんだと今は思う。

身体にガタがきて、去年からたくさん入院してる祖母。筋力も内臓も何もかもが弱ってるのに、ポジティブさはそのままに今周囲にいる人達からも愛されている祖母

本当は私の時間いくら削ってもいいから、もう一度だけふたり、家での時間を過ごしたかった。でもそれは祖母にとっても不安で望ましくないことだ。介護だけでなく持病へのフォローは孫だけだと心許ないからだ。何より本人が自分のために孫が疲弊するのは見たくないと言っていた。

入院してる間に祖母が帰ってきたらと買ったマグカップもまだ直接見せられてない。ル・クルーゼの鍋がかわいいけど使うには重いね…と話した事があったから、マグカップを買った。

祖母が冬に着たらかわいいと買った刺繍つきのニットも、今年はたぶん着られずに終わる。

甘い飲み物が好きだから入院している間に無印の秋限定パンプキンラテも買ってあった。退院した時の楽しみにしておこうと思ってた。

たぶんもう少ししたら、このふたり人生ボーナスタイムを懐かしめる日が来るんだと思う。

帰ってこられない可能性の方が高いことも覚悟していた。でも割り切れなくて今はまだ寂しくて無念だ。本人には言えないけど。

祖母はどこででも愛される力のある人だ。ただ忍耐力がありすぎるせいで、我慢をしすぎてしまう。

からせめて、その我慢が短く済むような施設に縁があるようにと祈っている。

そして願わくば、このボーナスタイムと同じかそれ以上に幸せを感じられますように。私も祖母心配をかけない程度に、お気楽に生きられる人間になるからね。

2023-11-29

終わらせたい家

父方の実家が嫌いだ。

最近ようやくその縁が切れる目処が立ってきたのだが、いざというとき決心が鈍らないようにどんなに嫌いか書き起こしておくことにした。



父の実家田舎だ。

緩やかな坂の上に建つ家は大きく、貧乏だった祖父会社を興し一代で築いた。隣の家に行くのに坂を下り道路を渡っていかなければいけない。

いずれは父の家庭(つまり私たち)を呼び寄せ二世帯で暮らすことも考えていた、と後から聞いた。

その割には電気関係があまりに貧弱で頻繁にブレーカーが落ちていたので、どのみち無理だったと思う。


家の前は杉林でそのまま山へと続く。夏はアブが、冬はカメムシ大量発生する。

敷地は広く、車が三台収まるコンクリート造りの車庫に加えて大型の農機具が複数収まる小屋や鶏小屋、2つのビニールハウスを備えてなお広がる畑もある。

畑の先にはそれなりの大きさの池があり、祖父がそこに鯉を放し飼いにしており夕方には餌をやりに行っていた。

その池を回ろうと祖父が小型の舟を買ったことがあったが私は一度も乗った記憶はなく、舟は池の側で逆さで放置されていた。

祖父は昔からそうだ。思いつきで使いもしないもの大金はたいて買い、あとはゴミになる。成金のものだ。

ワープロパソコンピアノ


祖父は六人兄弟長男で下はみんな妹。

正月や盆にはその親族大勢この家に集まって、仕出し料理なんかをとって宴会をする。映画サマーウォーズのような風景だ(なお、このために私は本作が嫌いである)



私は普段はそこから車で一時間弱の県庁所在地暮らしているが、長期休みや時には土日ともなればすぐさま連れて行かれ父の実家に預けられて過ごした。(これは祖父母の意向であり、母は嫌々だったと聞いている)

家の周りは田んぼと山で、歩いていける範囲にあるのは駄菓子屋のみ。

その頃にはすでに人口過疎化が進んでおり同年代の子供は一人しかいなかったし、あまり気も合わなかったのでその子とはあまり遊ばなかった。

長期休みの始めから終わりまでを、家から持ち込んだ自由帳に絵を描いたり、擦り切れるほどに読んだ漫画をまた読み返したり、近所の家のお兄さんのお下がりファミコンソフト数本でしのぐのだ。いつも学校で一緒の友達はみんな64で遊んでいる時代にも関わらず。


家業建築業であったが農業も営んでおり、物心ついた頃から田植え稲刈りに連れて行かれるのが普通だった。

当然ヒマだったし、それなりに成長してから仕事が振られるがそれも嫌だった。

小学生の頃は春に運動会、秋に学芸会があったがちょうど田植え稲刈りの時期と重なっており、父や父方の祖父母がそれを観に来た覚えはない。母と母方の祖母がいつも来ていた。

