はてなキーワード: かんしゃくとは
こんにちは、特技は逆張りと愚痴投稿へのうんち塗りつけと嘘松認定、座右の銘は『下衆の勘繰り』と『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』のミソジニーネトウヨキモオタKKO、増田です
皆さん、何かしらマイナスを抱えてますね?私は勿論抱えてます、もう特濃の淀みをば
私の場合は匿名でゲスい本性を四方八方へ撒き散らし、周囲にヘイトと不快感を植え付けることでなんとか抑えております、抑えられてないですね
要は赤ちゃんが泣くのと同じです、もう死んだほうが良いですね?
ところがたまり続ける悪意と憎悪と負け犬根性は限りなく、小出しにしてガス抜きしても追いつかないのですわ、しかして俺は残念ながら低能先生のように一線を超える勇気すらない
タイトルの通り、俺は障害者が大嫌いだ。嫌いになったきっかけが2つある。
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一学年10人程度の小さな小学校に通っていたが、一学年上に言語能力に問題を持った障害者(A)がいた。
周りの奴らが優しい奴ばかりだったから、特に障害を持っているからといって見下したり貶したりしていなかった、そう接するのが正しいんだなと思って俺も雰囲気でそうしていた。
小4のある日、Aと話していて急に大声で怒鳴られ、体格の良かったAに突き飛ばされた。正直詳しく何があったかは覚えてないが、いきなり顔つきが豹変して怒鳴りだしたときの顔は覚えている。
そこから先生や親と話し合いになったが、なんとなく「まぁAはちょっと普通の子とは違うからしょうがないよね、増田も許してあげてね」的な結論になった。Aは心のこもってない「ごめんね」を言い、先生も親ももう解散ですかねみたいな雰囲気だった。
俺は「あんなに怖かったのに許してあげてねで済ませてほしくない」みたいなことだったと思う。そのときの「ハァ何言ってんだコイツ」みたいな先生の顔を見て、小学生だった俺は「何やっても周りは障害者の味方すんだな」と思った。
2. 大学時代
今の話だ。地元の田舎から都会に出て大学院生をやっている。都会といっても中心部から電車で30分も行けば住宅街の広がる街になる。割と夢だったひとり暮らしを満喫しているが、最近同じアパートに住む斜め向かいの1人の住人(B)に悩まされている。
そいつは40〜50代くらいのおっさんでら俺が引っ越してきた4年前には既に居たと思う。たまにすれ違うことがあっても帽子を目深に被って明らかに目を合わせないようにされていた。
ここ1年くらいだろうか、夜に家で作業をしているときに、外から怒号が聞こえてきた。言い合いをしているという感じではなく、誰か1人吠えてる感じだ。なんか気味が悪いなと思っていた。
そこから気にしだしたせいもあるだろうが、怒号聞こえる回数が増えた。ドアは開けなかったが夜中3時にゲームをしてる時、昼過ぎに作業をしてるとき、ちょっと早く目が覚めた朝6時、夜10時過ぎに宅飲みをしてる時など、時間を問わず5〜15分くらい怒号が悪いな聞こえるのだ。それがひどいときには1日1回は聞こえるようになっていた。
ある時恐る恐る外に出てどこから聞こえるか確認したところ、Bが住んでいる部屋の中からだった。大家さんにどうにかできないか相談したが、「張り紙を貼ったり何度も注意はしてるんだけどねぇ、あの人ちょっとかんしゃく持ってるっぽいしねぇ」とぼかされる。
今年の夏、やけに大きい音で聞こえてくるなと思ったときがあり、Bの部屋を見てみると、ドアを開けて怒鳴っていた。本当にブチ切れそうになった俺は警察を呼んで注意してもらうことにした。10分ほどで警察が来て、注意をしたあと(その注意の仕方もヒドかったが)周りの住民への聞き込みだろうか、俺の部屋へ来たので少し話した。「ずっとうるさいんでなんとか対処できませゆか、退去させるとか」と言ったが「いやぁたぶん彼、障害持ってるっぽいからねぇ、また声が大きいとかあったら教えてよ」とこちらもはぐらかしてくる様子。(そんなん言うたら毎日来てもらうことになるけどええんかと言いたかった)
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俺は障害者ってのはある程度好き勝手振る舞って周りに迷惑をかけても許されるもんだと思っている。だから障害者が嫌いだ。
「サンプル数2で語るな」と言われると思う。もちろん全ての障害を持った人がこうだとは思っていない。しかし人生2十数年そんなに障害を持った人と接することはないし、パラ五輪目指して頑張る人など人間的によくできた人ってのは一部だと思うし所詮テレビの中だけの存在だと思っている。もし次何かの機会で障害を持った人と会うときは少なからず悪いイメージを持って接すると思う。
幼稚園の頃に仲が良かった同級生(A)が市民団体のトップを張ってた。いわゆる発起人だ。
Aと遊ぶときは決まってぼくの家だった。Aはかんしゃく持ちで、少しでも気に食わないことがあると暴れた。幼稚園児にしてまさかの出禁を喰らうが、そのたびに「ごめんなさい」と詫びを入れてきた。
小中も一緒だったけど、クラスが違うので疎遠になった。傍から見てるとAはいじめられっ子というより珍獣的なポジション。やんちゃな同級生がAをわざと怒らせて楽しんでいた。指相撲に負けて学校の壁に穴を開けたこともある。
その後は交流が完全に途絶えた。ある日ふとAのことが気になってフルネームでググってみると、タイトルの通り。9条を守る!脱原発!差別反対!自民政権は許さない!といった具合。ことさら差別に関してAの個人的言及は凄まじい。
Aは、生きがいを見つけたのだと思った。Aが認めてもらえる場所は、そこにしかなかったとも思えた。また、自分の痛みを政治批判にすげ替えている。彼はよりよい日本を目指しているのではなく、自分の痛みを知ってほしいだけなのだ。
市民団体はよく絵空事を抜かす節がある。政治批判をしても代替案が欠如している。あからさまな無茶ぶりだ。だけど、彼らにとってそれはどうでもいいことなのである。無意識下で、政治に自分の痛みをのせている。抑圧された幼少期だったり、Aのようであったり。何も聞き入れてくれなかった親や世間の代わり。単純な憎悪。ぼくらは、彼らの痛みを、政治というフィルターを通して聞いているだけ。
38度2分。
入園したての子供は、まだ慣れてないせいもあってママにベッタリ。
いつもなら落ち着くまで抱っこしたり、一緒に遊んだりするけど、今日は何もしてあげられない。
その状態で、旦那に夕飯の用意ができないから外で食べてきてとメッセージを送った時、かんしゃくを起こした子供が、おもちゃ箱をひっくり返して泣き出した。
こりゃダメだなと思って、何もかもを放りだし、子供を連れて布団に入った。
鼻が詰まって苦しいと思いながら寝ていたんだけど、トントンと叩かれて目を開けたら旦那がいた。
あれ、もう夜?
