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2022-05-05

三十路ニートだけど社会適応出来なかった

学生時代は楽で良かったよな、言われたことだけやってりゃいいんだもん、戻りてえよ」と友達が言ってた。

俺は小学生の頃から学校生活がすごい辛かった。学校もよく休んでた。勉強もついて行けなかった。

社会適応できてる人は、学生生活を難なくこなせるらしい。俺には無理だった。

知的障害も疑ったが、全体IQ110で言語性と動作性に差もなかった。健常者だった。

社会に出たこともあったが、人の話が理解できなかったり、すぐに疲れて頭が真っ白になったり上の空になった。皆がこなせることを俺はジャグリングをしながらリフティングをする曲芸を見ているような気分で見てきた。ずっとずっと生きてて辛かった。

皆は仕事が忙しいといいつつ仕事をこなせるが、俺は仕事自体ができなかった。忙しくも仕事をこなせるようになりたかった。

もう俺は駄目なのかもしれない。

リモートワークができる仕事とかしてみたかった。

2022-02-02

anond:20220202141511

まずは膝コロで慣れていくしかないよう

立ちコロなんて曲芸師だよう、一回もやったことないからわかんねえけども

2022-01-15

これがホント統合

自衛隊でも導入が進みつつある最新鋭戦闘機F-35

コイツ大本アメリカ空軍海軍海兵隊の共同発注から出発している時点で「マクロスバルキリーかよ」って感じだったりする。

そんで、共通フレームを元にバリエーション展開することで3軍の仕様を満たすというのも、微妙マクロスっぽくはある。

とはいえ無理やり一機種にしなかったのは、F-111の失敗をきちんと教訓にしているなーと。

そんなF-35は、

という3タイプに分けられる。

このうちA型による置き換え対象F-16は、米空軍アクロバットチームであるサンダーバーズ使用機種でもある。

また、C型による置き換え対象F/A-18は、米海軍アクロバットチームであるブルーエンジェルス使用機種でもある。

ということは…

将来サンダーバーズF-35Aに、ブルーエンジェルスF-35Cに、それぞれ機種転換する可能性が高いってことになる?

まあ統合戦闘機として開発したのだからアクロバットチームで使う飛行機だって統合されるのは別におかしな話じゃない。

それでも素人からしたら、マリオルイージの違いくらしかない状態になるのは、変な笑いがこみ上げてくる件。

おまけ

ちなみにパイロットのヤバさの度合いで言ったら、多分ブルーズのほうが上。

というのも、この人らは激しい機動飛行を行うにもかかわらず、Gスーツ酸素マスクを着用しない伝統があるのだ!

まあ、海軍戦闘機乗りは基本的母艦航空隊(=空母での洋上勤務)であり、一方でブルーズは地上勤務しか曲芸飛行の専業。

と、著しく業務内容が違いそう(空軍よりも共通要素が少なさそう)なのを踏まえ、ブルーズを戦闘機乗りから独立した「専門の職人集団」に位置づけているのかもしれない。

2022-01-06

anond:20220106153047

めっちゃどうでもいい話なんだが「魔法少女俺」というアニメ緒方恵美が演じるチョイ役、チョイ役にしては重要キャラ改造人間一郷というキャラクターが出てきて、ニコ動放送してるときそのキャラが登場して聞き取りにくいというコメントがたくさん流れたんだよね