仲の良かった子たちの親はみんな会社勤めや公務員だったりして、行事ときには父母揃っている姿をよく見た。

羨ましいと思った記憶はないが、うちは何か違うんだなぁということは感じた。

一番嫌だったのは、運動会の後にはそのまま車で父実家連行されて田植えに駆り出されることだった。最初から体操着を着ているので都合がよかったのだ。

運動会頑張ったか今日レストランに晩ごはん食べに行こう、と話すどこかの家族ドラマ世界のようだった。


田舎自然環境農業中心の暮らしよりも嫌だったのは、親戚付き合いや近所付き合いだった。

道を歩いているだけでどこの家の人間かわかってしまう。他に子供がいる家がないからだ。

そして田舎特有距離感で、なまりの強い言葉でやたらと話しかけてくる。こっちはお前が誰だかも知らないのに。

私は三姉妹の真ん中だが、みんなだいたい私を姉と思って話しかけてきた。

姉とはけっこう歳が離れているので普通なら間違わない。実際、地元の知り合いに私と姉を間違う人はいなかった。

しか田舎の人たちは子供を見慣れていないので子供の年齢からくる体格の違いなんてわからないのだ。子供子供、と一括りにされている。


そもそも私たちがいくつになるかなんて知らないし興味もなかっただろう。なら放っておけばいいのに何故か近寄ってくる。

妹とは歳が近かったし見た目も似ていたので当然間違えられた。最初から最後まで間違えたまま帰る人もいた。

中間子は影が薄いなんて言われることもあるが、姉と妹の名前は覚えているのに私の名前だけ出てこないなんてこともザラにあった。


母(というか女性)は親戚集まりの際には台所であれやこれやと仕事をしていなければならなく、それは子供である私達も同じだった。

ただ飲んで騒ぐだけの男たちにやれ酒を持ってこいだのあれが足りないだのと次から次に言い付けられても愛想のいい姉はちゃん対応していたし、妹は人見知りがひどかったので常に台所で母にくっついて手伝いをしていた。

私も妹と同じく人見知りだったが母は妹に取られている、かといってよく知りもしない親戚連中のおばさんたちに指示を仰ぐこともできない。

人見知りなのだから愛想がいいわけもなく、私が「もっともだめなやつ」になるのは当然だった。

そのうち人前に出ることも手伝いをすることも拒否するようになって、親戚集まりの際には空き部屋に引きこもるようになるとますます評価は下がった。

「姉も妹もよく働くのに、どうしてあなたは」とわざわざ嫌味を言いに来るおばさん(祖父の妹の一人)もいたが無視していた。

上記のおばさんには奇しくも私と生年月日を同じくする孫(私からすると再従兄弟になる)がおり、彼はいわゆる優等生だった。勉強ができ、親の言うことをよく聞く子だった。(数年後に爆発して親と険悪、音信不通になったが)

姉妹の中だけではなくそこでも比べられた。

更に私は高校受験に失敗するし入った学校は結局辞めるし定時制高校に入り直すもバイトに明け暮れて学業を疎かにして卒業が危うくなるしで株を落とし続けた。

親戚中からの「あいつはどうしようもないやつだな」みたいな空気は幼い頃から親戚集まりがあるたびに感じていたのに、後半はもう完全に腫れ物でいないものかのような扱いだった。その頃にはもうその方が居心地がよいほどに親戚が嫌いだったが。


高校に入ってすぐに父母が離婚して、当然私は母方の籍に入った。というか三人全員そうした。

父方の親戚たちは離婚時にまで首を突っ込んできた。(中でも嫌味おばさんはすごかった)

なんで夫婦問題祖父母どころか親戚が絡んでくるのか謎だったし、そういうのが当たり前な気質気持ち悪かった。

元々苦手だった祖父母のことも、このときに嫌いだとハッキリ自覚したと思う。

それまでは幼い頃にそれなりに一緒に過ごした情があったというか「家族(親戚は別)を嫌うのは悪いこと」という固定観念があったので「自分祖父母が嫌い」ということから目をそらしていたのだと思う。

そもそも両親の離婚の根っこにも祖父母の干渉があった。

幼い頃から父とあまり関わってこなかったせいか特に離婚のものダメージはなかったし、なんなら父とはその後不仲になる一方だった。

離婚後に実家に戻ったことで、父に元々あった、私の嫌いな「〇〇家(父実家)の人間っぽいところ」が顕著になったために父に対する嫌悪感が強くなってしまったのだと思う。

(親権は母が持ったが、みんなそれなりの年齢だったので私たちが父や父実家に関わるかは本人に任せるスタンスだった。そのため離婚後もときどき父実家に行ったりなどがあった)

離婚から十年近く経ってから、父が亡くなった。持病を持っていたし年々痩せていたので長生きはしないと思っていたがまだ五十代で予想よりもずっと早かった。

父とは、死の半年前に病院から退院する父を迎えに行ったとき最後だった。

もっと会えばよかった、みたいな後悔は別になかった。

私よりも父と過ごした時間が長かった姉や就職と同時に県外に出ていた妹は訃報を聞いて泣いていたが、私は一度も泣かなかった。飼っていたペットが死んだときの方がずっと悲しかったし泣いた。

その頃には父のことが嫌いとまではいかなかったが決して好きとは言えない、という程度で、なんなら二人が行くなら私は葬式に行かなくてもいいか?と姉妹に聞くくらいだった。葬式の日に舞台チケットを取っていたのだ。私にとっては本当にそのくらいの関係性になっていた。

