はてなキーワード: 長崎とは
日本人として、広島と長崎に原爆を落としたアメリカに対して「ふざけんなよ」という気持ちはもちろんある。
が、
・日本軍が先に開発に成功していたら間違いなく使っていただろうな、それも2発どころではなく。
・原爆資料館展示物がいかに凄惨かよく語られるが、通常兵器と比べてどれほどひどいと言えるのか?
・無論、のちのちまで残る放射線の影響や黒い雨、圧倒的な殺傷範囲などの特殊性はわかる。
・しかし通常兵器でも地獄のような苦しみを味わい、のたうち回って死んでいった人はいくらでもいるだろう。
・侵略国である日本がやたらと被害者ムーブだけ取るのはなんだかな。
・人類を死滅に至らしめる核戦争なんて最悪だし核廃絶できるならそれに越したことはないのだが。
・核の傘。
みたいなことがごちゃまぜになって「なんとも言えねぇ」ってなってしまう。
(かなり前に書いたものですが、バービンハイマーのミーム騒動などもあり改めて知ってみたいので、一部修正の上再掲します)
・「児童・学生時代に教師が日教組だった(せいでなんらかの不利益を被った)」
・「○○(思想・信条的な何か)をしたら職員室に呼び出された」
というたぐいの話が広く出回っている。これらの話には大体、平和教育、人権・道徳教育、同和教育への批判的見解が含まれているようだ。
組み合わせて例えてみれば、「平和教育の時間に日教組の教師が反自衛隊的な講話をした。それに対して冷静に反論する感想文を書いたら職員室に呼び出された」みたいな話だ(あくまで例えである)。
別の例を挙げれば、「人権 本物はやたらに言わない」と描かれた人権ポスターと、それを描いたとされる小学生のエピソードが、たびたびなにかの機知のように出回っている。(参考:https://twitter.com/PatriotNewsJPN/status/170058241861103616)
あるいは、別に「放送委員として給食の時間に彰晃マーチを流したら職員室に呼び出された」みたいなものもその一種かも知れない。単に流行に乗ったのかそれともオウム真理教に対する何らかの確固たる意志があったかは分けられるだろうが。
私は90年代後半~0年代に、関東の一都市の公立学校で義務教育を過ごしたが、
教師が日教組であるとかそうでないとかを意識したことはないし、
あるいは何か「大人の建前に都合の悪い」ことをして職員室に呼び出された経験や、それを見聞きしたこともない。
(子どもらしい単純な悪戯や、非行、それに対する指導などは見聞きしたことはあるし、理不尽な教師の思い出もいろいろあるが)
もちろん、年代や、日教組の組織率など地域的な差はあるだろう。(一般的に東日本より西日本の方がその様な教育に熱心と言われているようだ)
しかし、そんなに、一言で言えば、アグレッシブな対立がしょっちゅう存在するのだろうか。
特に大きな疑問として「職員室に呼び出された」という話の場合、その職員室に呼び出された後の話がほとんど見受けられないのである。
それほど思い出に残る、思想的な挑戦の末に職員室に呼び出されたのなら、その職員室での対面の場で何か大きな教訓とでもいうべき体験がありそうなものだが。
2014年、横浜の中学生が、修学旅行先の長崎で、平和教育を行っていたガイドの被曝者に対し「死にぞこない」と暴言を吐いたという事件がある。(参考:https://hi-hyou.com/archives/1193)
これは学校という閉じた空間ではなく、学校外に向けて起きた事件といえるが、ネット上で見られるエピソードには当然これ程のインパクトがないし、裏付けもない。
普通のいたずらや非行とも違う、早熟ともいえる思想的対立を経て、「教師が日教組である」と喝破したり、平和教育などへの批判的精神を表明したはずの人々は、実際何を得たのだろうか。
もし、なにか、「担任教師が日教組だったから~」「(社会的・歴史的な何かについて)〇〇したら職員室に呼び出された~」といったエピソードを経験した(起こした)り、それについて見聞きした方がいたら、ぜひ反応を頂きたい。
できれば、大まかでよいので地方・年代とその時の歳・公立か私立か・職員室なり説教なりの対立で何が起きたのかなど、当時の環境も添えてほしい。
アメ公はマジで日本人のことなんて黄色い土人だと思ってるからな
あいつら根本的に建国以来一貫してジャパン・アズ・ナンバーワンの頃の日本人の精神のままだからな
最も人格的に貧しかった高度経済成長期〜バブル期の日本人の似姿が過去から現在までのアメ公だから
あいつらはソビエトの対日参戦で確実に勝利を確信していたのに新しい玩具の破壊力を試してみたくて広島と長崎で大量殺人を行った事実を歪曲して戦争の早期終結の為には必要だった人道的判断だと考えてるわけ
『バービー』米公式に対するワーナージャパンの抗議、海外メディアでも報道 ─ コメント欄は激論に | THE RIVER
Capricornus 原爆はアメリカの若者にとって79年前のフィクションなんだな。世界唯一の被爆国として、被曝とはどう言う事かを伝えるのは必要な事なのだなと実感したわ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4740136879386099144/comment/Capricornus
アメリカでフィクションなら日本においてもフィクションです。日米に差はありません。コメ全体から被曝国日本を強調したい古い感覚で満ち溢れていますね。果たして日本は原爆被害を受けた国なのでしょうか?そう思ってるとしたら極めて卑しい思考です。原爆投下がなくても大日本帝国のレジームチェンジを自らの手で成し遂げられたと思ってるクチですか?