でもそのときの声を聞いて自分がすぐ思ったのはこれはコンビニ袋越しの声を演じてるんだなってこと

コンビニ袋なしにコンビニ袋越しっぽい声を演じてたっぽかった

聞き取りにくいというコメントの群を見るとそのこだわりが良かったかどうかは分からないんだけど、もはや曲芸だよね

まあ緒方恵美の声が普通にしてて聞き取りにくいわけないんだからそういう注文かこだわりか、遊びがあったんだと思う

2021-12-23

仕事やってるフリ」ばかりしてた人の話。

https://blog.tinect.jp/?p=74400

採用をしていると、

「この方は、「仕事やってるフリ」ばかりしてたのでは」

と感じるときがある。

特に仕事の成果について聞くとき、これは顕著だった。

例えば、前職がマーケティング仕事だった、という方。

彼は、「コーポレートサイト改善し、お客様に使いやすサイトを実現しました。」とアピールしていた。

そこで、我々は

「具体的には、「使いやすい」とは何を意味しているのですか」と尋ねた。

彼は、戸惑ったような表情を見せたが

「見やすかったり、わかりやすかったり、という意味です。」

と言った。

なんとも、抽象的な話だ。

そこで、我々はもっと具体的な意見を求めるため、自分たちコーポレートサイトを見せた。

「では、このサイトを見てアドバイスいただきたいのですが、これは「見やすい」ですか?そうでないなら、具体的な改善事項を指摘してください。」と要求した。

しばらく後、彼はモゴモゴ何かを言っていたが、結局

「見やすいと思います。」と言うだけで、意見らしい意見はもらえなかった。

結局、彼を採用することはなかった。

彼の言動から、「仕事やってるフリ」の人である判断されたからだ。

企業教育」に携わっていた、という方がいた。

彼は「研修などを通じて、活躍できる人材を送り出すことに、価値を感じていた」と、前職での仕事アピールした。

そこで我々は、「どのような研修を行っていたのですか。」と聞いた。

彼が主に担当していたのは、新任向けの「管理職研修」と、新卒採用後の「新人研修」だった。

知識を与え、同じような立場の方々とディスカッションすることを目的としたという。

そこで、我々は

研修の成果をどのように定義していましたか活躍できる人材とは、どのような定義でしたか。」

と、彼に尋ねた。

彼は言った。

「受講者にアンケートをとっており、高い満足度を実現できるようにしていました。」

しかし、考えてみれば「研修満足度が高いこと」は、「活躍できる人材を送り出すこと」とは全く異なる。

我々は、それを彼に指摘した。

「どうなんでしょう?」と。

彼は

「そうですね。ただ、研修を受けることで、知識やほかの人の経験を共有できるので、効果はあったと思います。」

と言った。

表層的な回答だ。回答になっていない。

「この場で考えてくれてもいいですよ」と勧めたが、彼は考えず、答えられもしなかった。

から結局、彼も採用には至らなかった。

彼も「仕事やってるフリ」の人物だと判断されたからだ。

昔、研修サービスを売っていた時に、クライアント一社に、

研修効果測定を、1年程度、モニタリングしませんか。費用は要りませんので。」

と持ち掛けたことがある。

実際、どの程度役に立っているかどうかを知ることが先決だったので、費用をもらわずともデータが採れれば良い、と思ったのだ。

だが、帰ってきた反応は予想外だった。

その方は人事担当役員だったが、面倒くさそうに私を一瞥し、

「忙しいからねぇ」と言った。

他に声をかけた多くの会社でも、やはり同じような反応だったため、なぜ研修効果測定を真面目にやろうとしないのか、私は不思議だった。

そんな時、私の大学時代の知人が、ある大手企業で人事をやっていると聞き、現状のヒントになればと

企業研修効果測定について、話を聞かせてくれ」

と彼に連絡を取った。

久々に再会した知人は、率直に話してくれた。

「いやー、「忙しいからねぇ」というのは、まさに本音だよね。」と。

私は尋ねた。

本音といっても、研修にこれだけお金を使っていて、「忙しいか効果測定はしない」じゃ、まずいだろう。」

知人は迷うことなく言った。

余計なお世話なんだよ。たぶんそういう人たちは「研修満足度が高くて、参加後のレポートを書いてもらえれば、それで十分」と思ってるよ。」

「なんで。」

「余計な仕事が増えるからさ。」

効果測定は「余計な仕事」なのかい。」

「もちろん。だって効果がない」と分かったら、場合によっては研修を取りやめないといけない。予算も削られる。だいたい、研修やってさえいれば人事は「仕事やってるフリ」ができる。」

私は知人が皮肉を言っているのかと思ったが、彼の目は笑ってなかった。

私はようやく理解した。

「ああ……なるほど。そういうことね。」

コンサルタントをやっていて、驚いたことの一つは、上のように、「仕事やってるフリ」をしている人が、かなりいる、という事実だった。

もちろん、「成果」が定義しにくく、「ひとまずやってみよう」という活動があることは理解できる。

しかし、成果を熟考する取り組みさえ行っていない方も多く、「なんのための仕事?」と首をかしげることも多々あった。

ピーター・ドラッカーは、「成果をあげる8つの習慣」を著作の中で紹介している。

(1)なされるべきことを考える

(2)組織のことを考える

(3)アクションプランをつくる

(4)意思決定を行う

(5)コミュニケーションを行う

(6)機会に焦点を合わせる

(7)会議生産性をあげる

(8)「私は」でなく「われわれは」を考える

もちろんこれは、多くの人にとって「もう知ってるよ」と言われてしまうくらい、単純なことだろう。

だが実践である、「成果にこだわりぬいて仕事をすること」は、とても大変だ。

疲れる。きつい。ドキドキする。失敗して怒られるかもしれない。

うまくいかない事の方が圧倒的に多いし、そもそも成果とは何なのかを定義するのも、簡単仕事ではない。

しかも、「成果は何か」を追及すると、疎まれることすらある。

意識たけーなー」と嘲笑され、「何ムキになってんの?」と蔑まれることもある。

しかし、だからといって「仕事やってるフリ」ばかりしていると、キャリアチェンジはままならず、収入も伸びず、組織から「飼い殺される」人生が待っている。

そうなった果てに言われるのは、「お前は単なる作業者で、頭を使う必要はない」だ。

そうなりたくないならば。

若いころから、成果を意識し、成果を追及する技能を身につけるしかない。

それには、たくさんのチャレンジと、失敗が必要だ。

成果とは何かを理解しなければならない。成果とは百発百中のことではない。百発百中は曲芸である。成果とは長期のものである

すなわち、まちがいや失敗をしない者を信用してはならないということである

それは、見せかけか、無難なこと、下らないことにしか手をつけない者である。成果とは打率である

真剣打席に立った時のみ、成果をあげる技能が身につく。

成果について熟慮したときのみ、成長という、自己革新が得られる。

から仕事やってるフリ」は、今すぐ、やめたほうがいい。

2021-12-12

ヴァーチャライバー結婚したとかいうことよりコイツらの才能が怖くて泣いてる

最近大学卒業した→3年遅れとかだとしても25ぐらい

事業本部長と結婚玉の輿とかは知らんが十分な二馬力

小説家コネだとしても書き上げた時点で書いたやつのの勝ち

歌唱ボイチェン通してる状態で歌うとかい曲芸出来るやつら意味分からん

プログラミングエクセルマクロマスターとして職場チヤホヤされて20年ぐらい実質それで食ってるオレより多分凄い

結婚そもそも他人コミュニケーションしたりおセックスしようとしたり出来る時点で人間としてオレより正しい

モデリング制作→昔メタセコイア弄って3日で発狂して体験版だか雑誌についてきた入門モデルデータだかのCDベランダカラスよけに改造したオレより確実に上

ルックスイケメンなんだろ?少なくとも手がクリームパンじゃない時点で

うおおおおおおおおおおおおおお

けが込みすぎているな

負けまくっているけど生きていることに対して「プライドを捨てて生きる術を身に着けた。この適応力にふるえよ」と言うには他社への嫉妬が強すぎるのはこの増田を見れば明らか。