流石にそれは、と二人になだめられて舞台は諦めて葬式に出た。

父の葬式ときにも父実家は最低だった。

誰が喪主をやるかで揉めて、しまいにはすでに嫁に出て別姓を名乗っている姉に押し付けようとするために姉が泣く始末になった。

私は当然怒って姉を庇ったが普段ロクに喋らないので、おそらく親戚たちが聞いた最初最後の私の怒声だっただろう。

嫌味おばさんが人生終了レベルトラブルに見舞われたり(自業自得)親戚の中でも故人が増えたりしながら数年経った。

父の死後は、介護とまではいかないが姉に協力するという形で祖父母の様子を見に行ったり通院の付き添いをするようになっていた。

姉は祖父母を見捨てきれなかったが姉一人であの家に関わったら姉が潰れてしまうと思ったので協力することにしたのだ。

数年間そんな生活をしていたが、少し前に祖父が持ち前のクズを発揮して優しい姉に絶縁宣言をされた末に施設へ入った。

姉が縁を切るなら私ももう関わる義理はないので、自分が請け負っていた祖母病院関係を整理したりして縁切りの準備をしている。

最低限の下準備はしてあげているので今後は自力でなんとかするだろう。というかするしかないけど。


姉と妹は結婚しているが子供はおらず、私に至っては結婚願望どころか恋愛願望すらない。

自分にもあの一族の血が混ざっていることが嫌だし、自分もああなってしま可能性があるかと思うとボケときなんかが恐ろしくてたまらない。

なるべく迷惑をかけずに一人で生き、静かに死にたい

別に葬式もいらないし、火葬だけは法的にしないといけないので最低限のお金を遺して身元保証会社かにお願いしておくから適当無縁仏かに放り込んでおいてほしい。

最近はそういうことを考える。

子供は欲しくない」「あの家の遺伝子はここで絶ったほうがいい」が三人の共通認識なので、家庭環境って大切だなと思う。

2023-11-27

つの間にか、というかこれまでずっとなのかもしれないが、後輩の女性に嫌われていた。

久々に声をかけようと思ったら、顔を赤くして思っくそ無視された上に帰られた。

念のため言っておくがお互い恋愛感情などない。照れてたなどではなく本気で怒り狂っていたのだろう。

嫌われる勇気を持ちましょうというが、そういうい意味で何とも思っていない、むしろ平和的に仲良くやっていきたい相手に嫌われるのはやはりつらい。

さらには何なら元々は仲良く話していた方で、これからも程よく仲良くやっていきたいと思っていた。

というか普通に話せればそれでよかった。

気付けば死ぬほど嫌われていた。本当になぜ。

思えば今年は運が悪かった。

一昨年死んだ猫の傷心を抱きながら新年を迎え、急遽入院して、退院たかと思ったら炎上案件に突っ込まれ、それでその子担当を外され面倒が見れなくもなり。

炎上案件に追われるまま気付けばもう2023年が終わろうとしている。

一方その子はといえば社のメンバーにも慣れ、仕事もできる。何なら男性社員を手玉に取りだし、役職付きのおっさん共にも上手く媚びを売って立ち位置は安泰。彼氏とも同棲も始めて順風満帆

公私ともに絶好調って言葉が似合う。そんな状況でわざわざ水を差すかのように嫌ってくる意味がわからない。

私が唯一の汚点とも言いたげなような。

入社二年目の女の子に振り回されていると思うと、それなりに情けない気持ちもあるが。

なんだろう、今は何もかも上手く行かない。今年はずっと何も上手く行かない。

泣こうと思っても感情が死んでいるので何も泣けない。

猫が死んでからまだ泣けていない。

本当になぜ。

ただただ呪われている。

2023-11-22

そろそろ死のうと思う

直近では7月入院し、退院後は未だかつてないほど体調の良い毎日を過ごしていた。

しかし、年末に向けて一仕事頑張って年度末に入る前に誰々と会ったり、どこどこに行ったりしようかと考えていた矢先に再び体調に異変を来した。

ちなみに消化器系の難治性疾患であり、過去には大腸ガッツリ摘出することすらすすめられたことがある。

また知られていないが消化器の疾患は下痢吐き気、腹痛などだけでなく免疫力自体を大幅に下げる。そのため、ちょっと舌を噛めばひどい口内炎、気温がガクッと下がれば喉の腫れや熱、髭剃りの手元がちょっと狂えばそれによって出来た傷が粉瘤に…。

全身がボロボロである

病気兆候高校時代下痢を繰り返した後にあな痔になったことがきっかである医師からは「間違いなくとある病気」と言われたものの、その時の大腸カメラでは初見発見出来ず、病気をようやく特定できたのは大学時代の夏、3回目のあな痔になった時の大腸カメラである。あな痔の前兆である出来物を切開した直後に間髪入れずにカメラを入れた。切開後の肛門カメラを挿入する激痛に耐えていると高校生以来お世話になっている医師が「ようやくはっきりしたよ!」と叫んだ。その後胃や小腸も見るためバルーン内視鏡などのさらなる精密検査も行った。

ようやくタイトルに戻るが、そろそろ死のうと思う。

仕事恋愛などでハンデを負っている上にそもそも普通生活すらままならない状況が一年の半分を占める。職場は非常に理解があって助かっているが、最近感謝気持ちよりも申し訳なさと情けなさの方が強くなっている。

週末に病院に行こうと思っていたが、まず100%肛門の出来物の切開が必要となる。そして下手すると入院必要になる可能性がある。

もうやってられない。

そもそも、出来物の切開も入院も「長期的な目線で考えると」やるべきものであり、「短期的な目線で考えると」やる必要なんかないことに気がついてしまった。

意味のない局所麻酔、激痛、病院のカピカピのベッド、治療費。全て無駄だ。

ちょっと出来物の炎症と下痢吐き気が落ち着いたら、やりたいことやり尽くして再び体調が悪くなるまでに死ねば良いだけだという簡単なことに気がついてしまった。

とてもスッキリした。

もう食べたいものや飲みたいもの我慢する必要もないんだ。

しかし「死のうと思う」、「死ぬ」というのはなんかとても罰当たりな感じがして文字入力するだけなのにちょっとドキッとするな。死ぬつもりもないのに気安く死ぬ死ぬ言ってる人ってすごいわ。