そんなに寝ちゃったのかと勘違いしてパニクってたら、「ポカリとオレンジジュースとお茶。どれがいい?」って聞いてきたので、反射的に「ポカリ」と答えた。
すぐポカリを入れてくれた旦那に「どうしたの?」って聞いたら「しんどそうだから一回帰ってきた」と。
テーブルの上にあったビニル袋には、おかゆとスープはるさめとカップ麺が入ってた。
そのあと旦那は、家で少し仕事をして、風邪薬買いに行ってから仕事に戻っていった。
昼寝前は怪獣だった子供は、パパの顔を見て落ち着いたようで、いまは大人しく遊んでいる。
コンデナスト・ジャパンが発行する雑誌『WIRED』日本版は、2017年12月9日発行のVOL.30を最後に、刊行を休止いたします。読者の皆さま、定期購読者の皆さまへ、編集長・若林恵から休刊と退任のご案内です。
──『WIRED』日本版のプリント版はどうなるのでしょうか?
少なくとも2018年3月発売号は刊行いたしません。その時点で定期購読も終了し、定期購読いただいている読者の皆さまにはは返金させていただきます。現時点では、プリント版の継続については白紙となっています。
──なぜ休刊するのでしょうか。
──退任されるんですね!なぜ編集長の交代ではなく、休刊なのでしょうか?
ぼくが短気を起こしました。
──短気を起こして編集長を辞めるなんて……。
ぼくは子どものころから癇癪(かんしゃく)もちで、40歳を超えたあたりから、その沸点がどんどん低くなってきて。とはいっても、クオリティについて真剣に考えると怒らないわけにはいかない。相手が誰であれ。そうしたら、なぜか最近、やたらと「アンガーマネジメント」に関するメールが来るようになりました(笑)。
この間「おっさんの話」というテーマでウェブの記事に書いたんですが、あの半分は自分の話です(笑)。
──いきなり休刊とは、急な話ですね。
外資の会社ですから、契約が切れる5営業日前に通達があって、休刊が決まりました。とはいえ、プリント版の一時休止と定期購読の停止については、なるべく早く読者の皆さんにアナウンスしなければならないので、急いでこの原稿を作ることになったんです。「最後のおつとめ」ですね。
【一周した感じ】
──最終号はちょうど30号できりがいいように感じますね。
ぼくが編集長として携わったのは、30号のうち実質28号分ですね。結果としては良い区切りだったのかもしれません。最後の特集は「アイデンティティ」で、自分の役目はおしまいです。特にこの2年くらいは、特集がそれぞれ単体として存在するというよりは、「一連の流れ」のようになっていて、どんどん深みにハマっている感じはありましたし、途中からは『WIRED』のテーマであるはずのテクノロジーの話題ですらなくなってきていましたし(苦笑)。
──確かに「アイデンティティ」という特集はデッドエンドのような趣があります。
そう設計したというよりは、どんぶらこと流れに乗っていたら流れ着いてしまったという感じなんですけどね。
──次号以降の特集のラインアップなどは既に決まっていたんですか?
もちろんやりたいことはいっぱいありました。次号は「発注」というテーマでやろうとしていましたし、その後は「ロボット」「物流」「ニュー・アナログ」というテーマのプロットはしていました。あと、2017年に「アフリカ」特集でやったようなことを、コーカサス地方に置き換えてやれないかな、と。
──突然「コーカサス」ですか?