まり何も勝っていない。

そもそも勝ち負けを言い出す時点でもうダメ

まりそれって現状に対して満足してないのを他人と比べることで解消しようとしているってこと。

ここまで分析することが出来る程度の学力社会構造によって身についたのに、そこから解決するための能力を身につけることに失敗してる時点でしょーもない。

オワコン

最近雑誌図書館の本の「オンライン化」「オフライン環境で」「オンライン時代を」みたいなの全部「オワコン化」「オワコン環境」「オワコン時代」に空目する。

疲れた

もう疲れたんだよな

2021-11-30

anond:20211130124951

今だと暴対法とか警察が徹底的な取り締まりするようになって、昔みたいに忖度してくれなくなったり、

半グレかに新卒が流れてしまって主な構成員の年齢層が上がってたり、

DQN時代パトロン入社という流れがなくなってきている

日本刀銃弾を切断する曲芸ができる人がいたり、

組長が現役JKだったり、

2021-10-27

anond:20211027125157

イオンポテチのりしお塩分僅かでのりの風味も僅かというただケチってんだかコスト曲芸してんのかよくわからない味

ガツンと来ない味なので嫌いではない

2021-10-22

新人無能すぎて辛い

詳細はボカすが吐き出したくなったので投稿

厳密に言うと同じ現場の別業種の他会社の( その業種はそこの1社しかない)話で、直接俺とは関係ない。

そこの会社業務サービス業の側面が強く、客先の従業員への窓口対応がメインの業務で、テキパキと迅速な対応が求められる場面が多い。

その為か、指導が割と厳しい。服装の乱れや持ち物から髪色まで細かく言われる。ミスが発覚すると裏で詰められる。(1人で多くの人数を捌くので早く覚えて欲しいという意図もあるんだと思う)物言いがキツい社員と穏やかな社員二極化していて、割合は半々ぐらい。

そこの会社新人が入ってきた。20代男性で、物静かそうな、大人しそうな子だ。こっちが挨拶をすれば返ってくる。

そこの会社従業員たちが言うには、その子はとてつもなく仕事覚えが悪いらしい。受け答えが覚束ず、メモばっかり取っていて、ろくに客と対応が出来ないと嘆いてた。最初物言いのキツい社員たちが口を揃えて言っていたので、「新人の子も大変だな」と思いながら小耳に挟んでいたが、次第に穏やかな社員たちも痺れを切らしてイラついてきているのがわかった。今まではミスが多い新人が入っても、穏健派社員たちはイラだっている気配が無かったから、これには驚いた。指導員のひとり(穏健派)がノイローゼになりそうだとボヤいていたので、他会社問題ではあるが、野次馬心で気になってしまった。

そこの社員たちの話を盗み聞きしてたら、俺はなんだか具合が悪くなってきてしまった。なぜなら新人君は新卒時代の俺、なんならその延長線にいる俺に死ぬそっくりだったからだ。

彼は間違いなく、「俺と同じで脳のメモリがとりわけ小さいタイプ」だ。事務処理を中断して電話対応したり、目の前の人の対応をしている時に後ろに人が並んでることを認識しただけで脳みそオーバーフローしてショートして目の前の処理が一気に吹っ飛ぶ。その癖すぐにパニックになったり頭のキャパが小さいくせになまじ責任感があるので、「間違えたり失礼な対応をしては行けない」という強迫観念みたいなものがあって、速攻で脳が逝く。

キツい社員が言う、「あんだけメモとってんのに、メモの内容間違ってんだもん、その場で書き直させたわ」

違うンだわ、もうな、人前で読んで理解するってのは俺たちは出来ねンだよ、理解出来ねえし頭で噛み砕けねえけどメモとるしかねえし、メモとれって言われたらメモとるしか出来ねえし、その場で理解して噛み砕いてメモに落とし込んで咀嚼する事も出来ねえから音声として言われたことをそのまま文字に書き落とすしかできねンだわ。いっぱいいっぱいなンだわ。噛み砕けない食べ物を口に入れられた状態で引き続き業務に戻らされて、また噛み砕けない別の食べ物口に突っ込まれ感覚なンだわ。仕事終わったら焦燥感疲弊感で全部吐き出して、残るものと言えば恐怖感と食べかす程度の業務知識しかなンだわ。

キツい社員が言う、「あんまりキツく言うと萎縮しちまうからよぉ、なるべく優しく教えてんのに、途中で返事しなくなるんだよ、やる気あんのかアイツ」

頭の中真っ白になって、声すら出なくなンだわ。こっちが欲しいのは落ち着いて仕事覚えられて少しでも仕事を覚えられてる実感と、分からないことを聞きやす心理的安全性であって、お前が思ってるお前の優しさなんて糞の足しにもなんねンだわ。お前ら同じこと聞いたら怒るンだわ。でも俺らは同じことを何度も聞いてようやく刷り込めるンだわ。「前にも教えたよな!?」って眉間にしわ寄せて聞いてくるけど、沢山のこと詰め込まれて全部覚えられねンだわ。アンタらは覚えられるかもしれねンだわ。ストレスや緊張感が職場にいるあい普通の人はニュートラルが30だとしたら俺たちはニュートラルで80ぐらいなンだわ。仕事始まるだけで不安感とか緊張感とかまた責め立てられるフラッシュバックで140とか150まで上がンだわ。(これに気づくのはGARMINスマートウォッチを手にする三十路過ぎまでかかった)もうさ、いっぱいいっぱいなンだわ。

そりゃなんでこんなに理解できねえのかお前らわかんねえよな。俺だってお前らがなんでほんなにすらすら出来るのかわかんねンだわ。

キツい社員が言う、「客の前でメモ読ませるの止めさせたわ、間違えてもいいかメモみないで喋れってよ、そしたら挙動不審になんだよ。コミュニケーション能力が低すぎるんだよ」

もうね、地獄かと。いや、コミュニケーション能力が低いのは間違いなく当たってるンだわ。俺たちみたいな脳小さい奴は口頭のコミュニケーションは壊滅的に苦手なンだわ。だけどこういう奴は文書だと人並みにコミュニケーション取れたりすンだわ。何故なら文書ベースだと自分のペースで相手文章を何度も繰り返し読めるから漏らさず理解も出来るし、自分メモとる工程もないか相手要件必要としてるもの理解することにリソースを費やせるからなンだわ。お前らが一瞬でできる事を、俺たちはジャグリングしながらリフティングする曲芸をしてるの見てる気分で滅茶苦茶なゴミみたいな頭を抱えながら目の当たりにしてンだわ。何が言いたいかっていうと、俺たちはメモの内容を完全に理解していても喋れるフィールドに立ててないンだわ。何故なら俺たちはワーキングメモリ極小故にそもそも喋ること自体が難しいからなンだわ。メモを見るのは、喋る直前のパニックを抑えるルーチンなンだわ。

そんな事を思いながら、俺は新卒で入ってすぐ辞めた職場を思い出して、あの時の地獄のような苦しみが鮮明に思い出されて、食慾が失せて、憂鬱気持ちになってしまった。

特性上、俺も彼も、彼の仕事は向いていない。俺は今の職場でも無能ではあるが、仕事の補助のOA事務vba関数知識能力たまたまあった故に、周りの人の苦手な部分を補えてハマっただけであって、要は職場ガチャで当たっただけなのだ。俺は今でも彼であり、彼は職場が違うだけの俺なのだ

俺は彼の地獄の苦しみを誰よりも深く理解しつつ、ほか会社従業員から増田さーん、聞いてくださいよぉ、うちの新人ポンコツすぎてぇ……」と愚痴を聞かされながら、こみ上げてくる吐き気と暗い気持ちを抑えながら「大変そうですねぇ」と相槌を打つ日々を送っている。

2021-10-08

さあコミュニケーションを臨機硬変に

うっかり心にもないことをこぼす状況を防ごう

ああ俺は今こういうことを言おうとしてるんだな、ただ口をつきそうなだけで深く考えていないかもなと十秒程度かみしめよう

ほとんどの言葉キャッチボール曲芸にする必要は無い、ゆっくり決めよう

自分をしっかり観察しテンプレのなかから言葉を引っ張ってこよう

顔を作ろう

表情筋ストレッチをするのもいいですね

噛まないように頭の中で数度シミュレーションをしよう

そして応じよう

2021-07-30

将棋運ゲー」と理解できない者が語るゲーム論はどんなに頑張っても曲芸の域を出ない

ゲーム盤の上に乱数発生器が載ってなきゃ運が絡まないと思ってる奴らの底知れない浅さたるや。

競技遊戯といったもの本質がまるで見えてない。

人間ルールや道具を作り出したあらゆる遊びや試合といったもの絶対的に対人であるということさえ理解できないのだろうな。

ファンタジー世界で「皆には見えるオーラエーテルが見えない存在」が時折題材になるが、立ち位置としてはそこに近いのでは?

ある種のクオリアのようなものが生まれつき欠如していて、普通に生きていれば見えるようになるものが生まれつき絶対的に見えていない、そうとしか思えないほどに、鈍感力無限大の彼方へと突き抜けている。

だがそれでは、ゲームを論じることは出来ないのだよ。

たとえば味覚障害のあるものが「味覚障害のある人間なりに匂い香りと見かけだけで食べ物評価する」といった奇策を打っても、それが真っ当なレビューの一つに数えられることは永遠にない。

将棋(を含めて全てのゲーム乱数発生器の搭載の如何を問わずに)運ゲー」とういことが理解できない人間が語るゲーム論は、絶対的に致命的に圧倒的に絶望的に喜劇的に根本的なピント調整が永久不安定なままで語られていく。

しかに彼らの語る論がたまたま偶然あってしまうことはあるが、それは単なるタイプライターを叩いた猿がシェイクスピアをかきあげたと言うだけであって、その主張の正当性は結局その著者たる猿本人によっては一切担保されないわけである

著者本人が一切正当性担保できないのでは、それは「論」ではなくて単なる「談」、ジョークブックに載ることはあってもマニュアルに載ることは永遠にないのだ。

2021-07-23

ブルーインパルス・・・

約40年前もブルーインパルス曲芸飛行してたけど、2021年オリンピック開会式の目玉がそれって・・・

40年間、日本は何も進歩しなかったみたいで、哀しい・・・

やっぱりブルーインパルスに国費で曲芸するなって噛みついている老害の人いるんだよね?

2021-06-28

自転車安全車道走行することは可能か?確かめてみた

道路交通法において、自転車車両であるから車道を通行しなければならないとされつつ、路側帯歩道の通行を条件付きで許可されている。

路側帯を通行できる条件は、歩行者の通行を著しく妨げないとき(第十七条の二)。つまり空いてる時はだいたい無条件にOK

歩道を通行できる条件は、①標識で認められている時②幼児児童などが運転者の時③車道の状況に照らして安全を確保するためには歩道通行がやむを得ない時(第六十三条の四)。

いずれも、安全な速度と方法での運転義務となっている(当たり前だ)。

ここで今、話題にしたいのが「車道が危なくてとても安全には通行できねーよ!」って時には歩道通行が法的に許されているという点だ。

ブクマカ諸氏などは杓子定規に、「自転車車道!」と切って捨てているところもよく見るが、この点についてよく考慮のうえだろうか。

まりその車道安全に走れること確認して言っているのだろうか。

言ってばかりでは頭でっかちになるので、ここしばらく実際に車道自転車で走って確かめた。

ごく一般的自転車で、もちろん安全運転だ。

結論から言うと、安全に走れる車道などほとんどなく、その帰結として多くの歩道は法的に通行できることがわかった。

国道

車の速度がやばい。走っている自分からそれほど遠くない位置を、60キロとかでビュンビュン抜けてくる。

何度かは普通に命の危険を感じたし、この実践を始めたことを後悔した。

特にトラックはおそろしい。高速移動する巨体との至近距離での並走。小石とかにつまづいてブレたら死ぬよね、これ。

普通に安全運転してて命の危機を感じる状況を「歩道通行せずに安全を確保できる」と言えるだろうか?いや言えない。

県道とかそれくらいの道

国道ほどじゃないがやっぱり車はビュンビュン飛ばすね。

でも一車線だからか、国道より道幅に余裕がある気がした。自転車レーンもしばしばあり。

しかしここで問題となるのが路駐

路駐車がいると途端に車道安全度は下がる。

述べたように走行車の速度は十分あるので、車道側に完全にはみ出るように回避する勇気は出しづらい。

(一度だけがんばって車道側に避けてみたが走行車が全く配慮してくれずめっちゃエンジン音吹かされた)

となると一時的歩道に入るしかない。

車道側に避けたら轢かれる危険性がある状況で歩道に上がるのは安全の確保のための通行と言えるだろう。

なお、この時段差等があったりしてすぐに歩道に上がれるとは限らないので、前々から上がっておかなければ積む羽目になる。

都市民度によっては、路駐の間隔が狭くて結局ずっと歩道を行くこともある。

市道とかそれくらいの道

ここも基本的車道通行できるとしばらくは感じたが、やはり路駐があるのと、あと交差点前のムーブやばい

小さめの普通自動車に、信号差しかるというところでグイッと左側に寄ってこられた。

しかもそんな場所に限って左はガードレール。避け場がない。

心臓がドキッとしたよ。ブレーキかけなかったら轢かれたんじゃないかと思う。

大きい道と比べるとこの辺りの小さい道はそもそも幅が狭く、車と併走する自体がなかなか安全とは言い難い。

自転車レーンがあっても、曲芸師かと言いたくなるような平均台みたいな幅で、意味をなしていない。

そんなわけで小さい道でもやはり安全確保のために歩道に上がる理由はある。

もっと小さい道

そもそも歩道がない。

歩道がない場合は、歩行者路側帯自転車路側帯通行。上述の通り著しく歩行者妨害しなければ無条件で通行が許される。

歩道がある場合は、それに幅をとられて車道が狭い場合が多い。車と併走できる幅がなければ、歩道に上がらざるを得ない。

だが稀に歩道があって車道も広くて、路駐も少ない夢のような道がある。このような場合車道安全だ。

安全確保のために歩道通行が必要とは言えないため、法にしたがってここだけは粛々と車道を通行せねばなるまい。

2021-06-22

映画大好きポンポさん(多分ネタバレあり

の話の前に、俺の故郷増田県の話から始めよう。俺が増田県を出て埼玉一人暮らしを始めてもう干支が一回りした。今年も甲子園には私立増田清栄高校が出る。7年連続18回目。わかってる、あのクソ高校野球部ときたら関西下りガイジン部隊巣窟で、クズ高校だった清栄の偏差値を上げるためのコマセでしかない(しかちゃん偏差値は上がったから見え透いたコマセも効くものである)。スポーツ特待生一般生徒は校舎すら別、ありゃ、2つの高校に強引に看板を掛けてるだけだ。地の人間なんか3年に1度ぐらいアリバイのように3塁コーチに立つぐらい。それでもまあ、甲子園が始まれば俺も増田県で産湯を遣った人間である、なんだかんだで結果ぐらいは気になる・・・

同じような感覚が、俺の中で「ネット発」というやつにある。いや何、原作は初っ端だけ商業の網に運悪く引っかからなかったけれど、彼は創作エリートで、こんな場末でぶつぶつ言うぐらいしかできない俺とはくらべものにはならない。でも増田清栄の連中に感じる数倍ぐらいは「俺たちの」感がある。ならばその夢の晴れやかだか無惨だか知らない終わりを見に行かなければならない、という訳だ。

しかし、こういう状況だと作る側はしんどい。少なくとも原作からは言った連中からすれば、動画になったとはいえ結局その2時創作にならざるを得ず何をしても「解釈違い」と叩かれる可能性はある。その中であえて新キャラをぶっ混んで1エピソード(と言えばいいんですかね)を敢えて入れてきた勇気はその成否は別として褒めておきたい。入れてきたとしても、全体に通じる「足を引っ張る悪人はいない」という守るべき最低限の線はキチンと踏んでいる。某ネトラボはその点を激しく排撃していたが、もとからそういう「おかゆである。その点を看過してわざわざ「おかゆじゃん」というのは明らかにお前は黙ってろ案件ではあるまいか。こういうのでいいんだよこういうので。おまえは試写室で硬くて暗い映画でもメモ取りながら見てろ。

さらにいえば、追加エピソードは極めて現在的で、かつ意表の付き方はなかなかいい。そして作中ジーンの言を借りて”俺がこれが必要だと思ったから足したんだよお前がどう思ったとしても”と開き直る。下手な言い訳より余程好感できるというものだ。この追加によってこの映画ちゃんと、そして最大の眼目でもある「90分にする」という目的も達している。この映画もう一つの興味は、ちゃんと予定の尺を作れるかという点だ。その曲芸破綻なくこなし通した、というのは十分に称賛に値しよう。

もう一つ、この追加でプラスになったのはミスティア描写だろう。原作(但し1巻のみ)では単なる後背の完璧超人であったが(初見の時いつ裏切るかと思っていた)、削られた部分を考えてもそれを超えてきた。

ただし、原作寄りの見方をすれば時系列の切り替えはあまり映画的にしたいという欲が見えすぎる。原作的な同時並行でもよかったのではあるまいか

一番気になったのは、編集シーン。あれ、全盛期にそれをメタ皮肉った「num1000って大体こんな感じ」というフラッシュ動画に見えてしょうがなかった。PC上のる編集シーンなんてどうしたって絵にはならないけどね。これを頂点に、随所に「あと一歩でありがちなダメ邦画」に陥る剣ガ峰に立っている感が目立つ。