2023-11-18

死ぬしかないやろ

アラフォー脳梗塞になって生死を彷徨いようやく復活したものの怒りの制御ができない。

そのせいで妻も子供もいなくなり、友人や兄弟も離れていき、会社もクビになった。

意識取り戻した時や退院した時に心底喜んでくれた人たちは両親を除いてみんな俺から離れていった。

唯一俺を支えてくれている母親にもさっき怒鳴り散らした。真面目な話をしている時に笑われたような気がして一瞬で頭に血が上ったけど今落ち着いて思い出したら笑ったのではなく単に笑顔だけだった気もする。

親と子供と一緒に死ぬしかない。

2023-11-14

退院した

まだ縫合跡痛いけどとりあえず退院できてよかった~戸籍変える準備やるぞやるぞ~

2023-11-09

賽の河原

「90代女性老人ホーム入所中、要介護5の方の発熱救急要請です」

看護師からの連絡を受け、搬送許可を出した後に大きくため息をついた。

きっと、また、だ。

物言わぬ患者への輸液を処方してから救急外来へと足を運ぶ。この足取りがこんなに重くなったのはいからだろう。

患者カルテはもちろんない。せめて理解力のある親族がいればと願いながら、救急車を待った。

「3ヶ月くらい前から食べなくなっていて、でもなんとなく食べそうな雰囲気はあるんですよ。診療所先生は年だなんていうけど、あの先生は信頼できないから。ほら先月には誕生日のお祝いもしたんですよ!」

主観客観区別ができない介護からの病歴をまとめると、数ヶ月前から原因不明の食思不振があり、嘱託医は老衰、あるいは認知症末期症状として、看取りが望ましいと判断していた様子だ。今朝から特に症状を伴わない38℃の発熱があったため、嘱託医は呼ばずに救急要請した、と。

施設ではこういう人は見れないんですよー」

独居の息子がいるが、老人ホームに入所してからは面会に来たのは2回だけ。他の親族はいない。

ああ、また、だ。

ストレッチャーの上で小さく横になり、ただ穏やかに虚空を見つめている老婆に目をやる。認知症になっても礼節が保たれているようだ。それか、身体を動かす力も残っていないのか。

入院前の説明介護士にはできない。翌々日に病院に来る、と息子と電話約束をし、入院の準備を進める。

何も考えない頭に息子の言葉こだまする。

延命治療はしなくていいです。ただ、できることはやってください。熱があるとつらいので。あと点滴も」

培養結果を待つまでもなく、抗生剤を処方して、救急外来を離れる。あの膿尿だ、見なくてもわかる。

この人は2ヶ月で帰れるだろうか。そんな考えが無駄なことを思い出して、今日ジムでのメニュー意識を変えた。

発熱の原因は尿路感染症からの菌血症であった。食事も水分も取らないのだからトイレも行かない。すると尿で洗い流していた尿道にも細菌が群がる。当然のことだ。

治療自体は難しくないが、尿が少ない以上、再発は火を見るより明らかだ。また起きることをわかって治療をしている。賽の河原みたいだ。一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため。そうして鬼に崩される。

加齢に伴い食事を取らなくなる高齢者は多い。認知症や脳の異常で食欲そのものが湧かないこともあれば、口や喉の筋力低下で嚥下機能が廃絶し、飲み込めない、飲み込むとむせるから食べないということもある。

急性期病院に運ばれた以上、一通りの検査はやるが、治療可能ものは見つからない。萎縮した海馬認知症であることを裏付けただけだった。

「でも点滴はしてほしいです」

饐えた臭いの息子からは3度同じ言葉が出てきた。下を向き記録をつける看護師と天を仰いだソーシャルワーカーを見て、ICは終わった。

治療の先に何があるのか、輸液の先に何があるのか、医者が決めていい時代は終わった。パターナリズム非難され、医者は決定権を患者家族に手放した。だから、何も言わない。言ってはいけないのだ。

「自宅ではみれません。仕事があるので。昼間ひとりにはできませんよ」

食事を取らず、点滴をする患者退院先は少ない。自宅が無理だと言われると、療養型病院くらいになってしまう。

ああ、また、だ。

また、あの列に一人加わった。

食べるでもなく、看取られるでもなく、見舞われるでもなく、ただベッドに横になり点滴を受ける患者が病床をひとつ埋めた。

手足も曲がり、物言わぬ患者の脇に毎朝赴く。何も起きていないことを確認するために。虚空を見つめていた穏やかな目が自分に刺さるのを感じる。

これは罰なのだろうか。

これは罪なのだろうか。

足早に病室から抜け出し、ピッチ電話が2度と鳴らないことを祈った。

2023-11-05

anond:20231105103853

私は医療経済医療政策系の大学院を修了して地方病院部長職をしている医師です。

医師として働いていると、この増田Drみたいな気持ちになることはしばしばある。そして医師同士のコミュニティエコーチャンバー的に尖った意見になりがちだ。

--

日本戦前国民皆保険という制度はなかった。

そもそも社会保障とは労働者たちが体を壊したら人生終了というハードモード人生ノーマルモードにするために、みんなでお金を出し合って自己があっても保険金がおりて医療を受けることができるようにしておこうという仕組みだった。それが戦後国民健康保険ができて国民は全員強制加入になることで、(当時はまだ)安い保険料医療享受できるようになっていった。