他にはアルメニアやジョージア、アゼルバイジャンなどですね。テクノロジー面でも進んでいると聞きますし、地政学的にも面白いエリアだから、取り上げたいと思っていました。
──雑誌としては売れ行きがよくなさそうな特集ですね(苦笑)。
そうですか? 定期購読も順調に増えてきていましたし、広告もうまく回り始めて、全体としてビジネスそのものはかなり好調になっていたんです。
2017年から本格的に始めた旅のプログラム「WIRED Real World」というものがあるんですが、これは本当に面白いんですよ。参加してくれるお客さまも面白い。お客さま同士で新たなプロジェクトが生まれたり、参加してくれた方々からお仕事をいただくようになったり。かなりグルーヴ感がありました。それをちゃんと育て上げられずに終わるのは、残念といえば残念です。そういう面白い人たちと一緒にコーカサスに行ったらきっと面白くなると思っていたんですけどね。とはいえコミュニティは残るので、継続してみんなでわいわいやれるといいなと思っています。
はい。どの事業もお客さまは本当に面白い方ばかりでした。そういう方々のために、結構苦労してノウハウを積み重ねて、やっとビジネスとしても芽が出るところでしたね。毎年秋に実施していた「WIREDカンファレンス」も、年々企画の精度が上がっていて、自分で言うのもなんですが、2017年は驚くくらい面白い内容にできたんです。
──ただ、いわゆる「テックイノベーション」からは外れている感じですよね。
周りからは唐突に見えたかもしれませんね。そうはいっても、「注目のスタートアップ情報」などを最初から重点的に掲載してきたわけではありません。「死」「ことば」などの切り口は継続して存在していましたし。
──そうですね。
その上、ある時期から「スタートアップわっしょい!」のような気分も収束し始めて、面白い話も大して出てこなくなってきていたと思います。シリコンバレーはトランプ米大統領の就任以降、完全に逆風を受けてしまっているし、AIや自律走行車などの話も、いよいよ実装の段階になってくると、完全に政治と法律の話になってしまうので。
──それで飽きてしまったということでしょうか?
そうではなくて、時代が大きくまた変わろうとしているということだと思います。おそらく『WIRED』の発行元であるアメリカのコンデナストを見てみても、時代のフロントラインにいるのは『Teen Vogue』なんですよね。LGBTQメディア『them.』がローンチされたり、『Vogue』が『VICE』と組んだり。それ以外でも、「アイデンティティ」特集でも紹介した『Refinery29』のようなファッション・カルチャーメディアが旧来のメディアエスタブリッシュメントを圧して、新しい言論空間になり始めているという、面白い状況にあります。
──なるほど。
デジタルイノベーションやデジタルメディアのダウンサイドが明らかになってきた中で、それを突破するために必要なのは、やっぱり新しいカルチャーをどう作っていくのか、という話じゃないかと。そういう意味でいうと、結局いま面白いのってインディーズのブランド、ミュージシャンやクリエイター同士のオーガニックなつながりみたいなことだったりするわけです。技術がどうこうという話だけではどこにも行かない、という感じが、もうここ3年くらいずっとありますね。
──AIだ、ロボットだ、ブロックチェーンだ、VRだって、だいぶ前から要件は出揃っていて、それではそこからどうするのか?という感じでしょうか。
そう思いませんか?
──何かが一周した感じはあります。
2017年は、SXSWでTwitterが「アプリ大賞」を取ってからちょうど10年目です。その間、いろいろな期待、それこそアラブの春や、日本でも東日本大震災を経て、デジタルテクノロジーによって民主化された「よりよい世界」が夢見られてきたわけですが、そう簡単に世界は変わりません。むしろ、新しい困難が出てきてしまった。しかもそれは、テックでは解決できない困難だということも明らかになってきています。問い自体が、より複雑な人文的なものになってきているから、哲学やアート、ファッション、音楽、文学などは、いまの時代本当に大事だと思うんです。
──『WIRED』では「テクノロジーだ」「未来だ」と取り上げていませんでしたか?
でも、そう言ってきたのと同じ分、「テクノロジー」という言葉も「未来」という言葉も好きじゃないということも言ってきたつもりです。「未来」というコンセプト自体が、いかに20世紀的なものか、ということについてもずいぶん語ってきました。
──それは冗談だと受け止められていたんじゃないでしょうか?
変な言い方になりますが、「未来」というもの捉え方を変えることでしか、新しい未来は見えてこない。それが、端的に言うと『WIRED』で考えようとしてきたことだったはずだったんです。
──お疲れ様でした。
http://b.hatena.ne.jp/entry/hakata.ed.jp/highschool/_common/pdf/20171002.pdf
について。校長の文章に不可解さを覚えている人が多数いるようなので解説してみたい。結論から言えば、「SNSにアップした生徒を更に強く指導する必要がある」という見解は十分ありうる。というか、教育現場の判断としては十分正しい。
今回の件、講師が新任だということで納得したが、一般人として見るなら大変気の毒な先生に見えるとは思うが、教員として見るならあの対応は未熟の誹りを免れない。動画を見る限り、クレームをつけている生徒を無視して授業を継続しようとしているようだが、実際に店舗などでクレーム対応に従事した経験のある人なら分かるとおり、この「黙殺」という対応は悪手だ。相手が社会的経験を積み忍耐力が十分以上にあることを期待できるかあるいは力関係で圧倒的に弱い相手に対してなら有効かもしれないが、いきり立って席を立ち教壇までやってくる生徒には、明らかにそのどちらも期待できない。ここは、少なくとも授業を止めて相手と向き合い、一対一で目を見て、相手に椅子に座るよう指示し、その上で話すなどの対応が必要だった。にも関わらず、相手を黙殺した上に、背中まで向けるとは!!