もう一つは、アニメ描写なのか「ココすごいシーン」というのを絵だけで何とかできず、記号的に処理した(のか、記号自体がありうるリアリティラインなのかが微妙ではあるが)のはあまり頂けない。原作はうまく黒澤したけどあれをアニメでやるわけにもいかなかった。

とはいえ、その致命的な一歩を誤って踏み出さなかったバランス感覚があって本当に良かった。綱渡り師はちゃんと彼のロープ渡り切った。ここらじゃしばしば綱渡りは失敗する。中にはハッパ決めすぎてロープからテメェが落ちたことにも気づかない莫迦までいるからな。

気楽に前向きハッピーに、ってのは悪くないし、その目的にほんのちょっと我意を混ぜ込んだにしては手際よく90分にまとまってる。エンドロールも含めて、こまめにくすぐるサービス精神も旺盛。郷土出世頭を仰ぎ見るこちとらとしては、拍手喝采大団円だ。それでいいじゃないですか。こういうのでいいんだよこういうので。

まあ、佳作と言っていいんじゃないでしょうか。

総評パンツが見えたので星3つです

2021-04-06

次はヨコミネ学童差別ですか?

nekokujira ここの学童ヨコミネ式らしいけど、ヨコミネ式って曲芸できるヤクザ養成所なの? 近所のヨコミネ式幼稚園の子は思いやりが全くなくて、毎年小学校学級崩壊イジメ加害主犯にあがるけど、わかる気がするわ。

いまだにこういうことを平気で書くブクマカがおるんか…

2021-02-20

[]

ココリコふたり企画の居残りやってた

刑事探偵もの

田中女装して不安そうに遠藤を見てて

遠藤ハードボイルドっぽいコスプレしてた

まわりにそこそこ人いたのに二人に気づく人は誰もいない

警察犬よろしく駄犬がかぎまわってた

犬ははるか上空にあるテラスにいる飼い主のところに戻りたいらしい

ココリコはなんかさがしてた

ふーんと思って曲芸飛行する飛行機にのった

紅の豚みたいなやつでコクピットが丸出しのやつ

いっしょにのってただれかに、「結局落ちないってわかってるから全然こわくないよね」と話した

そのあと地面におりてどうやってか、素材を分解する銃?みたいなのを入手した

牛を撃つと肉とミルクになる

豚をうつと肉になる

そこでふとおもった

あ、じゃあこれであれを売ったらココリコがさがしてるのがみつかるんじゃない?と

そういう伏線だったのか、と夢の中で納得した

2021-01-02

作りたくないとこたえたもの

作って欲しいという

わかった

交渉になるなら作るしか無い。

わたしは命は大事だ。どうでもいい どれだけ大変だったとか そういうのはないんだろう。あなたにとっては曲芸 人を傷つける意味見世物小屋見世物

ことば下手くそでごめんね。

2020-11-10

レアの強さはどれがお好み?

レベルMAX レア全面的に強い

 レアは全能力が高い。貴重なスキルを持ち、普通に強く、奇抜な戦いも可能そもそもレアでないなら戦うこと自体が無謀。レアを持たないことはゲームを楽しめないことを意味する。

レベルMIN レア度は性能上なんの意味もない

 レア度が高いキャラも低いキャラも性能は同じ。外見だけが違う。

レアほど珍しいスキルを持つ

 単純な性能、成果の平均値で言えば低レアこそが最強。しかし高レアは低レアでは出来ない飛び道具の数々により曲芸のようなプレイ可能にする。レア度は遊びの幅をもたらす。

レア度の違いは手数の違い

 レアも低レアもそれぞれに強いキャラ、弱いキャラが同じ程度にいる。レアを沢山引けばそれだけ選べる手札が増え、結果として強いパーティーが作りやすくなる。時にはボスへの決定打を持つキャラが最高レアに偶然あり、持ち物検査異名を取る。

レア度はイベントの有利さ

 レアキャラ特攻を持ち、イベントにおいて有利になる。強さはイベント限定。時にはアイテム収集数を強化する。終わりのなきインフレの波を起こす舞台装置か、はたまた安定と利益の折衝点か。

レア度は育てやす

 最終的な強さを見ればレア度に意味はないとすら言える。しかし、育てやすさが全く違う。育成の手間をガチャで買うのだ。

レア度は存在しない

 レア存在しない。すべてが平等な運試し。一点狙いでもすべてが同じ確率なら希望はある?とはいえ結局、人気の差と性能差はあるんだなあ

レア度は存在しない性能差も

 真に平等なるガチャ。それでもなお君はガチャに何を思うか。クジを一文字変えればクソ?その意見否定はせんよ。

ガチャなど不要

 ガチャなどない。直接欲しいキャラを選んで買うのだ。pvpだと割と多いスタイルではあるね。ソシャゲだと少ない?そもそもpvpがか?

アンロックなど不要

 買い切りこそ正義!まあスキンDLCぐらいは許してやってもいいぞ?みたいな?

2020-10-21

人間魚雷ってカメラも無く速度と方向だけで船にぶち当てるってすごい技術よね

そんな曲芸が出来る人を使うの勿体なくね?