全員強制というのがポイントで、これが全員強制でなくなるとそもそも健康な人は加入しなくなってしまう。そういう人が怪我事故をしてしまうと人生が終ってしまうことになるし、社会の存続にも問題となる。そして医療必要としている人々(2/3は65歳以上)は高額な保険料を支払えず、当然医療費も支払えなくなる。

--

1970〜80年頃に老人医療費を無償にするという公約を掲げた政治家が現れて、実際にとある県で始まり全国に広がった。病院やクリニックは老人サロン化したのは皆ご存知の通り。

増え続ける医療費を問題視した政府は、いろんな医療政策受診回数を減らしたり入院期間を短くするように工夫してきた。OECD諸国比較によれば、日本単位人口あたりの病床数がものすごく多く(これも都道府県で差がある。高知神奈川では2倍以上差がある)、かつ単位人口あたりの医師の数は諸国と同じくらいなので、労働節約的な医療体制になっている。

日本世界でも有数の長寿国となり、人口構造が大きく変化してしまった。それを1948年に作られたベース医療制度改定しながら今までやってこれているのはすごいことだと思うし、合わない部分も出てきているように思う。

--

その一例として、過剰な医療サービス提供している、と感じることはしばしばある。

例えば、80歳の人が体調を崩して入院をした場合を想定しよう。血液検査は脱水と炎症反応の上昇、肺炎を疑われて入院した。1日1回の点滴を受けて、入院費用は1日4−5万円。10入院して、いざ退院、となったが家族仕事の都合でお迎えができるのは翌週だという。結果、4日退院が伸びた。これで医療費は50万円。でも年金暮らし医療費の上限は月に18000円になるということで、残りの48万円は都道府県後期高齢者広域連合から病院に支払われる。

病院経営立場から、差はあるが病院はたとえばベッドが100床あったら常に90床は埋めておかないと赤字になる。家族の都合で数日退院を伸ばしてほしい…と言われた時、次の入院見込みがなければどうぞどうぞと歓迎してしまう。この影響で社会保険料が多少増えようが、自分給料が出なくなったら困る。医療従事者にとっても患者にとってもWIN-WINなのだ。これは過剰な医療サービスで、社会入院として問題視される。だから入院日数を制限しようと画策するが、某団体からの反対も根強く、じわりじわりとしか改善されない。

--

ではどれくらいのサービス適当なのだろうか。

増分費用効果比(Incremental cost-effectiveness ratio: ICER)というものがある。

詳細の説明は省くが本来新規薬剤・治療費用効果検証するための仕組みで、それを保険適用の可否判断にも使用できるかもしれないというもの

その閾値は1年間、健康生活を維持するのに500万円程度とされる。透析治療費がだいたいこれくらいだ。

増田Drの言うTAVIも600万〜の治療だが、これを行うことで心不全入院(1回80〜万)を数回予防できて、かつ症状なく暮らせるなら悪くないんじゃないかとも思う。まあTAVIに関してはどの施設施設基準を満たしたいのでどうしてもやりたがる方向になっている、という問題はあるが。

結局のところ一医療人としてできることは、医療に関する意思決定を行う歳に患者医学的な状況、患者希望、周囲の人の思いや地域社会資源QOLを十分に吟味して、その人にとって最適な意思決定をチームで行う、ということを徹底するしかない。医師だけに判断させてはだめだ。間違いなく独善的意思決定になる。かならずチームで意思決定をする必要がある。そして病院診療所訪問看護ステーションなどの施設管理者自分経営方針が持続可能医療制度矛盾しないか地域ニーズにあったサービスを行えているかを繰り返し内省するしかない。少なくとも週末の退院が集中しているので延期させてください、なんて言う管理職無能だ。

--

つい先程往診に呼ばれた。多少フェイクを混ぜるが、90代の心不全患者さんで体重がどんどん増えて苦しくなっているという。休日往診(25000円〜)、心エコー(8500円)を行って、1粒700円くらいの薬剤を追加処方(正しくは増量)した。その他諸々合わせて合計4〜5万円なり。この患者国民健康保険1割の患者で、上限は8000円に達しているので患者の追加自己負担料金は無しだ。90代の患者に往診して高い薬剤を出すなんて…と思われるかもしれないが、明日まで待って悪化して入院してしまうとそれだけで数十万円は確定してしまう。

苦しくなっても病院入院させずに麻薬や鎮静薬を使って死を待てばよい、なんて考えもあるかもしれない。口でそういうのは簡単だが、実際にそういう人を見る人の立場に立つと、なかなかそんな非常な判断はできないものだ。だから人生の最終段階の医療決定プロセスガイドラインなんてものがある。

