はてなキーワード: 邦楽とは
この4月くらいに、いきなりSixTONESにハマった人です。
そのプロモーションの中で、個人的にもやっと感じたことがあったので、忘れないうちにこちらに残しておく。
さて、今回の「マスカラ」
表題曲は売れっ子の常田さんからの楽曲提供ということもあって、期待通りのとても良い曲。
SixTONESは、歌のレベルが高いグループだと思う。実際、その路線で売っている。
でも生放送の番組に出演するとガタガタになってしまうことが多い。
いつもと異なる環境からか、リハーサル不足か、はたまたプレッシャーゆえか。
まあ他のアーティストさん見ても、生放送の番組は難しい環境なんだろうな、とは思う。
でも結果、歌路線で売ってるくせに歌下手だなーと思われてしまう。
これは仕方ないこと。
おそらく本人たちも理解しているだろうし、きっとそういう経験も彼らの成長に繋がると信じている(誰目線?笑)。
良かったよ、悪かったよ、これは感じ方は人それぞれなのでわかる。
問題は、
「マスカラは彼らの良さを引き出せてない」
「今歌下手って言っている人たち、こういう曲だったらこんなにカッコいいんです!」(過去の楽曲のパフォーマンス動画と共に)
・・・・・
いや、それは違うくない?楽曲のせいなの?
それって楽曲提供してくれた人に対して失礼じゃない?
誰だって自分の好きなものに対するマイナスな言葉を聞いたら、反論したくなるだろう。その気持はわかる。
ふと、ずっと疑問に思っていたことを思い出した。
それは、やたらとスト担のアンチ(SixTONES本人ではなく、スト担に対するアンチ)が多いこと。
私は生まれてこの方ジャニーズはおろか男性アイドルに興味がなかった。
彼らが「スノスト」セット売り(VS売り)されて、ファン同士が争って精神をすり減らしたことはなんとなく知っていた。
でもなんか…
リアルタイムでスト担の周りが見えていない言葉を見たときに、これがアンチが多い理由なのかもって思った。
私個人としては、アイドルはガチガチに歌が上手い必要は無いと思ってる。
でも、いつかみんなの想像を上回るようなすごいパフォーマンスをかましてほしいし、
仮に最悪のコンディションでも、常に70%くらいのパフォーマンスが出せるようになったら良い。
彼らが良いパフォーマンスができるのは、
インターネットを覗けば、被差別意識を抱えたオタクの怨嗟の声が可視化されるのは今も昔も変わらない。しかし、今その怨嗟が向けられる対象が「陽キャ」に属する人間像がほとんどであるように見えることを考えると、2000年代のインターネットでは、「サブカル」に対して憎悪を燃やす「オタク」が今より遥かに多く存在していた。当時、アニメや映画の話題において、必ずといっていいほど、どれが「サブカル」でどれが「オタク」かという区別をもとにした戦争がよく起こっていた。しばしば、それらは必要性のハッキリしない、無意味な区別だった。思えば、それらの怨嗟は、90年代以前より「サブカル」が「オタク」をいじめ続けてきた歴史の遺産であったのだろう。では、今そうした「サブカル」への同時代的な怨嗟を耳にすることが少ないのはなぜか。21世紀のカルチャーにおいて、「サブカル」と「オタク」は融合した。それには「サブカル」のファッション性が凋落していったことや、「オタク」が大衆化していったことなど、時代の変化が生み出したさまざまな要因が絡んでいると思われるのだが、なんにせよ、現代では、当時「オタク」と「サブカル」に分けられていた二つは、ほとんどその境界を失ってしまったのだ。ここでは、これが精確には融合だったのか、それともどちらかがもう片方に吸収されたのか、はたまたアウフヘーベンかといったことは問題としないけれども、少なくとも、あえてそれらを二分して、お互いに攻撃し合うものであるという風潮は、ほぼ消え去ってしまったのだ。その空気感を端的に描写しているのが映画『花束みたいな恋をした』である。押井守の存在やガスタンクの映像やらを介して惹かれ合い、文芸や邦楽の趣味で共感し合う麦くんと絹ちゃんは、90年代的な枠組みにあてはめると、明らかに「サブカル」のカップルだ。しかし、彼らは宝石の国やゴールデン・カムイを読む。ブレワイを買う。シン・ゴジラをみる。ままごと(劇団)の舞台さえ観に行くような層が、同時にこうしたものをあたりまえに摂取するというのは、90年代の「サブカル」的な感覚ではありえない。まどマギの放送が2017年だった世界線ならば、二人で一緒に最終回に釘付けになったというエピソードがあっても違和感はないだろう。物語の後半で絹ちゃんは自分の好きなものを大事にしながら生きるために、謎解きゲームを主催するベンチャー企業で働く選択をする。ここで絹ちゃんに対比されるのは、物流企業に勤めることで激務に追われ、カルチャーのある生活から脱落してしまった麦くんである。この麦くんに対比される絹ちゃんやかつての麦くんを、「サブカル」かはたまた「オタク」かに分類することは、ここではもはや意味がないし、その必要も存在しない。文芸も映画も音楽も舞台もマンガもゲームも、派閥意識などなくカルチャーに関わる層が、ここでは描かれているのである。繰り返しになってしまうけれども、二人が生きた2010年代後半には、カルチャーにおいて、それまであった「オタク」と「サブカル」という境界はもはやほとんど消滅して、仮にその区別を認めるとしても、好きに行ったり来たりできるし、そのことになんの咎もないという状況になっていたのである。いま、「サブカル」という言葉にアクチュアルな響きがなく、古臭さを伴うのはこうした事情によるものだ。「当時のサブカル」という表現を40代以上がすることに違和感を覚える層がいるとしたら、現代には「サブカル」という枠組みがあえて存在する必要がないということにその理由があるだろう。つまり、「サブカル」という言葉にはもはや、90年代以前に存在したらしい、そして2000年代にほとんど絶滅した様子である、ある種の人々、例えば、大衆文化を回避するひねくれた心根を持っていたり、その一方で「オタク」を見下していじめるような心性ももっている、というのがピッタリなイメージの、そういったかつての人々に対する意味のみしか残されていないというのが、現在の状況であるのだ。
続き
https://www.youtube.com/channel/UCODNLyn3L83wEmC0DLL0cxA
MaiRを見るようになったらそのうち確実に見ることになるであろう、彼女の相棒と言えそうな存在。
逆光のフリューゲルのカバーでは、この2人で力強い歌声が美しいハーモニーを奏でていた。
https://www.youtube.com/watch?v=xiBza4tejRE
コラボでは奇麗なハーモニーを見せ、ソロでも抜群の存在感と機微を感じさせる。
https://www.youtube.com/watch?v=CTXl0HbY4zc&t=68s
彼女らは同じ所属団体ではないけれど、大手の企業勢ではない、さりとて個人とも言えなさそうな、少人数で製作チームを組んでる様で、その点でも活動の同志としての絆がありそう。
(音楽やってるVは個人・企業問わず界隈の仲間意識が広く深く、そこらへんは「ホロライブの仲間内のワイワイ感」とかが好きな人に共通して楽しめる要素じゃないかなと思う。)
長く活動してる安定感と信頼感で企業・個人問わず多くのコラボに参加し、ライブイベントなどにも多く出演。
セクシーな3Dモデルを存分に活かし、下ネタもOKで、あっくん大魔王のNKDICE配信ではその奇麗な発声で「まんこ」を連呼し視聴者の心を熱くさせた。
https://youtu.be/QrqkkRWaRx0?t=5460
非大手で制作チーム体制ならエルセとさめのぽきも、というツッコミはキリがないのでやめてください。
MaiRも朝ノ瑠璃もAZKiも参加してる深海フェスはいいぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=Bizxhyzdx78
④アザミ
AZKiリスナー→歌枠が好きではないか、ということでオススメしたい。
配信の規模感は元記事で書かれてた「ホロに入る直前の星街すいせい」位で、渋滞しすぎてないけど賑わってる感じ。
https://www.youtube.com/playlist?list=PLrToGx1incQghnqnmFdCXsSZeBUhgVgc3
多彩で気怠くも情熱的な歌声で、サラっと歌い上げてる印象もあって、聞いてて飽きない素の歌の上手さを感じる。
選曲なんかが最近のアニソンやボカロ曲よりも一昔前の邦楽が好きな、我々の様なはてな村のおじさんにピンズドな気がする。
シンガーソングライターであり、自作曲を他のVに提供したりもしている。
https://www.youtube.com/playlist?list=PLrToGx1incQhW4iohHQiGyGvecOI8uxUL
元々音楽サークル所属で、V以外でも活動していたみたいだが、このコロナ禍の中Vの活動に重点を置くようになったらしい。
トマト組だったらまず高峰伊織だとか、他のメンバーもとか言われても記事には限りがあるんです。
そのツッコミができるあなた向けの記事じゃないしそこらへん詳しくわかってないから!
https://www.youtube.com/watch?v=RAM-FD_EFho
続く
・Hotel California/eagles https://youtu.be/BciS5krYL80
4分20秒くらいから2分ほど続く。ツインリードギターがあまりにも有名であり、このフレーズをパクった邦楽の曲があるくらい。
・Comfortably numb/Pink Floyd https://youtu.be/_FrOQC-zEog
5分00秒くらいから2分ほど続く。いわゆる泣きのギターであり、この曲が収録されているアルバムの中でも出色の出来
・Purple Stain/Red Hot Chili Peppers https://youtu.be/H1LF-qyoNjo
2分40秒くらいから1分半くらい続く。チャド・スミスのドラムが聴きどころ
・All Around the World/oasis https://youtu.be/bdT8ixdxPX4
4分くらいから3分ほど。最後まで直線的に盛り上がる。一度きくとお腹いっぱいになる焼肉のような曲
・LOVER SOUL/JUDY AND MARY https://youtu.be/Nux2Y80spGY
アウトロのコード進行がすき。リンク先のPVは途中でフェードアウトしているが2分くらい続く
・タガタメ/Mr.Children https://youtu.be/gAWeFky1fwY
6分30秒くらいから
が、作品に対する関わり合い方、触れるタイミングや切っ掛けは変わる。
やっぱり昔と今で違うのはあまりにも娯楽に溢れすぎてるんだよな。
自分好みの面白い作品(これはアニメとかだけじゃなくてドラマやら小説やらゲームやらあらゆるコンテンツ)をいくらでも探して楽しめる。SNSの発展で新しい作品がプロ・アマ問わず生まれ、過去の名作も消えずにいつでも触れることができる。
故に結局のところ作品の面白さで売れるかって言うと売れないんだよな。右向いても左向いても面白い作品があるんだから。もちろん傑作と思える作品は一握りだけど。
だからたぶんコンテンツを作る側は如何に作品に触れさせるかの時代がとっくの昔にきている。アニメやドラマは各種配信サイトで気軽に見れ、漫画は雑誌の連載でも無料配信することがかなり多くなった。ゲームも配信を許可してシェアすることが常識となっている。
そして運良く話題になったらその面白さがマクロにもミクロにも口コミでさらに広がるから、売れるし、時間は有限だから友人や好きな有名人と作品の話題を共有したいと思えばさらに売れる(作品を楽しむのは趣味って人だけじゃなくてコミュニケーションの一貫の人も多いから)。
そう考えると昔と変わらない気もするし、やっぱりどこか違う気もする。
とはいえ、その状況に胡座をかいて面白さを失ったらだめってのは理解するけど、
鬼滅の刃もウマ娘もほんとに革新的な作品ではないかもしれないが少なくとも一定以上のクオリティを持ってるのは間違いない(つまんないって人もいるだろうけど)。
クオリティ云々いっても下がってる実感があまり…。例えば邦楽だってAKBだのなんだのやってた時代が淘汰されて今いい音楽が売れる時代じゃないかな。
あとよく中国アニメに抜かれるって言われてるけど、なんか全然実感ないなあって思ったら、そもそも触れる切っ掛けがないんだよね。
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私は小渕さんの書く詩が苦手で、若いころに作った曲はともかく最近の曲はアラフォーが書いたと思うと特に恋愛系の歌詞にはゾワっとしてしまう。
コブクロの楽曲のほとんどが小渕さん作詞作曲なので、コブクロの歌詞のほとんどが苦手ということになる。
じゃあどうしてコブクロの曲を聴いてファンになるまでハマって今までライブに通い詰めてきたのかというと、曲のメロディーや伴奏、歌声が好きだから。
そして何より黒田さんの作った楽曲、詞が好きだから。(小渕さんの曲で好きな曲ももちろんある)
黒田さんの曲は人情的で、泥臭く足掻いていて、時にはとても繊細で臆病で、遊び心があって、そんな楽曲たちが大好きだった。
DOOR(https://www.uta-net.com/song/19060/)には何度励まされただろう?人生の節目には特に刺さった。
ライブで聴いた時の衝撃も忘れられない。力強い歌声と命を削って歌う姿には身震いした。
それに呼応するかのようにバンマスである福原さんのギターソロも特別熱がこもっていたように感じた。
そんなDOORとは変わってTo calling of love(https://www.uta-net.com/song/82451/)の繊細な詩と歌い方は涙が出そうなほど感動する。
CALLINGツアー(2009年)が初めてのコブクロライブ参加だったのもあり、最後のサビのアレンジには度肝を抜かれた。
バックバンドのピアニスト、よっしーさんの伴奏も好きで、弾き語り用の楽譜を買ってきてピアノで弾いた。
ピアノといえば休養前のツアー(2011年)、喉を患っていた小渕さんだけではなく黒田さんの喉の調子も悪そう、というか悪かった。
最初から声が出てなかった。正直聞くに堪えないくらい辛そうだった。
そんな中でのSTAY(https://www.uta-net.com/song/81761/)、よっしーさんが黒田さんの歌を庇うように力強い演奏をしはじめた。
その和音は黒田さんの声を掻き消すくらいに大きく鳴り響いて、大胆なアレンジも入れて。
でも黒田さんはそれに負けないよう声を張り上げて歌っていた。
2人のコンビネーションに目が離せない(耳が離せない?)ほど引き込まれた。
その後、最後黒田さんの歌から入って伴奏が追いつく箇所で(これはSTAYではなく流星かも?)、黒田さんの声が詰まって曲が止まってしまったときには素早く察知して溜めに溜めて様子を伺いながら伴奏を入れていた。
(それに対してMCの際に黒田さんが「変な入りしてごめんなさい」とよっしーさんに謝っていた)
サポートメンバーがここまでミュージシャンに寄り添って、大胆なアドリブ演奏をすることはそうそうないのではないか?(本当のバンドならともかくコブクロはデュオ)
そう考えるとコブクロとそのサポートメンバーには強い信頼関係が築かれているのだろうなと私は思った。
だからピアノ伴奏のみのOverflow(https://www.uta-net.com/song/29980/)をライブで聴きたかった。
話は戻って、CALLINGリリース時期(2009年)の音楽雑誌でのインタビューでTo calling of loveについて小渕さんがこう答えていた。
「愛されたいとか、●●されたいという受け身なところが黒田っぽい」(記憶が曖昧なのでなんとなくこんなことを言っていたなという意訳)
これを読んだとき、そんな人ならスキャンダルになるような問題を起こすようなことはないだろうな~とのんきに思ったのを覚えている。
……それでこれ。
黒田さんの詩に励まされてきた身としてかなりのショックを受けた。
報道を見て1日経ち、いったん冷静さを取り戻したところに福原さんのツイート。
「人生いろいろある」
https://twitter.com/gt_fukuhara/status/1392477617194868738?s=20
文脈的に黒田さんひいてはコブクロへの言葉と見受けられるけれど、人生いろいろあるのは奥さんとお子さんであるわけで。
福原さんのツイッター・インスタを見ているとコブクロにかなり熱量をいれてサポートしているように感じていたし、前述のようにコブクロとサポートメンバーには強い信頼関係があると思っていたから、山口メンバーに対してのTOKIO達のように、アンジャッシュ渡部に対しての児嶋さんのように、黒田さんのことを叱ってほしかった。被害者である奥さんとお子さんを慮ってほしかった。
ここまで全て私が勝手に思い描いてた人物像・組織図であって、そういう対応を期待したり、この件でたかがファンであるモブの一般人が裏切られたと思うのはおかしい話で、ましてや小渕さんではないサポートメンバーにそこまで求めるのだっておかしい。
リプライ欄に否定的なツイートがわずかながらあったけれど、福原さんの言葉に意見を述べるのはともかく黒田さんへの否定的な意見をそれこそサポートメンバーに送り付けるのはお門違い。
バンドマンはクソ
ああ、黒田さんを叱らなかったのってそういうことかな……と、自分の中で憶測が憶測を呼び勝手にまた傷ついて、そもそもそんな憶測だらけの勝手な想像でこの件を受けて裏切られたと思うのはお門違いで(以下略)
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ということをコブクロファン会員サイトの交流系SNSに投稿しようとしたけど、投稿するのをやめました。(えらい)(でも吐き出したかった)(会員はやめる)
これを読んでくれた方はどうか、私の自分勝手に描いた人物像や関係を鵜呑みにしないでください。
特に福原さんはとばっちりで一般人のモブ1人に勝手に虚像を描かれてがっかりされているだけなので……
モブ1人ファン離れしても何の支障もないと思いますが、モブから見たら今まで何度も助けてもらった主人公に背中から刺された衝撃はでかく悲しいものです。