…そこから見るに、今回の件は、おそらく普段の人間関係などからくる油断もあったのだろう。生徒も、怒りに我を忘れて暴力をふるうというよりは、ただ駄々っ子が親に手を挙げるような甘えたつっかかり方に見える。このことから、普段から冗談に任せるように背中を叩いたりパンチの真似をしたり(そういうことをさせては絶対にいけないが)するようなコミュニケーションがこの二人の間にあったのではないかと想像する。講師の側では生徒とコミュニケーションをとっていたつもりだったかもしれないが、それは実はマウンティングである。生徒の中には、「相互に信頼や敬意を持ち合う」といった人間関係を形成できず、ただ身分の上下や力の強弱といった人間関係しか理解できない生徒もいる。新任(身分が低そう)や気の弱そう(力が弱そう)な「センセイ」に、からかうようにマウンティングをしかけてくるのは、大体そういう生徒だ。そして、それは今回のようにエスカレートしたとき「暴力事象」として大事になってしまう。が、本人としては普段のマウンティングが少し行きすぎたという程度のつもりなので、改めて「暴力をふるった」と言われても十分指導が行き届かない。想像でものを言うことにはなるが、こういう場合も、実は指導者の側の未熟のためにこういう事態に立ち至っているのである。
ここまで述べたことは、この講師の先生を責めたいという趣旨ではない。本来責任を負うべき立場にはない講師の先生がこういう生徒に対応しなければならないほど大変な現場なのだろうし、それだけに教諭と管理職の方々は、いっそう忸怩たる思いでこの事件を受け止めているのではないかということを言いたいのだ。
今回の動画を見て、大半の方は「修羅の国の暴力教室」みたいなイメージを受けたのだろうか? 警察沙汰にしろ、とか、厳しく現実を教えるべき、みたいな意見を見るに、多分そうなのだろう。だが、個人的にはこれは「やや指導規律の甘い学校で、かつ講師が若いため生徒をコントロールし切れていない教室の状況」であり、極論すれば「ごくありふれた」日本の高校の一風景に過ぎないように感じる。全国どこでも、学校の指導規律が数年間甘くなり、そこに生徒をコントロールし切れない(個人の資質能力だけでなく「講師」や「新任」という肩書きも含め)教員が配置されれば、簡単にこの風景は現出する。おそらく生徒指導のプロフェッショナルな先生なら、このビデオを見て「そりゃそうなるだろうよ」と思ったことだろう。
要するに、これは「起こりうる/よくあること」なのだ。この生徒は持って行きようによってはまだ「なんとかなった」生徒だし、教員も「もう少しなんとかしないといけない」、その意味で忸怩たる思いを抱える、それが教育関係者の実感ではないだろうか。これは「教育の悲惨な現状」などではなく、いわば「ケアレスミス」に近い、教育現場によくある失敗の一事例なのだ。自分自身のちょっとした認識の甘さ、生徒把握の甘さ、指導規律の緩み、態度や言葉の綾のせいで、大丈夫だと思って対応していた生徒が突然牙を剥いてきて、あわや大事になりかけて慌てる……それなりに経験のある教育関係者なら、一度や二度は目にし経験しもしてきた風景なのではないだろうか。
そう考えるなら、教育関係者の目線が、暴力を振るった生徒と講師の方にではなく、今度は周囲でこれを笑っている生徒たち、そしてビデオを撮影しネットにアップした生徒、そちらにある大きな問題に向かっていく、ということも理解できるのではないか。なぜか。まず笑っている生徒たちは、激昂している彼が「次に何かしたら退学」と言われていることくらい知っていただろう(そういう話を内にとどめておくことの出来る子はああいう荒れ方をしない)。多少荒れた学校であっても、そういう生徒が教員につっかかっていったら、普通は何人かの生徒がそれを止めに入らなくてはいけない。なのに、止めるどころか「笑って放置」されている。つまり、彼はクラスメイトに完全に見放されているということだし、クラスメイトはそんな彼が高校をやめることになるだろう状況を見て無視ならまだしも冷笑し、(こう言ってよければ)自分たちの気晴らしネタとして消費している。クラスがこのような状況にあるというのは、率直に言って担任によるクラス運営の失敗だ。あのクラスの担任は今頃泣きたい気持ちでいると思う。「あの教室の生徒全員を指導しなくてはいけない」と喝破したブコメもあったが、おそらく教育関係者と推察するその意見、真にもっともである。少なくとも、あの場に自分の子どもが座っていると想像したら、誰しも自分の子育ての失敗を真剣に疑うのではないだろうか。
そうして、件のSNSに投稿した生徒である。彼のことを「内部告発者」扱いしている人が多いが、これは失礼ながらただ事件を外部から眺めているだけの立場からの意見と感じる。この生徒は、上に上げたようなクラスの一員であって部外者ではない。彼はこの状況を、他のクラスメイトのように無視し冷笑するにとどまらず、積極的にネタとしてインターネットに放流したのである。ネタとしてそれが炎上するであろうことは想像に難くない。単純にその場でネタとして消費する以上にやっていることは悪質である。それだけではない。彼はその行為によって、暴力を振るった生徒の退学を世間に宣伝し、振るわれている教員を晒し者にし、それらをネタとして消費しているクラスとクラスメイトの退廃を笑いものにしているのである(しかも自分は姿を見せずに)。彼が善意の人であることは期待できない。なぜなら、彼もまた、使うはずのない授業中にiPadか自分のスマホを取り出して撮影しているのであるから。自分のやっていることは件の生徒と同じ行為だということを、彼が認識していないはずがないからである。その意味で、この生徒はそもそも件の生徒を馬鹿にしたり批判したりする立場には全くない。にも関わらず、暴力をふるった生徒、教員、クラスメイトを嘲り傷つけるような行為を行っていることになるのだ。
このことを彼が自覚しているかどうか分からない。だが、自覚していようがしていまいが、彼のやったことはそういう行為だということに「なる」。彼はこの後も学校生活を普通に送るはずだが、それだけに、自分がどのような行為をしたことに「なる」のか、厳しく彼には自覚を求める必要がある。でないと、クラスメイト、退学になった生徒、そして件の教員が彼をどういう目で見るか、理解できないことになってしまう。
我慢の効かない子どもが保護者にかんしゃくをぶつける行為と、一時のかんしゃくを世間に永遠にさらして笑いものにする行為と、どちらが罪深いか? 人によって感じる罪の軽重には差があるかもしれないが、「より自覚が少ない」という意味で、後者をより「厳しく指導」することは、教育的判断としては十分ありうることである。でないと、この生徒のこの後の学校生活は真に悲惨なものになりかねない。
以上を踏まえて、考えてみるとどうなるだろうか。校長が的外れだとか、更には「馬鹿」だとか気楽に罵っている方々には、こういう教育現場の緊迫感は遠い世界の話なのだろうとは思うが、今回の件に関する学校のこの声明から、事件の正確な分析、原因への理解とともに、今後行うべき対応をしっかりと考えていることが伝わってくるのではないだろうか。更に言えば、上で上げたような事件発生への「無念さ」も。それと共に、このようにモノがよく分かっている人がいてもこういう事件が起こってしまうほど、学校が大変な状況にあることについて、どうしていけばいいのか少しだけでも考える人が出てくれれば、この文章を書いた意義があったことになる。
今回の件は、大事にするような話ではないし、できれば速やかに消え去ってくれればよい。暴力を振るった生徒、振るわれた先生だけでなく、あのクラスの生徒、ネットにアップした生徒のためにも、それを祈っている。
長々と拙文におつきあいいただいたことに感謝したい。筆の走った部分も多々ある。また、こうして文章を書くこと自体が晒し上げの一種というご意見、これもごもっともである。
それらを含め、ご批判は甘受したい。
(追記)
福岡県内の中学校で、男子生徒(14)が、男性教員(46)の顔を拳で数回殴る暴行を加え、顔面打撲の傷害を負わせた
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171003-00010010-nishinpc-soci
夫とその両親と同居しているのだが、夫の両親のことはどうにも好きになれない。
義父はとても短気なのだ。
とくに5歳の息子がぐずると、あからさまにイライラして見せる。
息子がかんしゃくを起こし、それにイラついた義父が叱り飛ばし、それに反応して息子が余計に泣き暴れるという悪循環。
今日も息子がゲームをやっていて、うまくできなくてかんしゃくをおこし、機械を叩いたり投げたりしたのだ。
ゲームは自分が取り上げてやめさせたし、かんしゃくを起こしているときに叱っても収まらないので、気持ちが落ち着いてから言い聞かせるようにしている。
かんしゃくが起きたらなるべく義父に聞こえないところへ移動するようにしていたのだが、今日はちょっと間に合わなかった。
ゲーム機を片付けて移動の準備してる横から「コラ!」とか「うるさい、さわぐな!」とか大声で叱ってきて、息子は頭をポカンと叩かれた。
自分にできたのは暴れる息子を抱えて別室へ行くことだけだった。
しばらくして息子は落ち着き、なにがダメだったのかちゃんと話を聞いて理解もしている様子だった。
本当は自分が義父に「うるさい、さわぐな!」と言ってやりたかったのだ。
「5歳の子供にがまんを仕込むのなんて、気長にやるしかないだろが!叱って叩いて言うこと聞くならとっくにこっちがやっとるわ!60過ぎてもイライラひとつ我慢できんクソジジイに人格否定されたくないわ、ボケが!」って、言ってやりたかった。
義父はさらに自分にこう言った。「もうそのゲームはやらせるな。しまっとけ。」
まぁ。ゲームなんてやらせる必要はないし、取り上げたら取り上げたになるが。ゲームでもしなければひまでぐずってかんしゃくを起こしたからゲームしてたのだ。
「ゲーム取り上げてかんしゃくがなおるもんなら、お前のパチンコも取り上げてやるからイライラすんじゃねーよ」って、もう少しで言ってしまいそうになった。
さらに言えば、仕事休みなはずの夫がこういうときにいないってなんなんだ。
息子のきげんが直って晩ごはんも終わる頃に、なにくわぬ顔でパチンコから帰ってくる夫。
「お前のクソ親の家に嫁と子供同居させといて勝手なことしてんじゃねーよ。パチンコやめたら家ぐらい建てられるだろうが、このマザコンが!」って、もう少しで義母のいる前で言いそうになった。
自分は夫の家系がADHDを引き継いで来てるんじゃないかと思えてならない。
義父も夫も、すぐカッとなるし、休日になれば朝から晩までパチンコ屋。いくらなんでも日がな1日やり続けるもんなのか?
せめて自分がしっかりしていれば息子を連れて家出したいところなのだが。
自分には無理だと断ったのに、頼み込んできたのはむこうだ。
息子と夫がパチンコばっかやって、なんかあったらすぐカッとなるろくでなしなのを知っていたくせに、結婚も同居もさせてしまった義母のことも半ば許せないでいる。
器量もないのに子供産んだ母と暮らすか、すぐカッとなる父と暮らすか。
いずれにしても息子が不憫でならない。
義父や夫が嫁と孫を不幸にした現実を見て、息子が同じ過ちをおかす気がしてならない。
しかし息子を夫や義父以上にまともな人間に育て上げる自信がないので、自分なんかいない方がいいと思うのだ。
思うところあって増田を書きたいと思う。
http://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2016/07/19/223314
子供のころ、なぜ自分のお母さんだけがずっと布団に寝ているのかいつも不思議に思っていた。
友達のお母さんはハキハキしていて元気そうに笑っているのに、どうしてうちのお母さんは寝てばかりいるのか。
うちのお母さんは夕飯の用意もできないほど弱っていたので近所の家におかずをもらいに行くのが日常だった。
近所の人は案外優しくて良くしてくれた。
当時の母は弱り切って、いわゆる炊いたコメが食べられなくなっていた。
だから食パンを牛乳に浸して柔らかくなったものをちぎって、すするようにして食べていた。
母がいわゆる普通の御飯を食べられるようになったのはしばらく経ってからだった。
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我が家は子供が3人で、全員が発達障害に産まれてしまった。おそらくだが父親も発達障害の可能性が高い(たぶんアスペ)
上に兄がいて、下に双子が産まれてしまった。簡単に書くと兄が自閉症、妹(双子)がアスペ&ADHDという組み合わせだ。
母に言わせると兄が大変に手のかかる子供で、尋常でなくつらかったらしい。
兄は2歳くらいのときに自閉症と診断された。母はものすごくショックだったようだ。
母が言うには、兄はまずアイコンタクトというものが通用しない。母が困った顔をしていてもまったく目に入らない。
とにかくこちらの気持ちが通じないのだ。自分の子供のはずなのに、昆虫かなにかを相手にしているような感覚になる。幼児なのに、である。
兄は極端に神経が繊細で、少しでも気にそぐわないことがあると暴れたりかんしゃくを起こしたりする。当然ながら寝ない。ちょっとでも物音がすれば起きる。
母側からはコンタクトが通用しないのに、兄は極度な甘えたがりで母と一瞬でも体が離れると泣いて暴れる。
そんなことの繰り返しだったが、下にまた子供が出来てしまった。
双子育児はただでさえしんどいのに、この双子はまた発達障害だった。
(※注 当時はまだ診断基準がなく、増田自身の発達障害がわかったのは30すぎてからです)
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今でもくっきり記憶に残っているのだが、物心ついた時、母は家におらず入院していた。
母が言うには、とにかく子供の世話に追いまくられ、父は仕事が忙しくて育児を手伝ってくれることは皆無、
親戚や実母なども事情が重なって手伝いに来られず、気づいたら骨と皮ばかりに体が痩せていたという。
トイレへ行くのも床をずるずると這って行ったが、それすら無理になったときほとんど本能的に電話に手がいって救急車を呼んだという。
(母が言うには、本当に体がダメになったら尿はほとんど出ないらしい。)
最後に自分で測った記憶があるのが34キロ、病院で測ったところ32キロだったそうだ。(母の身長は155センチ)
母は子供を産むまではフルタイムで仕事をしていたので、すごく体が弱いというわけでもない。
ただ以前あった増田のように編集者レベルでタフかというとそうとも言いがたい。
いわゆる核家族だったが手伝いにきてくれる人が残念なくらいいなかったのだ。
当時は今のように自閉症児に対する工夫などの情報がほとんどない。ネットもない。
その後、母は極端に病弱な体になり、基本的には家で寝ていた。
兄をみる余裕がなくなった母は、まだ幼かった兄を母の実家にあずけた。
半年ほどして母が様子を見に行ったところ、祖父と祖母はげっそりと痩せていた。
とくに祖母は気疲れがひどく、10キロ以上痩せてしまっていた。
兄の相手をすることや兄の要求を聞くことがとんでもなく大変だったらしい。
困り果てた祖母は、兄を霊能者のところへ連れて行ったことがあるらしい。
すると、兄は親戚中の悪いところをすべて引き継いで産まれてきてしまったのだと言われたそうだ。
だから親戚の他の子には悪いものはいかない、なぜなら兄がすべて悪いものを引き受けてくれたからだと。
娘の存在は、母にとってはやすらぎとなり、母は兄よりも娘といることを好んだ。
兄は私が覚えているかぎりでは幾度となく親戚の家に預けられていた。言い方は悪いが兄は「たらい回し」にされていた。
長期間預けるとトラブルを起こしたり、その家の人が寝込んでしまったりするので、半年くらいで親戚のあいだをぐるぐると移動していた。
今でもよく覚えているのだが、兄が家にいないと母はとても嬉しそうにしていて、花を飾ったり凝った料理を作ったりしていた。
料理に対して「わぁ〜!」と反応すると本当に喜んでいた。
これ、これなのよ、私の望んだ家族の姿って!これなのよ!というような。その瞬間だけはまさに母の夢が開花していた。