繰り返しになるが、これから医療必要医療を、その人の価値観意志尊重して、対話の中で合意形成し、限られた社会資源の中で提供する、ということが大切だ。

社会保障について興味を持った方はXのしょうもないレスバを見るだけじゃなくて、ぜひ一度ちゃんとした本で勉強してみてほしい。

https://amzn.to/3u43GIP

2023-11-04

anond:20231104131744

うちもつ最近まれて来週退院から戦々恐々としてるわ

周りの子持ち世帯みんな夜は殆ど寝れないって脅してくる

2023-11-01

見舞いに来ない奴らのすごい言い訳

洒落にならない病気になった。

入院して、見舞いに来てくれる奴もいれば、来ない奴もいる。

来なきゃ来ないでいいんだよ。

「忙しいから」とか、「面倒臭い」とか、ただ来ないとか。

頭にくるのは妙な言い訳する奴。

見舞いにはこないけど、なんか片足はかろうじて「いい人」エリアに残しておきたいみたいな奴。

頭にきたからそういう奴らの言い訳を書いておく。


1.「行こうと思ってたんだけど行けなくて」

はいはい、だから来ないのね

2.「LINEしようと思ってたんだけどできなくて」

ふざけんなよ忙しくったって3分ありゃLINEくらいできるだろ

3.「見舞いとか来て欲しくないって前に言ってたから」

言ってないし。てかいつの話だよ

4.「見舞いに行って、何て声を掛けていいのかわからなくて」

出ました、病気友達がいる可哀想な私が主人公

今は俺が主人公じゃないの?

5.「闘病でやつれた姿を見せたくないだろうと思って」

いや別に思ってないけど。ていうかそんなに俺やつれてる?

6.「大丈夫なんでしょ」

大丈夫じゃないか入院してるの。てかなんでキレ気味なの?

7.「気がついたら退院してた」

退院して悪かったな。

8.「おばあちゃんが死んだときトラウマ病院が怖い」

不覚にも笑ってしまった。面白いからこいつは許す。


こないでいいから変な言い訳すんな。

イライラするから

2023-10-31

anond:20231031003353

掛け捨ての保険で手術と入院10日して30万貰った

保険会社から送られてくる書類名前と住所と振込先口座名書いて、病名と入院期間と手術名書いて、書類領収証診療明細者?で請求できたけど、必要書類の時点で振り込まれるのは退院後確定なんよ…

からどっちにしても口座に30万くらいは用意しとかないとダメ

2023-10-30

anond:20231030223930

何万円も月額保険料に使うなら、その金を投資に回した方が長期的なメリットはあるだろうけど、病気事故は突発的だろうからある程度は備えた方が良いのでは

病気で一ヶ月くらい入院したとして高額療養費制度適用しても、ベッド代や給食費も入れたらなんだかんだ月20万円くらいはみておく方が良いというし

退院後即社会復帰できれば良いだろうけどそうもいかないだろうし、傷病手当金が出ても元の収入3分の2くらいにしかならないから、少なくとも家賃一年分くらいの預金があった方が安心だろうから家賃八万辺りで見積もって100万弱は欲しいところか

…というようなことを考えて、自分はとりあえず入院手術給付で二十万くらいもらえる安い掛け捨ての医療保険入って、定期に100万ぶっ込んで、あとはもう競馬やる感覚NISAとか株とかで遊んでる

anond:20231029194443

食事中、夫にお願い事をしたら……

私は退院当日だったこともあり、夕食作りのすべてを夫に任せて赤ちゃんリビングで座って待っていました。そして夫が夕食を持ってきてくれて、そのごはんを2人で一緒に食べていたときのことです。私は産後、軽度の腱鞘炎になったこともあり誤って箸を落としてしまいました。夫に思わず「(箸を)拾って」とお願いしたところ、何も言わずに拾ってくれました。

その後、おかずを口元にこぼしてしまった私。ティッシュでふき取りたいけれども、ティッシュ置き場は立って数歩歩かないといけない距離にあったのです。数歩歩くことですら当時の私にはしんどかったので、夫に「ティッシュも取ってきてほしいのだけれど」と2つ目のお願いをしました。そこで夫からの衝撃なひと言が……。

夫の冷たいひと言にショック

夫は「出産直後だからって、甘えんなよ。自分でやれることは自分でやれ」とひと言、冷たく私に言い放ったのです。急に自分なかにこみ上げてくる怒りの感情がありましたが、難産から退院初日の私には怒る気力も湧かず「ああ……」としか言えませんでした。

夫もごはんを食べているのに2回も箸を止めるようなお願いをしたかイラときたのだなと、今ではそう思えるのですが、あのひと言は今でも忘れられません。

ささいなひと言かもしれませんが、今でもあの出来事を思い出し「退院直後の弱っている私に、よくあんなことが言えたものだ!」と怒りに似た感情が湧きます人生で一番弱っている時期に「甘えるな」と言われ、その後は少し夫不信になりました。数年経った今では笑い話にできるくらいになりましたが「産後の恨みは一生の恨み」という言葉意味理解できた一件です。

2023-10-28

コロナインフルでまた面会禁止になったら怖いな

入院病棟家族が持ってこない限り時計カレンダー新聞もない

ペンノート危険だと言って禁じられる

コインテレビを見ればニュース時間には日付確認邪魔される

看護師(看守か?)はそれでいて、二言目には「今日は、何日?何曜日ですか?季節は?」

迅速に答えられなければ「認知機能が落ちています特養おすすめします、ご年齢です」と営業してるんだって

たかも「御臨終です、家族もとっとと諦めな」と言いたげだ

院内死亡させたら国策保険会社からいくら貰えるんだね?