であるなら今からでも遅くないので「原爆投下はホロコーストである」と世界に訴えましょう。
アメリカの核の傘の下で繁栄を享受しておきながら平和呆けもここまで来るとおめでたいです。でもそんな「広島長崎はアメリカによるホロコーストでありアメリカはナチスと同等である」などという戯言は島国日本でしか通用しません。さようなら。
被害者の立場に立ってアメリカの加害ばかりを訴えるが、それ以前に日本が加害者になったアジアへの謝罪と補償をきちんと行ってきたのか、って言うけど、それは普段からそう訴えてればいいことであって、このタイミングでその相手に言うことじゃないよね?
被害者の感情を踏みにじる、セカンドレイプ、Whataboutismじゃない?
原爆死没者は「汚れなき小羊の燔祭」であり、
ということになるのだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%A6%E4%B8%8A%E7%87%94%E7%A5%AD%E8%AA%AC
もちろん、福島で「放射線の影響は、実はニコニコ笑ってる人には来ません。」「マスク不要、外遊びOK、セシウム摂取も全く問題なし」「私が死ぬ頃には県民の皆様の命の責任はとれませんが、私達は国が定めた基準に従う義務があるのです。結果がわかるころには私は死んでいます。」と暴言を連発したあの山下だ。
原子力の問題が出たときには、昭和20年の10月に書かれた永井隆の原爆救護報告書の最後の一文を述べるようにしています。原子力という科学の光、力を利用してより良い世界を作って行くべきだ、ということを彼はその当時既に書いているのです。
長崎の新聞で、それを視覚的に表すのを何年か前にやっててかなりインパクトあった
見開き一面にバーーっとゴマ粒サイズの黒い点が並んでて、2つの点だけ赤になってるの
言わずもがな2つの赤の点は広島と長崎を表現してて、残りの黒い点もすべて使われうるリスクがあるんだよ、というメッセージ
あれ取っておけば良かったな
日本はアメリカの核の抑止力に大きく依存して平和な暮らしを享受してるのに
被害者意識丸出しの左翼っぽい主張が蔓延するのはちょっとどうかなと。
攻撃されたり、されそうになった場合にはちゃんと攻撃しないとなあ。
でもってここ最近のセンチメンタルな原爆被害投稿の合理的戦略を読み解いてみた。
この一見左翼的な主張に思える原爆被害状況の表現活動ってつまり、日本を攻撃したら広島長崎みたいな地獄のような反撃を受けるよ?という軍事PRなのかなと。
これ情報戦?
”長崎に落ちた2つの原爆のうち1つは不発だった。日本軍が回収しソ連に引き渡すことにした”
http://paper.people.com.cn/rmwz/html/2013-09/01/content_1307476.htm
国際法もろくに知らないバカが考えたんだろうな的外れにも程がある
そもそも原爆投下の問題点は原爆の使用にはない。あれの問題は爆弾を「市街地」に使ったことなの酷い話だけど、戦時下に敵兵を殺すのは当たり前のことでそんな事にピーチクパーチク言うやつはいないんだわ
民間人を大量に殺した虐殺事件だから広島、長崎は問題なんだが、それも分からず原爆の使用だけ禁止するのは「ビッグモーターがゴルフボールで客の車壊したからゴルフボールの製造を禁止しよう!」って言ってるようなものなわけ当然問題は車を破壊したことであってゴルフボールを使ったことではない
とにかく教条主義的に原爆はダメ!戦争はダメ!と教えてきた日本の平和教育の弊害がこれ以上ないほどよく現れてると思う。戦争にもルールがあるんだからまずそれを理解しないと