兄がいないと父も穏やかな表情になって、母もそのことを嬉しがっていた。
私たちは、まるで兄がもともとからいない家族であるかのように食卓を囲んでいた。
兄がひどく育てづらい子供だったことで母は疲れきっていた。
だから、兄が家からいなくなると、気持ちが晴れ晴れして小康を取り戻すのだった。
下の子たちもADHDがあるため、忘れ物も怪我もひどいし学校に呼び出されたりそれはそれで面倒だったが「気持ちが通う」という点で、母のしんどさは桁違いに違ったらしい。
自分の記憶では、兄は4〜10歳くらいまで、ときどき家にいたがときどきいなくなっていた。母の実家、父の実家、親戚の家…あちこちに預けられていたと思う。
===
その後も兄関係でゴタゴタがいろいろありましたが、いま40歳目前になる兄が社会適応できることはありませんでしたとだけ書いておく。
そしてそういう子供が一定数産まれてしまうこの世の不条理というかなんというか。いや、社会のほうが未熟なのかな。私にはわからないですけれども。。
読んでいただいてありがとうございました。
夫は仕事で帰りが21時を過ぎるので、育児にはほとんど関わらない。
夫は家事は一切やらない。
朝は起こしても起きない。
無理に起こせばぐずる。
着替えをいやがる。
単純に好き嫌いが多く食べられるおかずが少ない。
出したものを片付けない。
歯みがき、手洗い、風呂をいやがる。
眠れないと言って深夜までぐずる。
ぐずり、かんしゃくが多く程度がひどい。
ものを投げる、こわす、叩く、大声を出す。
気分次第ではできる日もあればできない日もある。
朝から晩までできないこと続きの日には本当に疲れ果てる。
それでも、そんなものだと思ってがんばっていたが、上の子が小学校に入った頃から、本気で悩んでいる。
学校へ行くのをいやがる。気分次第で行く日もあるが、行きたくない日もある。
行かない日の「行け」「行かない」のバトルの後でパートに行くのがとてもつらい。
宿題を無理にやらせようとすると反抗し、そのあとの生活がこじれる。
楽しめるものがゲームか、それに関する動画などのメディアしかない。
例えば体を動かす遊びとか、なにかしら料理だか工作だかやらせると、はまることもあるが長くは続かない。
読書は面倒だと言うのでせめて漫画でもと与えるが、漫画さえ読むことが面倒という。
それでも休日にゲームばかりではよくないと思ってやめさせるが、「ひま、なにすればいい?」とつきまとう。
もう知らないと無視すれば反発し、叩いたり蹴ったりしてくる。
そこまで家の中が荒れるとあとはお出かけでもして気分転換しかない。
そんな休日が続けば、平日にやり残した家事を片付けることもできない。
平日は上の子に宿題をさせることと下の子の「遊んでかまって」攻撃に応戦するので精一杯で、掃除に手が回らない。
結局、上の子にゲームをさせ、下の子のかまって攻撃を受け流しながら家事をこなすので精一杯の休日が多い。
正直、休日くらいは夫がこども3人の遊びにつきあってくれたら非常に助かるのだ。
でも「仕事で疲れている。ストレスがたまっている。ひとりの時間がほしい」と言われると強く頼めない。
できないものを無理強いしてもケンカするだけムダと思って強くは言わないけど、夫が無関心すぎるのではとか、努力不足かもとか疑い始めると、はらわたが煮えくりかえる。
夫に任せたところで、私でも手を焼く子供たちと過ごして、疲れないわけもない。
結局は自分も夫も、子供といて疲れる時点で育児に向いてなかったのだ。
もっとうまい育て方があるのだろうが、それもわからないまま、できないことが多い子に育ててしまったわが子の将来を思うと、不憫でならない。
試行錯誤してきたが、結局は厳しすぎたのか甘やかしすぎたのか、なにが悪かったのかもわからない。
あまりにもわがままや反抗が多いので、子供の可愛さより大変さが上回ってしまうことが多い。
そういう大変さには理解も共感もできないと書いた母親のように、要領よくこなせて、なにも意識しなくても子供と普通の生活を送れる人が、本当にうらやましい。
きっと余裕のあるお母さんの育てる子供は安定して幸せだと思う。
二人目の育児休業中ということは、一人目の時も育児休業をとって仕事を続けてきて、正社員ということだろう。
自分はパートでもギリギリで両立している。正社員で育児両立する人には本当に尊敬しかない。
http://anond.hatelabo.jp/20160714095611
むしろそういう人が世の中をうまく回してくれていて、自分たち夫婦がどんなにニート予備軍な子供を育てても世の中にとってはなんの役にもたたないじゃないかと思える。
私たち夫婦は結婚前はお互いに仕事をして、ごく普通に生きてきたと思っていたので、そんなに問題のある人間とは感じていなかった。
だから恋愛に至ったし、恋愛の先に結婚があって、子供が生まれても普通に生活していけるものだと思っていた。
私にはこのままではうちの子がニートになるしかないように思える。
私に依存しているのだろうか。
今回、冨田真由さんを刺した男はストーカーでは無い、ただの精神異常者である。
→ストーカーはまず興信所を使います、それか勝手に尾行し特定します。
→ストーカーならネカマ、もしくは一般のファンを装いひたすら褒めて仲良くなります。それかフォローはせず非公開リストに追加して監視します。
→ストーカーは空気が読めないので既に知人の場合、本人に必要の無いプレゼントを渡す事は有りますがあからさまに嫌がられる物を渡しません。また、認識されていない人物の場合、存在がバレるのを避けて贈り物はしません、どうしてもしたい場合は経由か匿名で行います。
→ストーカーにしては執着期間が短過ぎる。ストーカーというのは基本的にアスペルガー症候群の症状のため、非常に執着期間が長いです。また男はさらに別の女性アイドルにも嫌がらせをし殺すと書き込んでおり、冨田真由さんと言うよりも女性に嫌がらせをするキチガイです。
→ストーカーならば当然相手がこちらに興味が無い事を分かっているためこのような書き込みはしないです。周囲に動揺を与えようとする行為だが、ストーカーは相手が【こちらについてどう思って居ようが全く構わない】という特徴が有るため、明らかに犯人はストーカーとは異なっています。
6、ツイッターTLでコロコロと感情に波がある、冨田真由さんの不安に呼応している。
→これはストーカーでは見られない特徴、相手の感情を読み取る事が難しく彼女の不安に呼応するのはストーカーとしておかしいです。
総合すると、岩埼友宏はファンでもストーカーでも無く境界性パーソナリティ障害という精神病患者です。
ストーカーというものは、ターゲットにバレずに観察、ターゲットの望む通りに自分を変える(整形転職すら含む)、ターゲットへの長期間の強い執着、ターゲットを殺す場合は自分もキチンと死ぬ、ターゲットを素早く特定が主な特徴。
いきなりターゲットに嫌がらせをして発狂して刺す人間はストーカーでは無くキチガイである!ということを分かって頂きたい。
ちなみに境界性パーソナリティ障害の特徴
・現実または妄想で、人に見捨てられることを強く恐れ、不安を抱いている。
・気分や感情がめまぐるしく変わり、周囲の人々がついてこられない。
・感情のブレーキが効かず、ちょっとしたことで癇癪(かんしゃく)を起こしたり、激しく怒り、傷つきやすい。
・自己を損なう行為(薬物・アルコール・セックス・万引き・過食・買い物など)に依存しやすくなる。
・生きることに対して辛さや違和感を持ち、自分が何者であるかわからない感覚を抱いている。
「ぼく、おちゃわん洗う!」
ママを気遣う優しさ…わかってるんだけど。
優しさかどうかなど不明
余計な判断
9時には寝かせたい…
考えても無意味な「なんで」
食器片付けたいのをがまんしてつきあってたら、
やらねばならない家事が後回しで、あれこれと頭をよぎる…
どっちにしろいまは子供の相手しか出来ないのにそこに集中していない
あせる気持ち。
なんにも知らずに1人自室でくつろいでる夫へのイライラ。
目の前に居ない夫がどうしてるのかなんか不明
「お母さんイライラしちゃってごめんね」
なんて謝っても、後の祭り。
つけてしまった心のキズは、完全には消せない。
息子の悲しそうな顔…
息子がどう感じたかなどという不可知なことについて妄想を太らせている
私が、もっとうまく夫に協力を頼めていたら。
全くの無駄であるばかりか、それによって今に集中してないせいでまたしくじる。
子育てって難しい。
至らないお母さんで、ごめんね、息子…
物事は何でも難しい
ミスのリカバリーにかかる時間は丁寧にきちんと終わらせた時の3倍はかかる
きちんと集中してれば「この時間で出来る仕事は物理的にここまで」とわかるので
それ以上のことが出来なくても悩まない
無理なもんは無理
何してても常に目の前のことと別の余計なことを考えてるのがこの人の苦しみの根本
夕食の片付けが遅れてた8時半。
「ぼく、おちゃわん洗う!」
ママを気遣う優しさ…わかってるんだけど。
9時には寝かせたい…
ママが家事するたびに「こっちきて!」って、かまってちゃんな息子。
食器片付けたいのをがまんしてつきあってたら、
やらねばならない家事が後回しで、あれこれと頭をよぎる…
あせる気持ち。
息子がさわぐ、でかい声。
なんにも知らずに1人自室でくつろいでる夫へのイライラ。
「もう!何時だと思ってるの!
おちゃわんはお母さんが洗うから、早く寝なさい!」
「お母さんイライラしちゃってごめんね」
なんて謝っても、後の祭り。
つけてしまった心のキズは、完全には消せない。
息子の悲しそうな顔…
私が、もっとうまく夫に協力を頼めていたら。
私が、息子のかんしゃくに振り回されずに家事をこなしていたら。
がんばってもがんばっても、
至らない点が積み重なって、
息子のかんしゃくに振り回されて、
子育てって難しい。
至らないお母さんで、ごめんね、息子…
イタリアンの件とは別で。
教員免許だったり、教育委員だったり、報道番組に出演したり他にもいろんなところで公に出てるけど、彼はそれを自分の実力だと勘違いしているところがあると思う。
実際は「あの」乙武氏だからってことでチヤホヤされてるだけってことについての自覚があまりなかったんじゃないかなー。
まーでも今となってはもはやわかってやってるんだろうけど。「あの」乙武だぞ、っていうのをフルに使って活動してる気がするし。
教員免許取得だって、周りの並々ならぬサポートがあったと容易に想像できるけど、それについての大方の発言は自力で取ったと聞こえるような言い回しばかりでうんざり。
すごく恵まれた環境に育ったことを当然の基準として周りに暗黙的に強要して、少しでもその枠を外れた事態に遭遇するとかんしゃくを起こす。ただのワガママな甘えん坊。
「もし乙武氏が五体満足で生まれてきてたらこんなに調子に乗ることもなく本当に普通の男性として終わってただろうな」と思うと複雑な気持ちになる。
ここまで増長させた周りにも責任はあると思うけどね。