食事量も水も情報も足りない

自宅退院を全力で阻止してくるのが入院病棟

幽霊現象結構出るなんて、当たり前だろうがクソブタども

コロナ活躍しながら高齢者殺しができて嬉しいんだろうなあ

2023-10-26

秋のインクの擦れるボールペン増田すまんペルーボルレス化の勲位の騎亜(回文

おはようございます

いつまでも出ないインクペン

シャープペンシル機能だけ使いたい温存しておきたいからって筆箱に入れておくスペースはマジでどうしようかと考える5秒前なんだけど

インクのさー

油性でもない水性でもない

中間の私は専門家じゃないのでよく分からないんだけど

そう言った立場インクボールポイントペンね。

私が愛用しているのは0.7ミリの細さの太さの細くもなく太くもない中間ぐらいのを使っているんだけど、

まあ使っている頻度も高いから擦れることもないのよね。

それをメインに使っている生活を送っているので

たまに活躍するそのシャープペンシル機能を含むプラス3色ボールポイントペンのそれは

本当にたまに使うから

インクペン先がかすれまくりまくりすてぃーなのよ。

そんでいつも擦れるから

ぐるぐる試し書きを紙の端っこにして

インク擦れて出ないかーって

試し書きで一生終わりそうで

次使うときもそれ分かっていてペン立てとか筆箱にしまっていて

また取り出して同じ事を繰り返す。

いい加減私も学習したらいいもの

そのペン捨てちゃうのはもったいない

インクが擦れて出ないのによ!

そうなると

シャープペンシル機能だけでスタメン入りさせているスターティングメンバーには入れるベンチの数も椅子も少ないので、

引き出しの奥に入れておきたいところなのよね。

でもたまーに

本当にたまーに

鉛筆機能で書いたりすることがあるので、

捨てられない事情なのよね。

マジックとかだったら

もう替えのインクとかもないか

「ごと」捨てられちゃうけど

いかんせんシャープペンシル機能けがあるから唯一の機能活躍の場がいつかあるかも知れないことを期待しているそんな世の中よ。

事務所事務作業で記を記をすることって、

だいたいはボールポイントペンの消えないタイプペンで書くことが多い山脈に向かってヤッホー!ってシンプルに叫んじゃうけどね。

学生の頃とは違って

鉛筆ボールポイントペンの使う頻度が大逆転というか

9回裏二死満塁!逆転ホームラン級のホームランバーを私も初打席ホームラン狙えるかと思ったけど

そうは問屋は美味しい海苔を卸さないように、

コンビニおにぎりばかり食べていて、

なんか高いオニギリを例えば百貨店とかの良い海苔を使っているおにぎりだと

口に含んだとき海苔ダイレクトに伝わる感触

コンビニ海苔のそれと比べて

海苔と言えども厚みを感じる

そう!そうよふくよかな豊満海苔の風味を味わうことができるぐらいに

そのホームランバーのあのアイスタイプのやつを

初回買って見て初打席で上手いことホームランなんて打てるわけないのよ。

そのぐらい

鉛筆機能ボールポイントペン機能と使いの割合が逆転サヨナ満塁ホームランってところかしら。

うそう!

今シーズン私も秋刀魚定食秋の祭典スペシャルを幾つ食べられるか秋刀魚の食べた本数をホームラン数になぞらえて

今シーズンホームラン数を発表すると2本しか打てなかったわ!

つの間にやら

秋の秋刀魚定食の祭典!

私の楽しみにしていた秋の食の祭典のスペシャル最終回で終わっていたのよね。

時すでにお鮨!

秋刀魚だけど!

いやー終わっていたとは、

いやー終わるとは思っていなかったので

ワンチャンあるならワンチャンって言うのは王貞治監督のことで

そのワンチャンも私が打席に立ったら秋刀魚ホームランをかませ!って

秋刀魚にかけて美味しい柑橘類と言えばカボスだけどスダチときもあるから

私はボディーランゲージサインワンチャンスダチって合図をもしかして私の合図を効いてくれるかも知れないワンチャンにかけて

もはや今のワンチャンって言葉の使い方は

ワンチャンイコール「もしかして」にも等しい値を叩き出しているのかも知れないわ。

そんなことでは秋刀魚ホームランカボスだろうがスダチだろうが

美味しく食べられたらそれでホームラン値打ちは変わらない値に等しいので

ワンチャン美味しい!ってなるのよね。

秋に擦れたインクボールポイントペンに思いを馳せながら食べる秋刀魚ホームラン味は

いつかきっとあの病床の少年約束した

今日ホームラン打つからな!って

うまい棒ホームラン味を手渡して少年病気の治り具合をそのうまい棒ホームラン味にかけるのよ!

から私はその少年の病床の病室の窓から見える向かいの棟の病棟の壁に

絵描きさんが書いている

枯葉が落ちないように

少年はあの枯葉が落ちたら退院出来るんだ!って思っている逆を行く

枯葉が落ちたら私は死んでしまうかも知れないと逆を行く

絵描きさんに壁に葉っぱが落ちないように絵で絵の具で葉っぱを描いてもらうのよ!

