はてなキーワード: 着付けとは
正直言わせてもらえば、今の時代には全くマッチしない、古臭い映画だろう。
だが、自分の年齢からだろうか、最初から最後まで観たかったシティハンターが観れて、とても満ち足りた気分で劇場を後にしたのだった。
さて、話は変わるが昨年末はあのスターウォーズの最新作にして、7以降の三部作の完結編にあたるエピソード9が公開され私も初日に観に行った。
スターウォーズシリーズは4〜6までは私もリアルタイムで観れてはいない。
そもそもスターウォーズを知ったのがエピソード1の公開が話題になったときだった。
エピソード1を先に観てからエピソード4〜6を観たので、ファンからはお叱りを受けるかもしれないが、アクションシーンや映像などに目が行きがちな子供だった私にはルークの旧三部作は、ストーリーや世界観は好きだが全体的にやや退屈な古臭い映画に感じられたものだ。
エピソード3を観た後に見返した時は自分が成長したからか、アナキンに思い入れが出来たからか、とても胸を打ったのだけれども。
そして今回の最新三部作。
これを言うと批判されるかもしれないが、私は正直あの中ではエピソード8が一番好きで、一番スターウォーズだったと思うのだ。
エピソード7は私には後半になるまでは少々退屈に感じた。
というのもまるでエピソード4の焼き直しのように感じられたからだ。
勿論後半にもそれに似たシーンはあったが、思い入れのあるキャラクターの死に心乱され、あまり気にはならなかったし、後半の決戦シーンは新たなスターウォーズの幕開けを感じられ、ワクワクした。
しかしやはりどうしても、古さを感じてしまい、それがノスタルジーならよかったのだが、あくまで私としてはプラスには感じられなかった。
そしてエピソード8。
開始時点では私も戸惑った。
しかしアナキンの三部作をスターウォーズ視聴のきっかけとした私にとっては、終わってからはむしろこれこそがスターウォーズだと感じられた。
確かにやり過ぎと感じる人も多いような、まるで日本のアニメーションのような描写も見受けられた。
しかしアナキンをリアルタイムで追っていた私にとって、その描き方は技術の進化を利用し、新しいことに挑戦するスターウォーズそのもののように感じられたのだ。
英雄には相応しくない孤独な人生を歩んできた彼が伝説になった瞬間は涙が溢れた。
多くのセルフオマージュに溢れた、ファンサービス溢れる作品だっただろう。
しかし、なんと言えばいいのだろうか。
私にはまるで人間がフォースの奴隷になってしまったかのように感じられた。
主人公はいるものの、群像劇の様相をしていた今シリーズだが、決着をつけさせるためだろうか、いまいち一人一人を掘り下げられていないようにも思えた。
しかしファンが求めていたスターウォーズはこれなのかもしれない。
実際この三部作よりもローグワンのほうが好きなのだから、やはりスターウォーズ自体が向いていなかったのかもしれない。
しかし、最初に書いたシティハンターの話を思い出してもらえるだろうか。
私はあの映画のレトロさに心を躍らせていたのに、最新三部作についてはレトロさに気分が沈んでしまった。
好きなはずの両シリーズ。
やってみたいとかマスターしたいと思うことは多々あるが、だいたいお道具とか入門書をそろえた時点で終わってしまう。公私ともにそんなに忙しいわけではなく、ほぼ毎日定時で家に帰っているのになぜそうなるのか謎だ。
最新バージョンの本は高いので、ブックオフで入門書を手に入れた。写真を撮るので特にフォトショップはできるに越したことはないのだが、ほとんどカメラのおまけソフトで済ませてしまう。
webについてもHTMLとCSSの基本を書いた本を持っているが、既存のSNSやブログサービスの機能で済んでしまうことが多く、わざわざお金払って勉強するのもなぁ…と思ってしまって現在に至る。
取っつきやすそうだったので本を2冊と12色入りの色鉛筆を買ってスタート。何ページかは塗ってみて達成感を味わったけど、「もっと色のバリエーションが欲しい」と36色の色鉛筆を買ったところでストップしている。どうせなら36色の色鉛筆を買う前に飽きる方がましだったと思う。
○着付け
正月に絣の着物を着せてもらい、「どうせなら自分で着られるようになりたい」とリサイクル着物の店で初心者向きの帯と着物を購入。DVD付きの着付け入門書も入手済みなので、私が動画と本を見ながら練習する努力家であればとっくのとうにマスターできているはず。救いはあまり高い着物を買わずにリサイクルで済ませたことだ。それでも総投資額は五万円ぐらいかかっているはず。
そもそも洋服でもあまりお洒落にうるさい方ではなく、何年も前に買った服を着続けるような女に着物のハードルは高かった。
○折り紙
これは今のところ続いているといっていいかも。元々子どものときから折り紙が大好きで、社会人になってからは金にものを言わせていろいろな紙を買い集めていたが、新聞で紹介されていた透き通った折り紙に心惹かれた。星や花のような平べったいものを数枚の折り紙を折って貼り合わせて作る。
窓などに貼ると光を通してきれいなんだけど、我が家は散らかっているし、職場の窓に勝手に折り紙を貼るわけにいかない。折り紙に付いてきた小冊子に載っていたものを何種類か折ってはみたけど、これを発展させるにはどうしたらいいかという状態。
趣味でも何でも、時間に余裕があればできるのでなく、根性のある人だけが上に登っていくことができるのだなと実感する今日この頃。どれか一つでもいいから全うしたい。
参考
参考
ちょっと話は逸れるけどさあ、中東みたいに女性が肌をさらして歩くのが禁止されてる国もあるわけじゃん。
昔の日本だって、女性が男性と二人きりで話すことなどとんでもないとかそういう抑圧がすごかったわけじゃん。
ましてや性的なものを連想させる格好なんて御法度で、体型を出さないように着付けてたわけじゃん。社会的圧力で。
この辺りは西欧も似たようなもんで、女性が女性らしさを強調する服なんてありえなかったでしょう。
そういう抑圧が長い歴史の中で解放されて、女性は自分で着たい服を選べばいいということになって、
例え性的な興奮を催させるような服を着ててもそれは、そういうことを考える方がいやらしいんだみたいな
考え方が受け入れらていっていていると思うのね。
そんで今回のポスターは、もちろん男が男のために作ったようなもんだと思うけど、
そうやってやれ性的だとかどうとかそういうことをうるさく言い建てたら、
折角の女性の自由がまた抑圧の方向へ進んでしまうとかそういうことはないのかね?
それこそ男の側にだって、女の自由を奪って狭い世界に押し込めておきたいやつなんてごまんといるわけで、
三歩下がって、地味に控えておれというそういうのに付け入る隙を与えはしないのかね?
先月、成人式の前撮りをした。きらきらの着物とメイクとヘアセットで綺麗にしてもらって、地元の有名なフォトスタジオで撮ってもらった。家族や親戚にもたくさん褒めてもらってすっごく嬉しかったのだけど、わたしは少し違うことを考えていたので、そのことをここに書こうと思う。
今回の前撮りの費用は祖母がお正月にくれた前撮り用資金から出させてもらった。どんな着物にするの?楽しみだねえ、と言って大きな額を渡してくれた祖母は、わたしの前撮りの日を待たずに春に亡くなった。生まれた時からずっとそばにいて、幼い頃の写真にはよく祖母も写っていたし、着物や浴衣を着付けてくれるのもいつも祖母だった。わたしは祖母に振袖姿を見てもらうのを楽しみにしていたし、着物が好きだった祖母もきっと楽しみにしていてくれたと思う。見せたかった。わあー!素敵!と言って喜ぶ祖母が想像できるし、わたしが自分のセンスで選んだ着物の完成形を見て欲しかった。前撮りを終えて家に帰るとき、祖母の家に寄って振袖のまま仏壇に手を合わせてきた。普段は咳き込んでしまう御線香の香りも、なんだか祖母が近くにいる証のような気がして少し多めに吸い込みたくなった。
振袖、ちゃんと見てくれた?少し派手な色だけど、この振袖すごく気に入ったんだ。可愛いでしょ。ばばにもちゃんと見せたかったのになあ。ちなみにお昼は松茸食べたよー。美味しかった、へへへ。未だにばばがいないの信じられなくて、ふとした瞬間に元気かなー?って思ってああ、って寂しくなるんだ。夢だったら会えるのかな?会えたら振袖の感想、教えてね。
私の親は毒親だと思う。といっても、猛毒まではいってないと思うけど。
実家は山陰。両親は有名大卒と地方国立大卒で、当時としてはかなりの高学歴夫婦。父親は家業を継いでいて、母は一応専業主婦。だけどその実態、父親はおそらくはアルコール依存症だったし、母親は同居生活で、舅姑、彼女が嫁ぐ前は小姑からもかなり激しくいびられていたらしい。しかもこの母、家事の才能がまるでなしで片付けが全くできず、料理も決してうまいとはいえなかった。そんな中で育った兄と私。兄にとって両親がどうだったかは知らないけど、私はしばしば親、特に母親と衝突していた。
親は、私を親のお眼鏡に叶う偏差値の大学に進学させた後は地元の名家に見合いで嫁がせるつもりで育てていた。自分もそうするものだと思っていたけども、気づいたら全く違う人生になっていた。
中学のころだったと思う。朝食を食べて、兄が牛乳を食卓に放置していた(それさえも私は知らなかったのだけど)。帰宅してそれを見つけた母が激しく私たちをなじった。兄は黙って聞いていたけど、無関係の事まで持ち出して咎のないはずの私まで罵倒し始めたので、我慢できず言い返した。その後黙って家を出てしばらく友人宅にいたのだけど、迷惑もかけられないので帰宅した。その後もまあ激しく怒られたのだけど、あまりにひどい罵倒の数々に「子供に人権はないのか」と言ったのだ。その時に言われたのが「かわいげがない」「お前は親に誤らせるのか」という言葉。後者はこの後も時々言われてそのたびにとても不快になった。この騒ぎがどう収束したのかは記憶にない。
高校の頃。思いつきで志望校を変更しようかと思った。元々の志望校よりも距離は離れるけど、偏差値は上がるし、最終的に届かなくても元の志望校に戻せばいいや、目標を変えて偏差値が上がれば結果としては受験にはいい影響のはず、という割と軽い気持ち。父親に言ったら母に相談しろと言われる。母に言うと途端にものすごく不機嫌になり「お前にあんな難しい大学行けるわけがない」「そんな遠いところの大学は許さない」かくして志望校変更は1日で元に戻さざるを得なかった。まあその程度の気持ちではあったのだけど、あの時に態度とひどい言葉はよく覚えている。
大学に進学。電車を乗り継いで半日ほどかかるところだった。最初は4人部屋、4畳半を二人ずつで使う昔ながらの寮に入った。私はゲームが好きだったのだけど、高校までの間は勉強を理由としてほとんどやらせてもらえず(こっそりやってたけどね…)テレビを持っていなくて全くプレイできなかった。なので入学後最初のGW、駅前の中古ソフト屋で買ったソフトを持ち帰ってプレイするのを楽しみにしていたのである。そして実家で夢中になってゲームしていて、親への対応がなおざりだったのだろう。夜に一人でリビングでゲームしていたら既に激怒の完成形になっている母が「ゲームしに来たんだったら帰れ!!」と怒鳴りつけるわけです。その前にゲームそろそろやめなとか話をしようとかいろいろあると思うんだが、最初から怒りMaxで来られるのでこちらも穏やかではいられず。お土産に買ってきた菓子はゴミ箱に突っ込み、翌朝父親に帰る旨を伝えたら短気は起こすなと説得される。菓子は祖母の手でゴミ箱からサルベージされていた。
バイトを始める。そこで彼氏ができた。顔だけはいい底辺高校卒フリーター(契約社員かな)だった。この男も毒親育ちのモラハラ男で、こんなダメなお前を理解し更生させてやるのは俺だけだぞみたい態度で接してくるわけですね。ただ、「何かできそうな、やりそうな雰囲気」はものすごくある人だった。終始アンチこの彼氏だった私の友達もこの点は認めてたから。数年付き合ってる事は黙ってたけど、母親に彼氏の事を話したんですね。3年生の終わり頃だったか。父親には言わないでと。「付き合うって具体的には何をするの。手をつないで歩いてとかか」「え、それはまあ」「それ以上もか」「え、まあ」というような会話があったことは覚えている。そして翌日即父親にバラされて実家は大嵐です。「もうお前の学費は払わない。男に払ってもらえ」と、できるわけがないことを言ってくる。しかもその品のない言い方が。結局別れたことにして大学は卒業したけど、勝手に合い鍵を持ち出した父親が私の部屋に侵入していたことがあった。ドアを開けたら酔っ払った父親がいるんですよ…。この時もすぐに喧嘩になって、絶対に追ってこれないところに逃げるべく、私は大学に塀を乗り越えて侵入し、女子寮の友達に頼んでかくまってもらった。翌日合鍵を渡してあった友達に頼んで父親がいない事を確認してもらってから帰宅した。テーブルの上には自律した行動をという紙が置いてあったが、アル依の父親にそのままお返ししたい。
他にも無茶な話が一つある。母親の友人は、友達と旅行などに行ったときに一緒に娘さんの部屋に泊まるのだという。娘さんは自分の友達の家などに泊まって、部屋は母とその友に使わせるのだとか。…という事を話されて、まあ自分もそのようにしたかったのかなと思ったけど空気読めないふりをしてふーん、で返したので実現しなかった。今思えば、親はともかくなんで知らないオバサンを自分がいない部屋に泊めなきゃいかんのか、絶対やだな、としか…。確かに家賃を払ってるのは親だけど、それが普通の感覚なのかな。私は嫌だけど。
とにかくこのころの私は親から離れるとこんなにも自由で楽しいのか!と気付き、実家にはろくに連絡もせず好きなことをしていた。でも親からしたら「糸の切れた凧」だったようです。嫌な表現しますね。私は耳があまりよくないこともあってか電話が嫌いなのだが、時々父親から「そろそろ母親が不機嫌だから電話してくれ」という連絡があった。で、嫌々電話していたのだけど、なんというか情けない話ですね。なぜ話したい人の方から電話してこないのか。母の日も「他の人たちは何をもらったとか楽しそうに言ってるけどうちにはなにもない、惨め」と愚痴ってくるのです。若い頃は逆に反発して意地でも送ってなかったけど、そのうちリスク回避だとネットで頼んで送るようにしてたな…正直気持ちは入ってなかった。ただのリスク回避。
大学は自分で選んだところだったけれど、言わば学歴厨の親だったので、勉強ができなくてはクズであるという空気の中で育った。私も兄も同程度の出来だったのでお互いコンプレックスは持たなかったと思うけど、これで仕上がりに差があったらどうなっていたのか、考えると恐ろしい。そして入学後に目的を見失い、勉強が全く面白くなくて本気で中退を考えていた。けど、親には相談しなかった。相談する相手じゃなかったのだ、もう既に。新たなやりたいことを探すパッションもないまま、4回生で必死に単位を取ってどうにか卒業の見込みが立った。後に書くけど就職も決まってしまったので必死だった。
そして卒業式の前日のこと。親は袴を持ってきて着付けをすると言ってくれたので、お願いすることに。前日の予定は聞かされてなかったのだが、私は友達から当時超入手困難な某ブランドのファミリーセールのチケットをもらっていて、楽しみにしていた。昼過ぎに電話がかかってきて、何時に着くから食事を一緒にと。でも私はセールに行く気だったので、それは無理だよ~と軽く返事をしたらそれで点火、激怒。親がわざわざ行くのに予定を空けておかないとは何事かと言われた。じゃあ予定先に言っとけよ電話できるだろ…とは思ったものの、ブチ切れた母はとにかく家に行くから外出するなとガチャ切り。家に来たけど、私は鍵を開けなかった。非常に惨めな気持ちになったそうです。もうスーツで行く気で、父親に電話したら父がなんとか説得などしたらしく、翌朝着付けに来いと言われたのでホテルの部屋で着せてもらって卒業式に出た。けど、大学の卒業式はもう思い出したくもないものになった。正直あまり記憶がない。父曰く、私の大事な行事を台無しにしたことで落ち込んでいたらしいけども。
就職。親は地元に戻して、数年経ったらそこそこの家と見合い結婚させる気だったようだけど、まだあのクソ彼氏と付き合っていたので、地元に帰る気はゼロ。親の勧めでコネのある地元企業も受けたけど、猛烈やる気のないエントリーシートを出したせいか、超氷河期のせいかコネパワー発動前に落ちたのでよかった笑。しかし超氷河期、まあ落ちる落ちる。どうしようかと思っていたら何をどう間違えたのか某上場企業の内定をもらってしまい、親も賛成せざるを得ない。あの会社に就職って言うと自慢できる程度の知名度だったし、満足はしてたみたい。でもやっぱり実家に心は向かなくて、同期に「実家に帰らなさすぎじゃない?」とは言われたけど。
時々帰る実家は私の居場所がなかった。精神的にではなくて物理的に。田舎で、部屋が10以上ある巨大な家なのだけど、その8割程が母親の荷物で埋まっていた。片付けもせず、壊れた電気も直さずに暗い部屋でネットのパズルゲームをやっている母の後姿を見たときは正直ぞっとした。彼女と話しても、父親への不満、祖母の悪口、私への恨みなどを延々聞かされた。楽しくはなかったけど、他に言える人がいないから…とずっと我慢して聞いていた。大学の頃の私への恨みは本当に不愉快だったし言い分もあったけど、黙っていた。一言でも言い返したら余計面倒なことになると分かってたから。
クソ彼氏とはずっと付き合ってたけど、クソ彼氏があまりにも将来への見通しがなくおれはいつかビッグになるという夢想ばかりしているので愛想を尽かして別れた。2年ほどしてから社内で彼氏ができて、その人と結婚することになる。彼氏はちゃんと大卒で同じ上場企業だったので、反対されるかと思ったけど大丈夫だった。というか、クソ彼氏がひどかったから相対的に評価が上がっていたのかもしれない。ちなみにクソ彼氏、未だにビッグにはなってないみたいです。
出産。娘誕生。妊娠中に不幸があってショックを受けており、それもあってかあっさり産後鬱に。里帰りはせず、自宅に義母と実母が交代で来てくれた。義母は家事の達人、まさにプロの主婦といった人で、産後の実子のケア経験もあるせいか本当に頼りになった。一方の実母は、朝私が洗濯をしている横で新聞をゆっくり読み、私が作った料理をなぜかクソマズアレンジし、挙句に地元の人が近所のイベントに出店しているから行ってきていいかと。会場はかなり遠く、言ったら3時間は帰れない。折しもインフルエンザが流行っている季節で、私はいいけど帰宅したらすぐに風呂に入ってくれと頼んだのだが、ばい菌扱いされたと感じたようですね。母親がいない間に夫が会社から帰ってきたけど、私の顔が引きつっているのを見てまずいと思ったみたい。ばい菌扱いもショックだったみたいで、3日いる予定が2日で帰ってくれた。その時はほっとしたんだけど…しばらく経ってからメールが来た。なぜなんの連絡もよこさない、寂しすぎると。仕方なく電話したけど、孫が生まれて喜びでいっぱいの時期のはずなのに面倒見に行けば(見てないだろ)迷惑そうにされ、産後鬱だから直接連絡せず夫を通せと言われ(の割にメールしてきたな)、疎外されて惨めであると。そして生き生きと夫の悪口を言い始めた。夫からしたら身内の不幸があってこれ以上誰かを失いたくなかったわけで、私を守ろうとしてたんですけども。産後鬱状態の娘に夫の悪口を言うとか本当に神経がわからない…。この時はなし崩しに仲直りした形になったけど、お宮参りとお食い初めに呼んだら父親が泥酔して夫を蔑む発言をして、夫の私の両親への心象は地に落ちた。この時は駅で寝転がって運ぶこともできず大変だったらしいです。まあ、アル依だからな…。
それでも程々の距離を取りつつ、私が気を使うなどして表面上は親しくしていたのだけど、1年前に会ったときのことだった。
私は遺伝性の病気を抱えていて、毎日目薬を差さなくてはいけない。この目薬、肌についたものを放置しておくと肌が荒れることがあるので、ウェットティッシュやおしぼりで早めに拭くと荒れなくて済む。また、目の形が少し変わる副作用もある。肌荒れはなんとかなっても、目の形はどうしようもない、でも病気よりはマシだから…と点眼を続けていた。
その頃、母は目の手術を受けており、目薬の点眼をしていた。点眼後に使えと清浄綿を渡されていた。私と同じ病気の人も使っていると聞き、私のためにと買ってきたそうだ。だけど、自分の目は手術したわけでもなく傷もないので感染症のリスクは低く、そこまでのものは必要ない。主治医もウェットティッシュで十分と言っていた…が、一応お礼を言って受け取った。そんな時に娘のアレルギーが発生して、目がパンパンに腫れてしまった。これこそ敏感な状態で、清浄綿を使うのはとても良いし、個装されているから携帯にも良い、すごくこの子向きだねと母に言ったら突然イラつき始めて「それはあんたのために買ったものなんだけど。高いっていうけど、そんなもの(楽しみにしていた入手困難だった化粧品)を買うお金があるならこれくらいお金出せるでしょう」困惑しながら、実際自分の今の状態にここまでのものは必要ないと副作用の説明をしたのだが、そこで「もうこれ以上この話はしたくない!」ときつく言われて終わった。実はこの数日前に受けた検査の結果が今一つで、でも一度の結果で落ち込むものではないと自分を励まし前向きになろうとしていた時に病気の事で怒られるというのはとてもショックだった。その後私は一言も喋らず、というか喋る事ができず、飲まず食わずになってしまったのだが、親は怒っていると思っていたのかもしれない。実際はショックで何もできなかっただけだが。
翌朝、相変わらず不機嫌そうに一言も口をきかない母親。これはさすがに…と自分が折れようと思って「病気の事に口を出すのは一切やめてほしい」と言った。すると待っていましたとばかりに「謝れというのか。そもそも謝るようなことなんて何も起きてなかったと思うけど、親に誤らせようというのか。まあ謝るけど、すみませんでした(棒読み)」。これでもうさすがに我慢の限界がきて、病気に事では自殺するほど悩んだこともあったのに、なぜこんな体に生んだ、謝るとかそういう問題じゃないと泣きながら訴え、過呼吸寸前までなっていたのだけど、母親はそんなの知らなかったと何度か言ってからテレビを見るために椅子に戻り、父親はオバサンがそんなに泣くものではないと手を振り払った。それでもうこんな思いをするのは嫌だと荷物を纏め、予定より何日も早く家に戻った。途中「せっかくの帰省をつまらないものにしてごめん」というメールが来ていたけど、そんなレベルの事じゃない。つまらないもの、そんなことじゃない。私が死にそうな思いで、でも死なずに努力していた、そのことを踏みにじったんだよ。SNSはすべて即ブロックしたけど、LINEだけは解除しておいて通知オフ、未読スルーにしておいた。
それに気づいたのはメールが来てから数週間経った頃だった。「連絡が一切なくて寂しいです」と、あれだけのことをしておいて普通にメールが来ていた。彼女の中ではその程度の事だったのかな…でもこれを見た瞬間にどうしようもない嫌悪感と吐き気がこみ上げてきて、LINEもブロックした。もう解除するつもりはない。
一度兄から夏の帰省について連絡がきたけどそっちには戻らないとだけ返しておいた。返事は未読スルーだった。わざとなのかなんなのかわからないけど、あの兄がそういうことを聞いてくるのはなんだか怪しいと思っている。裏で誰かが動いたのかもしれないけど、どうでもいい。
母が義母に連絡したようだ。「娘と連絡が取れない」「心あたりはないのだけど(これはびっくりした。ボケたのか?)」と。義母は積極的に介入するのはまずいと思って、そういう連絡があったことと、私に少しだけ事情を聞くだけに留めてくれた。あまりどちらにも余計な事は言わないようにするとも。だけど義父はそうじゃなかったようで、外面のとてもいい母親のそこだけを見て、あんな立派な人ともめるのは子供の方がおかしいに違いない、家事もおろそかだし、育児についても…と勝手に色々と不満を溜め込んでいたようだ。
まずは昼間にスマホをいじっていて子供の相手がおろそかになったのが不満だったらしいが、それは夫の同僚の奥さんで、赴任先についてきて生活が不安な人の相談に乗っていたのである。早く現地で私も頼りにしている人に繋ぎたいと思ったし、水や食べ物については一刻も早く不安を解消してあげたかったから。自分も引っ越して鬱になったから、もうそんな人を増やしたくなかった。そしてその夜、台所の片づけを手伝い、一日やかましい子供の相手をしていたところから気が抜けて、子供のアレルギーについて携帯で調べていた。子供に片付けしなよと声をかけていたけど、昼間の事もあってそれが気に入らなかったのだろう。名前を呼び捨てにされ「スマホを見ながら怒鳴るだけで子供が育つか!!」と怒鳴られた。反論もせず気にしてない風を装いはしたけど、突然怒鳴るというのが実は非常にショックだったのだ。中学の時に暴力的なものを含むいじめの経験があるので…。
その後はおとなしくしていたのだけど、食事中に子供の質問に答えていたのを「そんなことを食事中に話していては食べられないだろうが」チクチクと注意されていた。そして最終的に夫もいる場面で「食事の時にぐちゃぐちゃと喋るのが大嫌いなんだ!」と怒鳴られ、その後に私に向かって「大体親をないがしろにしてそんなことでいいと思っているのか!」と全く無関係の説教を始めた。最初に怒鳴られた時点でもう夫が怒鳴り返していて私は無言だったのだけど、親の事についてはこちらもさすがに黙っていられず、泣きながらだったけど「何を言われたかも知らないのにそんなことを言わないでほしい」と言った。が、それ以上は夫に引きずられて移動させられたので言えず。
その後、数時間二人で話をしていたようだけど、夫の感触としては「元々子世帯のやり方に内心不満を溜め込んでいたところに親ともめていると聞いて勝手に不満を溜めたのだろう」「あなたの親は心当たりがないと言っているようだから、一方的にこちらが悪いと思い込んでいる」「かなり話したけど、性格上納得はしていないと思う」との事だった。家事がおろそかといっても、彼は自分の妻の家事能力の素晴らしさが当然のもので、それがいかに恵まれていることか気付いていないのだ。私が地味にやっている細かいところの掃除については全く気付いていないだろうしね。ゴミ出しのタイミングとかも…。大体片づけが~というなら、毎日湯呑を飲んだ後放置して去っていくのはどうなんでしょうか笑。夫に食事の時無言だったのか聞いたけどそんなことはなかったそうです。私が質問に答えるのも知識のひけらかしって陰口言ってたけど、実はひけらかしというなら舅の方が余程そういう話をしてるんですよ。私はどんな話でも知識を深めるのはいいことと考えているので、ひけらかしなんて思わずいつも素直に聞いていたけど。
私は、別に状況を理解して味方になってほしいとは全く思っていない。理解だってしてくれなくてもいいのだ。ただ口出しをしてほしくない。そういうことは嫌いな人だと思っていたのに、まさかこんな形で口を挟んでくるとは思っていなかった。話の中で夫にお前が仲介してどうこうすべきではとも言ったようだけど、それは私が全く望んでいないことだし、毒親と無理に和解させようとして離婚する夫婦もいるくらいなのに、そうなってほしかったのだろうか。私への悪口も漏れ聞こえてきたし、本当に不快。それに同じことをしたのが娘婿だったらきっと言っていなかったと思う。女と見てそういう態度に出られた事にも非常に不快感がある。突然怒鳴るのも何なんですかね。そんな人と楽しく付き合いたいと思う人がいると思うのかな。あいにく私はそこまでのMではない。
そもそも私の親が保身のためにか嘘を言ったのがクソだし、事情をほとんど知らないのにイメージだけで口を挟み、突然怒鳴ってくる舅もクソ。あんな人だと思っていなかった。
正直私は二度と会いたくないんだけど、義母がそれはやめてほしい…との事なので義母のためにもう少し努力はするつもりだけど、同じことがまた起きたらもう我慢できないなとは思っている。夫が壁になる意思があるからいいけども、これで無理に付き合いを強制する人だったら離婚するだろうな。そうさせたかったというなら目論見通りなのだけど。
今日は1日用事、からの仕事がらみのインタビューとかあって21時戻り。
けど彼女はまだ戻ってない。
前夜の深夜に出かけてから仕事になだれこんでこの時間に戻ってないとか
彼女が帰ってきたらいっしょに食べようと思って梨を買ってきました。
住んでるマンションに空き部屋があるので
ってカキコミをした。
それには前段があって、半年くらい40がらみの女と住んでた。
金600万貸したらトンズラされた。
(一応、裁判ざたで脅して今年の秋から月10万5年ローンで返済される予定)
ひとりぐらしが当たり前と思ってたから、毎日部屋に帰ってきてた存在が
いなくなったらすごくさびしくなった。
「住みたいです」
こっちの電話番号を送った。
出会い系サイトではメッセージ使わずすぐ直電にきりかえるスタイルだ。
電話がかかってきた。
「住みたいんですけどいいですか。夜もオッケーなんで」
彼女本隊がきたのが昨日。
・出張ばっかりでそっちにいけません
・その日は深夜まで仕事です
そして、昨日部屋にやってきて、
荷ほどきもそこそこに寝そべってたかと思ったら
そのまま帰ってこない。
「友達といっしょにいる」
行動パターンがカタギじゃないよなあ。
着物プラン頼んで、後からお食事会をするホテルで着付けとかメイクとかをお願いするつもりだった。
ところがだ。
私、未婚。
年齢はぶっちゃけアラフォーだから、振袖じゃなくてもいいんじゃないかと思うんだけど、うちの天上天下唯我独尊世界は自分が中心に回ってる女親様が、振袖は無いと聞いて「お着物で並ぶのは私と愛する妹ちゃんだけね!!」と言わんばかりに喜んでる。
即、ドレスにしろと言われる。無言でいたら、「みっともなくなっても困るしとりあえず金は出してやるから自分で着物も着付けも探してこい」と。
それはまだいい。いつものことだし、出してくれると言うなら、ここぞとばかりに出してもらいましょう。
腹立たしいのは、「お前だけ別になるけど」を繰り返し繰り返し、何が楽しいのか笑いながら言ってくること。
逐一棘のある言い方をするのはいつもの事だけど、本当に、私が選んだことが台無しになると嬉しそうにするなぁ、この人。
まあ、愚痴はおいておいて、いや、これも愚痴なんだけど、結婚式の親族用着物の選択肢が留袖オンリーってなんぞ?
ねーよ。そんな金なかった家だったよ。
でも、潔くドレスにするのも嫌だ。
妹も、私が着物にするって言ったら喜んでたし。
資格も欲しい。
なんでもいいと言ったが楽しいor就職の役に立つのどちらかで訓練したい。
これは楽しかったとか教えて。
高卒アラサー女、飲食接客系と介護系というどうにもならない職歴しかない。管理職はしてない。
小中高とパソコンの授業はあったのでofficeソフトの基本操作はおそらくできるがパソコンを使う仕事をしたことが無い。机に座る仕事に憧れている。
ぼんやり事務やってみたい(OLと名乗りたい)とハローワークで言ったら訓練予定の一覧表をもらったがデスクワークをしている友人知人がガチでいないので判断が難しい。
積極的になりたいものもやりたいことも無いがなんか新しいことやってみたいんだよ。
勉強内容おもしろそうだけど「不動産でしか働けないから…」とハロワの人はあまりオススメではないようだった
これは「建築に限られるけど」とは言わないんだな?いいの?おもしろい?
別の講座でAIとかPHPプログラムとか中身が違うものがそれなりにあるけどどれがどうなのかがわからない
ネイルや着付けとか楽しそう&中身とゴールの想定がつくけど絶対一人暮らしできるほどの収入は得られない
溶接とか電気工事とかは受講期間7カ月を通いきる自信が無いんだけど「もくもく仕事ができてオススメ!」とかなら前向きに検討したい。
夏の開校少なくて辞める時期調整して辞めればよかったなーってちょっと後悔してる。
あっ、消火器について聞きたかったのね。禅問答みたいな言い方しないで最初からそう言ってくれたらいいのにw。
では、僕の意見を言うね、
まず、この問題は聞いた話っていうのと、さらにその聞いた相手がダンプ燃やした当事者からしか聞いてないってことです。(ミニストップ店員からの話はない)
この時、コブシ大の大きさの火っていってたってことだけど、まず、ブレーキ火災は表からは見えにくい。見えた部分がコブシ大ってことなのかな?実際はもっと燃えてた可能性もある。
ってやり取りはやったことあるんじゃないかな(僕はありますww)
このように人間って自分の過失って過小申告する傾向はあるんじゃないかな??
それに、ダンプのタイヤって破裂して、ホイールカバーが近くに居る人に当たると人って直ぐ死ぬよ。(これの死亡例はぐぐれば直ぐ出てくる)
その場合、責任問題ってどうなるの??消火器貸したら貸した人も責められるんじゃないかな??
結論として、僕の意見は初期消火するのも素直に消防待つのもどちらも正しい(要するにどちらが正しいかは判らない。多分、ここは水掛け論になって結論はでないよ)
ってとこかな?
現場状況が判らない以上、ここは議論してもしょうがないって思ってる。(どうしても決着付けたければダンプ運転手とミニストップ店員が裁判でもすればいいんじゃないかい??)
それよりも、僕が言いたいことは本文に何度も書いてるようにミニストップは善意の第3者ってこと。
多分、消火活動のために駐車場整理もしたであろうし、仕事にもならなかっただろうし、ミニストップは迷惑しか被ってない。
それを無かったことにして、消火器貸さなかったから悪いって論調はおかしくないかい??
後、蛇足だけどミニストップつぶしたいって言ってる人もいるようだけど、そこの店つぶれたら、今まで待機場所に利用してたダンブ業者が一番困るんじゃないかい??
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 58 | 17400 | 300.0 | 48.5 |
01 | 68 | 9209 | 135.4 | 40 |
02 | 38 | 14743 | 388.0 | 121 |
03 | 38 | 12146 | 319.6 | 291 |
04 | 48 | 23638 | 492.5 | 88.5 |
05 | 25 | 12705 | 508.2 | 147 |
06 | 12 | 2204 | 183.7 | 94 |
07 | 41 | 8058 | 196.5 | 51 |
08 | 45 | 5997 | 133.3 | 70 |
09 | 80 | 15756 | 197.0 | 41.5 |
10 | 68 | 5955 | 87.6 | 30 |
11 | 53 | 3183 | 60.1 | 30 |
12 | 65 | 6127 | 94.3 | 53 |
13 | 123 | 11818 | 96.1 | 54 |
14 | 77 | 7082 | 92.0 | 63 |
15 | 106 | 7626 | 71.9 | 43 |
16 | 98 | 8112 | 82.8 | 46 |
17 | 85 | 9294 | 109.3 | 60 |
18 | 47 | 11012 | 234.3 | 87 |
19 | 56 | 10482 | 187.2 | 54 |
20 | 97 | 16300 | 168.0 | 45 |
21 | 123 | 21494 | 174.7 | 49 |
22 | 119 | 18106 | 152.2 | 58 |
23 | 96 | 18118 | 188.7 | 45.5 |
1日 | 1666 | 276565 | 166.0 | 52 |
犯行予告(4), 詰め寄っ(3), 足立(3), 着付け(4), アンチパターン(3), 生き恥(3), ずん(3), 若返り(3), 初月(3), 傍観(12), 遡及(3), 仄めかす(3), 自発的(21), 迫害(12), 順位(7), テロ(19), 誇張(7), 明言(7), ワンチャン(8), デスク(6), 昼休み(6), 若さ(7), 頻度(11), post(6), KKO(52), 弁当(11), まとめサイト(7), 解消(19), 無理矢理(6), 配偶者(6), カルト(5), AM(12), PM(12), 差別主義(12), 殴っ(8), ヤクザ(8), NG(9), 動い(12), 考慮(8)
■男性オタクに苛められてたこと絶対に忘れないから 追記 /20190324040152(30), ■日本お弁当食べる場所がない問題 /20190324001129(28), ■足立です。 /20190323215053(19), ■海外に自信増田は教えて /20190324092109(13), ■母の作品を破った /20181013021617(11), ■この国の人間はなんでもっと怒らないんだ /20190324180834(7), ■とある増田を特定した。 /20190324094734(6), ■増田は何か引退したことある? /20190324051429(6), ■男性の必要な「清潔感」 /20190324233535(5), ■極論でしか話せない人 /20190324020518(5), ■単語にしか反応できない増田っているよね /20190324103559(5), ■anond:20190324102925 /20190324103915(5), ■公園とちんこ /20190324150050(5), ■お前らがブラウザに固定してるサイト教えてくれ /20190324155643(5), ■2人でご飯に行くということ /20190324125204(4), ■anond:20190324224134 /20190324230106(4), ■anond:20190324151557 /20190324152320(4), ■ /20190323184042(4), ■はてサ「政権批判したら反日扱いされた」 /20190324102925(4), ■大企業の人材は使い物になるだろ /20190324212034(4), ■今の新卒はどの会社に入ればいいの? /20190324104223(4), ■自分の想像で勝手に怒る人 /20190324111157(4)
6117615(1498)
ここ最近で和装になる機会があって個人向け着付け師というのを手配した
この着付け師の人が40ぐらいの女性なんだけど理論的に格好良く見える見立てと着付けをしてくれて
この年で着物店に行くと店員さんも店主もすごい老齢で私からするとおじいちゃんおばあちゃんが
まだ若いんだからってとにかく黄色寄りの赤い着物を勧めてくるわけ
鏡で見て黄色寄りの赤い着物が自分に合ってるとは思えないんだけどなって何度思ったことか
そんで着付けるのに使う和装下着ってのがほんとこれ…って感じで気分が下がるようなダサさで…
ところがその着付け師さんはどういう場に着物を着ていきたいのかとか一通りインタビューしてくれて
パーソナルカラー診断したうえで肌と目の色に映える色の長着にしましょうって解説してくれるわけ
今まで黄色寄りの赤の地の和風の花が飛び散ってる着物ばっかりゴリ押しされてきてうんざりしてたけど
カッコいいシルバーグレーと黒のストライプ柄の着物にアイボリー地にうっすら偏光色のメリーゴーランドの柄の帯とか
ピーコックブルーの帯締めとか和装用のスリップドレスとか持ってきてくれてめっちゃ着物着たい欲を高めてくれる
求めてた着物はこれだよこれ!