2020-09-21

今日交差点のあたりを歩いてて、なんか後ろでクラクションめっちゃ鳴ってんなーと思ったら

バイクの男が両手をロボットダンスみたいにくねくねさせながら手放し運転で通り過ぎていった

公道曲芸

2020-09-07

フィギュアスケートの見せパン新体操レオタード陸上ブルマー

フィギュアスケートは見せパンじゃないけれどさ

初めてスケートリンクに遊びに行ったとき普通にスケート教室リンク中央で開催していた。そこで自分と同世代女の子たちが、きれいに足を上げて滑っていたのだけれども、いつものようなパンチラとは違って普通にお尻の曲線をずっと眺めていることができてしまって、僕は滑るどころではなかった。

性に目覚めたころ、こんな目で女の子を見ちゃいけないと思ってはいたのに、自分ではどうしようもないほど強力な衝動に襲われていて、自分自分でなくなってしまいそうで本当に怖かったし、初めての射精とき呆然として、それから怖くなって涙が出てきた。男性だって、性の目覚めってのは怖いものだということは、広く知られていい。今となっては、とてつもなく図太くなってしまったが。

ところで、フィギュアスケートだ。その名の通り、元々は氷上に図形を描くスポーツであったのだが、その優美さと技を競うものになっている。氷の上を滑る技術のものは非常に古く、スケート靴も先史時代にさかのぼるという。

で、そのスケート競技になって以来、女性たちはどうやってパンツが見えることを防いできたのか。今のようなレオタード以前はどうであったのか。調べてみると驚きの結果が出た。なんと、戦前にさかのぼる見せパン発見された。以下はその資料である

https://qz.com/quartzy/1191926/spandex-sparkle-and-pure-athleticism-a-photo-history-of-figure-skating-fashion/

1928年ドイツのEllen Brockhöftによる滑走。

https://www.liveabout.com/illustrated-history-of-figure-skating-clothes-1283059

1948年、Barbara Ann Scottのクラシックスケートスカートミニスカートになっているのは、戦時中の繊維不足のためだと書いてある。にわかには信じがたいが、これ以来スケートスカートが極端に短くなったのだという。

また、同資料では、スカートがどのようなフリル付きレオタードに移っていったか写真掲載されている。

https://www.insider.com/olympic-figure-skating-dress-evolution-2018-2#later-a-fabric-shortage-in-the-1940s-forced-many-competitors-to-opt-for-figure-skating-dresses-with-higher-hems-5

こちらの資料でも、繊維の不足がミニスカート化を加速させたと書いている。

同じくBarbara Ann Scott、1948年オリンピックである

https://www.cosmopolitan.com/style-beauty/fashion/g15064708/how-olympic-figure-skating-costumes-have-changed-through-the-years/

同じく1948年アメリカのGretchen Merrill。興味深いのがベルトを身に着けていることだ。当時ではフィギュアスケートアクセサリーとして使用されていたが、60年代から70年代ワンピース型の衣装の普及とともに廃れたとのこと。しかし、ベルトを着けていると、なんだかますます見てはいけないものパンツ)を見ている気がする。

ちなみに、プロ選手練習時に着用する、真っ黒な長袖長ズボンみたいなの実は好き。とはいえジーンズワイシャツかわいい女性が好きというのと同じで、元々かわいくないと似合わないんだよ、とツッコミを入れられてしまいそうな話ではある。

体操新体操レオタード

スポーツジムで、体操選手レオタードを中継しているのをみたことがあるのだが、なんだかエッチ気持ちになるのが申し訳いくらい、辛そうだった。手足は傷だらけだし、表情は真剣のものだ。それでも、魅力的に感じてしまうことに、我ながら困惑する。おそらく、頭の中で「好き」「かっこいい」「エッチ」の感情を処理するユニットが近いので、混線しているのだと思う。

言い訳はさておき。以前にも書いたが、レオタードは元来レオタールという男性曲芸師が全身にフィットした衣装を身に着けていたことに由来する。もともと男性のものだったのだ。しかし、その機能性が注目され、女性のものとして利用されるようになった。

とはいえ、当時のことだからいきなり今のようなハイレグ水着みたいな形になったわけではない。当然、紆余曲折があった。

http://www.olympicleotards.com/leotard-history/

上記資料によれば、1908年代に女性向けレオタードと称していたのはドレスのものである。初期の女性水着ドレスみたいで、体型を一切見せないものだったのにも似ている。

1948年に今のような形になっているが、ハイレグではない。せいぜい提灯ブルマー程度しか足を見せない。

今のようなハイレグとなったのは、60年代以降だ。1976年ナディア・コマネチビートたけしギャグでも知られているが、ここまでくると広くハイレグが使われていたようだ。

おそらく女子バレーブルマーが使われだしたのはこのころだし、これが日本でのショーツブルマー導入の遠因になっている気がする。

https://www.elle.com/fashion/a37371/evolution-of-gymnastics-leotard/

それ以降、基本的レオタードハイレグだが、時代によって模様にもはやりすたりがある。概略を示すと、無地→愛国デザインキラキラした素材、といった具合になるようだ、使用されている繊維の質も違う。

女子陸上女子マラソンブルマー

なんとなくブルマーの本場というか総本山イメージ女子陸上や、女子マラソンにはある。とはいえ選手によっては普通の短パンだし、中には宗教上の理由から全身を覆う例もある。普通にかわいいと思うし、よく似合うと思う。イスラーム世界はおしゃれとは無縁だと勝手に思っている人もいるらしいけれども、ヒジャブだとかチャドルだとかはいろんな色や巻き方があるし、僕らには見えないけどもその下はきれいにお化粧している。いろんなファッションスポーツをやる人がいてしかるべきだし、それを決めるのは選手だろう。

で、話を女子陸上に戻すけれども、ここで特筆すべきなのはへそ出しというか、もうほとんどビキニみたいな恰好選手。腹筋がめちゃくちゃかっこよくて、おかげで腹筋萌えにまで目覚めてしまったのだけれども、昔はそんな恰好をする選手はいなかった。

https://slate.com/culture/2012/08/olympic-uniforms-from-loose-and-heavy-to-tight-and-dimpled-a-visual-history-of-olympic-sprinting-attire.html

https://www.elle.com.au/news/summer-olympics-fashion-history-9896

こういう写真資料をみていると、セパレート化の流れは90年代にはじまり、それがだんだん過激になって軽いへそ出しからただのスポブラになって行ったんじゃないかと思われる。

ちなみに、これはテニスだがスポブラと短パン姿だ。https://www.pinterest.jp/pin/494833077788864848/

また、ブルマーらしく裾が短くなっていくのは、やはり40年代から見られる。

ところで、以前リンクを貼ったバレーボールの記事について調べると、ブルマーの別名として「bun huggers」というのもあるらしい。英語のをウィキペディアの「shorts」の項目にも載っていた(数か月前はここまで細かく書いていなかったのに)。また、ほとんどショーツ型のbun huggersが2000年代中盤からショートパンツ型の「boy shorts」に置き換わった、とある。やはり、いろいろな揺り戻しがあるのだろう。現に、バレーボールでショーツブルマーが導入されてからも、90年代以降に(?)使用が中断された。また時間があるときに、これらの用語から陸上ブルマー歴史について再検討したい。

まとめ、結論

しかし、英語で調べたのだが、残念ながら陸上ブルマーの単体の歴史変遷についてまとめている記事は見たらなかった。オリンピック選手は大まかにこんな服装でした、という写真を並べただけで、細かい情報はあまり載っていない。上記記事はいちおう公的メディアなのでそういう扱いはよろしくないとされるのだろうが、調べている個人が見当たらないのは不思議である。探し方がまずいのかもしれないので、「bun huggers」などの用語で再検索するかもしれない。

今後の展望

競泳水着や、ビーチバレー衣装の変遷について調べる予定。

過去ブルマーに関する記事との比較については、後程。

2020-07-24

私は今日エレベータを待っていると、奥の部屋に人影があるのを見つけた。昼も過ぎてとっくに閉鎖されたビジネスホテル朝食会場。ビルの陰となって、日の差し込まない薄暗い空間には、整然と並んだテーブル椅子たち、コップ、皿、カトラリー。その隅の席に、女性の影があった。

その人は、じっと動かずになにか書いている姿勢に見えた。いや、こんな時間あん場所に人がいるだろうか......。見つめ続けても、その影は動くことがなかった。

「なんだ、私の見間違い......」

荷物が積まれているのを私が、人の影に見間違えたのだろう。

私は目的だったコンビニへ行き、またホテルへ戻り、エレベータを待っていた。ふと、先ほどの人の影があるのか確認したら、その影はなくなっていた。


私は、この間、こんな夢を見た。

雑踏に紛れる、近年新しく進出したコンビニ。年々、出店の勢力を上げていた。私の街にも当然そのコンビニはあった。ある日から、そのコンビニは、今までに見たことのない暗い極彩色不明言語デザインされたのぼりを飾った。その違和感宗教じみたものを感じた。なにか強いメッセージを感じるものの、私には何も読み取ることはできなかった。

つの間にか、そのコンビニの外装や商品もそのデザインに変わっていった。私は、そのコンビニが平然と街に馴染んでいくのが受け入れられなかった。

そのような夢であった。


私は、小さい頃、サーカスや劇が嫌いだったことを思い出した。そんなふうに、芋づる式に自分不快が思い出されて、こうして文章に書くことにしたのだった。

サーカスは暗くテントで覆われ内密に行われる。広くぽっかりとした空間を丸く観客が取り囲んでいる。暗いテントの中で、中心がライトで照らされている。調教された熊や犬が芸をする。人間たちも張り付いた笑顔曲芸披露する。観客たちはそれを見て拍手する。

さな頃の私には、これの何が楽しいのかわからなかった。嫌な感じがする、けれど、拍手しなければならない。楽しいフリをして拍手した。


劇の不快について。

学校体育館で、いつものステージ劇場に変わり、見させられる劇。年上の大人たちが、何かを演じている。独特の演劇口調と衣装を纏って、役になりきっている。確かに物語に没頭はできた。その役の人物を好きになってしまうことさえあったくらいに。

しかし、終わってしばらく経つと、とても虚しい気持ちになってしまうのだった。映画アニメを見たのときには感じない虚しさがあるのだった。

演劇には特有陰湿さを感じていた。湿っぽいような、なにか滞っているような。劇が喜劇的であればあるほど、その落差を感じた。


ディズニーランドパレード

小さい頃、両親が休日に朝から連れて行ってくれたディズニーランド

一通りアトラクションを楽しんだ後に、人々の帰路を意識し始めた焦燥感をじわり感じながら、陽の沈みかけた園内でパレードを待つ。

そのうちに電飾で彩られた巨大な装置と、それに乗ったキャラクターたちが現れる。大音量音楽となにかセリフが聞こえる。

また、大勢の人たちが拍手をしている。私もそれに合わせて拍手をする。もしかしたら、拍手をする大多数は、私のように周りに合わせて拍手をしているだけなのではないか大音量で煌びやかなパレードを見ながら、その音や景色が頭の中で遠ざかっていく。


中学生の頃、ある宗教画を見た。

その画は西洋宗教画の並びにあった。一連の草原、道、淡い色の空。そんな印象をかき消すかのように、白に近い水色と鮮烈な赤で彩られた円い曼陀羅魔法陣のような物体。ぽっかりとした空間にそれが浮かんでいる。

どんな絵だったのか、よく覚えていないのだが、その独特の色彩が頭から離れないのだ。

中学生の頃、部活帰りの夜に、誰もいない真っ暗な田んぼ道を自転車を押しながら、ふとそのイメージが思い出されてしまって、動けなくなってしまった。

あの色彩は、人間の神経と血管を想起させるのか。それとも、自然界での毒を想像させるのか。この画はずっと私の頭の中にあるというのに、作品名を忘れてしまったため、その作品存在さえもはやわからなくなってしまった。

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