でも少年も元気になって退院できたあかつきには

秋の秋刀魚定食の祭典を食べようね!って

うまい棒秋刀魚定食味に誓ったので

落ちない絵で描いた枯葉の横に焼き秋刀魚も描いてもらうわ

もちろんその秋刀魚の横はスダチも実らせるのよ!

秋は美味しい物尽くしね!

でも少年は葉っぱが全部枯れ枝から落ちた頃には退院出来るんだ!って思っていたのに

いつまでも落ちない絵で描かれた葉っぱをみて

いつまでも退院出来ないんだ!ってショックを受けたとき

病院食事で薄味で味気ない食生活を送っていると思うので

濃い濃いソース日清焼そばUFOをそっと差し入れしたいと思うし、

きっと少年も元気になると思う!

次はうまい棒の秋限定アースウィンドアンドファイアー味を差し入れするわ。

うふふ。


今日朝ご飯

納豆巻きにしました。

納豆巻きも巻くのが手間だけどそれを越える美味しさがあるわよね。

フレッシュ納豆ってやっぱり美味しいわ!

最近無性に納豆あんのよね。

デトックスウォーター

ホッツルイボスティーウォーラーしました。

ホッツ白湯ウォーラー

ルイボスティーティーパックを入れて

飲み頃になった温度でいただく

ホッツルイボスティーウォーラーね。

冬のホッツルイボスティーウォーラーもいいわね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2023-10-22

Netflixアッシャー家の崩壊

・私だけ見て系利己ヤンデレのヤバさを

解らせて頂いた 長男長女は若干キャラ弱いなぁから

退院した(させた)奥さんへのヤバムーブ

お前がナンバーワンや…ってなった

・段々浸出液?で奥さんの包帯が汚れてくのが時間経過を感じさせて

ヤバ感演出倍プッシュだった

歯を抜くのもヤバだけど「一瞬の苦痛」じゃなくて

抵抗できない状況でずっと相手コントロール下におかれて

日にちが経過していく終わりの見当がない」タイプ苦痛

・話が進むごとに父のザコ感が増す

若い頃、ココリコ田中直樹に似てない?

死神さん、化粧服装髪型全然雰囲気うから同一人って気づかなかった

コナンドイルファンならもっと楽しめると聞いて羨ましい〜ってなった

性別の嗜好が多様性があった

・画面が豪華

2周目みた

・2回目だと「この発言はこういう意味合いだったのか」とか思いながら見れて2回目の方が楽しめた

1回目は「なんか思わせぶりなセリフなのは分かるがそれで?」と置いてきぼりキレしてた

でも2回目でもジッジのポエム意味わからん

2023-10-17

anond:20231017224458

金持ちから殺しにかかられたら現実生き残るのは難しいよ

病院送りにされ退院できず院内死亡、犯人無罪で終わり

殺人装置とかあちこちあるから

じゃなに喰やぁいいのさ🙄

(´-ω-`)

術後の1週間後の退院後の2週間後、やっと尿路を拡張してたチューブを瞬間的イタ痒さMAXの手技によって抜いてもらえた

ここ1週間ほど力むと毎日のように血尿が出たし腹部のチューブ埋没箇所近くも圧迫感がまた生じて来たしチンチンは終始イタ痒いしずっと残尿感あってビビってたが、それはチューブを残してたせいなんだそうな(ホンマに?)

入院手術の破砕掻爬によって割って掻き出した結石分析の結果、尿酸79%シュウ酸カルシウム21%の成分割合だったそう

再発防止にはとにかく水分、そして尿酸値を高くしない食生活、…尿酸値を下げる投薬処方もできるが一生のみつづけるコストを考えるとあまり薬は出したくない、とのこと

診察室から出て食べていいものよくないものをザッと検索してみたけど、肉や魚はよくない野菜をおもに、っていうなんじゃそりゃほぼヴィーガン食じゃん!で今まで「偏食すんなアーホーw」て嗤ってきた因果の応報をくらってる🥺

尿酸値を下げるには良くてもシュウ酸は含まれてたりその逆もあったりでマジでなにならいいのよ?!状態

2023-10-12

医者の経歴

分からん私大卒のヤブ医者の手術受けて母親が半身不随になったことある

糖尿のせいで足に静脈瘤?ができたのを取る手術だった

手術終わった後の安静にしましょうみたいな段階でもう既にそいつ挙動不審になってて、俺も親父もすごい不安になった

退院したその日からずっと足痛いって母親が言ってて、結局死ぬまで片足ロクに動かないままだった

担当医すぐに変えられたし手術の結果については何も聞けずじまい

それから医者の経歴気にするようになった

正直病院序列とかはあまり知らない でかい病院部長とかやってたらお〜ってなるけど

でもやっぱ国立とか、私立でも名前いたことある大学を出てる先生は信用できる

というかまともな先生名前検索したらちゃんと経歴出てくる なんならホームページとか待合室の壁にでっかく掲げてる セールスポイントになること分かってるからかな

2023-10-07

https://x.com/yuruhuwa_kdenpa/status/1710182688035127754?s=20

入院していた時に、強制入院しているチビデブ警察電話をして怒られていたのを見た

警察に助けてもらって退院しようと思ったらしい

馬鹿だね

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん